五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

電車で化粧する女性を推察してみると

2012年06月30日 | 第2章 五感と体感
電車の中は、一方的に異文化を見せつけられる場でもあります。
勿論、私が起こしている行動や姿形(すがたかたち)も他者にとっては異文化の対象です。

やるべきことの連鎖の日々を過ごしているため、唯一ゆったりと読書ができる場所が電車です。なので、読書をしている私を見ている他者にとっても私の読んでいる行為と姿形は異文化の対象となるわけです。

上下黒の服を着て、ボイスレコーダーをイヤホンつけて聴き、バッグから謎の長い袋(扇)が飛び出し、文庫本を読みふけているだけでも、観察の対象者となるのです。

昨日、そのような格好で電車に揺られていると、途中から乗ってきた女性がおもむろに化粧を始めました。時々見られる光景なのですが、隣に座られるとただのウザい対象でしかありません。10代の女子ならともかく明らかに30代の女性です。

そのようなわけで、気持悪くウザいと思う私は本を読むふりをしながら、何故私がウザいと思うのか自己分析をしてみたのです。

「鏡の中の自分の顔を見つめ真剣に化粧する行為を人前に見せる」という行為を隣で窺いながらあることに気付きました。
私が感じてる妙な不快感は、電車の中で痴漢行為をする男性を見て嫌悪感と不快感と吐き気を感じる体感と感覚に似ていることに気付いたのです。

もしかしたら無意識に「公衆の場で自分の裸を見せたい」ことが現象となって表れているのではないでしょうか?
年齢的なものも関係ありそうです。10代くらいの女子は、単に意識もせず自分の部屋のように公共の場をしようしているに過ぎない感じがします。でも20代30代と歳を重ねるにつれ、自分の姿形を他者からどうみられたいかという理想に段々と近づいてくると一定した個性として、他者に認識もされるようになってきます。
歳を重ねてきた女性が、電車の中で化粧をする、という行為は、その行為の背景にある象徴的な現象であると捉えてみると、その人にとっての防衛機制が推察できてくるのです。

他者を観察して妄想が湧いてしまった私を止める事はできません(笑)

電車で化粧をする女性をそのように捉えてみると、なんだか女性版の痴漢行為に見えてきました。。。とはいえ、マスカラ握っている手をいきなり掴み「何してんのよ!」とは言えませんが(笑笑)

他者にどんな不快感を与えるかということが解って化粧行為をしているとしたら、それは愉快犯とも言えるでしょう。

ちょっと辛口でしたが、御勘弁ください。

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電車の中吊り広告

2012年06月29日 | 第2章 五感と体感
昨日、混雑した電車内でふと上を見上げると、赤い光沢のある活字が目に飛び込んできました。

「金に殺されるな」というコピーです。
何の広告か全く解りませんでしたが、全くその通りだ…、と思いました。

食べていくためのお金は必要です。

何の仕事をしてお金を稼ぐかも大事な生き方の一つです。
自分の稼ぎの金額を目標にすることも目的の一つでありましょう。

でも幸福の条件と幸福感は違います。

日々感じる幸福感を改めて意識してみると、いったい自分には何が最低限必要なのかが見えてくるはずです。

「自分はどう暮らすか。自分はどう暮らしたいか。」
このイメージ力が、自分を生かしていくことを忘れてはなりません。

イメージすること。想像してみること。
そして、そのイメージを言語化してみること。
言語化したことを行動に移すこと。
この三つのプロセスは自己実現へのステップだと習いました。

幸福感を大切にしたい自分はどんな暮らしをしたいのか。。。
イメージすることから始めてみませんか?

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自分の力で相手を変えられない

2012年06月28日 | 第2章 五感と体感
自分の事を解ってもらう、ということはどういうことでしょう?

自分の事を解ってもらう。。。何を解ってもらいたいのでしょう?

相手の問題なのか?
それとも自分の問題なのか?

