五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

私たちの役割

2008年01月30日 | 第2章 五感と体感
カウンセリングの通信講座「ユースフルライフ研究所」は、今年で設立21年目です。

カトリックの信徒が多く勉強している団体ですが、この通信講座は、個人経営の有限会社です。

そして、ここで学ぶ勉強仲間の賛同を得て、2005年に設立したのが「NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会」です。
私たちの学びを社会に還元するには、NPOという組織が一番相応しかったのです。

以来、講師それぞれが、自分の身の丈にあった形で、「生き甲斐の心理学」教育普及活動を行っております。

・私たちのNPOの勉強会の講座生は、暮らしの中の、身近な人々が対象です。

・私たちは医者ではありませんので、長期にわたり薬を飲まれ、精神科や心療内科にかかっていらっしゃる方は、医師からの推薦を頂かないと参加はできません。

・「生き甲斐の心理学」テキストを読みながらの勉強会ですので、一対一のカウンセリングは一切行いません。「教育普及活動」です。

・言動、行動ににより、他の参加者に多大な迷惑をかける場合は、やめて頂きます。

教育活動の講師を行えるのは、「ユースフルライフ研究所」において、規定のカリキュラムを終えた者のみ。
講師の皆さんは、定期的に、勉強会に参加され、共に学びを深めております。

心の悩みは、誰でもが持つものです。
人間の本質は「不安」です。

私たちは、年間30、000人を超えてしまった自殺者のすべての方々の役に立つとは思っていません。
暮らしの中で、家族・友人・同僚が「あれ?この人、どうしちゃったんだろう。。。」と気づいたときに、この「生き甲斐の心理学」がお役に立つはずです。
自殺の原因は、複雑で、多様です。そんな中で、もしかしたらこの勉強をすることによって、生きることに意味を感じてくださる方が出てくるかもしれません。
その小さな可能性に、私たちの活動の意味を感じています。

私たちの活動のご支援に感謝しますとともに、更なる応援を宜しくお願い致します。
そろそろ、会報の季節となりました。来週早々にはお手元に届くと思います。
お楽しみに。

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原初感情

2008年01月28日 | 第2章 五感と体感
昨晩のN響アワーにN響で活躍しているビオラ奏者が出演していました。
ヴァイオリンの修行の留学先NYで、突然先生にビオラの仕事を取ったからいってらっしゃいと言われ、初めてビオラを手に取ったそうです。一音弾いた瞬間「私が生涯弾き続ける楽器だ」と感じたそうです。
司会者が「瞬時に感じたことを選択したあなたは素晴らい感性の持ち主だ」というようなことを云いました。

それを云った司会者も素晴らしい音楽家。
これから活躍する若手のホープに向けた素晴らしい褒め言葉、だと思いました。

そうなのです。
瞬間にひらめいたこと。
瞬時にかんじたこと。

それを自分の選択肢の中に入れることは、長年の経験から得たその人の感性が判断するもです。
表現することに五感は必要ですが、人生の選択することにも五感は必要なのです。

そして、本日朝のラジオ番組で、ちょい悪オヤジのジローラモさんがこんなことを言っていました。
「イタリア人の男性にウィンクされたら、自分がその男性を気に入らなかったら、むやみに笑顔を返しちゃいけません。好き嫌いを瞬時に表現しないと、相手に失礼です」と。。。

なるほどなるほど、デートする相手も、瞬時の判断が要求されるわけです。

常日頃、「好きと嫌い」を瞬時で判断できるよう、修行を積みたいものです。

ちなみに、私は、一度もイタリアで声を掛けられたことはありません。
おばちゃんからは、声をかけられます。

私の場合、まずは女を磨く事が先決かも!
すでにおばちゃんになっている私でも、可能性はあるんですから。

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沈黙・遠藤周作

2008年01月26日 | 第9章 愛
急にふつふつと読みたい情動が湧きあがり、一気に再読しました。

遠藤周作が日本の社会とカトリックと向き合い、そして日本に住む一人のカトリック信者として描いた青春の文学作品ともいえると思います。
「沈黙」と「深い河」、遠藤周作著を二冊読むだけでも、自分と向き合うには充分かもしれません。

「沈黙の登場人物は、すべて自分である。」自分の内にあるさまざまな感情、情動、行動が重なり合い、心が揺れ動くまま読み続けました。

沈黙の神、つまり、何が起ころうとも、なにもしない神。手を差し伸べてもくれず、助けてもくれない、なにもしてくれない。
それを、「何もしてくれない」と思った瞬間、そこに自分自身の「罪」と向き合うことになるのです。
だから、無力と絶望から愛を信じられず、孤独と不安に怯える人は、逆に愛を信じている人なのだと、私は思うのです。

