五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自己の伝達 その4

2009年10月31日 | 第2章 五感と体感
プロセススケール その4

「自己の伝達」

心の奥深い本心を自分自身にも他人にも伝達していますか?

本音を語っているつもりでも、それがなかなか相手に伝わらないことでストレスが溜まることもあれば、本音を伝えられず、気持ちを抑えてしまうとか。。。
考えるべき問題を遠ざけるために別の話題になってしまったり…

自己の伝達に関しては、「プロセススケールの7つの項目の中」では一番自己分析しやすいかもしれません。

自分が心の内で思うことがスムーズに言葉にでていれば、良いというものでもなく、「当たり散らしている」とか「文句ばかり言う」という人がいるとしたら、当たり散らしたり文句を言う必要のある心の内の本音を聴きとっていく必要があります。

たとえば、
不平不満を言う人には必ず理由があります。
言葉に出てくるまでのプロセスは、その本人にしかわかりません。
不平不満を言っていることを本人が意識していなければ、本人にも理由がわかりません。
心の奥に潜んでいる不安感は、いったい何なのでしょう?

自分の心の内をそのまま言葉で相手に伝えられれば、こんなに悩む必要はないのに…と思うのは、私だけではなさそうです

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不一致 その3

2009年10月30日 | 第2章 五感と体感
プロセススケール 3不一致

心の内での感情と口に出していう言葉や行動が違うこと。

自分がそれを意識できていれば心と身体が、バラバラになったような体感になりますが、不一致であることが意識されていない場合もあります。

ほんとうは好きなのに嫌い!と言ったり、嫌いなのに好きと言ったり…

私の場合、心の内と外が矛盾していることが意識に上がらないと、自分の抱えている問題の核に触れられず、グルグルと同じところを回っているような感じになったりします。

心の奥に潜む自分の本音と向き合ってみると、なにかしらの不一致が見えてきたりします。
不一致という不安にとどまることを恐れていると、何かのせいにしたりして、問題の対象がすり変わったりしてしまいます。

そんな恋人だとしたらたら、ちょっと大変かもしれませんねぇ~

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体験過程 2

2009年10月29日 | 第2章 五感と体感
現実吟味力 プロセススケール その2

「自分の感情として自分自身が捉えられているでしょうか?」

自分の感情を体験できているか?

これを「体験過程」といいます。

☆気持ちばかりが沈み、そこから抜け出せなくて、グルグル同じことを繰り返しているでしょうか?

☆それとも、問題にしていることに関しての自己の感情が、もやもやし出しているでしょうか?
本音の感情が意識できるような、まだ意識できないような。。。

☆自己の湧き上がる感情を自分自身的確にとらえ、感情を受容できているでしょうか?

子供のこと、親のこと、友達のこと、他人の感情のことを推察して考えるのは余計なお節介なので、まずは自分の感情をきっちりみつめていきたいものです。

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現実吟味力を測定してみる1

2009年10月28日 | 第2章 五感と体感
昨日からの続きです。

「不安な自分との向き合い方のひとつに、自分が現在抱えている問題に対して、自分自身がどのように向き合っているのか」
「不安な自分には、いったいどういう傾向があるのか…?」
「そもそも不安って何??」

そのような自問自答を繰り返していたとしたら、これから7日間書いていく「プロセススケール」を自分自身で検証していくとよいかな、と思います。

☆第一のストランズ
{感情と個人的意味づけ}

湧いてくる感情にはすべて意味があります。
同じ現象を多数の人が体験しているのに、なんで湧き上がる感情が人ぞれぞれなんでしょう?
「意味がある」とはどういうことなのでしょうか?

「私」という個人は、それぞれの環境、経験、祖先からの遺伝で成り立っています。だから、湧き上がってくる感情は、自分の個性そのものです。

「考え方」でもなく「思想」でもなく「いいわけ」でもなく「湧きあがる感情…」
倫理道徳に関係なく自分の感情を素直に意識に上げていますか?

上げていても、それが肯定的な感情なのか、否定的な感情なのか、、、?

