五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

森のイスキア

2009年12月31日 | 第2章 五感と体感
晦日の夜更かし。私にとって一年の締めくくりと自分のありようを考えるにふさわしい番組を見ました。
映画「マザーテレサ」を見た後に思いがけない贈り物のような番組。
それは青森の佐藤初女さんの一年を追った上質なドキュメンタリーです。

森のイスキア・佐藤初女さんは、教員の時から自宅で悩める人の話を聞き続けてきました。「森のイスキア」という名のついた家は多くの支援者・寄付金によって1992年に出来上がりました。岩木山の麓にある春から秋まで開いている悩める人の宿り木です。

私が知ったのは10数年前です。事あるごとに佐藤さんの姿を思い浮かべて生活をしてきました。佐藤さんのどんな姿を思い浮かべるかというと、佐藤さんが食事を作り、おむすびを結ぶ姿です。そして、訪れる人への無条件の肯定的配慮です。

この姿は、知っている人であれば、誰しも頷くはずです。

意見を語るわけでなく、人の心を癒す表面的な関わりというのではなく、
平素の変わらない佐藤さんの姿の横にいるだけで、悩める人が自分の居場所をここに感じるのです。
自分の抱える問題は変わりませんが、抱える問題に戸惑う「心と体と魂」の置き所さえ揺るがなければ、自分の中に吹く嵐は、どんなことがあっても大丈夫、といえる確信に近づくことができます。

その確信が見えてくると、心と体を安定させ、吹き荒れる嵐がだんだんと治まっていくのです。

答えは、必ず自分の内に持っています。

その答えを自分が導き出すまで、変わらずに静かに添ってくれる人の存在が人には必要です。

一年の締めくくりに、佐藤初女さんのことをブログに書くことができた私は幸運です。
しかも、映画マザーテレサの言葉も響きました。「大きな組織での活動ではなく、自分の見える範囲でできる奉仕で充分。。。」

今年もブログを読んでくださる皆様、NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会を支援してくださった皆様、仕事での出会いの皆様、
そして、ユースフルライフ研究所の勉強仲間の皆様に感謝申し上げます。

小さな活動ではありますが、身の丈に合った仕事をコツコツとしていきたいと思います。
出会った人との関わりは、必ず連鎖してきます。

「永遠の休息」はそのうち必ず自分にもやってきます。その時まで、悔いなく生きることを願い、意識したいものです。

佐藤初女さんのご健康とご活躍をお祈りします。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高円寺の銭湯

2009年12月30日 | 第2章 五感と体感
晦日の日。
小学生のころは、ひとあし先に母の実家に一人で行き、祖母の買い物に付き合い、高円寺商店街の賑わいを見るのがとても楽しみでした。
夜になると更にお楽しみがありました。叔母と銭湯に行き、イチゴ牛乳を飲むのです。

昭和30年代から40年代前半の話です。

ちょうど「神田川」が流行った頃です。

当時、中央線沿線の高円寺や中野、阿佐ヶ谷には多くの銭湯があり、それぞれの建物には個性がありました。小さな桶にシャンプーや手ぬぐいを入れ、銭湯の独特な異空間に入り込むのは、私の放浪癖の原点だったのかもしれません。

私のお気に入りの銭湯は、建物の構えが、お城のような瓦屋根で、建物の中には曲がり廊下があり、きれいな坪庭があるところです。竹で編んだ丸いかごに服を入れ、浴場にはいると高い天井に、ケムケムと湯気が立ち上り、お湯を流す音と桶をタイルの床に置く音が響き合っています。正面の壁には松林から見える富士山。富士山には雪がかぶっています。

銭湯の匂いは、懐かしい記憶をよみがえらせます。

子供がワクワクする異空間。
いまやそれは私が体験した昔ながらの銭湯ではありません。たった数十年しかたっていないのに、世の中はずいぶん様変わりしました。

晦日の思い出のひとつを思い出しながら、2009年12月30日を大切に過ごすことにしよう、っと。

それにしても、なぜ、イチゴ牛乳だったんだろう・・・

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンセラー

2009年12月29日 | 第2章 五感と体感
昨晩、たまたまテレビを付けたら○○大学の臨床心理のスクールカウンセラーについての講義をやってました。
しばらく見ていたのですが、臨床心理士という職業が「あたかも国に認められた認定資格である」と国民に思い込ませてしまった反省と混乱を感じました。
先生は、一所懸命、顔はにこやかに、内容は厳しく語っていらっしゃいました。

