五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

花を活けて

2009年01月31日 | 第2章 五感と体感
久しぶりに花を活けました。

誰もいない教会の聖堂に一人でいる開放感は、なんとも心地が良いものです。
祭壇の袂に活けた花を設置し、しばらくボッーとしていました。

先日夢を見ました。
〝白く輝いた空間にパンジャビスーツ(インド人の男性が着る服)のシャツが袖を広げて置いてあります。
そのシャツは綿と麻が混じったような織りのもので、水色よりもちょっと濃い青です。
白く輝く空間に広げられたそのシャツは、誰が着ていたものだということが、すぐに分かりました。でも、その人の姿は出てきません。

どうも、私はそのシャツの袖の部分を切って、掛け軸を作ってしまったらしいのです。いたく反省している私がいて、どこからか「あ~あ、、こんなに切り刻んじゃって。。。」という声が響いてきます。これも聞き覚えがあります。〟

という場面で目が覚めました。

暫く会っていなかった人に会えるのは夢の中だからゆえです

その人は天国にいるからです

忙しさと風邪を理由にちょっぴり遠のいていた教会ですが、花係りのおかげで、夢の対話ができました。

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思い込み

2009年01月28日 | 第2章 五感と体感
先日、映画の話題で雑談が盛り上がりました。

頻繁に映画を観た時期というのは人それぞれだし、各々の思い出が映画とリンクし合っているから、観た人の思い込みは、映画の内容とはかけ離れたものになっているのです。

20年以上も前の映画の「ブリキの太鼓」の話題になった時に、私は、妊婦が生のニシンを食べるシーンを思い出す、と云うとほとんどの人はそのシーンを覚えていませんでした。
いつしかそのシーンが自分の無意識に入り込み、自分が妊婦を経験した時に、にしんを見ると気持ち悪くなりました。
さりげないシーン。映像作家は、一コマ一コマを繋げて映像にしていきます。作家にとっては、その一コマに魂が宿っています。

でも、観る側は、流れる映像の「ある場所」を何らかのとらわれた気持ちによって自分なりに解釈しているのです。

先日アメリカの画家アンドリューワイエスが逝去しました。

彼の観る風景は、見たものを描いていません。いったん心というフィルターを通してキャンバスに表現します。ワイエス自身が、そのことを自分の絵画論として語っていました。リアルな風景として見える風景絵画。でもそこには自分の心が描かれているのです。

囚われた概念。簡単に言うと、「思い込み」。
それが、一歩引いて「自分の解釈」というところまで意識がいけば、ちょっとは気分が楽になるようにも思うのですが・・・

「思い込み」という言葉を「解釈」に変えてみると、すこし、客観的に自分をみれるかもしれません。





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愛と友情と温かさ

2009年01月26日 | 悔いのない人生とは?
NHKの日曜美術館で、グルジアのピロスマニの特集をしていました。

番組を見ながら20代のころ、片手間にやっていたイラストの仕事を思い出しました。
ずっと描きためていた私の絵は、牧歌的で、ヨーロッパでは素朴派といわれていた部類の絵。

昼間仕事をし、夜、依頼された仕事をする、という生活でしたが、絵を描くという行為は、私にとって食べることと同じくらい日常的なものだったから、締切が迫って寝る時間がなくても、充実した日々を送っていました。

ピロスマニの絵は、そんな私の生活を蘇らせるものでした。

グルジアという国の歴史を知れば、なるほど、こういう画家が生まれて然るべき。。。と思います。抑圧された国民が思い描いていた理想が、ピロスマニという一人の画家の生き方と一致したのです。

彼を語る人々は、皆、憧れの恋人を語るかのように顔を高揚させ、朗らかな表情となります。
ピロスマニはグルジア人のアイデンティティそのものだし、魂そのものだ、と語っていました。

二月から埼玉近代美術館で、展覧会が行われるそうです。

私自身、初めて知る画家です。
素朴で神聖な動物の絵。牧歌的な人々、風景。
描くことと生活することの境界線のなかったピロスマニは、日本でいえば山頭火みたいな人かな。。。
展覧会、楽しみです。


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対抗意識

2009年01月25日 | 第3章 無意識の世界
自分が他者と張り合う時って、どんな時だろう。。。

「私は、対抗意識なんて、持ったことがない。人と張り合ったこともない!」と、云い切る人は、あんまり信用しません。。。

先日、ドイツ製のドクターバッグと出合いました。書類の持ち運びの多い私にとっては、なんて便利ながま口バックと一目で惚れ込み、買ってしまいました。しかも、三千円なんと私向きでしょう

