五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

鎌足と大阪

2015年07月31日 | 第2章 五感と体感
鎌足と大阪2015年7月31日

高槻の西側に位置する安武山に藤原鎌足が眠っています。
京都大学地震観測所建設にあたり発見された石室に金の王冠を携え眠っていた高貴なお方は、歴代天皇では無く藤原鎌足であることは、ほぼ確定ということだそうです。

地震観測所の建物もレトロで、小説や漫画に登場しそうな雰囲気を醸し出しています。その建物の少し上を上っていくと鎌足の墓があります。
墓の前に立ち木々の狭間からは、大阪梅田方面を見渡すことができます。
難波宮が真南に位置していることで、鎌足の力が斉明天皇、天智天皇、そして天武天皇、持統天皇の時代に大きな影響を及ぼしていることがよく理解できます。

関西行脚から戻り、ひたすら地図を眺めて中沢新一の「大阪アースダイバー」を読み直しています。
鎌足の墓を中心に東西の線と南北の線を繋いでみると、真南に私の想像範囲で腑に落ちる点が出てきたことで、益々奈良時代の歴史を読み解く楽しさが深まっています。

物部氏の衰退、そして四天王寺の建立、厩屋皇子(聖徳太子)の存在、そしてお隣の大国との関係を総合し、多国からやってきた人々が砂州の堆積と共に領地を増やしていった過程が見えてくるのです。

鎌足を語るには、まだ勉強が足りないのでこのくらいにしておきます。
このあたりの土地を欲しがる歴代の武者達を思うと石山本願寺から豊臣秀吉の大阪城に至る歴史も面白く、戦う真田幸村のことまで考えてしまうと、あっという間に千年の時空を漂ってしまうのです。
兎にも角にも大阪の街の真北には鎌足さんが眠って、大阪を鎮守しているとしか思えないことに、新たなワクワク感が私を楽しませています。
秀吉の頃から未だ四百年位しか経っていない今。そして今から六百年後、私達は現代の遺物をどんな形で遺しているのでしょう。
都心に林立する天高い建造物が朽ち、基礎に掘った地下数十メートルの穴ぼこに人々が住んでいることを思うと映画マトリックスも空想の世界ではない、と想像の翼が広がってしまうのは何も私だけの想像では無いようにも思います。


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阪急マルーンという色

2015年07月30日 | 第2章 五感と体感
阪急マルーンという色2015年7月30日

「阪急電車の色が大好き!あの茶色、良い色よね~」と、言うと「茶色なんて言っちゃだめ~、あの色はマルーンよ~」と、教えて頂きました。

調べてみると、
正式名は「阪急マルーン」。

あの茶色とも紫ともあずき色とも見えるあの色は、阪急のシンボル色として大切にされているようです。

山の手気分を味わい、最近の東京では出会わない上質な生地の服を着た人が背筋を伸ばして乗っていることがあるのです。先日も白い地模様の素敵なフレアースカートの嬢さんがホームを歩き、涼やかに通り過ぎていきました。品の良い花柄のワンピースを着た中学生らしきお嬢さん二人が、宝塚のパンフレットを覗きこみながら嬉しそうに語り合う光景も微笑ましく。。。
今回は叶いませんでしたが、宝塚音楽学校音楽学校の学生さんなんぞを見掛けようものなら、ウキウキ気分が盛り上がり目を離すことが出来なくなります(笑)

阪急マルーンという色が醸し出してきたイメージは、長い年月をかけて乗車する人々のアイデンティティをも構築してきたことは、確かなようです。

関東で言うならば、東急電車がそれに値するように思って長年愛着持ちながら利用していましたが、電車の線路が延びれば延びるほど、乗客の個性が無くなってきました。電車利用客の固有化という点で見てみると、阪急電車は、固有の特色を未だ持っているということになりそうです。

公共の場での心身を正す感覚は、スマホいじり自分の世界だけに埋没していたら身につくわけがありません。
人に見られ、「あら、素敵ね。」と、思う場面が激減した昨今、阪急電車にはかろうじてその光景が残っているようにも感じ、阪急マルーンの品ある色を益々愛おしく思うのであります。

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宝塚滞在

2015年07月28日 | 第2章 五感と体感
宝塚滞在2015年7月28日

宝塚の勉強会から戻りました。
阪急宝塚線の売布神社駅近くの森の修道院に泊まり、シスターの美味しい料理と静かな環境で今回は四泊させていただきました。
いつもなら二泊三日か多くて三泊するのですが、今回は祇園祭の後祭鉾巡りと藤原鎌足の墓と有馬訪問を兼ねたく、長期滞在となりました。