日本には、カウンセラーの国家試験はありません。

世間には、溢れるほどのカウンセリング団体があります。
数回の研修を受けて、認定証を渡してしまうも団体もあれば、一つの理論のみを強化し学ぶ団体もあったり、いろいろです。

私たちが学んでいるユースフルライフ研究所・カリタスカウンセリングもその中の一つです。

通信講座にてレポートを返書人とやり取りしながら、カウンセラーに必要な科目を6つに分けて段階を踏んでいきます。
ワークショップに参加し、勉強仲間との交流を深めながら、「3級資格」を取るのに最低でも3年間はかかります。
その後も、2級、本免許目指して、勉強をしていきます。たぶん、一生の学びです。

本気で勉強したい人は、主宰者である先生から「教育分析」を受けながら、まさに大学院並みに指導を受けています。

カウンセラーという職業は、どの職業もそうでしょうが「向き不向き」が明確に表れます。
勉強を始めた理由が何にせよ、1000人に一人でも「これが私の天職だ」と思える人が現れたら、それでOKではないでしょうか?

全体を見渡せることはカウンセラーに必要なことです。
確かに自分の経験だけでカウンセラーにはなることはできないはずです。

☆カウンセリングの理論を折衷で使いこなせるか?
☆法律を意識しているか。それを仕事中思い出せるか?
☆人権・倫理について勉強しているか?
☆そして、カウンセラーと称する人自身が自分に抱えた問題を意識化しているか?
受容しているか?自分自身の傾向を意識できているか?
☆人間関係の繋がりを楽しめるか?
☆あらゆる学問や歴史、文化、芸術、人類学に興味を持つことができているか?
☆・・・そして、上記のことを、生涯学び続けることを怠っていないか?

そして、
☆謙遜であるか?
☆森羅万象に肯定的であるか?
☆ほんとうに人が好きか?

最後に、
☆私は、何のために生きているのか?
☆私の生き甲斐は何か?
☆私は私の心と魂と体を大切にしているか?
・・・この問いを、常に自問自答しているか?
☆自然体か?

年末に長々と書いてしまいましたが、
まだまだ、書けそうです。。。今日はこのへんで止めておきます。。。

ともかく、カウンセリングを受けたいと思われる方々も、「ヘンなカウンセラー」を見極める必要があります。ヘンだと思ったら、パスしてください。

皆さま、暮れの忙しい中、お体ご自愛を!

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人のストレス

2009年12月28日 | 第1章 意識と知覚
ふと気付くと、他人のストレスに巻き込まれていることがあります。

自分がとても明るい解釈をしているのに、なんだかとっても暗い解釈をしている人が横に居たら、けっこうその気分は暗い方へと導かれて行ってしまうこともよくある話です。

自分の問題か?
相手の問題か?
それらを意識してみると、案外、自分のストレスではないことに気付いたりすることがあります。

心の事業仕分け、大切にしていきたいものです。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のために生きているか?

2009年12月27日 | 第2章 五感と体感
昨晩、久しぶりに友人と時間をかけて語り合う機会を持つことができました。

彼女は、聞いているだけで目が回りそうなくらい多様な仕事をされています。
私も複数のジャンルの違う仕事や趣味をいくつか並行しながら生活しています。

互いに、そんな生活が心地よい、と言い切りました。

自分の生き甲斐である職業をいくつか並行することによって、自分を保っている人もいれば、職業はお金のためで、生き甲斐は家族であったり、趣味であったり、という人もいれば、自分の選択している諸々がすべて生き甲斐だと感じている人もいらっしゃるはずです。

生き甲斐は、個人個人、違います。

人に湧き上がる統御感が、「生き甲斐」に繋がる場合が多いかもしれません。

師走の忙しさの中、
私は何のために生きているのか?
そして、
私の生き甲斐は何か?
最後に、
私は心と魂と体を大切にしながら生きているか?