他者を自分の力で変える事はできません。

自分が頑張っている姿を他者に見せたところで、それは焼け石に水でしょう。

相手が頑張ることを要求している事と同じです。

「自分の姿を見せる」ということは、自分の姿を見せつけ、自分がお手本になることではありません。

昨日のブログに書いた用語「アイデンティティの統合」が取れている状態の自然体な自分、つまり自己受容・他者受容している自分を気負うことなく要求することなくそこに居るだけでよいのだと思います。

「他者に自分の姿を見せる」ことは、他者に解ってもらうための行為ではありません。

ありのままの自分で居ることが自分のアイデンティティの統合に繋がり、アイデンティティの統合がはかられている人の傍に居る人は、自分の防衛機制や心の揺らぎを感じ取りながら現実吟味力を測ってしていくようです。

変わってもらいたい人の心を撫でることよりも、変わってもらいたい人を信じる事が、傾聴の基本であるように思うのです。

変わってもらいたい人が病んでいるのではなく、変わってもらいたいと要求している人のほうが病んでいることもありそうです。

映画「シックスセンス」を再び観たくなりました。

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アイデンティティの統合

2012年06月27日 | 第2章 五感と体感
ひとつのコミュニティに安定した人が一人居ると、何となく納まりがいいのです。

いつも同じパターンで不安になり、錯乱して不安定になる人がいると、納まりが悪くなります。

つまりアイデンティティの統合に揺らめきが少ないと落ち着いた気分になり、アイデンティティの統合に大きな揺らめきがあると不安定になります。不安定になるどころか錯乱気味になったりします。

錯乱状態の人に惑わされ、いっしょになってワラワラするほど、バカバカしい事はありません。

バカバカしいと言っても、影響を受けるのは当然のことです。

できることなら、少なくとも自己のアイデンティティの統合の意識化くらいはしていたいものです。

人は成りたい人に成るそうです。

自分の信条や信念、信仰等、自分の柱となるものを一つ信じているとそれが安定感へと導いてくれるはずです。

自分の核とは何ぞや・・・
梅雨の中休みに爽やかに思い巡らせること自体が生きる力に繋がりそうです。

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何が解らないかが解る時

2012年06月26日 | 第2章 五感と体感
どんな習得事でも上っ面はなぞることが出来ても、それを長く続けない限り真髄は見えてきません。

自分がどんなに語ったとしても浅さは他者に伝わります。

何事も何かに喰らい付いたとしても10年が目安かな、と思っています。

あれこれと学んでいるうちに、学ぶことの面白さが解ってきて体得が成されてくると、そこでようやく自分が何が解らないのかが解ってくるのです。

何が解らないかが解ってくると、自分の身の丈を知ることになります。そうなるともっともっとという欲が出てきて、学びの範囲が広く深くなっていきます。広く深くなってくると、益々学びたくなります。

自分自身が一つの事に集中し、自分が何が解らないかが意識化され、言語化できてくると、もやもやしていた部分がすっきりとしてきます。
つまり、どこの部分がもやもやしてこんがらがっていて、どこの部分が整理整頓されているかが見えてくるのです。

いくら長く続けていても、真髄はその先に遠のいていくのが「道」の世界であるように思います。
でも、それを求める自分の行為に喜びを感じたなら、もしかしたらそれが自分の生き甲斐であり、生きる目的であるかもしれません。

自分自身の魂と心と身体を大切に慈しみながら、互いに学び合っていきましょう。

保護者の皆様との一学期の勉強会が昨日でひと段落つきました。午後も多くの方が参加してくださり、ほんとうに有難く思います。9月にお会いできるのを楽しみにしています。

7月8月の公開勉強会予定
7月3日は腰越勉強会 (植村先生)
7月6~8日は町田勉強会(植村先生)
7月15日東急セミナーBE雪谷
7月22日東急セミナーBEたまプラーザ
7月24日四ツ谷勉強会(植村先生)
8月24日東急セミナーBEたまプラーザ
を予定しています。

夏休み中、どうしようもなくイライラが募ってまいりましたら、どうぞご参加ください(^^)。東急セミナーBEにつきましては直接東急セミナーBEに問い合わせください。

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何を大切にしたいのか

2012年06月25日 | 第2章 五感と体感
今日は一学期最後の保護者勉強会です。

7月に入ると試験、試験休みとあっという間に夏休みに突入です。
7月8月は、子供達はお休みでもホッとする時間が無くなるのがお母さんかもしれません。

子供の行動ばかりに気を取られないよう、時々は講座で学んだ内容を思い出してくださるとありがたいなぁ~と思います。

達成感を持つことは、何も勉強の結果だけではありません。

遊びの達成感。睡眠の達成感。喋りつくした達成感。スポーツの達成感等…

もうこれ以上いらない!と思うくらい何かに熱中できると、それが他にも繋がります。

「自分は何を大切にしたいのか?」という問いは、自分の生活の仕方を意識化するきっかけにもなりそうです。

私も学生生活最後の夏休みを過ごす我が子の生活を見守りながら、私自身何を大切にしたいのか改めて自問自答する夏になりそうです。

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子供をどう育てる?

