五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

食の記憶

2012年08月31日 | 第2章 五感と体感
幼い頃の食の記憶と云えば、高知に住んでいた時は「文旦」。旬の時期になると横浜のスーパーでも僅かに見かけます。高知では日常に頂く果物です。時々、懐かしく思い文旦を口にすると、3,4歳の頃の体感が蘇ってきます。

5,6歳の頃の食の記憶と云えば、福井県大野市に住んでいたため、海は遠く、山の幸が記憶に残留しています。特に「ワラビ」は、クルクルと巻いた形状が面白く、御近所から頂いた新聞紙にくるんだ山菜、特にワラビが目の中に浮かびます。それと、決して好きな味では無かった「ハタハタ」です。ハタハタは淡白な味ですが、独特の風味がある小さな魚です。

高知や福井に住んでいた時に東京の両親の実家に戻った時の食についても独特な味覚の記憶が蘇ります。

父の母は、料理が得意な人ではありませんでした。それでも、作ってくれたものは決まって鶏と卵の二色のそぼろ丼でした。
母は、かなり遠慮がちに頂いていたようですが、私は案外そのそぼろ丼が楽しみでした。
どちらかというと画家の祖父が籠るアトリエの籠った絵具の香りの方が、強烈に私の記憶に留まっています。
母の両親、特に祖父は酒が強く美食家で、祖母が亡くなった後も自分で色々なものをこしらえ、食卓の上にはいつも何らかの食べ物が置いてありました。昔の教育者のイメージは、そのような祖父の在り様が私の中で固定化されているようです。

小学校一年生の夏休みから住んだ茅ケ崎は、何と言っても「鯵」です。魚の美味しい土地に引っ越してきたため、母は嬉しかったようです。買い物の記憶と云えば、茅ケ崎の魚屋さんであれこれ見ている間、妹と私は魚屋さんで売っている魚肉ソーセージを与えられ、それを食べながら母の買い物が終わるのを待っていた記憶が、何故か鮮明に残っています。

食の記憶を蘇らせると、自分の生きてきた環境が鮮明にあぶり出されてきます。

五感を意識する中で、味覚や香りの記憶は、結構大きな位置を占めているかもしれません。
9月以降、折りに触れて食の思い出から「五感について」書いていくつもりです。

夏休みが終わり、秋の講座が本格的に始まります。美味しいものを頂き、夏の疲れを取りながら、体調を整えていきたいものです。

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気が通る人と会う

2012年08月30日 | 第2章 五感と体感
毎年恒例の山中湖に行ってきました。
朝晩は寒いくらいで過ごしやすく、ここ数年に比べて湿度も低く、下界の暑さが嘘のようでした。

夏の山中湖に毎年滞在しているスロベニア人の神父さんと食卓を囲むのが目的なのですが、年齢を感じさせない実行力は素晴らしく「米寿のお祝い」をすることも憚られ、一切年齢の事を語らないことも私が尊敬する理由の一つでもあります。

やりたいことをやり続けて、いつしか年齢が重なっていくだけの話・・・と、言葉で云うのは簡単ですが、大抵の人は、体力や気力が失せてきたことを理由にしたり、年齢を理由に区切りをつけたりしていきますが、やりたい事をやり続けていくタフな精神を持つ人と生活を共にしていると、清々しい風が身体に吹いてくるのです。

身体に吹く「気」は、自分の身体と心に鍵をかけ、壁で囲ってしまうと流れませんが、壁を取り払い、鍵を開けていると、新鮮な風が通るように気が抜けていくのです。

毎年この時期に、同じことを書いているような気がしますが、やはり、気持のよい人と会うと、自分の気持もよくなります。

そのことを心に留めて、9月からの仕事を愉しみたいな、、、と、思います。

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夏休み終わりですよぉ

2012年08月27日 | 第2章 五感と体感
表具の展覧会、宮城訪問、そして能楽の発表会というこの夏の私の三大イベントが昨日一区切りつきました。
またそれぞれの分野で次回の目標を掲げつつ、9月から新たな生活を始めます。

昨日の発表会が終わり、敦盛の呪縛から解放され気が抜けていますが(笑)

