五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

シャンシャンと美術館

2014年09月30日 | 第2章 五感と体感
先週末、長年の叶えたい想いを叶えました。
それは、有馬温泉と本拠地の宝塚劇場に足を踏み入れることです。
関西にお住まいの方なら、「なーんだ、」ってことになりそうですが、関東に住む者にとっては、特に有馬の湯はなかなか旅の場所として選択できるものではありません。

私自身、宝塚市には縁が深く、宝塚を勉強会の場所に据えている関係で毎年必ず数回訪れ滞在しています。そのような生活をするようになって、もう12,3年となります。
「宝塚に行ってくるの~」と言うと、大抵「え、宝塚見てくるのね~」と返ってくるので、最近では「謡って踊らない宝塚に行ってくるの~」と言う様になっていますww

宝塚歌劇にしても、今年の春の百周年の舞台から初めて観るようになりました。お初の宝塚観劇は、いきなり観世清河寿師の謡いから始まったのです。いやはや、どこまで能がついてくるのか、、、と、苦笑いしつつも、とても嬉しい宝塚デビューでした。
宝塚歌劇から仕事を頂くことにしても、アーティストにとっては名誉なことであることをひしひしと感じつつ、この4カ月の内に宝塚歌劇を4回観るという事態になっています。その合間に能に通うというわけで、まさに道楽者の域に。。。いやいや、稼ぎをつぎ込む道楽者の成れの果て、と言ったほうが相応しいです。

宝塚を教授してくださる付き合いの深い友人二人のおかげで、私は只今自分の脳みその中に宝塚についての情報が織りこまれている最中、という感じです。

今回の旅では、「宝塚百周年展」を兵庫県立美術館で観ることもできました。一度、兵庫県立美術館を訪れたいと願っていたこともあり、一石二鳥の訪問でもありました。
竹橋の国立近代美術館のスケールをもっと大きくしたような建物であり、現代美術の作家にとっては美味しい美術館かもしれません。美術館の内部のエントランスには大階段があり、そこを上手に利用していましたが、どうせなら、美術館の広さをもっと利用して舞台美術の中に観客=観覧者を歩かせる工夫があったら面白かったかもしれません。
美術館内の大階段を上った入口の脇の壁に宝塚特有のシャンシャン(扇のような花束のような役割?)が飾られており、沢山のシャンシャンに私の物作りの脳がパタパタと動き出し、まるで草間弥生さんが1970年代~1980年代に表現していた世界のようで、創作意欲に掻き立てられました。

ふと、スロベニアの墓地や教会で見た花束がシャンシャンと重なり、懐かしさもこみ上げてきました。

現代美術に足を突っ込みそうなシャンシャンの進化と歴史を拝見しながら、やはり、すみれのお花のシャンシャンが一番好きかな。。。と、思いつつもベルばらも良いかな、、、と、乙女心を浮き立たせるわたくしでございました。

日本の美術館で思うのは、何故、展示室の天井が低いのか、、、ということです。
ヨーロッパの教会並みに高さのある思いきった箱が出現することを願っています。せめて東大寺本殿の高さが欲しいです。

そのうち、宝塚シャンシャン展も企画していただきたいものです。集客見込めそうです^^。

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自分の状態

2014年09月26日 | 第2章 五感と体感
自分の欲求や要求ばかりに気を取られていると自分の状態が多角的に見えなくなります。
家族や友人が、見えなくなっている人にアドバイスをしたところで、本人の欲求や要求がその人自身の個性になっていれば、焼け石に水のようなものです。
自分の欲求や要求がかなえられたとしても、自分の傾向を自身が受容していないと、同じように欲求や要求が芽生えてくるので、いたちごっこのようになります。
その繰り返しであれば、周囲が疲れ果てていきます。

前日のブログにも書いたとおり、どこに何を片付けるかが自分で成されていくようになると、自分の状態が自分自身で見えてくるのです。
自分の状態が見えてきた時に、自分がどのくらい散らかった生活をしていたかが解ったりします。

散らかりっぱなしの暮らしをしていると心の安息が得られません。
どこか宙に浮いた様な中途半端さの中で不安感が増大していきます。この状態だと自分の欲求と要求ばかりに囚われ、不満な自分に頑なになり、休まる間もありません。

