五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分を知る方法5信頼

2010年10月31日 | 第2章 五感と体感
自己覚知5

信頼

あなたは人を信頼していますか?
自分を信頼してるか?
他者を信頼してるか?
森羅万象を信頼しているか?

「信頼」に拒否感を感じている人と話をしていると、段々と薄気味悪い気分になってきます。
そして、会話を終えた後、煮え切れない感情が脳に残存して、ストレスが溜まります。

「信頼」を無意識に避けている人にも時々出会います。

赤ちゃんは、おむつが濡れると、泣いてお母さんに知らせます。お腹が空くと泣いて知らせます。不快なことを知覚するとこれまた泣いて知らせます。

お母さんは、「はいはい!」と言っておむつを取り換え、ミルクを飲ませ、抱きしめてアヤします。

でも、それができないお母さんが存在していることも悲しいかなあるのです。

「赤ちゃんが不快なことを知らせて、それを保護者が満たしてくれる」という繰り返しは、子供が自ずから「信頼感」を育む教育の第一歩です。

如何でしょう?

「信頼」という言葉を耳にした時、何を感じるでしょうか?

「愛」についても同じことが云えそうです。

自分を知る方法、自己との出会い(エンカウンター)
1.自己覚知
2.感情表現
3.自己主張
4.他者受容
5.信頼
6.役割遂行

今日は、その中の5信頼でした。

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自分を知る方法4他者受容

2010年10月30日 | 第2章 五感と体感
自己覚知4

他者受容

自己受容が大切だということは、よく耳にされていると思います。
自己受容ができていても、他者を受容することは如何でしょうか?

他者受容

他者に同情するとか、同意するとか、そういうことではありません。
他者の感情を理解できるか?他者を信頼しているか?他者をやたらと批判しているか?

このことを考えてみると、案外自分のことを受容していると自分自身で思っていたことが覆される人もいらっしゃるかもしれません。

なぜ、他者受容できないか?

そこに、自己受容の揺らぎが隠されているかもしれません。

自分を知る方法、自己との出会い(エンカウンター)
1.自己覚知
2.感情表現
3.自己主張
4.他者受容
5.信頼
6.役割遂行

今日は、その中の4他者受容でした。

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自分を知る方法3自己主張

2010年10月29日 | 悔いのない人生とは?
自己覚知3

自己主張

自己主張をしていても、その主張の内容が自分自身の感情と違うものであれば、それは自己主張とは云えません。
本音の感情と自己主張が、ぴったりと合わさっていれば、たぶん、何度も何度も同じことを言わないと思います。

本当に言いたい事を伝えたい人に言えているでしょうか?

私の場合、感情は比較的湧きあがってくるのですが、自己主張が上手く言えません。
なんで、そうなのか?
自己主張を上手く言えない成育史だからだと解釈しています。

長女。
単身赴任の父。
見かけは勉強ができる。
大人から信頼される。
小学生の頃まで、100点満点を目指す自分でした。

自分の「理想」がある程度満たされていることで、自己主張をしなくても満たされている状態でした。

相変わらず、自己主張はヘタクソです。でも、大人になり、色々な言葉で表現できるようになってきました。
そのことで、自分のヘタクソな自己主張を克服し続けているように解釈しています。

本音の感情と自己主張、、、
ピタリときていますか?

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自分を知る方法2感情表現

2010年10月28日 | 第2章 五感と体感
自己覚知2

感情表現

「好き」「嫌い」を意識しているでしょうか?

「怖い」「怖くない」は、人の持つ原初感情だそうです。

そして、理想と現実のギャップから表れる自分の不安感を意識できているでしょうか?

自分は怖いのか、悲しいのか、怒っているのか、嫉妬しているのか。。。

自分は嬉しいのか、楽しいのか、愛しているのか。。。

自分の今湧き出している感情を意識してみると、もやもやしていたものに晴れ間が見えてくるかもしれません。

感情表現については、前回の「五感」シリーズをお読みください。参考になるはずです。

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自分を知る方法1自己覚知

2010年10月27日 | 第2章 五感と体感
自分を知る方法1

自己覚知

自分の本音を意識しているでしょうか?

自分のなかにある理想と現実のギャップが意識されているでしょうか?

