五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

光と闇と受胎告知

2014年11月29日 | 第2章 五感と体感
いよいよ年末の大イベント、待降節です。キリスト教では、クリスマスの四週前の日曜日からキリスト降誕を待つ体制に入ります。
冬至に向かい、どんどんと日が短くなっていく時期に比例して静かにその時を待つのです。

その季節の真っただ中に、東大寺修二会のメンバー「練行衆」の氏名が発表されます。

毎年変わらぬ行事を過ごすことは、私の生きている証であり、自分がその時を生きているという確認と確信にも繋がります。

降誕前夜では、蝋燭の火を灯し、闇から光への確信を儀式で体感します。
冬至は闇であり、そこから夏至に向けて明るくなることを祝う儀式は、キリスト降誕という象徴とミトラス「太陽神」という象徴が強く深く重なっています。

αからΩへ。闇から光へ。

ギリシャ神話の神々は、壮大な宇宙を駆け巡り、又は地球の森羅万象に意味をもたらし、神々に人の性格や傾向、感情という個性を覆うことなく投影させています。

受胎告知されたマリアの心の内は、混乱と迷いと戸惑いの渦であったことでしょう。
人に与えられた不安の感情を象徴的に捉えているのが受胎告知であるように私は捉えています。
身に覚えの無い受胎告知云う理不尽な通告をどのように治めていくか。
私は聖母マリアが心に留まり、冷静に思いを巡らす自制心は、人に与えられた生き抜く力でもあるように思っています。

正直に自分を表わしたがゆえに身を滅ぼすことのほうが多い人間界。

「自分を正直に出すこと」と「受容しながら自制していくこと」のバランスの取り方は、人に与えられたテーマでもありましょう。

待降節に入り、明る過ぎる街のイルミネーションに眩しさを感じつつ、ミトラスの神と聖母マリアが同一あることは、とても意味深いことだと、改めて思うのでありました。

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眼差しから頂く

2014年11月28日 | 第2章 五感と体感
「目は口ほどにものを云う」
という言葉通り、人と対峙するとき、人の眼差しによって、私の心も動きます。

歳を重ねても眼差しが輝いている人に出会います。そんな時は、とても希望に満ちた気分になります。

お母さんにだっこされている赤ちゃんの眼差しは、なんとも愛おしい気持になります。

美しい眼差しでおもてなしをされると、嬉しい気分になります。

人と人との関係で自分が大事にされている、という思いが湧き出すと、気持に余裕が生まれます。

邪眼か。

慈眼か。

出来得る事なら慈眼の人とお付き合いしていたいものです。

そんなことを云う前に、はてさて自分はどうだろう。

昨日訪れた老舗のホテルマンのおもてなしスマイルは、自然体で素敵でした。

眼差しから頂くものは大切です。その日の自分の気分を左右したりもします。

自らも大切にしたいものです。

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高野山展

2014年11月27日 | 第2章 五感と体感
12月7日まで開催されている高野山展を観てきました。
まさに観光の展覧会です。美術館に展示する場合は、魂抜きをして、作品として展示するそうですが、私にとって仏は仏です。

国宝展と高野山展のお陰で日本のお宝が東京に大集合。

奈良の新薬師寺の十二神将や東大寺二月堂の十一面観音、三月堂の日光・月光菩薩、盧遮那仏。。。そして古墳は、古層の頂点に居る私の記憶そのものだと思うと、自分の中にある無意識の記憶が壮大であることに気付くのです。
奈良や京都、近江、熊野、日本の津々浦々を巡る旅はまだまだ私のテーマであり、身体が動く限り、フィールドに立ちたいと日本地図を眺めるのですが、好きな仏像は、何度もお会いしたくなるのです。

このたびの高野山展には、運慶・快慶の仏像が展示されています。
運慶が7体造っている八大童子像は、圧巻です。
魂が宿っているかのような、生きているかのような、ともかく今にも動き出しそうです。
その技量とセンスが抜群です。

快慶の四天王、孔雀明王も息を飲む素晴らしさ!

