五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

大祓い

2015年06月30日 | 第2章 五感と体感
大祓い2015年6月30日

今日は一年の半分を祓う大祓いの日です。
神社には茅の輪が設置され、神社によって違う習わしがあるようで、茅の輪を潜ることのできる期間がそれぞれのようです。
どうせお参りするならきっちり6月30日にけじめをつけて祓い清めて、年の後半に一歩踏み出したいものです。

暦を意識し、自分の住まう地域の寺社の風習に目を留めてみると多彩な行事が存在していることに気付きます。

関東の夏至の前後の晴れた日は、4時前から明るくなり出し、4時を過ぎるとすっきりと明るくなります。
早起きの私にとっては、太陽と共に暮らす生活に満足する時期でもあり、自然界の規則と共に活動していることに充実感を感じるのです。

禊ぎと穢れを繰り返し、「新たになること」は、古今東西、人に内在する欲求の様なものでもあるように思います。

七夕の短冊も目にしつつ、そろそろ京都は祇園の雰囲気になります。
暦を中心に天を仰ぎ、暮らすことを自分なりに丁寧に愉しみたいものです。

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もんじゃの集い

2015年06月29日 | 第2章 五感と体感
もんじゃの集い2015年6月29日

我が家に友人が集う勉強会、かれこれ10年以上続いています。
そこでの出会いで色々な繋がりもでき、楽しいお付き合いをさせていただいています。

昨日の勉強会は「もんじゃ焼きをつつき合いながら学ぼう」の会でした。

私がもんじゃ焼きを体験した事が無いことにもんじゃ達人の友人が驚き、大きなホットプレートを持参してくださり、もちろん頂くためのヘラも準備し、楽しい集いが叶いました。
半世紀以上生きてきて、もんじゃ体験の無い友人がもう一人存在していることも発覚し、二人で意外な美味しさに感動したのでありました。

我が家に大きなホットプレートが無い、ということも今回は大きな気付きであり、大人数で、囲んで頂く楽しさは、鍋の時とはちょっと違います。

友人のてきぱきとした手さばきに皆の目が注目し、グツグツと過熱されてきたころに一斉に出す皆さんのヘラを持つ手が、なんだかとっても可愛らしく、子供に戻った感じになります。
近所の駄菓子屋さんでおばちゃんが作ってくれるもんじゃの話を聞きながら、転勤して住んだ場所の地域性を思い出し、更に核家族の代表的な過程で育ってきた子供の頃の食の風景をふと思い出したりもしました。

皆でわいわいしながらもんじゃをつつき合う光景は、思い出すだけでワクワクします。
歳を取ってから、こんな経験ができるなんて、ほんとうに有り難いことです。

今まで出来なかったことやしたいと思わなかったことをしてみることは、大人の特権かな・・・とも思いつつ、当分もんじゃの光景を思い出してニヤニヤしそうな私です。

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忠犬ハチ公新作能

2015年06月28日 | 第2章 五感と体感
忠犬ハチ公新作能2015年6月28日

東京都表装内装協会の展覧会は、昨日が最終日でした。表装が如何に日本の文化を担っているかを示すためにも大事な展覧会でありましょう。
技術はもちろんのこと「発信」という課題を工夫していくことが特にこれからの継承者の役目でもあることを強く思うのでした。

