五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

直観と必然

2008年03月29日 | 第2章 五感と体感
桜の花が満開です。
限りなく白に近い桜色が満開になると、心の内が広がるような開放感を感じます。

成城学園の住宅地にある猪股邸にいつか寄りたいと思いながら、なかなか果たせず、今日ようやく念願かない行ってきました。

行ってきました、というより、仕事の帰りに立ち寄ったというほうが正しい言い方です。

もともと、花を活けている友人が、その猪股邸の一般開放のお茶会に邸宅のお花を任され活けており、その会の時期がいつも仕事諸々で重なり、何年も伺うことができませんでした。今回は、別に中を見れなくてもよいから、という思いで私の師匠ご夫妻と訪ねてみました。

そうしたら、、、

「お茶会は4時までです」という看板が立てられています。

「あら、今日開放日なのね・・・」と思いながら中へ。

これは、直観といえば直観です。「あ、友人の花だ。。。」

互いに忙しく会える機会が持てず、日本の花をひたすら愛し、その花を活けるために陶器を焼くくらいの人。何事もものすごい集中力と配慮で突進していき、私がとても尊敬している姉のような人です。
建築・美術・音楽・本・旅・食・・・ともかく彼女の個性の美しさから多くのものを若い時に学ばせてもらいました。

かれこれ、20年のお付き合いになりますが、個性の美が輝いている彼女は今も変わりません。

やはり、居ました居ました。

友人「あら、なんでここに居るのよ!」と毒舌混じりの一言。
  「あなたはいつも忙しいから、連絡しなかったわよ!!」

私「はいはい、でも、門をくぐったら、誰が活けてるかすぐわかったわよ!!!」

感性を磨きながら、いらない物をそぎ落とし、本当に好きなことだけを見つめて、それを掴みながら生きる。
かといって霞だけ食べているわけではありません。

一つの空間を生かす一輪の花に、魂を込めています。

今が旬の花と枝は、巡る季節の予感と香りを漂わせ、華美でないものに、伝える想いが秘められています。

花の選び手による洗練された緊張感と見る側の開放感が重なり合い、そこで初めて安定した空気を感じ取ることができるようです。

日本の美しさ。ここに在り。

明日までやっているそうです。お花見がてら如何でしょうか?



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比較と否定と理性

2008年03月27日 | 第3章 無意識の世界
歴史上の人物であなたが尊敬する人は?

と問われたら、私は「ガンジー」と「マザーテレサ」と「南方熊楠」と答えています。「ガンジー」と「南方熊楠」に関しては、学生の頃から変わりません。

少数民族が他国に支配され、その民族の大半のアイデンティティとなっている宗教を否定され、ほかの思想を強要されるという残酷な現実に、深い悲しみを感じています。
その私の悲しい気持から頭に浮かぶ人物は上記三人。

人類誕生以来、繰り返し行われているこの出来事。この現実をくり返しながら人類は移動して新たな土地に定着していきました。

これが、人間のDNAに組み込まれた仕組みの一つなのかと思うと、何のために人はなぜ「自由意思」を与えられたのかな、と思います。

自由意思を与えられているからこそ、人は自分を守ろうと必死になります。

でも、その「守り」をしなくては、自分はすぐに絶えてしまいます。

「自由と平等と博愛」この理念は、フリーメイソンの理念であると聞いたことがあります。

この理念を守るためには、責任感と多少の教養とお金、そして理性が必要となっていうるように思っています。

自由にのびのびと、平安感を求めて暮らすには、背筋をのばして、お腹を引っ込め、自分を律し、緊張感を持ちながら暮らす覚悟も必要です。

平和構築のための理念を貫き通すことは、そうそう簡単なことではないようです。

相手を知り、簡単に否定せず、義理人情を欠くことなく、自分の意見をきちっと伝えられる人になりたいと思いつつ、現状では、とてもとても・・・・。

目指すばかりで生涯終えそうですが、でも、意識はしていたいと思うわけです。


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自己受容

2008年03月25日 | 第4章 愛とゆるし
ドラマ「薔薇のない花屋」。そして、先日放映した「ごたいせつ」というドラマ。
いずれも、愛の原型について描かれた、深い内容のドラマです。