理想とは、夢や希望だけでなく、こうあらねばならない、こうすべき、というような概念が含まれます。
成育過程に受けた親の育て方の傾向とか生まれて育った土地の環境のなかで自分が当たり前だと思っていても案外それは違うものかもしれません。

現実とは、自分の本音、湧き出している感情のことです。

6回にわけて自分との出会い「エンカウンター」を書いてみます。

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命は尊い

2010年10月26日 | 第2章 五感と体感
家庭や学校、会社という自分が属する場所は、実は狭い狭い箱の中なのです。

地球には68億人の人が住んでいます。

68億の考え方や暮らし方、生き方の中の一つを自分が受け持っています。

そして、人は「自由意思」を持っています。

狭い狭い箱の中での環境に長らく生活しているとその自由意思の存在を忘れてしまいます。子供ならなおさらです。誰かが教えてあげなくては気付かないかもしれません。

親のアイデンティティと子供の関係において、育てる親や先生に自由意思を尊重する柔らかさがあれば関わる私に希望が見えてきます。

子供を子供として分けることなく、神様から預かった尊い命であると同時に「一人の人間である」ことを意識しながら子育てや教育をしていきたいものです。

狭い狭い箱の中に居て、生き抜く術を知らずに子供を死に追いやってしまう日本の現状に悲しさを覚えます。

大人が子供の自由意思と個性を慈しむことは、生き抜く知恵を授けることに繋がります。

これ以上、子供の自殺のニュースは聞きたくありません。

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五感を磨く・五感のお話8

2010年10月25日 | 第2章 五感と体感
自分と他人を意識し出す時期は、同時に自分の「好き」「嫌い」の判別も明確になってくるように思います。

友達のこと、

親のこと、

兄弟のこと、

好きな人のこと、

先生のこと、

学校のこと、

習い事の先生のこと、

人間関係で悩んだり、喜んだり、悲しんだりします。

他人のことを考えられるようになる時期、やはり自分自身のことも考えることができるようになっているわけです。

自分の心の成長だからゆえ、自分と他者を比べることができるようになるようになるのです。

他者のことを考える前に、自分自身の「感情」に自分の気持ちを持っていくことはできるでしょうか。

そのためには、「私の感受性は私だけのもの」ということを思い出してほしいのです。自分のことは自分で解決しない限り何も解決しません。

「私は私である」
ここから、自分の五感を観ていく訓練をしていくと、個性の美がますます輝いていくことでしょう。

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五感のお話7(触覚)

2010年10月24日 | 第2章 五感と体感
「肌触りがいい」という言葉があります。

イタリア制の上質な革製品は、「人の肌」の肌触りを目標に掲げているそうです。究極の目標だなぁ、と思います。

先日、高知の馬路村の農協を兼ねた「ゆず製品」の工場を訪ねました。建物に入ると「床の気持良い感触を味わいたい方は、スリッパを履かず素足でお入りください」と書かれてありました。
もちろん、素足になって見学させていただきました。
地元の材木を使用した本物の木の肌触りは、踏み込む足を柔らかく包みます。ここで働く方々を羨ましく思いました。

触覚は、体感に直に繋がる感覚であるし、味覚、聴覚、臭覚、視覚それぞれの感官は最後に体感的に捉えることで心が動いていくのです。

五感と体感は一心同体のものなのです。

肌触りは、直に心を動かします。

心と体は一体です。現在の法律ではその一体であるものを離して解釈しているようです。

精神は自然の一部である、と捉えているのは「能」です。
精神もそうであれば肉体もそうです。

「五感と体感」から見えてきたものを中心に、これからもこのブログを書き綴っていきたいものです。

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五感のお話6 味覚

2010年10月23日 | 第2章 五感と体感
五感のお話5 味覚

甘い

辛い

塩っぽい

酸っぱい・・・

季節の食べ物の味

旅でであった食べ物の味

故郷の味

家庭の味

コンビニの味

レストランの味

ファーストフードの味

このところ急に寒くなり、寒くなると同時に、夏の間は思いもしなかったメニューが頭に浮かんできます。
昨日は豚汁、釣りたての味にゆずの香りを乗せ、新米を頂きました。

生まれてから今日までに体にしみ込んでいる味の記憶は、自分の生活習慣と深く関係がありそうです。

味は、自分の世界を広げます。

素材の味を脳にインプットしておくと、もっと世界が広がります。
感謝の気持ちも湧いてきます。

喜怒哀楽の感情が不足していると、味まで感じにくくなるようです。

味わうことを意識してみると、自分にとって何が生き甲斐か見えてくるかもしれません。

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五感のお話5(聴く)