2012年06月24日 | 第2章 五感と体感
私の達成感の希薄さは、何が原因なんだろう…、と、この勉強会を通してずっと思いを巡らしたことがあります。

小学生の頃から優等生というレッテルを貼られ、思春期になると自分の好み以外は手を出しますが、好みでないものは全く関わりたくもなく、燃え尽き症候群という言葉が流行っていたのも、丁度その時代だったように思います。

言葉通り、何かに燃え尽きてしまったような、無気力さが思春期の私を支配していたようにも思っています。

「先を見据えた教育。先を考えて行動する。広く浅く色々見て体験する。」
というような信条で育てられた私は、いつも何かに達成すると、間髪入れずにニンジンをぶら下げられてきたと自分では解釈しています。

達成したことは当たり前とみなされ、ハイ!次!という感じです。

そんな子供時代を思い出し、自分の子育ては、「今この時だけのことを考えよう。先の事をあれこれ考える事より、今できることに集中することが大事。できたことに関しては素直な気持ちで褒めて、喜びの体感を大切にして自分で意識できるように」という信条でやってきました。出来たかどうかは解りませんが、ともかく信条として心がけていました。

昨日のブログにも書きましたが、自分の信条に揺るぎの無いものがあれば、軸がぶれません。

あの人の意見、この人の子育て方法、あんな人がこんなことを言っていた。。。、と、周りを見過ぎて自分自身に留まることを避けていると自分のアイデンティティが不安定となり、その様子を見ている子供も不安定になっていきます。

他者に答えを求める前に、自分はどんなふうに育てられ、それが自分にどのように影響しているかを意識してみると、自分の現在の思考と行動(傾向)が見えてくるはずです。

見えてきた傾向に、反省があるのなら素直に反省するのも良し。。。受容するならそれで良し。。。それでも、もやもやしているのであれば、勉強会に出てみるのも良し。。。

そろそろ一学期終盤です。試験が終われば夏休みです。子に対する自分の傾向を今一度点検してみるのも快適な夏を過ごす一つの方法かもしれません^^。

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自分の信条

2012年06月23日 | 第2章 五感と体感
確かに自由にあるがままに自己受容し他者受容しながら自然体に生きる事は理想かもしれませんが、自分の信条信念とに囚われる時期があってこそ、自然体という体感が理解できるのかもしれません。

自分が生きていくために必要な条件が大きければ大きいほど強ければ強いほど、より一層のストレスという負荷が掛かるはずです。

その負荷に耐えきれなくなった時に始めて考え始める時のほうが自然体の意味を掴めそうな気がします。

自分は自然体だ、と思っていたとしても、もしかしたら自分の現実吟味力が欠落故に自然体だと勘違いしているだけかもしれないし、「自然体」の条件に含まれる他者受容が実は他者否定で、マイペースだと思われるならまだしも、もしかしたら「空気の読めない我がままな人」とか「当たり散らしている人」として他者には見えているかもしれません。

自己と他者との関係において、自己が感じるストレスを感じた時こそ、自分の自然体な姿が想い浮かぶものです。
理想と現実のギャップから生まれる不安感は、生きていく自分の方向性をただしてくれる水先案内かもしれません。

そのためには、自然体である前に、どんな人に成りたいか?どんなふうに生きていきたいのか?という自分の信条を意識化してみる必要がありそうです。

西行にしても山頭火にしても南方熊楠にしても、自然体な自由人ではなさそうです。信条と信念有っての方々です。

私自身、自然体でありたい信条は持っていても、まだまだ、過程をつまずきながら歩んでいる最中で、自然体には程遠い状態です。
勉強会に参加してくださる方々と共に歩みながら私も学んでいるのが現状です。自分が他者より先に歩いているとは思いません。ただ、学びの矛先を示していく世話人というだけの存在です。
東急セミナーBEたまプラーザと雪谷の講座に参加してくださる皆様との関係も私の宝物です。
今後ともよろしくお願いいたします。
互いの喜怒哀楽を温かく身守り合う皆様の心意気に深謝しております。
プロセススケールの学び、ほんとうにお疲れ様でした!!
7月の勉強会も楽しみにしています。

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身体と心の症状

2012年06月22日 | 第2章 五感と体感
自分の状態は、今どんな状態なのか?

例えば、胃が痛い、頭が痛い、眠れない等の場合、どうしたらよいのでしょう?

慢性的な胃の痛みで、薬を飲んでも効かないのであれば、自分の心の問題に焦点を当ててみたほうが良さそうです。

傾聴する側は、身体の問題なのか?心の問題なのか?見極めることが大事になってきます。

お医者さんに行くことで安心することであるのに、ひたすらグルグル廻る不安感ばかりを聴いていても何も進まないのです。

例えば、身体にしこりがあるのに、医者に行かず、不安感をカウンセラーに訴え続けても不安感は解消できないでしょう。その場合は病院に行くことの不安感を整理していく必要があります。

身体の問題なのか?心の問題なのか?、心の問題が解消すれば身体症状が軽減するのか?身体の問題を医学的に治療することで心の問題が解消するのか?

不安感を整理して傾聴していくだけで症状が治まることを過信しすぎて、取り返しのつかないことになることも傾聴者である私達は注意しなくてはなりません。

謙遜な心を忘れず、自分の役割から外れることなく、やっぱり日々の勉強と修業と訓練は必要だな、と痛感しています。

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夏至

2012年06月21日 | 第2章 五感と体感
本日は夏至です。

12月22日の冬至から半年間、毎日少しずつ日が伸びてきました。

そして、今日を起点に日が少しずつ少なくなっていきます。

梅雨の時期なので日の長さを感じにくいのですが、確かに7時くらいまで明るいのはこの時期だけです。
真夏になると、夕暮れの時期はもっと早い時間になり、我が家のキッチンに西日が射すのが丁度夕餉の支度時となります。

日本はサマータイムが無いので、この感覚はとても貴重なものかもしれません。

自然のあるがままのサイクルをそのまま受け容れてみると、太陽の動きと共存している自分に健康感を感じるのです。

人間の活動中心に時間を調整するよりも太陽中心の生活のほうが身体が楽なのは、欧米に行くと感じる事です。

今日も雨がシトシト…。

紫陽花の花も見頃です。沙羅双樹も次々と咲きだしました。雨空に映える色合いを愉しみながら過ごしたいものです。

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野分明くる朝

2012年06月20日 | 第2章 五感と体感
台風4号が過ぎ去りました。雨戸を恐る恐る開けると、なぎ倒された萩が目に入りました。

あっちゃーーー、やられたぁ~
樹木は倒されませんでしたが、しなやかな枝の萩が犠牲になりがっかりした朝を過ごしています。

花の咲き時は、それぞれ違います。

待ちに待った沙羅双樹(夏椿)の花が咲き始めたばかり。咲いた花は悲しくも儚く落ちてしまいましたが、蕾はしっかりと枝に付いており安心。

源氏物語でも、野分を描いた箇所がいくつかあります。家屋に叩きつける風の音、雨の音に恐れ慄きひれ伏しながら朝を迎え外に出ると、はしとみは外れ、屋根が落ち、庭が荒らされ、愕然とする様子は、いつの世も同じです。

台風の後は、源氏物語の嵐のあれこれを思い出しながら窓を開けます。

今朝もそんな想いで外の様子を眺めたわけですが、これまたいつの世も同じ。。。いと哀し、です。

台風一過の青空を恨めしく仰ぎながら、萩の点検を致します。

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不安な感情と思考

2012年06月19日 | 第2章 五感と体感
一枚の書を重ねいくにつれて、厚みも増しますが、墨の香りも増してきます。

昨日の保護者勉強会も4年目に入り、三年間の学びを続けてくださった方々の厚みが増し、その分芳しき香りも増し、皆様との関わりも益々楽しく深まってまいりました。私自身も自分で言うのも何ですが段々と懐が深くなりつつあることも感じました。植村先生の自然体を横で感じ、私はまだまだ不自然体だなぁ~という反省も持ちつつ、笑いあり、涙ありの充実した時間を過ごさせていただきました。

湿度の高い梅雨空でも、ここに来ると湘南の風が吹き抜けて、空気が爽やかであることも勉強会を行うための有難い条件の一つかもしれません。

昨日のテーマは「不一致」と「自己の伝達」でした。

湧き上がる感情と自分の考え方、そして行動を巡らしてみると、意外と自分の感情を置き去りにしている自分に気付いたりします。考え方、つまり自分自身の思考とこの湧き上がる感情のギャップがどのくらいなのかを意識してみると、改めて自分の本音がだんだんと見えてくるようです。

自分の問題に対して、どのくらいの関係性をもって自分自身が関わっているかを考えてみる事も、不安感の焦点付けをするための方法のひとつかもしれません。

ロジャーズのプロセススケールをこんな感じで使いこなせるようになると、明日の自分がもう少し軽やかになるかもしれません。

今日は植村先生の四ツ谷勉強会。金曜日22日は私が世話人のたまプラーザ講座です。
一つの講座だけではなく、色々な講座を複数される方々も増えてきました。それぞれの講座が醸し出す空気を愉しんで頂けると幸いです。では、今日もお待ちしております^^// 

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「わからない」という言葉を発する時

2012年06月18日 | 悔いのない人生とは?
わからない。

という言葉を発する時の心の内を読もうとせずに、安易に「わからない」ことへの対応をすることを早まると、損するな、、、ということを、最近しみじみ思います。

どんな時に人が「わからない」という言葉を発するか…

つまり、本当に解りたくても解らないから心の中で、解ろうとする情動が湧きあがっているのか?

それとも、

考えることや関わることが面倒なので、「わからない」という言葉を利用して、関わりから問題を遠ざけるために使っているのか?

それともそれとも、本当に、興味が無いことを「わからない」と云う言葉で置き換えているのか?

「わからない」
の中に潜む心模様は、さていかに。

確かに平家物語は、歴史に登場する人物と事象についてかなり勉強していないとわかりにくいかもしれません。

大河ドラマの清盛は、私にとっては面白い番組です。ドラマ制作に関わる人々の気迫と知力が詰まっています。

「わからない」に惑わされず、意志を貫き通して頂きたいと切に願います。
「わからない」という言葉に惑わされず、媚びることなく…。

よい作品は後世まで残ります。40数年間大河ドラマを取捨選択してきた私だから間違いない(笑笑^^)

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現実吟味力

2012年06月17日 | 第2章 五感と体感
現実吟味力という用語があります。

言葉の通り現実を吟味する力の事です。

自分が置かれている状況を自分のこととして捉えられているか?

自分が置かれている現在の状況に関しての自分の感情と思考と行動?

状況をどのように捉えているのか?自分のものとして捉えているか?

状況に対して、自分はどのような関わり方をしているのか?

自分の現実吟味は、果たしてどうなのか?

自分の心の中の吟味力を測ることのできるのがプロセススケールです。(カールロジャーズ)

湧き出してくる感情には意味があります。

どうせねばならぬ、、、とか、こうすべきだ、という思考が頑なであればあるほど、本音と建前の狭間に立たされて、自分の感情を意識しないようにしていくようです。

感情を意識することを止めてしまうと、そのうち意識して止めていることを意識しなくなり、本音の感情が奥深く隠れてしまいます。それが抑圧と云われています。

もし、自分の心の中で、何かが違うけれど、何が違うのか解らなく、モヤモヤした毎日を過ごしているとしたら、そのモヤモヤが何かの合図かもしれません。
そんな時に、自分の本音と建前を、分けて意識してみすと、自分の湧き出している感情が段々と見えてくるかもしれません。

自分の感情、何かからのギャップから生まれてくる不安感に気付いたら、モヤモヤした霧が晴れてきて現実を吟味する力もついてくるようにも思います。

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幸福なお付き合い

2012年06月16日 | 第2章 五感と体感
学校時代の友人、職場で出会った友人は、尊い存在です。

最近では、新しい講座のお陰で、新たに出会いお付き合いする方々が増えてきました。
大人になってからの好き出会いは、ほんとうに有難いものです。

趣味関連を呟くツイッターに関しても同じです。出会いによって発生しているコミュニケーションを愉しんでいます。

何で出会うかわかりませんが、兎にも角にも幸せな出会いは嬉しいものです。

それぞれの生活を営みながらも、或る共通した場所で語り合う時間は、自分の生活の元気の基でもあります。

楽しく
嬉しく
喜びつつ…

時々訪れる怒りや悲しみも、突発的に起こる理不尽なことも、幸福感を知っていれば、回復力も早いはずだと信じる事ができそうです^^//

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