五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

中将姫と當麻曼荼羅

2013年04月30日 | 第2章 五感と体感
中将姫を語りたくなり、今日のブログは奈良の當麻寺の中将姫伝説。

二上山の袂にある當麻寺と中将姫伝説は、謡曲當麻と雲雀山のモチーフにもなっています。

人形作家の川本喜八郎氏が制作した人形アニメーション「折口信夫著の死者の書」は、私の好きな作品の一つです。

持統天皇の甥である「大津皇子」を自分の息子「草壁皇子」を立てるために謀反の罪に着せ殺し、その大津皇子が死者から復活し時空を超えて中将姫と出会います。
中将姫は、継母にいじめられ辛い生活のさ中、住まいのある奈良の元興寺辺りから夢遊病のように山の辺の道をひたひたと歩き當麻寺に辿りつきます。女人禁制の寺に中将姫を迎え入れたのは中将姫の信仰の情動の深さが並みのものではなかったからでしょう。
蓮の糸で曼荼羅を織った伝説は、中将姫の希求と求道の証であるように思います。

謡曲雲雀山は、継母に虐められ、そして後妻の策略にまんまと引っ掛かった中将姫の父は中将姫を奈良の山中に捨ててしまいます。数年後、すっかり死んだと思ってたところに、花売りの女に出会います。なんとその女は、かつての女中で、捨てた中将姫の世話をし、生業のために花を売って生活していたことがわかるのです。
父は、悔い改め、めでたく中将姫との再会を果たす、というお話です。

私が當麻寺を訪れた4,5年前は、国宝當麻曼荼羅は修復中でした。でも、後世に復元した貴重なレプリカとは言えないレプリカを拝見し、時代を隔てながらも求道は普遍的だ、、、と、感動したことが思い出されます。

折口信夫の死者の書は、文章を素直に読み辿っていくと、時空を超えた二人の出会いに自然な流れさえ感じ、現代という時空と交わりながら、私の心深くに違和感無くそのまま浸透していく千代に変わらぬ魂を感じるのです。

薄暗い本堂の奥に掲げられている當麻曼荼羅。。。

蓮の糸であの世とこの世を結ぶ中将姫は、「こうすることができたらいいな」という私の夢を叶えたお方であるのです。

国立奈良博物館の展覧会には行けそうもありませんが、貴重な展覧会にうずうずしていることは確かです。

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「私と能楽」を語ってみた

2013年04月29日 | 第2章 五感と体感
二日間続けて能の会を楽しみました。

晴れた日に傘の骨に紙を貼るとピッと張れ、笠を差して三笠山~♪(忠実な言い回しではありませんが、こんな感じ)
昨日の狂言「末広」を拝見し、「おっ、お見事、座布団一枚~!!」と、心の中で大いに手を叩きました。

金春惣右衛門師の米寿のお祝いの会とあって、末広を選んだことは言わずとも解ることですが、この「言わずとも解ること」で、大いに心を豊かにしていくのが日本文化の面白さでもあります。

言語療法を学び続ける者として、理論を学ぶ中で何が大事かというと私自身の感情の言葉による表現の仕方です。

能楽の魅力の感じ方は、人によって様々ですが、私と能楽は学生の頃の装束の取り合わせに魅せられたことから始まりです。曼荼羅を観る旅と同時に、能楽の装束は、自身の作品制作に随分影響を受けました。
そのうち表装の取り合わせの勉強を装束からさせていただき、いつのまにやら自分が仕舞いと謡いを習うことで戯曲と所作の面白さに取り憑かれているということに。。。

人の言霊を聴くにあたり、聴く側の感性の豊かさが要求されます。心理学の学びだとその訓練のことをセンシビリティートレーニングと言いますが、私の場合、そのトレーニングに大いに役立っているというわけです。

言葉は言霊です。

自分が発する言葉が、どんな背景で生まれてくるのかを辿る旅は、私が生まれ育った日本の歴史に大きく影響されています。
歴史を学び、自分の知り得る限りの祖先と重ね合わせていくと、源氏物語や伊勢物語、平家物語が読みたくなり、その物語の場所に立ちたくなります。