「成すのは人の心」、と朝日新聞の連載小説、「宿神」(夢枕獏著)でも、同じ思いで読み更けました。

信じて見えてくるものは、決まり切ったものではないのです。
深い河、ガンジス川を眺めながら、変容する人の心。それを映し出す川面の風景。
そこに沈黙を感じるならば、振り子のように戸惑う自分の姿が見えてきます。

自分の姿がみえてくる。
見えてくる自分の姿から、見えてくるものは、普遍的なもの、つまり変らぬものなのだと思うのです。

だから、自分の内から湧き出る感情、それに伴う考え方、行動は、その人の個性の美そのものです。
「沈黙」を見据えながら、生き抜くことにこそ生きている意味があるのではないでしょうか。


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生き甲斐の心理学

2008年01月22日 | 第1章 意識と知覚
「生き甲斐の心理学」を教育普及する目的のNPO法人CULLカリタス カウンセリング学会の説明をさせていただきます。

東京で認証された団体ですが、正会員、賛助会員は、全国にちらばっております。

ユースフルライフ研究所のカウンセリング通信講座の一定の勉強をクリアーした講座生が、講師となり、身の丈にあったかたちで、身近な人々のための「生き甲斐の心理学」講座を展開しています。(料金等は、要相談)

講演会、勉強会を各地に出向き行いますので、HPをぜひご覧ください。
今後、「自殺防止活動」についても、徐々に活動を具体化していく所存です。

まずは身近な友人、家族、職場で、この勉強を生かして頂きたいと切に願っております。

「ユースフルライフ研究所」
「NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会」共々宜しくお願い致します。

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心の扉を開くと

2008年01月21日 | 第2章 五感と体感
先日、ロックフェラー三代目当主、デビット ロックフェラー氏の記事を読みました。
マンハッタン65丁目にある執務室の写真と御当人のお顔が載っていました。

その記事を読み、写真を見たとたん、20代前半、あまり開きたくない私の扉がぱーっと開いたのです。

博愛・自由・平等、その言葉が頭にぐるぐるとまわり、お世話になったジューイッシュ(ユダヤ人)の女性との出会いを昨日のことのように思い出したのです。

その方の故郷はスイス。元ニューヨークタイムズの記者。
もう四半世紀も前のことなので、その方はもうこの世に居ないでしょう。
タウン誌の記事を見て、ユダヤ教の教会の英会話の手ほどきを受けに行ったのが出会いのきっかけでした。

博愛・自由・平等はフリーメーソンのアイデンティティ。
その方がフリーメーソンであったかどうかは知ることろではありませんが、アジアの片隅から来た夢見心地の若者を、ほんとうにレディのように扱ってくれ、自宅まで招待もしてくださいました。
そこが確か65丁目あたり。いや、たぶん65丁目。ドアマンが二人も立つアパートメント。新緑の季節、セントラルパークがキラキラしていました。

キラキラしたセントラルパークを背に、入った室内は時が止まったように静かで、重厚で、彼女の孤独とプライドが入り混じった温かくも冷たい部屋でした。

戦後ニューヨークでバリバリ働き、老後の生き甲斐を私のように訳もわからず異国の地に来た人の手助けをし、自分の生活を惜しげなく見せてくださいました。

これが、博愛であり、平等であり、自由なんだ、
そうなんだ、と、改めて、思ったのでした。

ロックフェラーさん、ありがとうございます。

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心の予防

2008年01月19日 | 第1章 意識と知覚
私たちが活動しているNPO法人CULLカリタス カウンセリング学会は、小さな小さな団体です。

任意団体(ユースフルライフ研究所)で勉強した私たちが、なぜ、NPOを立ち上げたか、と言いますと、「暮らしの中のカウンセラー」がいかに大切な存在か、ということに着目したからです。

「何かヘン!」に気づくのは、まず身近に暮らしている人、または関わっている人です。その人が、少しでも、カウンセリングの理論を知っていたら、結果は大きく違ってくるかもしれません。

私たちは、お医者さんではありませんので、「治療」とか「直す」ことが目的ではありません。大学の研究機関でもありませんので、臨床学的なデーターに基づく見地での対応もしていません。もちろん、占いや霊視でもありません。

何をするかというと、
「自己の内にある答え」を「カウンセリングの理論(テキスト)」に基づいて共に見出していくことを時間をかけてゆっくりゆっくり勉強していきます。

「人の身体は神殿」という言葉があります。

悩んでいる時、何かにとらわれている時は、本当に苦しいものです。
でも、「答えは必ず自分の内」にあるのです。

他人の考えや意見は、あんまり当てにならないってよいでしょう。
お説教されても、説得されても、本人は悲しみが増すばかりです。

私たちは、自殺を水際で防ぐことはできませんが、「家族や友達が何かヘンだな」と気づいた人が、どう対応しようか、悩んだ時に、勉強していただけるとお役に立てると思います。

