五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

感謝する気持

2014年12月30日 | 第2章 五感と体感
あっという間の一年間。
多くの人と出会い、繋がりを持つことができたと実感した充実した一年でした。
人との出会いと繋がりは、思わぬ展開で広がってゆく事もあります。
いい事もあれば、都合の悪い事もあります。それらを含めた経験は、歳を重ねる自分に吸収されていきます。

解釈によっては、明るい気持になったり、暗い気持になったり…

自分の存在が、他者にどう見えるか。見せたいか、という事に執着していると、それに相応しい動きになります。

自分のやりたいことを躊躇せず邁進している人も、それに相応しい動きになります。

できることなら、言い訳もせず、躊躇もせず、出来ないことを人のせいにせず、淡々と自分の役割に集中できるようになってゆきたいと思うのですが、まだまだ修行が足りません。

人との繋がりは大事です。自分の力の及ばないことを託すことで、思わぬ成果が生まれてくると、自分の内にある存在する価値への自問自答が明るい方向へと向いてゆくのです。

来年はNPOを設立して10年の節目でもあります。仕事とNPO活動と表装制作で廻る中、家族の役割が子育てから親へと変わりつつあります。与えられている時間をどのように使うかも大事な思索かもしれませんが、仕事や活動で助けてくださる方々の存在は、可能性も拡がり、とても大切です。

自分自身の身体と心を他者に任せることは不可能です。
そうであるがゆえ、力が及ばぬところを助けていただくことは、自分の正中線を支えていただくことにも繋がるのです。

一年の終わりは、こんな気持で締めさせていただきます。

「感謝する」と自分の気持が明るくなる、というのは、本当のことであるなぁ~~。そんな気持です。

何に感謝するか、誰に感謝するかは、個々の心の中にあるはずです。
それを考えながらおせち料理を作ることにも意味がありそう・・・。

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明るい話題を提供する

2014年12月26日 | 第2章 五感と体感
卑屈な話題を提供されるより、提供される話題はやっぱり楽しい方が好いです。

不安は人の本質であるゆえ、不安感や不満感を吐きだすことは、幸福感を他者に言語化することよりも安易で簡単です。

明るい話題を提供するには、ある程度知恵が必要です。抑制する力も大事でしょう。

「正直さ」は、自分自身が生き抜くために大事なことですが、正直と素直は、少々違います。

「正直」に物云いすることで、言っている本人が他者が不快な思いをすることに気付かないのであれば、「素直じゃない人だな」と、思いつつ段々とその相手と距離を置いてゆきます。

誰もが気が急く年末。

出来得る事ならゆったりと明るい話題を提供することに意識を向けながら過ごしたいものです。

自分の愛の原型「幼い頃に愛された経験」や育てられ方によって育んだ考え方は、自分自身の湧き出す感情に深く繋がっているようです。
人には色々な育ち方や生活環境があるからこそ、明るい話題や明るい感情を共有することが大切なのです。

明るい感情を留める時間が長いほど、自分の中にある不安感との向き合い方が自分なりに見えてくるようにも思います。

いつも卑屈で居る人が腹を括って明るい話題を提供するには、腹を据えなくてはならないかもしれません。
それも人生修行であるな、、、と。

自分に正直に不平不満を吠えていると孤独感が増していきます。

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憧れの光

2014年12月24日 | 第2章 五感と体感
繁華街から離れると夜の闇は当たり前の事です。街から離れ、家の数が少ない場所に行くと、夜の闇はもっと身近なものになります。

