五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

こっのほうが早~いよ

2008年11月30日 | 悔いのない人生とは?
我が街の一番大きなスーパーは、安値で有名です。
だから休日ともなるとお店の中は大混雑です。

レジに立つ店員さんにもいろいろと特徴があります。
ベテランの方が多く、顔馴染みの方もかなりいらっしゃいます。
そんな中で、ひときわ目立つ男性。
彼は、何と言ってもレジ打ちが早い。
しかも的確で、かごの中にも整理整頓して、きれいに入れてくれるのです。

知っているお客さんは、彼が担当するレジが長蛇の列でも「並ぶ価値あり」で、
並びます。

たまたま今日は、柱の陰で彼を探すことができませんでした。
後ろに並んだ御夫婦も、「あら、柱の陰で気づかなかったわ。。。あの方、早いのよ~」と御主人に説明しています。ついつい、私もうなずきながら御夫婦に微笑んでしまいました。
そのご夫妻のご主人さま、何を思ったか私のいっぱい入った買い物かごを詰め入れる場所まで運んでくださり、サービス満点。
仕事のできる男性の噂を知らない主婦同士が話すのを聞き、男心をかき立てたのでしょうか。。。とっても温かい気持ちになりました。

一つの仕事をプライド持ってやっていると、見ている人は見ているのです。
レジの男性、彼はきっと一つ一つ階段を上って必ず夢を実現していくことでしょう・・・

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カオスとの向き合い方

2008年11月29日 | 第2章 五感と体感
能の会でのお披露目の日。
先輩の舞と謡を見学させていただきました。

今まで観るだけだった世界。
「とんでもないことを始めてしまったけれど、引けない魅力を感じてしまう」というのが本音です。

対岸を眺めているよりも、対岸に行っちゃうことを選択している人生の私。

あの世とこの世がメビウスの輪のように表現される能の世界ではありますが、混沌としたカオスの世界を具現化することを可能にします。

今まで、混沌とした心の中に四角い箱を綺麗に並べたいと思った時に、能を鑑賞してきました。
自分自身と向き合う時にこの方法が有効的でした。

人によって、カオスとの向き合い方は違います。
自分にとって有効な方法。知っているとお得です。

さぁて、、、自分が舞うとなると、どうなることやら・・・

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UFO出現

2008年11月28日 | 第2章 五感と体感
冬になると富士山がくっきり見えるだけではありません。
夜空の星もキラキラと輝きだします。

「UFO見た!」
玄関のドアを開けるなり、興奮気味の息子。

「へぇ~おめでとうついに見たか」と私。

駅から歩き商店街を抜けたあたりの住宅地の上。ものすごい勢いで瞬間、光が落っこちてきたそうです。

「うぉ~、、隕石

でも、地面に落ちることなく、空に消えたそうです。

私もずいぶん昔に、空の上でジグザグに動いている光を見たことがあり、絶対にあれはUFOだったと信じています。

空の上で意外な動きを見せる光
見えたものを信じる解釈は、見えたものを信じない解釈よりも、幸福感に繋がるように思います。

何年か前に伊豆高原で見たしし座流星群。星空に流れる流星。宇宙を見ている実感が湧いた貴重な体験でした。星降る夜は美しかった
UFOも然り。
広い宇宙の中に輝く青い地球を見つけた宇宙人はきっと「どんな星なのか」確かめてみた気持になる情動にかきたてられるのは当然のことでしょう。

「なんか、疲れているのかなぁ~。そういうのが見えるのって・・・」
と息子。

「いやいや、見えたんです。いるんです。」
と私。

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口を開けたまま

2008年11月27日 | 第9章 愛
私のかかりつけの歯医者さんは、とっても丁寧な方です。
何が丁寧かというと、技術も学問も粛々と研鑽され、日々努力されているのがよくわかるのです。それだけではありません。言葉も挨拶も丁寧なのです。
患者に対しての応対がとても温かい先生なのです
自分のこともよくお話します

今日は治療の合間の歯のお掃除の日。口を開けること二時間。
私の隣で歯の治療をしていた患者さんのお父様が先日91歳で逝去されたことを知り、一緒になって涙しているくらいの人情派。
考えてみれば、今は天国にいる癌の友人を嫌がらずに治療もしてくださいました。
一緒に泣いてくださり、ある時は一緒に怒ってくださったり・・・もちろん、喜びも、です。