立ってみると時代の壁が取りさられ、千年前の自分や百年前の自分の魂に出会うような心持と体感を覚えるのです。

特に能楽には、その力が秘められています。

だから面白い。

自分のやっていること学んでいることが全て繋がっていて、それが自分を成り立たせているのです。
それが私の喜びなんだとつらつら思います。

「5月5日は横浜能楽堂にて金剛流:熊谷眞千子師シテの「富士太鼓」を観ます。開演は14時~ 指定席四千円 自由席三千円」
師匠の能を楽しみに、五月の連休を大切に過ごしたいものです。

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不安感を言葉にする場所

2013年04月28日 | 第2章 五感と体感
人と人との関係性が上手にできると、その日の疲れは軽いように思います。

人と人との関係性が上手く出来ないと、その日の疲れは、その度合いによって疲れが大きく変化します。

ソーシャルネットワークサービス「SNS」の世界では、最近はラインなるものが情報伝達ツールの中心となりつつ、昔のようにメールで言葉を気遣いながらやりとりする習慣が消えてきたように思います。

そうはいっても、切手を貼って、情報のやり取りをしていた時代に育った私は、さすがにラインを使う事をためらいながらも、複数のSNSを使い、人と人との関係性を築いています。

SNSを長年使っていくうちに、自分の事は棚に上げ、他者の確立した個性を把握するような事にもなってきます。

自分を発信せず、相手の情報だけを取りこんでいく人。。。

どこかに行く度に写真を掲載する人。。。

色々な情報を発信し続ける人。。。

自分の得た情報をシェアして他者に見てもらおうとする人。。。

愚痴る人。。。

怒る人。。。

喜ぶ人。。。

共有したい人。。。

見えない複数の人々と情報を取り合うことは、バーチャルではありますが生身の人と会っていることと同じことだと思います。
そうであるがゆえ、他者がドン引きするような情報を自分が流している人は、やはりそれなりなのだと思います。

心の奥に潜む不安感が、そのような行為にその人を走らせるのかもしれませんが、やはり、やたらと「怒りまくり、愚痴続ける言葉」が連鎖的になされると、読んでいる人はその人が見えないだけに「ひとつの確立した個性」としてイメージを作り上げてしまいます。

「ほんとうは、良い人なのにねぇ~~」

「なんで、SNSだと、こんなになっちゃうんだろうねぇ~~」

その人を実際に知っていれば、多少は暖かく見守る我慢もできますが、それが何年も続くと、その人の個性に潜む不安感に、汚染されていく得も知れない不安感を得ていくのです。

自己主張は大事なことですが、自分の不安感をゴミ箱に捨てるようなSNSの使い方だけは避けてほしいなぁ~というのが、私の最近の思いです。

自分は思いをゴミ箱に捨てたつもりでも、そのゴミ箱の底には沢山の人が無防備な状態で居ることを忘れてはなりません。

私だって、時々は愚痴りたいこともありますが、SNSでそんな発言をしようものなら皆を心配させてしまいます。不安感を持ったなら生身の人間相手に聴いてもらうようにしています。SNSで愚痴ったあとで、「しまった、、」と思ったことも何度かあります。私の場合は、すっきりするどころか逆に後味が悪くなってしまいます。

不安感を持って、ゴミ箱に吐きだしたいくらいの気持ちが高まっていたら、近くに居る親しい人に聴いてもらえる環境を作るのも自分の責任です。

人は一人で生まれて、一人で死んでいきます。だからこそ、自分の身体と心と魂を大切にしていたいものです。
自分の身体と心と魂を大切にしている人は、自分の環境の整え方を模索できるはずです。

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心と身体の魂の復興

2013年04月27日 | 第2章 五感と体感
昨晩のNHKで興味深い番組が放映されました。

「記憶をつなぐ」というようなタイトルだったと思います。

津波で全てを失った市町村に住まう人々の「心と身体と魂」に焦点を当てた大切な番組でした。

京都大学防災研究室が取り組んでいる復興曲線の聴き取り(復興曲線:震災から今日までの自分自身の心と身体の様子を曲線グラフに書いていただく)をし、分析した結果、震災からようやく仮設住宅等に入居し、一旦落ち着くのですが、暫く経つと、また曲線が下降していきます。そして、震災から2年経ち、心と身体の体感は、震災直後よりも落ち込んでいる方が多いという結果が出ました。

