五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

ひとり

2009年11月30日 | 第2章 五感と体感
きのうの勉強会で、ふと、私は多くの人の中にいる時ほど、自分自身に孤独感を感じやすいかもしれないなぁ、と思いました。

一人でいる時は、いろいろな「想像」が湧き、自分自身との対話を楽しんでいる自分がいます。
その時間が足りていないと、多くの人の中にいるときの孤独感が増えてくるように思います。

ひとりの時間、大切にしたいものです。
おひとりさまを楽しむと、他者との関係が益々豊かになるはず

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自分のテンポとリズムは?

2009年11月29日 | 第2章 五感と体感
私という個性は、時と場合によって、いろいろなテンポとリズムを持っています。

いつも一貫しているわけではありません。

ゆるゆると時を過ごしたり、嵐の波のようなリズムだったり、時には凪いだ海のような平坦なテンポだったり、どんな時にどんなテンポとリズムなのか、時々立ち止まって意識してみると、「その時」の過ごし方と人との付き合い方がみえてくるかもしれません。

待降節の始まり。
喜びのボルテージに向けて、できればひたひたと暮らしたいものですが…
さて、それが許されるか?世の中は師走のテンポ…

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自分のテンポ

2009年11月28日 | 第2章 五感と体感
私たちは時間と空間のなかで生きています。
今の世の中は、時間も空間も規則的に決められています。

同じ条件で時間と空間の中に生きている私たちではありますが、人によって「テンポ」はまちまちです。

新しい環境にはいると、自分がいったいどのくらいでその環境に慣れていくのか、これもまた、人それぞれです。

自分のテンポをある程度意識できていると、違和感への対処が和らいでくるはずです。

この人は私にとってダメ!!
この場所は、嫌!!

否定していくのは簡単なことです。
同時に、違和感に対して、否定的な感情が湧くことは健康的に生きていくために大切な感情です。

そんな自分の湧き出す感情傾向と、自分自身の生活テンポを観察してみることも、健康的に生活するコツの一つのように思います。

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This Is It 観てきた

2009年11月27日 | 第2章 五感と体感
これは、観ないと語れないでしょ、というくらい、周りの人たちが感動を私に伝えてくるので、観てきました。

これは、すごい。

考えてみれば、私はジャクソンファイブ時代をリアルタイムで観ているわけで。。。
しかも、日本での公演は、横浜スタジアムと東京ドームで観ています。

ロンドン公演の本番さながらのリハーサルをつなぎ合わせたものですが、まるで舞台を観ているような臨場感を味わいつつ、彼の云うGive allを味わってきました。

天才がエンターテナーであること自体が、「それは、これ・This Is It」なのです。
仏教用語で表現するならば、「即」という語がしっくりくるように思います。

身体と心、言語と感性に境界線の無い彼の表現能力は、総体的な美を創造していきます。だからこそ、喜怒哀楽、喜びと苦しみの反復は、凡人の想像以上のものだったかもしれません。

ロンドン公演で共演することが自身の人生の頂点だと語るスタッフ、ミュージシャン、ダンサー…
最高のものを創り上げるために選ばれし表現者が、マイケルの才能と求心力にどんどん惹き込まれていくさまが、この映像がドキュメンタリーであり、ビデオクリップである、という二面性を上手に消化し表現されています。

ロックを聴いていた頃の、あの時に聴いたギターの鳴りが、キューーンと胸に響いてきて、涙があふれてきました。

観てよかった

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今、ここでの恩寵 10

2009年11月26日 | 第9章 愛
人間は、とどまることのない細胞と、感情を体験しながら生きています。

とどまることのないものであるのに、私は、私という「個」で生きている現実があります。

ということは、ゆらゆらと感じ、迷い、動きながら、いつも不安定な私自身の「身体」を保たせていく必要があります。

生きている、ということは、「不安定な自分と向き合う」とうことかもしれない、と思っています。

「いつも平安な気持ちでいたい。なのに、自分はいつも不安感でいっぱいだ。」
このような主訴の人は、案外多いのです。

不安は人の本質です。だからこそ、今の自分に止まり自分自身を観ていくことが、「私が生きている意味の回答」に繋がっていくのです。

この回答は、自分自身のためのものです。

今、という瞬間は、経験という時間が積み重なり、かけがえのない自己の成育史となっていきます。この成育史は、自分にとっての宝物です。
悩んだとき、迷った時に、この宝物の引き出しを開けてみると、答えが見出されていくはずです。