もうかれこれ14、5年のお付き合いになりますが、そもそも子供の幼稚園のご父兄という出会い。信頼関係もあり、自分のコンプレックスである「歯」の全てを託し委ねています。

歯の治療というよりも私の癒しの場といってもよいかもしれません。

私は口を開けたまま、しゃべることはできないわけで、それがまた、休息の場となるのでしょう。
癒される歯科医院というのはちょっと珍しいかもしれません。

ありがたやありがたや・・・

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匂の君

2008年11月26日 | 悔いのない人生とは?
源氏物語では「香り」がとても大事なキーワードになっています。
その人の「香り」は、個性化を表現する「いでたち」と同じく重要なもののようです。光源氏なんぞは、女性のところに通う間際には必ず着物に香を焚きしめイソイソと出かけていきます。

最近では、電車の中で部活帰りの高校生の横に立っても匂いません。みんな、無臭を意識しているようです。
私とて、やはり匂いには気をつかっています。

先日、電車の中で隣に座った男性がコートを着ていました。たぶん、この季節に初めて腕を通されたのだと思います。
そのコートから漂う深く沁み付いた墨か香の香りが私の脳幹を刺激しました。

またまた妄想好きの私は「奥様がお茶をなさってる」「いやいや、ご本人か・・・」「それとも香が趣味?」「それとも、書家??」と頭の中で忙しく映像が浮かびあがります。。。

見知らぬ隣の紳士に「いい香りですね~」なんて、逆ナンパのような言葉を掛ける勇気もなく。。。
ただひたすら、電車という公共の箱の中で、至福の香りを愉しんでしまいました。

昔、お茶の稽古で真冬に「炭手前」をした時の香りを思い出しました。
冬の凍てつく空気の中、茶室の炉の炭が赤くパチパチと音を立て、そこに一片の香を落とします。そこから広がる香りは、まるで結界を超えたような心持ちへと導かれます。

ほんの数分の香との出合いでした。

おめでたい私は、もうそれだけで鼻の奥に香りが沈静し、その日は一日、自律神経が満たされていたようです。

無臭も周りへの気遣いの一つかもしれませんが、ほどほどに香をたきしめて街に出るのも悪くないと思いました。

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他のブログを読んでみると。。。

2008年11月25日 | 第2章 五感と体感
最近、皆様のおかげで、ありがたいことにブログランキングが上位と安定しています。
活動の場で「読んでますよ~」と言われると嬉しいものです。
今まで、ランキングに関して意識していなかったのですが、5位とか6位とかになると、急にランキングの周りの方々のブログが気になりだしました。

そういうわけで、いろいろと読ませていただいて思いました。
「もっともっと真摯な気持ちでに書いていこう・・・」と。
「それなりに真剣に真摯に書いているつもりではいますが、、、生き甲斐の心理学を自らが生活する中から見出す自分の言葉は、まだまだだな、」と。。。。

スピリチュアルとかメンタルヘルスのカテゴリーの中に、以前は入っていたのですが、どうもしっくりしません。どちらかというと「介護・福祉のカテゴリー」が一番「生き甲斐の心理学」を語るにはふさわしい、と思ったわけです。

一日一日を大切に生活していらっしゃる方々の介護・福祉のカテゴリー内のブログを読むと、自分の身に何かが起こっても何か糸口が見えてくる、という希望の光が見えるのです。

このブログを携帯で読んでいらっしゃる方には、ランキングをクリックして他のブログを読むことはできないようなのでごめんなさい。

益々「語る言葉」大事にしていきたいです。

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物々交換

2008年11月24日 | 第9章 愛
二年間、作品を預かりながら手を出せないでいたエッチング(銅版画)二枚。
名のある作家の作品を掛け軸にしてほしいと、長年の友人から頼まれました。

表装のデザイン、技術的な工夫が必要だったため、すぐに取りかかる勇気がなく、作品を時々眺めながら創意工夫を巡らしていました。
二年も見ていたら、だんだんとその作品が自分の中で身近なものになっていました。手をつけ出したら不思議と自然とイメージが湧きあがり、何なく仕上がりました。