都立美術館を後にし、
友人と上野公園を散策しながら蓮の咲き出した不忍池の弁天様を抜け、本郷の金魚坂へ。江戸時代から続く金魚屋さんは想像以上に大きく、金魚の釣り堀まであります。金魚に魅せられた友人の楽しい話で、このところの忙殺をきれいさっぱり洗い流して頂き、せっかく本郷に来たので東大に設置された「忠犬ハチ公と上野博士との出会いのシーン」彫刻にも会ってきました。
いい味を出している実力派の彫刻でした。
ハチ公と先生の愛を感じつつ、渋谷のハチ公のその後を愛を籠めて制作したことをひしひしと感ずる作品です。渋谷駅と東大を結ぶ役目を果たした彫刻家のお人柄も窺い知れます。
能楽ならば、
「愛おしい人が亡くなったことも知らず来る日も来る日も待ち続け、願い叶わずハチ公は亡くなり、それから数年後、旅の僧がその場所を通ると里の女がやってきて水をください、と僧に願うのです。様子のおかしい女の話を聞くと、自分は待ち続けた主人に会えず命が尽きた犬であることを打ち明けます。女は僧に自分の苦しい思いを消して成仏させてくださいと願うのです。
僧は一心に祈り、その祈りが通じ、女は天に昇り、成仏が叶います。
そして、僧はその場所に一体の石の仏を刻みその場所を後にするのでした。」
等と、こんな感じの謡曲が仕上がるのでは、と、妄想が膨らむのでした。
こんな新作能を東大農学部でお披露目したら、都市伝説ならぬ継続中の今昔物語がどんどんとふえてゆくやもしれませぬ。

もうひとつ妄想するならば、道行は渋谷の駅から本郷、そして東大までの名所を登場させましょう。金魚坂の金魚も登場させたいものです。旅の僧が女に出会う場所は東大農学部の門のあたりとでも致しましょう。

あ、忠犬ハチ公は、男の子なのですが(笑)

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いつも在る

2015年06月26日 | 第2章 五感と体感
いつも在る2015年6月26日

昨日のお茶の時間、断捨離の話題から、自分の持ち物をどこまでにするか?という話題に移り、「手で持てる程度の段ボール箱2箱で納まるか?」という究極的な問い掛けをされ、「うーーーん」と唸りました。

本。服。ノートや資料。置物。
挙げてみると、色々な物に囲まれて暮らしています。

事ある毎に、何らかを処分してはいるのですが、本当にどうにかしなくてはならないものは、どうもそのままの状態である様な事が薄々意識に上がりつつはあります。でも、まだ手つかずです。

自分の物を取捨選択するには、「いつも在る」という事の意識があるかないかでも随分違ってくるようにも思います。

「いつも在るもの」は、目に見えて存在するものという意味ではありません。
いつも在るものが自分の心と身体と魂の奥深くに「在る」ことを確信した時に、きっともっともっと自分の身体だけがあれば満足するのかもしれませんし、観念もできるのかもしれません。

自分の欲というのも実在するものに捉われ過ぎていると、見る目の範囲が狭くなり、ますます不安が募ります。不安が募ると纏いたくなります。
あれが無くなると困る、、これは必要だ、、、等々。
まだまだ修行が足りんなと、苦笑いしながら、お茶の時間は過ぎたのでありました。

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唐招提寺の薫り

2015年06月25日 | 第2章 五感と体感
唐招提寺の薫り2015年6月25日

6月は鑑真和上の命日月です。
そんなわけで、6月に入ると必ず唐招提寺のお線香を炊きます。
数年前に求めて以来、まだあるから大丈夫、と思っていたら、いつしか残りがわずかになってきました。

沙羅双樹「夏椿」の栄枯と共に6月もそろそろお終いです。

残りわずかなお線香の箱を開けると「いつ来る?」と言われているようで、只今なかなか行けない奈良に呼ばれています。

唐招提寺と薬師寺巡り、二月堂で夕日を拝んで、講堂跡で気を頂くいつものコースを想像しつつ、一年の前半の締めくくりに入りたいと思うのです。

朝からお線香の香りを沁みこませ、祖先の血を蘇らせると深いところから湧き上がるものを感じます。これがシルクロードを辿ってやってきた乳香の香りとなると、もっともっと底の方から祖先の記憶が湧きあがってくるように思うから不思議です。

