五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

無かったことにする

2017年05月31日 | 第2章 五感と体感



無かったことにする 2017年5月31日

「その真実は無かった。」
この言葉だけを強く強調して、言い切られると、聞いている側は、「何も無かったんだ」と、思ってしまいます。
強い立場の人に「大丈夫。何も問題ない」と、言い切られると、なんとなく心がそちらのほうに靡いていくようです。

「無かったことにする」ことを相手に思わせる事を強要することを続けていると、聞かされている相手は、最初は素直に受け入れたとしても、自分の感情が抑圧的になって、真実の感情が見えにくくなり、モヤモヤ感から始まり、そのうち体調が悪くなっていったり、突然何らかのストレスの症状に出たりすることが多いように思います。

自分だけが墓場まで持っていけば良いというような心理の善し悪しを語ろうとは思いませんが、
昔ながらの、誰か一人を犠牲にしながら、「無かったこと」にしてきたテクニックは、段々と通用しない時代になってきたようにも思うのです。

伏魔殿に呑み込んでいくことが、率いていく立場の常識であることを未だに信じている人とともに生活したいとは思いません。

無かったことにして、よりよく生きていく方法もあり、それも生きるための手段であることもあるので、一概に否定するつもりはありませんが、
「無かったことにする」ことの精神的抑圧の大きさを、改めて意識しておきたいものです。

皐月から水無月へ。
これから一か月は夏至から夏越の祓いの時期を過ごします。
せめて私自身は、一年の半分を清め改め、自分の真(まこと)を自分自身に留め置きたいと、心巡らしています。

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みかんの花とナイーブアート

2017年05月29日 | 第2章 五感と体感


みかんの花とナイーブアート 2017年5月29日

みかんの花がさぁいている~♪
・・・
メロディだけは覚えていますが、歌詞はすっかり忘れています。
小学生時代を湘南の茅ヶ崎で育ったせいか、東海道線の橙色と緑色は、みかん色とお茶の葉色だと教えられたことだけは、しっかり覚えています。

でも、みかんの実は橙色ですが、花は白色です。
5月の初旬に咲き、品種によっては五月末というのもあり、私が手伝っているみかんは、青島、大津という品種で、早生ミカンよりは遅い開花となります。

今回で6回目のお手伝いですが、やることといえば、生えてくる雑草の草刈りです。ひたすら草を刈ります。
お陰で、草刈り機の扱い方も分かってきましたが、師匠の仕事と自分の仕事を比べると月と鼈(スッポン)です。それでも、師匠の姿勢を横目でチラチラ見ながら自分のテリトリーを刈り続け、今回は前回よりも上手になった手応えは感じるようになりました。
月に一度の農家の真似事ではありますが、作物の収穫のための苦労は、やってみなけりゃ分からないものです。ほんとうに大変な作業です。
白いみかんの花の甘い香りは、蜂を呼び寄せ、蝶々が舞い、人間だけでないお友達もできて
楽しいものです。
東ヨーロッパで盛んに農民が描いていたナイーブアート(素朴派)も、作業をしながら頭に描く想像がきっと豊かに湧き上がってきたからなのでしょう。
人間の感性は、森羅万象を疑い出すと負のベクトルにいくらでも進んでいきますが、森羅万象を良き方向に信じ出すと、天に向かうベクトルにいくらでも進んでいきます。
一年を通しての仕事の合間に描く絵は、どこまでも自由に天に向いていたのだろうと、思います。ナイーブアートのぬくもりは、森羅万象の良き方向を信じている人の心の表れそのものだったことが理解できるような気もします。

足柄の山は、箱根の外輪山。東の国の砦のような土地柄も段々と見えてきました。矢倉沢の関所に近いことも分かり、足柄古道の役割も見えてきました。
草刈り機を稼働させながら歴女の私の触覚も動き出しています。
森林浴をしながらゆったりとできる温泉も見つけ、楽しみが増えつつあります。