私達は、まさしくこの「心と身体と魂に」焦点を当て、山元町でワークショップをさせていただいています。
(この内容は2月初旬に書いたブログを参照してください。)

震災から三年目。

瓦礫は撤去され、だだっ広い山元町の八重垣神社の境内に立った今年の始め。周辺を見渡すと確かに大型トラックは減り、瓦礫の山がほぼ消え、改築した家に日常生活が落ち着きつつある様子も感じられます。でも、ほとんどの家が無いので、家と家との間にある互いの孤立感は、一層私の心を哀しくさせました。
案内してくださったのは、このあたりで生まれ育ち、現在亘理町に住んでいるSさんです。

美しい松林は、なんとか生き残っている数本の松を残すだけで、ただただ荒涼としています。

寄付された小さな社に手を合わせ、参道の様子、路地の様子、家の様子を話してくださるSさん。まるでそこが以前のままであるかのように語られるのです。

ここに、〇さんの家があってね、こっちには私の実家があって、料亭があってね、、、。従妹の〇ちゃんの家はここあたり。。。祭になると立派な御輿を担ぎ、海にも入るんですよ。。。

「まるで、今、その風景を見ているかのように語る」
という現象を、Sさんからお聞きしただけではありません。今回のワークショップで、この現象を多く体験しました。

いきなり、今の気分は?とか今は不安ですか?なんて、聴くことはできません。

いきなり、ストレスを解消するために語りあいましょう、なんてこともできません。

でも、生まれてから今日までの一人一人の生育史をお聴きすることはできます。
それぞれの方々の生育史を語る言霊から、どのように生活し、どのように暮らし、どのようなものを食べてきたか、、、そして、どのような風習があり、どのような習慣で生きてきたか。。。

今年初めの山元町のワークショップは、二十四節気の季節の言葉をモチーフにしました。

語り出すと、皆さんの目は、まるで心の中を見渡しているかのように、リアルな記憶を描きながら言霊にしていかれるのです。

昨晩の番組での京都大学の防災研究室の研究は、まだまだ続くと思います。自分の町の模型を作り、ひとつひとつ家を乗せ、記憶を辿り、自分の心の目で模型を再現していくことによって、生きている証を確認しているように私には映りました。

番組に登場された皆様は、山元町の皆様と色々なことを語り合った時と同じ目をしていました。

瓦礫が撤去され、過去の記憶がまっさらになってしまった風景が、自分の存在を消してしまうような感覚を呼び起こすようです。

不可能なものを可能にすることは難しいと思いますが、心の目は自由です。

人が持ち具えているホメオスターシス(自然治癒力)の一つが、この想像力であるように思います。

五感と体感を使い想像を巡らせ、まず言葉で蘇られていくことは、これからの大切な作業であると、しみじみ思いました。

私達の活動も間違った方向にはいっていないことも立証されたようにも思いました。

今まで関係性を築き上げてきた皆様と長い期間掛けて、じっくりとお付き合いしていくつもりです。

いつしか、山元町が私の故郷のようにも思え、次はいつ行こうか。。。と、心待つ気分になるのが不思議です。

人の御縁は、心の中で結ばれるものです。。。
真摯に丁寧に。。。
流れに任せて。。。

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新年度から一カ月

2013年04月26日 | 第2章 五感と体感
新しい環境が始まって一カ月が経とうとしています。

そろそろ張っていた気が、ゆるゆると緩みそうな気配を感じている方もいらっしゃるかもしれません。

新しい学年、クラス替え、数々のイベントに関するグループ作り、友達関係等・・・。

新入生ですと部活動のお試し期間もそろそろ終わり、入部を決めるか否かで悩んでいる方もいそうです。

今年のゴールデンウィークは長期間連続してお休みを取ることは難しそうですが、それはそれで、少しずつ、張った気を緩めながら自分自身に心の御褒美を与えると良いかもしれません。