この問いを改めて自問自答しながら、年内の仕事をしたいと思います。

「幸福の条件」は、自分の服のようなものです。
「幸福感」は、身体と心と魂から湧き出る、統御感であり平安感であるように思います。

時と場合によって、「条件」が先か、「感」が先か、考え判断しながら生きていくのが「人生」です。いつもいつも「感」を優先して生きていくことばかりが良いとは言い切れません。でも、「条件」に気を取られ過ぎて、「感」を見失うようなことだけは、したくないな、と。。。。

あと五日の2009年。一日一日大切に生きたいものです。

心と魂と体をお大事に

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腹は心

2009年12月26日 | 第2章 五感と体感
12月25日、私がお世話になっている能の会がありました。
金剛流のみの演目「雪」を師匠が舞いました。

その演目を稽古している私は、まだまだ所作が何かもわかりません。

ただ、「美しい所作」を感じることはできます。
そうはいっても、自己の所作には程遠いもので、ひたすら稽古をつけていただくのみです。

能の表現は「動による静=静による動」。
心理学的に表現すると、「アイデンティティの統合による統御感から湧き出す感情を超えた領域」
・・・と、表現できるかと思います。

師の「思考は脳であるが、心は腹である。腹で舞いなさい。」
それこそ、腹に沁みる言葉でした。

最近の能楽を語るのに「幽玄」という言葉は使わないそうです。
本質に迫ることの表現を追求していくと、量子物理学の理論がまさに本質を語るにふさわしいからです。

これもまた心理学を語るにふさわしい内容です。

幽玄は確かに夢想の世界を想像し雰囲気を醸し出しますが、表層的な表現は、魂の領域を感じられません。核心に迫ればこそ、そこから湧き上がる「気」を演じる側もみている側も「腹」で感じるわけです。

「腹で舞う」
この言葉にしっくりし、なんだか、できそうな気???になってきました。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスおめでとうございます

2009年12月25日 | 第2章 五感と体感
✚Merry Xmas

クリスマスイヴの夜、教会のミサに与りながら、改めて「愛」を考えました。

ふと、スロベニアの旅を思い出しました。
クロアチア国境あたりにある大きな川のほとりにある巡礼地。ヨハネの泉のあるところです。泉の湧く場所の脇に日本的にいえば祠(ほこら)があります。キリストの誕生日が近くなると(待降節)、そこに飼い葉桶に寝かされたイエスキリストとマリアとヨゼフ、博士たちや、羊や馬、そして天使たちが飾られます。

普段は、泉の水を求め、十字架の道行きを祈る人々が訪れる静かな場所ですが、クリスマスの時は違います。多くの人が訪れ、一気ににぎやかになるそうです。
私たちが訪れたのは、夏の余韻の残る秋の始めで、葡萄の収穫の真っ盛りの時期でした。訪れる人はまばらで、クリスマスの想像すらできないくらい、ひっそりとしていました。

ヨーロッパやカトリックの学校に縁のあった方々は、その映像を思い起こされると思います。
カトリック国のクリスマスの夜は、派手さのない温かみのある愛に溢れたまさに聖夜にふさわしい空気が漂います。

冬至と入れ替えに、光に向かう夏至への分岐点。もともと太陽信仰・古来からの宗教が折り重なっています。

ひっそりとした、なんの変哲もない場所がある日、光に満たされます。
家族の繋がり、人の繋がり、ある日、ある時、その関係にふと光を感じることがあります。
その光に触れることを意識すると、自分は「受容の繭」に満たされた中で生きていることを感じ、体感します。

感じようと思う時にいつでも感じられる人は幸せかもしれませんが、「受容の繭」をイメージした時に、その体感が愛の体感であることに気付いた人は、もっともっと幸せな体感を味わうかもしれません。

よきクリスマスをお過ごしください

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親と子

2009年12月24日 | 第2章 五感と体感
Merry Xmas

今年は例年になく妙に落ち着いた年の瀬を送っています。

よくよく考えてみると、子育ての大きな峠が過ぎたことが理由のようです。
意識はしたことはありませんが、子育てというのは長年の緊張感が「無意識」に働いているようです。

高校を卒業するまでの親の責任は大きいものです。

先日、ある勉強会で「崖っぷちに立っている子供を突き落とす親がどこにいる!!」と口を揃えておっしゃった参加者の皆さんのお顔が、ふと浮かびました。

「あなたの問題ですか?
それとも、お子さん自身の問題ですか?