白花の薫り伴い水無月の

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問題解決の秘訣

2015年06月24日 | 第2章 五感と体感
問題解決の秘訣2015年6月24日

一人の人が何かの問題を起こした時、多数の人があれやこれやと動き出すわけですが、その際、とても大事なことが一つあります。

それは、問題を起こした人(病気とかトラブル、悩みの相談等)の処理は、なるべくなら一人の人が窓口となりその当事者の対応をすることが理想的です。

問題に対して生じる諸々の事が小さな問題であっても、複数の人が当事者と関わり出すと、当事者と関係者がどんどんと混乱を生んでいきます。

人それぞれには、生まれてから今日までの生育史が備わっています。
「備わったもの」とは、その人の概念であり、感情や行動もその概念次第で表出されます。
それぞれの人が一人の当事者に対して、それぞれの概念の言葉や行いで対応したらどうなるでしょうか?

問題を解決するために情報を取り入れて解決してゆくのは、本人のお仕事です。
本人が出来なければ、本人を代行する人を立てれば良いのです。但し、それらのことは法的なことを背景に行わなければなりません。

「複数の人が良かれと思って当事者に情報を与える事で生じる混乱」ほど稚拙なものはありません。焦点付けが難しくなるだけでなく、問題が別の方向へ発展してゆく危険があります。

「何かの問題が生じた時、問題対応者は誰か?責任者は誰か?」をしっかりと思い出すような訓練も必要なようです。それを思い出さないばかりに、余計な情報に取り込まれ、問題が混乱していくのです。

この問題の窓口は誰か?
問題の解決にあたり、自分はどの役割を担っているか?
このことを少なくとも問題対応をすべき者が吟味できていれば、混乱を回避しながら問題解決に至るはずです。
この図式を把握した上で、当事者の深刻な心の悩みを聴くことは、傾聴者の大切な心構えです。

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人類の定義

2015年06月23日 | 第2章 五感と体感
人類の定義2015年6月23日

太陽が東の端っこから上がり、西の端っこに沈むのを確認し、世の中の裏と表がひっくり返って隅々までお掃除できたような清々しさを感じながら昨日22日夏至の一日を過ごしました。
雨の降らない夏至の日は珍しいのです。
たいてい夏至の日は雨降りの暗い一日で、太陽の位置が確認できず、つまらないのですが、有り難い一日でありました。

規則性を見出し暦が出来た頃には、世界のあちらこちらにモニュメントが造られ、祭儀が定着していたわけです。いつしか意味もわからずその祭儀をし続け慣習化されて、習慣や祭や礼儀作法へと繋がってゆくことで各々の土地の文化が個性化されてゆきます。
その個性化された文化を書き綴る事は、人類の大切な生き延びる術でもありましょう。
そこから哲学が育まれ、文学が育まれ、科学や物理も同じように発展してきました。
人類が生き延びてゆくには、文科系も理科系も同等に共存してこそ成り立ってゆくものでしょう。
映画スターウォーズに登場する人々の服装にしても科学的な暮らしとは裏腹な原始的な住まいにしても、その共存を揶揄しているように私は解釈しています。

「神話を大切にしない民族は滅びる。」という文化人類学の定義を大前提にするかしないかで、これからの地球の方向性が定まってゆくようにも思います。

「夏至の日にこうべを垂れて手を合わせ」

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今日は夏至

2015年06月22日 | 第2章 五感と体感
今日は夏至2015年6月22日

本日6月22日は夏至。
一年の内で一番陽の長い日です。
毎年、この日はお天気が悪く、太陽の軌道を天を仰いで確認する事ができませんが今日の神奈川県はまあまあのお天気のようですので、仕事の手を休めながら太陽の位置を確認したいと思います。

地球と太陽の関係が永遠普遍のものでありますよう手を合わせ、規則的に繰り返されることにより自分が生かされていることに感謝したいものです。

今日から6月30日の晦日にかけては、浄化の期間でもありましょう。晦日の日に一年の前半分を禊ぎ祓い、改めて新しくなり、7月を迎えるのがいにしへからの日本の風習でもありますが、この時期の歳時はあまり世間に浸透していないようです。
季節はずれとは思わず6月晦日に神社に参拝してみると大切な行事であることが解るはずです。

