五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

今年の役割総まとめ 

2015年11月30日 | 第2章 五感と体感
今年の役割総まとめ 2015年11月30日

2015年は、残すところ一カ月となりました。
仕事のペースが良い塩梅になってきたと思いきや、周囲の世話や看取りの役割が怒涛のように押し寄せた一年でもありました。
「自分の役割をどのように遂行していくか?」という課題を常に携えて、湧き出す感情に振り回される前にまず役割とできることの整理とシミュレーションの繰り返しを淡々とこなしてきたことで、「大人のお使い」無事も終了しました。
ようやく自分の仕事が存分にできる、、、というところで、新たな役割が加わってきたことが自分にとってどんな影響を及ぼすかは、これからのお楽しみです。

こうやって、何とか今年を乗り切ったことは、やっぱり生き甲斐の心理学の学びのお陰です。自分自身が自分自身を幸福にしてゆくためには、自分を取り巻く環境をまずは受け容れていかない限り、叶わないようです。
置かれている環境を見定めて、「はてさて、自分は何ができるのか?」「環境における自分の役割は何か?」を自問自答することは、自分自身の健やかな暮らしに必ず役立つはずです。

自分一人で悩まないことも大事な事でありますが、同時に自分は孤独な一人の人間であることを心得ておかないと、周囲の事象にどんどん自分が呑みこまれてしまいます。

「自分がやらなきゃ誰がやる?」という自分への問い掛けは、今年の私のテーマでもあったように思います。
「生きている事というのは、こういうことなのよ。。。」と、人生曼荼羅の喜怒哀楽を体感しつつ、師走の一か月もこんな調子で乗り切ることができることを望んでいます。
こんな時こそ身体に気をつけつつ、自分の役割を担ってゆきたいものです。

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籠の御縁

2015年11月28日 | 第2章 五感と体感
籠の御縁2015年11月28日

春に開通した常磐道を北上し、お世話になっている宮城県亘理郡山元町のNPO法人を訪ね、そこから秋保温泉に行き、そこで、ちょっとした出会いがあったことは、ブログにも書き、
私が日常に使っている「この竹籠が欲しい!」との御望みが、彼女が言語化した事で、色々偶然が重なり、同じ竹籠を入手する事ができたところまでもブログにも書きました。。。

そして、ついにその籠をお渡しする機会に恵まれる事となりました。

韓服のデザイナーでもあり、ライフコーディネーターでもあるIさんは、韓国では有名な方であるらしく、そんなことは露知らずの私は、韓流大ファンの友人にIさん情報を教えてもらい、「猫に小判」から脱却したタイミングで、籠を直接お渡しする事ができたのです。

秋保温泉で籠の所有者である私に恐る恐る声を掛けた韓国語の通訳であり大学の先生であるNさんが中継ぎをしてくださり、仙台から籠手渡しの為にいらしてくださいました。
Hさんは、籠を持ってホテルに入ってきた私をじぃーっと見守っておられたそうです。
「あの籠だわ!」から始まった籠を探して何千理・・・(笑)

とりあえず、私も表現したり、こしらえたりすることで生きている一人として、欲しい物を手にしたい時に湧き上がる感情は、大小に関わらず理解できます。
しかも、日本の農村に伝えられてきた農閑期の手仕事に美しさを見出してご自分の個性の分身にされていることは、私にとっても嬉しいことです。

急に決まった籠の旅立ちに、皆さんが一斉に協力してくださり、心から感謝しています。
羽田空港までご一緒し、籠を大事そうに持ったIさんを日本のスタッフ?全員で、お見送りをしました。
何よりも、11月で籠屋を辞めてしまうHさんと制作者である亡きご主人様との出会いが無くてはこんな出会は無かったことでしょう。
これからの繋がりも大いに楽しみです。
ちなみに、韓国語では「籠」は「パグニ」だそうです。

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記函館にお使い

2015年11月26日 | 第2章 五感と体感
函館にお使い2015年11月26日

8年振りの函館。8年前はトラピスト修道院、S神父様の結願式に出席させていただき、修道院の中に入れて頂きました。聖堂のマリア様は彫刻家舟越保武師の御子息、舟越桂師がまだまだ作家駆け出しの頃の作品であり、いつかは観たいと願っていただけに神父様の御祝いと同時に作品の前に立ち祈ることが出来たことに心から感謝した旅でした。