6月は梅雨の季節です。来月は、もっと雑草が伸びちゃうんだろうなぁ~~、
溜息つきながらも、雑草力の逞しさも期待しつつ。。。。

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元気になる投影と囁き

2017年05月27日 | 第2章 五感と体感


元気になる投影と囁き 2017年5月27日

昨日は東急セミナーBEたまプラーザ校での講座でした。
昨年末から「14の防衛機制・フロイト」をテーマにし、14項目の一つか二つを一回ごとのお題にして展開しています。
昨日は、「投影」でした。

簡単に説明すると、「自分の傾向やコンプレックス、至らないところを他者のせいにすること」「怒り心頭の時に物に当たったりすること」なのですが、
自分の投影について語るには、難しいかなぁ~~と、思っていたのもつかの間、皆様のイキイキとした言霊に、自己の気づきの爽快さを久しぶりに体感しました。

気づくことの爽快さは、人生長く生きていると何度か体感するはずです。
自分のことなのに自分の真実に気づかず、他者が心配して幾度も声を掛けてくれても、なぜか気づかないことが多いのです。他者のせいばかりにしていた自分があるとき、自分の傾向に気づいたときに、なんとも爽快な開放が得られたりするのです。

「常に囁いてくれていた神様の囁きが自分自身に聞こえたときに、何かが変わる」というのは、ほんとうにそうだなぁ~と、思うのです。
常に煩く諭しても、聞く耳持たなくてはその人の腑に落ちるはずもありません。

一方、何かがうまくいかないのは、すべて自分のせいだ、と、思い込むことも、神様の囁きが聞こえてこないこともその証かもしれません。

自分に囁きかけてくる言霊の内容が、真善美のいずれかに当てはまるのならば、それが、自分がよりよく生きるためのシグナルなのでありましょう。

他者と自分の関係を、上手にくっつけたり、分けたりできるようになるには、今一度、自己の投影とはなんぞや、という問いかけを自分自身にしてみると良いかもしれません。
でも、きっと、人にはそれぞれ、囁きが聞こえる時期っていうのもあるのでしょうね。

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バベルの塔

2017年05月25日 | 第2章 五感と体感

バベルの塔 2017年5月25日

上野の都立美術館で開催中の「ブリューゲル・バベルの塔」展を観ました。

ブリューゲルは1526年~30年にベルギー北部の村で生まれています。
宗教改革の要となったマルチンルターが、カトリック教会の免罪符乱用等の腐敗に異議を申し立て、その運動が各地に広がっていったのが、1517年前後からです。

絶対的なカトリック教会から、民衆が立ち上がり、プロテスタントが確立されていく時代にブリューゲルは育ったのです。
その時代の流れとともに絵師の仕事も激変していったはずです。
カトリックでは、偶像を大事にしています。キリストや、聖母マリア、諸聖人の像に手を合わせますが、プロテスタントでは、御像に重きを置きません。
キリスト教の文化で育った人ならわかると思いますが、プロテスタントの教会は、説教台があればそれで充分です。
カトリックは、ミサという儀式の中でシンボル(キリストを象徴した聖体)を最も大切にします。
16世紀の美術は、大きな変革のさなか、絵師の描いてきた対象が民衆文化へと変化していくのです。
その時代の画家として挙げられる一人がブリューゲルでありましょう。

旧約聖書「創世記 11章 バベルの塔」は、想像を絶する細密であり、肉眼で観ようとしても、かなりの集中力が必要です。
工房で制作されたブリューゲルの作品は、キリスト教が呑み込んでいった古代宗教の意匠と寓話を彼の脳内宇宙で曼荼羅化していった、という表現が私なりの見解です。
人の五感、六感を惜しみなく吐き出すことのできる時代が、この時代であったかもしれないとも思います。
イエズス会が海を渡り、フランシスコザビエルが種子島に着いたのも、この時代です。

創世記のバベルの塔の章では、「一つの場所に人々が集まり、一つの言語、一つの文化だけで事を成そうとし、皆がそこで暮らせるよう高い塔を建築しだしたことに、神が、違う言語で、別々の場所で暮らしなさい、と、怒りを顕わにしたことで、人々は建築を放棄して、各地に散っていった」云々、と、書かれてあります。