「悔い無く生きること」も「生き甲斐を持つこと」も、必ず、自分の内に答えがあります。

1~10までのテーマを10日間でざっと、書いてみました。読んでくださり、ありがとうございます。

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愛 9

2009年11月25日 | 第9章 愛
「死」を考えると、浮上してくるのが「愛」という言葉です。

ターミナルケアーにおいても、子育てにおいても、あらゆる人間関係において、自分が必ず経験する「死」について考えることができていないと、他人との精神的関わりはできません。

自分がどのように「愛」を感じているのか?「愛」についての理想があるのか?

自己の持つ「愛」の概念は、その人の思考・感情・行動にそのまま表れてきます。
でも、そのことについて、他人が評価できるものではありません。

その人が感じる愛はその人にしかわからないからです。

他人が口にした「愛」という言葉は、自分の成育史上の概念というフィルターに通されます。
そのフィルターが、自分の感情に違和感を持たせたり、同調したりしてくのです。

自分が思っている愛と他人の愛に違和感があるのなら、自分の愛についての「理想」と「現実」に感じている感情を整理してみる必要があります。

自分自身の愛の問題。

親子の愛の問題。

夫婦の愛の問題。

恋人同士の愛の問題。

友人関係の愛の問題。

職業上における人間関係の愛の問題。

いろいろと関係性の種類はありますが、他人のことを考えるのではなく、自分自身の愛について、考えることが先決です。

「あなたのためよ」と言いながら、自己の愛の概念を押し付けている人が身近にいたら、その人から逃げる勇気も必要です。

さて、どのように自分の愛について自問自答すればよいのでしょう?

また振り出しに戻るようですが、10日ほど前から書き綴っているテーマを順に思索していくのが良い方法のようです。

「知覚と意識、自分がどう感じ、どう意識しているのか?」

メビウスの輪のようですが、人は生きている間、ずっと成長し続けているそうです。「自分がどのように死にたいのか?」というテーマは、「自分は何のために生きているのか?」と、中身は一緒です。

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たましい 8

2009年11月24日 | 第8章 魂と聖霊
死んだらどこにいくんだろう?

私は死んだことがないので、その問いの答えは、私自身答えることはできません。

世の中にはびこっているオカルト的なもの、安易な諸々の占いは、携帯で検索すれば、簡単に占ってくれます。気楽です。

それらの解釈の責任を取るのは自分自身です。
簡単にいえば、捉え方も信じ方も「自分次第」、ということです。
ほんとうは怖い占いの真実です。。。

人は自由意思を持っています。
自由な意思を持っているが故に、喜怒哀楽の中でいろいろな感情体験をしていきます。自分次第の喜怒哀楽とそれらの感情体験は、「死んだらどこにいくのか?」という人類の普遍的な問いに答えを見出していくには、自分の感性から見出していくしか術はないように思います。

だからこそ、聴こえてくるもの、香ってくるもの、味わうもの、触れるもの、見えるものを体感で感じていく感覚を大切にしたいのです。
「五感」は、魂を感じるための橋渡しといえるのです。

五感を通した体感と、考え方や解釈に裏打ちされた「言葉」が自分の中で腑に落ちれば、それが自分の中の答えです。

「たましい」を体感したいが故に始めた心理学ですが、まだまだ、「これぞ」という言葉は見つかりません。じっさい、自分が死ぬ瞬間に、何かが観えてくることを期待し信じ、生涯私は私の内から湧き出す言葉を紡ぎながら生きていくのだな、、、と、思うわけです。

