五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

生きる知恵

2008年12月31日 | 第2章 五感と体感
一年一年歳を重ねるごとに経験が学びとなり、私自身、自分の向き合いたくない傾向と向き合う機会に恵まれることも多くなってきました。

向き合いたくない自分と向き合うことを「恵み」と捉えるか、「怖い」と捉えるか。

これもまた、自分自身で判断することです。

恵みだと思えば、向き合うのもよし。
怖いと思えば、蓋をするのもよし。

湧き出す感情や思いは、今の自分に大切な意味のあるものです。
自分自身、それを否定も肯定もせずに。。。

頼りになるのはやっぱり自分自身です。

生きる知恵と答えは、自分の内に宿っているのですから。

今までの人生に無駄なものはひとつもありません。
自分の経験はかけがえのない宝物です。

2009年、螺旋階段をまた一歩踏み出すことができますように。。。

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暮れの大掃除

2008年12月29日 | 第2章 五感と体感
昨日と今日は、一気に家の大掃除。
普段しないところを掃除するのですが、年に一度、徹底的にやってしまうのが、窓のサンと、ガラス窓のパッキン。

最近は、お風呂用のカビキラーを使っています。家中の窓を全開にし、マスクをつけゴム手袋をはめます。そして、究極の掃除道具は、綿棒。。。

隙間や角は、これに限ります。

やりだすと、集中してしまい、食事の時間も忘れるほど。。。

庭を掃き清め、白いビオラを鉢に植え、ようやく、お正月を迎える心構えができました。

一年の締めくくりと始まりを自分流に浄化された家で過ごすことが、私のメリとハリです。今年は大掃除できずに終わるんじゃないかという不安感がおかげで解消されました。
今年も綿棒大活躍。よかったよかった

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あっぱれな人

2008年12月28日 | 悔いのない人生とは?
最近カウンセリング教育の仕事を通してつらつら思うことがあります。

自分の思考・感情・行動、簡単に言うと、人は常々ある考え方で生きています。その考え方は、その人の遺伝や経験〝成育史〟によって個性がはぐくまれていきます。

特に、自分とは違う考え方の人に出会うと、違いを感じた人は動揺し不安感が生じていきます。

これは、「私」という個性が「私」というものを持っている証拠なのです。

「自分以外は〝変人〟」そう教えられても、なかなか身体に沁みてこない言葉も、学びを続けていくと「ほんとにそうだ」と思えるようになります。
変人という言葉は、少々荒い表現ですが「違う」という言葉に置き換えて頂くと解っていただけるかもしれません。

半世紀近く生きてきた私自身、多くの「先生」に出会ってきました。
肌に合う先生、合わない先生、いろいろでしたが、この学びで思えるようになったことが一つあります。

それは、私の好みに関わらず、「揺るぎのない人」です。

私の成育史は、芸術というジャンルの師匠との出会いが大半ですが、「逞しく、精力的に、そして個性の美を開花している」師匠は、たいてい、この「個性」に揺るぎのない人です。

人だからゆえ、自分の個性を巡り、いろいろなことがあるのは当たり前です。

長年の経験を経て、自分の個性にじっくり座り込むと、周りが選択を判断し、ある種のグループ化が成されていきます。

昨日は、私がお世話になっている、とある音楽教室〝ピアノ・ヴァイオリン・声楽〟の発表会でした。忙しさにかまけて、只今休眠中なので、私は鑑賞者。
その教室の主宰者である先生は、私にとっての「あっぱれな人」のお一人です。