函館には、江戸時代安政3年1856年に建立した祖先の寺があり、今回の函館訪問は、法(みのり)の為に行ってきました。
改めて北海道開拓の歴史に関わった祖先の役割を具体的に知ることにもなり、開港の拠点であり、戊辰戦争や函館大火を経験した函館は、幕末から明治維新にかけての歴史を直に感ずることのできる北海道唯一の地でありましょう。

10年に一度ぐらいのペースで函館を訪問している事が、積もり重なり、多分、5,6回目の訪問になるとは思うのですが、今回は初めて函館市内を縦横無尽に車で案内してもらい、街の地図をようやく把握できたようです。

出会いと繋がりは財産だ、としみじみ思う函館の旅。人との繋がりは尊いものでありましょうや。。。と、お使いを言い訳に海鮮三昧に舌鼓を打ち、お腹一杯の法(みのり)でありました。
自分という存在に裏打ちされている祖先の魂は、なかなかしぶといものであるな、と、確信に満ちた様な満ちない様な妙な自信も貰いつつ、今年も残すところあと一カ月。
何はともあれ、逞しく生きてゆきたいものです。


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スターウォーズのお浚い

2015年11月20日 | 第2章 五感と体感
スターウォーズのお浚い2015年11月20日

12月にスターウォーズが封切。今まで確かに見ているはずなのですが、何かが繋がっていないと思いつつ、それでもエピソードシリーズを観たことで何とか解った様な解らない様な。。。
この一カ月ぐらい、家族に付き合ってチラチラとスターウォーズのお浚いをし、昨晩完結。エピソード3を何度も観ているはずが、覚えている場面は数か所ぐらいであり、大事なところを見落としていたことも発覚。
「へぇ~~、まるで<るろうに剣心>じゃないの~」と、。
いやいや、<るろ剣>は最近の漫画&映画ですね(笑)

怖れや不安が積もり重なり、それに執着すると、嫉妬や憎悪が生まれてゆくことは、人類の普遍的なテーマであり、愛を信じる事も然りです。
正義に執着してゆく登場人物の末路が始まりでもあり、とても哲学的な映画でもあり、人類の行く先を仮説として描いているとも云う事ができそうです。

昨晩、スターウォーズ エピソード3を正座して集中鑑賞したおかげで、長きに渡る映画の物語の始まりを改めて認識した次第です。

愛と憎しみ等の感情の発露とその取扱いについては、ギリシャ神話の神々を知ると体系的に学ぶことができますが、映画スターウォーズは、儒教的なものも含め、東洋的な思想と西洋的な思想をミックスした面白さがあるのです。

・・・・映画と言えば、岩波ホール11月21日から公開される「ピロスマニ」。ピロスマニは、東欧の映画とナイーブ派<絵>好きにとっては、必見でありましょう。リバイバルです。1969年のグルジアの画家ピロスマニを描いた映画です。

年の瀬に近づき、忙しさが増す中、ゆったりと映画を観たい情動がふつふつと湧いており、今年こそは年末も年始もいつもと変わらず淡々と、、、を目標に、一年間の慰労を自ら心掛けたいものです。

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正麩糊の掛け軸

2015年11月18日 | 第2章 五感と体感
正麩糊の掛け軸2015年11月18日
有楽町の東京交通会館:ギャラリーパールルームにて行われた表導会50展にお越しいただき、ありがとうございました。
私は最終日のみの在廊であったため、お会いできなかった方々も多く、大変失礼いたしました。この場を借りてお礼と感謝を申し上げます。

科学糊を使わず、正麩糊で勝負する表導会の志に、やればやるほど賛同する気持ちが高まる今日この頃です。
本紙(作品)を傷めず、打ち直しができ、何度でも年代の層を積み上げながら新しく生まれ変わることができるということは、同時に日本の文化を継いでゆく大事な内容でもあるのです。