一つの仕事に没頭していると、目的に邁進しているために片付けるという情動が起きませんが、仕事が片付くと、急に目の前の散らかりようにストレスを感じたりします。

そうやって、人は自分の身辺を片付けながら心身のバランスを取りながら生きているようにも思います。

自分の状態を片付けることは、自分の原型を顕わにすることでもあるかもしれません。
自分の原型を自ずと受容すると、毛穴のふさがりも無くなりお肌もきれいになっていくのです。

感情の整理と物の片付けについて大きな関連性があるのは間違いがなさそうです。

私自身もここ一カ月取りかかっていたものが落ち着いたおかげで、部屋がきれいになりました。
これから新たな仕事に取り掛かるので、多分、また一カ月、散乱するものに眼もくれなくなる生活が始まる予感がしています(笑)
このようなパターンでお片付けしながら心と身体のバランスをとってゆきたいものです。

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片付けと陰陽

2014年09月25日 | 第2章 五感と体感
昨日は、大きく頷く面白い勉強会でした。
心も行動も何が何だかわからない散らかりようで、足元もおぼつかない状態での感情の整理は直ぐにできるわけではなく、よくよく傾聴していくことによって、個人の戻る場所に落ち着くことで、自分のとっちらかった感情が段々と焦点付けされていきます。私の場合にしても、どんな感情に振り回されていても、最終的に自分の傾向と居場所に落ち着くと、腹も括られてきますし、今の状態を受容する心が生まれてきます。

他者の死生観と向き合う時も、ケアする人が自分自身の死生観を意識化しておかないと、ケアする側が混乱に陥ります。そのためには「自分は死んだらどこに行くのか?」「自分がイメージする死後の世界は?」をレポートに綴り思索します。
自分自身が死という現実と向き合った時に、今まで描いていたイメージとは違うものが表われてくるかもしれませんが、その時はその時です。その時に、また改めて考える機会を頂くわけです。感情や思考は留まり続けるものではなさそうです。

昨日は、ターミナルケアがテーマでした。

昨日学んだことは、傾聴によって自らの感情の曼荼羅を整理していくことと同じで、自分が戻るべきところに戻る、つまり、部屋の片付けと同じニュアンスであることです。

確かに私の周囲を見ても、ある年齢に達すると物の整理をし出す人が多い半面、物を整理することは自分の身を剥がされるようで整理に興味を示さない人もいます。

私自身、物の整理の情動が起きない時は、何かに捉われているときであり、仕事にしても作品制作にしても、それが片付かない限り、物を動かす情動が起きません。
確かに、身体の具合が悪かったり、悩みが深かったりすると、それに執着しているせいか、片付けようと云う気持になりません。
そして、何かを始めようとするときは、まず物の片付けが始まります。

感情の整理にしても、物の片付けにしても呼吸の如くかもしれません。

気功で呼吸法を習うと、必ず吐くことから始めなさいと教えられます。吐くことから始めると、自ずとそれなりの吸うべき空気が身体に入ってきます。
吸う事ばかりを意識していると、吐くことがぞんざいな感じになります。

出すことと入れることのバランスは、許容量が決まっており、そのバランスが崩れると、自分の心と身体の整理も何かに片よっていくはずです。

物の片付けは、感情の曼荼羅の整理と同じであり、それを怠り続けているといつしか自分の足元が見えなくなることに繋がります。足元が見えなくなると、自分がどこに回帰するか解らず慌てます。慌てると感情が乱れます。

物の片付けにしても感情の整理にしても、陰陽の廻りの中でバランスが取られているはずなのです。

「何をどこに戻すか。。。?」

昨日もまた、禅問のような問いを頂き、夜は更けたのでありました。

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わがままの意味

2014年09月24日 | 第2章 五感と体感
わがまま

確かに私も最近は我がままに生きているように思います。
しかし、
我が儘には気をつけているつもりではあります。

われのままに生きる事と、我が儘は随分違います。

昔の歌に、My wayというのがありますが、これもまた我が儘になれというのではなく、われのままに生きよという歌です。

芭蕉の奥のほそみちの旅も、我のままに歩き滞在し、それでも周囲に幸せをもたらし、芭蕉が滞在した場所は現在まで俳句の文化が引き継がれ、その土地に住まう人のアイデンティティと誇りになっています。

