五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

長良川

2015年09月30日 | 第2章 五感と体感
長良川

春に亡くなった友人が導いてくれたようで、葬儀に参列した古き友人が表装工房を経営している事が解り、この度訪問が叶い、作業を手伝いに行ってきました。
岐阜の町は、福井に幼少期に二年間だけ住んだ私にとって、懐かしさを湧き立たせる場所でした。

二日間、歴史的にも貴重な本紙と向き合いながら心地よい緊張感で集中する事ができました。

岐阜市を流れる長良川は、御存じの通り鵜飼の名所です。
金華山の岐阜城に所縁のある斉藤道三や織田信長、楽市楽座の名残の街並みが、とても興味深く、しかし、岐阜市も戦災で焼けたため、一部の地域がその名残を残すのみとなっています。

中秋の名月の翌日、スーパームーンに重なり、夜の暗い街で眺める大きな大きなお月さまは、一段と感慨深く、翌朝は、長良川のほとりで、金華山と昇る太陽に向かいながらゆったりと太極拳もできました。
一人で太極拳をしていると、私の目の前にどこからか鵜が一羽やってきました。
川魚を狙っているのか、じっと立っています。そのうち、獲物を狙い川へと入っていきました。
早朝からランニングしたり、歩いたり、体操をしている人が多く、摺れ違う皆さんと「おはようございます」と言葉を交わしているうちに、地元の言葉に馴染んでゆく自分を楽しみつつ、、、。

すっかり馴染ませていただいた二日間。岐阜の気候を感じ取りながら表具を打つことで、横浜に住まう私は、海風を日々感じ取りながら生活していることにも気付かされました。よくよく考えてみれば、我が家から2,3分の高台の路を歩けば海が見渡せます。湿度の体感の違いは、表具作業する者にとってもそれぞれ違いがあるのです。多くの事を学ばせて頂き、しかも「自分の丸包丁一本持って出かける」という事は、包丁一本で技を見せる板前さんみたいだ、、、と、ちょっぴり誇り高い気持ちにもなりながら、益々精進させていただきたいと思うのでした。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信頼感

2015年09月27日 | 第1章 意識と知覚
信頼感 2015年9月27日

東日本大震災から四年半が過ぎました。
震災がきっかけで出会った人々は数え切れず、東急セミナーBEでの生き甲斐の心理学講座も同じく、講座の必要性を感じたスタッフさんのお陰で今に至っています。東急セミナーでの講座も雪谷講座が始まってから丸四年が経ち、五年目を迎えようとしています。
「雪谷講座」立ち上げから半年後には「たまプラーザ講座」が開設され、これらの講座での出会いも今では講座生同志が信頼感を持って臨んでくださり、益々暖かな雰囲気の講座へと育まれてきました。

本当にありがたい、と思います。

志をもって、何かを成そうとすると、確かに自分自身の意志が第一条件であろうとは思いますが、その志に信頼感を持って支えてくれる人が必要なのです。

台風の大雨で中止になってしまった宮城県山元町・某NPO団体の理事長とその後何度か電話やメールでやりとりし、12月に9月に中止になった「第八回・生き甲斐の心理学講座」をすることとなりました。師走に入り、お忙しいのでは?と尋ねると、「今必要なことは今やっておかないとダメなのよ。止めるのは簡単ですし、忙しいのはいつも同じ事ですよ。色々なイベントの段取りをスタッフにやっていただき、それに参加する近隣の皆さん、被災者の皆さんが喜ぶ様子が嬉しいのです。」と。

止めたらそれまで。
そういえば、私もそんなことを思ってやり続けてきたわ、と。

でも、私も皆様の支援や理解があってこそ、続けられているのであって、独りよがりでは成すことはできません。

色々支えられつつ、互いの信頼感を大切にしつつ、あたたかな学びの会が続けていかれることを望みながら喜び楽しんでゆきたいと自分の志を再確認するのでした。



☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋分の心と身体と魂

2015年09月24日 | 第2章 五感と体感
秋分の心と身体と魂2015年9月24日

春分から早半年。夏至を経て、いよいよ秋分が過ぎ、今度は冬至に向かって刻々と時が刻まれていきます。
「一年を巡ることが歳を重ねるごとに早くなるのは本当の事なんだなぁ」と、「集中力が高くなったから時が早く過ぎてしまう」とは違う事を受け入れざるを得ないようです。
バタバタと世間のしがらみの役割をこなしながらも友等と楽しむ時間を大切にも出来たシルバーウィークでした。
季節の良い時期に長期の自由時間を取ることができると夏の疲れを一掃することにもなったようです。
これで、一気に年末までマラソンできるはず、と、心の整理もつきました。