「愛」とは何か。
この問いかけに、すぐ答えられる人はなかなかいないでしょう。居たとしても、その人の言葉はたぶん私が感じているものとは違うはずです。

「生き甲斐の心理学」の勉強では、「個人が思っている愛、感じている愛が愛」、だから、私が第三者に強く自分の「~あるべき愛」を語っても、遠い太鼓を聴いているようでピンとこないと思います。

成育史を通し、自分の体感と五感を信じて見えてくる愛が、その人にとっての「愛の原型」と言われているようです。

それらのドラマを見ながら、新約聖書の(ヨハネ4.1.42)「サマリアの女」をずっと考え続けていました。
欧米で生まれた心理学は、そのアイデンティティに「キリスト教」というものが深く関わっています

「サマリアの女」の節では、「自己受容」と「気づき」が描かれているのですが、井戸端で出会ったひとりの男性(イエス)が、傾聴し、問いかけ、そのことによって、その女性が浄化され気づいていくお話です。

短い時間に、これだけの気づきが得られるとは、と思うのですが、「気付き」にしても「受容」にしても、理屈では分かりません。

体感と五感です。


薔薇のない花屋、
「愛」に憧れている主人公は、「与えること」はできても「与えられる」ことを怖がります。自分が今、幸せになっても、いつかは壊れる時が来る、という不安感の増長により、「愛する人々との生活」と向き合うことができませんでした。
最終回、それぞれの「愛の孤独」に苦しんできた人たちが、食卓を囲みます。それから逃げ出したい主人公。でも、彼の恋人がとっさに腕を掴み、その場面に踏みとどませるのです。「逃げる」ことのできなかった彼は、そこで、大粒の涙をこぼします。

フロイトの防衛機制を重ね合わせ、浄化作用を起こした主人公に「サマリアの女」を想い浮かべました。

自分の内に宿る答えを信じると、きっと何かが見えてくるはずです。

目で見て、触って、嗅いで、味わって、聴いて、感じ取り、関わる人を大切にすることは、生きている人にしか味わえない喜びであると、しみじみ思います。


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復活祭

2008年03月23日 | 第9章 愛
✚「主の御復活おめでとうございます。」

キリスト教徒の方は馴染みのある挨拶ですが、そうではない方にとっては、少々違和感がある言葉でしょう。

復活祭は、毎年春分の日以降の満月の週の日曜です。ですから毎年、三月の下旬から四月にかけてのどれかの日曜日が復活祭となります。

クリスマスのように日にちが決まっているわけではありません。
ただ、「聖金曜日」つまり、キリストが十字架に架けられた曜日が金曜日で、その三日後に復活しているわけですから、曜日は、決められています。

奈良のお水取りが終わり、復活祭が訪れると、もう確実に春到来です。
私が住む横浜の桜も開花し始め、教会からの帰り道、遠回りをして、青空に伸びた桜の枝を見上げて、生命の息吹を頂いてきました。

午後からは、月に一度の我が家での勉強会。
お茶とお菓子で、楽しい集いです。
丸三年、「生き甲斐の心理学」のテキストをパラパラと捲りながら、時が過ぎました。
人生、様々ですが、日曜の午後、仕事や子育てに忙しい友がこうやって集まってくれることに改めて、心から感謝する一日でした。