夏休みも残すところあと一週間というところでしょうか?
場所によっては、もう始まっているところもありますね。

9月は、厳しい暑さを乗り越えた身体を労わるよう心がけがけたいものです。体調管理が大事な時期です。

8月最後の一週間、いつも言われることですが、新学期の生活を意識しながら少しずつ時間の管理を意識していったほうがよさそうです。
私も、二、三日脳みそを休ませたら、来月から始まる活動の準備をあれこれ始めます。

次を始めるために、「夏休みという日常の休息」をすることは大事なことかもしれません。

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囚われの思考

2012年08月25日 | 第2章 五感と体感
日常に遭遇する色々な出来事。

その出来事に対し、湧き出してくる感情があるわけですが、その感情は、いったい自分のどんな考え方から湧き出してくるのでしょう?


昨日の東急セミナーBEの勉強会では、このことを問いてみました。

でも、この質問は、頑なな考え方のまま生活している人が聞いたら奇妙な質問としか捉えられないかもしれません。
もしかしたら、質問の意味も解っていただけないかもしれません。

カウンセリングの理論を勉強して、自分が傾聴する立場になりたいとしたら、この問いの意味を理解していただくことが大事だと思っています。

ぶれない自分、アイデンティティの統合がされている自分、自信に満ち溢れた自分、不安感なんて無いと言い切る自分、自分は間違っていないと確信する自分がいたとしたら、ちょっとだけそれを自分自身が疑ってみると良いかもしれません。

自分の生まれて育った環境は、それぞれ小さな囲まれた環境に過ぎません。その囲まれた環境に育っている自分を意識化してみることからこの学びを始めていかないと、いつしかただの強化された自信家という個性だけが際立ってしまい、自分の思い込みの強さで他者に不快感を与えていくことになりかねません。

統合されている人とは、どんな人なのでしょう。
たぶん、ガチガチのハガネのような人とは違うと思うし、ちょこっと押すと違う方向にずれていってしまうような人ではなく、柱はありながらも、そこからの振れ幅に安定感のあるほうが、統合に近い人のように思います。

自分自身の「思考と感情と行動」に「変だなぁ~」と感じる自分であるほうが、健全であろうし、理想と現実のギャップを意識できている証拠であるように思います。
自分の思い込みが強く、自分の傾向が見えてこなければ、自己分析ができません。

自分の中にある答えを自分が引き出すことができたら、それが本当の自分の答えなのだと思います。

頑なであればあるほど、自分の傾向を他者から指摘される事は不快なことです。
お節介な他者から指摘される前に、自分の傾向を紐解いてみることは、囚われからの解放への糸口になるように思います。

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他と交わる

2012年08月24日 | 第2章 五感と体感
幼少期に環境の違う土地に数回引っ越した経験があるせいか、自分と他との違いについて、敏感に比較する傾向があります。

私は「同じ土地で生まれ、同じ土地で育ち、同じ土地で生涯を終える」ことについて、憧れが強かったのは、自分を巡る環境がすり替わることで、自分をその環境に馴染ませるために無意識の努力が働いていたことに疲労感を感じていたからのだと思います。

とはいえ、未だに環境が変わることに関してのストレスが比較的少ないのは、今までの経験が無駄になっていないことも確かのようです。

他者の「思考と感情と行動」を見据える場合、その人が持つ考え方の傾向を傾聴しながら聴き取っていきます。
その考え方の傾向は、自分自身の個性であるので、「理想と現実」のギャップは、その人の個性の中から自然と生み出されてくるのです。

民俗としての習慣とか風習、そして、それらを育む気候、風土、宗教観。人それぞれの個性の違い、遺伝、社会的環境等、それらが自分の生育史に織り込まれ、自分の考え方が個性化しそれが強化されていきます。
代々同じ土地に生まれ育つと、一貫した環境が人の個性や傾向を一層頑なにしていくようにも思います。

故に、よそ者が一貫したコミュニティに入り込むと、互いに違和感を感じるのは当たり前のことです。

私自身が「よそ者」であることをいつも意識していたせいか、よそ者であることの孤独感を自ら強化させることのバカバカしさをよく知っています。それよりも、入ったコミュニティの中で私という違和感を最小限にして溶け込んでいくかの術を身に付けるのは、私の個性であり、傾向です。