身勝手な振る舞い、誠意の無い行為は、どんなに人生修業を積んだ人でも、嫌だな、と思うはずです。多少の悟りを開いた人であれば、「可哀想な人だ」と憐れむ心でおさめる事もできるでしょうが、「他者の我が儘」が「自分の我が儘」とそりが合わないと、ボタンの掛け違いの様なストレスが生じます。

大人になればなるほど、他者から怒られるということは、なくなります。

他者から怒られなくなる代わりに、周囲が上手にかわしていくようになります。
自分の我が儘が思い通りになっているとしたら、周囲に上手にかわされていることもあり得そうです^^;
幼い頃に読んでもらった絵本の「裸の王様」で、私が一番最初に強く意識化した概念かもしれません。

過剰な気遣いはストレスを生みますが、塩梅良い気遣いは人と人の間に幸せをもたらします。

我が儘に気を使いながら、我のままに、自然体に生きてゆきたいものです。

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秋分の日

2014年09月23日 | 第2章 五感と体感
萩の花を愛でながら珈琲を一服。
秋の風にそよぐ枝が心地良さを覚えながらの秋分の日。

宮城の友達のおうちの稲刈りは終わったかしら~

先週訪れた東北の林檎は益々色づいてきたかしら~

お世話になった山元町の皆様は、相変わらず忙しく働いていらっしゃるかしら~

そんなことを思いながら、風のままに揺られる萩を眺めていると、一年の内で一番色が添えられる我が家の庭を日がな一日眺めていたくなります。

花屋の店先には、お彼岸の花がたくさん並べられ、和菓子屋さんのお萩も目につきます。

24節気の秋分が過ぎると72候の第46候「雷乃収声かみなりすなわちこえおさむ」そして、第47候「蟄虫塞戸むしかくれてとをふさぐ」です。

読んで字のごとし。

人の身体も寒さに備える頃です。

身体を温め、夏と冬の身体の切り替えを意識しつつ、体調管理にも気遣いたいものです。


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みんなのお仕事巡り

2014年09月22日 | 第2章 五感と体感
秋晴れの日曜日、講座の打ち合わせを兼ねてカトリック府中教会てミサに与りました。
府中は大國魂神社の参道を中心に街が構成されていて、幅の広い参道の欅の大木はそれはそれは見事です。
その欅の参道を神社とは反対側に歩いて、欅の並木が途切れたあたりにカトリック府中教会があります。
大通りに面した陽のあたる明るい教会です。
ミサの前は、教会の入り口広場に人が集まり賑やか。
場の雰囲気は、初めて訪れた者の印象を強くします。明るく爽やかな印象を持ちながらイタリア人司祭のミサに与り、お陰でとても爽快な一日を過ごしました。
そんな気持を携えながら、友人&知人の関わるイタリア食材を買いに新宿のデパートに。イタリアンフェアの会場は賑わっており、皆さんの仕事ぶりに元気を頂き、買った食材を抱えて今度は日本橋へ。

日本橋三越の一階で、これまた友人がダイアモンドの会社からの依頼で、ダイアモンドに纏わる物語「版画」を連作で発表し、素晴らしいダイアのジュエリーを見ながら版画で表現する独特な物語の世界観に酔いしれ、素敵な夢を頂きました。
作品を見せながら本物の宝石を見せるなんて、粋なお仕事です。
金額二千五百万円の58面体ピュアダイアモンドを拝見。お隣に飾られてあるダイアモンドとは明らかに輝きが違います。
円安が続いているので、もう少しお高いかもしれませんが、吸いこまれる様な宇宙を感ずるダイアモンドの輝きの美しさは、光そのものを観たい欲望は神仏と出会いたい欲望とさして変わらないのかもしれないとも思ったり。。。
プライスかプライスレスか。。。
プライスレスの欲望を選んだ私は、お金がかからず、幸せだわ~、等と貧乏くさい思いも湧き立ち(笑)・・・。

コレド日本橋が出来たおかげで、日本橋の通りは今まで経験したことの無い賑わいようです。でも、よくよく考えてみれば、江戸時代はこれ以上の賑わいのある街だったわけで、回帰といっても良いのかもしれません

私にとって日本橋といえば、奈良のまほろば館。そこで吉野の梅ジュースを一気飲み。奈良の博物館情報を得ながら、奈良の秋を妄想しリラックス。せんと君に一礼して、帰路に着きました。