この時期に頂く和菓子の「水無月」を頂くことを心待ちに、半年分の自分の余計な重みを浄化したいものです。

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ことわりをあらはす

2015年06月21日 | 第2章 五感と体感
ことわりをあらはす

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。

玄関先の沙羅双樹「夏椿」の落ち花を拾い集めながら早朝から平家物語の一節を呟くのは、我が家に夏椿を植えてからのことです。この一節を呟きたいために植えたわけですが、夏椿は、開花して一日で若いままの姿で、ぽとりとその花を落とします。その姿が日本の娑羅双樹の置き換えとなったのだと思います。
インドに椿はありません。娑羅の意味は「サーラ」の音訳で、「日陰を作る大樹の意」であるそうです。御釈迦様が入滅した時に白い花が咲いたそうで、その花を日本では夏椿としているようです。

夏椿の時期は、ぽとりと落ちた花を拾い、平家物語を読んでみたり、謡本を読んだりしながら、その日一日を愉しむのです。

最近、「ことわりをあらはす」という言葉が好きです。

その人なりの人生の一端と出会うことは、その人の理と対面しているということであり、つまり個人が表す現象には意味があることを「ことわり(理)」という一語で一旦受容する事も容易になるから不思議です。言葉の持つ意味は、私にとってとても重要なのです。

同じような意味を持つ言葉がいくつかあるわけですが、自分が体験している現象に相応しい言葉が自分に落ちてこないとしっくりときません。言葉が的をついていないと想像する情景までが違ってきます。

「ことわりをあらはす」
今はこの言葉が、私の統合に至るおまじないかもしれません。

今朝も夏椿の花拾いをしながら、「ことわりをあらはす」ことを思うのでした。
この花は、敦盛か経正か、、、などと思いながら。


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自分のしていること

2015年06月20日 | 第2章 五感と体感
自分のしていること2015年6月20日

「自分の行っていることが、他者からどう見えているか?」
この「他者からどう見えているか?」ということにおいて、自分の解釈と他者が自分を見ている解釈が違うことは、当然だと思った方が良さそうです。

自分がどんなに一所懸命やっても他者からはただのお節介にしか見えていないかもしれません。

自分がひたすら一所懸命やっていることを他者は評価しているかもしれません。

自分が的を得ていると思いながらやっていることは、他者からは視点が違う、と思われているかもしれません。

「自分のしていることがわからないのだ」
イエスキリストが十字架に付けられたとき、彼はそう云います。「やっている人は自分がしていることが本当はどういうことなのかをわかっていない。」
何かの決定をするときに、私はいつもこの言葉を思い出します。

自分がやっていることは、見当違いなことなのか?思いこみなのか?はたまた、他者に迷惑をかけていないか?
責任を持つ立場になればなるほど、吟味する力を育む必要がありますが、過剰になりすぎてもやりすぎです。

自分がしていることについてのよき判断には、よきパートナーの存在も大きいのだと思います。
自分一人が正しいと思う時、周りが自分の事を気遣い出したら、要注意であることも気に留めておきたいものです。

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情報を整理する

2015年06月19日 | 第2章 五感と体感
情報を整理する2015年6月19日

第三者の事についての情報が入ってきたり、第三者が自分の評価をしていることを更に別の第三者から聞いた時、それらの情報を自分が知って自分はどうするか。

情報の内容にもよりますが、お喋り的な話題をお節介で流されても、流した本人が相手の事を気遣って教えてくれたとしても、当人同士の関係性で成り立ったものではないので、不確実性の感情が増大し、返って混乱に追いこまれていきます。