他と交わる時、自分が相手に異質なものを感じている以上に、相手が自分に異質を感じていることを意識する方が得策かもしれません。

努力せずに融和はあり得ないのが現実です。

自分を解ってもらおうと思ったら、その前に静かに相手の傾向を見据えて受容する努力が必要です。(相手を受容することは、相手の考え方に賛同して、相手に合わすことではありません。)

「歩み寄ること」は、それらの条件が整ってから徐々に成されていくのかもしれません。

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西行花伝という小説

2012年08月23日 | 第2章 五感と体感
辻邦生著の「西行花伝」を読み始め一週間が経ちました。
一字一句、辻邦生氏の紡ぐ言葉を吟味しながら、何度も何度も読み返し、読み進めています。

北面の武士であった西行こと佐藤義清の生い立ちと人間関係を、従者である秋実を案内役に、西行と所縁のあった人々を訪ね語らせる、という設定で描かれています。時には西行の言葉も交え、章ごとに一人称である「私」がそれぞれなのがこの本の特徴です。

「私」が、章によって違うので、一章一章一人称を意識して読んでいかないと混乱していきます。そういった意味では、とてもハイレベルな読み方を読者に求めているといっても良いかもしれません。

新平家物語を読み終え、大河ドラマの清盛を見続け、習っている能楽の仕舞いと謡いは、できることなら平家物語の登場人物を。。。と師匠に願い出て、生き甲斐の心理学の勉強会テーマも「平家物語から見る日本人のアイデンティティ」を中心に据えています。その過程である時期に、「西行花伝」を読むことによって、自分の身体に沁み込むような言霊の響きに、頭が整理され、心と身体が浄化されているような感覚を覚えている最中です。
辻邦生氏の表現に惹き込まれることによって、私自身がもっと複数の視点で平家物語を読むきっかけを掴んでいるようにも感じています。勿論、現在も西行花伝によって複数の視点を堪能しているわけですが。

仁和寺の闇に紛れ、一夜を過ごそうとする西行の目の前に、不安と猜疑の絶頂にある崇徳帝を登場させる下りは、鵺退治を想わせ身の毛のよだつものであり崇徳帝の憂いと嘆きを読者に体感するに相応しい描き方であると感心し、陸奥の旅の道程での逸話も当時の臭いまで臭ってくる表現ですし、兎にも角にも、まるで紀ノ川に佇んでいるのは西行では無く読んでいる私であると錯覚するくらいの五感を、言葉に紡んでいるのです。

全21の帖で成り立つ小説は、12の帖まで読み進みました。

真夏の夜の夢は、私にどのような影響を与えてゆくか。一冊の本が与える魔術とは、こういうものなのだ、、、と、魔術に惹き込まれ、昨晩は寝苦しい夜でした^^;

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一人旅の掟

2012年08月22日 | 第2章 五感と体感
20代の頃貧乏旅行の経験がある故、旅の掟は私の中に根付いているつもりです。

一人旅をする場合は、夜中に発着する飛行機や電車には乗らない。語学に自信が無く、渡航先の習慣に不慣れであれば当然の掟。確実に迎えにきてくれる人が居れば問題はありませんが。
もし、そのような選択しかない場合は、必ず事前にホテルを準備しておく。でも、私だったら馴れていない場所への旅だったら絶対にしない。

ターミナル構内の地図は或る程度シュミレートしておくこと。

一番、安易に声を掛けられやすいのは、飛行場や駅。声を掛けてくる人は敵と思え。同性であっても、近づいてくる相手は同性愛者かもしれない。

ターミナルでは家族連れやカップルの近くに何となく自分の居場所を作る。孤立しない。

馴れていない旅であれば、スーツケースよりもリュック。(傍から見て旅慣れていると思わせる)

スカートやサンダルは履かない。

困ったら、職員やインフォメーションに聞く。

姿勢を糺し、ボーっとしてないこと。

ボーーっとしたかったらトイレに入る。

以上、厳しいようですが、大切な自分の命を守るのは自分自身なのですから…。若い頃、さんざん旅をして、一番学んだのはこのことです。

就職活動に有利だからといって、簡単にインターシップと称し、海外に行くのは問題だと思います。
そんなに簡単に外国で自分が役に立つと思ったら大間違いです。
日本の信用ある団体や自分の大学が提携しているスタディーツアーに参加することをお薦めします。