あなたの夢ですか?
それとも、お子さんの夢ですか?」

「あなたと私」の関係において、私とあなたを切り離して考えることが難しいのは、「親子」の関係であるように思います。

「あなたの夢が私の夢で、何が悪い。。。」という気持ちは、親の持つ表出感情の当たり前の姿かもしれません。

高校卒業後の進路は、人それぞれ。
「それぞれ」の選択。
人によっては、夢がある程度形となって見えている人もいます。

一喜一憂しながら、はらはらと見守る親の気持ちは、たぶん、自分が親になって初めて経験するもののように思います。

経験する感情は、天から人に与えられた贈り物なのでしょう。

その贈り物をどう扱っていくか。。。

クリスマスの日、「わたし」を今一度、見据えてみたいと思います。

そして、私と繋がっている皆さんに、深く深く感謝します。
今在る私は、皆さんとの関係から成っています。

よきクリスマスイヴをお過ごしください。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話を聴いてもらうには

2009年12月23日 | 第2章 五感と体感
昨日のブログに書いたように、人には傾向が必ずあります。その傾向は、個性の美です。

人は一人一人捉え方が違います。

「自分の話を聴いてもらいたい、悩みを打ち明けたい・・・」と思った時、どんな傾向の人を選びますか?

できれば、自分の傾向を温かく迎えてくれる人に話を聞いてもらいましょう。

「・・・・やっぱり、この人に話すんじゃなかった・・・」
「結局、考え方が違うから、気持にしこりが残っちゃった・・・」

ということに、ならないよう・・・

話を聞いてもらう相手を選ぶのは、自分です。

同じ失敗を繰り返さないよう、自分の傾向を今一度点検してみるのもよいかもしれません。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解釈が暗いのも個性の美

2009年12月22日 | 第2章 五感と体感
解釈が暗い人は、解釈が暗い傾向があるわけで、「平素暗い」ものを「無理やり明るく」するには無理があるようです。

人には傾向があります。
その傾向は、「個性の美」です。

その傾向である「個性の美」を自分が意識し受容することによって、心身の健康を維持することが可能になります。

傾向と対策・・・

自ら深みに落ちる前に、対策し、回避できれば、「個性の美」をもっともっと自分にとって良い方に咲かせることができるはずです。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「坂の上の雲」に「仁」に

2009年12月21日 | 第2章 五感と体感
ここのところ日曜日の夜が待ち遠しく、時間になるとテレビをつけ、ドラマ三昧。
7時からのダッシュ村は、三瓶さんが80歳のバースデー、、、おめでとうございます。昔からの知恵をいろいろと見させて頂き、勉強になります。いよいよ、日本一周ソーラーカーの旅も私の住む横浜が近づきつつあります。

そして、メインは昨日の「仁」。
大沢たかお扮する「未来から江戸時代後期に時空を超えてやってきた医者」を主人公に繰り広げられるドラマが最終回でした。

「坂の上の雲」も見逃せなく、でも、昨日は仁が最終回だったので、坂の上の雲を途中でやめ、「仁」に集中。。。

最後の場面は、「え??、これで、終わり???」「えっ?、このまま江戸で生きるのか???いやいや、今に戻るのか???・・・えっ???」

で、終わっちゃいました。

このドラマが「続く」ことを願いつつ、来年の坂本竜馬を楽しみに。。。

寒い夜は、じっと動かず、ドラマで広がる時空を楽しむべし。。。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成育史と抑圧の関係 2

2009年12月20日 | 第1章 意識と知覚
ある日、ある時、何かのきっかけで、「え!????、これって、私だけが思ってたものなのぉーーー???」という経験を持っている方は、幸せだと思います。

他を知らないばかりに、自分を苦しめていたものが、成育史による経験からきたものだと知った時に、思わぬ浄化作用を起こすことがあります。

でも、
子供は、そうは簡単にいきません。
人間関係が広くなく、行動範囲もせまく、言語表現も豊かではないから、気づくと身体症状に出ていたりしています。

人込みの中に入れない・・・
心臓がドキドキする・・・
眠れない・・・
胃が痛い・・・
頭が痛い・・・
教室に入れない・・・
友達との違和感に苦しむ・・・

確かに生きてきた年数が少なく成育史による経験も少ないのですが、よくよく考えてみると、私自身の成育史における、不安の根源は、だいたい15,6歳までの経験によるものだ、と思うのです。

子供たちの話をじっくりじっくり聴いていくと、素晴らしい人生哲学をすでに持っていることに感動します。
「どうやったら私は生きのびることができるか」という答えをすでに持っているのです。
でも、それらを言語化して、元気になる子もいれば、そうでない子も多いのです。