お彼岸の中日も無事終わり、食べ過ぎたお萩で満腹なお腹をさすりながら、今日から平常な生活に戻るとします。

いったん立ち止まり、心の具合と身体の具合を点検しながら魂と向き合うことで、自分の正中線に収まる自分を意識して心と身体と魂が良い塩梅で三位一体になっている自分を再確認できるのです。
それがバラバラであるのなら、心が収まっていないのか、身体が収まっていないのか、はたまた魂が収まっていないのかをひとつひとつ検証してみると良いのかもしれません。
「元の鞘に収まる」とは、こんな感覚が統合されたものなのでしょう。

9月25日金曜日は、東急セミナーBEたまプラーザ「生き甲斐の心理学講座」です。連休明けの皆様にお目にかかるのを心待ちにしています。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹かごとの出会い

2015年09月22日 | 第2章 五感と体感
竹かごとの出会い2015年9月22日

数年前に惚れ込んで購入した手作りの竹籠を巡って面白い人間関係が出来つつあります。
そもそも春に車で東北旅行をしたことがきっかけです。
車で移動する時に水筒やお菓子、地図やパンフレット等が籠の中に入れやすく、見た目も素敵なので、旅の御供として重宝しています。
その籠をいつものように持ち、秋保温泉の旅館に持ち込んだ事が事の始まり。。。
私が持つ籠を欲しがる女性と出会ったのです。

そのお方は、韓国では知らない人がいないというライフコーディネーターということで、お取り巻きも多く、旅館のロビーで楽しい交流をさせていただきました。

あれから5カ月余り経ち、真夏の暑い日に買い物に出かけると、数年前に出会った籠屋さんが出店しているではないですか。すぐさま事情を説明しながら籠を求め、その籠に付けていなかった竹の四本脚を後日付けて頂く約束をしました。
そして、昨日、ついに四本足の竹を付けて頂くために籠屋さんが出店している川崎大師の弘法市に友人と訪ねました。

その籠屋さんは、御主人を数年前に亡くし、お一人で東京や横浜を回っていらっしゃいます。有名な料理研究家の方にも愛されている笊もあり、雑誌などにも取り上げられている事を知りました。ただ、東日本大震災以降、宮城県桃生の竹も被害を受け竹が育たないそうです。更に先日の大雨でも被害を受けてしまい、益々竹をストックできないとのこと。ほんとうに残念です。亡くなられた御主人の技術も素晴らしいですが、奥様の手さばきも見事なものです。

籠が取り持つ縁で、「欲しい」とアピールした方にこの籠を届けるには、もうひと頑張りしなければなりませんが、その方のお陰で、籠屋さんと再会し、お話しできる機会を頂いたことが嬉しくてたまりません。
友人と二人、籠屋さんの魅力に取り付かれて更に笊を求め、お財布の中がすっからかんになって帰路についたことも楽しい思い出になりそうです。
竹で拵える笊と籠の質の良さに加え、作り手の精神性が素晴らしく、日本の伝統技術を益々大切にし、私の暮らしに馴染ませていきたいものだと痛切に感じています。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大政奉還から148年

2015年09月20日 | 第2章 五感と体感
大政奉還から148年 2015年9月20日

大政奉還から148年が経ちます。
1867年旧暦10月14日新暦11月9日、第15代将軍徳川慶喜が政権返上し、明治天皇に上奏。翌日に天皇がこれを勅許しました。

日本国憲法は大政奉還から80年後の1947年昭和21年11月3日に制定され翌22年5月3日施行。

大政奉還から148年、そして日本国憲法施行から68年経ちます。

私は15年ほど前から 童話屋発行の「日本国憲法・付教育基本法 英訳日本国憲法」を手元に置いています。286円という安価のポケットサイズの本を何かある毎に開いてきました。
全ての漢字に仮名がふってあり、とても読み易いシンプルな本です。
「日本国憲法をきちんと読む」という行為は民主主義の社会に生きている私の義務でもあると思っています。