出来上がった掛け軸を車に乗せ、久しぶりに友人の家に。
「花を活ける」生活が彼女の軸です。そのために花器を焼き、自然と向き合い花材を見つける日々を送っています。

アトリエには枯れたほう葉や蓮の茎、流木、それらの花材に合いそうな器が白い棚に並べられ、埋まるように部屋を支配していた書籍は、今やあっさりと本棚に並べられてあります。

やっぱり、好きだなぁ~
人の暮らし方は、その人の顔です。

彼女のアトリエをぐるりと見回すと、私の足元に大きな器がゴロリと置いていありました。

「これは、花器にならないの。水漏れるのよ・・・」
「持っていく?」

私は、「うん。頂く。」と即答。

掛け軸仕立てはプレゼントのつもりだったので、「物々交換だわね。。。」と笑い合ったのでした。

油煙で黒くした、絶対に無くさない大きブコツな箸置きと書家の作った麦の穂の筆
まで頂き、互いの感性の交換会を成す時間をたっぷり心地よく味わいました。

帰りがけに彼女が「花の師匠から、もうひとつそぎ落としたら、何かが変わるわね、といわれてるのよ。もう捨てるものは全部捨てちゃったんだけどね。。。」と言ったので「うん、物は全部削いじゃったのはわかるよ。あとは物じゃないものだね。。。」と、とっさに言葉を返してしまいました。

言葉にしない方が良かったかな・・・

物々交換したのは、物じゃなくて、心と魂。
お金では見えてこないもの。それは、私にとって価値の深いもの。

霞を食ってる私たちですが、霞がないと生きていけないことに殉じたほうが
楽に生きていけそうな気がします。

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NPO研修会

2008年11月23日 | 悔いのない人生とは?
22日土曜日、狛江ボランティアセンター主催の研修会に参加してきました。
狛江市は世田谷区の隣にあり、調布市と府中市に挟まれた小さな市です。
私たちのNPO法CULLカリタス カウンセリング学会は、この狛江市で立ち上げました。

福祉や教育、街おこしを目的とした団体が集まり、団体の持つ問題点や狛江のなかで活動しながらどんなことを改善していけばよいか、行政との関わり、制度の改正要望について、ブレーンストーミングしました。

「カウンセリング」は、はっきりいって敬遠されることがしばしばです。
どの団体も設立当初は、必要を感じて講師の方やカウンセラーに講座やカウンセリングをしてもらっていたそうです。でも、やっていくうちにそのことで起こる問題が、自分たちの団体で解決できるものではない、ということが見えてきたことで、「カウンセリング」に関わる怖さを体験された話をいくつもの団体から聞きしました。

私たちの団体は「生き甲斐の心理学の教育普及」が目的です。
「精神病、人格障害、神経症、正常」それらを見極められず、ただ傾聴だけをしていれば、問題がおこるのは当たり前です。
「身の程知らず」といっても過言ではありません。

私たちの団体は「生き甲斐支援活動」を通して、「カウンセリングの理論」を「勉強会を通して」適切に指導していきます。

一人の人間として、自分の個性の美を自分自身が見つけることで、悔いのない人生を歩んでいくことのお手伝いをしていきたいと願っています。

これを読んでくださっている正会員の方々にお願いです。
自分のしていることを1分、もしくは30秒で相手に伝えることができるよう、意識してみてください。

常に勉強会の世話人として周りを取りまとめていかなくてはならない環境にいる者にとって、やはり、分かりやすい言葉で伝え、信頼を得ていく地道な作業が必要不可欠であると痛感しました。

実際の自分の目で見て、聞いて、触れ合うこと・・・とても大切なことだと思います。
活動を個人で広げたい講師の方々、勇気を持って地元のこのような会に参加してみては?

