五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

梅雨の気配

2018年05月30日 | 第2章 五感と体感

写真;我が家の水引


写真;青々しい吉野の苔

梅雨の気配   2018年5月30日

週明けに掛け軸を一副仕上げると、湿度がどんどんと高くなり、いよいよ雨の季節がやってきたようです。
この時期に掛け軸を仕上げるのは、湿度計を気にしながらになります。
空気に水分が多く混じると、仕上げには相応しくなく、天気予報を眺めながら予定を立てていきます。
切り継ぎしたり、裏打ちしたりするには、塩梅良いのですが、これから梅雨明けまでは、天気の様子を見ながらの作業となります。



今年もあれよあれよという間にあと一か月で夏越の祓いです。
夏至まであと20日あまり。日の長いこの季節が梅雨の雲に覆われるのは勿体ないですが、梅雨の晴れ間に感ずる日の長さを充分に感じ取りたいものです。



夏越の祓で水無月を頂くのを楽しみに。。。




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自分の現実を吟味する

2018年05月29日 | 第2章 五感と体感

写真:東大寺 盧舎那仏

自分の現実を吟味する   2018年5月29日

ある程度の年齢までは、「○○才になったら、車の運転は止める!」と、宣言していても、ある程度の年齢を過ぎると、宣言していたことがなかったかのように、自分の現実を受け容れないケースを、たびたび見てきました。
もしかしたら、「75歳になったら運転免許証を返納する」と宣言している私も、その年齢に達すると、「私は、まだまだ、大丈夫。」と、言いかねません。
この問題は、他人ごとではないのです。

統計によると、「自分の運転に自信がある」と思っている人は、50代よりも80代の人の方が多いそうです。
年齢が高くなればなるほど、「私はできる」と、思い込む傾向は、残念ながら、自分の現実吟味力の加齢による低減と云わざる得ないように思います。

健康年齢は人それぞれでありましょうが、「自分は大丈夫!」と自信満々に突っぱねだしたら、周囲の若い人たちは、静かに「宣言者」を経過観察する必要があるように思います。

自分の現実を吟味する力が無くなってくることが「身体と心」の老化現象の一つでありましょうし、自分の現実を受容している人の方が、案外若さを保つ秘訣を備えているようにも思います。

高齢になればなるほど、自己判断を見誤ることは、肝に銘じておきたいものです。

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野趣に近づきたい庭

2018年05月28日 | 第2章 五感と体感

写真:我が家の名物萩・・・・

野趣に近づきたい庭  2018年5月28日

我が家の名物萩は、今のところ順調に育っています。
萩を大きく育てたいため、我が家の冬の庭の真ん中は、殺風景です。
四月の半ばには次々と芽が育つのですが、一番枝と云われる最初の枝は思いっきり切り落とします。
今年は、株も古くなってきたこともあり、芽が出てくる順番に三度ほどに分けて、一番枝を丁寧に切りました。
その配慮に応えて、品の良い風情で枝を伸ばしています。
やっぱり、目に見えて育ちが見えてくるものだ。。。と、苦笑いしながら、昨日の休日の午後、自宅での勉強会で皆さんと過ごしました。

春は馬酔木。
初夏は菖蒲。
夏は夏椿。
盛夏は水引。
秋は萩。
冬はツワブキ
冬から春にかけての椿。

毎年繰り返し、この花たちを見ているだけも、生きている甲斐を感じます。
生きている甲斐とは、しみじみと私に湧き出す万物流転の普遍性における安堵感です。
今年は、久しぶりに4月8日の東大寺のお花まつりを参拝し、花御堂のお釈迦様に手を合わせました。馬酔木と椿で設えた花御堂は、心を超えた魂に触れたような震えを感じます。その体感を味わいたく、花御堂の前に立つと、期待通りにその体感が湧き出すので、私はほんとうにオメデタイ人でありましょう。