そのために今を生きていることは確かです

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光を観るとき

2009年11月23日 | 第7章 光と復活
奈良の当麻寺にて。
蓮の糸を紡いで、一晩で曼陀羅を織った中将姫。

・・・そのまま曼陀羅の形を具えていたにしても、姫はその中に一人の唯一人の色身の幻を描いたにすぎなかった。その曼陀羅から数千の菩薩の姿が浮き出てきた。其れは幾人の人々が同時に見た。白昼夢のたぐいかもしれない。「折口信夫・死者の書」

上記は美しい言葉で織りあげられた折口の死者の書の死者の書・初稿の最後のところです。

大陸に渡り、真言密教を日本に持ち帰った空海は、理趣経という壮大な人間論的な経典を人目に触れぬよう、埋蔵経として封印しました。それがいつしか現代の私たちの目に触れ、いかに生きるか?という問うこの時代の人々に読み継がれるようになりました。折口信夫は、見識の狭い日本の文化的現状から、東西の知識を経て、この死者の書を書きあげたように思います。

キリスト教と仏教を交え、自己のアイデンティティを神道を通して古層から湧かせ立ち、死者の書に自己の死生観を表したように思います。
素人的な所感ですが、平成という世に読んだ私にとっては、文化的融合は当たり前のことですが、折口信夫は、この時代の人ではありません。

私は何のために生きているのだろう?
そして、生きがいとは何だろう?
私は、魂と心と体を大切にしているだろうか?

人として生まれ、この問いに自問自答する人生を経てきたなら、言葉に出さずともこの問いに答えるべく生活をしているはずです。

いつか永遠の旅立ちをするときに観える光が、生きている今から準備されているように思います。

死者の書の中で、「さとり」に「感性」という言葉を当てています。

なるほど、、、心に落ちました。

読めば読むほど、味の出てくるこの作品に、自分の成育史が重なるのは、私のおめでたい解釈かもしれませんが・・・


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人生は螺旋塔 6

2009年11月22日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
:::折口信夫の「死者の書」を読んで:::

「いつか、スイスバスに乗ってヨーロッパから中近東の旅をしたい、」と思ったのは、高校の地理の先生の話がきっかけでした。そもそもふわふわと妄想しながら10代に突入した成育史の私は、みごとにその話題に乗っかりました。

アフガニスタンやイランの砂漠にぽつんと立つ石造りの螺旋塔は、砂漠の民の灯台だったと聞いています。
数年前、奈良の浄瑠璃寺に向かう途中、その螺旋塔と同じデザインの塔に出合い、驚きました。確か、水道局の建物?だったように記憶しています。

城壁でもなく、櫓でもなく、螺旋塔というデザインは、砂漠を旅する人にとって、とても象徴的な道しるべだったに違いありません。

故有元利夫さんが描いた「花降る日」というタイトルの作品には、やはり、その螺旋塔がモチーフとなっています。その絵の前に立たずんた19歳の時も、自分との出合いの扉を開けたような衝撃が走りました。

DNAという無意識の螺旋が私の体内を廻り、時々、私の前に現れる螺旋状が、ときどき意識化を図ってくれているようにも思います。

折口信夫の「死者の書」を読みながら、私自身の「死者の書」を表現するのであれば、「魂と心と体」のどこに焦点を当てるだろうか。。。、そんなことを考えました。

人は螺旋状を生きているし、生命を断たれ魂となっても螺旋状にあり続けると漠然と思うのは、DNAの形状を無意識の中で納得しているからかもしれません。

希望は永遠に螺旋を巡る体感の中にある、と本気で信じている自分は幸せかな。。。

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受容と平安感 5

2009年11月21日 | 第5章 和解と平和
9月から一気に駆け巡り、相変わらず、第三者から見ると、爆走中に見える私ですが、今年はちょっと違います。

心も体も爆走していると、必ずバタッと倒れます。今年は子供の受験が迫っているというのにお正月にインフルエンザにかかり、しかも冬の間、体調が回復せず不快な思いを経験しました。
さすがに、「あんたはアホか!」という突っ込みが天から聴こえてきました。