大政奉還以降、激しく変化してきた日本は、あらゆる混乱を経て何らかの決断をしながら今に至っています。
そして、今この時も時は刻まれ、未来へと動いています。

自分はどこへ向かっているのか?
何のために生きているのか?
自分の生き甲斐とは何か?
自分は何を遺したいか?
…改めて自分自身に問い掛けながら自分自身の心と魂と身体を丁寧に扱ってゆきたいものです。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャ神話の神々

2015年09月18日 | 第2章 五感と体感
ギリシャ神話の神々2015年9月18日

ギリシャ神話の神々を知ることは、人の感情を知ることと同じ事だと常々思っています。心理学の学びにおいてギリシャ神話やチベットの死者の書等を読み人の感情を俯瞰する機会は、私達にとって欠かせない学びの一つでもあります。

我を知ることも他者を知ろうとすることについても、自分の中に見えない壁があって、その壁は、良くも悪くも自分を守るためにあるので、その存在にさえ気がつかなかったりします。

そんな時に、ギリシャ神話を読むと、自分の痛いところを突かれたり、「ああ、こんな人、いるなぁ~」と含み笑いしてみたり、納得したりすることができるのです。
自分の行きたくない領域に、いちいち行く必要は無いと思いますが、八方やぶりのギリシャの神様たちに触れてみることで爽快な解釈が自分に訪れるかもしれません。

ギリシャ神話のかの国は、実のところ、大きな柱を具えた骨太さを持ち、自由を尊ぶアイデンティティが揺るぎ無く洗練されているといっても良いのかも知れません。
持統天皇の頃から古事記を柱にしてきたはずのかの国は、いつのまにやら大局を軽んじ、普遍的な人間の真の姿を見ようとしない見えない壁に囲まれてしまっているような怖さを感じます。
歴史や民俗学、比較文化、比較宗教学の学びを益々大事にしつつ、
自由の背景に普遍的な愛があることを忘れることのないよう自分自身の吟味力を養っていきたいものです。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋雨の萩

2015年09月17日 | 第2章 五感と体感
秋雨の萩2015年9月17日

断続的に降る雨のせいで、我が家の名物萩はしな垂れて、大きな枝をだらりとさせています。なんとか手の届く範囲で、長い棒を使い枝の露を払うのですが、雨脚も強くなり、直ぐにだらりとしてしまいます。
枝のしなやかさを信じるしかなさそうです。

ホメオスターシスという言葉があります。自然治癒力という意味だそうですが、有機体には健全な方向に向かう力が備わっているようです。
その力を真から信じていると、心と身体と魂が調整を図るような気がします。
ホメオスターシスを疑っていると、疑う通りの方向に向かっていくようです。

よき方向に向かう事を信じて、念ずると「成り」となってゆくのは、有機体の真理であるようにも思います。

目の前の判断だけで司ろうとすれば、しなやかな枝であろうはずの枝は、ぽっきりと折れてしまいます。

秋雨の萩を眺めながら、「自由と平等の背景には深くて大きな普遍的な愛がある」ということを育む成熟したセンスをもう少し体得してゆきたいものだと思ったり。。。
普遍的な愛とは、同時にホメオスターシスであろうと私は信じているのですが。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭の萩

2015年09月16日 | 第2章 五感と体感
庭の萩2015年9月16日

赤紫の宮城野萩が今年も開花しました。
照りつける強い日差しが続いたかと思うと長雨と台風で一気に日照不足となったこの夏、我が家の名物萩がどうなるかと心配していましたが、台風の大雨が去った翌日に開花の確認をしました。

いつのまにか敬老の日が9月の第三週となり、シルバーウィークという名称になっていることに今更ながら気付き、連休がズレようが新たな祭日が増えようが、そんなこと関係なく、季節と歳時は刻々と時を刻みながら移り変わってゆくことのほうに思いを向ける方が心静かになれるように思います。

