五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

感情表出

2010年03月31日 | 第2章 五感と体感
何か起こると、いつも同じパターンで感情表出をするケースがあります。

私自身も、親戚のある人に会うと(ブログ読んでいないと思うので)、「地団太踏んでバタバタしたいくらいの子供じみた怒り」が湧いてきます。これにも理由があるのでなるべく席を近くにしないよう自分の中にある地雷を自分自身が踏まないようにしています。

さて、そうやって何故激しく感情表出するのか?

その感情表出の裏には、まだまだいろいろな感情がうごめいているからなのだと思います。
故に、こういう場合、いつもワンパターンの感情を当たり散らして、防衛機制を張っている、ということもあり得ます。

ですから、その人の感情表出が「その人の真の感情」であるかどうかは、じっくりとお話を聞いていかなくてはわかりません。奥が深いのです。

じっくりとお話を聴くことは大切なことです。

自分のワンパターンの感情表出、、、必ず何かあるはずです。。。

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ユングと感情仕分け

2010年03月30日 | 第2章 五感と体感
湧き出す感情がワンパターンな場合もあります。

自問自答する中で、いつも一つの感情しか思い浮かばない場合、その固さを少しばかり緩めてみるとよさそうです。

あらゆる感情が自分の中にうごめいています。カウンセラーを目指す私たちは、それらの感情をひとつひとつ自己分析し自己事例として意識化しておく必要があります。
うごめく感情を感情の曼荼羅と云ったユングは、チベット仏教の「死者の書」から感情受容の修行を学んだようです。

ひとつの文化、ひとつの民族、ひとつの宗教にこだわらず、ひろく世界を知ることで、新ためて自分を知ることができるのです。

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不安と感情

2010年03月29日 | 第2章 五感と体感
湧き出す感情と不安感の関係を自分自身が意識し、この関係を繋げてみると、不思議なくらい頭の中のモヤモヤが整理されることがあります。

自己愛は、自分がどのように「人から愛されたいか、人を愛したいか」そして、「自分はどのような愛され方をして育ってきたのか」その結果「どのような愛し方をしているのか?」

自分の不安な感情は、孤独?虚無?嫉妬?悲しみ?怒り?嫌悪?焦燥?哀れ?疎外?
感情はまだまだあります。

一つの感情をひも解いていくと、自分にしかわからない感覚に行きつきます。

行きついたその感覚は、どこから来るものなのか?

そのことを意識化しようとするならば、「どのように親に愛されたか?」という問いを自問自答する必要がでてくるようです。

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湧き出す感情には意味がある

2010年03月28日 | 第2章 五感と体感
湧き出す感情には意味があります。

私の感情は、私自身の感情です。

湧き出す感情の取り扱いに失敗すると、自己否定、他者否定がどんどん増大していきます。

自分自身の感情を自分が見つめていこうとすると、自己の内に感情の曼荼羅が広がります。

掴みどころのない、モヤモヤとしたものであったり、大きな石に押しつぶされているような不快感であったり、体感を意識していくことで言語化もしやすくなっていきます。

混沌とした曼荼羅が、徐々に整理され曼荼羅のように区分けされていくと自己の感情を受容しやすくなっていくように思います。

新しい環境に身を置く方が多い季節です。

私自身、4月から出会う方々との出会いは未知なるものです。

そろそろ心を整えていきたいと思います。

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カウンセリングの理論

2010年03月27日 | 第2章 五感と体感
日本にはカウンセラーの国家試験がありません。

臨床を学び、実践する場をカウンセリングを学ぶ人が体験する機会を得るのは至難の業であることが、悲しいかな現実です。

でも、理論は大事です。理論を学ばなくては、現場には立てません。

理論を知っておくと何の役に立つのでしょう?