そんなわけで、アホはアホなりに、自分のルールを決めてみました。
それは、疲労の意識化です。

身体の疲れを意識し、自分の体感を受容するよう「意識化」してみると、オーバーヒートを避けることができます。

「疲れてるな。。。」と心に湧き立たせるだけで、私の受容が私の中で成立するのです。

受容してみると、「休むこと」が自分の中で許されるのです。

いくつもの仕事を抱えて、「私はできる」という自信が身体の災いを呼び、バタッと倒れる図式から、多少の回避ができるようになったように思います。

受容は、結果的に平安感に繋がります。

不安感と平安感は、表裏一体です。
心理学は、こんなところで役に立ちます。。。

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受容ってなに? 4

2009年11月20日 | 第4章 愛とゆるし
カウンセリングで、よく出てくる用語に、「受容」という言葉があります。

この言葉が独り歩きし、何でもかんでも「受容!」というところに落ち着いてしまうところに、怖さを感じることがしばしばあります。

「自己受容」しましょう。。。はてさて、いったい、受容って何??

湧き出る感情、自然に湧き出す感情、ありのままの自分、そのままを受け容れることなのですが、ありのままの自分を昇華し、良いように捉える事が受容であると勘違いしてしまうと、その自己受容から、あらたに理想と現実のギャップが生まれてきます。

「ありのまま」を否定も肯定もせず、湧き出すこと、、、もし、その感情に、何か胸が詰まったように感じたとしたら、自分の考え方、思考に、何の防衛機制が働いているか、自問自答していく必要があるようです。

自己受容。。。そうそう、簡単に、「受容しましょう!」などとは、いくものではありません。心の違和感に気づいたら、その違和感の中にある「理想と現実」を吟味すると、もしかしたら、本音の本音がみえてくるかもしれません。。。

その本音の感情を、否定も肯定もせず、ありのままに湧き立たせることです。そこから初めて、「受容」とは、自分にとってどういうことなのか思索してみてはいかがでしょうか・・・

受容が簡単にできれば、人は悩みませんよね。。。

「人の本質は、不安である」という大前提から、私たちは心理学で学んでいます。
私は、この言葉に救われた一人です。

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五感と成育史 3

2009年11月19日 | 第3章 無意識の世界
意識されず、無意識の世界が自分の行動を支配している場合もあります。

特別な人がそうだ、というのではありません。

私自身も同じく、自己の意識を超えた無意識の世界を持っています。

たとえば、成育史もその一つです。

赤ちゃんのころの体験は、覚えているものではありません。でも、そのとき意識していたものが体感として残り、自分の知覚と解釈の仕方に関係していることもあるようです。

「遺伝と環境と老化」という概念を思い浮かべると、成育史と今の自分のモヤモヤが、何かと繋がるかもしれません。

無意識の世界…

ユングは、それに着目しました。
チベット死者の書には、その無意識の世界が表現されており、それがいくつもの「感情」として、具体的に書かれていることに驚き、気づいたわけです。。。

ロジャーズの理論にも通じるものがあります。

ぼちぼちと何度も何度も繰り返し勉強しながら、自己の成育史の理論武装・自己分析をやっていこうではありませんか。。。

カウンセリングの学びは、他者分析や他者事例を学んでも、あんまり意味がないようです。まずは、自分のことから始めたいものです。他人の悩みに関わることは、そんなに簡単なことではありません。


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五感と体感 2

2009年11月18日 | 第2章 五感と体感
五感と体感は昨日書いた知覚と意識と深い関係があります。

「知覚」が「鈍い人」もいれば、必要以上に感じやすくいつも「傷ついている」と「解釈」して「意識」している人も少なくありません。

言葉や現象を知覚することは、自分の意識に繋がり、五感を通して体感へと導かれていきます。

五感とは、見・聴・匂・味・触のことです。

他者と同じものを見たり聞いたりしても、そこから感じるものは他人と同じものではありません。その違いが個人の個性です。

個人の個性は、「個性の美」です。

この個性の美を磨いていくことで、知覚から意識へ移行する時の解釈がずいぶん違ってくるはずです。

解釈が変わると、どうなるでしょう?