テキストを読みこなす、というよりも、その人の思いや感情から湧き出してくる言葉は、宝物です。その言葉をこれからも一番大切にしていきたいと思っています。

力まず、無理せずに、その時その時の感情を言語化していくと、必ず、このテキストのどこかに繋がることに気づきます。

「体得、というのは、こういうことなのかな、」

学びは、一生。
息をひきとる瞬間まで、学ぶ喜びを感じることができる人生を送るのが私の目標です。

また、のんびりと続けていきましょう。宜しくお願い致します。

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ブラジル・ベレン

2008年03月20日 | 第9章 愛
テレビ番組、ダーツの旅をたまたまつけたら、その地名に記憶が蘇ってきました。
それは去年、日本から赴任先のブラジルに帰る途中に寄ったN.Yで帰天したI神父さんの住んでいた街の名前でした。

アマゾン川河口に近い街。ベレン。

大河というより、海と思える川が流れています。

漁師がとった魚を料理をし、レポーターが、美味しいと言いながら食べていました。
川魚を油で揚げ、スープにしていました。
水上生活の家族のお宅に泊まることとなり、家のご主人が、ハンモックを準備しだします。でも、夜になると川面から蚊が出現し、身体中刺されるので、ハンモックの布を身体に巻きつけて眠ります。

I神父さんは、まかないの方に食事をお任せしていたため、昼食の残りが夕食なんだ、とおっしゃっていました。

水とか油は、お腹を壊すには最短の方法です。
いくら海外生活に慣れていたとはいえ、きつかっただろうなぁ、と思います。

蚊のこともおっしゃっていました。「キンチョーの蚊取り線香が欲しい!」と。
でも、ベレンの人には、あの匂いはダメだろうから。。。そんな気づかいもしていました。

大きな街には立派な聖堂があり、画面に映ったその建物の扉を彼も押したのだろうな。。。とも思いました。

ブラジルの大きな地図を持ち、訪問する家庭で広げ、「そうですかねぇ~」と照れながら云い、茶目っ気を出して、人の言葉を待つのです。

この街の人々に愛されて、この街の人々を愛してやまなかったI神父さん。
テレビに登場する人々の笑顔と人懐っこさは、何か彼を思い起こさせる共通のものがあるように思いました。

偶然につけたテレビではありますが、必然を感じています。

天国にいる彼のイタズラなのでしょうか。
聖週間という大切な週、ベレンを見ることができたことに深い意味を感じます。

ひょっとしたらブラジルよりも、天国のほうが近いのかもしれません。





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自分との対話

2008年03月20日 | 第2章 五感と体感
「ガンジス川の流れに自分の変わりゆく感情を重ね、ヒマラヤ(須弥山)の山々に神を観ました。」

これは、私という箱を私が信じて観えてきたものを言語化したものです。

自分が信じてるものを相手に伝えようとしても、相手は、自分の概念で解釈します。
そこに心理学の面白さがあるのです。

私が発した言葉で、読んだ方は、いろいろなことを思い浮かべるはずです。
でも、「私が発した言葉」聞き、他人が「私」を理解することは、たぶん無理です。

まず、体が別のものである。
生まれてきた環境と成育史は、まったく別のものである。
その人の成育史から発せられた言葉には、必ず深い深い意味があるはずです。

だから、
「他人を理解している」というよりも、「他人を自分の思いで想像している」に過ぎないのです。

「思いやる」ことはできても、私は「あなた」にはなれません。


「人の身体は神の神殿」という聖書の言葉があります。
自分の内に答えがあり、自分という存在は、それだけ自由であり、深くもあり、広いのです。

自分との対話。
湧きあがる感情が自己の内面に表出されたら、それは、「私の真実」なのだと思っています。

今日は、復活祭を前にした聖木曜日です。

自分との対話のために、最適な環境を自分で作るのも、生き抜く知恵です。
自分と向き合う時間をあえて自分に課してみると、余計なものが身体から放出されるかもしれません。

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枝の主日に思う

2008年03月16日 | 第2章 五感と体感
棕櫚(しゅろ)の葉を扇ぎながら、イエス キリストを迎え、その棕櫚の葉に聖水をかけて祝別していただき、家に持ち帰り、来年の二月まで家に飾っておきます。