今年は、琵琶湖の旅に重点を置きました。

湖岸に沿う夜の灯が印象的でした。

高い建物が無いので、灯が横一列に並びます。宝石のネックレスを横に並べた様な感じです。

対岸の灯の連鎖を眺めながら、夜の光はこの程度が身の丈だ、と思いました。

夜の闇を引き裂くようなイルミネーションは、私のDNAの記憶に組み込まれていないせいか、あまり心地の良いものではありません。

一本の蝋燭の灯は、光の憧れを強めますが、それ以上の光を望むと、尊い灯が返って遠のいてしまうように思います。

先日の冬至は、朔月でした。

本来ならばいつになく闇の深い冬至であったことでしょう。
闇の冬至を体感したくて、外に出てみましたが、街の明かりがその体感を感じさせてはくれませんでした。

光だらけの街に居ては、光の無い闇を経験することはできません。

手の届かない遠くのものに手を合わせることは、無限の可能性を感じる喜びに繋がるように思います。

「憧れとは、川の流れのようだ」三島由紀夫が書いた「花ざかりの森」の一節をふと思い出したクリスマスイヴです。


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反省はほどほどに

2014年12月20日 | 第2章 五感と体感
自分の心の限界を何かに転嫁しようとするのは人の生き延びる術でもありましょう。
かくいう私も、常に何かを理由に自分の課すべきものを回避している節もあり、回避していることに気付いていないことも多々ありそうです。

自分の傾向に気付かず、無意識に使っている言葉も沢山ありそうです。

ふと、それに気付いたりすると、とんでもなく恥ずかしくなったり、罪悪感に苛まれたりすることがあるのですが、気付きと云うのは問題勃発の渦中には訪れないことのほうが多いようです。

体験した現象を吟味する機会は、後になってから訪れるものであり、体験した記憶を思い起こすと自分にとって印象の強い事ばかりが思い出され、時間が経てば立つほど、イメージが強くなってしまう事もありそうです。

反省はほどほどに、楽しく集中できる事に気持が向けられたら、少しは自分の器も大きく成長していく事でしょう。

時々自分に降ってくる罪悪感は、人に与えられた不安感の一つであり、罪悪感が無くては人の成長もあり得ません。

不安感は人の本質です。

不安感があるからこそ、平安感や幸福感がどういうものか解るのです。

冬至の季節は、光を待つ意味という意味とキリストの降誕が重なっています。
一年で一番日の短い時期であるからこそ、闇から光を意識する思索を深めたいものです。

神学的には永遠普遍で愛そのものの魂には限界はありませんが、愛そのもののである魂を通して語られる人の言葉はその人の背景から表現される尊いものです。

待降節、静かに光を待つ心の平安を意識しつつ。


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生き甲斐の心理学を学ぶ

2014年12月19日 | 第2章 五感と体感
本日は、今年最後の講座となります。
東急セミナーBE雪谷校の「生き甲斐の心理学」講座は、東日本大震災の年から始まりました。12月で三年三カ月となり、四年目に入りました。
私にとって講座一つ一つは、個々の皆様の個性の美の集合体であり、それぞれの講座に個性が宿り、楽しく尊い時間を過ごさせて頂いております。

歳を取るほどに、一年の速度が速く感じます。
一年間を過ごす経験が、ある程度予測できているから早く感ずる、ということも言われていますが、どうも宇宙の法則の中に生命体の時空の捉え方が組み込まれているのではないか、と思う事もあります。

生き甲斐の心理学では、色々な話題を提供しながら、その話題から心理療法の基礎となっている学問の知識を学び合っています。私も世話人ではありますが、学ぶ学徒の一人に過ぎません。
皆さんが気持良く、楽しく時を過ごして頂けるような配慮をするだけです。

暗い話題の中で、自分の心の内の重箱の隅を突いても、暗くなるばかりです。
歴史を学び、古典を学び、比較宗教学を学び、文化を学び、音楽を学び、食を学び、ありとあらゆる媒体を使いながら、自分と照らし合わせて行く作業は、やればやるほど面白く引きこまれていきます。

今年も多くの人々との出会いがありました。

これからも出会いを大切に、精進してまいりたいと思います。

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何が本物か

2014年12月18日 | 第2章 五感と体感
どんなに幼くても、上面しか習っていない素人でも、本物を見る力は人の内に具わっているものだと私は思っています。
だからこそ、
本物、実物を見て暮らすことは、人の感受を「正の方向」に育てていくようです。

本質を追求しようとしている人が日々の精進を怠ると自分に違和感を感じます。

どんな職業でも、どんな表現者でも、自分がイメージしている形の追及することの精進する事を止めると、他者も直ぐに感づきます。

昨日の某講座にて、貴重な歴史的な建物を使わせていただき、能楽師囃子方の小鼓を聴くことが叶いました。
強い風が吹き、落ち葉が舞いあがる雪見窓から見える景色を眺めながら、鼓の音を聴いているうちに、私と鼓とが二つの関係性のみで対峙し、打ち終えた後の清浄感は、風吹く外が清められたのと同じような感覚を持ちました。