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知覚と意識の深い関係 1

2009年11月17日 | 第1章 意識と知覚
知覚と意識は、自分を見ていく上で最初の一歩だと認識しています。

私とあなたの関係において、または、日常の出来事に対して、自分が知覚する違和感、同感を意識しているでしょうか?

「あれ?

なにか変…」

その知覚を大切にしていないと、心のバランスが崩れていくように思います。

「なにか、へん、、、」に気持ちが留まり、でも、何がヘンなのかわからず混乱していく経験は、成育史の中で、誰もが経験することです。
とくに思春期は、「何かヘン」を知覚しながらも、その解決の術が分からず、悶々としているうちに、親からあれこれと言われ、ついつい反抗的になってしまったりするものです。

自分の中の何がヘンなのか?、何と何の間に違和感を感じているのか?
もっと分かりやすく言うと、「理想と現実のギャップは、どうなのか?」
もっともっと分かりやすく言うと、「自分はいったい、どんな考え方に縛られているのか?本音は何なのか?」そんなことを自問自答していくと、知覚から意識へ自然と流れていくのです。

否定も肯定もされず、静かにフンフンと聴いてくれる相手がいなければ、まずは、自分と自分の会話、自問自答を楽しんでみようではありませんか。。。

知覚して意識化して、言葉にしてみる。。。さて、どんな言葉が飛び出すでしょう。。。

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チベット死者の書4

2009年11月16日 | 第2章 五感と体感
関西のワークショップを終えて横浜に戻ってきました。
ブログ「生き甲斐の心理学」のU先生、ありがとうございました。」(ブログランキングをクリックしていただくと、10位前後に先生のブログがあります)

参加者の勉強仲間の皆様、和やかな時間を共に過ごすことができ、心から感謝しています。会場の環境の良さも私たちの心に大きな影響があります。お世話をしてくださった会場関係の皆様、ありがとうございました。

今回は、チベット死者の書の一部の概念を使用し、心理療法の基礎を勉強しました。
自分が湧き出す感情を受容していく作業は、死者の書「死の章」にて段階を踏んでおこなっていきます。今回もこの「80の自性の分別」を利用させていただき、今までのワークショップよりも内容を進め、自己分析を行っていきました。

他の勉強会でもトライしてみようと思っていますので、お楽しみに!
参加者に死者の書の知識がある、ないは関係ありません。

無意識の意識化は、ただ闇雲に自問自答するよりも、最初に感情の曼陀羅を示してくれた方が、作業しやすいかもしれません。そのためには、ロジャーズの6条件で、自分自身を否定もせず肯定もせず、湧き上がる感情をそのまま受容し意識にとどめておく必要があります。

押し付けや説教は、互いに厳禁です。ましてや世話人がそうであっては最悪です。
心の問題を解決しようという趣旨の勉強会は、自分に相応しいグループで、しかも「嫌!」と思ったら、さっさとやめる覚悟を決めて、参加することをお勧めします。

私たちの勉強会は、基本的に通信講座を受けている人が対象です。今回の勉強会はその通信講座生対象の勉強会です。
その通信講座で長年学び、三級の資格を取得した仲間とNPO法人をつくりました。そこで、講師契約をした人が、生き甲斐の心理学を学ぶワークショップを開いています。「NPO法人CULLカリタスカウンセリング学会」は、カウンセリングは一切行わず、複数人数対象の勉強会を行う目的の団体です。

「ユースフルライフ研究所」及び「NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会」にご興味のある方は、私のブログの左横から入って内容をお読みください。

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