昨日は、勉強会の会場としてお借りし、お世話になっている修道院の大きな掛け軸の紐かけを新しいものに付けかえさせていただきました。明治時代の画家が描いた絹本の山水画は、しなやかに表装され、水が掛かり染みが付いているものの、多少の浮がある程度で、表には響いていません。
表装の世界だと百年前といっても、それほど昔の物であるという感覚はありません。それよりも、百年前の画が、今この時世にきちんと設えられて人の目に触れていることに意味があるのです。人の目に触れるということは、人の意識に入ることでもあります。
意識せずとも触れたものを感じ取りながら暮らすことは、文化の層を体得し育み継承する事に立派に繋がるのです。

勉強会のテーブルの真ん中に、紐を付け替え終えた大きな山水画が置かれた勉強会は、風情のあるものでした。「ああ、幸せだなぁ~」そんな思いを抱く幸せな学びの時間でもありました。

できることなら、掛け軸や屏風が切れたり、剥がれたりしたら、セロハンテープで留めるということだけは、なさりませぬよう(^^;;)お願い致します。
近くの表具屋さんに相談してくださいませ~。


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楽しくお仕事

2015年11月17日 | 第2章 五感と体感
楽しくお仕事2015年11月17日

近所のスーパーで、買い物かごやカートの出し入れの仕事を長年されている男性がいらっしゃいます。
その方の朗らかな笑顔と謙遜な仕事ぶりを見掛けると、一日の疲れが癒される思いをします。
小さなお子さんの声のかけ方もとても自然体です。

癒されると同時に「私もそんなふうに~」と、正中線を正されるのです。

暫く見掛けないと、「あらら?」と気にもなります。

自分の役割を楽しそうにこなしている人を見ると自分まで楽しくなります。

苦虫を潰した様な顔をしていたり、不平不満をぶちまけていたり、独りよがりで称賛を浴びたがるよりも、何よりも単純に「自分が楽しく」やっていると、段々と周囲も明るくなってゆくのは、自然の法則なのかもしれません。
自分が楽しそうにしていると、周りが楽しいスパイラルに引き込まれてゆくようです。

さてさて、今日も楽しく。。。
自分の楽しげなお顔は、宝石よりも輝く宝物かもしれません。

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仕上がりのイメージ・表装のお話

2015年11月13日 | 第2章 五感と体感
仕上がりのイメージ・表装のお話 2015年11月13日

銀座で開催されている表導会の作品展「有楽町・交通会館一階 ギャラリー パールルームにて11月15日日曜日16時半まで」開催中です。
年々参加者数が減ってはいるものの表装作品の仕上がり具合は年々グレードアップしているように思います。制作者の平均年齢が上がると同時に修業経験が長くなっているとも云う事が出来るわけです。

私も20年以上ここで学んでおりますが、設立以降30年間研鑽し続けている表具師等の先輩も多くいらっしゃるため、いつまでたっても初々しい?自分の掛け軸に反省とやる気を触発される経験を毎年変わらずさせてもらっています。

出合いの作品「本紙」と裂の取り合わせを考えながら、どのような形式で仕上げるかを時間を掛けて考えることは、亭主が主催する自分の茶会の内容構想と同じようなものだといつも思っています。

歴史、宗教、文化を学び、意味付けのある構成をしながら一つの作品を一幅の掛け軸で表現することは、そうそう容易い事ではありませんが、その魅力に取りつかれる内に常に学ぶ事が段々と自分の癖となっていることも否定できません。
だから故、表装を手掛ける事は、ほんとうに贅沢な行いなのだと感じています。
一層、精進しないと届かない世界であるとも解釈しています。

手掛けるごとに仕上げのイメージが、段々とハードルの高いものになってゆくことも仕方があるまいと思いつつ、自分の身体と気が表装作業の出来る状態である限り続けていたいと願っています。

表装を通して出会う方々との新たな構想も生まれつつあり、それによって思わぬ素敵な出会いも益々期待できそうです。
存分な贅沢は身の丈に合わないことを心に留め、それでも贅沢な心と知恵を養い学び続けたいものです。