45年間の音楽教育。一番前の右端で、背筋を伸ばして生徒を見守る姿に長年蓄えた自信と達成感と品格を感じ取りました。

これからのご活躍とお教室の発展を心からお祈りしています。

長丁場の発表会をに関わった先生方、大変お疲れ様でした。
先生方の個性の美を益々花開いていかれるよう、お祈り申し上げます。

一本の柱を螺旋状に昇りながら私の道を信じて歩んでいきたいものです。

若い人たちの舞台から清浄なエネルギーも頂き、爽やかな気分です。
さーて、今から大掃除


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わけありカニ

2008年12月27日 | 悔いのない人生とは?
テニス仲間との会話は、テニスをすることだけでなく、暮らしの耳より情報を頂く場でもあります。

先日、「お正月は何を食す??」がお題となり、またまた耳より情報を得ました。

「HPで〝わけありカニ〟を検索すると、出てくるよ」
ほんの少々割れているだけのものが格安で購入できるのです。

ここ数日、新聞を開くと、「カニ」の通販の広告が目に入り、「うーーん、、、お正月は、マグロじゃなくって、カニかな」
。。。だんだんと、「お正月はカニ食べ放題」。。。と洗脳されてきたような・・・

今朝、起床してすぐにHPを開き、早速検索。でも、思いたつのが少々遅かったようで、HPでの年内配送は終了。
脳内が「カニ」づくしになってしまった私は、どうしても「カニ」ゲットしなくては、年は越せん!と、思いが一層募ります。

「カニ、どうしよう・・・」と思い朝刊を開くと、今日も一面広告が

「わけありズワイガニ」5キロ一万円。限定100個
八時から受付開始。。。こうなるとオバサンの意地は頂点に達するわけで。。。

新聞広告のフリーダイヤルに八時ジャストに電話。
固執しきった思いが通じ、限定100個、無事手に入れることができました。
31日に到着とのこと。。。

「あ~、これで年が越せる・・・」

こんなことで人生がばら色になる私は、ほんとうにオメデタイ
少しでも安い!という言葉に心を打たれる私。かなりの単純派だ。

カニ

想いが叶い、精神衛生のよい年末の数日間を過ごせそうです。

求めよさらば与えられん


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Merry X`mas

2008年12月25日 | 第9章 愛
✚主の御降誕おめでとうございます。

今日はミサに与り、「幸いなる」清々しさを体感してきました。
また一年、健やかに過ごすことが、私の目標です。

冬至から春分に向かい、陽の当たる時間は少しずつ延びていきます。

今日の朝刊に横浜のみなとみらいのクリスマスに灯すビルの明かりを三日間から一日に縮めたという記事が出ていました。
闇に浮かびあがるイルミネーションは、確かに美しいものです。
浮かび上がったイルミネーションを見て楽しむことも幸せの時です・
でも、
闇は人にとって必要な「経験」であり「時」であるように思います。
暗闇から光へと移行する流れは、人から与えられるものではなく、自分自身の内なるところから見出すものであるように私は思います。

闇のなかで光を生み出す力は、自分自身にもあるはず、ということをクリスマスという日に再確認しておきたいと感じた二日間でした。

一本のろうそくを手にし、暗闇の中で佇む自分を大切にしたいものです。

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自問自答してますか?

2008年12月23日 | 第1章 意識と知覚
源氏物語を読んでいると、お姫様は、たいていオットリしていて、奥ゆかしく、自制心があり、いちいち感情をあらわにしない。。。何かしらの楽器を嗜み、書も歌にも長けていないとなりません。しかも察しが良く、気遣い上手が理想のお姫様のようです。

理想の平安の女性像。

千年経とうが、人間の感情は変わらないと思います。不安や嫉妬、怒りや諦め、自分の身を守るため、生き伸びるため、いろいろな策を練ったはずです。

自分の性格は、どうなんだろう。
自分を棚に上げ、源氏物語を読んでいると、優雅な時間に身を置く自分が居るのです。気分は優雅でも、そこから見えてくるのは、せっかちな自分。情にもろい自分。頭に廻ったことは行動に移さないとストレスがたまる自分。怠け者の自分。。