出来る事ならいつものように季節毎にその時その時の風情を感じながら、荒立つ気候に翻弄されずに暮らしたいものだと、秋の風にそよと揺らぐ萩の枝に呼びかけています。

この季節になると毎年同じ事を言っているようですが、我が家の小さな庭が一番華やぐ季節なのです。秋明菊の際立つ白花に夏の名残りの赤い水引き、紫のセージで彩りが足され、立ち枯れを待つ百合の枝がスンと立つ様子は、年に一度の私の楽しみで、一日眺めていても飽きる事はありません。
庭の手入れが丁寧では無いので、野趣の庭と言っても良いかもしれません。

源氏物語の鉤鼻の先が赤い琴(きん)を奏でる末摘花が茫と茂る草木の仕舞た(しもた)屋に父の形見の毛皮のちゃんちゃんこを着て住まう姿が、この季節の我が家の庭のイメージとなっているのです。できることなら、もう少しマシな源氏物語の章を思い出したいのですが、やはり今年も末摘花が頭に浮かびます(笑)

深まる秋に野分(嵐)が来ないことを願い、暫くこの風情を楽しみたいものです。

しもたやの萩に倣えと笑う朝 露芳


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好奇心

2015年09月15日 | 第2章 五感と体感
好奇心2015年9月15日

森羅万象に対する好奇心。
人に対する好奇心等等、、、

自分に湧き上がる好奇心は、何も特別な事に関してのみに発揮するものでは無さそうです。

「共感性」という言葉があります。
他者との関わりの中、自分自身が他者とどう関わっていくか、という関わり方は、好奇心がなくては上手くいきません。

他者との関わりにおいて、
「他者が今、どんなことを考えているのか?どんな感情を出しているのか?」「どんなことを自分に要求しているのか?」
そのようなことを感じ取ることについても自分の好奇心が大事な感性として、関係性を育んでゆく媒体となってゆくのです。

「関わる他者に興味を持つ」ことは、自分が関わる世界を全体的に見つめ、把握する事に繋がります。
「私だけ」に興味を向け、他者に対する好奇心が欠落していると、自分の行動する世界がどんどんと歪んでゆきます。

特異な事に興味を向ける事だけが好奇心ではないことを、心に留めておきたいものです。

社会に出て、経験を積めば積むほど、自分が持つ好奇心を育んでゆく必要があるように思います。

「自分の世界から全体を見渡す好奇心」と上手に付き合いたいものです。



☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

品格の掛け軸

2015年09月14日 | 第2章 五感と体感
品格の掛け軸2015年9月14日

今年は予定が重なり行けないと思っていた[表具屋が集った某作品展]に滑り込みで見る事ができました。

毎年拝見し、老舗の表具屋さんのご時世を窺い、勉強させていただいています。
私にとってもこの作品展を拝見する事は恒例行事ですので、いつしかこの作品展が私のスケールともなっているので、見に行くことができて安堵しています。

今年は、奇をてらう作品は多くなく、久しぶりにすっきりとした作品が多かったように思います。
そんな中、目を惹く軸が一副。
銀箔と金箔を裂に直に乗せ、現代美術とも言える作風の表装。
裂に表具の形式風に直に描く技法を描き表装と云うのですが、良く見ると描き表装を意識したようなしない様な、そんな作風です。掛け軸としては、一枚の裂をそのままシンプルに表装したものなのですが、「今日、来て良かった~」という思いが湧く作品でした。
自分の作品を同時に自分が表装しているというわけです。

作家にお会いしたかったのですが、富山の表具屋さんということで、会場にはいらっしゃいませんでした。その代わり、その方の説明をしてくださった表具屋さんが仰るには、N.Y帰りの83歳の女性とのこと。

年齢で事を評価するには失礼だとは思うのですが、ほかのどなたよりも意欲的で洗練された作品であることに希望が湧いてきました。

熟練した技術の内側に落ち着いた品格を感じさせる素敵な一副の掛け軸に、表装の面白さをまた一つ教えられました。
そのお方にお会いしてみたい。。。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い秋