いえいえ、それでは済まず、久しぶりに家の近くの休日のみ営業しているCaféで美味しいコーヒーを頂き、我が家に到着。

友人の活き活きしたお仕事ぶりを色々な形で拝見し、諸々の新鮮な感情の曼荼羅を自分自身から湧き立ち、しっかりとエネジーチャージができました。

秋分の日の祭日を挟んだ今週も元気に活動できそうです。

そういえば、日本橋三越では只今「日本伝統工芸展」が行われています。なるべく観に行くようにしているのですが、今回数年ぶりに拝見しました。陶芸、漆、染め、織り、竹工芸が多く、差し物、表具がめっきり少なくなってしまった事がとても残念でした。風炉先屏風が二作品のみ出品されておりましたが、後継者が育って居ないことを同時に意味するわけです。
育つのにうん十年かかる職人の技を絶やさないためにも、お仕事を直に見せる場は、やっぱり必要だな、と思いました。

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萩の季節

2014年09月20日 | 第2章 五感と体感
我が家の庭の名物萩が今年も元気よく咲きました。

隣に餓えた紅葉が高く育ってきたので、そろそろお隣さんに栄養が取られてしまうかしらと危惧していましたが、心配もなんのその。春からグングン伸びて、大きな枝を優雅に揺らして赤紫色の花が陽のあたる場所の順に咲き出しています。

この季節、どこに出かけても萩の花に出合います。

万葉の頃から萩はこの季節の身近な花だったようで、萩をモチーフに多くの歌が詠まれています。

汗だくの夏から一気に涼しくなり、一駅手前で降りて歩くことに心掛けてみると、秋の風を心地良く体感します。

至る所で学校の文化祭も行われています。私の関わる学校も今日から文化祭です。
巡る季節毎に歳を一つづつ重ねていくのは、中学生も高校生も、私達もおんなじです。
与えられた環境で、幸せが少しでも感じられれば、それで充分であり、「幸せだなぁ~~、」と思う瞬間を記憶すれば、きっとそれが素敵な思い出となって幸せ貯金ができるはずです。
極端な喜びよりも、日々の喜びの連鎖があってこその生き甲斐でもありましょう。

ここで一句、

揺らぐ萩今この時を生きてこそ♪

お粗末さまでした^^.ちょっとこそばゆい句になっちゃいました(笑)

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転地で解消。我が家の場合。

2014年09月18日 | 第2章 五感と体感
元気な時は御機嫌宜しいけれど、思うようにならない気持が高まると御機嫌損ねる相手といえば、身近なところでは特に母親と言いたい人は多くいらっしゃるかもしれません。
私自身も自分の身体が良い状態であれば御機嫌よろしいのは同じであり、であるからこそ、親を見送るまでは私自身もある程度健やかな身心を維持していたいものだと思うわけです。

車で4,50分ほどかかる所に両親が住んでいるのですが、何でも行動的に行う母なので、普段はあまり気遣う事はしていません。ところが、身体の具合が悪くなると途端に落ち込みが激しくなるのが我が母の傾向でもあります。
父といえば、趣味は多く持ってはいますが、友は少なく、ほぼ書斎にこもりきり。パソコンの画面を眺めつつ趣味の短波放送関連のあれこれを楽しんでいます。それでもって、家事の参加はゼロ。そのうえ病気克服することがこの20年間固執している中の一つでもあります。

父の健康管理に真面目に取り組んでも、母が具合が悪くても父は動かず(苦笑)、理系120%の脳の構造だと娘達は達観しつつも、さすがに母の御機嫌が悪くなると、私も気になります。

母の場合は、気温が下がってくると色々と身体に支障が出てくるのがいつものパターン。元気な状態だと、先の事を考えず、突っ走っているので、大抵がくんと状態が悪くなります。ここ数年、これが傾向化しています。こうやって、身体が思う様に動かなくなっていくのでしょう。
若いと時のように動かない身体に理想と現実のギャップが起こるのは当然のことです。

傾向や性格について、私達が指摘したち、心配したところで、本人の問題なので、解決にはなかなか至りません。
気に掛ければ掛けるほど、こちらのほうにとばっちりがくるのも、当然のことです。「不満」は言いやすい相手にぶつけたくなります。