クリスマスに向けて、
生きている自分の呼吸を感じ取りながら、自分をみる作業を今一度、楽しもうと思います。

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愛の原型

2008年12月22日 | 第3章 無意識の世界
ある場所での勉強会。

久しぶりに「愛の原型」の話題となりました。
自分が幼い頃、愛された記憶を意識化する作業です。

自分が愛だと思うものが愛。

愛の原型は、地球に住む人間の数だけあります。

Aさんが愛だと思っても、それを聞いたBさんが共感するとは限りません。
共感したとしても、その人が感じているものは同じではありません。

遺伝と環境と老化。内分泌と自律神経と免疫。
人の体と心は、それらの重なり合いで個性化されていきます。

Aさんが愛だと思う愛。
Bさんが愛だと思う愛。

それぞれの個性の美を尊重して違い知ること。
違いを知るだけで、精神衛生はずいぶん違ってくると思います。

私はあなたではありません。
あなたは私ではありません。

私は私です。

今年の勉強納めで、愛の原型と愛の孤独感の再確認。

参加者の方々と魂の「ことのは(言葉)」を交わした良き一日でした。
ありがとうございます。

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歌う・謡う

2008年12月21日 | 第2章 五感と体感
昨日は、学校のクリスマス礼拝でした。キャンドルサービスに生誕劇。大学が決まった高校三年生が舞台に立ちました。時々、観客席にいる友達に照れくさそうに眼を合わせながらも堂々と演技。。。
男女共学の良さは、こんな時に、男性役はちゃんと男子ができる、ということです。
無理やり舞台に立たされた男子もいたと思いますが、貴重な経験だったのではないでしょうか。卒業すれば、教会に縁がなくなる子も多いのではないでしょうか。でも、生涯一度の経験が、何十年後かに思い出し、人生の岐路になにか感じることがあるとすれば、今この時の経験は、その人にとって非常に尊い経験となるはずです。

この学校は毎年、クリスマス礼拝にいきなり生徒・父兄に「ハレルヤ」を合唱させる、粋?な計らいもあります。出来る人は、勝手にアルトやテノールで歌っています。わかわからずとも礼拝堂に歌声が響き、参加したことで誇りを感じます。
これもまた、よき経験です。

謡いの稽古も、だんだんと声の出し方が、分かるようになってきました。
師匠を真似ながら、素直にやっていけば、いつかなんとかなるかな~という呑気な考えですが、これもまた、経験せずして生まれるものではありません。

クリスマス。いろいろなところで、多様なイベントがあります。
気楽に参加できる合唱も良し。
パプティスト教会で賛美歌に酔いしれるのも良し。
カトリック教会で聖歌を歌いミサに与るのも良し。

今年のシメは、長年お世話になったピアノ教室の大発表会で裏方を務めながら第九に挑戦、ということになりそうです。
先ほどリハーサルから帰宅し、ちょっぴり歌うのが楽しみな気分になっています。
参加することに意味がある、です

クリスマスは、謡って、歌って、楽しもう~

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アシュラが街にやってくる

2008年12月19日 | 第3章 無意識の世界
東横線最寄りの駅に大きな大きなポスターが貼られました。
ポスターに写しだされた被写体は「阿修羅」。

「興福寺・建立1300年展」上野国立博物館にて来春開催されるようです。

興福寺の国宝館は鉄筋コンクリートの古びた建物です。寒い日に入ると一層凍えてしまうくらいの気温で、驚いたことに展示室の中に職員のためのプレハブがあるのです。しかもトイレも無し。

凍えた身体を震わせながらも、国のお宝を観出すと、自分の身体に眠っていた記憶がむくむくと起きだして、造形美の中に宿る精神性に取りつかれていきます。

こんなにボロい建物の中に、魅惑の宝が所狭しと収められているなんて驚きです。
並べられた日本の宝の中に、その「阿修羅くん」も収蔵されています。

多様な表情を見る側に見せながらも、なにか「困った顔」している阿修羅くんに、中学の頃の修学旅行以来、30数年ぶりに対面したのは今年の春のことでした。

すらりとした肢体に、あの困ったような儚げな表情は、人の持つ悲しみや苦しみを一手に背負ってくれているようにも思えます。
30年数年ぶりに再会しても、若々しく普遍的な阿修羅くん。私に宿る魂は変わることはありませんが、心と体は成長し鍛えられ、多少の学習もし、ずいぶん変化したようです。いつ訪れても変わらずに居るものに会うことは、人の内に欲する何かと会うことと同じようにも思います。