2010年10月22日 | 第2章 五感と体感
五感のお話 「聴く」

今日も近所のお寺の鐘で目が覚めました。
我が家の周りにはいくつかの寺があるのですが、いったいどこの梵鐘か未だに解りません。
それでも毎朝無意識に期待している音なのです。

風向きによっては東京湾を行きかう船の霧笛が聞こえます。
横浜の海近くに住む人は、この音は当たり前の音として体に馴染んでいるかもしれません。
そんなせいか、聞こえてくると温かい懐かしさに包まれます。

私にとって「聴く」という五感は、視覚に直結します。音を聴くと映像が見えてくるのです。時には色になって見えてきます。輝く光が見えたり、どんよりと濁った重さを感じたりします。

目の当たりにする「見える」ではありません。大脳の中で映像を感じるのです。でも、それがあたかに見えたかのようなリアリティを覚えるのです。

人の声の響きも色々です。弱気な声、強気な声、悲しい声、怒った声、優しい声、表面的な声、取り繕う声…

心の声を聴く時に初めて出会う人は特に声に注目してみます。表情から見えないものが見えてくるからです。

「言語」よりも、その声の「音」は正直です。話す言葉と話す音のギャップに理想と現実のギャップを感じる時もまります。

言葉はツールです。話すために発する音は、言葉よりも本音に近いかもしれません。

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五感のお話4(匂い)

2010年10月21日 | 第2章 五感と体感
五感のお話4

「匂い」について

昨日、ある駅を降り目的地に向かって歩いていたら、香水の香りが漂ってきました。この香り、ニューヨークのグランドセントラルを歩くときに嗅いでいた匂いです。
「同じ香り」だと気付く前に、その香りを嗅いでいた場所が一瞬にして蘇ってきたのです。
蘇ってきた後に「同じ香り」と気付いたのです。
しかも、グランドセントラルを歩いて、その匂いを嗅いでいたのは20年以上も前です。
五感の記憶は時空を超えます。


好きな匂いは、水をかけたときに湧きあがるローズマリーの香り

お茶室の火を入れた炭の香り

画室に漂う油絵の具の香り

墨の香り

ヒバの香り

好きな匂いと嫌いな臭いを意識化しておくことは、自分の身を助けるきっかけになるかもしれません。

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五感のお話3(匂いと臭い)

2010年10月20日 | 第2章 五感と体感
今日は「臭いのお話」

時々、私だけなのだろうか、と思うことがあります。

「臭い」に弱いのです。
自分にとって嫌な臭いを嗅ぐと吐きそうになります。
だからなるべく、嫌な臭いは避けて生活しています。

個体を見ることよりも、脳に残存してしまうようです。私の場合、一度嗅いだ嫌な臭いは形よりも記憶に残ってしまうようです。

義理の母の痴呆が一気に進み一時我が家に預かった時、環境の変化でしょうか、排尿の始末が出来なくなってしまいました。その時に義母に、嫌な思いをさせたくなく、必死で笑顔を作り、一緒にお手洗いに付き合いました。
義母との生活はそれほど長い期間ではなかったからこそその臭いを克服できるまでに至らないまま、脳に残存してしまったようです。
以来、嫌な臭いに出合うと、強い吐き気をもよおします。