ここから受難の週が始まります。とても重要な祈りの儀式です。

聖木曜日、聖金曜日、そして復活前夜祭、復活祭と続きます。

御存じのとおり、十字架に掛けられたイエス・キリストの受難から復活の週なのです。(聖週間と云います)
15日、奈良のお水取りが無事終わりました。
それと入れ替わるように、また光に向けた祈りが始まります。

お昼を頂きに寄った中華街も、台湾の風習である海の女性の神様?(神様ではないのでどう表現していいのかわかりません)を祀り海の安全を祈願するお祭りの準備をしていました。

常に祈りに満たされた地球を、宇宙から見ている飛行士たちはどのような思いで見ているのでしょう。
宇宙から見たら、地球は掴めるほどの大きさです。そんな中で、人は生き延びるために様々な行動を起こして生活しています。

同じ地球上で夜の星に祈りを捧げている人もいれば、朝日を拝んで今日一日を過ごそうと張り切っている人もいます。

祈りの連鎖を知ると、たったひとりの自分を支えている自分自身の存在が、とてもとても小さく思えるのです。小さな自分でも、祈りの連鎖の役目を充分果たしているのです。
自分の役割は、自分と自分の家族、友達だけのためにあるわけではないのです。
見知らぬ隣の人と手を繋いでいることを想像すると、自分の命はもっともっと尊いものと思えるのです。

自分の命を大切に、大切に。。。
そして、私の愛するチベットの山々に想いを馳せ。。。
昨年帰天したヒロさんの祭服の桜の花に幸せを感じながら。。。

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黄緑色の季節

2008年03月14日 | 第2章 五感と体感
雨降る中、傘をさして近所のスーパーに出かけました。
冬の寒さから春の暖かさに変わり、雨降るごとに新芽が伸びてきます。

いつも通る柳の路。見上げると、新芽がほわほわと芽吹いています。
生まれたての黄緑色を見ると、赤ちゃんの産毛を思い出し、心が柔らかくなるのです。

沈丁花の花の香りや、奈良の都を想って植えた酔馬木(あせび)の花、夏椿の芽、今にも咲きそうな雪柳、現在満開のクリスマスローズなどなど・・・我が家の狭い庭も楽しげな雰囲気になってきました。

春の空気に草木の匂いが混じり、匂いを嗅ぐ鼻がもぞもぞします。
お鼻の「もぞもぞ」は毎年、いよいよ花粉症デビューではないか、とヒヤヒヤ・・・です。
花粉症の方は、きっと、そんな悠長なことは言っていられないと思いますが。

森の木も「ほわほわ」しています。
なんとなくピンクがかった森の色が黄緑色に変わる季節。今年もひとつひとつの季節を大切に巡りながら暮らしていこう、と小さな決意です。

お水取りは15日におわります。復活祭は23日です。

春の訪れを五感で感じて、言葉にすると、身体の中から芽が出てきて生命力が湧き上がってくるようです。

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観えてくるもの

2008年03月12日 | 第2章 五感と体感
12日は二月堂、修二会のクライマックス。
12本の松明が一斉に掲げられます。

日付が変わると、若狭からお水送りされた香水のお水取りの儀式が行われます。

その後、二月堂内にて「だったん」という儀式が行われるのです。

そして、15日の朝方、満行となります。

人は、見えないものを感じ取る感性を持ち備えています。

信じて見えてくるもの。

ただし、人によって違います。
感じ方も違います。

個性の美

二週間の間、どのくらいの人々が、この二月堂を訪れるかは知りませんが、皆、それぞれの想いを秘めて、この場所にやってくるのです。

百聞は一見にしかず。

炎から何かが観えてきます。
松明の炎を眺めながら、湧いてくる思考と感情に耳を澄ますと、あの世とこの世の狭間に揺れる魂の動線が記憶にとどまり、段々と安心感と希望の気持ちが湧きあがってくるのです。