今年も「野趣に近づきたい庭」を適当に世話しながら、大事な草を育てて、立秋の虫の音を愉しみたいものです。

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品格

2018年05月26日 | 第2章 五感と体感

写真:我が家の庭は野趣三昧・・・

品格   2018年5月26日

比較宗教学とカウンセリングの学びの基礎において、
自分は、「真」・「善」・「美」のどれを大事にしながら森羅万象を捉え、日々「思考と感情と行動」をしているか?
という、自問自答をすることが大切だと学びました。
そして、比較宗教学において、「神話を大切にしない民族は滅びる」という概念も学んできました。

人は、思いのまま生きていると、人によってはいつしか調子に乗って、自分の概念によって他者を支配しているかに気付かなくなっていきます。
自分の居場所のテリトリーが限定されていればいるほど、その環境が「あたかも世界の全て」だと思い込み、他者から見ると傲慢さが溢れ出してきます。

社会に出て、ある程度の地位になっていくと、いつしか怒ってくれる人が居なくなります。
怒ってくれる人が居なくなるという事は、つまり、他者が取り付く島もない状態を自分自身が醸しだしているということでもありましょう。

人は、バランスを取りながら諸々の環境の扉を開け閉めしながら生きているのが通常でありましょうが、いつも同じ扉を開けて、そこに居続けていると、どんどんと見える世界が狭くなっていき、いつしか裸の王様の道筋を歩んでいくのです。

広い世界の扉を開けて、自分の未熟さと自分のテリトリーが如何に小さなものであるかを認識する機会を、自らの成長のために課すことを意識している人は、ほんとうの幸福感を肌身で感じている人であるかもしれません。
自分の鎧を立派にすればするほど、裸の王様になっていくことを、上に立つ人は自戒を籠めて、振り返る時間を持ってほしいと願います。
その時間を持ってこそ、品格が醸しだされるのです。

醜い人々が、自分の醜さを公然と表し、それに胡坐をかくような開き直りを見せていることに、私の頭には「無知」と「下品」という言葉しか浮かびません。

「美と醜」「真と偽」「善と悪」の自己概念と自己のありようを点検しつつ、自分は何処に向かっているのかを、今一度問い掛け直したいものです。

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なかったことに

2018年05月24日 | 第2章 五感と体感



なかったことに   2018年5月24日

「言わなかったことにしておこう」
「見ていなかったことにしよう」
「聞かなかったことにしよう」
「この件についての感情は、湧かなかったことにしよう」

すべて、なかったことにしよう

すべて、水に流してしまおう

日本の文化は、草木と水の自然環境から成っています。

奈良時代、煉瓦や厚い石で家を造るわけではなく、木造の家に、はしとみを付け、御簾を下げ、高床で生活できるのは、高貴な人であり、家らしい家に一般人が住めるようになったのは、近年になってからでありましょう。

長きにわたって、家の中で一人でいることの出来るプライベートな空間があるような暮らしぶりではなく、高貴な人々にしても、重厚な扉があるわけでなく、襖や衝立、屏風が他者を隔てる設えでありました。

源氏物語の「玉鬘たかまづら」では、六条御息所の生霊によって亡くなった夕顔の遺児と光源氏や侍女達と生き別れになり、その後、奈良の長谷寺の宿で、探しながら暮らしていた侍女が玉鬘を探し当てます。
見つけたきっかけは、宿が込み合っていて、一つの部屋を屏風で仕切って二組の旅行者が使用する、という今でいえばドミトリーでありましょうが、屏風を隔てただけの部屋では互いの会話が丸聞こえであり、そのおかげで、「もしや」と思い、屏風の反対側に問いかけたことが再会のきっかけでありました。

平安時代、環境が高貴な人々でも普通にあったわけで、一般人などは、もっとプライバシーの無い空間でありましたでしょう。

であるからこそ、見なかったことに、聞かなかったことに、と、意識しながら、いつしか、その工夫した考え方が自分のものとして分化してしまえば、簡単に抑制ではなく抑圧(無意識に意識を上げない)する個性が育まれ、長年かけて日本人の傾向のとなってきたことが窺えるのです。
ましてや、「なかったことにする」ことを、あたかも真実として捉える訓練、又は生活環境であれば、その人にとって「ほんとうになかったんだ」という真実を無意識に作りあげてしまうことは、そんな環境に暮らしていた人にとってはそんなに難しい事ではないかもしれません。