保護者の皆様も、緊張して日々を送られていたことでしょう。

お子様に「一カ月よく頑張りましたね」と、慰労の言葉を掛けながら、御自身にも心の御褒美を差し上げてください。

5月からのあれやこれやの悩みごとは一旦箱にしまい、先ずは4月に頑張った自分を休ませるよう心がけてたいものです。

目標や未解決の問題を考えるのは、自分を一旦休ませてから。。。

アップアップの状態で次に進もうと思っても、身体と心はついていきません。

ゆるりゆるりと参りましょう~♪

連休明けから夏休みまでは、少々長い期間です。
「一カ月頑張った」という達成感と「休んだ~♪」という達成感を充分体感してから新たにスタートを切るのも新年度二ヶ月目の元気印のコツかもしれません。

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現象には意味がある

2013年04月25日 | 第2章 五感と体感
常に同じことを愚痴っている自分

同じ話題を繰り返す自分

いつも誰かのせいにしている自分

いやいや、私はそんなことにはなっていない、、、

と、思いきや、案外他者から見ると自分の傾向は自分以上にお見通しかもしれません。

自分が繰り返して発している言葉。

何かと湧き出す自分の感情。

何が起きても、最終的には自分の傾向が自分を納得させたり、諦めさせたりしています。

とどのつまり、周りがどう動こうと、私は私なのです。

自分が解釈しがちな一定した傾向は、必ず自分の個性として相手に映っています。

自分自身に起こっているなんらかの現象には、必ず意味があります。

ドラマ「ガリレオ」ではありませんが、現象には必ず意味があるのです。

自分の一定したある現象に自らが気付き、その意味を自分自身が考えるようになったら、一歩踏み出した証拠かもしれません。
他者から指摘されて気付く、という現象も、自分が気付かない限り気付きません。
他者から指摘されても気付かない時は、自分の現象に意味を感じるまでに至らないからなのだと思います。

自分自身の個性の美は、自らの心と身体と魂そのものです。

だからこそ、御身を大事にしてきたいものです。

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情報の取捨選択

2013年04月24日 | 第2章 五感と体感
ソーシャルネットワークサービス「SNS」が私の生活をずいぶん変えました。

仕事にしてもプライベートにしても私自身が望む以上に外から情報が入ってきますし、見える見えないに関わらず「他者」との関わりが増えました。

自分が自ら関わる情報及び他者については、こんなに楽しい事はありません。でも、自分に不安感を与える情報は、見えないだけにストレスが深まるばかりです。

でも、関わったばかりに要らない情報も入ってくるのです。

要らない情報だからといって、ぷつんと関係性を切ることは、意外にも簡単なことではありません。

でも、「要らなければ外す」ことをしていかなくては、自分の生活に多大な影響を与えていきます。

特に、自分とSNSとの付き合い方が解らない子供が情動のまま、つまり、湧き出す感情のままにそれを利用することは特に怖いことだと思っています。
自分自身を自らのアイデンティティを柱に自己管理することを学ぶ大切な時期に、安易にSNSの世界に子を送り出すことは、親が子を宇宙に放りだすようなものだと私は解釈しています。親が崖下に子を突き落とす獅子とは違います。

何のために利用するのか。目的は何なのか。

SNSにおける自分と他者の関わり方のルールを決めているか。

「やりたいのだからショウガナイ」と親が諦める前にSNSの世界で「どんなことが起こりうるか、利点、欠点を話し合い、そしてルールを決めること」を最低限することは、親業としての最低限の役割です。

ルールを決める前に、「何のために自分は生きているのか?」「人とは何か?」というテーマを語り合うことも大事なことだと思います。

どんな小さなお子さんとでも人間観を語り合うことはできます。

何故なら、育てているお母さん、お父さんが人間だからです。

親の成り見て子は育つのです。

難しく考えずに、親は子と「人間観を語り合う」ことはできるはずです。

SNSが人を育てるのではありません。人を育てるのは生身の人なのです。


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情報の断捨離

2013年04月23日 | 第2章 五感と体感
現実に起こっていることを自分なりに一所懸命(一生懸命ではなく、、、)やっていると、自分のちょっと先の将来が見えてきます。

現実に起こっていることを棚に上げ、遠い先の果てしない目標を掲げても、たぶん、今この時が満足のいくものでなければ、永遠に手の届かない自分の理想に振り回されることとなります。