現実吟味力、自分のことは自分にしかわからないので、とりあえず今日はここまで。
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現実吟味力って何?不安その4

2009年10月27日 | 第1章 意識と知覚
特殊な用語は、「業界内」では通用しても業界外の人にとっては何だかさっぱりわかりません。

昨日の鳩山首相の所信表明演説の全文を読んでみました。
解り易い言葉は、業界外の私は「わけのわからない言葉」に関して拒否する感情が湧くことなくひとりの国民として最後まで読み通すことができました。
内容に賛否することは、まず、知ることから始めなくてはなりません。
その点では、よい文章だったと思います。
さて、
他人のことは、こうやって批評できます。
これが、自分に関していうと、なかなか…

心理学の用語も特殊なものがたくさんあります。

読むことはできても、その意味が自分の概念と繋がらないケースはたくさんあります。

昨日のある勉強会で「自己の現実吟味力は健全か?」「自己の現実吟味力の低さで失敗した経験はあるか?」
そのような問いかけをしてみました。

現実吟味力…なんでしょうねぇ~、、、確かにわかるようなわからないような用語です。

「現実」を「吟味」する「力」と言ってしまえばそれまでですが、
感情には、すべて意味があります。その湧き出す感情を抑えたり、否定し続けていると、自分の心と体に支障をきたしていきます。

本音と建前を混同していくうちに自己に湧き出す感情が見えなくなっていきます。

明日から、この現実吟味力を7回に分けて書いていきます。

自分の個性の美をここで見つめるには、良い機会だと思います。どうぞ、お付き合いください。

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不安感と現実吟味力ーその3

2009年10月26日 | 第1章 意識と知覚
体調が悪かった時代があります。10代から30代のころです。
見た目は元気なのですが、いつも血の気のない身体が、いろいろと支障をきたしていました。

その頃の自分自身の身体の現実を吟味する力は、かなり低かったと思います。

30代の半ば頃に血液検査をし、あまりの数値の低さに「よく生きていますねぇ」と言われ、そこで、初めて自分の健康感を吟味しました。

女性の方ならよくおわかりでしょうが、一か月の周期的な体調の変化に翻弄されていたことにもそのころようやく気付きました。

貧血を克服することで、自分の不健康さに初めて気付いたわけです。

人は心と体と魂で成っています。

「今、自分が気になるのは、いったいどれ?」

不安感を抱いているとしたら、まずは、そこから始めてみるのもひとつの「不安感の意識化」のようです。

話は変わりますが、
昨日福祉関係の試験を受けた皆さま、お疲れ様でした

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不安ーその2

2009年10月25日 | 第1章 意識と知覚
昨日の続きです。

不安といってもいろいろあります。

☆不安感を撥ね退けながら、緊張感をもって、能動的に行動する。
☆自己の不安を克服するために他人に八当たりする。
☆不安が増長し、眠れなくなったり胃が痛くなったりする。
☆不安がつのり、無気力になる。
☆不安と不安がせめぎ合い、自分を見失う。

数分間瞑目して、浮かぶ私の事例を書いみました。

不安は段階的に五つに分けられます。(ストレス曲線)

不安→怒り→身体症状→鬱→錯乱

不安感は、生きるために不可欠な感情です。
今日の自分は、どんな不安感と向き合っているのか、それが意識化できれば、道筋が見えててくるはず…

「いま、このとき」の感情をみることから、こつこつと…

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不安感とどう向き合うの?

2009年10月24日 | 第1章 意識と知覚
漠然と不安なのか?
もやもやと掴めそうで掴めない不安なのか?
要因が明確な不安なのか?

{心理療法の世界では「人は不安」が本質と云われている。}と教えられたとき、箍(たが)が取れたような安心感を覚えました。
以来、自分に表れる不安感が、ある程度明確な形になって見えるようになってきました。
「なぁんだ、人って、不安が本質何だ。。。不安でいいんだ!」
この概念が、私をずいぶん助けました。

さて、その不安感、
どうやったら自分の不安感を知覚することができるのでしょう…

「いま、ここでの自己の感情」を自分が感じ取ることは、とても大切な作業です。

一分くらい、呼吸を整えながら、自分を否定も肯定もせず、瞑目してみると、留まることに耐えられず逃げてしまう自分もいたり、あれやこれやと不安が湧きあがってきたり、ピンポイントで不安が明確に見えてきたり、、、、