まずは、自分の不安を意識にあげ、言語化することから、私たちの勉強会は始まります。
「自分の不安」を言語化する。
意外と、言語化しにくいものです。

二月から鎌倉でユースフルライフ研究所主催の勉強会が始まります。
ご興味のおありの方は右横に記載されているHPをご覧ください。

NPO主催の勉強会も、各地で広がりつつあります。それにつきましてもHPをご覧ください。

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蘇る香り

2008年01月17日 | 第2章 五感と体感
ポストに切手のない封筒が入っていました。
御近所で親しくしている方の名前が書いてありました。

封筒を開けると、「あーー、この香り・・・」
小さな小さな袋に入れられた香料。

その香料は、去年天国に逝ってしまったヒロさんが、我が家でおブラジル土産の袋を開いて、皆に渡したものの一つ。

食いしん坊の私は、白胡椒を選びました。
未だ使えず大事に冷蔵庫に保管しています。

そういうわけで、私が香料を頂いていないことを気にかけていた方が、お裾わけをしてくださったという次第です。

胡椒や香料をたくさん荷物に入れ、少しずつ袋に詰め、私たちにプレゼントしてくれた大切な宝物。

その小さな袋の一つ一つに、彼の愛情がこめられ、そして、しこしこと自室で袋に詰め込んでいる姿を想像し、愛らしいヒロさんを想像したものです。
その時は、二度と会えなくなるなんて想像もしていませんでした。

大きなブラジルの地図を出し、サンパウロから遥か遠くのアマゾン川河口近くの町を差し、相変わらずの冗談を飛ばし、久しぶりの再会である近所のおじさん、おばさんたちにお腹を抱えて笑わしてくれたあの時のヒロさんの香り。

甘く、芳しい香りが、蘇り、香料の袋を手にしながら、涙がぽたぽた落ちました。
生きていたら、絶対にこんなメランコリックなことは、彼には書きません。
たぶん、ボケと突っ込みの会話で、照れ隠ししていたことでしょう。

香りの記憶というのがこんな切ない気持にさせるのかと思うと、私自身驚いています。
まるでそこに居るかのように蘇る。五感の記憶は、瞬間でも至福を得ることが可能なようです。

そして、今日は阪神大震災から13年。
祈りを込めて。。

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チャイの味

2008年01月15日 | 第2章 五感と体感
水をめぐる思い出を巡らしていたら、ふと思い出した味があります。
「チャイ」ネパールを旅し、ポカラという湖のある村からトレッキングをした時、ひたすら歩いた川沿いの殺風景な平坦な道にぽつんと一軒の小屋がありました。峠の茶屋といった風情です。
薪で火を焚き、鉄鍋に煮えるお茶。紅茶に生姜と山羊の乳を入れて温め、漉して出来上がり。「チャイ」という飲み物です。最近では、スタバ(スターバックス)で気軽に飲めるようになりましたが。
ネパールの田舎では、素焼の器に入れて頂いていました。
その素焼の器、飲み終えると、投げて割るのです。

二月から三月にかけてのバックパッキング。まだまだ寒い季節でした。
軽装備でひたすら歩き、そろそろ殺風景な風景に飽きてきたころ。それを知ってかころ合いよく辿り着くお茶屋さん。
黄土色の土と川。その両側には低い山があり、私たちはその川沿いの道を数時間歩きました。地図によるとそろそろ山道が近づく辺り。

ヒマラヤを少しでも近くから見たい衝動に駆られた旅人や本格的な登山をする人、村の人々・・・皆、このお茶屋で一服です。

生姜の香りが鼻にツンときて、お砂糖をたっぷり入れたチャイ。
歩き疲れ、寒さに負けそうになった時の一杯。体中の細胞が暖められ、元気が蘇ります。

鮮やかな青い空と不純物のない空気。
空を見上げて、大地を歩いたときのチャイの味は何より美味しい命の水でした。

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水の風景

2008年01月13日 | 第2章 五感と体感
5歳から7歳まで住んだ福井県大野市は、水の城下町です。
いたる所に水路がありました。
そこに住む人々の生活の営みが垣間見ることのできる水場は、幼児でありながら放浪癖のあった私の憩いの場所でした。

自分の意志で出かけることのできるようになった年頃の私は、幼稚園から戻ると、不思議な一人旅に出かけるのが日課でした。今の時代、子供が一人でふらふらと散歩をするなんて、考えられませんが、その時代も、ちょっと珍しい子供だったと思います。
子供の足ですから、行動範囲も大したものではないはずです。でも、私にとっては、不思議な旅。見るもの、聞こえてくるものがすべて新鮮で、わき立つ心の情動を私自身が楽しんでいたようです。