将来有望な女子大生が見知らぬ土地で事件に巻き込まれることは、あってはならないことです。

自分の身は自分で守ることを強く意識して、渡航してほしいと、親の世代である私は強く願います。

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自分の傾向を知ると

2012年08月21日 | 第2章 五感と体感
昨日は、知り合いである文化財保護の若手研究者の大学を訪問しました。

もともと掛け軸を通じての繋がりですが、最近は多くの学生と関わる関係で彼女の興味は心の問題にも向いているようです。

先生としての立場から見た学生の傾向を聞いているうちに、いかに私自身が生意気で嫌な学生だったかが自分の気持に湧きあがってきました。。。畏れを知らないことが若さの象徴でもあることは充分承知しているはずでしたが、畏れを知らないことによって、無駄に憂いでいたのは私自身だったな、、、と、冷や汗が出てきたくらいです。

「自分の若さ」を思い出し、恥ずかしくて冷や汗が出てくるようになったら、それは大人である証拠…、と、某小説家が言っていたことを思い出し、私自身、すっかり、大人になったのだな~、と、今更ながら思ったのです。

「それが若さである」
と、言えるようになったのは、我が子を育てる過程で感じることや中高生と関わる仕事をしていることだけが原因では無さそうです。
たぶん、それらの環境が私に「考えさせる」機会を与えていて、自分自身を受容することが本当に出来てきたということなのかもしれません。

それにしても、江戸時代初期の蘭交易での毛織物の裂地のサンプル帳や隠れキリシタンの遺物や鎌倉から出土した刀や仏像。。。私の目がハートになっていたのは皆様ご存知の通りでしょう(笑)
紹介していただいた蘭交易専門の教授が、江戸時代の長崎見聞関連の古文書を一枚一枚裏打ちし、柿渋塗りの仮張り板に丁寧に貼り付ける作業をしていたのですが、刷毛を放り、キリシタン遺物の話で盛り上がり色々なことを教えてくださいました。

人との繋がりは、どこでどう繋がっていくか解りませんが、自分の傾向を知っているとその繋がりは、自分にとって好き方向に繋がってゆくのだと、ふと思いました。

若い研究者の将来を楽しみに、また色々な想いを巡らさせて頂こうと思います。

感謝。

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西行徒然・・・

2012年08月20日 | 第2章 五感と体感
西行は、23歳で出家を決意します。
家督を継いで15年です。

その頃の時間の流れは、一体どんな風だったのだろう・・・と、いつも思います。

若くして亡くなっても偉業を遂げた歴史上の人物が沢山居ます。

命が短いのが常識である故、若さを尊むのは当然の時代でもあったのかもしれません。

当時は海路を使うにしても川を舟で行き来するにしても馬を扱うにしても、優秀な知能だけではなく、健脚な身体でなくては人の上に立つことはできません。

西行こと佐藤義清も、頑丈な体つきだったようです。

幼い頃から剣や弓を習い、馬術を身に付け、蹴鞠を稽古し、所作を学び、和歌を詠む生活は、かなりの鍛錬を積まない限り、あのような若さで簡単に身に付くわけがありません。

電気があるわけでは無いので、お天道さまが昇っている間に、出来得る限りのことをすべてこなすとすると、本当に心身を糺した生活をしていないと、あっという間に夜になってしまいそうです。

それだけ、集中していたということでしょうか?

確かに、オリンピックの選手を見ていても、皆さん20歳前後です。
海外で修業することで、語学が堪能な選手も多いようです。
目的を達するために習得するものは、一つの事を学ぶだけでは成し得ません。