2015年09月13日 | 第2章 五感と体感
白い秋

大きな災害をもたらした今回の大雨。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。ちょうど、宮城を訪問する日程と重なっていたため、必要以上に天気図を確認し、テレビにくぎ付けになった一週間でした。もちろん、宮城県山元町行きは中止となり、半年に一度お会いする皆様のお顔を想い浮かべています。
嵐が去った後の各地の田んぼや畑も心配です。

この一週間、諸々なことが滞り、精神的にも陰鬱な気分になっておりましたが、秋空の下でテニスをしたり、表装作業を再開したりして動き出し、徐々にいつもの自分に戻ってきたようです。
昨日、我が家の庭の横綱である萩の花が咲いていることに気付きました。今年は秋明菊の開花も遅く、萩の開花と同時に白い花をひらりと開花し、ようやく明るくなった空に向かって秋空を仰いでいます。

五行説では、白は秋を表すそうです。
仏教では「空(くう)」を体感的に伝える場合、「秋の空の様な」と表現する事もあるようです。
台風が去った後の空は、まさに空気が透明で、その透明な感覚を「白」に例えるならば、腑に落ちます。

今頃の24節気72候は、鶺鴒が鳴く時期「鶺鴒鳴く(せきれいなく)」です。来週あたりの72候は「燕去る」
荒れ狂う天候に異常さを感じつつも、それが過ぎると暦通りの静けさに戻ることが、何とも言えない恨めしさを思います。

白秋に正中線を合わせて、これから深まる秋に「もののあはれ」を感ずる心の動きを大切にしたいものです。

風白くそよぐ先には萩の花 露芳

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋是清の書

2015年09月09日 | 第2章 五感と体感
高橋是清の書2015年9月9日

先日、あるお宅に掛かっている高橋是清の書(由来をお聞きし、本物だと思います^^;)の漢詩を解読し、確認し、解釈に至るまで数日間楽しませていただきました。

結局、最後の最後に検索を掛けてみると、「出てくる、出てくる、、、」数日間かけて解釈し合ったお遊びにピリオドを打ちました。

書には、
「修竹虚心萬年緑奇花照眼一時紅」と書かれてあります。

高橋是清の人柄を加味しながら解釈するに、
「竹はいつも青々としており常に清々しいが、伸びやかな竹を自分の思うように治めようとしてもそれは叶うものではない。返って虚しくなるばかりだ。
目立つ派手な花は華やかさをもたらすが、それは一時のものに過ぎない。
目の前に捉われず、謙遜に生きよ。」という意味だということに至りました。

この漢詩に思いを託す高橋是清は、まさに是清らしい、と思います。

江戸から明治にかけての諸々の大きな変化の中で、大河の流ればかりに気を取られず、自分を通した人が存在していることは、戦後の高度成長期に目を奪われながら教育をし、教育を受けてきた私達の世代で習うことはありませんでした。
小中学にしても高校にしても歴史の授業は、縄文時代から始まり、明治以降に関しては、ほとんど駆け足であった記憶しかありません。
歴史を順繰り知ることも大切な事ですが、近代を学ぶことで縄文を知り、奈良時代を学ぶほうが返って身体に沁み込んでくる場合もあるのです。

齢半世紀を過ぎ、漢詩を読み、夏目漱石を音読する楽しみを知ることは、20代の自分には想像もしていなかったことです。
是清さんに学びつつ、時世を眺める力を養いたいものだと、書を眺めながら思うのでありました。
慌てず騒がず時を見ながら丁寧に生きる事は、同時に知恵を育む事とも言えましょう。



☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聞き上手なお坊さん

2015年09月06日 | 第2章 五感と体感
聞き上手なお坊さん2015年9月6日

祖母の生家や親戚筋が寺であるため、お寺との関わり方には慣れているのですが、儀式を行うにあたり具体的な事で解らないことが沢山あります。実際に自分が動かなくては事が運ばないという年周りになってきたということとも云えそうですが…。

昨晩、都内で御世話になっているある寺にお願い事をするために電話をかけました。そもそもお願い事に至るまでの経緯を説明するには5分では到底足りず、随分長い時間私の話を聞いてくださいました。

受話器を置いた後、誰に話しても感じなかった安堵感に包まれました。

お坊さんの役割とその役割を当てにしている私の理想が、多分ぴたりと一致したのです。
この一年の波乱万丈な状況を笑って欲しいところでは笑い、慰めて欲しいところでは慰めてくださり、決定を仰いで欲しい私の心持も察してくださり、宗教者としての役割と志が晴れ晴れとしていることを強く感じました。

私もそんなふうに人の話を聞いているだろうか?