私と鼓の音という占有感は、多くの講座生が感じたようです。

素人相手にここまでやってくださった、ということに感謝されていた方もいらっしゃいました。

本物とは、本当に真摯にひたむきに取り組んでいるか、ということに繋がります。

型を習い、基礎を叩きこまれ、その形から自分が自由になるまで、どの道も時間がかかります。たぶん、それを生業としている人ほど、そのことが解るのだと思います。

心理療法という世界も同じなのです。自分が師からの学びを止め、精進を怠ると、たちまち自分の感受の器が小さくなっていくのです。
何事も練習して、学んでいくことを続けていない人は、直ぐに解ります。

私は「関わりという役割」の中で、「どう他者との関わりを成していくか」というテーマを自己の学びを通して学んでいくこと自体が自分の役割であるように思っています。
応えは自分の内にあり、答えを選択して掴むことも自分と云う身体に縁がある本人に課せられた人生の課題であると思います。
もしかしたら、そのことに気付いただけでも、何かを得られるかもしれません。

人は、孤独です。
不安は人の本質です。

自分自身の舵取りを上澄みで行っているか、真摯に向き合っているか、年の瀬に悠長な自問自答をしたがるのも私の傾向でもありますが、2014年の締めくくりの様な凛とする時間を過ごすことが出来、とても幸せです。

小鼓を打ってくださった先生に感謝すると共に、これからのご活躍を心からお祈り申し上げます。

19日金曜日が私の今年の講座納めとなります。

師に付きながら学び続ける日々に改めて感謝。

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奈良はおん祭り

2014年12月17日 | 第2章 五感と体感
夜中に行われる行事のなかで、いまだ行くことが叶わないものは数多くあります。
数年後には必ず行きたいのが、ちょうど今行われている奈良:春日大社のおん祭りです。

睡魔と寒さに打ち勝つ勇気が必要で、何と言っても師走の繁忙期。新幹線に乗って3時間かけて行くだけの話ですが、それがなかなかできません。
関西に住む友人は、厚手の服に身を包み、おん祭り体感中。羨ましい~~と、思います。

関東の夜の祭と云えば、冬は秩父の夜祭り、夏は富士吉田の火祭り、5月に行われる府中のくらやみ祭。どれも太古から受け継がれてきた行事です。

深々と降る雪の中で行われる山形の黒川能も、煤にまみれながら朝まで見続けたいものです。

今年は琵琶湖一周を果たし、昨年は熊野三山を巡り、ひとつひとつ私の旅のリストに線が引かれていきます。そろそろ来年の旅の予定を思い巡らし、春日大社に降りて来られた神様を横浜のかの地でお祈りすることと致します。

ああ、、、奈良にゆきたい。

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食べる

2014年12月16日 | 第2章 五感と体感
秋に友人から送られてきた自作の新米が、段々と底が見え始めてきました。
北海道の親戚から送られてきた自作の玉ねぎも甘味が強く、あちらこちらにお裾分けしていくうちに数が数えられるくらいになってきました。
林檎も頂く機会が多く、お正月以降も買わずに済みそうです。

そんな折、仙台に住む親戚からお歳暮のお返しにハムが送られてきました。感謝のメールを送ると、野球の日本ハムを応援しているとのこと。「やっぱり、北海道人は、仙台に居ても楽天じゃないのね」とからかうやりとりを何度か繰り返し、互いの家族の安否確認。。。

昨晩は、御近所から頂いた柚子をいい加減処理しなくてはならないと思い、マーマレードを作りました。

目の前にある食べ物をどうしよう。。。、という、気持は豊かさの表れと云う事もできましょう。

縄文の頃から定着して集落に住まう人々は、こうやって物のやりとりをしながら暮らしを営んできました。

絵本のグリとグラも言っています。食べることが人生の喜びだ、と、いうようなことを。

入院している母がいよいよ今週末退院です。「食べる」ことについての意欲と行動が半端じゃない母は、食べ物の処理が唯一の趣味であり喜びです。数か月前まで描いていた絵もすっかり描く意欲を無くしていますが、食べ物の処理についてはイメージが膨らみ、あれこれと指示されています。