である故、23歳という若さで出家する西行の気持も解らないわけではありません。

人生50年~♪
と、呑気に謡いながら、これからの人生が本番だ、、、と、思っている私は、当時の人から見れば、信じられないくらい呑気者だと思います。

グーグルで日本の地図を眺め、あっという間に日本を行き来している自分は、当時の人から見れば天界に住んでいる生き物といっても良いかも知れません。

とはいえ、心の中に渦巻く感情や情動は、時代を経ても何ら変わらないのです。

環境が変わっても変わらないものを大事にしなくては、きっと「見えないけれど大きな柱」から外れていくのだと思います。

西行の出家を想い、改めて必要なもの、必要でないものを私の中で整えていかなくては…。

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西行花伝という小説

2012年08月18日 | 第2章 五感と体感
源氏物語から千年。

そして、保元の乱、平治の乱があり、そして、壇ノ浦の戦いから八百年とちょっと。

時代は移ろっていきますが、西行の歌を知るにつれ、もう一歩西行を知りたくなり只今辻邦生氏の「西行花伝」を読んでいます。

一語一句が研ぎ澄まされた辻邦生氏の文章に惹き込まれながら、私が現在体験している社会を私自身が投影する良い機会に恵まれています。

余裕のある夏休み時期にこれを読まずしては進めない・・・と云う思いに駆られ読み始め、辻邦生氏の深い思索と良質で澱みの無い文章に自分自身の心と身体が再生しているような体感を感じています。

これを読み終えると、今年度の後半が始まります。普遍的な事に関しての自分自身の解釈を改めて意識化し、深く呼吸をしながら糺していくことができそうです。

本質を見据えようとする目と、表層に囚われる目を小説の中から読み取りながら、慈眼と蛇眼と考えてゆくこともできそう。

来週の東急セミナーでの勉強会は「思考と感情と行動」の予定です。西行花伝から「私の思考と感情と行動」が言語化できるといいな、と思いながら、暫し蝉の声と共に読み更けます。

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信頼と信念

2012年08月17日 | 第2章 五感と体感
私が通う歯医者さんは、息子の幼稚園の同級生のお父さんです。
とても紳士的で、なんといっても挨拶が美しく、患者さんだけでなくスタッフ対しての言葉遣いがとても丁寧です。
しかも、医者として甘んじ胡坐をかいているような先生ではありません。勉強家でもあり、技術も持っていらっしゃいます。

先日読み終えた吉川英治著「新平家物語」には、物語を繋ぐ役目として「麻鳥」という人物を登場させています。
この麻鳥さんは、もともと怜人の生まれでありながら、崇徳天皇の庭に湧く井戸を守る役「水守り」を生業とし、そこからクスシ「医師」として、物語の最後まで活躍します。
麻鳥さんの持つ使命感と自然の成り行きによる決断の早さ、そして自分にとって正しいの選択が、とても爽やかで美しいのです。
自分の信念を貫くあまり、家族に迷惑を掛けることもしばしば。。。でも、ラストは、この麻鳥夫婦の安定した暮らしと会話で締めくくられるのです。

麻鳥さんは、自由、平等、博愛。。。、まるで、フリーメイソンの定義を地でやっているような人として表現されています。

昨日、同じく子供繋がりで患者になった「お父さん」に歯科医院で予約時間が前後で合いました。よくよく考えてみれば、7,8年ぶりかもしれません。
彼は癌と戦いながら、仕事に復帰し暮らしていらっしゃいます。一番大変な時期に彼を医師としての役割で支えたのもY先生です。
口腔をケアーすることで防ぐことができることがあるのであればという思いで、それを真摯に行うことを怠っていません。
お二人の会話は、本当に信頼し合っている温かいものでした。医師としての役割と人柄を改めて尊敬しました。そして、その先生と付き合う事を選んだ私達に、既に整っている信頼感から連帯感が生まれ、喜びが湧きあがってきました。

人と人の繋がりは、こうでありたいな、という私の理想ではありますが、歳を経て思うに、こういう人間関係を結びたいな、という願望を持ち、そのように暮らしていると、同じくそのように思って暮らしている人とちゃんと繋がっていくのだな、ということに、ふと気付きました。