多方向から得る情報は、自分のアイデンティティを揺らがす場合があります。

他者の情報に惑わされず、自分の目と耳で聞いていることを中心据えて、お節介な情報を遮断する勇気を持つ事は大事なことです。

憶測ばかりで成される会話は虚しいばかりです。見えないばかりに不安感が増大していきます。

もし、職場や学校でそんな会話が蔓延していたら、これ以上そのことについての話題を持たないようお口を閉じる事が得策です。
気付いた人がお口を閉じると、同じような違和感を持っていた人はそれに準じていきます。

余計な情報を得ているばかりに整理がつかないのであれば、自分にとって余計な情報をこれ以上取り入れないことです。

自分が混乱しないために必要な情報と不必要な情報を整理することは、自分自身の感情の整理のための第一歩のようです。

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環境を引き寄せる

2015年06月18日 | 第2章 五感と体感
環境を引き寄せる2015年6月17日

「人は思った通りの人となる。」
「自分が思う通りの自分になる。」とは確かにそうだな、と思います。

言葉で文句を言い続けていると、いつしか自分が文句の主人公となり、自分が嫌いな人間に自分自身がなってしまいそうな気持ちになります。
先日NHKの歴史ヒストリアで「持統天皇」が取り上げられました。
私自身、学びの一環で、ここ10年、持統天皇を追っているのですが、持統天皇と向き合い出した10年前とは、違う見識であることを改めて気付かされ、いつしか自分にとっての支柱のような御方のように思えていることも薄々感じています。
番組は漫画の「天上の虹」を中心に構成されており、その天上の虹が今年の春に32年間かけて完結した事を知りました。
この漫画は個人的に画風が好みで無いのと、作家と見方が違うことで違和感を覚えた経緯があるので、漫画を読むことは一巻の途中で読むのを止めてしまいましたが、今回の番組で、持統天皇が命を閉じる時の作品に籠めた作家の思いに心が動きました。
作品を描き続けた32年間という長い期間は、つまり57歳で人生を閉じた持統天皇自身の成長とそれと向き合う作家の人生が重なるものでもあり、作家の言葉は、とても尊いものと受け止めたのです。
そんなことを感じる私自身もきっと何かの成長の印なのかもしれないですし、ただ知識が深まってきただけとは云えないようです。

女帝としての働きを全うし、藤原京の真南に位置する天武天皇の墓に共に眠る意思を示した持統天皇の自己実現は、環境を引き寄せることに相応しい精神力と行動力を持ち合わせた結果なのかもしれません。
そろそろ私も持統天皇を纏める時期が来ているのかな、と。地図と歴史書と小説の数々の背表紙を眺め、雨降る一日を過ごすのでした。

自分自身の環境を引き寄せるのは自分自身...

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ウイグル料理

2015年06月17日 | 第2章 五感と体感
ウイグル料理2015年6月17日

ウイグル料理を初めて頂きました。
東西交易の道筋は、やっぱり私の遺伝子に記憶されているなぁ~と、無意識の記憶を呼び覚ましながら味を愉しみました。

飛鳥、奈良時代にもたらされた天平文化は、現代に生きる私に懐かしさを呼び覚まし、身体の中にある宇宙を体感することができます。
その体感を得て何らかのものと照合する為に今まで奈良を旅してきました。
体感を得て、自らの何らかと照合して、安心に至ることは、人の持つデジデリウム(見欲神)そのもののようにも思います。

確かに外国を旅し、そこで頂いてきた料理を懐かしむ思いもありましたが、それよりも体内に宿されている食の記憶だと思うのです。

枝葉の先から枝を辿り、幹を下り根本近くまで降りるような感覚を持つと自分がしっかりと立っているような気分にもなります。
私達を生かし活かすのは食べる事が満たされてこそです。