私たちのNPOは、社会の役に立つと信じています。

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遠い記憶

2008年11月22日 | 悔いのない人生とは?
能の稽古、第三回目。
8日間ぶっ通しの勉強会と仕事が一気にひと段落し、昨日は入院する友人のために仕立てている掛け軸の仕上げをし、能のお稽古に行ってきました。

私たちが大切にしているのは言語療法です。

もやもやした体感とか、うずきとか、イライラとか、体で感じる何かを明快な言葉で臆することなく表現・伝達できたら、たぶん苦しくなる前に解決しているように思います。

生き甲斐の心理学の教育活動や、職場での仕事、それと常に自分の内と向き合いながら知識を深め体得を生涯の目標とする私自身の勉強、、、それらを通して、個と向き合う自分と、他者との関わりも、すべて個性の美から発する輝きだとしみじみ思うのです。

大きな柱は、しっかりと天に向かって立っていて、その柱を廻りながら螺旋状に上昇していくのが人の営みだということを確信しています。

寡黙に表具の作業をし、気功や謡と舞を習いうということ。それは、自分と向き合うための媒体が私にとって一番しっくりしているものだと深いところで納得ししています。

自分の遺伝子に潜んでいる遠い記憶は、時々、そんな媒体を通して意識の上にあがってくるのです。
それが言語化できる時と、出来ない時があるわけですが、言語化したい、と思ったその場に、聴いてくれる人がいたら、それは奇跡的にラッキーなことなのです。

その奇跡的な環境が、自分に起こることを信じていると、きっと天から何かが落ちてくるはず・・・

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富士山

2008年11月20日 | 第2章 五感と体感
茅ヶ崎に住んでいた頃、いつも視界に富士山が入っていました。
小学三年生の時、担任の先生が毎週日曜日になると東海道線に乗り、藤沢のとある街のスポーツセンターで、私たちにスイミングを指導してくださいました。

あの頃はのどかな時代でした。
たぶん、お気に入り?の生徒だけを誘っていたと思います。
今だったら「一部の生徒だけを面倒見て言語道断!」と大問題になってしまうでしょう。でも、子供たちも日曜日のお楽しみを他に漏らすこともなく、問題も起こらなかったと記憶しています。

小学生の頃は父が海外赴任だったので、担任の男の先生が私にとって父親のような存在でした。母がそれを望み、学校に「担任を男性に」とお願いしていたことをずいぶん後になってから聞きました。

その街に縁ができ、37年ぶりに通うこととなりました。
今朝、他人に大切にされた経験をくっきりとした富士山を眺めながら思い出したのです。
10歳の頃に、大事にされた経験は、私にある種の自信をもたらしているように思います。

人生のうちで誰か一人でもいいんです。自分のほんとうの気持ちに否定も肯定もせず添ってくれる人。。。そのような出会いがあったとしたら、それは一生の宝物です。

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カウンセリング

2008年11月19日 | 第1章 意識と知覚
悩んだとき、自分の想いを誰かに打ち明けられますか?

人には感情があります。
その感情には洋服を着せることもできなければ、お化粧をすることもできません。
湧きだす感情を出すまいと我慢を続けていると、いつしか眠れなくなったり、食欲がなくなったり、というような身体症状に表れてきます。

心を尽くして感情を聴く。

カウンセリングのノウハウ本やテキストはたくさん出版されています。

でも、
教科書を読んでわかったつもりでいるカウンセラーに、話を聞いてもらおうとは思いません。
教科書通りにいかないのが、心の領域です。

地球には六十五億人の人間が居るとのこと。
ということは、六十五億通りの「思考・感情・行動」がある、ということです。

六十五億分の一である私の湧きだす感情をありのまま聴いてくれる人に出会ったら、こんな嬉しいことはありません。

修行の道は果てしなく続きます。

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周りを見る

2008年11月18日 | 悔いのない人生とは?
自分を取り巻く人間関係。
自分が今いる周囲の様子。

風景。
音。
匂い。
人の表情。

自分が欲しい情報をどこまでキャッチするか。

幼い頃、住まう環境が何度か変わることを経験した私は、自分が生き延びるために必要な情報をキャッチすることが、ちょっぴり早いのです。

環境が違うと、人の傾向も違う。。。ということを幼いながらに気付いたことで、なんとなく先回りして様子を伺う傾向があるようです。
それと同時に、ついつい自分が動いたほうが早い、と思いこみ、動いてしまいます。
「おっとりしている」にはほど遠い・・・。でも、最近は少しは見習ってみようかな、という思いも湧き出してきました。