瞑目してみて、表れる自分の状態を、まず意識化してみる必要がありそうです。

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経験の蓄積

2009年10月23日 | 第1章 意識と知覚
ある学校と関わり出してから二年目の秋を経験しています。

思春期真っただ中の子供たちを接しながら、学ぶことがたくさんあります。
毎回が自分との出会いです。

「素」である自分と向き合える時間を与えられたことは、カウンセリングという世界に足を踏み込んだ私の大きなお恵みだと解釈しています。
「素」である自分は、一つではありません。たくさんたくさんあります。
たくさんあっても、自分は自分です。

私というひとりの自分です。

「学校」という場所で、もう一度育ち直しをしている自分は、今、中学2年生ぐらいのところにいるかなぁ~、と思います。

「今、子供を育てている時以上に、見えてくるものがある、」ということは、カウンセリングの理論を学んだから、というだけではなさそうです。
年齢を重ねることによる経験の蓄積によって、私の心の引出しが増えた、ということが云えそうです。

15歳なら15年分の尊い成育史。
成育史は宝物です。
美しい宝物に出合える私は幸せです。

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馴染みの場所で

2009年10月22日 | 第1章 意識と知覚
自分が慣れてきたのか?
相手が慣れてきたのか?

いやいや、自分がこの場にほんとうに馴染んできたのかな・・・

手伝い始めて今年で6年目、回数で五回目の勉強会がある場所で始まりました。

今年は、朝から夕方までの長時間の勉強会です。

師匠のお人柄ゆえ、特に今年は嬉しいことに去年、一昨年講座を取ってくださった方が多く、私も初回からほどほどの緊張感でのスタートを切りました。

ある学校のこの場所は、私自身、20年前からのお付き合いですが、建物も内装もそのままで、自分の出身校よりも馴染んだ場所となっています。

今年度のこの勉強会のテーマは「エンカウンター」。
「自己と向き合う」です。

世話人の采配と、参加者によって、空気感ががらりと変わる内容なのですが、
相変わらず、ゆるりとした空気の中、参加者の皆さんとの和んだ空気で一日過ごすことができ、改めて師匠の世話人ぶりに感心した次第です。

半年間、馴染んだ場所で、志を持つ皆さんと、和やかに学んでいきたいと思います。よろしくお付き合いくださいませ。

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オリオン座流星群

2009年10月21日 | 第2章 五感と体感
ウィーンの美術史美術館の入口に左手にパレットを持ち右手に筆を持つ女神が、私たちを出迎えてくださいます。

普遍的な美しさを求める人の心は、いつから育まれていったんでしょう。

流星群が何かの兆候だと、不安がったり、喜んだりしていた時代は、はるか昔のことですが、そんな中から生まれた伝説、神話は、今ではすっかり私たちの血となり肉となっています。

今朝は4時に起き、空を眺めました。

ひとつだけ、星が流れました。

10数年前のしし座流星群の時は、星降る体験をしましたが、ひとつだけでも、嬉しいものです。

今日は、某講座の第一日目です。

気持ちを新たに、行ってきます。

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モンマルトルの風景

2009年10月20日 | 第2章 五感と体感
先日銀座の画廊で個展をしたパリに住む画家の友人から絵が届きました。
4号サイズの小さなものです。

小さな絵なのですが、とても思い出深い風景が描かれています。

彼女の家は、パリの下町、サクレクールの丘の袂で、ムーランルージュの路地を入り、その昔、印象派の画家達や音楽家が集まったモンマルトルにあります。
映画アメリの舞台になったカフェも近くにあります。

古い螺旋階段を昇り二つある扉の左側が彼女のアパートです。
ヨーロッパの家の三階は、想像以上に高い位置にあります。窓から見える風景は、細い道路を挟んだ家の窓。少し目線を上げると細い煙突と屋根が見え、その上にはパリのお空が広がります。