大きな金剛界曼荼羅も描き表装であり、これも勉強になりました。

そして、なんといっても快慶作の執金剛神立像が修復ホヤホヤでご登場。。その像の中から見つかった納付書のようなものが修復されていない状態で展示されています。12世紀ごろの紙です。その一文から作者が快慶であることが確定されたようです。
12世紀の紙の息づかいを食い入るように眺め、感じ取らせていただきました。

高野山展、お薦めの展覧会です。

大変充実した時間を過ごさせていただきました。空海に感謝。合掌

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師走のプロローグ

2014年11月25日 | 第2章 五感と体感
そろそろ年末の段取りが頭の中で廻るような季節になってきました。
待降節を過ごすにあたり、この一週間は時間をみつけてクリスマスのデコレーションに使う棚等のお掃除を心掛けなくてはなりません。
この時期が廻ってくる度にすっきりと過ごしたいと思うのですが、神仏習合キリスト教の中で暮らしている我が家のリビングは、相変わらず神様仏様マリア様達が賑やかに過ごしておられます。そろそろキリスト降誕の馬屋を飾り、年末ともなるとその脇に翁さんも登場し、三番叟のチラシなんぞが加わると、シルクロードの旅の終着地が日本の地であり、まさに我が家が終着点そのものであることを認めざるを得ません(笑)

各学校では試験の時期でもありますね。
それが終われば、クリスマスと共に終業です。

紅葉も終盤の週となり、今日の雨は師走の雰囲気を加速させそうです。
夏休みから冬休みまで、あれこれとイベントもあり、ちょっと疲れも出で来る頃でしょう。

「師走に向けて心荒れることなかれ」と願いを籠めて、インドの神様シバ神の像を丁寧に拭くことに致します。

ちょうど一年前、伊勢神宮の正式参拝をし熊野三山を巡りました。月日が経つスピードは、歳を重ねるごとに加速することを痛いほど感じつつ、今日も丁寧に過ごそうではありませんか、と心に留めたいものだと思うわけです。

皆様、よき一日でありますよう。

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国宝展徒然

2014年11月24日 | 第2章 五感と体感
東京国立博物館、通称トーハクに行ってきました。
並ぶこと覚悟でしたが、閉館一時間半前ともなると入場規制も甘くなり、40分待ちと書かれてあるプラカードの地点から20分待ちで入ることが出来ました。
並ぶ人々の会話を何気なく愉しみ、建物の間から見ることのできる東京スカイツリーを眺め、多分今年最後であろうトーハク詣でを心に留めているうちにあっという間に入館。

私自身、半世紀かけて各地で見てきたものがどのくらいあるかを意識してみることも今回の混雑覚悟の拝観の目的の一つでした。
私の歴史の学びは小学生の歴史の授業で空海と出会った頃からが始まりです。以来、形にした信仰を見る旅を続けてきました。
ここ10年ぐらいは、縄文の時代に想いを馳せつつ、4世紀から7世紀の古墳の前に立つことも旅の喜びとなり、美術館や寺院のみならず、土地そのものに立つことに重きを置いて歩く様になりました。

わざわざ、各地に出向いて観たつもりでいても、「あれ?これ観たっけ。。。」と思う事は頻繁ですし。。。

凡人の自分が記憶に留めることは難しいものです。

福岡の宗像大社も想いを籠めて現地で拝見したものの、「ほぉ~~」ってな具合です(笑)
京都の〇〇院では、修業中のお坊さんが面倒くさそうにご朱印を書いている姿に思わずお説教したくなる気持を抑えて小さなお堂に納められている阿弥陀如来と菩薩の姿を拝見したことも楽しく思い出されました。

宇治の平等院では、本堂改修中に展示室で拝観した雲中供養菩薩のあまりの美しさに、私が天に逝くときにこの方々に雲に乗って出迎えてほしいと本気で思い、以後、私の想う天国の入口には雲中供養菩薩がしっかりと漂っています。

国宝展で初めて習合した四体の土偶は、閉館寸前の空いた部屋で舐めるように拝見し、幸運なことに金印は、閉館後にも並んで見ることができるというので、並びながら悠々と日本書紀の写しや雪舟の山水画を眺め、有意義な国宝展拝観を果たすことができました。

奈良桜井市の安陪文殊院は、未だ訪れたことが無く、これは実際に行かねば、と、私の「行かねばリスト」に加わりました。
善財童子の躍動感に胸がときめき、思わず一緒に手を合わせ、次回は奈良で会いましょう、と、童子さんと約束致しました。

私の「カタチにした信仰に出合う旅」は、まだまだ続きそうです。

支倉常長の肖像画は、幾度か拝見する機会がありましたが、彼の持つ十字架(キリストの磔刑)は、初めて拝見しました。十字架から外されて別々に展示されていましたが、常長が常に握っていたであろう形跡がキリストの滑らかさから伝わり、信ずることで見えてくるものは、人によって媒体が違えども同じであることを改めて深く感じ取り、清々しい思いで国宝展を見終えたのでありました。

ひさしぶりに、大倉集古館にも訪れたくなりました。丁度、ホテルオークラ東京では昭和のケーキを再現した企画をしているそうです。久しぶりに激甘のケーキでお茶をしたくなっています。

日本では勤労感謝、キリスト教の国では感謝祭の祭日の連休は本日までですね。
秋の実りに感謝して、冬至に向かう待降節を心して過ごしたいものです。

合掌

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震災後のこと

2014年11月21日 | 第2章 五感と体感
先日、仙台のカトリックの神父さんのお話を聞く機会がありました。

被災地以外の場所で講演をするのは初めてだそうです。震災直後から今日まで動き続けてこられたことがいかに大変なことであったか、その言葉を聞いただけで重く伝わってきました。

東日本大震災から3年8カ月。
私自身も生き甲斐の心理学教育普及のNPOの中で、身の丈の小さな活動を続けながら、山元町の一部の人々と温かい交流を続けています。復興していく過程を垣間見させていただきながら、私の方が心と心の触れ合いで頂くものが多く、いつも貰いっ放しだなぁ~~と、感謝しながらのお付き合いが続いています。

東北の広い地域で、それぞれの問題を抱えながら日々の生活を営んでいる人々の中に、たまに行くだけで何が出来ているのだろうか?という気持も心のどこかにありながら、でも、山元町に行く度に、皆さんから発せられる言葉が段々と変化していることに気付くのは、たまに行くからこその私の気づきであるように思うようになりました。

震災後、被災地に押し寄せてくるボランティアの人々の数に驚き、入ってくる人々をできるだけ拒まず、今に至ることをK神父さんは感謝しながら語られる中、3年が過ぎた現在は、交流によって頂くものに感謝するボランティアが継続して活動を続けており、一方的に何かをしてあげようという思いの団体や人々は自然と消えていったそうです。

わかるなぁ・・・
と云う思いがわき、私の思いが楽になりました。

これでいいんだよなぁ~

四季折々の美味しいものたんと頂き、訪問先の皆さんのチームワークや友情、愛情をひしひしと感じつつ、震災後の感情や考え方、そして行動のありようをお聴きすることが、今や私の生きる糧になっていることは間違いありません。

これでいいのかなぁ~~という自問自答は、とても大事なことなのかもしれません。

迷いながらも自分の生育史の中から引きだす答えは、自分の個性そのものなのです。

「明日が来るのが嬉しい」と仰りながら、にこにこと微笑む山元町の皆さんに、ふらりと会いにいきたくなりました。

人と人が友好的な感情で愛し合う事がとっても大事なことなのよ、、、うん。

本格的な冬が近づいてきました。
季節問わず、働き者の皆様からまたまた元気を頂き、私も年末に向けてこぴっと頑張ろうと思います。
山元町の皆様もお身体に気をつけてお過ごしください。

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数式を信ずる

2014年11月19日 | 第2章 五感と体感
宇宙はどうやってできた?
宇宙の果ては?
ときたま、そんなことを考えると脳みその中を真空状態にしたくなることがあります。
地球に住んで、物理的なスピード感を感ずるのは歩行よりも早いものに乗った時ですが、実は地球はものすごいスピードで回っていて、銀河系はそれどころではない早さで膨張しています。

宇宙の神秘を考える中、万物創世は神が創った、という概念で留めてみると私の脳みそは何とかとりあえず平安に至ります。
最近、数式で物事を捉えられる人を羨ましいとも思うようにもなりました。

自分はずっと数字が弱いと思い込んできたのですが、(実際に弱いのですが(笑))、宇宙の神秘を数式で表わされると、根拠に基づく、つまり素地を感じ、ほっとしたりするのです。

見て、確認して、伝達することは、人に安心感や不安感をもたらすわけですが、
「見た」という真実は、確認して伝達する過程において、見た人の個人的な概念が加わっていくことを受け取る側は認識しなくてはならない場合もありましょう。

そんな時、数式で表わされると真実が見えてきたりします。

苦手な数学と物理でさんざん苦しんだ時代を経て、一応大人となっている今、真実と向き合うためのツールとして数式は役立つものであることぐらいは頭の中に入っているように思います。

今頃になって、数式の面白さに興味が出てきましたが、学ぶことは他人任せに致します。

先日の某勉強会にて、「自分の悔いが残っていることは何か?」という問い掛けで、諸々を皆さんと語り合いましたが、「数学の勉強を怠ったこと」を加えておきます^^;
数式を見て、そこまで至る経過ばかりに捉われていましたが、まずは与えあられた数式を信じてみれば、何も数学を怖いものとは思わなかったはずで、自分自身の幼い頃からの日常から育まれた傾向は、恐ろしい、、、と、思います。見せられたものをまず一旦受け容れる、ということは、数式を一旦信じてみる事と同じことなのかもしれない、と、ツラツラ考える秋の夜長でございました(笑…)

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身の丈の紅葉狩り

2014年11月18日 | 第2章 五感と体感
ここ数日、朝は落ち葉掃きをするためにほうきを持って御近所同士で立ち話をしている光景が目につきます。
朝から外に出てて落ち葉掃きをするエプロン姿の女性を見かけると、何かほっとした心地になるのです。
小学校から帰ると、母が近所の方と家の外で立ち話なんぞをしていると、ちょっと嬉しい気分になるのと似たような感じかもしれません。

京都の寺社からも境内や庭園の紅葉の便りが聞こえてきます。

11月中にはどこかに出かけ、紅葉をゆったりと堪能したいと願っておりますが、今のところ道路に落ちている柿の葉の美しい橙に見とれる位です。もしかしたら、そんな程度で紅葉の季節が過ぎてしまうかもしれません。
そんなわけで、奈良の山の辺の道で頂いた柿の味を思い出し、大和路の秋の風情に玄賓庵で出会う三輪の神様に、サマリアの女を重ねてみたりしています。

我が家のモミジはまだ青々とし、萩の葉がそろそろ黄色くなってきました。立ち枯れを楽しんでいる百合は、乾燥の季節に入り、程よくカラカラになりつつあります。
入れ変わるようにツワブキの花が咲き、水仙の葉が日に日に伸びてくる様子はこれから寂しくなる庭の景色に一寸の希望の様なものを貰っています。

暮らし中での紅葉狩りもいいものです。

遠出をしたばかりに能の「紅葉狩り」ではありませんが戸隠の鬼に酒を振る舞われないよう、秋の風情を愉しみたいものです。


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東京の富士山

2014年11月16日 | 第2章 五感と体感
第29回 正麩糊で仕立てた表装・表導会表装作品展「50展(ごうまるてん)」11月9日~15日土曜日
有楽町交通会館ギャラリー1F「パールルーム」、昨日終わりました。ご来場いただき、ありがとうございました。益々精進して技術を習得して参りたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

能の富士太鼓は、古来から信仰されている富士山の富士講と朝廷の確執のお話が脚色されて物語が展開されているようですが、私が住まう周辺でも富士塚といった町名があり、そこの山の頂には神社があります。

富士山を目の前にして手を合わせることの出来なかった時代、身近な場所に登れるふじやまを造り祀りました。

「浅間」は、噴火する山を示し、富士山信仰と深く結びついているそうです。

国立能楽堂のある千駄ヶ谷にも鳩森神社(東京都体育館のお隣)の境内には富士山がそびえています。昨日は観能の前に富士山の登頂を果たしました。
登頂は、侮ることなかれ。ごつごつした岩の山道を慎重に登らなくてはなりません。標高5メートル?ぐらいの富士山に登るとあら不思議、有難い思いが湧き出してきます。山頂の神様に手を合わせ、無事初登頂を遂げたのです。

縄文時代から天変地異や気候変動に影響を受け、人々は安定した場所を求めて移動し続けました。
自然のもたらす形や脅威は、人の心に「畏れ」を抱かせ、それが自分達の平安に繋がることを願い、大切に敬ってきたのです。いつしか形作られ、個性化した祈りの形となっていくことは人々が生き抜く知恵を身につければ身につけるほど、個性化が強くなっていったように思います。

能楽堂で交わした束の間の古墳歓談では、7世紀の日立の古墳の話題が上がり、自分を成り立たせている古層のいかに深き事よ、と人の心と身体と魂が今だけを生きていないことを痛切に感ずるのでありました。

日立と云えば、鹿島神宮に香取神宮。天変地異の地震を抑える石も祀られています。

歴史の学びが奈良の東大寺から始まり、いつしか古墳を廻るようになり、ついには縄文の遺跡に辿りついていることは、自然な成り行きでありましょう。

昨晩デザートに頂いたマロンクリームにドングリの食材を求めて移動した縄文人に想いを馳せ、友人との楽しい会話の深きところでニヤニヤしている私でございました。

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答えと応え

2014年11月15日 | 第2章 五感と体感
自分の性格を自分で説明するのは、なかなか難しいものです。
自分が思い込んでいるセルフイメージは、他者が見るものとちょっと違うかもしれません。
とはいえ、いちいち、他者が自分の事を何と思って見ているかを気にしていたら苦痛を感じてしまいます。

自分自身が意識して抑えている心の情動と自分自身が無意識に外に表わしている言動や思考、感情が、案外他者から見える自分の真実だったりする場合もありそうです。
でも、他者から言われる筋合いは無いし、指摘したところで互いが不快な思いをすることを自他共に解っているからこそ、大人になればなるほど、自分と他者の問題を分けながら、上手く世間との付き合っていくことで、自分のバランスも取れていくのです。
ところが、上手にかわしたり、明るい方向に解釈したりすることができれば、ストレスも溜まりませんが、相手の傾向に取り込まれて自責の念に駆られたり、罪悪感を持ってしまったら、どんどんと負の方向に自分の心身を陥らせてしまいます。

自分の陽と陰のバランスを無意識に取ろうとするときに表れる防衛機制の現象に気付くことで、相手の抑圧の傾向に取り込まれることから逃れることもできるように思います。

他者の防衛機制に反応することで、問題がややこしくなりそうでしたら、応えないことも答えの一つでありましょう。

自分の内に答えがあります。つまり、自分の生まれてから今日までの生育史の中に自分自身が生き延びてゆくヒントが隠されているのです。
他者と世間に唾を吐くことで本当に自分に平安が訪れるか否か、それを自問自答できて初めて自分の内に光が見えてくるものかもしれません。

「応える事」と「答える事」の違いを自分の中で整理しておくこともちょっとしたコツかもしれません。

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第29回 正麩糊で仕立てた表装・表導会表装作品展「50展(ごうまるてん)」11月9日~15日土曜日
有楽町 交通会館ギャラリー1F「パールルーム」にて開催中。

お近くに行かれましたら、ふらりとお寄りくださいませ。
私は、お江戸日本橋の浮世絵を掛け軸にいたしました。


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やる気の気

2014年11月14日 | 第2章 五感と体感
やる気が萎えていると自分の身辺までもが不快に見えてきます。
自分自身の問題でありながら、他者がうっとおしく感じたりして否定的な感情が芽生えてくることもあります。

常にやる気の気が自分に具わっているとは限りません。
「気」を養うためには、ちょっとした工夫も必要でしょう。

日中仕事に励み、家に帰り、ビールを飲んでボーーーッとテレビを見るのも人によっては最高の気の養生でありましょうし、ひたすら寝ることもそうでしょう。好きな環境に身を置くこともそうでしょう。

やる気の気は、自分自身が養うものであり、他者の力ではどうしようもありません。
自分自身の問題だからです。

やる気の気が失せている時は、静かに身を引くことも大切でありましょう。
自分の負のオーラは、他者にも影響してしまいます。

もし、自分の「気」が萎えている事を世間に見せたいのであれば、それは自分の気が萎えているということだけではなさそうです。
一体誰に自分の気持を解ってほしいのか、今一度と自分に問い掛け直してみるることも知恵の一つかもしれません。

やる気が起きないのは「気」の問題なのか?
自分の防衛機制の問題なのか?

ちらりと問い掛けてみると、何かが見えてくるかもしれません。

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第29回 正麩糊で仕立てた表装・表導会表装作品展「50展(ごうまるてん)」11月9日~15日土曜日
有楽町 交通会館ギャラリー1F「パールルーム」にて開催中。

お近くに行かれましたら、ふらりとお寄りくださいませ。
私は、お江戸日本橋の浮世絵を掛け軸にいたしました。


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移動する知恵

2014年11月12日 | 第2章 五感と体感
11月7日は立冬でした。
寒くなったり暖かくなったりで、服の調整が面倒な今日この頃です。
ここ数年前から、寒くても湿度の高さを感じる頻度が多くなり、これは更年期のせいだろうか?と思っていたのですが、どうもそれだけの理由では無いようです。
刻々と地球の気候が変わりつつありますが、縄文の頃は、今は陸地でも海だった場所が多くあり、気候の変動と共に食べ物を求めて移動を続けた人々を思うと、定着して住まい続けようとしている自分が、頑ななようにも思えてきます。

人は自分の居心地の良い環境を求めて移動します。

最近では、昼間のカフェでパソコン見つめて仕事をしている人も多く見かけます。
仕事の場所を自由に選択できる人は、そのように居心地良い場所で効率よく仕事ができますが、実際は定着した場所で仕事や勉強をする人がほとんどであり、職場や学校に居心地の良さを与えられる場所があれば、その人は幸せかもしれません。

窓から見える風景を眺めて安堵を感じたり、
好きな人の姿を見つめて、心温まる瞬間を感じたり、
他者にはわからない自分だけの居心地の良い時間を瞬間でも持つことは、エネルギーの蓄電にもなります。

移動することを大げさに考えることよりも日常の中に可能な移動の仕方があるはずで、その移動を許す自分自身の気持があるか、無いかで、精神衛生は違ってくるかもしれません。

自分の管理は自分にしかできません。

自分の望みを叶えてくれる神様は、自分の身体の中にお住まいです。

ほんの少し自分の行動のリズムを変えてみる事も移動と云えると思います。

新しい空気で刺激を頂き、冬至&年末までを乗り切りたいものです。

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違和感と原初感情

2014年11月11日 | 第2章 五感と体感
自分が正しいことだと思っていたことがふとしたきっかけで違和感を感じ出すことがあります。

家庭の環境
学校の環境
社会の環境
時代性という環境
生まれて育った国の総体的な環境

人はいろいろな環境の中で「思考・感情・行動」の元となる概念が育まれていきます。
個人に備わった個性に、生まれてから今日までに色々と加えられて自分の個性として成されていきます。

家庭環境で育まれた考え方を携えて子供達は幼稚園や保育園、そして小学校、中学校、高校という環境に身を置いていきます。
家庭で育まれてきたことが外部の環境と触れることで本人の思考と比較し、新たな概念を取り込みながら、自分の個性を再構築したり強化していくことは、誰しもが経験していることです。

環境に適応していくには、環境に適応できるような心の余裕があることが理想的ですが、心の余裕を持ちなさいと言ったところで、直ぐに適応できるものではありません。かえって、新しい環境に違和感を感じることはむしろ健全な証拠でありましょう。新たな環境に身を置く自分に緊張や違和感があって当然のことでしょう。

違和感や緊張が互いの対話のモチーフになりながら、人は固定された環境の中で塩梅良い自分を見つけ出していくのだと思います。

それを「成長」や「適応」という言葉で表わすこともありましょうし、「折り合いをつける」という言葉が相応しい事もありましょう。

自分と他者は、生んだ親も違うし、育った環境も違います。

他者との違和感を感じた時、真っ先にその概念が浮かぶようになればしめたものでしょうが、大抵の場合、自分が湧き出す違和感が他者批判へと繋がることも人の傾向であり、太古の昔から人が生き延びる為の術であったのだと思うのです。
違和感は、原初感情「怖い・怖くない」から芽生えてくるもので、人の生命を守るための大事な感情です。

縄文の暮らしに想いを馳せると、その頃の人々は原初感情にもっと敏感で、生き延びる為に逃げたり共存したりする知恵が、もっとわかり易かったのかもしれない、とも思ったり。。。

情報が多く、出会う人も無限大である現代人は、自分の違和感の扉が自由に閉じたり開いたりできるような訓練も生きている私達の課題であるように思います。


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正麩糊の表装展

2014年11月09日 | 第2章 五感と体感
本日から私が学び属している会の作品展が始まります。

指導員と講座生の皆さんが交じり合って作品を展示します。30年以上の方々から始めたばかりの方々まで、日頃の制作の成果を発表するのです。いつまでも初心者気分でいた私も今回で20回目ぐらいのはずです。

化学糊が表具屋さんでも一般的になってきた中、麩糊に拘り、仕立て続ける表装は少なくなってきたそうです。

和紙と裂は、湿度が高ければゆるゆるとなり、湿度が低ければパリパリになります。
お天気に左右されることは、昔ながらの日本の家屋と同じなのです。

どんな環境にも耐えうる文明の発達は環境に打ち勝つことにはなりますが、適応するということとは違うように思います。

縄文の遺跡や古墳の場所に立つことを歴史の学びと共に行っていますが、その遺跡の場に立つと、太古の人々が自然環境と適応し、暮らす為の条件を検討しながら居住地を決めていったことをよくよく感じ取ることができます。

人間の暮らしに何が必要かを改めて問い質しながら、洗練された暮らしを追い求めようとするならば、自らが知恵を使う事が必要になってきたようにも思うのです。
人々の知恵によってつくりだしてきたものを人々が知恵を使わずにやり通し、使い続けて来た結果、地球は色々なストレスを感じ、そのストレスのバランスを取るために色々な事が起こるようになりました。ここ数年でそれが加速しています。

地味な世界ではありますが、自然素材に拘り続けると、身の周りの変化にも敏感になってきます。

第29回 表導会表装作品展「50展(ごうまるてん)」11月9日~15日土曜日
有楽町 交通会館ギャラリー1F「パールルーム」にて開催いたします。

お近くに行かれましたら、ふらりとお寄りくださいませ。

私は、お江戸日本橋の浮世絵を掛け軸にいたしました。


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話題の背景にあるもの・傾聴編

2014年11月07日 | 第2章 五感と体感
悩み深い人が第三者のことを持ち出す場合、話題にしている人物よりも、その話題を持ち出したいその人の感情に焦点をあててみると、人の話に巻き込まれないコツが見えてくるようです。

聴き方が上手くないと、その第三者の話題にどんどん巻き込まれていき、聴いている本人が自他混合に陥っていきます。

第三者の心配事よりもその人の不安感に焦点付けして聴いていくことは、やはり傾聴の訓練を積んでこそ出来得るものかもしれません。

その人が話題にするモチーフの背景を素直に聴き取るにしても、聴いている本人の概念が自分というフィルターを通して聴いていることも受容しながら聴いていかないと、とんでもない解釈へと向かっていきかねません。

相手の話題の背景にある不安感を聴くことができてこそ傾聴と云えるように思います。

あなたと私の不安の領域が交じった状態を分けながら傾聴していかないと、聴いている本人が自分の不安感が湧き出す傾向と重なってしまうのです。
だからこそ、傾聴する側の不安感の傾向や心の中にある未解決な事柄を受容しておかないと、似たような事例や感情の明度に出合うと、どんどんと自他混合が起きてしまいます。

第三者のの話題になったら「この人自身、何が不安なんだろう」と自分に問い、意識的に自分自身が正中線を正すこともコツかもしれません。

日々、精進です。

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