好きなものは好きであり、つまり、母は旬の食材を身の回りに置き、料理することが生き甲斐だということを改めて感じ取りつつ、大好きなことを無理なくできることを画策中です。
好きなものは止められませんな(笑)

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選挙に思う

2014年12月15日 | 第2章 五感と体感
ソーシャルメディア業界には多くの天才が集まっています。
色々なアプリの開発、そしてコミュニケーションツールも10年前には考えられなかったことが次々と実現しています。
そして、No profit organization 非営利の会社のしくみの出現は、なんと素晴らしい、と、思い、私もNPO法人を9年前に設立しました。大抵のNPO法人は、助成金を得ながら運営しています。でも、私達のNPOは「生き甲斐とは何か?」という大テーマを軸に生き甲斐の心理学の教育活動を行い、助成は結果的に受けてはいません。自主自立の精神で運営してはいるものの、やはり運転資金は喉から手が出るほど、欲しいものです。

壮大な私の夢は、資本主義と対極にあるNPOという仕組みが半々であれば、何かが変わるのではないか、という期待を持っての始まりでした。
そのうち、頭のいい経済学者が提唱し、賛同を得ながら膨らんでいくNPOという考え方が資本主義との二極化でバランスをとっていくものだと楽しみにしていたのですが、年月が経つにつれ、成功者はますますマネーに取りつかれてゆき、経済のバランスは強き者を中心に成されている様なものです。

経済と政治が一体化している地球人の行いは、果たして正しいのだろうか?

マネーとは何のためにあるのか?

そして、人とは何か?

人はどんな使命でこの地球に生存しているのか?

つまり、私にとってお金とは何か?そして、私とは何か?、私は何のために生きているのか?、ということを真面目に考えていかないと、地球人の正中線は歪んだまま方向違いとなるのではないか?

そんな思いを抱きながら、昨日の選挙結果を見守りました。

結果、低い投票率のままで一日が終わりました。

選ばれた人々は、これからどう舵取りしていくのか?

無投票者が投票すれば、結果的に二極化が緊張感を生み、本当の意味での民主的な政治が行われてゆくはずなのですが、なかなか日本はそのようになりません。

私達は国民から選ばれたのだから、これでいい。と、仰る某人の言葉は民主的な言い方ではありません。

選挙のたびに奈良時代の激動的な国づくりを想います。
人を中心にするか。
経済を中心にするか。

多様なアイデンティティの集合体がアイデンティティである日本の国は、はてさて、どちらの方向に帆を向けてゆくのか。
真面目に見守りたいものです。

民主主義とは、圧倒的多数に偏ったものからは生まれないのですから。

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明るい解釈という解釈

2014年12月14日 | 第2章 五感と体感
体験に関しての解釈の仕方は人ぞれぞれです。

生まれてから今日までの生育史が解釈の素地となります。

育まれた考え方は、「一貫したある傾向」となり、感情が湧き出してきます。

喜怒哀楽は、人の生きる力です。
つまり、湧き出す感情は、人の生きるエネルギーであるように思います。

感情に出さず、胸の内に秘める期間が長ければ長いほど、自分の本音の感情が何なのかも意識出来なくなっていくようです。

感情を露呈するするにしても、明るい解釈からくるもの、暗い解釈からくるものと二種類あります。

暗い解釈がその人の生き延びる力である場合もありましょうが、暗い解釈による感情の露呈は他者に不快な思いをつのらせてゆきます。
暗い解釈で自分の人生を歩み続けて行くと、身体にも影響が出かねません。

他者に不快な思いをさせず、自分の行く道を堂々と楽しく進んでいる人は、やはり素敵です。

出来得る事なら明るい解釈で暮らしたいものです。大人であれば、自分の傾向を人のせいにしないことも大事なことであるように思います。
全て自分に返ってくるものでもあるのですから。

もし、自分が暗い解釈のほうが落ち着くのであれば、暗く解釈する自分を受け容れてみると、それが不安感からの解放につながることもありそうです。

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似た者同士のスケール

2014年12月12日 | 第2章 五感と体感
人付き合いというのは、無限にというわけにはいきません。

段々と歳を重ね、経験を積んでいくうちに色々な人々に出会うようになってきます。

類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので、自分が選択して出会った人々と関わっていくうちにある傾向が形成されていきます。そして、なんとなく似た者同士の付き合いが、やっぱり心地良いものなのです。