その風景が描かれた絵です。

訪れるたびに、この部屋にお世話になり、足を伸ばし、手作りの美味しい食事を頂きました。
彼女の家とその周辺は、我が家の原風景といっても過言ではありません。

ずいぶん前から我が家のリビングに掛かっている絵は、彼女のアパートの入口付近から描かれた風景です。その絵を描いたのは彼女の大切なパートナーのS氏の絵です。

ポンヌフ(セーヌ川で一番古い大きな橋ですが、訳すと「新しい橋」)で絵を描いている時に、誤って道路にころび、車にひかれ亡くなりました。あれから10年近く経ちます。

これらの絵は二枚でひと組の絵かな。。。と思います。
二つの絵が奏でる旋律の波長が心地よく聴こえてきます。

大切にしたい宝物です。

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食べることは生きること

2009年10月19日 | 第2章 五感と体感
ほんとうに美味しいものを食べ続けると、健康感という体感が得られ、心と体にぶれがなくなるような安定した状態になります。

ほんとうに美味しいものってなんでしょう。

地元で採れた野菜や果物、肉。
美味しい水。
農薬を使わず、または最低限の農薬で、しかも豊かな土壌で育った作物。
きれいな空気。
手間暇かけた丁寧な仕事。
旬のもの。
思いやり。
「時間」の中で生きる人々の生活のペース。
それと、「誇り」。
もうひとつ言うなら「愛」。

旅したスロヴェニアでは、それらの事がらを言語化できるくらい美味しいものを頂きました。

食べることを意識することは、生きることを意識していることと同じだと思うのです。

日本に住まう私たちは、多くの味を体験しています。
多くの味を求める味覚の柔軟性があるということも云えると思います。
それが、日本人の味覚の個性なのでしょう。

なるべくなら美味しいものを
今日も食べて生きたいものです

写真は、雨上がりの森で採った「きつねのしっぽ」という名前のきのこのシチューです。

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道しるべ

2009年10月18日 | 第2章 五感と体感
「類は友を呼ぶ」というのが正しい言い方なのか、「求めよさらば与えられん」という言葉が相応しいのか?はたまた、昨日のブログのようにR君が天国から繋げてくれたのか?、、、私は昨日、とても幸運な出会いをしました。

心理学は、同時に歴史や思想、芸術、宗教、政治、経済、医学等いろいろな分野の学問を学ぶ必要性が出てきます。

全てを総体的にバランスよく学ぶことができれば越したことはありませんが、自分の能力を考えると、興味のあるものに焦点を絞り、学んだほうが、心理学という学問の中の学派と結びつけやすく学ぶことができると思います。

私の場合、芸術が自分の中心に据える正中線のようなものです。

心理学を学び、心理療法の理論を学ぶことで見えてくるものは、やっぱり自分自身のことです。

自分は「真・善・美」の内、どれを意識しているか、ということを意識する必要があるそうです。

私は「美」です。

何が「美しい」か。
それを意識するようになったのは、自我の目覚め以前の幼少期の頃だと認識しています。

昨日はそれを裏付けしてくれるような出会いを経験したのです。

「これで良し」と耳元でささやく誰かの声を聴き、これでまた、自信をもって歩んでいく道しるべができました。

さぁて、今日も、我が道で行きますか・・・


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あれから4年

2009年10月17日 | 第2章 五感と体感
R君が突然天国に逝ってしまってから今日で丸4年です。
そして、明日が彼の二十歳の誕生日です。

二十歳のR君に会いたいと思います。
お父様似でキリリと凛凛しく、お母様似で感性豊かで、ご両親似でいつも朗らかで、友達が多くて、いつも人を和やかにまとめる天性を兼ね備えていて…
…きっと、そうだろうな、と思います。

この4年間、天国のR君は、私に不思議な出会いをたくさんプレゼントしてくれました。
きっと天国から私たちを見ていて、計らってくれているに違いない、と解釈しています。

今も理不尽な事故が後を絶ちません。今だにこの現実に納得のいかない気持ちが沸々と湧いてきます。

そして現在、御両親の深い愛と、天国のR君からの深い愛が、いつも揺るぎのない「ひとつ」として私に伝わることは、私の幸せにも繋がっています。それが、いつも不思議な出会いや偶然によってますます深みを増していくことに期待すら感じるようになりました。

感じることを解釈していくことは、自らの感情や思考からしか生まれてきません。
温かい体感を人に伝えても、それを温かいと感じるか否かは、その人によります。

五感は、人の生き方を豊かにしていくものだと思っています。
だからこそ、逆もあります。

自分が生きている今を支えてくれているのは、現在を生きている人だけではないのです。

R君の命日の朝に、そんなことを思いました。

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