20代は果てしない理想に散々振り回されていました。年齢を重ね、自分の身の丈が解ってくると、自分のできることできないことくらいは吟味し判断できるようになってきたように思います。

自分にとって必要な情報と必要でなはい情報の取捨選択をしていくことで、ほんとうにやらなくてはならないことにフォーカスしていくことができるのです。

「私が必要だと思う情報」

「私が必要ではないと思う情報」


これらを取捨選択すること自体が、個々の個性の美のなせる技なのかもしれません。

余計な情報に振り回されて足元が見えなくなっているのであれば、今必要な情報だけを得ることで自分の足元を見ることから始めなくては、いつまでたってもデラシネ(浮草)です。

情報の断捨離と身の丈の目標は、御隣同士。

迷う自分であるならば、目標はできることなら身の丈で。。。

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心と身体の疲労感

2013年04月22日 | 第2章 五感と体感
昨年から、国際中医薬膳師の先生と生き甲斐の心理学の学びをコラボさせていただいています。

O先生は勉強家で、しかも美しい方です。←「私が思う美しい人の定義は、こんどゆっくり書きます^^」

もともと息子の学校の保護者同士という御縁で、小学校を卒業してからお会いすることはありませんでしたが、私達のNPOを支援してくれている友人が声をかけてくださったお陰で、再会を果たし森羅万象の解釈で息投合し、O先生主宰のコースに「生き甲斐の心理学を」組み込んでくださることとなり、昨年9月から3月のコースで授業を持たせて頂きました。

私自身、もともと体温が低く、免疫力が弱いなぁ~という意識を持ちながらも、なんとかこの年齢まで大病することなかったせいで、自分の食生活の軌道修正をすることなく生きてきました。自分だけが信じている独りよがりの健康的な食生活をしていることが解り、O先生の講義の端々を聞きかじりながら、ちょっとしたことを実践し、半年が経ちました。

そのせいか、季節の移り変わりの時期に体調を崩す傾向が今年は無いことに気付きました。
自分が免疫力が低下していると感じた時、つまり気候と身体に合った食材の選択を実践してみたわけです。

食物の陰陽を意識するだけで、こうも違うのか、、、と、自分の身体を使った人体実験で納得しています。

「心の事」

「身体の事」

何事も一つの事だけに固執して信じる過ぎることは、かえって心と身体に負荷をかけますが、自分の不安感、自分の健康感に自分にとってよきものを学びながら取り入れていくことで、自分の心と身体に気が廻り、陰陽のバランスを整えていくのです。

人は心と身体と魂で成っています。

昨日は「生き甲斐の心理学」勉強会でした。集まった学びの仲間と自分の「健康感」の条件を語り合い、私自身も今一度点検する必要性を感じました。

「自分の心と身体と魂を大切にしてるか」自分自身に問いかけることの大切さを身に沁みた一日となりました。

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二十四節気の穀雨

2013年04月21日 | 第2章 五感と体感
ちょうど穀雨の時期に雨がしとしと。

畑家の作付、田植えの時期に降る雨は、養いの雨です。

水分を含んだ土に種を植えれば、種も心地良く、田植えにも程よく。。。

この時期の東海道新幹線から見える車窓の風景が好きです。

水を張った田んぼに空が移り、人の手が入り整然と美しく輝いている田んぼを見ることができるからです。

関ヶ原から米原を過ぎ、琵琶湖を沿うあたりの風景は特に好きです。この里山の風景は、大和人(やまとびと)の原風景である。。。と、思うのです。

この時期になると無性に西に向かいたくなります。(いつも心は奈良に飛んでいるのですが^^)

「今年も豊作でありますよう」
穀雨が止んだらお天道さまに手を合わせ、お天道さまの下で、粛々と作業をする人の営みが、古来からの人にとって、もっとも自然な行為ことであるように思えます。

我が家の庭の手入れも二十四節気に習い、そろそろ始めなくてはなりません。

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口に出す

2013年04月20日 | 第2章 五感と体感
自分の身に突然不幸が襲いかかった時の自分を思い起こしてみると

「口に出したら、それが本当の事になってしまう。」

「口に出したら、現実を受け容れることとなってしまう。」

「口に出し、相手に憐れまれることが嫌。」

「口に出した相手から自分の思いとは違う反応が出てきた時の自分の落胆を避けたい。」

「口に出したことによって、自分を立たせている軸が崩れてしまうような気がする。」

・・・上記のような自己の心情体験が思い浮かびます。

でも、ずっと口に出さないでいるといつしか我慢していることすら忘れてしまい、心の奥底に眠りながらも、それが自分の考え方の素地になっていくようです。
つまり、「抑圧」です。