自分の家族や身近な人の心のケアーをする必要に迫られた時、錯乱状態の人をやみくもに支援することは、とても怖いことです。命の危険の問題に発展する可能性もあります。

理論は、現実を吟味する力を養います。

学問は臨床から成り立っていることを私たちのような学びをしている人は忘れてはならないと思います。

知恵は力なりです。

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自他混合の受験結果

2010年03月26日 | 第2章 五感と体感
中学受験は、いくら世の中が不況だと言っても中身は変わらないようです。
最近では公立が中高一貫をし出したり、公立高校無料化に伴い、ますます親の意識の二極化進んでいくのだろうと思います。

国立大学の発表も終わり、今年度の受験シーズンはおしまいです。

「決まったところが行くところ。」と頭では思っていても、理想と現実のギャップが頭を悩まし、不満な気持ちが湧いている人もこの時期たくさんいらっしゃると思います。

小学校受験、高校受験、大学受験、資格試験いろいろありますが、私が気になるのは中学受験です。

子供の不満感と親の不満感の整理をしてみましょう。

子供の意志が芽生え、自らの力でがんばったにも関わらず結果が不満である場合。
親の意思が強く、子供の結果が受け容れられない場合。
子供の不満をどうにか励まそうとしているが、それがでできないと悩んでいるケース。

もしくは、あたかも自分の不満が子供の不満感であるかのようになってはいませんか?

自他混合は親子の場合、当たり前のことだと思います。

子供の幸せを願うあまり、子供の気持ちが自分の気持ちと入れ替わっているような状態になることもあるようです。

ふと、自分が自他混合かもしれないと気付いたとしたら、「あなた」と「私」をきちんと分ける意識をしてみるとよいようです。

それができると、頭の中の絡まる糸がほぐれてくるはずです。

春休み。自分自身の頭の整理もぜひ!

お子様の中学受験結果の悩みが深ければ、きちんとお子さんと向き合い、行かれる学校に相談するのもひとつです。

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春の雫

2010年03月25日 | 第2章 五感と体感
寒さが戻り、今朝の寒さは身にしみます。

春の訪れは、いつもこんな感じです。

雨降る庭を眺めると、紅葉の新芽に銀色の雫が垂れさがり、陽の光が無いのにキラキラと輝いています。

お水取りの次は、復活祭です。「春分の日以降の満月」が過ぎた日曜日が復活祭です。今年は4月4日。

新芽の雫に春の光を見、今日もいつもと同じように暮らしていけることを願います。

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時間がかかります

2010年03月24日 | 第2章 五感と体感
人との関わりの中で、その人の持つ内なる答えを自分自身が見据えようとするまで、案外時間がかかります。

その間の関わり合いは、尊い信頼関係を育む時間です。

私は何のために心理学を学んでいるのか?
何をしようと思ってこの道にはいったのか?

学問と現場をどちらも大切にし、経験を積んでいきたいし、どちらも必要なものなのです。

私自身、やりたいことを大切にしながら行くべき方向を見定めていきたいと思います。

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退行現象

2010年03月23日 | 第2章 五感と体感
退行現象とは防衛機制の一つで、簡単に言うと「赤ちゃんがえり」のことです。

思春期の時期は「赤ちゃんがえり現象」が至る所で見えてきます。
赤ちゃんがえりをすることでもう一度自分自身のアイデンティティの再構築をしていくようです。

自我の目覚めと自立心の関係なのかな、と私は思います。

「自分が孤立した一人の人間である」ことを強く意識または無意識の中での意識し出すと、「私と他者」の関係が急速に離れていくのです。

「私と他者」が離れていることに気付いた不安感は、人によって違うようです。

そんな状態の子供に親である皆さんが、
「人なんてそんなものよ」とか社会批判や学校批判とか人の批判を子供に向かって言ったりしていませんか?

