五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

ミュシャ展

2017年03月31日 | 第2章 五感と体感
ミュシャ展2017年3月31日


写真;スロベニアのカフェにて。コーヒークリーム「スメタナ」

三寒四温がまだまだ続きます。入学式を控えた方々にとっては咲いた桜を背景に記念写真を撮れること間違いなし。関東よりも北にお住まいの方は、ちょっと待ち遠しい階下になりそうですね。

先日、東京新国立美術館で開催中のミュシャ展を観てきました。
アールヌーボーの代表的な作家として認知しているアルフォンス ミュシャは、彼の母国チェコではムハMUCHA。19世紀から20世紀を跨いで時代の先端で活躍したデザイナーとして、現代でも誰もが目にしている作品を手掛けています。

チェコの美術学校に入学できず、ミュンヘンに留学し、パリに移ります。1891年にゴーギャンと出会い、サラベルナール主演の「ジスモンダ」のポスターを手掛けたことから、注目されるのです。経済的にパトロンから援助を受ける中から、多くの作品を手掛け富を得ていったミュシャが、活躍したのちにチェコに帰り、スラブ叙事詩を描くわけです。

スラブ民族の歴史は、現在に至るまで、侵略の歴史を語らずには語ることができません。
ローマ帝国の侵略以降、特に8世紀から9世紀にかけてのローマンカトリックの侵略、そして、ロシア正教、宗教改革の大きな出来事のワンシーンを巨大なキャンバスに描いたミュシャの意気込みは、私の想像を絶するものです。
意匠の美しさ、色彩の美しさがミュシャのイメージでしたが、デッサン力といい、色彩の表現といい、あれだけの作品を手掛けながらも、心身の健康があればこその表現であり、展覧会の会場が混んでいなければ、しばらく時を忘れて立ちすくんでしまったことでしょう。

白ロシアのゲットー(ユダヤ人居留区)で生まれたシャガールが描いた旧約聖書を題材にした大きな作品を初めてフランスのニースで観た時のドキドキ感とはちょっと違いますが、似たような感覚を体感しながらスラブ叙事詩の前に佇みました。

「ミュシャがこの世を去ってからこの百年、東ヨーロッパのさらに続いた苦難の道のりをミュシャであれば、どんなふうに作品を描くだろうか。」
そのことばかりが、頭に巡っています。

8年前にスロベニアを巡ったときに聞いた第二次世界大戦から1980年代の民主化までの現状、そして、NATOの話題までを一気に聞いたことも今回のミュシャ展で蘇っています。

それぞれの民族の平和を尊重しあう時代を望みつつ、地球上に住んでいる以前に棲んでいることをミュシャから改めて意識させられたように思います。

友人が歌うバルカン音楽を久しぶりに聴きたくなっています。

写真;スロベニアからクロアチアを望む風景



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命を守る

2017年03月28日 | 第2章 五感と体感
想像の域を超えること 2017年3月28日

春休み真っ只中、綻んだお顔の人々や就活が始まり緊張して硬直した表情の学生が混在している電車内は、人の営みの曼陀羅図です。

私も相変わらず年度末と年度初めのやるべきことをコツコツと整理したり準備したりの日々に追われていますが、昨日はとある修道院を訪ねる用事があり、あるシスターの子供時代のお話をお聞きしながら「自然の中で生き抜く力」の感性を幼き頃から育み体得することの大切さをしみじみと語り合いました。
長居した修道院を出るころにはすっかり日が暮れかかっていました。

帰路の電車でスマホを開き、ニュースをチェックすると雪崩の遭難が目に飛び込んできました。

これからの人生に希望をもって、いろいろなことにチャレンジしていく若者の死は、ある理由から私自身人並み以上に反応してしまう傾向があります。

想像の域を超える事態が起き、それに対処するすべもなく一瞬のうちに吞み込まれてしまった事に、時間を巻き戻すことはできませんが、回避する判断をどうしても考えてしまいます。

ここ数年の気候変動で、私たちの想像をはるかに超えた被害をもたらしています。

そして、「想定外」「今までに経験したことのない」という言葉が頻繁に聞かれるようになりました。

慎重になることが、もしかしたら以前よりも大事な判断になってきたかもしれません。

私の関わる学校は、「警報が一つ発令されたら家で待機する」という規則・原則があります。
少々のことでも甘く見ないことが、これからの時代の生き抜き方を見極める術として、最も大事なことの一つになりつつあるようにも思います。

命を守ることが最優先であることを改めて心に留めています。

合掌。

ほんとうに悔しいです。

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桜咲く

2017年03月25日 | 第2章 五感と体感
桜咲く2017年3月25日



ソメイヨシノが咲き出すと本格的な桜のシーズンを意識します。
21日に靖国神社の桜が確認され、東京は開花宣言しました。
とはいえ、寒の戻りで春の香りはあるものの今年は寒さが抜けませんね。

街を歩けば袴姿の卒業生が右往左往。
晴れやかな姿は、寒の戻りの体の冷えを瞬間的に温めてくれます。

昨日の春休み只中の渋谷の街は、老若男女で溢れかえっておりました。
高校を卒業したばかりの男子や女子は、なんとなくわかります。
制服から解放され、次のステップまでの呑気な時期を満面の笑みで表していたりすると、通りすがりの人であっても、なんだかこちらまでワクワクしてきます。

私といえば、三月は二つの会報を仕上げ、決算やら年度末と年度初めの整理と準備で慌ただしく、こんな時ほど、怪我したり風邪をひかないよう、体調に用心することに余念がありません。。
そのようなわけで、仕事真っ只中で駆けずり回るおばちゃんは、街ですれ違う若者のエネジーを吸血鬼のように吸い取って元気をもらっているわけです(笑)
四月に入ると、琵琶湖の勉強会があるので、それを目標に突っ走らずにマラソンです。

十年近く毎年同じようなパターンで年間スケジュールを過ごしていますが、なるべくなら余
計な負荷がかからないよう無事に季節を過ごしてゆきたいものです。
とはいえ、何が起こるか予測はつかず、予測がつかない出来事ほど重いものはないので、そうであるからこそ、平素のパターンを淡々とやり過ごせる状態でいたいと思います。

桜を明るい気持ちで愛でるのも切ない気持ちで愛でるのも、今年の桜は今年限り。
どちらにせよ、桜の季節を仄かに楽しみたいものです。


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春分過ぎて

2017年03月22日 | 第2章 五感と体感
春分過ぎて2017年3月22日


立春から一ヶ月半以上経ち、3月20日は春分でした。
東京の靖国神社の桜の花が5,6個以上咲いたと云う事で、昨日は東京は桜の開花が認められました。
昨年は、開花から寒い日が続き、花持ちが良かった事を思い出します。
今年はどうでしょう。
各学校の入学式まで持つと良いのですが。。。

地球温暖化が冬に大量の雪をもたらし、どか雪に激暑の度合いがほんとうに激しい昨今、自分の生活圏で少しでも快適に生き抜くための工夫に、以前よりも知恵が必要になってきたようです。

定期的に訪れるようになった足柄の里山は、冬は暖かく、夏は涼しいので、都心から逃れて自然の空気の中で土や草木に触れ、自然の空気の中で身体を動かすことは、体内の循環がスムーズになります。これから初めて体験する夏の気候をちょっぴり不安を交えながら心待ちにしています。
今まで、東名高速道路で通過していた横浜から程良い距離の里山で、そのような体験をさせていただくのは本当に有り難い事です。

一か月に一度のゲスト作業と言えども、自然と農作物を相手に怠ける事も許されません。
自然界の中から見出す創造主は、自ずと頭を垂れる人の情動を呼び起こします。
ふと「ミレーの晩鐘」を思い出し、何処もいつの時代も同じ感情を抱く人間の普遍性は、自然と意識的に対峙する役割で造られた創造物であることを改めて思うのです。その反面、共有や共生を人間本位でコントロールしようとする「人」は、森羅万象のバランスから外れることで、きっとそのうち淘汰されてゆくかもしれません。
地球の将来を知る由もありませんが、森羅万象に抗(あら)がう事よりも、森羅万象の自然界に含まれた人を生きていたいと思うのです。

丁寧に生きるというのは、そう云う事なのかもしれません。


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足柄みかん園 其の四

2017年03月20日 | 第2章 五感と体感
足柄山のみかん園 其の四 2017年3月20日



昨年末にみかん狩りを初体験して以来、4回目のみかん園。

梅の木の草刈り。10本ほどある梅の木の敷地を2時間かけて草刈り機を稼動しました。
前回草刈り機のエンジンの掛け方、持ち方を習ったのですが、習っただけでは上手く動かせず、悪戦苦闘していくうちに段々と上手にできるようになってきましたが、慣れた頃に作業はお終い。
あくる日の今日は、流石に腰や腕にきています。
表具の道具が大工道具と重なっているので、鋸やゲンノウは使いなれているのですが、エンジンをかけて使う道具は危険が伴うだけでなく、振動が強いので、かなり身体に負荷がかかるようです。



エンジンを止めて、春の山に耳を澄ますと、冬の山とは違い、鳥の声が賑やかです。菜の花や早咲きの桜は満開で、横浜よりも季節が一足早く進んでいます。
霞たなびく春の空気は、なんとはなしに薄桃色で、その先に見える富士山も同じようにうっすらと色付いていました。
春の謡といえば、「羽衣」。いいかげんに覚えている羽衣のくだりを口ずさみながら、春の空気を満喫。



4月になると、草も一層生えてくるので、草刈り隊は頑張らなくてはなりません。
とはいえ、草木の新芽に目を取られ、作業の合間には、農道や畑のあぜ道に目が離せず、満開の菜の花も頂き、帰路の車は菜の花の香りが甘く充満していました。

世阿弥も芭蕉も私もきっと同じだ。と、長閑に思う春の一日でありました。

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東大寺の修二会満行

2017年03月16日 | 第2章 五感と体感


東大寺の修二会満行 2017年3月16日

3月14日で東大寺の修二会(お水取り)が満行しました。
1日~14日まで毎晩行われる松明では、練行衆の長い時間をかける「行の一端にしか過ぎませんが、一般人が窺い知ることが出来る一番身近な行でもあります。松明の炎に触れると祖先の魂をふるふると体感します。人々は無病息災を祈り、願いを籠めて松明の炎で焦げ落ちた杉の枝葉を拾います。
修二会の期間、ずっと奈良に滞在したいという夢はいつ果たせるか解りませんが、歳を取れば取るほど段々と体力も無くなってくるので、近い将来に願いを果たさないと、夜半の行に通う事も叶わなくなります。真っ暗な夜道を歩くにも足元がおぼつかない状態ではそれすら出来ません。
自分が死を迎える時に、想いを馳せる内容は、自分の経験が大きく影響するはずです。あれこれやらずに悔いばかりを残さないよう、メメントモリ(死を想う)をもう少し強化したいと思うようになっています。

3月1日~14日までのお水取りの時期を奈良で過ごしたいものです。
奈良に住んじゃった方が早いかな。。。と、思いながら暮らす時期が長すぎて、それを叶えている人に出会うと「ああ、先起こされた。。。」と、口を尖がらせるわけです。

「奈良のお水取りが終わると春が来る」
関西に住まう人は、口々にそれを仰います。今は、私自身にも身に付いている言葉ですが、お水取りの最中は、それとなく春の準備をします。

先日の14日には、日本橋に寄り、奈良のサテライトショップで、放映されていた阿倍仲麻呂の物語を見て、14日間の「行の締めくくり」を自分なりにしました。奈良の発信地が日本橋にあることは大変ありがたいことです。

今年の春は、少々足踏み状態のようですが、寒さの中にも春の潤いが混じっているのが分かります。花粉症が酷い人にとっては、そんな悠長な話題どころではないでしょうが、温(ぬく)い水分が含まれた空気は春の象徴です。

三笠山が若草色に色付くのを待ちながら、新たな年度を迎えるために整えたゆきたいものです。


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東日本大震災を思い

2017年03月11日 | 第2章 五感と体感


東日本大震災を思い 2017年3月11日

本日で東日本大震災から六年を迎えます。
昨年は、石巻で被災した仕事の関係者と共に時を過ごす事となり、東京から東北に向かって祈りを捧げました。

宮城県山元町に通い始めたのは翌年の2012年1月です。
ここ2年程は年に一度の訪問となっていますが、昨年末に開通した常磐線に乗りたいと心を弾ませています。
残念ながら昨年12月に訪れた時は、開通直前という日程だったため、新しい山下町駅に立ち、360度ぐるりと見渡すのみでした。
春の気候が落ち着き、初夏の風が吹く頃に訪問したいと思いを巡らしています。

家族や友人、知人の命が失われ、どんなに心に添おうと努力をしてみても、私達が出来る事は、計りしれないお気持ちを察して、一つ一つを再構築してゆかれる御姿を心から応援する事だけでした。
それでも、山元町のささえ愛さんを訪問すれば、皆さんが歓迎してくださり、共に食べて、共に喋り、時には涙しながら、絆を結んできたと確信はしています。
「東北に好(よ)き友あり。」
今は、そんな思いで、心配したり、楽しんだりしています。

私には体験された底なしの哀しみを癒す力は持ち添えていませんが、その心を知る一人の友人として、「遠方から友来たり」の私を迎えてくださる皆様と語り合う時間を持ち続けてゆきたいものです。

掌を手向(たむ)く温もり桃花水(とうかすい) 

合掌



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どこに美しさを見出すか

2017年03月09日 | 第2章 五感と体感


どこに美しさを見出すか。 2017年3月9日

どこに美しさを見出すか。
幼い頃から今に至るまで、美しさを感ずる「感情」には変わりは無いはずですが、美しさを見出す対象には、少々の変化が起こっているはずです。

華道家の友人と話をするうち、最近の自分の花の好みが、またひとつ変化した話題になりました。
「ここ数年、枯れた紫陽花の花や立ち木枯れの百合の花が、ほんに美しいと、感じていたが、それを踏まえたうえで、最近は藪椿の花と木の姿を美しいと思い、松を育てる事に心惹かれる」と友人に言うと、「間違い無く日本人のDNAだわ」と言われました。友人自身、山に花材を探しに入ると、それをしみじみ感ずるそうです。

縄文時代から日本人が整えてきた「はれの日」の室礼を覗けば覗くほど、削ぎきったものが見えてくるものです。
でも、私自身にしても、自分の内に重ねてきたものが無い限り、削ぐことはできず、重ねてきたものをどう削いでいくかが、ある程度の年齢になると本来見えてくるのが人の業なのかもしれません。

何を削いで、何を表すか。
その表現に、しつらえる者と見る者の互いの息が合うと、その空間が至福の気に包まれるのです。それを感ずる人に成ることが出来て初めて美しさの原点に立ち返る事ができるのだと思います。
自然の中で大らかに美しさを感ずることと表裏一体であり、同質であるのです。
そのことに執着する以外は、「おおらか」であれば良いと思うのです。
それが私らしさだと表現すれば、そうかもしれません。

奈良の東大寺二月堂のお水取りが後半に入り、そろそろ春の滴が混じる空気が重くなってきました。穢過を祈る時期と同時に、そろそろ花まつりの室礼を考える時期です。「天上天下唯我独尊の御釈迦様にどんな花を設えるか」というテーマにひたすら時間を費やす事に喜びを感ずることに美しさを見出すと、やはり美しさは決して物質的なものではあるまいと、納得するのでした。

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感情の変換 

2017年03月08日 | 第2章 五感と体感


感情の変換 2017年3月8日

怒りの感情
哀しみの感情
喜びの感情
感動の感情
安らぎの感情
恨みの感情
嫉妬の感情
妬みの感情
幸せな感情
等、
感情の種類は、書き連ねられないくらいあります。普段意識していないと自分が湧き出している感情がどんな種類のものなのか分からないまま過ごしているはずです。

二年前に、容体が安定していた伯父が兄弟のように親しくしていた旧友の来訪に喜んだ当日の夜に亡くなりました。その時に、「人の興奮は、喜びの時でも怒りの時でも、同質なエネルギーが働く」事の意味を身を持って知った体験をしました。伯父はよほど嬉しかったのでしょう。
怒りであっても、喜びであっても、同じエネルギーを使って興奮するのであれば、喜びながら命を閉じるのは最高の幸せであろうと思います。

チベットの死者の書の中に、「80の自性の分別」という修行が記されています。80種類の感情を一つ一つ検討して、それを無に変換してゆくのです。つまり、諸々湧き上がる自己の感情を受容してゆく作業なのだと私は解釈しています。
これは高僧が自分の死を目の前にして行う修業ですので、凡人の私にはそれを意識する事が精一杯なだけですが、確かに自分の中で動く感情に翻弄されていたら、感情に支配され、もっと深いところにある「核」に辿り着かないように思います。だからこそ、表層的な感情に囚われることなく宇宙に回帰するためには必要な修業なのかもしれません。そこで何が見えてくるかを知ることはできませんが、何とはなしに想像はつきます。

人の感情を単純に表現すると[「不安」か「不安でない」]だそうです。
この原初感情に、色々な経験や体験が重なり、諸々な感情へと上書きされていくのかもしれません。
本来は単純であろう自分自身の感情の動きを受け容れて、不安とは反対の感情になる何らかの行動、行為をすることが、いかに自分の身心を助けることになるかを一回信じて「心から楽しめる何か」をしてみると良いのです。

さすれば、
あら不思議、
自分の不安感の変換が成され、不安感のエネルギーと同じぐらいの喜びが湧き出してくるはずです。

自分自身のバランスは、自分自身のスケールを自分が知る以外、他者には解らないのです。
他者が他者を知ったつもりでも、それは推察にしか過ぎません。

自分を大切にすることを知る人は、他者を大切にする術を知っているようにも思います。

私自身も自己の感情の変換を要領よく愉しみたいものです。

腰越勉強会ではロジャーズの19の命題を取り組んでいますが、昨日の勉強会で上手く言語化できなかったので、文章にしてみました。


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目に見えている現象 

2017年03月04日 | 第2章 五感と体感


目に見えている現象 「カールロジャース・パースナリティ理論19の命題 ①」
2017年3月4日

憶測で他者の事を思い巡らし、想像しながら心配をしても、自分以外の人は他者です。
家族の心配にしても社会に関する心配にしても、「家族を心配している私の感情」「社会を心配している私の感情」を意識する事が大切なのです。

つまり、自他分離できてきるか。
自分と他者を分離できているか?

「他者があたかも自分である」と意識している事については、親子や夫婦の関係でいつしか誰もが経験している事でありましょう。「自分はそんなこと経験したことが無い」と、思えば思うほどもしかしたら他者から「自他分離できていない人」と見られているかもしれません。厳しいかな、案外自分に起きている現象は自分自身には見えにくいかもしれません。

「目に見ている現象」は、他者に見えていても、自分では俯瞰しきれないもののように思います。でも、他者からどうやって見られているのだろうと心配し過ぎても、それは心配症というよりも、ひょっとしたら自意識の強さにも繋がるかもしれません。

自分が見えているものは、自分自身の事なのか、もしくは、他者の事なのか?それとも自分自身の感情に大きく関わる他者の事なのか?
そのことを吟味して判別するだけでも、捉え方や取り組み方の流れが濁流から清流へと導かれてゆくように思います。

カールロジャーズ「パースナリティ理論の19の命題」の命題1
「個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間無く変化している経験の世界に存在する」を考えるひとつの視点となれば幸いです。

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御見送り

2017年03月03日 | 第2章 五感と体感




御見送り2017年3月3日

卒業式が終わりました。
毎年の事ですが、卒業証書を受け取る姿を見守り、退場してゆく姿を見送ると初めて安堵の気持ちが湧いてきます。
この式で、私自身生徒さんとの6年間のお付き合いに区切りがつくのです。

長い人生の中の一こまですが、生まれてから高校までの18年間は、自分の個性を育むとても大切な時期でもあります。
色々な感情の湧き出し方や色々な考えを持つ事の素地がある程度、自己の個性、つまり「私らしさ」に磨きがかかるのは中高生の頃でありましょう。
自分の「私らしさ」が、これからの出会いや出合いによって再構築されていくのです。
未知な体験に驚いたり、気付いたり、憂いだり、喜んだりしてゆくことでしょう。
「私らしさ」の素地は、良い事ばかりでは無い人生の一番の「頼り」になるはずです。

「私らしさ」という素地が既に自分に備わっていることを意識しているだけで、
大抵の事は乗り越えてゆけるように思います。

「人の身体は神の神殿」という言葉は、人の本質を表すのにもっとも近い言葉であるように思います。
自分の心と身体と魂を大切にしながら、「私らしさ」にゆとりを持ちつつ新しい環境へと歩んでゆかれることを祈っています。


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奈良のお水取り

2017年03月01日 | 第2章 五感と体感


奈良のお水取り 2017年3月1日

本日から14日まで、東大寺の修二会「お水取り」です。
午後19時~19時半の二月堂の松明は、とこしえの魂の連鎖を連想します。

今年で1266回。
私は、あの巨大な大仏殿を前にすると心がすっきり澄み渡り、晴れやかになるのです。二月堂は、自分の魂の故郷ですし、とにもかくにも東大寺を歩く事が私のアイデンティティの統合のツールの一つであるのです。

途切れることなく1266回、つまり1266年続けてきた儀式の事実は、人の一生の連鎖の証しとも云う事ができましょう。

二月堂を見上げ小路を歩くと「自分が東大寺で学ぶ小僧で、巻子(かんす)を両手で持ち、草鞋を履い裸足の足がパタパタと急ぎ足である感覚」が蘇ります。
きっと自分の遺伝子に、それを経験した坊さんがいるのだと確信しているのです。仏教の宗派を超えた学び舎の跡地に立つと、尚更その体感が奮い立ってきます。その後、石山本願寺を追われた僧が北陸を経て新潟に辿り着き、そこに定着しつつも江戸時代の北海道の開拓の為に江戸幕府の命を受けて寺院を建立するまでの祖先の血が私の中にあることを意識すると、自分一人だけの命では無いことを痛切に感ずるのです。多分、それが私の無意識の古層となって「私自身」を表現しているのだと思っています。
それが真実か否かは解りませんが、石山本願寺以前の流れを想像するに、「やはり原点は東大寺だった」と思い馳せるのは無理の無い想像だと思います。
もしかしたら、鑑真和上と共に海を渡ってきた小僧だったかもしれませんし。想像の翼を広げると、どこまでも楽しくなっていきます。
「自分の過去は、自分が生まれてからだけではないこと」をしみじみ感じ取った方が人生は面白いのです。
自分が生まれてから学習する事に少しは祖先の遺伝子が具体的に意識出来るくらい足されていれば、もう少し頭脳明晰になるはずなのですが、人間の脳にはそこまでの機能は与えられなかったようです(笑)
これが人の不思議の一つかもしれません。
同じ過ちを繰り返しながら、人類が命を繋いでいる事に、「人の意味」があるのでしょう。
そのことをこの1266回目の修二会で毎年感ずる事が一人の人間である私の役割なのかもしれません。
奈良のお水取りが終わると、春がやってきます。

今年はキリスト教の四旬節がお水取りと同時に始まります。
リオのカーニバルが終わると、ぱたりと世間が静かになるのです。
祈りの時期を大切にしたいものです。

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