我が母の場合、身体の痛みが酷く無ければ、黙って車に乗せて、どこかに遊びに行くことが一番効果的です。海の見える温泉施設でのんびりお湯に浸かり、温泉でとりとめのない会話をして、お茶して帰るだけのことですが、10日分ぐらいの気分転換はできたかな、と思います。

祖父の旅好きな放浪癖がDNAに受け継がれているせいもあり、転地療法はうちの場合効果的です。
その傾向は、私も然り。

相手が満足するものを叶えるために毎日気を遣うよりも、忘れた頃に、適度に気遣うことも、一つの方法です。
人には、満足して感謝する心が宿っていますし、自身の満足を整える為の条件を整備する力も備わっているはずです。

その心の情動をたまに刺激することは、ちょっとしたコツが必要かもしれませんが、互いにストレスの滝に落っこちないよう、親であろうと他者であり、一人の人間であることは忘れてはならず、親と自分の傾向を意識化することは健やかな生活の第一歩でもありそうです。

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頭を垂れる稲穂かな

2014年09月17日 | 第2章 五感と体感
私の生活圏内には田んぼがありません。
横浜から藤沢までの東海道線沿いに僅かに田んぼが確認される程度です。
東横線の横浜から東京方面沿線には田んぼはありません。日吉あたりに里山の風景を残した地域がありましたが、ここ数年でほとんどが住宅地となってしまいました。

生まれてから小学校を卒業するくらいまでは、身近な風景に確かに田んぼは有りました。
茅ケ崎市に住んでいた小学生の頃は、市街地を抜けると田んぼが広がっていました。
私にとっては当たり前の風景だったのですが、横浜に越して新興住宅地に住んでからは、毎日見る風景が激変したように思います。

宮城県山元町は、皆さんが御存じの通り、甚大な津波の被害を受けました。あれから三年半、去年あたりから稲が植えられ、今年は田んぼの面積がさらに増えたように見受けました。
海沿いの平地は、苺のハウスが並び、田んぼや畑が広がっている風景が山元町らしい風景であったということが、以前の山元町を知らない私も想像することができるようになりました。

昨日のNHKの番組で山元町のコンパクトシティ特集が放映されましたが、人の自由意思を尊重することと効率的な都市計画との統合は、ほんとうに難しい問題であると思いながら拝見しました。

陽の光を浴びて金色に輝く稲穂の海は、土地に住まう人々のアイデンティティでもありましょう。
目指すものとアイデンティティの折り合いを図るための努力こそが、統合への道筋でもあるように思います。
答えが導き出せないものほど、この努力が大事なのかもしれません。

「幸福になるための条件」と「自ずから湧き出す幸福感」は、よくよく考えてみると、ちょっと違う事を意識してみることも健やかに生きることのコツでもあるようです。

今回の山元町訪問で、「明日がやってくるのが待ち遠しい…」「生き甲斐がある」「毎日が楽しい」と、力強く仰る皆様の表情に私自身元気とエネルギーを頂きました。

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秋の実りの山元町勉強会

2014年09月16日 | 第2章 五感と体感
東日本大震災から三年半が経ちました。
宮城県山元町のNPO法人ささえ愛山元で行う「生き甲斐の心理学・傾聴勉強会」は今回で第六回目となりました。
デイサービスを終えた夕方5時からMさんの手料理を参加者全員で頂き、お初の栗ご飯も頂き、お腹が満腹になったところで勉強会が始まりました。これはいつものことで、皆様とお食事しながら親睦を深めてから勉強会に入ります。

今回の講座のテーマは、「日本人のアイデンティティ・6つの要素」。

二時間たっぷりとこのテーマの設問で自分自身から湧き出す言葉を紡ぎ合い、色とりどりの素敵な織り物が出来上ったかのように、有意義な時間を過ごさせていただきました。

参加者の皆様は、福祉、教育、諸々のボランティアで活動している方々がほとんどです。会社を退職されてから民謡を教えていらっしゃる先生も参加されています。3年間、半年に一度のお付き合いの中での交流が形になってきたような喜びも感じさせていただきました。
言葉に紡ぐことは、言葉に出すこと、言葉を見つけることを意識していないとなかなか紡げるものではありません。

前回同様、料理を担当してくださったMさんが大会直前でしごかれている民謡を先生の尺八で披露してくださり、大拍手で終了しました。

昨日、福島で分断されていた国道6号線が開通しました。山元町の国道6号はアップルロードとも呼ばれています。
桃や梨の次は、林檎です。
もぎたての林檎は、私好みの酸っぱさで、なんとも幸せが味でした。

