五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

藤原京と本薬師寺「奈良旅2」

2013年06月10日 | 第2章 五感と体感
橿原の本薬師寺は、680年、鵜野(後の持統天皇)が病に倒れ、天武天皇が平癒を誓願し薬師如来を本尊とする寺の建立をしたのが始まりだそうです。(日本書紀)

梅雨晴れに恵まれたおかげで、念願であった藤原京跡と本薬師寺跡に立つことが出来ました。

☆本薬師寺には一部の礎が残されており、円形で3,4人が腰を下ろすことができるくらいの高さと大きさです。
柱の形状が同じであったはずですが、礎の上層部分はそれぞれ違う形をしており、ひとつひとつ、それぞれ役割があったように見受けられます。

千四百年という時を経た礎には、時を経験した記憶が宿っているせいか私のいつもの妄想癖が始まったのか、境内に入るや否や、鳥肌が立つ体感的現象を経験し足が動かず、皆さん全員が入るまで入ることができませんでした。

遺跡には、代々継がれてきた遺跡守りの一族も暮らしているようで、並んだ礎の真ん前に一件の家が建っていました。

☆藤原京は、遺跡の調査が進んでおり、私が想像していたよりも広い範囲で残されていました。
本殿の礎跡には、見学者に高床式の柱のスケールが解るように立てられており、私の背の高さよりもはるかに高いことも解りました。その跡地に立つと大和三山である耳成山、畝傍山、香久山、そして甘樫の丘を見渡すことができ、山々に囲まれ広大な盆地の中心であることが良く良く理解できました。

現場に立つと、千年、二千年の時空を飛び越えることができます。

真北には後の平城京、平安京、鞍馬山、そして日本海の小浜、南の天河、吉野、熊野、新宮。
西方向には二上山、葛城山を望み、東方向には多武峰を望み、中枢の地を体感することで、本殿に鎮座する権力者の情報力を感じることができました。

天智天皇、天武天皇、持統天皇、中臣鎌足や蘇我入鹿と同じ時代に生きていた役行者の布石と深く結びついてくることは私の思索の中心であるかもしれないと、ふと思い、二日目の吉野が一層楽しみになりました。

続きは明日…


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