人は心と体と魂で成っているようです。

それを感じ取る時間を大切にしたいものです。

暫くの間、駅で阿修羅くんに会える私はなんと幸せ


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挨拶は大事

2008年12月17日 | 第2章 五感と体感
昨日、友人と天ぷら屋さんでランチを頂いていたら、途中から入ってきたおばあちゃんが椅子に座ったまま動けなくなってしまいました。お店の方やお客さんの冷静な行動で、おばあちゃんは意識を回復し、救急車騒ぎにならずに済みました。

その間、心配して見守りながらも淡々とランチを頂き、元通りになったおばあちゃんと笑顔で挨拶してお店を出ました。

考えてみれば、今年も挨拶なしで天国に逝ってしまった友人がいます。

ここ数年、ほんとうにいろんなことが起こり、そのたびごとに一喜一憂。
「あの時、あの人にあーしておけばよかった。。。こうしておけばよかた。。。」と悔いることはしたくないので、教訓を機に「大切にしている人には連絡取り合う」ように心がけています。
その友人とも、長いお付き合いを大切にしてきたつもりです。

「じゃ、これから天国に逝ってくるね」と言って手を振りながら別れた経験はありません。だいたい、皆、挨拶なしです。

だからこそ、平素の挨拶は大事だなって思います。

今年も大好きな大好きな私の祖父と瓜二つの神父様からクリスマスカードが届きました。
とても愛情がこもった温かい言葉が添えられていました。
頂いた言葉に悔いのない素直な感情が籠められているのが良く分かります。

心の交流は永遠の希望へと導きます。

人を大切にすることは、自分を大切にすることと比例します。

そろそろ私もクリスマスカードを方々に送らなくては。。。
それが済んだら年賀状です。。。


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自分の命を大切に

2008年12月15日 | 第2章 五感と体感
気楽な空気を醸し出す昔からの友人たちと年に一度の鍋パーティ。
その中には30年以上という付き合いの友人もいます。

互いに何を言ってもニコニコ。。。というメンバー。

30年も付き合っていれば、互いに良いことも悪いこともあるよね。
それぞれの人生、それぞれが自分自身で乗り越えてきているから、今こうやってニコニコと笑顔で会えるのかもしれません。

人生のうちで出会う人は、案外そう多いものではないように思います。

自分自身が自分らしく生きていると、ますます人を大切にできるような気もします。

「~せねばならない」に囚われすぎていると、孤独も深まります。
ふと気付いたら、ひとりぼっち、というのは、やっぱり寂しいものです。
自分の人生は自分のためにあるもの。

与えられた自分の命、大切にしていきたいものだと、鍋をつっ突きながらしみじみと思ったわけです・・・

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愛とは何?

2008年12月14日 | 第1章 意識と知覚
「愛とは何?」
私は、この問いに即答できません。

観念的には表現できないからです。

教科書もありません。

小説、エッセー等いろいろと書物には書かれています。
神様の愛、仏様の慈愛も聖書や経典に表現されています。
それらの文字を読み、想像し、共感することも大事なことです。
でも、一番大切なのは、
それを自分の心と体で感じ、「そうだ、これが愛だ・・・」としみじみ感じることかもしれません。

失って初めてわかるもの。
失ったからこそ気付くこと。
分からないからこそ追い求めるもの。

感じ、考え、自問自答すること。

生きているからこそ与えられたテーマだと私は思うのです。

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かけはぎ

2008年12月12日 | 第1章 意識と知覚
掛接ぎ(かけはぎ)
現在ではめったに使われなくなった言葉です。

膝が破けてしまったズボンを仕立て屋さんに預け、それが今日出来上がってきました。

へぇ~~わからない。。。

仕立て屋さん曰く、「かけはぎのプロがいるんですよぉ」と・・・
日本人って本当に器用・・・しみじみ思うのでした。

考えてみれば、和紙にしても掛け軸にしても、このように接いだところが判らないように仕上げる技法は、昔からの技術のひとつです。
割れたお茶碗に金を接ぐ「金接ぎ」にしても同じです。
それができるようにならなくては職人とは云えません。