歪んだ解釈をあたかも真実として捉えている人々が、テレビの画面で写っていると、その表情を見ている私は、生首を絞められたような体感的気持ち悪さを感じます。真実を表現している人には、そのようなことは感じません。

抑圧を続けているうちに、自分の思い込みの真実が、自分の尺度となり、自己愛を守り続ける事にしか興味がなくなってしまうと、他者には、忖度を要求しても、他者を思い図るという意識が欠落してしまうようです。

「何かがおかしい」
そんな最近の現象を、そろそろ理論的に、合法的に、そして民主主義をベースに、本気で攻めてゆく時期になっているようにも感じます。

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オリーブの花

2018年05月22日 | 第2章 五感と体感


オリーブの花   2018年5月22日

新築記念で親戚からプレゼントされたオリーブの木は、20年経ってもさっぱり花が咲かないのですが、交配のために鉢に植えたオリーブが、初めて沢山の花を咲かせています。
このまま、近所にオリーブを植えているところは見当たらず、ここ数年、蜂がやってこないので、実りまでは期待していないのですが、ようやく花が咲き、ホッとしています。

今年は、というより今年も、色々な花の咲き方がずれていて、昨日は友人から「お宅の萩は咲いているか?」というメッセージが入りました。「いやいや、まだ、一番枝を切り落として、そこから芽がでて、今は60センチぐらいになってるかな」と応えると、「うちの近所、咲いてるんだけど。」という返答。
和花は、デリケートなので、湿度や気温で翻弄されると、たちまちペースを崩していくように思います。
我が家名物の萩は、今年は丁寧に一番枝を順繰りと切っていったので、例年よりはわさわさしないで品よく垂れ下がる程度だと信じて世話をしているのですが、梅雨と夏の気候が気になるところです。
毎年花咲きが早まっている沙羅双樹こと夏椿も、すでに蕾が膨らみ始めており、ひょっとしたら梅雨の始まりの時期に満開になってしまいそうです。

そんな森羅万象を見ているうちに、地中海気候の寒暖の激しい今頃の南フランスやイタリア、スペインの季節を思い出して、我が家のオリーブは咲いたのかもしれないと思い至っています。

気候変動を危惧しつつ、オリーブの花は咲けども万葉の花は如何に咲くらん。


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繋げる繋がる

2018年05月21日 | 第3章 無意識の世界

写真:お寺ではありませぬが法隆寺を思わせる某聖堂

繋げる繋がる        2018年5月21日

個と個が結びつくと何かが生み出されていき、さらにそれが何かに繋がって展開してゆくことを考えると、いつも南方熊楠の立体曼陀羅が思い浮かびます。

或る個人を、或る個人に繋げたら面白そうだな。

そんなことを思い、繋げる事を実現させていきながら、又は、繋げられながら、関係性を育み、自分の個性を強化させてきて、半世紀以上生きてきました。
中には、若いうちから、自分の個性を花開かせている人もいますが、大抵の場合、ある程度の歳を重ねて、ようやく自分の個性に見合った人間関係から自分らしい人間関係が構築されていくように思います。

私自身、出会う人には恵まれていても、自分の個性が安定せず、取り逃がしたような経験してきたのですが、40代になってから、ようやく自分らしい繋がりが持ててきたようです。
義務的な繋がりは、そう長くは続きませんが、そういった社会的環境における経験してきてこそ、他者の個性の美と、自分の個性を繋ぎ合わせたらどうだろうか、という希望的観測が見えるようになってきたかもしれません。

類は友を呼びますが、類ではない対象を面白いと思えるようになるまでは、多少の人生経験を積まなくては至らないでしょう。
また、一貫した個性の美を揺るぎなく表しているような人には、繋がりを持ちたい個性が繋がりを求めていくのも自然な成り行きのように感じます。

自分がどんな個性の美と繋がっていくかは、自分次第であり、たぶん、抑圧的な人間嫌いでない限り、それなりに自分らしい繋がりで繋がっていくはずです。

自分と他者の関係性が一つの銀河系だとすると、自分が存在している以外に無数の銀河系があって、更には自分の内にも銀河系が内在していて、もしかしたら、その繋がりを体外で体現していることが、人との繋がりであるかもしれないと、思ったりするのです。
既にデザインされている関係性があって、もしかしたら、自分はそこに向かっているのかもしれない、ともツラツラ考える今日この頃です。