そのつもりではあっても、それは相手が決める事です。
自分の役割と志を語ることなく「体(たい)」で自然体で表すには、役割と志が張りぼてであっては、伝わりません。
暮らしの中の精進は、電話を取り次いで下さった奥方様にも表れておりました。

ありがたやありがたや。

精神的な緊張感が半年ほど続いていることは自分自身薄々感じてはいましたが、聞き上手なお坊さんのお陰で、腹の中で硬く閉じていた何かが開放されたような感覚です。

来月、20数年ぶりにお会いすることとなり、その日が楽しみです。
もうちょっと、頑張れそうです。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

責任と役割と可視化

2015年09月05日 | 第2章 五感と体感
責任と役割と可視化 2015年9月5日

どんなに小さな団体でも、どんなに大きな団体でも、
やっていることは規模の大小に関わらず同じ事なのです。

もちろん家庭も組織の一つです。
もっと突き詰めてみると自分一人を管理していくことも同じことです。

「誰が何の責任を負うか。」
「何に対しての責任か。」
これらのことが明確でない限り、目的があったとしても、あやふやな責任及び管理体制の中では、砂上の城みたいなものです。

誰が責任者であるかがはっきりしており、自分の役割を明解に受け容れ、組織の中で自分の役割を的確に捉えられるとその組織は上手く動いていくはずです。

責任者の責任の持ち方が、他者との解釈とズレていたら、たちまち組織は不安定になっていきます。

自分の役割を信じ込む前に、ほんとうにこの役割解釈で良いのか?という疑問を自分に投げかけ、軌道修正してゆくことは、とても大事な事のように思います。

そのために「危機管理」を「可視化」することは、自分の役割を点検しやすくもなります。

危機管理を可視化できるまでに体制を整える責任者のお仕事は、重大でしょうが、一番大切な役割であることは間違いなさそうです。

高橋是清のような潔さを渇望しつつ、私自身の責任と役割を可視化してゆくことも全ての始まりの一歩なのかもしれません。


☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疲労感

2015年09月04日 | 第2章 五感と体感
疲労感2015年9月4日

9月に入り、電車の中は一気に学生服姿が増えました。
猛暑と落差のある気温の変化と湿度の高さは、夏の疲れを一層酷くさせます。
出先で久しぶりに会う人々の夏の出来事を聞きながら再会を喜び合い、井戸端会議も多めです。
夏のマイペースな暮らしに慣れきっている身体は、過ごし方の変化によって身体は疲れていても脳みそは冴えわたり、少々不眠気味になることもありそうです。
そんな時は、早めに仕事のことから意識を離して、ニュース以外のテレビ番組なんぞで頭を切り替えることも、いつでもできる簡単な方法であるかもしれません。

「私は疲れているなぁ~」と、自分自身に声をかけてみると、心を平穏に持ってゆく道筋が取れるので、これも案外効き目のあるコツのようです。
「あれもこれもしなくてはならない」と思えば思うほど、気持ちは焦るようです。

生き甲斐の心理学のテキストに書かれてある「不安感・怒り・身体症状・鬱・錯乱」の箇所をちらりと眺めながら、自分はどの位置かしらん、、、と、意識化してみることができれば、かなり余裕がある方かもしれません^^//。

9月は気候の変化と身体の疲労を気遣いながら、心身を整えてゆきたいものです。

:お知らせ:
9月11日金曜日17時~
宮城県山元町のささえ愛山元さんにて「生き甲斐の心理学講座」を開催します。
山元町の皆様、スタッフの皆様との5月以来の再会を心待ちにしています。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

「生き甲斐の心理学/五感で観る」☆ クりック応援お願いします♪
人気blogランキング




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする