五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

感受性訓練

2009年08月31日 | 第2章 五感と体感
視覚・聴覚・味覚・触覚・臭覚

五感はとても大事です。
五感で体感していることを自分自身が解釈しているはずです。
解釈は、ひとによって違います。
理想と現実の現実に踏みとどまったときに、その解釈が自分の身を助けていきます。

感受性の振り子の幅が、広く、喜びや悲しみが極端…
振り子の幅が狭く、五感を意識せずに生活をしている…
喜びとか悲しみとか、そういった感情を押さえながら生活している…
もしくは、感情を出すことを忘れている…思ったことを言語化できない…

一人の人間の内にこのような体験が盛り込まれています。
もちろん、私自身もそうです。

思ったこと、感じたことは、魂を通して自分の心と身体に表出されていきます。

現実は、変えることはできませんが、解釈は変えることができるはずです。

そのことを「自己概念の再構成」といいます。

自己概念の再構成。
これもまた再構成が必要だと感じる自分自身の解釈が必要になってくるようです…他人がどうこう言っても、ただのお節介にしかすぎません。

「今、悔いなく生きているか?悔いのない選択をしているか?自分にとって悔いのない人生とは?」
この自問自答は、私が息を引き取るまで続いていくものだと思っています。

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何を信じているのか?

2009年08月30日 | 悔いのない人生とは?
あなたの信じて見えてくるものの「信じているもの」って何?
そして「見えてくるものは?」

私たちのカウンセリングの学びの中で、頻繁に問われる事柄です。

私の場合、実際に見えているものや人の言動には、深い深い背景があるものだ、、、ということに気づいたのは5歳くらいの時だと記憶しています。
「他人は自分の心の内とは違う解釈をする」ということです。

祖父のアトリエ。大きなキャンバスに描かれた絵には、私が見えない世界が描かれていました。「祖父には、この世界が観えているんだ・・・」「私には何が観えるんだろう?」そんなことを思いながら、祖父の横に座る自分がいました。

東京と高知と福井、生活文化の違う場所を知ることで、自分は変わらないのに私に対する人の解釈や表現が違うということも同時に体得していきました。

そのようなことを思い出すと人生の転機であり、第一段階の意識できる自我の目覚めは、やっぱり5歳です。

「他人と自分は違う」

でも、それで、人間不信になったということではありません。言葉遣いや解釈、表現が違っても、人に備わる「愛」は、みんな同じだ、ということをそのような体験で知覚したようです。

だから、自己概念に振り回されて、自分を取り巻く親しい人たちを、「嫌い」になる人は損だなぁと思います。

表面上の言葉とかちょっとし解釈で憤慨することに固執するよりも、相手の背景をもっと見据える努力をすることは、やわらかく生きていくために結構必要な手段のように思います。

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私って○○タイプよ

2009年08月29日 | 第2章 五感と体感
世の中には、△△カウンセリングと称して、いろいろな性格判断的なものがはびこっています。血液型や星座、干支は、身近なもので、私も自分が該当するものに関して、それなりに解釈して生活しています。

○○タイプ…
でも、それらは、ほんとうに自分を表しているのでしょうか?

「私って、○○タイプでAさんは□□タイプ、、、なんかわかるような気がするわよねぇ~、、、」

「このわかるような気がするわよねぇ~」が、落とし穴。。。

○○タイプを解釈するのは、自分自身です。自分の「思考」「感情」「行動」が解釈してゆきます。

「○○タイプ」、人によって解釈が違うのです。

かたくなに信じ込んでいる○○タイプで、自分のイメージを作っていくことは、理想を現実に向かわせる方法であると思います。

「ひとつの事柄の解釈は人それぞれ」と体得した時に、初めて自分の本音の感情と向き合えるのかもしれません。

「不安感」や「本音の感情」は、自分自身のセルフイメージから紐解いていけるように思いますが、如何でしょう…

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湧きだす感情は?

2009年08月28日 | 第1章 意識と知覚
「湧き出す感情は?」いきなりそう問われても戸惑うのは当たり前です。

常に自分の本音の感情を意識していても、その時の現実吟味力に何らかの偏りがあれば本音の感情というよりも、成育史上から湧き出す考え方(思考)に覆われて、なかなか感情までいきつかない場合もあります。

かたくなな概念が自分を支配していることに気付いていてもそれを認めたくない自分もいます。

人は心と体と魂で成っています。

魂は普遍的な柱のようなもので、心と体は、日々の生活の中で、その柱を取り巻きながら自分の中に湧き上がる違和感と戦っているように思います。
心がかたくなであれば、いつの間にか身体にその違和感が表れます。

身体症状…

眠れない。食べられない。食べ過ぎる。便秘や下痢。
胃が痛い。頭が痛い…
学校に行けない。教室に入れない…

堂々めぐりのようですが、そんな時に、また問うてみます。
「今、ここでの感情は?」

昨日の不安でもなく、明日の不安でもなく、遠い将来の不安でもなく、「今ここでの感情」を意識化します。

人に言わなくてもいいんです。心の中に湧き上げるだけで充分なようです。


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理想と現実のギャップ

2009年08月27日 | 第3章 無意識の世界
昨日は、不安感に踏みとどまってみることを書きました。

不安感に踏みとどまることができず、すぐに何か違う話題にすり替わってしまう…

不安感に踏みとどまることができず、相手を非難したり、攻撃したりする…

不安感に踏みとどまることができず、妄想のような夢を描く…

不安感に踏みとどまることができず、具合が悪くなったり…思い込みが強くなったり…

理想と現実のギャップに気づかず、現実吟味力に欠けて、防衛機制が過度に反応している時は、同じ傾向の話題ばかりが衛星のようにぐるぐる回り、関わっている側は、だんだんと取り込まれていきます。

理想と現実のギャップ
理想は「せねばならない」とか「成育史上の概念」です。
現実は湧き出す本音の感情です。

人の悪口や罵倒する言葉そのものは本音の感情ではなく、何らかの感情が湧き上がる結果、表現される言葉です。だから、その言葉の裏に隠れている「感情」があるはずです。でも、いくら親でも親友でも、その感情を代弁する言葉できません。
本人にしか分からないからです。

本人が気付く本音の感情…
自分の不安感と向き合うことが今は無理でも「本音の感情」という言葉を思い出すだけでも何かが変わるかもしれません。

焦らないで、ゆっくり…

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不安感を意識する

2009年08月26日 | 第1章 意識と知覚
夏休み気分から脱し、本格的に活動再開です。

なので、初心に戻り、おさらいです。

いろんな不安を抱えて過ごしている人が多いなか、その人が自分の「不安感」という感情に佇むことができたら、前進の印かもしれません。

不安感に佇む術を知らないばかりに、何かに頼ってしまい、ぐるぐると同じパターンを繰り返してしまう人は案外多いように感じます。

何かに頼ることは、一見「安心」のように見えますが、これが結構落とし穴だったりします。。。
頼ること=依存することで、自分の中に湧き出している不安感を益々見えなくしてしまいます。

人は自分の中に、自然治癒力を兼ね備えています。
「自分の中の違和感」は自分にしかわかりません。

二学期が始まり、笑顔が戻った人、悲しみが深まった人、いろんな再会があると思います。

もう一回、初心に戻り、自分の不安感と向き合って、心の整理を互いにしてみようじゃありませんか

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人の話はほどほどに

2009年08月25日 | 第2章 五感と体感
「私」と「あなた」の関係において、互いが感じ合う感じ方は、それぞれの解釈というフィルターがかかることにより、同じ感じ方というのは、あり得ません。

同じ考え方の人に出会ったとしても、自分で解釈しているものとは違うはずです。

「私とあなたはおんなじ考え方!」と喜び勇んで付き合いだし、その期待が裏切られたと解釈された時に起こる憎悪の感情は、恐ろしいものです。
勝手に期待され、勝手に裏切り者呼ばわりされたらたまったものではありません。

自分が感じる「他人の所感」は、自分のフィルターを通して解釈しているということだけでも意識しておくと、他人の言葉に振り回されにくくなります。

人の噂話はほどほどに聞き、まずは、自分の気持ちを大切に

人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいきます。
かといって、ひとりでは生きられません。

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初舞台

2009年08月24日 | 第2章 五感と体感
今年の夏は、謡いの稽古中心でした。
着物を着るのは息子の七五三の時以来、、、しかも袴は初めての経験。
着物の着方も帯の締め方も普通とは違います。
訳も分からず、控室に行き、ベテランの先輩方が、ササっと不慣れな人たちのサポートをし、ちゃちゃっと舞台に・・・

舞台の怖さもわからぬままに、舞台に上がり、気持ち良くシテを謡わせていただきました。
返って、午後一番に謡った連吟「雪」のほうが、皆さんで謡いそろえる怖さを知り、未熟な自分の声が遠く異質に聴こえてきました。

結果はどうあれ、舞台に立ってみるという夢は、ワタワタと実現しちゃいました。

秋からは仕舞に入りますが、躊躇していたら前に進まないので、素直に従っていくのみです。

「自分はここで満足だと思う人生よりも、まだまだ、これから次へ、、、もっともっと、、、と思いながら天国に行きたいものだ、」と打ち上げパーティで同席した方々と語り合いました。
好奇心をもって素直に習う意欲を持たれる先輩方の姿に触れ、人との出会いにも感謝した発表会となりました。

一歩。また一歩。

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我慢

2009年08月23日 | 第2章 五感と体感
ここで我慢しなくては、何にもならない。
おっしゃる通りの言葉です。

でも、何かに囚われた心で苦しんでいる人にとっては、「我慢」からの解放がとても大切です。

とはいっても、踏みとどまって、努力する時期にそれを逃してしまうと、今度は堂々巡りという苦しみも味わいます。

我慢という言葉は、人にとっては脅威の言葉であるかもしれませんが、こつこつと努力し何かを成し遂げるための「我慢」は、生きる活力になります。

ゆるりと生きながら、ストレスもなく、食べ物が落ちてくるのを待つ生活は、確かに楽でしょうが、
人は理性を持ち備えて生まれてきます。成育史の中で、踏みとどまって我慢と努力
を貫いた時期は、その人の大きな宝物だと信じています。

「ここで我慢・・・」
山中湖で尊敬するある人が、つぶやいた言葉に心を惹かれました。

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また来年!

2009年08月22日 | 第9章 愛
毎年恒例の山中湖から戻りました。

富士山の五合目手前に、奥庭という場所があります。天然の日本庭園です。盆栽のような松の森と溶岩。高山植物と他では見られない野鳥を観ることができます。

今回は久しぶりに奥庭に行く機会に恵まれ、大きな大きな富士山の姿を眺めることができました。

間近で眺める雄大な姿は心を浄化します。

それ以上に、そこで共に過ごす人たちと心おきなくお喋りし、「また来年!」と約束すると不思議なほど、安心感が湧き出します。

今回は、通信講座の会報綴じと発送の準備をしながら口を動かし、一石二鳥の休日となりました。
そんなわけで、そろそろ会報が講座生の皆様の元に届くはずです♡

いつもの場所で大切な人たちと集い、エネルギーが蓄えられました。。。今年後半、また頑張れそうです。

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奈良の長谷寺

2009年08月20日 | 第2章 五感と体感
都からお伊勢参りをする道の途中に長谷寺があります。

長谷寺は建立当時、東大寺の末寺だったそうです。
梅原猛さんの本を読んでいたら、長谷寺の由来が目に留まりました。
東大寺好きの私が、長谷寺に魅力を感じるのはそのせいだったのかもしれません。
あたりに宿る空気が似ているのです。

他人の感情に左右されることなく自分の感性と向き合うことは、自分を成り立たせていくために一番大事なことです。感性と向き合うと、見えているものだけに翻弄されず、「眼」からだけでなく、他の五感から見えてくるものが倍増します。

時代に翻弄され、寺の宗派が変わっても、その土地に宿るもの、建物に沁み込んだ祈りの蓄積は時代とともに厚みを増していくように思います。

長谷寺の下を流れる初瀬川は、いにしえびとが好んで慈愛をこめ、歌を詠みました。

「源氏物語の玉葛」、あのドラマティックなお話に益々深みが加わります。

右近「ふたもとの杉のたちどをたずねれば ふるかわのべに 君をみましや 嬉しき瀬にも」

玉葛「初瀬川 はやくのことは知らねども 今日の逢瀬に身さえなかれぬ」


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自分の不満感

2009年08月19日 | 第2章 五感と体感
自分の不満感をむっつりと無口で表現されるほど、嫌な気分になることはありません。
不満な感情である自分を他人に気づいてほしいということを表現したいのでしょうが、周りで見ている人は不快です。
反対に、自分の不満を、他人に当たり散らす人もいます。
怒ったり、愚痴ったり・・・

自分の不満感=不安感の吟味力に欠けていると、そんな事態に陥りやすくなるように思います。

さーて、そろそろ夏休み終盤。。。

家族の中のそれぞれの立場で、いろいろな思いもあるでしょうが、自分の不満感を人のせいにしないで、自分の中で消化できるとよいですね~

家の中の不穏な空気は、人に伝染していきます。

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我が家の萩

2009年08月18日 | 第2章 五感と体感
毎年ブログに書いている我が家の萩。
今年も、ぐんぐん伸びました。

丈の低かった紅葉も、段々と成長し、ずうずうしい萩攻撃に立ち向かう術ができてきたようです。でも、今年も笑っちゃうくらい萩の枝に埋もれています。

朝の空気が何となく秋を感じます。
太陽の傾き加減やそよぐ風は、蝉の鳴き声を夏の名残りのように感じさせます。

萩の季節になると、平安時代の記憶が体内から蘇り、花を愛でながら安らぐ体感を味わいます。自分の祖先がずっと見続けていたものは、身体の中に記憶となって残っており、私が意識する自分の身体は、体内の記憶に含まれたほんの一時にしか過ぎないのだ、ということが、よくよく分かります。

ひとつひとつの命に宿る自我は、次の世代へと確実に継承されていくのです。

自分の見たもの、感じたものは、自分の身体の中だけに納まるものではありません。

繋がりの「ひとつ」である「自分の人生」。

信じて見えてくるものは、萩の記憶です。
夏の終わりのある日の朝、萩から見えてきたものは、そんな想いです。


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成育史

2009年08月17日 | 第2章 五感と体感
幼少期、親からどんな声掛けをされて育ちましたか?

「○ちゃんは、絵がうまいねぇ~、」
確かに、中学生の頃までは、そんなことを言われていました。

喋ることよりも、いつもいつも鉛筆を持ち、黙々と絵を描いていました。
リカちゃん人形の家も作り、夢のおうちの見取り図描きにも夢中になりました。

両祖父が画家だったためアトリエの風景は私の安らぎだし、油絵の具の香りは未だに鎮静剤だし、描くこと、作ることは私のアイデンティティそのものです。

しかし、ある時から、親から言われる言葉かけが変わってきます。

「絵なんか、描いていても食べていけない~」

今まで、褒められていたことを否定されるような言葉かけは、思春期の子供にとっては混乱の元。

「否定される」経験は、防衛機制のパターンに繋がります。

でも、親業をするようになり、この経験は役に立ちました。
ましてや、カウンセリングの勉強を始めたことで、この経験が成育史の宝物であることも気づきました。

反面教師で子育てしましたが、それでも子供自身、親の「言葉かけ」できっと何か思うことがあるんだろうな、とは思います。

自分では叶えられなかったことを子供に託したい親心は、理解できます。
当たり前の「心の動き」だと思います。

夏休み後半。。。子供を見ながらイライラ感がつのる母心も理解できます。

否定する前に、なぜ今否定する気持ちが湧き出すのか?

相手に言葉かけする前に、いったん自分の心のうちで自問自答してみると、案外、矛盾した自分の心の内に気付くかもしれませんね

子供の混乱の原因は、親である自分であるかもしれません。

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悔いのない人生とは

2009年08月16日 | 第9章 愛
お盆休み、帰省やお墓参りの話題があちらこちらで聞かれます。

そして、こんな時期は久しく会っていない友人が気になったりもします。
皆、元気かなぁ~?

そろそろ父の誕生日が近づいているのと、母が作品展に水彩画を出品しているので
実家に行ってきました。

胃癌を患い20周年の父は、御身を大切にしながら、あらゆるサプリメントに挑戦し、自分の時間をなにより第一優先にして生活しています。
痩せすぎ以外、見た目はとても若いです。
50年以上続けている短波放送の趣味の情熱も衰えず、しかも他人様から何かを習うことが大の苦手。「自己流」という流派で尺八を吹くこと○十年。。。
言っちゃ悪いが、音色にまったく進展がみられません。

母は、ここ三年ほどで水彩画を始め、才能を開花し始めています。筆を持つことが生きがいになっているようで真剣に取り組んでいます。
素直に習い、努力を惜しまないところが、尊敬できます。
デッサン力を身につけたいというので、どうせなら若い人が集まるアトリエに行った方が良いのでは、、、とアドバイスしています。

父の「御身を大切にした生き方」は、一緒に住む女房に大きな負荷を与えています。でも、最近目覚めた夢中になることのできる趣味で、愚痴の中にも光があるように思います。

「悔いなく生きようね」、と両親に声掛けられるのも、悔いなく生きようとしているのが見て取れるから云えるのかもしれません。

「絵の先生から自画像を書いておくとそれが遺影になりますよ」と言われ、俄然、やる気になっている母は、やっぱり逞しい、と安心したお盆訪問でした。

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