勉強会に参加されたお仲間との再会も嬉しく、皆様の学びの深さにも感銘しつつ、有意義な時を過ごしました。
多くの人と時を過ごす割には肩肘張らない楽な時間を過ごすのは私自身久しぶりでした。年に一、二度の宝塚滞在は、心と魂と身体をフレキシブルな処に戻すには最適の機会です。
幼い頃から親の転勤で住まいが変わったり頻繁に旅行することが多かったせいか、「転地」することで自分を取り戻す行為は私の一番のお薬のようです。

縄文時代の定住型生活にしても、気候の変動や災害で、移住を余儀なくされることは今の時代より多かったかもしれませんが、人の一生は現代よりも短かかったはずなので、同じ場所で生まれて死ぬ人の方が多かったかもしれません。そんな縄文の人々の遺伝子を体内に持ちながらも、どこかで移動してきた遺伝子がむくむくと顔を出すことが私には多いのかもしれません。

まだまだ猛暑が続きそうですが、藤原鎌足が眠る土地から見渡す風景に今までとは違う鎌足への思いが湧いたこともつらつらと書いてゆきたいと思います。
環境変えて、新たに脳味噌に吸収できたものが元気の本(もと)になっているようです。
今日も熱中症に注意しながら、仕事再開です。

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たいせつなもの

2015年07月23日 | 第2章 五感と体感
たいせつなもの2015年7月23日

「旅する八百屋・ミコト屋」を読み進めるうちに、画家・故有元利夫のお嬢さんがお母様と共に料理の道を歩んでいることを知りました。
御父上が亡くなられて随分時が経つのに、職種は違えど、心身に持つ根本の同質性に、心地よさを覚えました。
あの頃は、安井賞といえば具象画家の登竜門であり、学生の頃からその力を発揮していた有元利夫の絵は、ロマネスクと現代の時空を軽やかに跨いだようにも見え、当時学生だった私に大きな影響を与えてくれました。

中東の砂漠に建つミナレットを上る女性に花を降らした「花降る日」は、あの頃の私のツボに思いっきり嵌りました。
いつか砂漠の灯台を見たいと願っていましたが、戦争によって行くことの叶わない場所となり、その灯台を彼が描いていることに繋がりを強く感じたのでした。それ以来、表現されたものを機会ある毎に拝見してきましたが、惜しくも若くして亡くなりました。しかし、根強いファンがいることで、時々回顧展が開かれています。

カタチが違っても、その明度が一緒であることで共感する事が私にとってのツボなわけですが、つまり大切にしているアイデンティティにピタリとくるものがあると、それは五感を通して心地よさに繋がってゆくのです。

たいせつなものをダイレクトに掴むことも大事なことかもしれませんが、何かを通してたいせつなものを感じ取る感性を育むことも自分の生き甲斐に繋がってゆくのかもしれないと、「旅する八百屋」を読んで思った次第です。たいせつなものを繋げるお仕事、私もそんなお仕事を大切にしてゆきたいと思うのでした。

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夏休みの記憶 

2015年07月22日 | 第2章 五感と体感
夏休みの記憶 2015/07/22

夏休みに入りましたね。小学生や中学生が私服を着て平日に電車に乗っている光景は、心温まる和やかさを感じます。
お母さんと一緒に電車に乗っている子、友達と楽しそうに語らっている子等、色々です。
昨日、帰路の電車で、本を読んでいる小六ぐらいの男の子の横に座りました。
横に座り、ちらちらとその子の気配を楽しんでいる内に、「ああ~夏休みだな~~」という思いが、ふつふつと湧き出し、自分自身のあの頃が懐かしく思い出されました。
私が小学生の頃は、電車にクーラーなど入っておらず、もちろん、家にもありませんでした。暑さを凌ぐために扇風機を回し、暇を持て余すと松林の中に立つ市立図書館に涼みがてら本を読みに行きました。
図書館の机の上に沢山の辞書を置き、勉強しているお兄さんやお姉さんに微かな憧れを抱きつつ、大人に交じりながら小説のコーナーの背表紙を眺めるのが、自分にとってのプチ大人気分の楽しみ方でもありました。