バッグのデビューは、都内某所。。。

地下鉄に乗り、多少混んだ車内を見渡しました。
見ていないようで見ているオバサンは、若者の持ち物チェックを怠りません。

そうしたら、居ました。
柔らかい皮のなんとも素敵な明るいベージュの鞄を持った男性。。。

私がいままさに持っているバッグと同じ形のものです。
でも、私のものは、明らかに安物。でも、布製でちょっと素敵

「うーーーん、あちらの持ち物は、かなり高価なものだなぁ~、デザイン事務所系の人かなーーー、、彼も、もしかしたら今日が鞄のデビューかも。。。」

いろいろと妄想を巡らす私。

こういうときは、偶然が重なるもので、同じ駅で下車。しかも私の行く路をその人もどんどん進んでいきます。

で、私が取った行動。

その人を追い抜かしたのです

今まで、スタスタと歩いていたその男性、明らかに私のバッグに目線が注がれています。。。

勝った負けた、というのではなく、、好みの対抗意識、、、っというんでしょうかね。。。あなたと私は、ひょっとして、おんなじ好みの傾向??というアピールでしょうかね。。。

どうも、私の対抗意識の種類には、そんな子供じみたものがあるようです。

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やり時

2009年01月23日 | 第2章 五感と体感
「子供のやる気を待っていたら、間に合わない。だから、私がやっちゃう」
これは、私にとっても耳の痛い言葉です

自分が興味のないものや、さして問題意識を持たないものに関しては、いくら先延ばしにしても平気。
これも私自身、思い浮かぶことが多々あります

自分にとって必要なものは、本当に必要な時に出合うものかもしれません。

10年前に意味を感じなかったものなのに、今は、深い意味を感じるものもあります

フツフツと湧く感情、情動には、必ず意味があるようです

体験の積み重ねから自分の中に芽生えてくる「やり時」。。。。。。
「やり時」だと感じる感性も、磨く必要があるかもしれません。
生きていると、学ぶこと多しです。

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空気読みすぎ?

2009年01月21日 | 第2章 五感と体感
空気を読む。

察することで、自我を抑える。

察し合うことって、どのくらいまで必要なんだろう?

空気、読みすぎると、呼吸が苦しくなるよ。

自我を出すことが、それぞれの受容の始まりです。
分かり合うことではありません。
相手を知る、ということです

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プロフについて

2009年01月20日 | 第1章 意識と知覚
10代のころ、私はどんな生活をしていたのだろう。

人間関係も狭くて、好きなことにしか興味を示さず、「フツー」という言葉を大いにい嫌い、自分は特別な人間だと思い込んでいました。
でも、そんな身勝手な経験が自分の成長に多く影響していると思います。

情報が簡単に手に入り、人のプライバシーにも気楽に立ち入れてしまう今日。

自我の芽生えの時期に自己と向き合うことはとても大事なことだし、向き合うことができる機会があった人は恵まれていると思います。

安易に他者が自己の心に土足で入り込むことが可能な世の中。

インターネットの世界は、リスクがいっぱいです。
それを十分に理解し対処できない未熟な年頃の子供たちが思い悩むこと、とても気になります。

自分の想いを語れる安易なツールには、逆に安易に自分の心を踏みにじられる可能性が大だということも承知してほしいな、と思います。

「リスク」を知った上で行動してほしいけれど、何かが自分に起こったら、お願いだから一人で悩まないでください。

身近に必ず信頼できる大人がいるはずです。

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何を整理するか

2009年01月18日 | 第2章 五感と体感
センター試験。
大学受験生は、今日で一つの関門を越えます。
受験生の皆様、お疲れ様

国公立を目指す人は、ほぼ、これが全てだし、センター出願した私立大学も、いけるかどうかがだいたい読めます。
マークシートの自分の答案をチェックし、淡々と自己採点していきます。

そんな様子を目の当たりにし、ふと思ったのは、
「何を整理するか。」
これが分かっていれば、大学受験だろうが仕事だろうが、前向きに乗り越えられるのだろうな・・・

心の中の問題。

自分が整理すべきところを的確に整理できれば、なんら問題がないのですが、だいたい悩みの真っただ中の時は、悩みのピンポイントなんぞ見たくもなく、衛星のように周りをぐるぐるまわるだけ。。。


「今、あなたの悩みはいくつありますか?」
これが、数えられるだけで、充分のようです。

何が問題なのか整理する一歩が踏み出せたら幸いかも・・・


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腑に落ちる体感

2009年01月17日 | 第2章 五感と体感
能の初稽古がありました。

一対一で師と向き合いながら、口伝で行います。
音(おん)を真似する。

「呂律(ろれつ)がまわらない」という言い方がありますが、呂と律は旋律のことです。

現代は音符があります。でも、はじめからあったわけではありません。

音に抑揚をつけて、云いまわしていきます。
平安時代には律師が存在していました。
謡には、楽譜がありません。定まった音を自分の口から発することに慣れるまでは少々時間がかかりそう・・・・
でも、慣れていないにも関わらず心地よいのは何故でしょう。

謡と声明とグレゴリオ聖歌。見事に抑揚が同じなのです。体に響く音の上がり下がりは、まるで測りが体内に備わっているかのようです。
昔から、グレゴリオと声明は源が同じだと言われています。

確かに口に出して初めて「同じだ」と感じました。
知識で知っていましたが、体感としての経験は初めてです。

観るのとやるのでは大違い・・・
こりゃこりゃ大変なことを始めてしまったと思いますが、自分の中にある辻褄が合っていくことを楽しんでいこうと思います。

現代の律師に憧れつつ、これまたどうなることやら・・・

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時々語る源氏物語

2009年01月14日 | 悔いのない人生とは?
寝込んだおかげで、瀬戸内寂聴訳・源氏物語を堪能しました。

日本に生まれ、日本のアイデンティティで育まれた人であれば、なおいっそう、源氏物語に表現される登場人物の「思考と感情と行動」、つまり性格や傾向に感情移入して読むことができると思います。

世界の名作と云われる所以も、日本人だけでなく、人間の持つ生身の感情に迫るからゆえではないでしょうか。

光源氏だけにターゲットを絞りながら読むわけにはいかなくなる源氏物語。

光源氏から織り成される人間関係、皇族という狭まった相関図の中から生まれる人間模様が、想像以上の壮大な物語を作り上げていきます。

そして、紫式部が描く、登場人物、それぞれの個性。

この個性が、ひとつの個性として、まるで現代に蘇ったかのように思えるほど、リアルに身近に描かれています。

たかだか千年くらいで、人の湧き立つ感情の種類に変化はありません。

シェークスピアは、人の喜怒哀楽をとことんまで突き詰めた作家だとは思います。でも、生きながらえて、死の淵まで人の内面を刻々と語りつくすことまでは、出来なかったのではないでしょうか。ところが、源氏物語は違います。紫式部の人間に対する洞察力と一つの個性を描き切る想像力に並はずれた才能を感じます。

学生時代に源氏物語を読まなかったことにはわけがあります。
その頃の私には意味がなかったからです。

その代り、シェークスピアの戯曲の中にある日本人の感性を貪るように探しました。探して繋げる。。。その繰り返しをして「私」との対話をしてきたように思います。

何のことはない。。。自分の中にある縛りを解したとたんに見えてきたものは、結局は千年の時を経ても変わらずある身近な物語だったのです。

素直になって損することは無し。。。


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言葉で伝える

2009年01月13日 | 第2章 五感と体感
なぜ、言語療法なのか。。。
なぜ、五感を感じ取ることが大事なのか。
なぜ、体感が大事なのか。
なぜ、言語による伝達が大事なのか。

今朝、いつも聴いているラジオ番組にポーランド在住の日本人のピアニストが出ていました。彼女が奏でたショパンのマジョルカに、音と音との間を繋ぐショパンの魂を観たような気がしました。旋律の中に漂うような彼女の語り口もまるで楽の音のようでした。

そんな音を聴いた後で、気功と太極拳へ。

「あーーー、かなり、体がまいっているなぁ~」という体感。
予測通り、「気」が抜けないのです。
一週間のインフルエンザ騒動で、身体の中は詰まりに詰まっています。

いつもなら、先生の声を聴きながら「ねむ~く」なるのですが、手足が最後まで温まらず、呼吸も丹田に納まりません。
これは、一日の気功では無理だと断念して、身体を流れるままに任せました。

自分では、良くなった、と思っていた身体ですが、まだまだのようです。

所作と所作。
律と律。
言葉の音と音も同じこと。
それぞれを繋げていくことで時間の中にいる個としての自分を体感していきます。

人の体は魂と心と身体で成っています。

自分の内をどこまで言語化できるか。

修行は続きます。

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幸福な国

2009年01月10日 | 第2章 五感と体感
久しぶりにブータン王国の様子をテレビで観ました。

ヒマラヤの山懐にある小さな王国です。
チベット仏教を国教とし、国益よりも国民一人ひとりの幸福感を大事にしています。

30年前に前国王が就任した時、ニュースでそれを見た私は、ほんとうにハライソ(天国)みたいな国が世界にはあるんだ、、、と感激したことを昨日のことのように覚えています。

私自身の「考え方」の礎は、その頃の諸々の興味からなっていると言っても過言ではありません。

最近、前国王が退き、息子さんが王位を継承したそうです。
身体の大きな男気のある素敵な王様です。

国の水資源で電力を売り、子供の教育、国民の医療は無料。

家族が健やかに過ごせる今の暮らしにどの人も「幸福感」を感じているそうです。

自国の宗教から道徳を学び、謙虚さを保ち、分け合う心。。。
当たり前に暮らせることに感謝する「意識」。。。

こぼれる満面の笑み。これこそが、幸福の証であろうと、この五日寝込んでだらけた身体を久しぶりに伸ばしました。

それにしても、30年前の就任式から、もう次世代へと継がれたことの時間の早さに、驚いています。
世代交代ね・・・・・


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インフルエンザになったどー

2009年01月08日 | 第1章 意識と知覚
今年もまた波乱万丈な幕開けとなりました。
今まで、インフルエンザかかるわけがない!!と強く信じていました。

ところがです。

三日に、節々が痛くなり、一日休養。
そして、五日の夜から、急速に喉の痛みが酷くなり、発熱と咳。
六日の朝にかかりつけのお医者さんに・・・

医:「今日は、どうしましたぁ~?顔色悪いねぇ・・・」

私:「具合、悪いですぅ~~」

医: 喉を診て、「うーーん、こりゃひどい。今日は二人外れたんだよね~インフルエンザ・・・最近、感が鈍ってきたのかなぁ~、、でも、これ、ビンゴかも

私「せんせー、、そんなにうれしそうに言わないでくださいよぉ~」

というわけで、検査。鼻の中に長い綿棒を突っ込まれ、その粘液を検査。待つこと10分。

医:「ようやく、本日、三人目でビンゴだよ~」

嬉しそうな先生から薬を処方していただき、タミフル初体験とあいなりました。

幻聴・幻覚には至らず、一回服用しただけで、苦しみから解放されました。

発症から三日めの今日。徐々に良くはなっています。

仕事やら諸々の場所に息も絶え絶えに電話し、キャンセル。。。
皆さまの温情に甘え、養生させていただきます。

御迷惑おかけいたしました。

ちなみに、他の家族は無事です。この場を借りてご報告しておきます。
私だけがインフルエンザ予防接種してませんでした。。。アレルギー体質は、つらいね~

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ねずみのおじさん

2009年01月05日 | 悔いのない人生とは?
正月二日、実家に行きました。
お酒を頂くので、電車で。

和やかに時を過ごし、気分よく電車に乗りました。夜の十時頃でしょうか。

京浜東北線I駅から一人の紳士風の方が乗ってきました。
背広のジャケットに普通のずぼん姿。
ドアを挟んだ斜め前に座りました。

でも、その紳士風の方の頭の上には、全長60センチくらいの魔女がかぶるような黒のとんがり帽子が。。。

私はその帽子に気を取られ、全体の姿まで把握してませんでした。
案外、いつも見ていないようで見ている家人は、やはり、ちゃんと見ていました。
その人後ろにしっぽが付いていることを・・・

しかも、なんだろう、、、不思議なレイアウトの本をめくっています。あれは、ほんとうに字なのか・・・?

横浜までの10数分、笑いをこらえながらも、各駅から乗ってくる人たちの反応も面白く見させて頂き、その方は、一緒に横浜駅で降りていきました。

やっぱり「長いしっぽ」ありました

・・・実は、そのおじさんが一番楽しんでいたんでしょうね。
顔色一つ変えず、ふつうに乗りながら、たぶん、反応を楽しんでいたんでしょう。

どう解釈するかは、もう少し時間がかかりそうですが、楽しいお正月の出来事のご報告とさせていただきます。。。

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箱根駅伝

2009年01月03日 | 第2章 五感と体感
2日と3日は、箱根駅伝です。

東京から箱根の往復。

一度、横浜駅近くで見たことがありますが、彼らは風のように、信じられない早さで私の前を駆け抜けていきました。

襷を繋げて走る姿と表情。そして、走り切った時の表情。タスキを繋げる瞬間の選手の想いなど・・・
それだけではありません。
箱根に出場するまでの道のり。

二日間の駅伝で伝わる生身の姿をテレビを見ながら感動する私がいます。

なんでこんなに感動するんだろう。

嘘のない感情と思考、そして走るという行動、それらをダイレクトに見せつけられるからでしょう。
「現象」というと少し難しい言葉になってしまいますが、「その場に現れる思考と感情と行動」がなんのフィルターも通さずにテレビの画面に現れるからなのだと思います。

総合優勝した東洋大学
目指す目標が叶わず不本意な結果に終わった大学
例年王座の地位を揺るがすことがなかったのに、とうとうシードを逃してしまった大学。
33年ぶりに出場し、襷を繋げ、笑顔でゴールすることを目標にした大学。
そして更に、個人個人の想いと目的が、怖いほど画面に浮き立たされます。

若い涙は美しい。発する言葉も美しい。集中する姿はもっと美しい。

嘘のない時間を共に過ごせる私は幸せ

年明け三日目は、こうしているうちに日が傾いてきました・・・・・


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