類は友を呼ぶ、、、とは、よく言ったもので、ほんとうにそうなのです。

本当に気の合う人を特に大切につつ付き合うことは、我儘なことでもないし、むしろ気の合う人と付き合った方が、自分の自立がより成されていくように思います。

人は、一人で生きて死んでいきます。それを受け容れているからこそ、他者との関わりを慈しむことができるのだと、しみじみ感じています。

信頼と信念は、他者からタダで与えられるものではないのです。
自分自身が持つことに意味があるし、それが成されていくのだと思うのです。

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飛び出す言葉の背景

2012年08月16日 | 第2章 五感と体感
昨日はお盆と父の誕生日を合わせ、家族で実家に行きました。

私が仙台土産を渡しながら、「お父さんの学校のキャンパスを歩いてきましたよ」というと、父は60年前の受験した頃の話をし出しました。

ともかく、自分から楽しい話題を提供できない父は、いつも母の憂鬱を誘っています。かといって、それが日常であるので、下手に横から口を出すと、父の傾向が本当に嫌なわけではなさそうで、傍から見ていると夫婦の事は解らん。。。と思う事もシバシバあり、最近は放っているのが現状です。

絵描きであった父から生まれた父は、東京で生まれ、戦争が始まると伊豆の別荘に疎開をします。そこから中学高校を過ごすわけですが、戦後の食糧難で、お米を沢山食べることができる都市へ行きたいと考え、仙台の大学を受験したそうです。
(父が言っていることなので、真意は解りません^^;)
戦後、仙台の大学はアメリカに撤収され、現在のキャンパスは入ることが出来なかったそうです。私の入ったキャンパスは厳密に言うと自分の青春の場所ではない、と父は云い張っていました。

絵描き=お金持ちである、という理由から学生寮に入ることが出来ず、一年間は先輩の伝手でお寺にお世話になり、ようやく入ることができた寮は、バンカラが占拠し大学に7年8年居るのは当たり前、という先輩が数人居座っていたそうです。
先輩達は2階を陣取り、後輩は1階というのが習わしで、時々寮雨が降っていたそうです。

寮雨???

初めて聞いた言葉ですが、なるほど、と、ピンときました。

つまり、用を足しちゃうってことだな、と。(苦笑)

威張っちいの父が、こんなことを思い出して人前で語るのも、長く生きてきたこそかもしれません。

戦災にあった仙台は、大きく区画整理され、そしてその街を大八車を引いて引っ越しする学生さんの姿を垣間見ていた風景も戦後直ぐの仙台の風景だったのかもしれません。

幼児~青春時代、戦争によって大きく影響を受けた両親の生育史を何気なく聞きながらも、それが今現在の会話で飛び出す言葉の背景になっていることを忘れてはならないな、とふと思ったのでした。


若者の行動が若さに溢れているのは当然のことであってほしいと、ふと、思いました。

まぁ、それにしても、相変わらず父の「威張りっちい」は、健在ですが「これも元気な証拠」という解釈ができるようになるまで、私も苦労致しました(苦苦笑)

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平家物語から西行経由芭蕉に至る

2012年08月15日 | 第2章 五感と体感
去年の6月から読み始めた吉川英治著の新平家物語を昨日読み終えました。それと並行しながら平家物語を辿りつつ…。

16巻に集中するわけにはいかない中、複雑な人間関係と系図、登場人物の背景等、歴史的な出来事に関する資料や本、はたまた旅を通して、平家物語に片足突っ込んだ生活をしました。楽しい一年でした。

もともと日本人のアイデンティティというテーマを考えるにあたり、古事記、万葉集、そして源氏物語や平家物語は避けて通れるものでは無く、読まないで感想を語るわけにはいきませんし、趣味の能楽も平家物語を知らずには済まされません。

学生時代から琵琶の語りを聴いてきましたが、雰囲気ばかりに酔いしれていたようです。
ようやく自分の中で物語としてのイメージと史実が統合されたような体感を感じています。

源氏物語の光源氏と繋がるような平清盛の生育史。そして、源平それぞれの人間関係と生き延び方、落ち方、成れの果て…。歴史上、ほんとうに生きていた人々の人生の壮絶さは、それぞれに心打つものでした。