それがいつしか得も知れない不安感となり、掴みどころの無い不安の連鎖となっていきます。

どんなに一過性の癒しを求めても、癒しは癒しにしか過ぎません。

身体と心と魂は一心同体です。

どこかのバランスが崩れていれば、それを調整しようと頑張るのが「人」です。

そのような時に、自分がどんな防衛機制を使って今を生き延びているいるか考えてみることも大事なことかもしれません。

自分が思考錯誤し、思い巡らす言葉を口に出し、「否定も肯定もせず」聴いてくれる相手に出会うことができたら、自分自身の力で求める答えが見えてくるように思うのです。

口に出すことのできる相手の出会いを吟味することも、踏み出す一歩かもしれません。

答えは自分の内にあるのですから。

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猫のバルちゃん

2013年04月19日 | 第2章 五感と体感
関わる学校の管理事務所を過ぎるとけっこうな山の上り坂があり、その脇に修道院が建っています。

ある守衛さんとの朝のご挨拶は「今日はバルちゃん来てますか?」です。一人の特定の守衛さんだけになついている猫のバルトロマイ(名前)は、その守衛さんの膝の上でまったりとしていることが多いからです。昨日はその守衛さんがいらっしゃいました。
そんなわけで、いつものご挨拶をすると、「今日は居ないんですよ。先週気に入らないことがあったらしくて、指を爪でひっかかれて、それから来ていないんですよ。でも、元気に修道院のあたりを歩いていますよ」という答えが返ってきました。

「あらまぁ。。バルちゃん、きっと何かがあったんでしょうね~」と、私。

まるで夫婦喧嘩の話を聞いているような気分で可笑しくなり、にやにやしながら坂道を上り始めると、バルちゃんが私の方にやってきました。いつもなら私を遠目に眺め、見過ごしていくのですが昨日は違いました。
いきなり、私の足元にゴロリと転がり腹を見せて、「遊んで遊んで」と云わんばかりにゴロゴロし始めたのです。

「へぇ~。。。珍しいこともあるもんだ」と思いながら、暫くの間お腹を擽って遊び相手をしました。

ひとしきり遊び終わり、私が振り返りながら手を振ると、いつまでも尻尾を振ってご挨拶するのです。
しばらく歩き、また振り返るとじぃーっと私を見つめています。そして、また手を振ると尻尾を振るのです。

猫の乙女心は解りませんが、やっぱり誰かに甘えていた猫心を思いながら、人も然りと、またにやにや。。。

甘えられる私も「いやぁ~~、、たまらんなぁ~~」と、後ろ髪引かれるつつ仕事場に向かいました。

はやく仲直りできることを祈りつつ。。。十二使徒の一人の名前である「バルトロマイ」は男ですが、いくら男名を付けられても女の子にゃん。^^;

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よきに はからへ

2013年04月18日 | 第2章 五感と体感
生きて、活動して、もろもろの問題解決をそれなりに行いながら人は生きています。

赤ちゃんだろうが、お年寄りだろうが、人ぞれぞれの解決策を求めて、それなりの落とし所に満足しながら、または居直りながら、はたまた「しょうがない」と溜息つきながら生きています。

幼い頃から各地で過ごした生育史を持つ私は、人をよぉく見る習性があります。そして、それなりの対応を計らいながら他者と付き合う傾向が強いようです。

個性との関係性に波風立てずに済ましたほうが楽ですし、異文化に身を置いた時、自分はよそ者であり、そのよそ者が定着した風習のコミューンに入るには、異質な自分を他者に刺激させることを避けようと気遣いします。

でも、段々と歳を取るにつれ、流動的なものから固定的なものへと自分の個性が定着してくると、異質なものに対する感情が敏感になってくるのは、自然な流れであると思います。