そのうち、到達する「死」という体験が、この世に生きている自分の最後の解釈になることも、人間に与えられた人間の意味でもあるかもしれません。

禅問答のようになってきたので、この辺でやめておきます((笑))


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かぐや姫徒然

2018年05月19日 | 第2章 五感と体感

写真:薬師池公園の蓮///////

かぐや姫    2018年5月19日

他人に怒られるという経験が少ないことが最近の社会教育の傾向です。
昔は、自分がやっていないのに理不尽な怒られ方をしたり、授業中ふざけたりいていると、「廊下に立ってなさい!」と、先生に怒鳴られ、ひどい時には水を入れたバケツなんぞを持たされて、それでも、なんだか楽しい小学校ライフをおくっていたと記憶しています。小学校高学年になると紳士的な穏やかな先生が担任だったため、落ち着いたクラスの雰囲気に凪のような安定感を感じていたように解釈しています。
引っ越した先の中学校に入ると、感覚的に楽しく茅ヶ崎で育った私はギャップを感じつつ、しかも長年海外赴任をしていた父との関係が上手くかみ合わず、その上、思春期が重なったこともあり、思い悩むことの多い中学生活を経験しました。

地球に憧れた月に住む娘が、望みが叶い地球で生まれ変わり、美しく育った娘に求婚する男性が現れても「いやいや」と首を振るばかり。そして、叶わぬ願いを申し出て、周りを振り回します。
高畑勲氏の描いたかぐや姫は、まさに天に昇るための本人の願であり、メッセージでもあるようです。宇治の平等院鳳凰堂には、雲中供養菩薩が楽器を持って阿弥陀如来を取り囲んでいます。その美しさは、この世のものとは思えない美しさで、私も天に昇るときは、この方々に迎えに来ていただきたいと願っています。

かぐや姫の映画の中では、まさにその雲中供養菩薩が阿弥陀様と共にお迎えにきました。生きとし生けるもの、つまり、森羅万象の全てが美しく愛しく、自分自身のその森羅万象に含まれた愛おしい一人であることに、最後の最後に気付くかぐや姫の描き方が印象に残りました。
幼い頃から生きとし生けるものに愛されていることが、当たり前だと思って暮らす中、いつしかそれだけでは生きてけるわけでもなく、大人になるにつれて自分自身の腹を括らない限り、実現しないことのほうが多くなってくることに、いつまでも他人任せにして「いやいや」と、言っていては何も始まりません。
ピーターパンシンドロームという言葉がありますが、かぐや姫も人の成長過程における現象に重なることを考えながら映画を観ました。

生きとし生けるもの、森羅万象そのものに自分の生きている意味があることに気付くかぐや姫に、それが遺言的メッセージだと解釈するのでした。
次々と名作を生み出してくださり、ありがとうございました。合掌

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五穀豊穣を祈る

2018年05月18日 | 第2章 五感と体感


写真:吉野 水分(みくまり)神社////

五穀豊穣を祈る                   2018年5月18日

各地で田植えが落ち着いた頃。
水田に整然と植えられた苗の風景は、稲作が伝えられた弥生時代以降の日本人のDNAに深く組み込まれている潜在的記憶でありましょう。

稲作は、一人の力ではできません。集落に住まう人々と強調しながら稲を育て、水の分配については、公平さが無くては、争いが起きてしまいます。

集落の人々と力を合わせて、苗を植えて、梅雨までの暫くの間、少しばかり身体に余裕ができたころに、五穀豊穣を祈って祭事が行われます。
東京は、先週の下谷神社を皮切りに、方々でお祭りが行われます。
今週末は三社祭です。
能楽師の方々は、春と秋は神社での奉納の舞台でてんてこ舞いの季節となります。