改めてこの章を読み、バベルの塔に籠められた意味がいかに深いものであるかを再認識しました。
ブリューゲルは、バベルの塔に何を描いたかを推察するに、この時代の背景にある混沌がモチーフになっているようにも感じました。
バベルの塔を良かれと思って建設している人々は、生き生きと働き、そこで生活を営み、技術を駆使しながら、夢の暮らしへと塔を高く伸ばしていくのです。まさに、現代に生きる私たちそのものの投影ともいうことができます。
でも、一つのことに頑なになればなるほど、他を受け入れる許容力や他を知ろうとする知性
も低くなり、興味を持つ情動さえ削がれていきます。

国境という見えない境界線に、塀を建て、都合の悪いことには耳をふさぎ、自己の利益を企て、金ぴかのタワーをより高くしようとしていること自体が、バベルの塔よりも悲惨な末路の物語かもしれません。 
歴史は繰り返され、忘れたころに、天から怒りが落ちてきそうな、そんな時代に生きていることに意識を向ける時期が来ていることに、そろそろ気づかなくてはならないようにも思います。

地球上に完成形として高々と聳え立っている現代のたくさんの塔は、果たしてバベルの塔であるのか?
私には、わかるはずがありませぬが、きっと遠い将来、誰かが解析することになるのでしょう。
私には「2001年宇宙の旅」の映画に忽然と建つ金属板のような塔とバベルの塔が重なると思えるのです。

奇しくも昨日、某国のリーダーとフランシスコ法王が会談しました。
互いの言語が理解しあえたかどうかは、フランシスコ法王の素直な表情で読み取ることができたと、解釈しています。かみ合わない互いの表情が印象的でした。
彼は、フランシスコ法王の書いた「回勅 ラウダート・シ」を読んでから会談に臨むくらいの最低限のマナーを実行すべきでした。

バベルの塔から離散した人々が、それぞれの文化、言語の違いで互いに共感し合うための努力と成果を、今この時も天は見守っていることでしょう。


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情動の絵画 アドルフヴェルフリ展所感

2017年05月24日 | 第2章 五感と体感


情動の絵画「アドルフヴェルフリ展」所感 2017年5月24日

ある日、鉛筆を持たせると一日に一本の鉛筆を使い切るほど描き出した。

20世紀前後の時代に生きたアドルフ ヴェルフリの展覧会を観ました。

彼を知らない人は、何のインフォメーションもなく観たほうがよさそうです。
何も知らずの私も鑑賞をした後にアドルフ ヴェルフリの経歴をじっくりと読みました。

心理学という学問が体系化されてきた時代に生きた一人の人間が、一本の鉛筆と新聞紙用の紙で壮大な世界を描いたのです。
医師や心理学者の研究事例対象にもなり、一人の人間の尊厳を中心に据え、その人が見えている世界を隔てることなく育む環境を与えたのです。

私が学んでいる宗教心理学の見地からも臨床事例として改めて繋げることもできました。
その概念から彼の作品を見ていくと、私自身見えてくるものがありました。
ここで私がその概念を書く立場ではないので、書くことはできませんが、
簡単に説明すると、
成育史上の素地となっている抑圧的な信仰の概念と彼が実際に経験してきた事象と心の動きが、いつの間にか創造主という一人称へと変換されていくのです。
幼児期における愛の孤独感が、愛そのものの神を支配者=私=全知全能者として無意識にすり替えているところが、彼の統合であることを、感じ取ることはできました。
私と他者との混同だけではなく、私と事象をも「私」に含まれていくことを「私は一人の人間である。私以外の誰でもない。」という概念を絶対的に思い込んでいる人がいたとしたら、不快感を感ずるかもしれません。

絵だけを見ていると、ケルズの書を思わせます。
搾取的でない意匠性とその連続性は、ある意味人が生み出したシンボル「象徴」の原点であるようにも思いました。
カエサルの時代からケルト人が追われ、神聖ローマ帝国になっても追われ、アイルランドにケルト文化と精神性が、カトリックに交わりながら留まるわけですが、その時代をまるで知っているかのような回帰を感じました。
「私が見えているリアリティ」をロジャーズの理論で体得しようと学んでいらっしゃる方々にも見ていただきたい展覧会です。
中途半端な所感ですが、こんなことをつらつら思うのでした。この辺でペンを置きます。