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八百万の神と手向ける手

2015年11月11日 | 第2章 五感と体感
八百万の神と手向ける手2015年11月11日

陰暦では、まだ神々は出雲におられるそうです。
出雲は、11月末まで神在月なのだそうです。

今年は大まかなところでは、塩竃神社、山形出羽三山、弥彦神社、琵琶湖を歩きつつ比叡山延暦寺を参拝し、そして、ようやく出雲大社の参拝を叶えました。
歩き回り、想像を張り巡らし、諸々の思いが自分の学びに繋がるのに丁度良い塩梅の年齢に達してきたことも旅の情動を一層後押しする要因でもあると思います。足腰が弱くなり、旅のプランを立てる気力が失せる日が来るであろう、という予測の元、今できる事はやってしまわないと後悔する、という思いも強くなりつつある昨今です。
忙しいしお金もないし、と憂いでいては事は始まらず、何は無くとも動いてしまえ。。。といった勢いが、まだ自分の中に在ることは、有り難いことです。

昨年末から今年にかけて、身近な人々の入院やら看取りを継続的に経験していることも、自分の情動が一層湧き出していることも一つの要因であるかもしれません。

自分の命が尽きる頃には、どうしても他人様の御世話になるしかありません。その事を受け容れるための良いきっかけも頂いたように思います。
自分が観念する頃に、どんな知恵が浮かんでくるかは、今、現在の自分のありよう次第であることも薄々解ってきました。
ロザリオを忍ばせ、八百万の神々と対峙する自分のアイデンティティこそ本質的なものだと納得する経験も充分させていただいています。

一万年以上、戦いをせずゆるやかに文化を育んだ縄文時代の古層が自分の素地になっていることも静々と受容しつつ、文化と宗教の蓄積は、玄宗の「武士は分である」ことにも繋がるようにも感じています。
知恵を育むことは手向ける手から始まるのかもしれません。


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出雲巡り5美保関・美保神社

2015年11月07日 | 第2章 五感と体感
出雲巡り5美保関・美保神社2015年11月7日

出雲の日本海側は、大山隠岐国立公園です。一日目は国立公園の左端、日御碕を訪ね、三日目は右端の美保関へ。
米子空港から帰路に着く計画を立て、予定通り美保関まで行くことができました。
松江からおよそ一時間で境港。美保関はその先に位置しています。

そこには美保神社があり、国譲りを再現した祭を春に行います。漁港の船も祭を盛り上げ、かなり大がかりです。
狭い道路を海沿いにくねくねと走り、辿り着いた美保の港は、想像以上に活気づいていました。今を生きている港、という感じです。そのまん前に美保神社が鎮座し、想像以上に規模の大きな神社であり、本殿にて正式参拝をする方々が途切れず、しかも関西の方々からやって来られる会社経営者らしき人々が印象的でした。お陰で私達も粛々と参拝し、商売繁盛?をお願いして参りました。

国譲りの祭事は、一度拝見したいものです。4月に行われます。

さて、帰りの飛行機の時間を気にしながらもやはり灯台は欠かせない!という思いで、美保関灯台まで車を走らせました。
思いの他お天気に恵まれ、はるか向こうに隠岐の島を望むことができたことは、幸運でした。南側には大山(だいせん)が悠然とそびえ、神々しい景色を堪能する事ができました。

明治時代に建てた灯台は、日御碕よりもこじんまりとしているのですが、ずんぐりとした可愛らしい形状です。日御碕と同じ石積みであり、同じ石積みの官舎が展望レストランとして改装され、イギリスの海岸線と似たような雰囲気でもあり、灯台守に憧れる私は「ああ。。。。住みたいわぁ~」を連発。

出雲の旅は、境港のキタロウスカルプチャーで締める事となり、イッタンモメンやネコムスメ、ヌリカベやネズミオトコの完成度の高さに感心しつつ、出雲巡りを締める事ができました。それにしても、妖怪の名称がちゃんとわかる私も正真正銘のアニメ世代でありましょう。めでたしめでたし

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出雲巡り4・松江城

2015年11月06日 | 第2章 五感と体感
出雲巡り4・松江城2015年11月6日

出雲巡りの行程は、1日目、昼前に出雲縁結び空港に到着 → 出雲大社前の蕎麦屋・田中屋で昼食 → 出雲大社参拝 → 日御碕神社 → 日御碕灯台~遊歩道散策 → 稲佐浜の夕日 → 出雲市内のホテル
2日目、出雲大社参拝 → 出雲古代歴史博物館 → 足立美術館 → 玉造温泉
3日目、玉造神社 → 松江城 → 美保神社 → 美保関灯台 → 境港・キタロウロード → 米子空港

