五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

たましい 8

2009年11月24日 | 第8章 魂と聖霊
死んだらどこにいくんだろう?

私は死んだことがないので、その問いの答えは、私自身答えることはできません。

世の中にはびこっているオカルト的なもの、安易な諸々の占いは、携帯で検索すれば、簡単に占ってくれます。気楽です。

それらの解釈の責任を取るのは自分自身です。
簡単にいえば、捉え方も信じ方も「自分次第」、ということです。
ほんとうは怖い占いの真実です。。。

人は自由意思を持っています。
自由な意思を持っているが故に、喜怒哀楽の中でいろいろな感情体験をしていきます。自分次第の喜怒哀楽とそれらの感情体験は、「死んだらどこにいくのか?」という人類の普遍的な問いに答えを見出していくには、自分の感性から見出していくしか術はないように思います。

だからこそ、聴こえてくるもの、香ってくるもの、味わうもの、触れるもの、見えるものを体感で感じていく感覚を大切にしたいのです。
「五感」は、魂を感じるための橋渡しといえるのです。

五感を通した体感と、考え方や解釈に裏打ちされた「言葉」が自分の中で腑に落ちれば、それが自分の中の答えです。

「たましい」を体感したいが故に始めた心理学ですが、まだまだ、「これぞ」という言葉は見つかりません。じっさい、自分が死ぬ瞬間に、何かが観えてくることを期待し信じ、生涯私は私の内から湧き出す言葉を紡ぎながら生きていくのだな、、、と、思うわけです。

そのために今を生きていることは確かです

[生き甲斐の心理学参照」
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お墓参り

2008年08月14日 | 第8章 魂と聖霊
昨日のブログ「趣味の悪い置物好き」の義父を「涅槃仏」と呼んでいた口の悪い嫁に対して、まんざらでもないというような義父の表情を思い出しながら、お墓参りに行ってきました。(ともかく、よく横になっていた義父に私があだ名を付けました。)南方から帰還した義父と「ビルマの竪琴」は私のイメージの中で重なるものがあり、たぶん義父も何か感じていたのだと勝手に思っています。
義母は誕生日が終戦記念日の翌日なので、「お誕生日おめでとう」と手を合わせました。
もともと義母の実家の菩提寺。お墓も背中合わせに仲良く並んでいます。
いつものことですが、あっちのお墓とこっちのお墓を清めて、お花を添え、お線香を立てます。なので、結構こまごまと忙しいのです。
本日、どちらかの親族がお墓参りをしたらしく、すでにお花が添えてありました。

「このお花の趣味と活け方は、ぜったいに○○じゃないよ、△△だわよ・・」とくだらない推察をしたりして。
だいたい、墓地というところは、草木を繁らせないので、炎天下の中のお参りは覚悟が要ります。

私自身、お墓なんぞ息苦しくて、要らんわい、と思ったりするのですが、こうやって祖先のお墓をお参りをし手を合わせることで、自分の芯がスンと立つのです。
やはり、遺されたものにとって必要な場所。
できれば、私は桜の木の下に眠りたいなぁ~と想いを馳せ、お寺の跡取りと言葉を交わし、お盆らしいお盆を過ごした一日でした。

明日は、終戦記念日。そして、聖母被昇天の日でもあります。
平和を祈願し、心と魂を鎮める大切な一日となりそう・・・

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琵琶法師

2008年07月31日 | 第8章 魂と聖霊
昔々その昔。学生の頃です。
従姉の親友(女性)が琵琶奏者で、語りと琵琶の音に惚れて、今はもうなくなってしまった渋谷のライブハウス「ジャンジャン」に通い詰めたことがあります。

何事も、はまるとそればかりの生活になる私。

カッコイイ女性でした。
彼女は、若くして病気で亡くなってしまいました。

それ以来、琵琶の音に触れることがなくなりました。

ところが、先月、ある場所で、たまたま居合わせた人が琵琶奏者でした。
以前から名前は伺っていたのですが、出会うチャンスが無く、数年が過ぎていました。
思っていたよりも意外と若い方でした。私よりも少しお兄さん。
奈良に住まい、鎌倉の建長寺で得度されたお坊さんです。

彼の奏でる琵琶もまた、素晴らしいものでした。謡も深い体内から湧き起こるようで、まさに言霊のように響いてきます。

何曲か聴かせて頂き、「敦盛」に入った頃には、心も体も魂も、実体のない空間に
いるような感覚になり、気づくと泣いていました。

私の中では、琵琶という楽器は、身近なものではありません。でも、ひとたび聴くと魂を揺さぶられるように、無意識の感性を呼び覚まされるのです。

自分にとって大切な音。

きっと、そうなんだと思います。

明日から鎌倉の勉強会です。自己の無意識の領域を源氏物語を通して、思索できればと考えています。

平家物語ではなく、源氏物語の明石の海を思いながら、明るい湘南の海を楽しんで参ります。

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