自分の感情を抑えて我慢していたことが「抑圧」となり、体で反応してしまうケースだと解釈しています。

五感とは、美しいものばかりを捉えるものではありません。

自分にとって嫌な体感、感覚を意識することは大事なようです。

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五感の話 「観る」

2010年10月19日 | 第2章 五感と体感
五感のお話2

「みる」について

先日、坂本龍馬と共に近江屋で殺された中岡慎太郎の生まれ育った北川村を訪れました。岩崎弥太郎の生家がある安芸市よりも北東にある山の中にあります。

半世紀ほど前、私の父はその周辺にある三つのダムを設計しました。

その頃はダムを造り電力供給を増やすことが日本経済発展の要でした。くねくねとした山間の路を走り、山路に慣れた妹が運転し、両親が後部座席に。
母も完成したダムを見るのは初めてだったのです。45年ぶりに家族そろって訪れた高知のダムを巡るうちに、父がその頃のことを嬉しそうに語り出しました。
父の現役時代は、仕事の話なぞ聞いたことも無く、食事以外は書斎に籠り、ほとんどが単身赴任。家族であるという意識というよりも目の上のたんこぶ的存在でした。父が帰宅すると家族が硬直状態になり、家庭内の環境は思春期の姉妹にとっては良いとはいえませんでした。

妹も私も「梁奈瀬ダム」「久木ダム」「平鍋ダム」を見たことで、家族内の武装解除がほんとうの意味でできたように思うのです。頭では解っていても、父がしてきたことを見る経験は、どこか不安定な家族の礎をしっかりとさせたようにも感じました。

「抑圧」という鎧は、自分自身の気付きから解きほぐれていくものでしょうが、「事実」をみることは、どんな言い訳や説明、説得にも叶わないことなのです。
他者は、助けてはくれません。

「みる」ことは、自己のリアリティと直結します。「何をみるか?」は、人によって違うのです。

三つの連なるダムを見ながら、電力は累積するのか?と聞くと、1:1:1、つまり1×3のエネルギーをつくるとのこと。

妹と二人で「あ~あ、こうやって物理の授業を受けていたら、人生変わったのに~」とニヤニヤし合った次第です…

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五感をフル活用

2010年10月18日 | 第2章 五感と体感
最近は温暖化の影響で、四季の風情が変わってきたようですが、変わってきたとはいえ日本の四季は「春夏秋冬」とそれぞれの季節に特徴を持っています。

四季をさらに細かく分けると「二十四節季 七十二候」となります。

ちなみに10月中旬から11月に入る頃は、「晩秋・霜降・小雨時々降る~もみじ蔦黄ばむ」とあります。

今朝の天気予報では北海道は寒気が入り、雪の降るところもあるとか…

不思議ですが、ちゃんと暦通りに気候が変化していくです。
古来の人々の季節の観察力に、人の与えられた知恵を感じます。

世界中の情報を瞬時に得ることのできる今日であっても、「体感」というのは自分自身で得ることしかできません。

視覚・臭覚・味覚・触覚・聴覚

それぞれの感官で体感することで、自分自身に湧きあがる感情や思いを意識してみると、少しばかり自分の世界が広がるように思うのです。逆に自分が「何故こう感じるのか?」という問いの答を見出すことができるかもしれません。

「自分はは何のために生きているのか?」
この問いかけによって、答えを見出そうとする探究する心が、自分の命を活性化させていくようにも思います。

今週から始まる某後期講座のテーマは「フォーカシング」です。朝から夕方までの長丁場の講座となりますが、湧き出す自己の感情を常に意識しながら、五感をフル活用していく作業になるはずです。

自分の「五感を観る」良い機会、私も楽しみたいです。

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感受性と自己肯定の関係

2010年10月17日 | 第2章 五感と体感

            ☆法隆寺☆

「すぐに傷つきやすい人は、はたして感受性の強い人だろうか?」

私には、よく解りませんが、「すぐに傷つく」という言い回しは、「すぐに自己否定的になる」ということと同じことを言っていることなので、「感受性が強い・弱い」とは少々違うようにも思います。

すぐに自己否定的になる人が、五感を通して感性を広げる傾向にあれば、確かに感受性が強い。。。と感じますが、
閉塞的に「何かに固執するあまり」感情的になり、自己評価を落としていく傾向の人は感受性の問題ではないように思います。

何も否定せず、肯定せず、話を聴き続けていると、どちらなのか段々と見えてきます。

子供の話を聴いても、大人の話を聴いても違いは無いように思うのです。

自分の持つ感受性を自然を通して、日常の生活を通して、音楽や絵画、本を通して、比喩的に捉えられると、自分自身で自分の本音をフォーカシングしていけるようになるはずです。

自分の本音に焦点を当てていく作業は、自己肯定的でなくてはできない作業かもしれません。

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