自分が生きている土地の環境に馴染むものを食することは自分を養うというわけでありますね。祖先一人一人の連鎖が自分の心身を成していることを改めて思うのでありました。

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表装のお話

2015年06月16日 | 第2章 五感と体感
表装のお話2015年6月16日

4月に作品展が終わってから、早いもので二カ月が過ぎました。
今年は夏に作品展が無いので、ぼちぼち次回発表のために取りかかる段取りをつける思いが湧いてきました。
作品を預かりながら、手をつけていないものもあり、この夏はそれらを中心に手掛けようと考えています。

6月21日から27日土曜日まで[東京表具師内装文化協会]主宰の表装・内装作品展が開催されます。場所は都立美術館です。
毎年、出品しなくては、、、と、思いつつ、この時期は二足のわらじの片方が中心なので制作時間が取れないことを理由に観に行くだけにさせていただいております。
表装って、こんなものなんだ、、、
と、知って頂きたいのですが、日本人にはとても馴染みのある設えで有るはずなのに、なかなか表装の形が浸透していません。
時代物のテレビドラマにしてもアニメにしても「表装の形」すら間違えているあり様です。時代物のテレビドラマで科学糊の機械でプレスした薄っぺらな軸を掛けると直ぐに解ります。そんな時は、悲しくなります。

それでも地方に出向くと「御軸に仕立ててもらう」という言葉が自然と出てくる事もあり、日常の言葉として使用していることに触れるととても嬉しく思うのです。

表装は確かに職人の技術であり、依頼人の懐具合によるものが大きいのですが、それだけではない美しい表現形態でもあるのです。
形式を知るだけでも文化の深さを知ることとなるのも表装です。

紙と水と裂と木と糊、自然の豊かな日本の文化で更に育まれてきた表装をもう日常の場所で見せていきたいと、思うのです。

上野の美術館巡りの際、都立美術館「表装作品展」にちょっと寄ってみてください。入場無料です。

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横浜らしさ

2015年06月15日 | 第2章 五感と体感
横浜らしさ2015年6月15日

京浜東北線の根岸線の某駅が実家の最寄り駅です。昭和の新興住宅地であるため、区画整理されただだっ広い土地の風景に未だに違和感を覚えます。正直好みの街ではありません。そこから海側に車を走らせると10分ぐらいで京浜急行の線路を越える事ができます。京浜急行は「ハマ」の象徴的な電車でもあり、鎌倉海道沿いが路線でもあり横浜の歴史風情を未だに感ずることのできる街がたくさんあります。
京浜急行の線路を越えた東側は、東京湾です。そして、再びトンネルを抜けた根岸線が京浜急行と交差し湾岸を走ります。浜辺を埋め立てたコンビナートや工場、発電所が並んでいます。夜になるとコンビナートの明かりがキラキラと瞬き、車窓から見える海側の風景は異質な中に心弾む情動が湧いてきます。
先週、父が腕の骨を折り、そのコンビナートの見える病院に入院しました。幸運にもきれいな折れ方をしていたようで、両親共々別々に暮らし、互いの身体を個別に養生するのに丁度良いという楽観的な解釈に至りつつ、昨日も見舞いに行きました。
利き腕の右肘を固定され痛々しい姿ではあるのですが、口は動くのでありがたく、日常会話が普段よりも素直に為されるところも怪我をして良かったと心の内で思うわけです。病院は産業道路と国道16号に挟まれており、その先に根岸線の線路があり、さらにその先には首都高速も走っています。コンビナートは、その更に先にあるわけですが、病院のあたりはかつての横浜の浜辺の雰囲気が残っているのです。
父いわく、夜になると根岸線が賑やかになるのだそうです。
線路を走るガタンガタンという音ではなく、「シューーッ」という音なのだ、と。
石油を運んだり、コンテナを運んだり、根岸線の終電から始発までの間は、このような列車が働いているというわけです。
横浜の観光スポットはご存じの通りですが、港横浜らしさは、船と物流の仕事があってこそ、成り立つものなのかもしれません。
暫くは、夜中の線路に耳を傾け横浜らしさを味わって頂きたく、回復に励んでほしいものです。

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