自分にとっての「よきにはからへ」(良いように計らえ)は、他者の「よきにはからへ」とは大分違います。

ドラマで、お殿様が「よきにはからへ」と言うと、家臣が「ははぁ~」と言って身を臥せます。

画策する家臣が、よき結果が生まれれば成功であり、判断を誤り命を失えば失敗なのです。

計らってもらう自分自身がどのように計らってもらいたいのか。。。信頼する家臣に「よきにはからへ」と言う大器をそろそろ身につけたいものですが、そんな大器を持つ人には、生涯成れないな、、、と、思いながら、今日も前に進んでいこうかな、と、貧乏症で「よきにはからう」側の私は、思うわけです。

私自身、「よきにはからへ側」になることのできない自分を痛感した数日間を過ごし、居直りのような気持も徐々に湧いてまいりました。、というわけで、苦笑。。。修行はまだまだ続きます。

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自分の幸福感

2013年04月17日 | 第2章 五感と体感
昨日の四ツ谷勉強会では、「自分の幸福感が周りを不幸にする」「自分の幸福感が周りを幸福にする」という問いかけから始まりました。

自分の幸福の条件と幸福感の条件を満たそうとすればするほど、夫や妻の態度が冷たくなっていくとか、子供が不安定になる、とか。。。いつのまにか人が自分から離れていくとか。。。

自分が幸福感に満たされていると、自分の幸福感が周りを見えなくすることもありそうです。

逆に、自分が幸福感に満たされていると周りが幸福になる場合もあります。

お母さんが幸福感に満たされていると、職場や家族が明るくなるし、自信を持ち、希望に満ちてきます。

そして、「この違いは、一体何なのでしょう?」という問いかけ。

自分の生育史上の幼少期からの愛され方が、愛し方を学んでいくことにも繋がります。

そして、自分がどんな時に孤独感に陥るか。不安感が湧きあがるか。

昨日のセッションでは、皆さんの言霊がほんとうに正直で愛おしいものでした。

結局、人が何と言おうと、自分の自由意思が阻まれた時にストレスが増長するし、自分の自由意思が満たされれば幸福感が増長していくわけで、でも、それには、「私は私である」(ロジャーズのパースナリティ理論:命題1)が自分自身で意識化されているかということが大切なポイントであることが話題となり終了しました。

つまり、自分は自分であり、他者は他者である。

自分の家族であれ、職場の人であれ、自分以外は他者であることであり、個人は全て自分という個として生きていることを意識できているか。。。という、自分自身の検証をしてみる機会を与えていただいた勉強会となりました。
実「はそんなの当たり前だ、、、と、言っている人ほど怪しい。。。」かもしれません。

話は多少逸れますが、
先日我が家に「オレ」と名乗る人から電話がきました。「あ、オレ」と言うので、「オレ…」と木霊のように言葉を返すと「荒木んちですか」と。「荒木んちではありません」と言うと電話が切れました。
「オレ」と名乗る成り済まし詐欺も、電話を取った側が自分と他者を瞬間で分けることで、判別がつくはずです。


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手を動かす

2013年04月16日 | 第2章 五感と体感
手を動かすと脳みそが働きます。
パソコンのキーボードを打っているほうが想像力が湧いてきて、ペンを持つよりもなめらかに言葉が浮かんできます。
勿論、手書きの手紙好きでもあるので、お気に入りのペンを持つと、気持が引き締まり情感が引き立つようにも思います。

最近女性が大工道具を持つ物作りが流行っているようです。

ペンを持つだけでなく表装制作をしている私も、いまどきの女性の流行の先端をいっているようで、道具といえば、包丁、のこぎり、カンナに定規、キリに目打ち、、、どうみても表装の世界は大工や指物師と変わりありません。

8月に行う展覧会のために、そろそろ制作をスタートしなくてはなりません。昨日は仕事が落ち着いた夕方からごぞごぞと材料の裂地を取りだし、あれこれと思案しました。

裂地を手に取り見入っているうちに、出来上がりの作品が見えてくるのです。

「手を動かす」行為は、宇宙の果てまで連れて行ってくれる想像を生み出すと思っても過言では無いのです。

今日も手を動かして、同時に口も動かして、自分を活かして過ごしたいものです。

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