表装では「布」とは云わず「裂」と云います。
そのほうが、一本一本の糸が想像できます。

私たちが当たり前のように目にしているもの、使っているもの、それらの中に秘められた高い技術に改めて敬意を表します。

傲慢にならず、見返りを期待せず、そのうえ目標を高く持ち努力を怠らず、それでいて謙遜で涼やかな顔をしている人。。。
私がそんな人になれるとは思ってもいませんが、そういう人には憧れます。

久しぶりに出合った言葉と技術に感謝。

「ブログランキングから入ってくださる方にお知らせです。現在私が加入しているジャンルは〝介護・福祉〟です。次回のブログからジャンルを〝メンタルヘルス〟に移します。今後とも宜しくお願い致します。」
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みやびな一日

2008年12月10日 | 第2章 五感と体感
源氏物語千年紀の今年は方々で催しものが多くあり、おかげ様でどっぷりと源氏物語を楽しんだ年となりました。

先日の琵琶の会では「胡蝶」を聴き、雅な宴を想い馳せ、今日は夏から楽しみにしていた「青海波」。京都の「いちひめ雅楽会」の管楽と舞楽を学習院大で観てきました。

舞ったのは、初々しい大学生。まさに光源氏と頭の中将。管楽の笛を奏でた若い男の子が、これまた柏木をイメージするような人。。。
観客は、ほとんどが高齢の方々、、、ではありますが、本日は皇太子妃もいらっしゃり、なんとも華々しい空気が漂い、若い舞楽者からは青々しい生命力を頂きました。

太極拳を想わせる舞。陰と陽がたおやかに顕れ、観る者の混沌を解きほぐす不思議な力を感じました。
足の裏、つま先、手の指の先まで、洗練された美の形が千年前にすでに完成されたものであったと思うと、私たちの今の時代は、さして変化はしていないのではないか、という思いが湧き上がってくるのです。

舞い手が横を向き、こちらに顔を上げる瞬間は、私たちが御簾を通して扇で顔を隠す情景まで浮かんできました。女性がすべて藤壺の気分になってしまったような・・・いやいや、そんな想いになるのは私だけ?

ともかく観客が全て、紅葉賀に招待されたかのよう・・・

源氏物語の年も暮れようとしています。

千年経っても二千年経っても、普遍的なものの美しさは変わることはありません。

来週は奈良の春日大社の「おん祭り」
一夜限り神様が降りてくる日です。

畏るるものを忘れたら、人は滅びてしまいます。

何かに囚われることよりも、何かを解放していく喜びに価値があるとしたら、その喜びは、畏れ敬うことから生まれてくるものなのかもしれません。

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天性

2008年12月09日 | 第2章 五感と体感
持って生まれてきた才能。
「天性」

これを感じる人は確かにいます。

自分自身が持っている天性と当の本人が巡り合えたら、こんな好運なことはないと私は思います。
自分自身の天性と巡り合えない人もいるわけです。

音楽を聴いていても、美術を観ても、天性を実感として感じる人はそんなにいません。

対象となるその先を見、身体の奥底から湧きでる感受性と想像力がその人の指先から創造されるものは、表層的なものから感じ取るに過ぎないものから比べて、何十倍も何百倍も深いものとなります。数字では言い表せられないものといってもいいかもしれません。

「何のために人は生まれてくるのか。」

そんなことを改めて問う時間を頂きました。

昨晩の琵琶の音。
鑑真和上を聴き惚れながら、白い砂利の波打つ情景が目に映り、奈良の戒壇院に佇みたくなりました。

関川 鶴祐師に感謝

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