:人間観。

:自分に課せられたことに関する優先順位。

:愛することの解釈。

:感情の表現の仕方。

:人との関係の仕方。

似た者同士、というのは、どういうことか考えてみると、こんなことが私のスケールになっているように思います。

「好みが同じとか、違う」とかは、「似た者同士の基準に」あまり関係ありません。

感情が満たされる者同士のお付き合い。
若いうちは色々経験したほうが良いかもしれませんが、人生歩んでいくうちに形成されてくる自分の傾向は、自分が好んで付き合う人々の傾向を見れば、なんとなく見えてくるものです。

似た者同士。歳を重ねれば重ねるほど、大事にお付き合いしていきたいものです。

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溢れる情動

2014年12月09日 | 第2章 五感と体感
先日行われた表導会の表装展覧会で、作ることの情動に溢れた素敵な作品に出合いました。作品から「もっともっと!作りたい作りたい!!」という溢れんばかりの喜びの様なものを感ずるのです。

どんな方が作られるのだろう。。。私の想像も多いに膨らむばかり。展覧会初日にお目に掛かり、その謎が解けました。

その方は名の知れた染色家でした。
和装の先生でもあり、途絶えた織物修復の研究家でもあり、扇画と作成もなさっています。

家の周辺や故郷の式根島の自然の恵みで、手を加えることをしない染色を手掛けていらっしゃいます。

その情動たるや。。。

縄文や弥生時代の布の染色も行っており、いずれは博物館や大学に整理された膨大な染め布は納まることになるようです。
現在、そのための準備として、誰もがわかるようにリストを作ることにも勤しんでいらっしゃいます。

弟子を取らず、自らが楽しみ、草木や実が手に入ると情動が湧き出してくるそうです。
だから「やらねばならない」という気持は全く無く、情動先行の日々が重なり、いつしか作品の山となっていったそうです。

無益で続けていることで、益々御縁が繋がっているのです。

溢れる情動。素敵です。
年齢を云うのは気が引けますが、Eさんは80代。古文書を学び続けている御主人様は90代。お二人の眼は何かを見据えているような浄化された眼をしていらっしゃいます。

ひよっこの私は、頭を垂れるばかり。

学ぶ情動。
好奇心の情動。
役割という情動。
使命という情動。
純粋に作りたいといな情動。

目の前に山があるから登るんだ。というような情動と似たようなものかもしれませんが、エントロピー的な情動の加速は、私を元気にします。

未だ、老眼鏡を付けずに仕事ができるEさんは、「私は運がいいの」と、言い切ります。

いやいや、お人柄でしょ。。。、と、私達は首を振りつつ、「運がいい」と自分で解釈する彼女の大きさに、益々尊敬の念が湧きあがってきました。

「好きなものを好き」
と、言う事ができるだけで、幸せかもしれません。

すべては、そこから始まるんだもの。。。

情動は人を美しくします。

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ストレスと身の丈

2014年12月08日 | 第2章 五感と体感
陽と解釈するか。
陰と解釈するか。

理不尽な出来事に直面すると人はストレスに陥ります。
ストレスに陥る期間が長いか短いか。
ストレス曲線をどう幸福曲線に持っていくか。

そのやり方や個人の傾向は、その人の個性そのものです。

自分のストレスのスケール。
自分の幸福のスケール。

幸福感と幸福であるための条件との違いを自分なりに把握しておかないと、条件ばかりに目が行き、自分が体感する幸福感を体感して意識することを忘れてしまいます。
条件が整わないと幸福になれないとしたら、死ぬまで幸福感に満たされることはないかもしれません。

自分を満たすものと幸福感の関係性を意識化してみると今感じているストレスが明るい方向に向かうかもしれません。

身の丈に合わないことで無理をしていないか。
理想を他者に押し付けていないか。
自分の思いと行動が一致しているか。
自分の役割が遂行出来ているか。

師走のあれこれが加速し出す時期、年内中にやらねばならないことなのか、来年に持ち越しても良いものなのか。。。そのあたりの吟味をしながら、自分のストレス曲線を測ってみると、ちょっとは落ち着くかもしれません。