昨今の子供たちは、親に指図される忙しい夏休みになりがちでしょうが、「暇を持て余す時」を真剣に大事にして欲しいものだとしみじみ思います。
「暇を真剣に大事にする」という意識は、大人が思うことです。暇を持て余す、という意識は、大人になってから意識化する事であり、暇な自分の取り扱いは、暇である自分自身でないと生まれない感覚です。
解放感ある暇は、多くの想像が芽生えます。
自分で考える力もそこから湧き出すように思います。
指示され、スケジュールに自分を当てはめるのは、もう少し先の役割であっても良いかもしれません。
小さなタブレットに集中することよりも、空を見て、雲を見て、風を感ずる感性を磨くことのほうが、生き抜く力に繋がるはずです。

小学生の頃の夏休みをほんわりと懐かしめる記憶が、大人になって生かされることは間違いなさそうです。

お知らせ:東急セミナーたまプラーザ校での講座は、7月31日金曜日となります。第四週ではありませんので、お間違えありませんよう宜しくお願い致します。

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表現と開放「蔡國強展」

2015年07月21日 | 第2章 五感と体感
表現と開放「蔡國強展」2015年7月21日

横浜美術館にて10月まで開催されている展覧会「蔡國強展」を観覧しました。
久しぶりに骨太のアートを堪能。
横浜美術館のために制作された春夏秋冬については、熟していない物足りなさを感じましたが、美術館内で火薬を使い制作した過程の映像は大変見ごたえのあるもので、インスタレーションとしての完成度は高いものだと思います。
撫でるような、核の見えないふわふわした表現の多い昨今、物足りないものを感じていたのですが、久しぶりに身を糺すようなアートを体感させていただきました。
東西ドイツの隠喩を表現したオオカミの連鎖性のある作品は、20代の頃に私自身が体感してきたアートの再現の様な興奮を覚え、自分自身を育ててきた環境は、まさにこれだったのだ、と、懐古的ではありますが、自分の中にある審美の本質に触れたような体感を得たのです。

文章を書くにしても形で表現するにしても、自分の内とその表現にギャップがあることで表現の焦点付けがされてゆくわけですが、表現が体感的に満たされるものであれば、それは自分の内から外への開放と結び付いてゆきます。
そんな表現をしたいと願いながらも、他者の作品を自分の開放のためにアテにしていることへの限界を感じている中、蔡國強の核の強さに惹かれるものを感じました。
今の自分には、このくらい強いものが必要なのかもしれませんし、そういうものを欲している自分が内に存在しているのかもしれません。

与えられているものに入る、というのではなく、表現が自らを動かす、というような感覚の面白さをも久しぶりに体感した展覧会でした。
横浜美術館の本気度も感じ、嬉しくもありました。

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ウィーンとショコラの関係

2015年07月20日 | 第2章 五感と体感
ウィーンとショコラの関係2015年7月20日

週末に天満敦子さんのソロを聴きました。
丁度、還暦のお誕生日とあり、チャリティーコンサート主宰者である脚本家の小山内美江子さんとの親しい関係が心地よく伝わり、温もりのあるコンサートでした。
天満さんの伴侶であるストラティヴァリウスのヴァイオリンは280歳。歳の差220歳の夫と共に演奏する喜びを大らかに語っておられました。

ストラティヴァリウスの音色は、どこまでも深くどこまでも広がり、一音とは言えない多彩な音が私の脳の大部分である無意識の領域まで行き渡っていくようです。
自分の想像以上の領域に入り込んでくる音は、知らず知らずに私の脳に刺激と興奮を与え、コンサートを終えると身体を駆使した疲労感とは違う無意識の領域の疲労感を感じていることに気付きました。

そこで、何を欲したか、というと、ショコラです。
数年に一度、無性に濃いチョコレートケーキを頂きたくなる衝動に駆られます。その日は、まさにその衝動に駆られたわけです。