不安感を持ち、赤ちゃんがえりをしながら自己のアイデンティティを組み立て直していこうとしている作業中の子供に「否定的な話題を提供」すると、子供がどんどん心的混乱を起こしていくようです。
 
母親が子供の赤ちゃんがえりに気付いたら、「傾聴」してください。

子供はすでに一貫性を持った親から育てられており、思考と感情と行動の素地を身につけています。その成育史の中から必ず自分の答えを見出すはずです。

傾聴とは、否定も肯定もせず聴く姿勢のことです。

私ができているか?というと、それは、なんとも言えず反省多しですが、もし子供の退行現象で悩んでいらっしゃるのであれば、子供をどうするか?ではなく、現象に気付いた親が自分自身の姿勢を点検してみるのも良い機会かもしれません。

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草履の鼻緒

2010年03月22日 | 第2章 五感と体感
デパートの和装売り場で履職人の方が鼻緒の取りつけ実演をされていました。

能楽を始めたおかげで、母からの借り物ばかりでなく自分の物を少しずつ買い揃えています。
職人さんの横には、鼻緒がたくさん並べてあります。ふと「霞がかかったような薄紫の裂地に葡萄の刺繍」の鼻緒が目に留まりました。ちょっと高いけど、買っちゃおうかなぁ~

おめでたい儀式の手伝いを終えた帰り道でもあるし、ビーズアクセサリー作家の友人が出品している展覧会を観た帰り道でもあるし、、、
いろいろと自分の中で「買うことの言い訳」を廻らせ、葡萄の鼻緒を自分のものにすることに決めました。

職人さんは70代くらいの方。浅草で長年やっておられます。
私の足に合った鼻緒をつけ出しました。
ここでも、好奇心が湧き出し、職人さんの手つきをしげしげと無言で眺める私。

そうすると職人さんが「紐を括る、この音が良いんですよ。ね、いいでしょ?」と私に振ります。私が「キュッていう音で絞った感覚がわかるんですねぇ~さすがですねぇ」

そこからまた、じっと眺める私に「お客さんの顔と姿で、どんな足なのかわかるんです」
と職人さんが言います。「ほーーー、それは、すごい、、、」と私

仕上がった草履に私が足を入れると、「ほらね。ぴったりでしょ」とおっしゃいます。

江戸職人の艶っぽい粋な言葉に、私の気分は隅田川の橋のほとりまで行っちゃったような心地よさを感じました。

職人さんと「出会いだね」と互いに言葉を交わしお店を後にしました。
「出会いだね」
魂の会話は、やっぱり清々しい・・・

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還暦祝い

2010年03月21日 | 第2章 五感と体感
私には還暦まで、まだ時間があります。昨日は、長年の友人と主人の還暦祝いをしました。
招待した友人は、赤ではなく、檸檬色の素敵なセーターを着てきました。

赤を跳ね飛ばす勢いのある輝きの色です彼女らしさ健在…

私の進みたい道の道筋をつけてくれたような人。最近は年に一度会うくらいなのですが、久しぶりにお会いしても考え方や感じ方のオオモトに共通するものを感じます。

互いに尖っていたものが円やかになってきたような気もするし、空気の吸い方も穏やかになってきたように思います。

仕事も趣味も人間関係も、柵なく繋げていくと、いつしか磨かれている自分に気付きます。

生きているといろいろな体験をします。病気だってします。

でも、それが生きている証拠です。

経験積みながら60年間一廻りした二人は、また新たに歩んで行こう、と意気投合しておりました。こんな感じで相変わらずのマイペースさを大切にしてくださいませ。

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春休みの心得

2010年03月20日 | 第2章 五感と体感
理想と現実のギャップがあればあるほど、人は悩みが深くなっていきます。

カウンセリングで、カウンセラーが意識を向けて聴くポイントでもあります。
「理想と現実のギャップにおける自己の傾向と処理」について、自らの修業を怠っているカウンセラーに出会ったクライエントは、最悪の気分でカウンセリングの時間を過ごすこととなります。

カウンセラーは、知識を教える人でもなければ、倫理道徳を教える人でもありません。
人の人生の矛先を教える人でもありません。

ストレスを抱えている人が一日でも早く個人の幸福感へと導かれることを目標に置き、カオスの感情を整理する仕分けに添う職人だと理解しています。

感情の仕分けができるようになってくる、人は目標を持ちます。
不思議ですが、年齢関係なく、自分の将来を想像し、希望を持っていきます。
言葉のわからない赤ちゃんも、ターミナルの場合も同じなのです。