東京ステーションギャラリーにて6月18日まで

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24節気72候 蚕起きて桑を食む

2017年05月23日 | 第2章 五感と体感



蚕起きて桑を食む 24節気72候 2017年5月23日

5月23日あたりは、24節気72候では、蚕起きて桑を食む 「蚕起桑食」候です。

絹糸の蚕は、艶やかな白でとても美しいのですが、粉吹きの白さの幼虫は少々苦手です。
通っていた小学校の校舎の裏側が桑の林だったので、理科の授業で使用したお蚕さんを育てるために自宅で誰かが管理しなくてはならず、家が近い私はいやいや持たされ、買う羽目になりました。でも、桑を食むお蚕さんを見ていると、段々と情が湧いてきて可愛いと思うようになったことを、この季節になると毎年思い出します。
小学生の時は、大人になってから絹を扱う事するとは思いもよらず、桑を食むお蚕さんを見つめ続けていたものです。

梅雨の少し前の初夏の時期は、ぐんぐんと緑が濃くなり、生命の強さを感じます。
近所のどの草木を眺めても、のびのびと育つ伸びしろを感ずるので、開放感をもらっています。

絹糸を作り、それを布にする織りの作業は、大変手間がかかるものです。
時間をかけて作る割には、作り手には相当の報酬は与えられません。
職人とはそういうものだ、という数千年の慣例が、今の経済の体系の素地だとすると、不公平な気にもなるのですが、人間に備わっている学習して工夫する情動と働く習慣は、生業を得るための手段だけでなく、働くことの生き甲斐がそれに勝るようにも思うのです。

「生きるためにいくら必要か」に囚われるよりも、生きるための職業に喜びと誇りを持てるよう精進したほうが楽しい人生が送れそうな気もするのですが、フェアトレードのアンバランスは、やはり問題あるな、と、、

12兆円の武器の商売を堂々とやってのけた某国のリーダーを考えたら、千利休なんて、可愛いものだ、、、と、思ったり、
一本の糸のためにシルクロードを往復した商人に思いを馳せつつ、
鉄砲持って種子島にたどり着いたフランシスコザビエルをふと思い出したり。。。

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個性の受容

2017年05月22日 | 第9章 愛


個性の受容 2017年5月22日

自分の傾向を他者と比較しようとしても、他者がどう見えて、どう捉えているかが分からないため、自分と他者との違いを具体的に知ることは難しいものです。

パースナリティ理論のカールロジャーズは、そこに着目し、「私が見えているもの、捉えているものが私の真実である」ことを理論化していきました。

私が見えているものが私の真実であることを私自身が否定してしまったら、自分の真実が何だか分からなくなり、混乱していきます。
混乱すればするほど自信が無くなり、他者との交わりが億劫になっていきます。

他者と比較してみたことで、見えてくる自分の個性が、生まれながらのものなのか、成育史上の環境のものなのかは、自分自身でも分からないかもしれません。

幼いうちに「○○障害」と診断されたことで、自分の個性を「○○障害」で決めつけてしまうことで個性の美の生育を頑なな概念で固定してしまうことも怖いことだとも思います。
その一方、長年自分の個性の事で悩み続けていた人が、○○障害という存在を知ったことで持って行き場のない苦しみから解放されることもあるのです。

医師の資格のない者が、勝手に病名を付けることは法律違反となります。
昨日、ある特集番組を見て、傾聴を目的として、関わる者が、狭い概念で仮説を決めつけて関わることは危険な事だと、改めて身を正しました。

聴く側の立場は、関わる人の個性を大事にしつつ、その人の個性の美しさを愛しむ事であることを再確認して見終えました。

医学の世界もどんどん変化し、研究している様々な事例の解明も、日に日に進んでいっているようです。
医学の世界は進歩していても、傾聴する私達の役割は聴くことから外れてはならないことを書き留めておきたいと思った次第です。

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梅雨支度

2017年05月19日 | 第2章 五感と体感


梅雨支度 2017年5月19日

皐月晴れを有効に使うべく、家に居る日が晴れてくれるとほんとうにありがたいものです。
昨日は、厚手のシーツやセーターを洗い、お天気を気にしながら干しましたが、生憎の雷雨で、家の中に取り込まなくてはならない事態になり、、あともう少し干したかったな~~、と無念の気持ちを残しながら一日を終えました。

雨が降った後は、草木がぐんぐん伸びます。
今朝、雨戸を開けて庭を見ると、昨日よりも明らかに伸びた萩に、心弾みました。
百合も昨年よりも多く芽を出しています。
あちらこちらに生えてきた水引の葉も大きく育ち、夏の庭の準備が整いだしています。

梅雨はうっとうしく嫌な気候ではありますが、草木にとっては恵みの水。
ゲリラ豪雨は好ましくありませんが、今年の梅雨はほどほどの雨を期待したいものです。

人間の私も梅雨前のやるべきこと済ませて、どんと構えて梅雨の季節を過ごしたいものです。
今日は夏日になるとか。

午前中は上野の動物園の横を通り、パンダのお身体を案じつつ、都立美術館にて搬入です。
午後は雪谷東急セミナーでの講座があります。
汗かきかき、頑張ってまいります~。
大型連休明けから、少々落ち着いてきた週でもあり、調子を整えて、梅雨支度をしたいものです。

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寝る子は育つのよ

2017年05月18日 | 第1章 意識と知覚

Photo:サクレクール

寝る子は育つのよ 2017年5月18日

ラジオの深夜放送最盛期の頃、私が小学校高学年から中学、高校の途中までは、AMラジオをよく聞いていました。高校に入る頃には、FMラジオやウォークマン時代となり、AMラジオから遠のいていったように記憶しています。
夜な夜なそんな生活をしていたので、昼間眠いのは当たり前のことです。
高校生の頃は、昼間の睡眠が頼りでした(笑)

今は、スマホでのあれこれに没入したり、深夜のアニメを見入ったり、ゲーム三昧だったり、と、内容は違えども、夜中の魔力は蜜の味~♬であるには変わりません。
夜中に起きているということは、ちょっと、大人になった気分にもなり、自分と他者の関係において、誰にも妨げられず、自分を優位な位置に心おきなく置く時間帯でもありましょう。

でも、
やはり、体のためには良質な睡眠を取るには、寝る直前までスマホをいじっていると、その内容によっては頭の中が興奮状態だったり、気になっていることが残存していたりして、寝付けないどころか、寝ても寝ても眠たくなってしまいます。

保護者や学校から注意を受けても、たぶん、どこ吹く風~♪でありましょう。
どこ吹く風~♪で聞く耳を持たない状態は、まだまだ子供の証拠です。
自分の役割を怠るのは自分の責任ですが、怠ることで単位が足りない、と、慌てても時すでに遅し、、、の場合もあるのです。

世の中そんなに甘くなーいのです。

高校生になると自己責任が問われてくることを、忘れてほしくないな~~
将来の大きな反省と後悔を作らないよう、祈るばかりであります。
でも、その経験が、その人にとって幸せをもたらすかもしれず、私が操作する立場でもないので、何とも言えません。
そういうわけで、私自身、必死に説得する立場でもないので、ここで、静かに呟いておきます。

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折り合いをつける

2017年05月17日 | 第2章 五感と体感

photo:Louvre

折り合いをつける 2017年5月17日

素直に自分の好きと嫌いを振り分けて、発信し続けるばかりでは、たぶん、折り合いをつけるのは至難の業かもしれません。

好む
好まない

好き
嫌い

生まれてから時が経っていくと、徐々に自分以外の森羅万象が見えてきます。
そんな経過の中、
好きと嫌いだけの判断で生きていたら、とても生きにくさを体感することになります。

好きだから良い。
嫌いだから悪い。
というような図式だけで、人生を過ごすことは難しいかもしれません。

「私は、あなたを嫌いだから、あなたは悪い」
と、常に安易に口にする成人に出会うと、未成熟さを感じます。

感情の原型である「好き」「嫌い」・「怖い」「怖くない」という判断は、年を重ねるにつれ、複雑になっていき、段々と、それらの感情を何かで覆いつくしていくうちに、ストレスが深くなるほうが、もしかしたら健全な年の重ね方なのかもしれません。

「自分を不安に貶める人は悪だ」
という思いが強すぎる場合、幼少期における何らかの経験が強くあるから故、その不安の感情に強い恐怖を感じるのでありましょう。

国家を担うリーダーが、世界各国でそんなことを言い出したら、たまったものではありません。
「好き」と「嫌い」だけで判断していたら、自己の中に知恵が育たないのです。

嫌いなことに心身を注がなければならないときに、自分の中でつける「折り合い」のパターンを健全な方向に構築する訓練が幼い頃にできていないと、他者をないがしろにしていることに気づかない人生をおくるかもしれません。

世界の動きを眺めつつ、
幼児化した動きに靡いてゆかないよう、成熟した折り合いとは何かを思索できるリーダーを期待したいものです。

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すぐに怒り出す人

2017年05月16日 | 第1章 意識と知覚

写真;ウィーン ハプスブルク家聖堂にて

すぐに怒り出す人 2017年5月16日

前々回の続き。
会話にならず、すぐに怒り出す人が身近な存在だと、怒られるほうはもううんざりです。
怒り出し、相手の技量をけなしたり、否定したり、そのうち、相手の存在までが無意味だと言い出したり、ターゲットが定まると、徹底的に苛め抜いたりします。

ターゲットにされた人は、たまったものではありません。
否定され続けていると、段々と本当に自分が能力のない人間だと思い込み、自分自身を否定していくのです。そのうち、自ら命を絶ってしまうこともあります。

自分を諫める前に、相手が変であることに気づくことは、希望の光に繋がります。

相手の言うことを否定し、ケチをつける。
すぐに罵倒する。
すぐに怒り出す。
相手を称賛したかと思うと、一転してこき下ろす。
自分が希求することにしか興味がない。
常に注目され称賛を浴びていたい。
搾取性が強い。
相手が感じていることを汲み取ることまで意識が至らない。
等々、、、、
(「生き甲斐の心理学」「DSM-IV-TR」参照)

上記に複数該当するとしたら、自分を諫めるのを止めて、相手のほうが変であることを自分自身に囁いてみてみると、否定的な自分から開放されるかもしれません。
相手を変えようとしても、共感する心の動きが無い相手では、変わろうはずがありません。
変な相手を可哀相だと思い、好きになろうとするよりも、相手のことが苦手だと思う自分自身を肯定することのほうが大事な事でありましょう。

それよりも、自己肯定感を蘇らせたら、上手に関わる術を身に着けるほうが得策であるようです。

昨日の勉強会では「愛」がテーマでした。
自分がどのように保護者から愛されて育ったかを再認識する時間にもなったかと思います。
難しいテーマましたが、我が子の愛し方と、自分の成育史上の愛され方とどのように愛されたか(関わりたいか)という欲求を改めて思索できたかと思います。
難しいテーマでしたね。お疲れさまでした!

変な人のことは、ひとまず棚に上げ、
自分自身の平和を大事にしていくと、自分の平和が家族に伝わり、職場に繋がり、現実を吟味する力も同時に育まれてゆくはずです。
まずは、御身を大切したいものです。


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24節気72候 たけのこ生ず

2017年05月15日 | 第2章 五感と体感


24節気72候 「竹の子生ず」

24節気72候によると、5月15日から20日あたりは、「たけのこしょうず」だそうです。
4月末に足柄のみかん山で竹の子堀を愉しみ、初めて自分で収穫する体験をしました。
西行法師が家督を弟に譲り入った寺が、京都大原野の勝持寺と言われています。其のあたりの土は白味噌のような色をしているので、竹の子もやんごとなき色合いの竹の子なのです。そのおいしさと言ったら格別でした。6,7年目に訪れた際、箱に入れてたくさん送っていただき、一生涯分食べ尽くした感があり、以降必要以外食していませんでした。でも、今年は自分で採った喜びが勝り、竹の子を久しぶりにたくさん頂きました。
このところの雨で、足柄のみかん山の竹の子もまだ生えていそうですが、これ以上いただくと、竹の子アレルギーになりそうなので、やめておきます。

京都では葵祭。東京は神田祭が終わり、三社祭です。
田植えが終わると方々の地域で祭りが行われます。

節気の循環を暦を捲りながら、確かめていくことを長年続けてつつ、温暖化が進むにつれ、天候の激しさを感ずるようになりました。それでも、日本の持つグラテーション的な季節の移り変わりは変化を感じる中にしっかりと普遍性を持っているように思います。

雨季のプロローグ。
樟やクリの木の新緑で鼻ががムズムズし、臭いの強さに耐え切れず、息を止めながら木の前を走った小学生の頃も思い出され、「匂い」の記憶を昨日のことのように蘇るのです。
この匂いを嗅ぐと、雨降りの湿気が結びつくから不思議です。

奈良の鹿は、毛の生え変わる季節です。
東の国から西の都に思いはせ、週明けからの仕事に入ると致します。

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相手が変だ

2017年05月13日 | 第3章 無意識の世界


相手が変だ 2017年5月13日

こんな人が、職場にいたらどうでしょう。。。
自分よりも弱いと感ぜられる他者を、面と向かって非難したり、猛烈に怒ったり、搾取的に貶めたり、、、
時を経て、それが重なると、部下や同僚の心身がどんどん病んでいきます。

テキストやDSMをお持ちの方は、その個所を読んでいただけると幸いです。
「生き甲斐の心理学 P6~P23」
「DSM-IV-TR 発行:医学書院 P233」

まるで、何をやっても相手から強く否定されていくと、ますます自分が無能でないかと思え、萎縮していきます。やられる相手は取り付く島もありません。気づくと、自分自身、誰とも会いたくなくなり、何もする気が無くなってしまいます。

相手の人格を勝手に特定することは、絶対にやってはいけないことですが、自分の生命を守るために、知識を得ることは大事な事です。

上記の本を読んでみると、
自分のせいではなく、相手が変であることに気づくこともありそうです。

相手の異常性に気づくと、自己否定でうんざりしていた自分を取り戻すきっかけになるかもしれません。

自分のストレスを他者に聴いてもらうだけではなく、「相手を知る」ことは、もしかしたらほかの何よりも即効性のある特効薬であるかも。。。

「相手が変だ」
と、思える余裕を持つことも学びの一つです。

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古来からの手法

2017年05月11日 | 第2章 五感と体感


古来からの手法 2017年5月11日

天平時代の色の再現を試み続けている番組を昨晩観ました。
4代目の故吉岡常雄さんの頃は、高度成長期の真っ只中であり、ヨーロッパの産業革命、そして、日本の明治維新以降、質よりも量を賄うことが先決で、化学染料が中心となっていきました。4代目がその状況に危機を感じ、染めの原点に立ち返り、そこから現在の5代目がその仕事を研究し貫き通してきたのです。
4年前から6代目になるお嬢さんが染めた紅染めの和紙を奉納し、東大寺修二会の椿「糊こぼし」に使われています。
1987年に出版された「別冊太陽・源氏物語の色」は、4代目が文章を書いており、私のバイブル的本として大事にしてきました。
昨日は、別冊太陽を捲りながら、番組を堪能させていただきました。

英国博物館が56色の染め物を永久保存することとなり、仕上がった反物を手に取るイギリス人のキューレターの美しい感性に心動かされました。
その様子を見ながら、私は、「真善美のどれかから思索する」という概念を私の心理学の師匠に教えたオックスフォード大学宗教心理学の教授の言葉を思い出していました。

私自身、四半世紀にわたり、正麩糊だけで仕立てる表装を習い、まだまだ修業の身ですが、やればやるほど、本物の手すきの和紙が恋しくなり、其の相性を確かめるべく、材料にどんどんとのめり込んでいます。
修復以外、ほとんどの工房が科学糊に切り替えられているのを知るたびに、本物を扱う職人の手が消えていくのを感じてしまうのです。
最初から科学糊を使ってしまうと、正麩糊が扱えなくなるので、頑なに正麩にこだわり続けています。
たまたま美大の同窓生が正麩糊だけで表装する工房を持っており、それが希望になって孤独感が薄れているのは確かです。

古来からの手法が、いつか役に立つことを意識しつつ、低空飛行でもやめたらおしまいだと心に決めて、作業を淡々と続けようと、番組で力を頂いた次第です。
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古墳好きの選択肢

2017年05月10日 | 第2章 五感と体感

長屋王の古墳・奈良

古墳好きの選択肢 2017年5月10日

ローマ帝国、ケルト人と移動、神聖ローマ帝国、オスマントルコ、それらの民族と国々の戦いと勝敗が、ヨーロッパの国々を分化させつつ、4世紀あたりからキリスト教が各方面に広がり、統治と同時にそれぞれの場所の文化・宗教と交じり合い、ひとつのカタチとなしてきたことが文化という個性になっています。
日本も然り。
大陸から海を渡ってやってきた民族、そして遣隋使、遣唐使がもたらした文化・学問・宗教等の様々な知恵が今の日本の原型であり、各地にある権力者たちの古墳からその名残を感じ取り、知ることができるのです。
4世紀から6世紀にかけての古墳時代と言われている時代に造られた古墳の前に立つと、地霊のような気を頂き、私自身のDNAを呼び覚まされるような開放感的な体感を得ます。
有史以前の古層があってこその私であるので、多くの情報を持ち備えて生まれてきたはずであってもその情報を私自身が知ることはできません。
ただ、古墳の前に立つと、ふつふつと湧き出す無意識の情報が動き出すようなむずがゆさを感じたりするので、その体感を感じたくて時々ふらりと古墳の前に佇みます。
時には人がいないのを確認してから、太極拳をします。

前方後円墳だけが古墳ではなく、天武天皇の頃には、多くの権力者が大きな古墳を造るのをやめさせ、丸いぽっこりとした小ぶりな古墳を造るようお触れを出したそうです。
関東でもたくさんの古墳群があり、神奈川に住む私が一番身近なのは、多摩川の荏原古墳群となります。品川神社を起点に、多摩川を沿い、府中あたりまで数多くの古墳があるのです。
特に身近なのは、東急東横線の多摩川駅。そこは前方後円墳の真ん中を分断した位置に駅が建ってきます。浅間神社は古墳のてっぺんにあり、そこから二子玉川にむかって小さな古墳が並び、田園調布の先のほうに蓬莱古墳という前方後円墳があるのです。
東京方面に出かけるときは、かならず多摩川台公園になっている古墳群を眺め、呼吸を深くして、気を鎮めるのです。電車に乗りながら、そんなことをしているのは私ぐらいかと思いますが、もし、同じことをしている人がいらしたら、お友達になりたいものです(笑)

フランスも韓国も大統領選が終わり、それぞれの選択肢に進んでゆくことになります。
一方、我が国をひっぱる人がどのようなアイデンティティで進んでゆくのかが、上澄みだけしか見えないので、不安がよぎります。
私たちの祖先が経験を経て選択してきた諸々を、うわべの都合で簡単に変えていいものかは、どんなものなのでしょう。多摩川駅の古墳には、北条政子が建立した浅間神社があります。古墳の頂上に建てた神社からは富士山が望めます。意味深な古墳なのです。
何を上乗せして、後世に繋げてゆくか。。。考えさせられる一週間でした。
地球の気候と生態系のバランスを祈りながら、何を選択して行くかを見守りたいものです。

多摩川の古墳に眠る権力者は、まさか自分が亡くなった500年後に神社が建ち、さらに800年から900年後に線路と駅で分断されるとは知る由もありませんよね。
それが歴史を知る面白さでもありますが。
人間ばかりが、地球の主役でないことを心にとめて、私のアイデンティティの統合を図っていたいと思うのです。
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