出雲大社を参拝するのであれば、一回のみの参拝ではもったいなく、どうしても朝の参拝を叶えたいと思い、出雲市内のホテルを予約しました。朝ならば、空いているだろう、と思ったら大間違いでした。続々と参拝客がやってきます。しかし、出雲大社は広く、いくつかの通路もあり、人々が分散することで窮屈さは無く、ますます出雲大社の泰然自若さを感じました。
大社をぐるりと巡り、正面に戻ると、どこかの高校球児が監督と参拝に来ており、20人位の野球のユニフォームを着た若者の参拝する姿はとても美しいものでした。

3日目の松江城は、当初の予定では城の外観のみを拝見するつもりでしたが、やはり「祝国宝!」ということで、天守閣に上りました。松江城の素晴らしさは、日本の城の原型とも云われているそうですが、中に入ると、色々な工夫が施され、井戸やトイレがあることにも感心しました。トイレの仕組みは、ここでは書けませんが(笑)
城内に井戸があることは現代に生きる私達にとっては当たり前の事のようですが、当時の城としては画期的なものであったようです。
井戸と言えば、フランスの大聖堂シャルトルにも地下に井戸があります。キリスト教以前からの大聖地とあって、多くの戦いを経験してきたわけであり、籠城ということを考えると、あって然るべきでありましょう。でも、大聖堂の地下に井戸があることが強く印象に残っていましたので、やはり、珍しいのだと思います。

天守閣の南から見渡す宍道湖は、お天気に恵まれ、水面はきらきらと光っていました。昔は真水だったそうですが、中海と結ぶ水路を広げて汽水となったことでシジミが沢山獲れるようになったそうです。


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出雲巡り3 稲佐の浜2015年11月5日

2015年11月05日 | 第2章 五感と体感
出雲巡り3 稲佐の浜2015年11月5日


稲佐浜は、出雲大社の西側一キロ地点に位置し、昨日のブログに書いた日御碕の南となります。 ここは、国引き、国譲りの神話で知られる場所です。

高天原から遣われたタケカミヅチノカミがオオクニヌシノミコトと話し合いを行った場所だと云われています。
戦いをせず、和を以て国を譲ったオオクニヌシノミコトは、聖徳太子の「和を以て尊し」の原型とも云う事ができそうです。日本人のアイデンティティの原型とも等しいと云うことでしょうか。

浜辺にぽっこりと高さ5メートルほどの岩があるのですが、神仏習合の頃は、弁財天が祀られていたそうで、神仏分離、廃仏毀釈以降トヨタマヒコノミコトが祀られています。

出雲大社~日御碕、と巡り、今にも海に日が落ちそうな時間帯に稲佐浜に到着し、浜辺を散歩しながら夕日を堪能しました。
出雲大社から歩いて15分でもあり、夕日を目指して浜に立つ人々も多く、共に時を過ごす旅人と神在月の神様会議を静々としているような、そんな気分にもなり、沈みゆく夕日から大きなエネジーを頂きました。


稲佐浜は、出雲大社の西側一キロ地点に位置し、昨日のブログに書いた日御碕の南となります。 ここは、国引き、国譲りの神話で知られる場所です。

高天原から遣われたタケカミヅチノカミがオオクニヌシノミコトと話し合いを行った場所だと云われています。
戦いをせず、和を以て国を譲ったオオクニヌシノミコトは、聖徳太子の「和を以て尊し」の原型とも云う事ができそうです。日本人のアイデンティティの原型とも等しいと云うことでしょうか。

浜辺にぽっこりと高さ5メートルほどの岩があるのですが、神仏習合の頃は、弁財天が祀られていたそうで、神仏分離、廃仏毀釈以降トヨタマヒコノミコトが祀られています。

出雲大社~日御碕、と巡り、今にも海に日が落ちそうな時間帯に稲佐浜に到着し、浜辺を散歩しながら夕日を堪能しました。
出雲大社から歩いて15分でもあり、夕日を目指して浜に立つ人々も多く、共に時を過ごす旅人と神在月の神様会議を静々としているような、そんな気分にもなり、沈みゆく夕日から大きなエネジーを頂きました。