ウィーンは、音楽の都。夜リンクの中を歩くと、どこからともなく奏でる音楽が聴こえてきます。音楽を聴くことが衣服を纏うのと同じくらいの感覚となるのですが、そこでもうひとつ大事な食べ物はショコラなのです。
ウィーンに行ったら、ホテルザッハは欠かせません。そこでザッハトルテを頂くのが旅人の醍醐味です。濃厚なショコラの味を堪能し、脳に刺激を与えるとあらあら不思議、益々ウィーンの空気に馴染んでゆきます。
なぜゆえ、ウィーンに行くとショコラが美味しく感ずるのかが、この度ストラティヴァリウスを体感し、このヴァイオリンの王様は、人の身体を隅々まで知っておられるのではありませぬか?と、今までの謎が解けたように思います。人を幸せにするショコラはクラシックの都と深いつながりがあり、人の五感と体感に深い関係があることを日の出る国で感じ取った体感を得たのです。
自分の脳の知らないところに触れたような一日は、大変貴重なものでした。

有り難いことにザッハトルテとアールグレイで、ウィーンの如くの時間を満喫させていただきました。

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表装の話

2015年07月18日 | 第1章 意識と知覚
表装の話 2015年7月18日

毎年恒例夏の大掃除をぼちぼち始めました。
8月になったら家のカーテンを全て洗うことが私の真夏のルールです。
今年は夏に作品展が無いので、追い込まれて表装三昧ということにはなっていません。のんびりと本を読み、表装三昧しながら日々是好日といきたいところですが、まだそういう時間は与えられていないようです。

ぼちぼち、ゆるゆると続けてきた表装も20年を越えました。
そうはいっても、怠け者で好きなことしか出来ない私は、まだまだ習得していない技術が数多くあります。
そろそろ、やらねばならない目標を立てて向上したいという気持ちが湧き出しており、そんな中、今まで制作した表装作品の写真は撮っているもののファイリングしていないことにハタと気付き、台風吹き荒れる二晩、過去を振り返りながら纏める作業をしました。
チリも積もれば山となる、とは、本当の事で、バラバラに保管していたものを纏めてみると、師匠の文章、会報、作品展の写真や葉書がいかに自分の宝物であるかを再認識しました。
断捨離しなきゃ、と、思いつつも結局、たくさんのゴミが出るわけでなく、 分類する整理が8割ぐらい出来てきました。
自分の生きてきた証しの様な様々の物を捨てるにはまだ時期が早いと諦め、貯め込み方の工夫をしたほうが良いという結果になったわけです。

昔使った裂も懐かしく、小さな端切れを処分するにも勇気がいるので、この整理は後回しとなりそうです。
「まだまだおやりなさい、と天から言われているのだ」という解釈が、無難なようです(笑)

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幸福と思う

2015年07月17日 | 第9章 愛
幸福と思う2015年7月17日

国の行く先に強い不安感を感じ、オリンピックについても本質的なことが置き去りにされているように見受けられ、そしてその問題を逸らすように台風が日本を横断中。各地の被害が気になるところです。

先週、春から面倒を見ていた伯父が亡くなりました。そろそろ寝ようかと思う時間に呼び出され、最終電車にぎりぎり間に合いホームに到着しました。
死に目に会うことはできませんでしたが、静かに眠りに着いた伯父の姿に安堵しました。
私の到着を待ってドクターが時計を見てくださったので、診断書の時間と息を引き取った時間には3時間ほどの誤差がありましたが、診断書に記入された時間を私が到着した時間と一致してくださり、時間の誤差から生ずる親族の罪悪感が軽減されることに、法の中における配慮に暖かさを感じました。
これからホームの生活を愉しもうと張り切っていた矢先、あっけなく逝ってしまったので、最初は渋々面倒見る羽目になったという思いがありましたが、段々と覚悟し楽しむ気持ちが湧きあがってきた私自身、何だか伯父に取り残されたような気分になりました。
とはいえ、当の本人は、亡くなる当日の昼間に大学時代からの兄弟さながらの親友が大好物の南部せんべいを持って見舞いに来てくださり、心地よい興奮と幸福感を持ちながら眠りに着いた次第なのです。
心地よい興奮が心拍数を上げて、命を閉じることになったとしたら、ほんとうに大往生であろうと、感謝しています。本人は喜びの内に眠り、天国に真っ直ぐ逝ったという解釈は、たぶん間違いではないと思います。
亡くなる前日に設置されたばかりの冷蔵庫の上に置かれた南部せんべいの袋をを見て、「この年齢でこんな硬いものを食べちゃうんだ。。。」と、遺体を覗きこみながら冷やかしつつ、幸福と思う伯父に最期は悔い無し、と、確信しました。