自分の感性を信じて観えてくるものが、私を支えます。
物でもない、幽霊でもない、心の奥深くから湧き上がる「何か」です。

美しい感情の曼陀羅を描く描き手は、私自身。

湧きあがる感情を、否定も肯定もせず、静かに見つめる時間は、生きていく上でとても大切なことだと思います。

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奈良のお水取り

2008年03月10日 | 第2章 五感と体感
今年も懲りずに行ってきました。

お天気に恵まれ、奈良盆地の凛とする空気に包まれながら、1日から15日まで続く8日のお松明を拝んできました。

日中と深夜から明け方までは、二月堂のお堂に上がることができ、練行衆の声明を目前で聴くことができます。
その間行われる、様々な動きも、格子越しに伺うことができ、スケジュールさえ把握していれば、懺悔の行も共に拝むことができます。
頭を垂れ、一心に祈る情動に駆られます。

11人の練行衆を統括する大導師の声明でしょうか。素晴らしいお声でした。
腹の内から響く声明は、聴く者すべての身体と心と魂を震わし、生ける者としての喜びが湧きあがってくるのです。

30分ほど、お堂の畳に上がり、格子越しに正座し、練行衆の祈りに耳を澄ましました。
聴こえる声明は自分の体内に宿る一粒一粒の細胞まで響き渡り、それが連鎖し、私の奥深くに宿る魂が呼び起こされ、その魂が夜のお松明の魂と一つになり、心と体が浄化されていくのを感じるのです。

松明の炎は、打ち震える魂と魂の混じり合う美しい姿です。

美しい。ほんとうに美しい。

しんしんと冷える闇に、燃え立つ炎から永遠普遍のなにかを感じ取るのです。

今年も行けてよかった、としみじみ思います。
四旬節の間に、神仏もキリスト教も、復活祭、お花祭りの光を予感し、祈りの連鎖の季節です。

東大寺の華厳の教えは、一粒一粒を繋げることの意味を説いています。
細胞の繋がりは、私をつくり、私と繋がる人との連鎖で、何かを成すことができるのです。
その繋がりは、無限の可能性を秘めています。

成せば成る。

これから数年かけて、もう少し勉強し、夜半の声明に目標設定です。
蝋燭の灯に照らされた練行衆の声明、そして、闇の中で何を見るか、それは、その時のお楽しみ。

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大阪勉強会

2008年03月10日 | 第9章 愛
2007年4月から3月まで行われた月一回の大阪池田勉強会、11回目最終回。

「生き甲斐の心理学」のテキストをベースに、毎回、様々な投げ掛けをし、学びを深めていきました。

人が発する言葉は、言の葉と言われる所以通り、一言一言が尊いものです。
その人の人生が垣間見られ、大切なひとつの命が今現在まで生き抜いてこられた証
として、私たちは知ることができるのです。