ささえ愛山元さんの名の通り、心を籠めてささえ合うお仲間に入れていただき、心から感謝しています。
これからも通い続け、皆さんと言葉を紡いで色とりどりの織物に、美味しい香りも織りこんでゆきたいものです。

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川の風情

2014年09月11日 | 第2章 五感と体感
友人の木版画の作品展が今年も京橋のギャラリーで開かれています。
展覧会後に友人とお喋りしながら京橋から日本橋をぷらぷら歩き、三井記念美術館で行われている能面展も見てきました。
江戸時代までの金剛宗家の能面の数々を三井家が所蔵しており、こんかいの展覧会で多くの能面を拝見する機会が私達にも与えられています。

さて、今日のお話は能面ではなく日本橋の橋のお話です。

最近、川が見直され、川に沿ってお店が並んだりして、私達の暮らしに川が身近になってきました。
ヨーロッパの都市は、たいてい川を挟む形で街が形成されています。川沿いには公園があったり、素敵な橋があったりと街の風景の中心的な場所として大切にされています。

日本橋の水辺と人の暮らしを大事にする文化に、いつしか目をそむけるようになったのは、川の上に覆いかぶさるように高速道路が出来、無機質な河川工事が成されてきたからのように思います。江戸の文化は川の交通を駆使したものでありました。
江戸時代の街を上手に使えは水の通路が確保されたはずです。

ここ数年、ようやく川の文化が見直されるようになってきたように思いますが、覆いかぶさる高速道路は、どんなに日本橋界隈の街が立派でも殺風景な雰囲気を助長してしまいます。

でも、そんな殺風景な川縁に、金魚の提灯がぶら下がったテラスのあるお店ができました。
友人と導かれるようにそのお店に入ると、江戸風の設えで、お高いのかしら~?と思いながらメニューを開くとお安いのでびっくり。。。

川に目をそむけていては、日本橋の橋の復活とは言えませんが、殺風景な川を見せる勇気を持ったお店のコンセプトは、これからの他の店舗の設計に影響を与えることと思いました。

数年前に川の上の高速道路を無くす宣言を聞きましたが、いつになることやらわからず、それよりも今ある条件で風情を変えていくことはチャレンジでありましょう。
これから少しずつ勇気ある店舗が川沿いにテラスを造れば、随分温かい風情になることでしょう。

やってみるもんだなぁ~~、と思ったランチのひとときでありました。

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継承すること

2014年09月10日 | 第2章 五感と体感
最近、いろいろな機会と場所で、「継ぐ」ことが話題になります。
そもそも、昔からそのような話題は無かったわけではありませんでしたが、私も段々と意識したい話題となってきたので、そのような話題に耳が傾くのかもしれません。

先日伺った表装展で青森の表具屋さんが後継ぎと自分のスタンスを心地良く語られました。自分と若い衆の役割に腹を括っている人は爽やかだな~と、感心する経験をしました。
とはいえ、はて、自分の二足のわらじ双方の仕事となると、若い人が学びを始めるのは稀有なことで、それだったら40代、50代の皆さんと共に育ち合いながら、この年齢層のキープを継続することに意味があるんじゃないかと、ふと思ったりしていただけに、継ぎ時というテーマは、リアルに私達の年齢に迫ったテーマでもあるわけです。

継ぐことと育てることは、いつも共存していかないと、何も知らないまま継承することはできません。
かといって、個性は人それぞれ。でも技術だけの継承では継承とは云うことはできないでしょう。

長く師匠に付いて継続した時間を共に体験していくプロセスの中で、身につける本質的なものに気付きさえすれば、きっと後は上手く流れていくようにも思います。

ともかく師匠とともに過ごし学ぶことで、段々と自分の個性に分化していくものが理想の継承なのかな、と解釈しています。

そのような解釈のもと、自立していく自分も更に育てる対象を意識せねばならないわけです。

テニスとサッカーで次世代に継がれていく試合を観戦しながら、ふと我が身に投影してみましたが、まだまだこれから、と思いながらも多少は育てることを意識せねばならない時期なんだなということをぼんやりと思い始めております。