幸福感という興奮の内に命が閉じられるならば、それを私も叶えたいと願います。

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頑なな意思

2015年07月16日 | 第5章 和解と平和
頑なな意思2015年7月16日

自分の意思を通すことは、自分にとってとても重要なことであり、大事な事です。
同時に相手の意思を聞くことも大事なことです。

「聞く耳を持たない」状態にあると自分の意思がただの「独り善がり」になり兼ねません。

相手の要求と自分の目指すことに差異があるならば、まずは互いの掛け違いの落差がどのくらいあるのかを検証する事が必要でしょう。

落差を認められない状態であれば、自分の意思になんらかの歪みがあることを疑った方が良さそうですが、その状況把握が出来ない状態にあれば現実を吟味する力が欠けているというわけで、ますます自分の意思を通そうと頑なになっていきます。

周囲が頑なな意思に振り回されることのないよう、民主主義を柱に事が流れていくことを祈ります。

志が見えないと意思ばかりが先行し、非論理的になりがちです。意思の先にある意志を互いに共有できていないマツリゴトの不穏さを考えると、まだまだかの国は未熟な国であると言わざるを得ないようです。

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気候に身体を委ねる

2015年07月14日 | 第2章 五感と体感
気候に身体を委ねる2015年7月14日

暑い日が続きますね。台風の影響で風が強いです。

猛暑はさすがに苦手ですが、私は暑い方が身体の調子が良いようです。気温が低いと一層体温が低くなり一気に血の巡りが悪くなり免疫力も低くなりがちです。冬はできれば冬眠していたいのです。蛙や熊と同じです。
真夏生まれのせいかもしれませんが^^;

昨年末からあれやこれやと奔走する日々が続き、振り返る間もありませんでしたが、この度、その奔走する事項の一つが落ち着き、たぶん、この夏は今までの軌道修正ができそうです。

冬の「冬眠したい症候群」も大事にしたい身体との向き合い方でしょうが、夏は「南の島でゴロゴロしたい症候群」になりがちで、これもまたゴロゴロしたい身体を大事にしたいものだと思うのです。

ゴロゴロしたいのには意味があるし、冬眠したいと身体が訴える事も意味があるのです。
身体を駆使して無理をする時期があるとしたら、上手に時間を使って休める時間を作りたいものです。

気候に身体を委ねる上手なコツを自分なりに作る工夫も必要ですね。

そろそろ表装の作業を再開しなくてはならないとぶら下げてある刷毛を眺め、真夏の猛暑は家で大人しく制作する時間を大切にしたいです。

今日も熱中症に気をつけながら、皆様お身体ご自愛ください。

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最後の一輪

2015年07月12日 | 第2章 五感と体感
最後の一輪

梅雨空が続き、昨日は久しぶりの晴天。今日も暑くなりそうです。
我が家の沙羅双樹こと夏椿が最後の一輪であろう花を咲かせました。
夏椿の木を見上げ、私のお楽しみの期間の終わりに感謝しました。

今年は開花の時期が早かったのですが、梅雨寒の時期が長引いたおかげで、花の期間がいつもよりも長かったように思います。
さほど大きな木ではありませんが、たくさんの花を次から次へと咲いた花は、一日の始まりから終わりまで、私を付き添う花でもありました。

最後の一輪を見届けて、今日も花に付き添ってもらいながら役割を担うと致します。

心優しい人の思いやりも嬉しいですが、物言わぬ森羅万象に助けられていることを感じることは、正中線を崩さぬ何かを頂くことのようにも思います。

一輪の花に思いを託して盛夏の始まりの頁を一枚捲り、もう一歩踏み出したい心地を大事にしたいものです。

盛者必衰の理(ことわり)に夏椿を重ね、沙羅双樹を象徴化した古人(いにしへびと)の感性は、秘めた言葉に本音を投影するを達人であったやもしれませぬ。

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善意と抑圧の関係

2015年07月09日 | 第1章 意識と知覚
善意と抑圧の関係2015/07/09

「私は善い行いをしている。」
この概念における自分自身の現実吟味力は、果たしてどうなのだろうか。

「今、私は、私にとって善いと思う行いをしている。」
私の場合、この方が、軌道修正しやすいので、今、自分が判断して善いと思うことは「今、現在の自分の思いを肯定的に捉えて」行動するようにしています。