清盛逝去後の義経の生涯が気になり、京都は勿論のこと、鞍馬山、平泉、鎌倉腰越、藤沢の白旗神社と首塚を歩く中、彼の人生を祈ることも多くなりました。

陸奥の旅の機会も増えてきた中、そこで見えてくる風土、風習もこれからの学びと思索の素材となりそうです。

改めて、西行や芭蕉を追いながらいにしえの人々から受け継がれている遺伝子を考えてゆく生活となりそうです。

あとどのくらいの読書と旅ができるかわかりませんが、行脚し言霊を紡ぎながら生きていきたい理想は自分次第、だな、と心に言い含め、更に修業を続けていこうと思います。

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五感で聴く

2012年08月13日 | 第1章 意識と知覚
8月11日、山元町某仮設住宅集会所でのパラソル喫茶のお手伝をしてきました。

前日は佐賀県の看護学校の夏休みを利用してボランティアの旅をしていたハルちゃんと当日の料理のお手伝いをし、夕方から傾聴についての勉強会を行いました。多くの方に「生き甲斐の心理学」の「傾聴について」を聞いていただき、勉強し、実践されていらっしゃる方々からの質問や思いも聞くことが出来、充実した二日間でした。御夕飯を頂きながらの語り合いもありがたいものでした。

パラソル喫茶の当日は、いつもならオアシスにアレンジメントしたお花を準備していくはずなのですが、お盆の時期でお花の種類が少なく、親しい方のお家の庭に咲いているお花を分けてもらい、それを仮設まで持っていき、そこで飾ることとなりました。

ベンチでゴソゴソと準備をしている私に小学生の子供が遠巻きに見に来ました。

「お花、これに飾ってみない?教えてあげるよ」と私

「うん」

ユウカちゃんが、楽しそうにお花をハサミで切っていると、今度はレナちゃんがやってきました。

「私もやりたい」

ユウカちゃんとレナちゃん、夢中になってオアシスにお花を差し始めました。

すると、

パラソル喫茶が始まったことを知らされたおばさま方が、4人、5人と連れ添ってやってきました。

二人の子供が黙々とお花をデザインしているのを見て、皆さんも「あら、やろうかしら」と、口々に。

「家は、四畳半一間だから、テーブル置いちゃうと、他に何もおけないのよ。お線香だって火事になるから立てられないし、お花だって、花瓶倒しちゃうし」等と、言い合いながらも、馴れた手つきでお花をオアシスに差していきます。

小さなフラワーアレンジメントを「それぞれ自分の座るテーブルに飾ってください」とお願いすると、嬉しそうに中に入って行く皆さん。

初めてお会いする人とのラポールを取ることは、きっかけが必要です。
お花のお陰で、私も皆様と話をするきっかけが掴めました。

スタッフ皆で作ったお萩やシソ巻きをほおばりながら、私も仲間に入れていただきました。

五感を使って話を聴くことは、やはり、話の内容だけではないのです。話の内容から醸し出す感情を聴くことなのです。

片づけを終え、ハルちゃんと私に、わざわざお家から出てご挨拶にいらしてくださった方の、「訴える感謝の目」が、ずっと私の目に焼き付いています。

眼差しとの会話のみで、互いに特別な言葉は交わしませんでした。でも、互いに通じ合った気持が嬉しかったのは、たぶん私だけでは無いと思いました。
ささえ愛山元さんのお手伝いをさせていただき、ほんとうに良かった、と思った瞬間でした。

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傾聴のまとめ

2012年08月11日 | 第2章 五感と体感
4日間のブログ「傾聴」をまとめてみました。

「傾聴について」一日目

どうやったら話が上手に聴けるのか・・・

私にとっても永遠の課題かもしれません。

自分自身が、どのように話を聴いてほしいのか。。。
どのような聴かれ方が嫌なのか。。。

この二つを意識してみることから、傾聴訓練をしていきたい、と思います。


「傾聴について」二日目 

テキストは48ページです「人はどうしたら上手に傾聴できるか」

そこには、無防備になれるか?と書かれてあります。
無防備とはどういうことでしょう。

傾聴する側にしても同じ人間です。いろいろな経験をし、今に至っています。人間として同じ立場にあるのに傾聴者は何故無防備でいなくてはならないのでしょう。

もし、自分が悩みを持ち、他者に話を聴いてもらいたいな~と思った時、どんな状態の人に話を聴いてもらいたいですか?
そのことを思いうかべると、なぜ、「無防備」であることが必要なのかが理解できると思います。