季節ごとに必要な天候を祈り、皆の健康を祈り、村の平安、国の平安を祈ることで、人々の食が満たされなくては、願いが叶ったとはいえません。

初夏の祭りを感じ取りつつ、平安な天候で梅雨と夏を越すことをお祈りしたいものです。

5歳の頃に住んでいた水の都、福井県大野市の田んぼの風景が、私の稲作の四季の原型であるようです。二年しか住んでいなくても、稲作作業をしている人々の姿をしかと思い出します。
苗を植えたばかりの水田に映る空が美しい頃でもあり、近所に田んぼが無いのが残念です。

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考え方を変えると

2018年05月17日 | 第2章 五感と体感



写真:ご近所の薔薇・・・・・   

考え方が変わると  2018年5月17日

長年の生活環境で与えられ続けた教育や情報は、いつしか自分自身のものとなり、それが自分の個性となっていきます。
生活する環境の変化で、否応なく自分の個性を抑えて、違う環境に適応しようと頑張っていても、なかなか馴染めないでいる自分に苦しむ人も少なくありません。馴染もうとして、身体症状に出てしまうケースもよくあることです。
いくら環境不適応、と云われても、生き抜いていくために選んだ事柄が、自分の個性とはかけ離れたものであることに気付いたとしても、選んだ事柄を簡単に止めてしまうわけにはいかないことで悩むと、いっそう心の奥底にストレスをため込んでしまいます。

馴染まない環境の中で生き抜いていくには、自分がこの環境に馴染んでいないという現状を受け容れる必要があるようです。
自分は、現在置かれている環境にうまく適応できていない事を分かってはいても、受容しているかというと、そうではないということの方が多いように思います。
適応できていないことは理解しても、心のどこかで適応しなければならない、という理想の思いがあり、いつしか、その理想と現状のギャップが大きくなって、体調を崩したり、急にやる気が無くなったりする現象が自分の身に起こるのです。
体調を崩して、初めて、「自分はずっと、嫌だと思う感情を抑えていたんだ」ということに気付いたりするようです。
自分の本音に改めて体感を通して気付いたときに、生き抜くための考え方を思索していくと、自分の内に在る答えが本当の意味で見えてくるように思います。

理想の中にある理想と現実をなぞるように解決したいと願っていても、自分の本音を自分のものとして体感していない限り、「考え方を変える事で世界が変わる」とは言い切れないのです。

自分が生き抜くために必要な原初感情「好き・嫌い」「怖い・怖くない」を、ないがしろにせず、自分の本音の感情を聴けるのは自分自身であることを心に留めておきたいものです。

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漱石山房記念館

2018年05月15日 | 第2章 五感と体感




漱石山房記念館     2018年5月15日

漱石山房を見学しました。

夏目漱石が40歳以降に暮らした漱石山房が、漱石山房記念館となり、昨年開館しました。
庭には芭蕉も植えられ、書斎内に置かれた書籍類や家具等も緻密に再現されているので、漱石ファンにとっては、木曜会のメンバーにならせていただいたかのような錯覚に陥る妄想空間となっています。

私が夏目漱石に目覚めたのは、つい最近です。4,5年ほど前に初めて「吾輩は猫である」を最後まで熟読して以来、夏目漱石の文章と見識の広さと斜め目線でありながらも落語を聞いているような面白さに魅了され、遅ればせながら漱石ファンとなりました。
そして、2年ほど前に、友人の某古美術屋の表装工房で漱石の書を拝見し、文筆力の幅の広さに、ますます明治の文豪の引き出しの多さに感服しました
江戸後期に生まれ、明治という大改革の波を乗り越えながら、様々な知識や文化を吸収できる時代に生きた人々の代表代弁者でもあるような漱石の見識と文体に、まるで明治の時代を、自分も共に生きているような感覚を覚えます。

もともと借家であった漱石の家は、漱石が亡くなり、しばらくしてから漱石全集が出版され、その印税で妻の鏡子さんが、300坪の土地と家を買ったのだそうです。その後、第二次世界大戦により、戦火を恐れ、大田区池上に書物等を移したおかげで、漱石の遺品等は焼けなかったとのことです。現在は東北大学が所蔵しているそうです。そして、横浜文学館には、漱石山房の書斎の本物が展示されています。
戦後すぐに、新宿区の公園となり、「吾輩は猫である」の猫塚を大切に供養しつつ、漱石公園に漱石山房を建ててはいますが、別管理下で現在に至っているとのことです。

