五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

光を観るとき

2009年11月23日 | 第7章 光と復活
奈良の当麻寺にて。
蓮の糸を紡いで、一晩で曼陀羅を織った中将姫。

・・・そのまま曼陀羅の形を具えていたにしても、姫はその中に一人の唯一人の色身の幻を描いたにすぎなかった。その曼陀羅から数千の菩薩の姿が浮き出てきた。其れは幾人の人々が同時に見た。白昼夢のたぐいかもしれない。「折口信夫・死者の書」

上記は美しい言葉で織りあげられた折口の死者の書の死者の書・初稿の最後のところです。

大陸に渡り、真言密教を日本に持ち帰った空海は、理趣経という壮大な人間論的な経典を人目に触れぬよう、埋蔵経として封印しました。それがいつしか現代の私たちの目に触れ、いかに生きるか?という問うこの時代の人々に読み継がれるようになりました。折口信夫は、見識の狭い日本の文化的現状から、東西の知識を経て、この死者の書を書きあげたように思います。

キリスト教と仏教を交え、自己のアイデンティティを神道を通して古層から湧かせ立ち、死者の書に自己の死生観を表したように思います。
素人的な所感ですが、平成という世に読んだ私にとっては、文化的融合は当たり前のことですが、折口信夫は、この時代の人ではありません。

私は何のために生きているのだろう?
そして、生きがいとは何だろう?
私は、魂と心と体を大切にしているだろうか?

人として生まれ、この問いに自問自答する人生を経てきたなら、言葉に出さずともこの問いに答えるべく生活をしているはずです。

いつか永遠の旅立ちをするときに観える光が、生きている今から準備されているように思います。

死者の書の中で、「さとり」に「感性」という言葉を当てています。

なるほど、、、心に落ちました。

読めば読むほど、味の出てくるこの作品に、自分の成育史が重なるのは、私のおめでたい解釈かもしれませんが・・・


[生き甲斐の心理学参照」
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解釈して整理

2007年07月19日 | 第7章 光と復活
悲しいことが起ると、それに対して、何らかの解釈が必要になってきます。
解釈することで、次に進んでいくのです。

先日天に昇った人が云っていました。
「ブラジルに行き、ポルトガル語を学びながら働くことは大変なことだが、日本を学ぶ外国人が日本語を覚えていくプロセスを間近でみているから焦らないよ。お陰で自分の語学力のプロセスも想定できるんだ。3ヶ月だったらこれくらい、半年だったらこれくらい、って感じでね!」

何事も最初から、全てが整い上手く事が運ぶわけではありません。
私自身も、徐々に解釈し、頭の中を整理する時期にきているようです。
今の自分の状態をちょっと見据えてみませんか?


自分の不安を見ていくと、それがいまどのくらいのストレスなのか測る必要があります。

① 錯乱しているのか。
② 鬱状態になっているのか。
③ 身体症状にでているのか。眠れないとか、動悸がするとか。。。
④ 怒りが爆発しているのか。
⑤ あきらかな不安感?。もしくは得も知れぬ不安感に陥っているのか?

私の場合、今は、自律神経が高ぶり、眠りが浅かった2週間を乗り越え、昨日ようやく深い睡眠を得ることができました。
①から④を全て経験し、今は⑤の不安感が、拭いきれない状況です。

不安感。「親しい人の死」
これもなかなか言語化しにくいのですが、私の場合、現在、「分離不安」というような状態かもしれません。今まで事あるごとに、自分の感情を打ち明けていた人の死でしたので、いくらメールしても、電話をしても、会いに行っても、その人の「体と心」に触れる事ができないという不安です。離れることに恐怖を感じているとも云えます。

今現在、感情が不安定で、自分の感情を読み取る必要性を感じている方は、この①~⑤で自分の状態をはかってみてください。

私自身も、いま、悲しみの渦中にあるクライエントです。
共に、自分の内にある答えを求めて、自問自答していきましょう。

答えは、自分の内に必ずあります。

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コメント (2)
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