私の憩いの場所である水場には、夕方近くになると、近所のおばさんがたが二人、三人と集まってきます。お喋りしながらダイコンやカブを洗うのです。
私は、その光景をちょっと上から眺めていました。
おばさん方の、たわしを持つ手の動かし方が滑らかで、次々ときれいになっていく野菜たちが何だかとても愛おしく見えたものです。

生きているものと水は、一心同体です。水がなくては生きてゆけません。
先日の勉強会で、水は自分を映し出すもの、とおっしゃった方がいました。その通りです。清らかな水に出合うと清らかに心が流れ、淀んだ水に出合うと心も淀みます。

今年も豊かに湧き出す水を求めて、潤いのある日々を送りたいものです。

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命の水

2008年01月12日 | 第2章 五感と体感
大阪の池田での勉強会、第9回を行いました。月に一回に集う勉強仲間も回を重ねるごとに信頼が深まり、毎回、わくわくしながら新幹線に乗っています。

湧き出す感情を意識化すること。

感情を言葉に出さなくとも、意識化するだけで、心と体に風が通るように、水が流れるように浄化される自分を感じます。
幸福感を味わっている時よりも、不安や怒り、悲しみ、孤独感を意識する作業は、意外と一筋縄ではいきません。

さて、今回の勉強会お題は、「水」がテーマ。

≪自己の生育史を通して「水」のイメージを言語化せよ≫

幼い頃住んだ場所の清らかな湧水の思い出。胎内にいる赤ちゃんのイメージ。飲み水の研究。聖水・・・。参加者の皆さんがそれぞれのイメージを湧き立たせ、言語化し合いました。

さて、そこから、本題の「信じて見えてくるもの」に入ります。
自分が信じて見えてくるもの。そして、信じて見えなくなるもの。

あと二回の勉強会。
時間に限りはありますが、このテーマを掘り下げて、実りのある勉強会にしたいと思います。

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意識すること

2008年01月09日 | 第1章 意識と知覚
本日は、アートランドのアートカウンセリング、初日でした。

皆さんと、「今年はどんなことを意識して過ごしたいか。」をテーマに、おしゃべりを楽しんできました。

あることを意識し、それを実行し続けていると、いつしか意識せずとも自分のものとして分化していきます。良くも悪くも、です。

・・・幸福感を意識する・・・

いま、感じた幸福感を意識し、感じてみると、いつしか、意識せずとも幸福感の領域をつかむことができる事になるようです。

だから、「意識すること」は、「成りたいように成る」自分の人生舵取りみたいなものかもしれないと思うのです。

安定した感情生活なんて、あり得ません。

一喜一憂、多様な感情と解釈で、私たちは日々生活しています。

緩んだお腹を引き締めながら、信じるものに心身を委ね、「緊張感」を意識した一年を送るのが、今年の目標です。

ここ数年、ゆるりと投げ出した体と心に、負荷をかけて、もう一度、見なおしてみると、きっと、また何かが見えてくるはずです。


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新年を迎えて

2008年01月02日 | 第9章 愛
新年明けましておめでとうございます
いつもブログを読んでくださり、感謝申し上げます。

お正月、皆様如何お過ごしでしょうか。

我が家は、昨年義母が亡くなったこともあり、静かな元旦を迎えました。
ここ数年、立て続けに、衝撃的な事故、自殺、病死で、大切な人を見送ったせいか、新しい年を迎えると「今、生きている自分」「息をしている自分」を意識する習慣がついてしまいました。

今年は近所の高台に行きご来光を拝みました。
みなとみらい、ベイブリッジの左側から昇る太陽に、「生」の息吹をたくさん注がれたように思います。
古来から、太陽を崇め、そこから見えてくるものが、多様な祭儀を生み出してきました。そして、人類が移動し、環境に適応しながら、それぞれの地域で固有の文化を生み出してきました。

朝がきて夜が訪れる。そして、また太陽が昇り、月が現れ、夜空を星が照らします。そんな毎日の繰り返し。毎日、同じことをくり返しながらも、人は生まれ歳を重ね死んで逝きます。

だからこそ、変わらぬ普遍的なもののなかに、変わりゆく自分を重ね合わせ、そこから何かを見出していくように思います。

私自身、見出すものに喜びを感じながら、今年も「生きたい」と、太陽に願いを込めた年の初めです。

さて、今年も「生き甲斐の心理学教育普及活動」と「日本の文化である表装技術」
に生き甲斐を持ちながら、日々是好日でありたいと願います。

皆様、本年も宜しくお願い致します。

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