成育史における経験の中で育まれた概念が、抑圧という防衛機制で支配され、意識に上がらないので身体に出てくるケースも少なくありません。

成育史をやみくもに自己受容することは自虐的な行為です。
自分の本音の感情を自己受容するために、理論的な検証作業も必要になっています。

現象には、必ず理由があります。

それは、宝物である成育史を意識化してみることから始まります。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成育史と不安の繋がり 1

2009年12月19日 | 第2章 五感と体感
本人には気付かない「核心」が、本人の言葉から発せられた時、聴いている私は、まるで宝の山から見つけ出した1,000カラットのダイヤモンド?を手にしたような体感と感情を経験します。

「成育史は宝物」である所以はそこにあります。

私たちはカールロジャーズやユング、フロイト、エリクソン、エリックバーン、といった大物心理学者の理論を学んでいます。
その理論を自分の成育史と重ね合わせ、「私は、どうしてこうなのか?、どうして、現象の解釈がこうなのか?どうして、こんな時に不安感が生じるのか?」ということを自己事例に理論を重ね合わせながら自分の成育史を理論武装していきます。

これは、臨床学的実例・事例を使った学問です。
自己を分析するのですから、はっきりいって過酷な修練です。
しかも、一生かけての修練です。そうはいっても、やりだすと心理学という学問と理論の深さを思い知り、自分の中に、無数の扉があることを知ります。

人は、本質は、不安です。
不安感が湧き上がるから、感情が湧き上がります。
不安感を知らなければ、喜怒哀楽もきっと湧き上がりにくく、表現もできないでしょう。。。感情表出が貧しいということです。

それだけ人の感情生活にとって、不安感の意識化は大切なのです。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の幸福

2009年12月18日 | 第1章 意識と知覚
長年、当たり前だと思っていた考え方とか風習が、ある日ある時「当たり前ではない」と知った時に、心の中で縛られていた何かがほどける体感を味わいます。

親と子の関係はそれだけ深いのです。

自分の考え方が、すべてだと信じ、生きていくことはとても大事なことです。
自分を信じることが、自己肯定かというと、これは、ちょっと違うかもしれません。

自分の考え方をかたくなに信じ、他者否定を繰り返す人を見ていると、その人の自己肯定は、かなり歪んだものに見えてきます。
自己肯定の中に潜む、自己否定が浮き彫りにされてくる場合もあります。

親子の関係の中で、「幸福」と「幸福の条件」を意識し出した時に、自分の身体と心から湧き上がる幸福感を思い出してみると良いと思います。
「自分にとっての幸福は何か?」を思索しつつ、
「自分は何のために生きているのか?」
「自分の生きがいとは何か?」
「自分の身体と魂と心を大切にしているか?」
を、自問自答する必要がありそうです。

親の成育史から学習した「幸福の条件」をあたかもそれが「子供の幸福」であると思い込んでしまうのは、親の愛情の表れでもありますが・・・

子供は、生まれてから今日までの経験で、親から多くのことを学んでいます。
たかだか、10数年、、、と思っては大間違いだと私は思います。

じっくりと、静かに、子供の話を聴いていると、そこから彼らの人生哲学が語られてくるのです。
その語られる言葉から、親が一所懸命育ててきた証がほとばしり出ます。

子供の個性が羽ばたいていくことに戸惑いを感じながら、親は今一度、自分の幸福感を見つめ直す必要がありそうです。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己主張

2009年12月17日 | 第2章 五感と体感
自己主張をできなかったばっかりに、自分をストレスに追い込んだ経験は、数多くあります。

子供は、親をよく見ています。

どのような言葉をかければ親が喜ぶか、どのようなことを言えば親が怒るのか、その判断をしながら、子供は生き抜いていきます。

親に言葉で自己主張できる子供は幸せだなぁ~、と思います。

自己主張と自己肯定。関係がありそうです。

自己主張をしながらも、相手との距離を意識できることができれば、他者肯定に繋がります。でも、自己主張することで相手との距離を意識できなければ、他者否定に繋がる可能性があるように思います。

あなたと私の関係。

親子の関係…互いに自己肯定、他者肯定でありたいと願います。

[生き甲斐の心理学参照」
クリック応援お願いします★
人気blogランキング ☆ありがとうございます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする