五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

地球は生きている

2015年05月31日 | 第2章 五感と体感
地球は生きている2015年5月31日

地球の直径は12.742キロメートルだそうです。
昨晩の地震の震源地の深さが590キロメートルと表示され、こんな深いところが震源とは、と驚きつつ、そういえば私は地球の直径を意識した事が無かったことに思いが至りさっそく調べてみると上記のとおり。

震源地の深さ590キロ×2=1.180キロメートルを引くと11.562キロメートルです。この内側で何が起こっているのだろう。。。と、思うと、段々と地球が生き物のように感じられ、この地球に生命が宿り、あたかも「ヒト」が中心であるかのような「ヒト達」がどんどんと増殖し、そのヒト達が地球の表面をいじくっている事を客観的に想像してみると何だかとても虚しい気持ちに襲われます。

ここ数年、地球の中味が活発になっているように思います。地球の行く末に不安感を感ずることは確かに私にも湧き上がる感情です。でも、よくよく考えてみると地球と云う存在故にヒトが生かされていることを考えると、更に客観的な見方ができるのです。

銀河系の惑星が球体の形をしていることにはきっと意味があるわけで、赤道と北極南極地点からのそれぞれの円周は40キロメートルぐらいの違いしかありません。ほぼ完璧な球体というわけです。
その球体の地球を地球自身が維持継続してゆこうとするならば、修正をしながら銀河系で回転しながら存続してゆく必要があるわけです。
地球自身だけでなく銀河系で生き抜くための軌道を安定させるための何かかもしれない。。。と、勝手な推測し出すと、私の算数苦手な脳内が非理論的に動き出します。こんなとき、もう少し物理が得意だったら。。。と、思うのです(笑)

チベット仏教の寺院が建ち伝承され始めた頃の7.8世紀以来、ヒマラヤの山々は静かだったはずですし、そうでなければあの山深い場所に人々が住みつくことはできません。「地」と「防衛」が安定しているからこそ住み続ける事ができるのです。ヒトが作った国境は、地球を主体として考えると無意味なものです。ヒトはそろそろ真面目にそのことに向き合う時なのかもしれません。一番怖いのは国境ではなく地球そのものだったりして・・・。


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雀のお宿

2015年05月30日 | 第2章 五感と体感
雀のお宿 2015/05/30

アッシジの聖フランシスコは、彼が説法をしだすと鳥たちも集まってきたそうです。5,6年前私達家族はスロベニアの旅で二人のスロベニア人の神父さんに大変お世話になりスロベニアの主たる巡礼地を案内してもらいました。その時に訪れたブレッド湖の湖畔レストランで名物ケーキを皆で頂きました。ケーキの名はナポレオン。ミルフィーユを巨大化させたもので、フォークを突き刺すとポロポロとパイの屑が散らばり、旅仲間五人が座ったテーブルはみるみるうちに屑だらけに。
ケーキを平らげ話も弾み、そろそろトイレに。。。と、4人が席を立ち、一人の神父さんが荷物係りになり、そのテーブルは一人きりになりました。
暫くして母とテーブルに戻ろうとすると、ポツンと座わる神父さんのテーブルにたくさんの雀たちが乗っているではないですか。私達は雀が去るまで後方でその光景を眺めておりました。神父さんと云っても映画のようにいつも司祭服を着ているわけではありません。アロハなんぞを着て気楽な格好です。母と私は、「アッシジの聖フランシスコだね」とクスクス笑いながらもこの光景にとても温かいものを感じたのでした。
ここ二カ月、仕事の合間に見舞いに通い続けている某病院のパティオのカフェに座ると、スロベニアの旅で経験したテーブルにやってきた雀たちを思い出すのです。テーブルに着くと何気なく雀が近づいてきます。ためしにテーブルにケーキの小さな切れ端を置いてみると、ちょこんと乗っかり美味しそうに啄ばむのです。スロベニアの集団的啄ばみとは違い、日本の雀は少々恥ずかしがり屋で集団行動ではありません。一羽が乗ると他の雀は遠慮するのです。少しばかり大きなかけらを置くと、そこで啄ばまず、地面に一旦置いて少しずつ啄ばみ、残りは他の雀が頂戴していくのです。パイのかけらが散乱する光景ではないけれど、病院通いでこの雀さんに出会った人はなんと幸運でありましょう、と、思います。森羅万象の摂理について、如何なる時でも恩寵として解釈できる機会は与えられているのだと、この雀さん達を見てしみじみ思うのでした。

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梅雨入り足踏み

2015年05月29日 | 第2章 五感と体感
梅雨入り足踏み
2015年5月29日

今年の本州の梅雨入りは例年より遅れるとのこと。
このところの暑さで、電車に乗れば睡魔が襲います。電車に揺られながら睡眠を取ることが夏の疲れの癒しに繋がっているような数日を過ごしています。

昨年は5月末から梅雨入りだったこともあり、気持ちの中では既に梅雨の心持ちなので、今年の梅雨は二ヶ月間は覚悟が必要かな、、、と、これも腹を括らねば、と思います。

薔薇はおしまいの時期ですが、行く先々で紫陽花が咲き出しているのを見ると季節の移り変わりに楽しみを見出し、うっとおしさを軽減させるから不思議です。
湿度の高さを工夫で乗り切り、草木の色が深くなる芒種の季節を快く暮らしたいものです。

祇園祭には梅雨明けの気配を感じ、後の祭りにはすっかり梅雨明けになっていることを祈りつつ、今日もどんよりした雲を仰ぎながらも快い一日を過ごしたいものです。

5月31日で終了する「京王線:仙川駅下車徒歩5分・ギャラリーサジオ:中島史子展」中島さんの作品を茶掛けに仕立てさせていただいております。
長期間の個展がそろそろお終いとなります。御観覧くださった皆様、ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。


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掛け軸を別の視点から観る

2015年05月28日 | 第2章 五感と体感
掛け軸を別の視点から観る2015/05/28
円安も手伝い、海外からの観光客が増え、買い物だけではなく、日本の文化を知ろうとする外国人が増えたように見受けます。
最近は、観光スポットもSNSや口コミで広がるらしく、渋谷の交差点を上から眺めることのできる井の頭線とJRの渡り廊下のガラス窓にカメラを向け鈴なりになっている観光客を見かけたりします。
考えてみれば私も旅先では、普遍的な観光スポットよりも別の視点で自分のスポットを見つける事の方に楽しみを見つけます。
現地の人から見れば、「何でここで写真撮るの?」というような感じです。

自分の個性が自分の好みを見つけるわけですから誰から指摘されることなく、自分で見つけた喜びは、与えられたものよりも深いものになります。

最近、日本の文化を発信するために色々な事が取り組まれています。
私がコツコツ作業している表装も同じです。
「如何に海外からの人に魅力的に見せるか?欲しいと思わせるか?」
当たり前のように制作してきた私にとっては、当たり前なだけに大変難しい問題です。
でも、マイ観光スポット的な考え方で観るならば、ある人が盆栽が好きだったり、浮世絵が好きだったりすることと同じであり、掛け軸が「かっこいい」と思える場所が必要なのではないかと思うのです。
お土産物的な小さな屏風や葉書掛けも一つのアイディアですが、これは物品販売としての方法です。「かっこいい」と思って頂くには、「見せる場所」がかっこよければ、魅力的に見えるわけです。昔から日本美術や骨とう品に魅せられている人は洋室に掛け軸を設えて素敵なデコレーションを愉しんでいます。

私達自身も見方を変えて、表装自体を「現代美術的」な見方をすると別の海路が開けてくるようにも思います。今まで知らなかった文化に人が接した時の新鮮さは、古き伝統を守り続けてきた者とは違う新しいものを発見したという感覚なのです。
そのためには作り手の方も技術のみではなく設えのセンスを磨いていく必要がありましょう。古き伝統を引き継ぐことは別の方向から観点を見出すことも大事なことなのです。創作的な表装を発表することも良いでしょうが、伝統をきっちりと守り抜いた表装形式のほうが魅力があります。
形式的であり設えの良いかっこいい掛け軸と出合った人は「新大陸発見!」ぐらいの勢いで目をキラキラされるのではないでしょうか?


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夏を感ずる梅雨支度

2015年05月27日 | 第2章 五感と体感
ここ数日、夏の様な暑さです。梅雨に入ると湿度が上がり、憂鬱な気候となるのですが、暑いとは言っても湿度が低いので、室内にいる限り快適な体感です。

24節気72候では、今の節気は小満の頃。麦の穂が満ちてきたことを意味するそうです。「万物が次第に成長し満ち始める頃」
72候で見てみると、第22候の「蚕起きて桑を食む」→「蚕起食桑」
そして第23候の「紅花さかり」→「紅花栄」。丁度5月26日から30日頃までを云うそうです。
6月に入ると24節気は「芒種」となり、梅雨の季節に入ります。
今は初夏、梅雨の時期に入ると仲夏となります。

暦をたどり、季節の言葉を意識すると、気候が身体に馴染んでくるような気がするのが不思議です。
「心する」とは、このことで、心に留めると受容度も増してくるような暗示めいたものが湧いてきます。
梅雨に入る前のからりと晴れた五月晴れは、冬物の最終整理に勤しみます。そのようなわけで休日が晴れていないと滞ったような気分にもなります。

今年からは節約を意識し、クリーニング屋さんに依頼していたものを減らし、なるべく手洗いで頑張る誓いを立て、ようやく毛布を洗う時間を持つ事ができたので、梅雨前ギリギリで片づけが完了です。

節気と上手く付き合うと365日が愛おしくなり、日々の働きも丁寧になるのです。
梅雨支度に勤しみ、梅雨に入らば梅雨を愉しみ。

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不意打ちの地震

2015年05月26日 | 第1章 意識と知覚
不意打ちの地震
2015年5月26日

ひさしぶりに時間に追われない一日。仙川のギャラリーのテラスでのんびりと過ごさせていただきました。道路沿いにあるにも関わらず、ギャラリー前のテラスは長居するには最適で、ガラスを通してギャラリー内を見渡すことができるので、一層気楽にテラスでダラダラとできるのです。一時間ぐらいのつもりが、随分長い時間語らっておりました。

そうはいっても、二時半ごろに起きた震度4の地震で、初めて緊急地震速報がスマホからけたたましく鳴り、東日本大震災の当日が見事に蘇りました。
4年前の経験から今に至る諸々の事が自分に蓄積されているせいか、かえって心臓の鼓動が激しくなり、落ち着くまで少々時間を要しました。
のんびり過ごす時間の中で、このような不意打ちを食らうことは、ままあることではありますが、嫌なものです。

自分が本日持っている物を頭で巡らし、いつもは持っているスマホの充電コードを持って来なかった事を若干反省し、夜を越すには少々薄着であることも気になり、「そういえば…」と、仙川から歩くことの出来る親しい人の家も思い浮かび、いざとなればそこに辿りつけば良いな、、、と考えが至り、安心安堵を取り戻しました。地震が起こっている最中からその思索が始まり、治まる頃には考えがまとまっていたわけですから、過去の経験が自分の財産になっていることは確かなようです。
我が家の備蓄が少々甘くなっていることに気付きましたので、備蓄点検を早急にすることと致します。

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生きている 

2015年05月25日 | 第2章 五感と体感
2015年5月25日
生きている 

この世に生れて今日までの期間の自分自身の考え方や湧き出す感情は、どんなに親しい間柄でもどんなに仲良い家族でも、それぞれ測り知れないものがあるのです。
気になる人の生き方を垣間見つつ、「さもありなん」と感じたり、意外性を感じたり、驚きを感じたり、と、私自身も相手から見えてくるものによっていろいろな感情が湧き出してきます。

自分が「生きている」と感ずる時は、そうやって他者との関わりから湧き上がる感情と向き合ったり、役割や仕事に追われている時やそれに纏わる感情を噛みしめた時であったり、余計なしがらみに悩まされている時も「生きてる証拠や」と、半ば諦めのための理由に使ったり、、、様々な場面で感ずるわけです。
病気や怪我で具合が悪いと、余計に健康を渇望し生きている自分を意識したりもします。

なんだかんだ申しましても「今を生きているから故」このような事も考えられるわけで、生きている自分をどう自分自身が使うかは、やっぱり自分次第なのです。
先日少々早めに天国に逝ってしまった友人を想う数日間を過ごしながら、立派に素敵な子育てをされ、彼女の魂がご家族の内に生きていることを感じたら、清々しさをも同時に感じたのでした。
「あっぱれだよ」と、天に言葉を掛け、魂の連鎖を読みとることを大事にしたいものだとしみじみ思うのです。

悔いることをどう活かすかを問われるのも生きている証拠でありましょう。


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魂がわくわくする時

2015年05月23日 | 第2章 五感と体感
2015年5月23日
魂がわくわくする時

講座後に皆様とたまプラーザの庶民的で本格的な中華料理屋さんで昼食を頂くことが楽しみの一つです。
奈良の寺社の話題で盛り上がり、自分の身体と心に幸福感を感ずる寺社を各々が幸せいっぱいのお顔で語り合うと、心底満足した体感が改めて蘇ります。

奈良時代に登場する人物たちは、私をわくわくさせます。心が躍るとはこのことで、歴史書や小説を読みながら想像を広げると現在現実の我が身にふりかかっているしがらみが一掃されるのです。

昨日は、奈良好きの会話が弾み、久しぶりに東大寺二月堂から正倉院側に降りていく階段を巻子を持ってパタパタ駆け降りる小僧の私を久しぶりに蘇らせておりました。そんな折、まさしく同時間に二月堂の階段を歩く友人が小僧の私を思い出してメッセージを送ってくれたのです。

魂がわくわくする時は、私の心の奥深くの身体の宇宙の中枢のようなところが至福の喜びを体感します。

天の神様がちゃんと見守ってくれているなぁ・・・と、その喜びを素直に受け容れると自分の心と身体が中庸の位置に戻ります。
あら不思議やな・・・

「魂がわくわくする私」を意識するには一度「魂がわくわくする体感」を自ら味わうことが必要なようです。それが一瞬のことでもちゃんと記憶に留まり、生涯の自分の宝物になるように思います。わくわくする自分を受け容れていれば、きっと誰でも感ずることのできる「人に与えられたお恵みの体感」のようにも解釈しています。

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論理的に事運ぶ

2015年05月22日 | 第1章 意識と知覚
あることに論理的に事が運ばないのには諸処の事情があるからのようです。
その諸処の事情の中には、感覚的に判断したものが矛先違いであったり、感情ばかりが先行し、論理的な整理が出来ていないことも含まれているようです。
自分の考え方の傾向があります。それが何らかの強力な防衛機制によるものであれば、それを取り払いかぎり事が運ばないこともあり得そうです。

一過性の癒しを与えあうことも大事ですが、何事も事を成すには、論理的な行為が必要となるのです。
そのために事を成すためのプロセスをシミュレーションする必要があります。
そのシミュレーションが、事を成すための必要条件となっていくわけです。

その必要条件の範囲で、自分が出来る事、出来ない事があるのですが、そこから自分の役割が見えてくれば、論理的な方向へ一歩近づいたことと云う事ができそうです。

論理的に事を運ぶことは、論理的に考えを巡らすだけでは成すことはできません。
つまり、口先だけでは事は運ばないということです。
自分が「自分という心と身体と魂の主人公」であることを受け容れる事が、ある人にとってはとても苦難な事でもあるので、論理的に事を運ぶ前に、感情の整理が必要になるのです。

はてさて、、、自分の抱えている問題の自分の役割とは何か。今一度、胸に手を当てて意識化してみたい今日この頃です。

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愛の希求度 

2015年05月19日 | 第1章 意識と知覚
愛の希求度 昨日の講座のおさらい

たしかに昨日の講座は少々難しかったかな、と思います。
「自分自身の愛の大中小とは?」という設問を投げかけながら、自分が幼い頃に親から愛された記憶を思い出し、「愛の原型」を意識化してみたわけですが、
そもそも「愛し愛される」とは、どんなものなのでしょう。
この「愛の原型」を思い起こしてみると、他者とは意識に上がってくるものが違います。でも、他者の話を聞くと、「ああ、そうね、愛よね。。。」と私の感情も動きます。
「愛されたい」という希求は、親に大事にされたい希求とも重なりますし、親に振り向いてもらいたい願望にも繋がりますし、こうすれば親に褒められる、これを言えば、親から疎まれる、、、という概念も愛の希求の大小で幼い頃から学習しながら自分自身の個性も固定化してゆくようです。

つまり、これ以上希求したら周囲がどんな反応を示すか、ということも、自分の希求の現実吟味力を養わせていきます。
例えば、「これ以上、母親に自分の欲求を求めても無駄だな、」という思いが度々重なってゆくといつしか自分の人間関係における関わり方もそのようになってゆくかもしれませんし、逆に親に対して諦めた分、他者にそれを求めることもありそうです。
自分と他者との距離の取り方ひとつにしても、自分の愛の希求の仕方に傾向が現れるように思います。

昨日は、難しい問題をもっと気楽に考える時間が足りなかったかも、と反省しつつ、駅から自宅まで歩いていると「お兄ちゃん、きらい!」とママに手と手を繋ぎながら後ろを向いて叫んでいる妹とすれ違いました。しばらく歩くととぼとぼと歩いている年長さんぐらいのお兄ちゃんに遭遇。私の目をジーッと見つめて、「だから、僕が「待ってよ」って、言ってるじゃない…」、と、ボソボソと呟くように訴えたのです。
「ああ、他者に言語化できるだけ、偉いよ!」と、心の中で言いながら、「お兄ちゃん、その言葉、お母さんに聞こえると良いね。」とニコニコしながら言葉を返しました。お兄ちゃんは、ゆらりゆらりとしながら同じペースで歩いてゆきました。しみじみと「これぞ家族やなぁ~」と、思う私。
多分、この兄と妹の関係性において、兄は妹に独占されている母親への愛の希求度をかなりの部分節制しているわけで、なんだか今日の講座の締めくくりみたいだと、苦笑いしながら家に着いたというわけです。

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自分の直感を疑ってみる

2015年05月18日 | 第2章 五感と体感
自分の直感を疑ってみる

「自分の直感を信じる」ということを良く言われますが、半世紀以上生きてきて思うことは、自分の直感を疑うことの重要性も同時に培う必要があることも大事だということです。
生物学的な見地だと私達人間のDNAに組み込まれた直感は大切な生き抜くための力でありましょう。
でも、自分の直感ばかりを信じていたら、いつの間にやら自分の周囲から人が去っていくかもしれません。
生まれてから今日までの生育で育まれた自分の直観力、感受力は、どうやら自分という固有を生き抜かせるために養われた概念として身についているものも多い事を忘れてはならないように思います。
学びを通していつも思うことは、「自分の直観力を過信せず、それでも自分の直感を大切にすること」の応用力を経験によって身につける事によって、自分の器も多少は大きくなってくるのではないか、という事です。
先日、行き慣れた場所に向かうために一本ずれた道筋を辿って歩いたら真反対の方向に出てしまいました。自分の直感は、当てにならないと反省し汗をかきかき小走りになりながら、自分の直感や感受する事を疑うことも時には大事だとしみじみ思うのでした。
直感を信じて理論的に事を成しても的が外れることが続くのであれば、自分の直感を時々は疑ってみることも生き抜く力でもありましょう。

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横浜名所中華街

2015年05月17日 | 第2章 五感と体感
横浜名所中華街

このところプロ野球のベイスターズが強くて、横浜スタジアムの横を通ると何か優々しいエネルギーが放っているように感じます。大魔人以来の事であり、毎年「ああ、横浜っぽいよねぇ~」という会話が無いこともある意味横浜らしくないし、せっかく強いべーイスターズであるのにそのことを憂うのもハマッ子の天の邪鬼さでもあるかもしれません。でも、心の中ではワクワクしているのであります(笑)
3月に知人の個展が行われた中華街の某ギャラリーのオーナーと気が合い、今回会期中の版画作家の作品も惹かれることもあり、強気なエネルギーを放つスタジアムから気を降り注がれながらギャラリーに行ってきました。
そのギャラリーは、中華街のメインストリートのビルの3階にあります。
2階には昔から続いている古いギャラリーがあり、そのギャラリーのオーナーは、柴犬を飼っていてその犬もしっかりと看板娘として働いているようです。
顔が小さいのに太っているので、やたらとえらが張ったようなキュンとしたお顔が特徴で、福を呼ぶような犬顔がとても愛らしいのです。名前はアンズ。
ギャラリーには、ビルの1階の帽子屋の脇の通路を抜けてエレベーターに乗るのですが、その通路にはちょっと社会的なポスターなんぞが貼られており、まさに迷宮に入りこむ入口みたいな雰囲気です。
2、3年前あたりから、改めて中華街を知る機会を得ており、街の面白さを新たに楽しみ出すと次々と出会いに恵まれます。最近は路地にも新しい店が並び、昔よりも歩きやすくなりました。
甘栗や占いの呼び込みを尻目に歩く雑踏も刺激的。。。どこまでもエネルギッシュな中華街は流石生き抜く力をたっぷり備えています。
海岸沿いの地元横浜は、やはり魅力的。ディープな中華街、お楽しみあれ^^。

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的外れなお仕事

2015年05月15日 | 第1章 意識と知覚
新たな表装を手掛けるまでに、やたらと時間がかかるのは、昔、試験が近づいてくると勉強する事よりも部屋の片付けに精を出したのと何となく似ているような気もします。でも、一旦作業に入ると、その作業に没頭してしまうので他の事に手が付かなくなる傾向が私にはあります。そんなわけで、いくつか抱えている仕事を完全に日にちで区切る習慣を強制的に身につけてきました。
いつしか、習慣が身につき、仕事と仕事の間の境界線が明確になり、要領も良くなってきたように思えるようになりました。

しかし、
自分に与えられた仕事を自分の役割としてこなすことができているだろうか?
そんな思いが、ふっと湧き上がってくる事も度々です。

逃避する事の罪悪感も薄くなり、もし、出来ていないことを言い訳しながらやっていとしたら、もしかしたら自分の周囲の人々から信用されていない状況に陥っているかもしれません。

自分の内から湧き出す孤立感は、実は自分が作り上げているものかもしれない、ということを時々胸に手を当て、自分自身を客観的に見てゆくことも必要な事でありましょう。

大人になると、ましてや一つの仕事を任せられ独自のペースでこなしているとしたら、他者は指摘しにくいものです。
仕事は出来ても人柄が…
人柄が良くても仕事が…
大抵、職場での悩みごとはこんなところから始まってゆくものです。

自分のお仕事内容は、仕事の的を本当に得ているか。。。このことを素直に点検してみる事は、机の整理にもきっと繋がることとなるでしょう。

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映画の感想

2015年05月14日 | 第2章 五感と体感
映画の感想

昨日映画セッションを観ました。
自分自身が培ってきた技術や概念、そして自らの感性が持ち備えている基準値というのが「確かにある」のですが、それを他者に伝えようとする時、一体何を伝える事が良いのだろうか、という思いが湧きながら物語が進んでいきました。同時に映画に登場する「師という人物」の深層心理は明らかに病的な揺らめきの人であり、美への希求度が果てしなく高く、自分の尺度に合わない人物、そして目下の者に対しての傲慢さと侮蔑的態度は、心理学的に窺ってみると正常な人ではなさそうです。
とはいえ、技術的な修業については、日本も古来から師匠の後ろ姿を見て学び、もしくは師匠や先輩の手や物が飛んできたり、怒鳴られたりしながら学んでいく事は、つい最近まであったはずです。今でもそのような場があるやもしれませんが、ともすれば、パワハラやセクハラと称され、法で裁かれることになりかねません。

映画のセリフの中に「good job」に対する隠喩的な場面もあるわけで、ある意味インターネット社会の無限に拡大していく情報社会に問題を投げかける内容でもあるようにも感じます。

どんなにネット社会が発展しても「人である自分」は、自分の身体を通して自らを自己実現に導いてゆくしか術はないのです。

過度な要求で弟子に異常に求めていく師にとり込まれていく主人公が、最後に別れたガールフレンドにスマホで謝るシーンが一番人間らしく美しい場面でした。たぶん、これがなければ、観ている私もバランスが取れないまま映画館を後にした事でしょう。

まだまだ上映しているので、観てのお楽しみ、と、いうことで。。。

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主語は「私」

2015年05月11日 | 第1章 意識と知覚
主語は「私」

「生き甲斐の心理学講座」某女子中高一貫校の保護者のための講座「2015年度」がいよいよ始まります。
今年で有り難いことに7回目となります。

自分以外の家族と向き合うにしても家族以外と向き合うにしても、まず、自分は「私である」ことを口に出さないと、いつしか子供が自分なのか、自分が子供なのか、はたまた自分は自分なのか曖昧になっている事すら気付かずに暮らしている人が大半であるように思います。それが人の傾向でもあるのかもしれません。他者の事を我がことのように心配する事は、人と人の繋がりを持ちながら生きている人類の大切な生き抜くための方法でもあるようです。

情報を取り入れる道具は日に日に進化しています。
つい、2,3年前の情報やコミュニケーションツールを思い出しても「古さ」を感じたりするのですから、これからどうなっていくのか、私の想像の域を超えていくことは確かなようです。

でも、どんなに情報ツールが発達しようが、社会の風潮が変わっていこうが、「私」という一つの「身体と心と魂を持ち備えた私」は、本当に私自身が操作していかない限りウンともスンとも動かないことが現実なのです。

少なくとも12年間子育てをされてきた保護者の皆様は、子育てのベテランでありましょう。子育てという枠からちょっと離れて、「私」というテーマを改めて思索してみる時期としては丁度良いタイミングであるかもしれません。
「私」という主体を一番大切にする時間をこの講座で愉しんで頂けると幸いです。

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