傾聴の訓練で、まず大事なことが一つあります。傾聴する側である自分自身の「傾向」。つまり「人とのかかわりにおいて自分はどんな傾向があるか」とか、「自分の考え方の傾向は、どんなものであるか」とか、「自分の湧き出す感情に、パターンはないか?」を検証し、自己分析する必要があるのです。
そのためには、自分が生まれてから現在までの生育史を振りかえってみることが大切な作業となるのです。

自分がどんな「思考と感情と行動」で暮らしているのか。。。

その「自己の傾向」を知らずして、他者を傾聴しようとすると、きっと相手の傾向に巻き込まれて疲れ果ててしまう可能性が大きいかもしれません。

自分の傾向を受容出来ていると、軸がしっかりし、無防備さ、つまり自由自在な自分として相手の感情に共感できるようになるのです。

傾聴するということは、話のあらすじを聴きとることではありません。相手の主張に同意することでもありません。

相手の話す内容から醸し出す「感情を聴きとること」が最も大切なことなのです。

そして、相手の感情を感じ取りながら、その感情の整理が出来るようひたすら傾聴していきます。

答えは、本人が持っているのです。それを傾聴者が侵害してはなりません。

「傾聴について」三日目

昨日のブログでは、「無防備」と「感情の共感」について書きました。

今日は「あるがままに受け容れる」について考えてみます。

何故、今の自分をあるがままに受け容れなくてはならないのでしょう。

苦しいこと。
辛いこと。

できることなら、こんなに苦しいことや辛いことは自分に起こってほしくないことです。

でも、現実は変えることはできません。

理想と現実のギャップが不安感を湧きあがらせます。

このギャップが広ければ広いほど不安感が強くなるようです。

そのような状態の方を傾聴するにあたり、無理やりに「良い方に解釈しようよ、、、とか、違う見方もあるよね、」等と、相手の感情を否定するような対応をしていくと、悩む人は、「自分の話を聴いてくれてない」という思いが強くなっていきます。

そのためには、相手の言葉をあるがままに受け容れる聴き方が大事になってきます。

そして、

ゆったりと、時間をかけて、相手の紡ぐ言葉のペースに合わせて聴いていくことです。傾聴者が主導権を握り、傾聴者の考え方に相手を誘導してしまったり、せっかちに聴いていくと、不安感を持つ人は、次第に傾聴者に対し不安感が湧きあがってくるようです。

つまり、「間」を置く、ということです。

「傾聴について」四日目

無防備・感情の共感・受容・間について書いてきました。

今日は、「理解」することについて書きます。

理解する事とは、一体どういうことでしょうか?

私達は平素の生活において、色々な出会いがあります。
色々な考え方の人がいて、色々な感情の湧き出し方をする人がいて、それぞれの考え方で起す行動も様々です。
現在、地球に70億人の人が住んでいます。
その70億分の1が私であり、かけがえのない私自身の個性です。
だから、違って当たり前なわけです。

傾聴する中で、相手の考え方に賛同することが傾聴としての聴き方ではありません。賛同しなくては傾聴が成立しない、と考えていたら、それは方向性がちょっと違うかもしれません。
賛同するしないに関わらず、理解することはできるわけです。どうしてこういう考え方になったのか、どうしてこういう行動を起こすのかを理解することは、前回に書いた「無防備・感情の共感、受容」に直結しています。

そして、なにより大事なのは「人が好きか」です。

傾聴の条件の中で、もしかしたら一番大切なことかもしれません。

人を愛おしいと思い、人と関わることに喜びを持ち、人と交わることを大切に思う事ができているか。。。

嫌々傾聴していたら、相手は見抜きます。
恐々傾聴してたら、相手は不安になります。
自分の考えを主張するのは、相手を不快にさせるだけです。
思いやりを感じなかったら、相手は嫌な気分になります。

1無防備になっているか。
2相手の感情に共感できるか。
3あるがままに受け容れることができているか。
4間を置いているか。
5理解する努力をしているか。
6人が好きになれるか。

このことを意識しながら傾聴できるよう、私も日々精進したいものです。

本日、山元町の某場所にて「傾聴」勉強会を開かせていただきます。
これに合わせてロジャーズの6条件も共に勉強したいと思います。

駆け足でしたが、4日にわたり、「傾聴について」書きました。参考になればありがたいです。

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