それには、かなりの努力と諦めと意識化が必要そうです








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秋の観光名所

2008年11月17日 | 第1章 意識と知覚
兵庫での勉強会後、京都に寄りました。
朝からの雨が上がり、寒くもなく、紅葉狩りには絶好の午後となりました。

タクシーに乗り、北へ北へ向かいます。
右は比叡山、左は鞍馬。
目的は小野の里、八瀬、三千院。

迫る山々。雨上がりのもやが霞となり、赤や黄色に色づいた木々が墨絵の景色を朗らかにしています。

源氏物語・宇治十帖。浮舟が身を寄せる小野の里はこのあたり、、、
黒髭の中将の正妻が夫と別れて住まい、柏木の死後、妻の落ち葉の宮が母親と住む場所でもあります。
千年経った今も、その風情の残る鄙びた里。

観光名所である三千院よりも、小野の里の風景のほうがが勝りました。

三千院の周辺にあるお寺を巡り、後鳥羽天皇・順徳天皇の御陵も参拝し、閉館間際の寂光院へ。
平家とゆかりのある寂光院には諸行無常の鐘楼があります。
このお寺に住まう尼さんが閉館の時間である5時に鐘を突くと、暗くなったあたりに鐘の音が沁み渡り、心と体と魂に深く刻み込まれたように感じます。

人気の無くなった境内を見渡し、喧騒の三千院からは得られなかった浄化を体感することができました。

次にご縁があるならば、雪の積もる三千院で一人静かに佇んでみたいと思います。




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腫れものに触る

2008年11月13日 | 第2章 五感と体感
防衛機制という用語があります。
数日前のブログにその内容を書いたので、気になる方は読んでみてください。

人の感情に触れる時にどこまでが自分にとって許容範囲なんだろう?

生身の感情に触れたとき、それが明るいものなら気持ちが晴れやかになりますが、暗い感情の場合、やはり気をつかいます。

急に怒鳴られたり、泣かれたり、無視されたり・・・・
私はどんなことをされたら、ドキドキハラハラしてしまうのでしょう?

逆に、自分が暗い感情になったときにどんな態度をとっているのだろう・・・
どうも私は「自分で選んだんだから自分の責任だ」と思う傾向があります。
だから、ほんとうに深刻な場合、人には話しません。
しかし、解決したらおおっぴらに話しちゃいます。

ほどほどのことで、自分の責任とは離れたケースの場合は、結構気楽に友達に話を聞いてもらったりしています。

楽天的なようでいて、案外人の心の内が気になっているようです。

「腫れ物に触る」
それも必要な気遣いかもしれません。

でも、それでは何の解決にもならない。。。ということもあります。

そのためには自分の感情がどこまで耐えられるか、意識化してみるのもよいかもしれません。

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他人の空似?

2008年11月12日 | 第1章 意識と知覚
明日から、12月までまたまた一気に仕事と勉強と遊びと親業で駆けずり回ります。
束の間の小休止である今日一日は、あちらこちらで用事を済まし、こまごまと雑用を済ませました。

駅前の薬局に寄り、買い物かごをレジに置いたところ、店員さんが私を見るなり飛び上がって驚きました

「ええっ?なに???」と思い、私はあたりを見回しましたが、やはり私に驚いたようです。

数秒後、その店員さんは我に帰り一人で納得したようで何事もなかったようにレジを打ち私の買い物を袋詰めしてくれました。

妙に、お釣を渡されるその手に愛情が籠っていたように感じました

「な、何だったんだろう・・・?」

あれだけびっくりしたんだから、言い訳くらい言っても良さそうなのに。
気になります

帰宅してからも気になります

昔から私は「誰々さんに似てるよね~」とかタクシーの運転手さんに、ある芸能人の名前を出され「いやぁ~似てますよ・・・」と言われたり、全く知らない人に「あなたにそっくりな人を知ってる」と言われたり・・・だから言われ慣れしているのですが、いきなり飛び上がって驚かれたのは初めてです。

「あたしはどこにでも居そうな顔なのかしら」
でも、どこにでも居そうな顔ってどんな顔なんだろう・・・

「誰かに見える顔」

心理学的にいえば、第三者が私を通して誰かを「投影」するってかんじでしょうか・・・。
結論?として、私の顔は、人が「投影」しやすい顔をしてるってことにしておきます

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