言葉を発する本人自身、自分の言の葉にはっとすることをしばしば経験します。

あなたと私の関係性において、「あなたの求めている答え」は「私の内」にはありません。

「自分が求めている答え」は、「自分自身の内」にあるのです。

だからといって、一人きりになり、苦しみながら自分の内にある答えを見つけるこは、大変難しいことです。

知識も必要。
学問も必要。
情報も必要。
否定も肯定もせず傾聴する仲間は、もっと必要。
「愛」は第一条件。

自分を語ることで、それがテキストに書かれている理論と重なっていることに気づくだけでも、大きな一歩となります。

共に学び合う空間は、大事です。

一年間、友情を育みながら学びあったお仲間との別れは、少々寂しいですが、またお会いできる日を心待ちにし、私も次の一歩を踏み込みたいと思います。

大阪勉強会参加者の皆様に感謝をこめて。

世話人のブログ「生き甲斐の心理学」も引き続き宜しくお願い致します。

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褒める

2008年03月07日 | 第1章 意識と知覚
先日、「やるだけやった後の愛情のこもった言葉掛けほど嬉しいものはない」としみじみ言っていたのは我が子です。褒めて育てるとはこのことか、と改めて思いました。 何の話題でこの言葉が出たかというと、本格的に通い出した予備校講師のことです。 毎回講師の「飴と鞭」に感動する想いがわき上がってくるそうです。 長い授業の最後に解かせる問題に取り組んだ生徒に対していつも敬意とを表してくださるそうです。 頑張った後でかけられる「褒め言葉」は嬉しいものです。 プロの予備校講師のテクニックだと言ってしまえはそれまでですが本音を語れば相手に伝わります。嘘を言えばこれも伝わります。
カウンセリングの学びの中で耳にタコが出来るほど聞かされている言葉があります。 「愛は訓練」 「褒める」ことに照れを感じるかもしれませんが、本音からでた言葉であれば褒められた人は嬉しいはずです。
これが明るい感情生活の第一歩かもしれません。
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腰越勉強会第二回

2008年03月05日 | 第2章 五感と体感
公開講座になって二回目の勉強会が3月4日に行われました。
(世話人はブログ「生き甲斐の心理学」の師です。
人気ブログランキングから入っていただければ、10位以内に入っていますので、ぜひ、お読みください。)

さらに新しいメンバーをお迎えしての勉強会でしたが、私が楽しかったので、たぶん皆さんも楽しまれたことと解釈しています。

今週の金曜日は大阪池田の勉強会の最終日です。
一年間、往復日帰り横浜ー大阪の旅をさせて頂き、気持のよい達成感を感じています。
そして、この勉強会で、関東地方での定期的な勉強会の必要性を感じ二年間続いた鎌倉勉強会を一般公開としました。

二泊三日の参加が不可能な通信講座生の方々や、NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会で講師活動を始めた仲間や、一般の方々が、何の隔てもなく同じ場所と時間を共有し、個性の美を育んでゆくプロセスは、理想に叶った形と言ってよいかもしれません。

私を含め、いろいろな職業の方、いろいろなテーマを持っいらっしゃる方が参加しています。一か月に一度、じっくりと自分と向き合ってみる経験は、日々の生活を明るいものにすることを可能にします。

第二回のお題は、①「五感と体感」です。初めて参加される方への問いかけでもあります。

②原初感情である「怖い」「怖くない」、「好き」「嫌い」を自分の意識にあげることができるか?

③「愛の原型」についての問いかけで勉強会は次回へ・・・

「生き甲斐の心理学」の学びを、もっともっと学ぶ方が増えるよう、活動の場を増やしていくつもりです。
予防医学の面からも「生き甲斐」は、人の感情生活の要であると考えています。
じっくり時間をかけて、他者肯定、自己肯定しながら、学びを深めてまいりましょう。

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生活支援センター

2008年03月03日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
本日は、勉強を兼ねて、我が町横浜市港北区にできる精神障害者の生活支援センターのありかたについての市民対象フォーラムに参加してきました。

私たちのNPOが社会資源として、働きの一コマとしてお役に立てるはず、と確信
しました。

当事者の方々のご家族、身近な方、そして、予防医学的に心身に不安を抱えた方々の勉強会はできそうです。
実際、私たちの勉強会には、そのような環境で不安を抱えながら生活していらっしゃる方も多くいらっしゃいます。

整った環境の中で連携を深めながら、「生き甲斐の心理学」を学ぶ機会をぜひ作りたいと、希望が湧きました。

よりよくイキイキと生きていくには、知恵と情報が必要です。

謙遜に、粛々と業務を遂行している方々の働きを垣間見させて頂き、学ぶことの多さを知りました。

私どものNPOの特徴は、愛をもってひたすら時間をかけ、じっくりと学び合うことができることです。
この長所を生かして、マイペースに活動してきたことは、決して無駄なことではなかったと思いました。

じっくり、のんびり、大切に。。。
この特徴である強みを、堂々と世間に宣伝する良き時期に来たように感じています。

「お水取り」。3月2日は、小浜市にて、「お水送り」が行われました。
人は一人では生きていけません。このように互いに補い合いながら、よりよく生きていきたいものです。

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