自分の真実を受容すると五感と体感が開かれてきます。その五感と体感が、希望ある感情へと移行していくのです。

「自分の内から湧きあがる何か」は、自分が掴むものなのです。自分で掴むゆえに達成感と自信が自ずから生まれてきます。

不安感や怒りの感情、不満感があるのなら、「こうしたい、こうするべき」と思う理想を意識化してみることから始めませんか?
不安感を通り越し、怒りや不満を撒き散らしている自分に居直っていたら、せっかくの春休みが台無しになってしまいます。

子供はお母さんの姿を通して自分を見つめています。。。今日から春休みですね。よき春休みをお過ごしくださるよう祈ります。

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感情の幅

2010年03月19日 | 第2章 五感と体感
「私はネガティブだから、もっとポジティブにならなきゃいけないと思う。。。」

なるほどなるほど、想いはわかります。

いつも暗い解釈になりやすい。。。
いつも否定的で、怒りっぽくて、すぐ悲しくなっちゃう。。。

でも、

見方を変えてみると、暗い感情の深い人は、その対極の明るい感情も深いはずなのです。

悲しみが深いほど、喜びは大きいのです。

感情の幅が狭いと、そのスケールも狭いのです。

想像する楽しさは、人生の喜びに繋がります。自分が暗い感情に陥りやすいと解釈するならば、その対極にある明るい感情を想像してみるとよいのではないでしょうか?
きっと、自分の中に明るいものがたくさん潜んでいるはずです。

辛さを知っている人は、喜びが何なのか知っているから、辛さを辛いと感じるのです。

今日で三学期終了です。あっという間の一年間。いよいよ来年度からは三年目に入ります。
あたたかいコミュニケーションの中から、確かに互いの喜びの相乗効果が表れてきたことは確かのようです。
人は一人では生きていけません。でも、親の庇護の中に居るうちは、自分が大きな宇宙の中に居る者であるということに気付く人はそんなに居ません。

でも、疼くことに戸惑いを感じだしたら、それが自我の目覚めであり、自己のアイデンティティを個性化することの始まりでもあり、自立への一歩なのです。

感情の幅を楽しみながら、頼れる人を上手く利用しながら、自己の内にある答えを見つけていこうではありませんか。


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谷中の猫

2010年03月18日 | 第2章 五感と体感
先日、友人が谷中を案内してくれました。

お寺の境内を抜けて行くと、細い道がくねくねと公道へと繋っています。

どう考えても、新築の家は建てられない道幅の風景は、なんとなく奈良市街地のはずれの街並みにも似ているように思いました。具体的に言うと不退寺から聖武天皇の墓陵に抜ける道です。

「谷中を歩くと、自分が猫になる。」
そのような面白い体感を味わいました。狭い道は自分の背丈も低くなります。目線もキョロキョロと落ち着きが無く、あちらのおうち、こちらのおうち、あの道この道と目が移ります。歩くうちに、小さな世界に迷い込んだ猫の気持ちは、きっとこんなもんなんだろうなぁ~という気分になり、あちこちを触りたくなります。

猫の手の気分ともいえます。猫の足ともいえるかな・・・

猫を散歩させて、猫のすきなようにさせている私の友人に感謝しつつ、猫の路地をまた歩きたいと思うのです。

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解釈の仕方

2010年03月17日 | 第2章 五感と体感
「五感と体感」は、「解釈」いかんでいかようにも変容するように思います。

見て聞いたものをどのように解釈するか?

自分自身には、あることに対しての傾向が必ずあります。

どのような考え方が自分を支配しているのでしょう?

理想と現実のギャップを縮めて、快適に過ごそうとするときに、自分は自分をどのように折り合いをつけていくのでしょう?

自分自身の取り扱い方法について、自分の解釈の仕方の傾向を見据えてみると、何か見えてきそうです。

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