もしかしたら、一週間後、この行為が反省に変わるかもしれないからです。

自分の善意は、自分の防衛機制と深く関係しているように思います。

自分が他者のために良かれと思ってすることは、自分自身の罪悪感や不安感、後悔を学習したことによる防衛機制の回避的な現象とも云う事ができるようです。

自分の善意が他者を混乱に導くことに繋がったり、関係性が悪くなったり、同じようなトラブルが続いたりすることは、自分の不安感に気付いていないからかもしれません。
自分自身の抑圧的な不安感を意識化していない状態だと、バランスを取るために無意識に他者に向けてゆくようです。

自分の善意の行為を「そのことで他者が混乱する想像も出来ず、善意だと信じて疑わない場合」、長年抑制してきた不安感を意識化するのは、とても難しいかもしれません。

昨日、「某異文化の場所」を体験してきました。
良いとか悪いとか、そういう問題ではなく、信じて疑わない中に潜む抑圧的な不安感は、自分が馴染んできた文化の中に居る時は感じにくいものでしょう。異文化の中で生き抜こうとするときに初めて自分と対峙することができてこそ、健全な心身の動きであろうと思いました。

人の持ち備える逞しさは、誰しも平等に与えられているはず、と、妙に確信し、有意義であった昨日の体験を回想しています。

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成熟という表現

2015年07月08日 | 第1章 意識と知覚
成熟という表現 2015年7月8日

バブルの全盛の頃、確かに仕事は楽しかったです。ポストモダンが流行り、国内外の有名な建築家が日本の都市で自由で贅沢な建物を表現し、発表する場としての日本は、世界からも注目されていました。それぞれの都市がその頃建てた建造物を街の象徴としてアピールし、以降時を経て今に至っているのです。
私自身その時代の只中を歩んできたせいか、今はよりシンプルなものに五感が傾きます。

インフラが整備される中、1964年の東京オリンピックの頃に建てられた諸々の建造物、新宿の都庁、東京湾の埋め立てによる都市開発、横浜みなとみらい、派手さのある建物が建ち出す時代に私は育ちました。その時代からバブル崩壊、さらにリーマンショックが起こり、世界の経済が停滞しつつも日本は豊かな才能を持つ人材が育ち、それなりに成熟してきました。

私の父の仕事の関係で、日常の会話は建設関連の話題が当たり前でした。発展途上国の人材育成のため、海外からの留学生の面倒も見ていたし、住んでいた社宅の広大な敷地には、地質調査の土山や、巨大なダムの模型があり、そんな風景を眺める日常は、もしかしたらそこに住む私達だけの日常であったのかもしれません。
そのような時代の流れを生きてきた私は、この度話題になっている国立競技場の設計デザイン内容と巨額な予算には、呆れた感情を抱いています。
この時代に、関係者がかつての東京オリンピックと同じ土壌で立っている事は、せっかく築き上げてきた日本の成熟を台無しにしていると思えるのです。
「これが成熟した日本を見せるに値する表現なのだろうか?」
利権と既得権ばかりが先行し、とある権力者の一声だけで決まることに、日本の成熟度はまだまだなのだと思うことに口惜しさを感じます。

高度成長期に生まれて育ってきた世代は、洗練とは何か?成熟とは何か?がより判別できる世代でもあるはずです。関わる人材の頁もそろそろ数頁捲る時期なのではないでしょうか。
そろそろ成熟した日本で海外の人々をおもてなししたいものです。

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見る目を養う

2015年07月05日 | 第2章 五感と体感
見る目を養う

ひとつのことに精進し続けていくと技術の習得と同時に見る目も養われていきます。
不器用な私も不器用であるがゆえに続けてきたことで、少しは見る目も養われ、理想の図像を思い描くことはできるようになってきたように思います。
心についても同じようなことが言えそうです。
理論をいくら学んでも、自分の中で折り合いがつかなければ、自分自身や他者との関係性が上手いこと流れていきません。

自我を通そうとするあまり、見る目を養うことを怠ると、いつしか周囲の人が離れていきます。
周囲が離れていく事ばかりに気を取られていると、自分の軌道修正が出来なくなるばかりでなく、自分の傾向を益々強化させていきかねません。

他者との関係性において、自分の理想がどこまで叶っているか?もしくは、どこまで叶えば満足するか?を吟味することで、自分の理想追求の希求度が見えてくれば、幸いでしょう。

魯山人に学べとまではいきませんが、魯山人だったら何を言うか?ぐらいのことは、想像できるよう見る目を養いたいものだと、しみじみ思う梅雨の週末を過ごしています。

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