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出雲2 日御碕

2015年11月04日 | 第2章 五感と体感
出雲2 日御碕2015年11月4日

日御碕神社
島根半島の西の突端に日御碕があります。出雲大社の北西に位置し、そこには日御碕神社があります。
出雲大社の祖神(おやがみ)であり、「みさきさん」と呼ばれ親しまれています。
日御碕神社は「日沈みの宮」。
 日の本の昼を守る伊勢神宮に対し、 村上天皇の勅命を受け、日の本の夜を守る神社として948年に創建。
国造りの神である「スサノオノミコト」と「アマテラスオオミカミ」が祀られています。

日御碕灯台
1903年明治36年に建てられました。高さ43.65m。石積みの灯台として日本一の高さだそうです。
幼い頃から灯台を見るとワクワクする私は、何となく灯台守に憧れてきました。
半島の先端に立つと丸い地球に一人ぽつんと居る自分に喜びを感じるのですが、ましてや高い灯台のてっぺんに立とうものなら孤独感と喜びが交互に表れ、自分の陰陽を試される様な気もします。

絶景の岬には断崖の脇に遊歩道が整備されています。この松の並木は、6才頃に頻繁に見ていた松並木の先に海が見える風景に照合するようにも感じ、不思議な懐かしさを覚えました。
初めて訪れる場所ではあるのですが、5,6歳の頃に住んだ福井の海を思い起こし、懐かしい思いも込み上げてきました。東北や新潟の日本海とは違い、福井の海も西の日本海の風景であるということなのかもしれません。
五感は過去をリアルに引き起こします。昨日の事の様な体感の記憶は、時空を超えて蘇ります。

日沈みの宮と日御碕の突端を歩き、西の海に沈みかかった夕陽が心地よい秋の気候のお陰で、陽の気を頂くことができました。

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出雲巡り1

2015年11月03日 | 第2章 五感と体感
出雲巡り1 2015年11月3日 

出雲大社の爽快さに晴れ晴れしい体感を頂き、無事に旅を終えました。
今回の旅では出雲大社と日御碕神社、稲佐浜、島根半島の突端に近い美保神社を中心に巡りました。美保神社は春に国譲りを再現し祭ります。

神在月は陰暦で決まるため、今年の神在は11月27日までだそうです。
ですから他の地は、まだ神様はご不在ということですね。

一昨年の60年周期の遷宮は、全てが終わっているわけではないそうです。屋根の葺き替え途中の社殿もありました。社殿が大きいため、ゆったりとした気分になりますが、あのスケールでは資材調達も大変な事でしょう。
夏に訪れた新潟の弥彦神社と同じく二礼四拍一礼にもすっかり慣れ、出雲大社を2日に渡り参拝し、出雲参りを満喫しました。

出雲大社の鳥居の前に田中屋というお蕎麦屋さんがあります。休日なら一時間待ちは当たり前のようですが、平日ということもあり、菊花展を眺めながら15分ほど待ち、旅の第一関門突破から旅が始まりました。
鳥居内の出雲大社の参道は、珍しい事になだらかな下り道です。駅からの参道は上りで、鳥居をくぐると下りなのですが、本殿はそう簡単には見る事は出来ません。
参道を歩き、大きな社殿を迂回することで、初めて本殿の姿を見る事が出来ます。テレビで何度も拝見している本殿ではありますが、この壮大なスケール感は、実際に見てみないと解らないものです。
かつては、高さ48メートルだったという説を元に、出雲大社の国旗掲揚の支柱の高さは48メートルなのです。高い高い支柱に掲げる国旗の大きさは本殿の広さ75畳に合わせてあるそうです。

壮大な出雲大社であるゆえか、掃き清められた清浄感と緊張感を感じる伊勢神宮や橿原神宮などとは違う感覚を覚え、鹿島神宮を参拝した時に感じた体感を思い出しました。日立の国の鹿島神宮と出雲大社は同じ緯度に位置していることの意味を想像しつつ、土地に籠められた長年の祈りが地に宿り鎮まることの意味を改めて考える機会を頂きました。
「開いている」という感覚が「繋がる」感覚に至り、不自由さから解き放たれた解放感を旅を終えた今も感じています。

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