自分の役割が遂行できていなければ、やめちゃうのも好し。
自分の思いばかりが先行していれば、行動を控えるのも好し。
身の丈に合わなければ、身の丈にするのも好し。

自分だけのためではなく、家族や職場、学校でお付き合いしている人の精神衛生にも繋がります。

待降節二週目。落ち着いて過ごしたいものです。

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オフの鎌倉

2014年12月07日 | 第2章 五感と体感
仕事で湘南方面に出かけるのですが、不思議なことに毎日江の島や湘南の海を眺めても、懐かしさがこみ上げてきます。
幼い頃に複数の場所で育ったので、高知の大海原、瀬戸内海の静けさ、日本海の陰った海の色、それぞれが私の懐かしさの原型にはなっていますが、湘南の海は、小学校の六年間の思い出やそれ以降の思い出がぐっと詰まっているからこその海の見え方なのかもしれません。

昨日は、ギリギリセーフの紅葉狩りを友人と愉しんできました。

メンバーは、皆横浜育ち。私もとりあえずは、中学生から横浜に住んでいるので、横浜育ちの経験を積んでいます。
車の免許を取ったばかりの練習場所は、本牧ふ頭であったり、湘南道路であったりで、浜っ子が辿る常識?を存分に経験しています。
稲村ケ崎から無料の駐車場に車を停め、海を眺める為だけに車を走らせたり、葉山の日陰茶屋でケーキを頂き、逗子マリーナや葉山マリーナで食事をしたり・・・。我が物顔で逗子、葉山、鎌倉を走り抜け、桑田圭祐やユーミンが歌わなくとも普通に行っていました。
いつしか、それらの曲が、自分を投影するようにもなり、懐かしさがこみ上げてくるのです。
そんな話を、友人達とケラケラ笑いながら歩きました。

オフの湘南は、一層自分を緩めます。

北条政子の手腕を思索し、静御前の悲哀を感じ、千手の悲恋、義経の苦渋を感じる鎌倉とはちょっと違うオフの湘南、というわけです。
自分を緩める時と場所があるのは有難いことです。

長谷寺は、紅葉が見頃です。16時半からライトアップ。18時まで開門です。
昨日は生まれたての橙色の満月を紅葉の葉のと重ねて観る事も出来、夕日の色が海に映り、紅葉色に染まった景色が印象的でした。

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日曜日のドラマ

2014年12月05日 | 第2章 五感と体感
このところ日曜日に観るドラマが面白く、大河ファンの私としては、軍師官兵衛がそろそろ関ヶ原の戦いということで、絶対に見逃せず、大河が終わった9時からは、脚本の面白さに、ごめんね青春も見逃せず、ドラマのユーモアと自分を自己投影しながら愉しんでいます。
それらに加えて、また面白いドラマが始まり、イギリスの貴族社会を描いたダウントンアービー2も見る事となり、師走のあれこれから解放されて、日曜日の夜はドラマ三昧です。

織田信長から豊臣秀吉、そして徳川家康と共にこの時代を生きぬいた黒田官兵衛の生涯は、現代社会の上手な生き抜き方に繋がることもあり、水の如くでありながら、水の如くという正中線の強さを改めて感じる事となり、生き延びる為の選択の応用力に感化されました。

ごめんね青春は、笑いあり、涙あり。さすが、脚本家の力を感じます。
宗教を超えた学校統合をベースに、青春ドラマが繰り広げられます。生徒だけじゃなく、先生も青春そのものです(笑)
私個人の今年の流行語大賞は、「ごめんね青春」です。ほんとうに、そうだなぁ~~、と、思います。「青春は、ごめんね、」なのです。それでいいのです。

さて、ダウントンアービー2。イギリスでも貴族ブームを巻き起こしたドラマ。
使用人と貴族の姿を描いているドラマで、俳優の微妙な感情表現が、とても上手いのです。
本音の感情を顕わにできる立ち場と、そうでない立ち場。特に抑制を利かせる立ち場の俳優の表情の作り方が、素晴らしいです。もちろん、貴族社会と平民社会の暮らしの様子を垣間見ることもでき、勉強になります。
リディキュールとエスプリが絶妙な面白さで描かれ、人の本質に迫っています。洗練されたドラマです。

おまけですが、夜タモリも、欠かせません^^;

師走の週末。
あれこれと多忙であろうが、ぽかんと口開けてテレビを見る宵があってもよかろう。。。


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