漱石山房に展示されているものは、全てレプリカです。レプリカですが、緻密に再現されているので、きちんと説明を聞きながら書斎を見たほうがより一層勉強になります。

あと一寸、、、と、渾身の力を籠めて手を伸ばす猫の最期の文章を思い出しながら、漱石の世界に入り込むことができ、漱石であり猫である猫の悔い無き幸福感を存分に感じ取ることができたのでした。

漱石山房記念館の来場者は、圧倒的に男性が多く、黒縁の丸眼鏡なんぞを掛けている人がやたらと目につき、人を観察しているのも妙に愉しい空間でもあります。



漱石カフェで、空也の最中を頂き、どうせなら今は無くなってしまった藤村の羊羹なんぞも再現して頂きたいと思いつつ、(カフェには羊羹セットはありましたが、藤村とは勿論書かれてありませぬ。なので、あえて藤村復興を願いたいものです。)

じっくりと記念館を堪能し、私が木曜会のメンバーに入れていただいたような図々しい妄想を大いに楽しんだのでありました。

近いうちに雑司ヶ谷のお墓に手を合わせに行かなくては。。。

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生き甲斐を感ずる瞬間

2018年05月12日 | 第2章 五感と体感

写真:山の辺の道;;;;

生き甲斐を感じる瞬間  2018年5月12日

生き甲斐の心理学を学ぶ私達の会は、1987年から始まり、今年で31年です。9月に入ると32年目。
特に脚光を浴びる事もなく、「生き甲斐の心理学」の講座は、坦々と生き延びています。特に13年前に設立したNPO法人CULLカリタスカウンセリング学会「通称NPOキュール」では、通信講座で長い間かけで学んだ方々が講師となって「テキスト・生き甲斐の心理学」を学び合う場を開催しています。
これらの勉強会もまた、大きく宣伝することなく、自分の周囲の人々と学び合うために、身の丈の活動で静静と継続しています。

このような草の根活動が、自分と自分の周囲に平安をもたらすとしたら、とても有難い事です。

自分が育った場所で、近所のお年寄りが集う場所を提供し、学んだことを表に出さずに、関わり方の中で学びの成果を活躍させることもできるでしょうし、
子育て中のお母様方との対話にも役に立ちますし、なんだかんだと長年続けていると、主催者である自分自身の変化に気付いたりすることもあります。

他者の生き甲斐感に喜びを感ずることもありますが、何よりも私自身の自らの生き甲斐感を感ずることは、他者にはわからないくらいの統御感であったりするのです。
人の身体は神の神殿であり、身体の内に在る宇宙が、壮大なものであることも感じたりすることもあります。
自分を成している組織や遺伝子が、平安をもたらす方向に向いていると、思った以上のいろいろな出合いに遭遇することは、どうもほんとうのことのようです。

生き甲斐という行為「動」のプロセスと生き甲斐「感」を「100分で名著」の番組で若松英輔さんが語らり、神谷美恵子さんの言葉を解釈していたことは、たしかに、もっともなことであると、思いながら第一回目を拝見しました。神谷恵美子「生きがいについて」を4回にわたって若松英輔さんが解説している番組「100分で名著 第二回目」は14日月曜日の夜です。


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薔薇のお手入れ

2018年05月10日 | 第1章 意識と知覚




薔薇のお手入れ   2018年5月10日

どこもかしこも薔薇が満開です。
20年前に家を建ててからの数年間は、ガーデニングブームということもあり、色々な洋花を咲かせて庭を華々しくさせていたのですが、結局は自分の好みが野趣であることに気付き、それ以降、野草や和花を育て、なるべく自然に任せるようにしてきました。
自然体で楽な庭の手入れをしている日々の中、昨年の梅雨明けにどうしても薔薇の鉢を預からなくてはならない状況となってしまったのです。
薔薇をこよなく愛する或る方の庭に薔薇好きの友人と訪ね、大きなお庭に沢山の薔薇を世話していらっしゃる様子を知ると、いい加減な気持ちではお預かりできず、友人に教えてもらい、ネットで学んだりしながら、何とか冬の鉢の植え替えを済ませ、根を張らせて、一輪だけ花を咲かせることができました。
ご近所の庭やテレビで放映されている薔薇園の様子を見ながら、できることなら、もう少し上手に薔薇を咲かせたいという思いが湧いています。