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歓喜と失意の繰り返し

2014年09月07日 | 第2章 五感と体感
ジョコビッチに勝った錦織選手。全米オープン、決勝進出ですね。

早朝からこのニュースで盛り上がっていると友人からメールが入りました。
バルセロナ育ちの上野通明さん18歳が、オーストリアで行われているブラームス国際コンクールで一位獲得との知らせ。
いずれは注目されるチェロ奏者になるであろうと期待して、友人を介して応援していました。

小さなコンサートで拝聴してきたことが宝物になりそうです。

勝れば、正直嬉しいものです。

積み上げてきたものの通過点に過ぎないと云えばそうかもしれませんが、や「勝つ」というニュースのお陰で、朝から刺激を受けてワクワクしています。

一喜一憂という感情の動きは、脳の体操とも云えそうです。

昨日一日、機械の故障のせいでさくさくと事が運ばず、沈黙の中であれこれ工夫しながら仕事をしていただけに、今朝のニュースのお陰で脳みそが元気よく動いているのが自分でも解ります。

歓喜と失意の繰り返しを体験しつつ、どうにか自分の目的に向かってければ、それで好し。
そのためには、自分がどこに向かいたいのかを自問自答する時間も必要です。

最近、仕事帰りに雪谷大塚から多摩川駅まで歩くことに慣れてきました。所要時間20分くらいなので、程好い運動になります。
多摩川駅前は昔遊園地があり、田園コロシアムという名称のテニスコートがありました。私が最後にテニスコートの観覧席に座ったのは何とチャカカーンのコンサートでした。それも役割を終え、現在は区の木々茂る森の公園となっています。お散歩するには最適の公園でもあります。先日もそこを歩き、テニス風景を思い出していました。錦織選手の優勝を祈願し上野さんの今後の活躍を夢見て、今日は久しぶりに表装の研修会に行ってきます。
ここのところテニスに参加できず。。。ぶよぶよした身体にメリハリ付けなきゃ。。。と、素振りなんかしてみたり。。。しかけ&ひらきをしてみたり。。。はたまた太極拳をしてみたり。。。(笑;)
影響を受けやすい単純な性格で幸せな私、とでも言っておきましょう((笑))

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虫の音から能を読む

2014年09月05日 | 第2章 五感と体感
能の演目に邯鄲(カンタン)があります。

中国の邯鄲という町に住んでいた青年が人生の迷いを生じ高僧に教えを請おうと旅に出ます。
旅の宿で、悟りが得られると云う不思議な枕を渡され、食事の支度が整う間、彼は眠りに落ちます。

夢の中の彼の人生は、努力の末に成功し、晩年は宴三昧で栄華を極める。。。そんな人生に満足感を得ている最中に、宿の主人から食事が出来たと起されます。

その夢が余りにも壮大な時間であり、リアルなものであったため、暫く茫然としつつ、人生何事も一炊の夢と悟り、意気揚々と家に戻った、、、というお話です。

その一炊の人生に虫の音を重ね、しみじみともののあはれを感じ取るのは、秋という季節ならではの心の動きかもしれません。

東京の永青文庫にて「能を読む展」が行われています。「細川家が一族が楽しんだある日の能」という副題です。
永青文庫は、ちょっと不便な所にあるので、行ったことがありません。文学の臭いがぷんぷんするあたりでもあるので、行ってみようかな、と思っています。10月からの某講座は日本人のアイデンティティに焦点が当てられます。秋から冬にかけての謡曲を読み漁る日が続きそうです。

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虫の音が心地良い

2014年09月03日 | 第2章 五感と体感
虫の音の宵を愉しむ今日この頃です。
何の虫かは解りませんが、虫の音はコオロギとか鈴虫なんでしょう。。。
耳を澄ますと庭から3種類ぐらいの虫の音が聴こえてきます。
いい音色です。

闇夜の深い昔の人々は、賑やかな夜の音を枕元に聴きながら早々と眠りについたことでしょう。
秋の夜長は、そんな風情を想像します。

中秋の名月が9月8日。

いよいよ秋本番。

暑さと激しい天候に振り回されたこの夏。
束の間の和やかな秋の夜長をもう少し愉しみたいものです。

夏の疲れは、季節が落ち着いた9月、10月に身体に出てきます。適度に身体を休めながら、季節の移ろいに身を任せて身体を休ませる心掛けが大事なようです。

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