そういえば、中学生のころ読んだ漫画「ポーの一族」(萩尾望都)、薔薇を食しな
がら生きる美しい吸血鬼一族の悲しい物語を宝塚が劇化したこともどこか心の襞に引っかかっているのかもしれません。
薔薇に心を注ぐと、囚われるように執着してしまう気持ちが理解できるだけに、薔薇にはまったら大変!と、ある程度客観視している自分がいます。
ある程度客観視しているから、一輪しか咲かないのかな、、、という、ことも感じ取り、薔薇に心を見抜かれているようにも思います。

薔薇の花が終わってからの大切な時期、もう少し、薔薇に感情移入してお手入れに励むとします。


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自分の言葉

2018年05月09日 | 第2章 五感と体感

写真:東大寺と明治時代神仏分離された手向山神社/

自分の言葉         2018年5月9日

自分の言葉で自らの口から出てくる言葉を最後まで語ることができていると、平安感に包まれるのですが、話している途中で遮られたり、話題を変えられたり、否定されたりすると、萎える気持ちが湧いてきたりします。

否定も肯定もされず、相手が自分の目を見て、きちんと最後まで聞いてくれると、自分の内にある答えが、思わず口に出たりすることがあります。

「自分の言葉」というのは、自分が生まれてから今日までの生育史で培われてきた言葉であり、同じ言語で通じ合っていても地方によって使う言葉も違い、育った環境でも頻繁に使う言葉に違いがあります。勿論、流行りの言葉もあるでしょうし、時代によって同じ言葉でも使い道が違ったりします。
言語学者は、今様の言葉を否定しないそうです。今様の言葉になるまでには、言葉の成り立ちに背景があるからで、「今の若い人は、、、」と、否定的な見方をするよりも、そのような考え方で捉えておくと、聞いている側も、変な違和感で戸惑うような事を回避できるように思います。
今の時代は、言語伝達のためのツールが多種多様にあり、伝達手段に疎い私でさえ、電話、ファックス、PCメールに、メッセンジャーやライン等、一本化していない不便さを感じます。
却って、10代の人の方が、ラインしかしないと云っている人の方が多く、時代を跨いでいる私の世代の方が、タコ足配線化しているようにも思います。

色々なツールで言語伝達が出来る時代になっても、やっぱり、生身の人間同士の会話は何よりも大事なコミュニケーションです。
自分の言葉で伝えることの大切さを身に染みて大事だと思ったときに、聞いてくれる誰かの存在は、何にも勝るものでありましょう。

誰かと話をするときに、自分ばかりが一方的に話していることにはたと気づいたら、たまには相手の話を最後まで聞くことを意識してみると、より相手の事が理解できるきっかけとなるかもしれません。

自分の言葉で話す事を互いに大事にしたいものです。



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立夏

2018年05月07日 | 第2章 五感と体感


立夏

ゴールデンウィークが終わり、暦は夏となりました。
5月6日は立夏。
東北に住む友人が田植えの話題を出しだすと、森羅万象の動きが活発になるような心地になります。
新年度に入り、丁度一か月です。
慣れない環境で、頑張ってきた心身が、そろそろ平素の自分のペースに戻りたいと信号を発信する頃でもありましょう。

私の場合、年度の入れ替えの諸々の業務は、5月末ぐらいまで続きそうですが、心身は新年度に馴染んできました。あとは、あまり深い事を考えずに、やるべき仕事をサクサクと進めるのみです。
田畑で勤しむ人々のお陰で、私の食が満たされることを考えると、些細な事に囚われる事が減り、物事に対する器が少しは大きくなるようにも思います。

春霞の季節から五月晴れと雨の繰り返しの季節、三社祭等の祭の季節に移りました。
農作物が育つ時期と共に自分のペースも助走から安定した走りへと切り替えられるよう、連休明けのペースを自分身の丈のペースへと戻してゆきたいものです。



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