五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

花ごしらえ

2007年02月25日 | 第2章 五感と体感
東大寺二月堂のお水取りが近づいてきました。
その行事が過ぎると、奈良に春がやってくるのです。

そのお水取りの準備のひとつに2月23日の「花ごしらえ」があります。
二月堂の須弥壇を飾るために、タラの木を芯にして 赤と白の花びらの椿の造花をつくるのです。この椿は、「糊こぼし」と云われ、二月堂の下に植えられている椿の花柄が赤い花びらに糊をこぼしたような斑点があるために付けられた名前だそうです。

私は、この「糊こぼし」が大好きです。お坊さんが背を丸めてしこしことお花を作る姿を想像しただけで、愛おしさが伝わってきます。
450個ほど作るというのですから、結構大変な作業です。

そして、3月1日から2週間続くこのお水取りの最中にしか手に入らない椿(糊こぼし)の練り菓子があり、食いしん坊の私は、どうしてもそれを手にとって頂きたい衝動に駆られています。

大仏開眼752年から、今日まで一度も途切れる事無く続いてきた行事。
事象に振り回されることなく、己の形を貫き通す姿に、気負いを感じさせず、淡々と続けることの強さを改めてこのお水取りから感じ取ることは、私の人生の矛先をいつも明るいものにしてくれるありがたいシンボルです。
二月堂から眺める奈良盆地の風景は懐かしく、古の都に住まう私の祖先を感じるのも あながち夢見心地の空想だけではないと想いつつ・・・。

糊こぼし。
花ごしらえ。

言葉の響きは、目で観るよりも悠久のうつくしさが心の奥で広がります。


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桜を愛でる

2007年02月22日 | 第4章 愛とゆるし
今年の桜の開花予想が発表されました。
東京はなんと3月19日です。

カレンダーをみると、2月は28日までだから ひな祭りが間近に迫っていることに気付き、慌てて小さな雛人形を飾りました。
我が家は、女の子?は私一人なので 慌てることもないのですが。

桜の思い出をつらつら思い出し、それを綴ろうとしましたら 幼少期の頃の桜の思い出が希薄なのです。それよりも菜の花や蓮華のお花畑のほうが鮮明に記憶に残っています。
子供は背丈が低いので、自分の目線に合ったものに気を取られるのでしょうか。
つくしんぼや杉の子、タンポポ、田んぼの稲、おとなの目線から眺めるよりも、子供の方が 断然見え方に迫力があるはずです。
桜は綺麗だけれど、花びらが散った後に、無数に落ちている毛虫を踏んづけながら小学校に登校しなくてはならないのが憂鬱でたまりませんでした。

ハラハラと落ちてくる花びらや曇り空に淡いピンクを混ぜたような色の花びらを心底美しいと思うようになったのは、10代の頃です。
私が出合った桜を題材とした小説や映画が 桜という存在に色気を付けて、美意識を高めたのかもしれません。

今では、桜の季節になると、近所の桜並木や公園に足を運んだり、車窓から淡いピンクを探したりして、桜気分を気楽に楽しんでいます。

さて、今年はどこの桜と出合うことができるできるでしょうか。

歳を重ねる毎に、散る桜の儚さと美しさを自分の人生と重ねたいと思う願望が強くなるのは、多分私だけではないと思います。

生きること、終えることを桜と重ねる感性は美しいとしみじみ想い、暖冬で目覚めの早い開花を今から心待ちにしています。

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決意という体感

2007年02月18日 | 第1章 意識と知覚
自分の人生において「決意」は一回で充分なのだそうです。

そう言われて、「なるほど・・・」と思いました。

今日、決意を固めた人の儀式に立ち合う経験をしました。

清々しく、柔らかく、その人の立ち振る舞いから、澱みの無い決意を汲み取り、「初心」という言葉を思い浮かべたのです。
私は、これが「初心」なんだ、と改めて気付かされました。
人生の方向性、自分の選ぶ道筋、それを決めるのは自分です。

「決意」は、結果ではなく、これからの方向に対する「揺るぎ無い心の柱」だからこそ、その人から清々しく、柔らかい印象を受けたのだと思います。

「揺るぎ無い心の柱」は、これからも色々なことを体験する事になるわけで、その度毎にこの日を回想し、知覚した初心の体感を再現することになるのでしょう。
そこのことが、きっと生き抜く力となり、体験を積んで、寛容する心と行為が生まれてくるのかもしれません。

この知覚した初心の体感に出合う事の出来た一日に、私も私なりの決意の日を思い出し、胸が熱くなりました。

感謝と祝福の日を与えててくださり ありがとうございます。


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ふきのとう

2007年02月16日 | 第2章 五感と体感
ここ数年、知り合いの方からふきのとうを頂いていたのですが、今年は受け取る日の都合が悪く、遠慮してお断りしました。春一番が吹き、芽吹く草木を眺めていたら、えぐみのある苦い味が懐かしくなり、断ったことを少し後悔しています。

お店で求めるものとは違い、野で摘むふきのとうは、えぐみや苦さがしっかりと整っています。
お味噌で煮込んだり、天麩羅にしたり、お浸しにしたりして、この時期のご飯を引き立たせる一品でもあります。

冬の間、体内に溜まった毒素をこのえぐみで浄化するのだそうです。

「旬のもの」を頂くことを心がけたいと思いながらも、ついつい季節感を忘れてしまうような料理をつくりがち。

忙しい忙しい、と言い訳せずに、ちょっと一品、季節のものを食卓に添えたいものです。

高価なものを頂くことばかりが豊かな味覚に繋がるわけではありません。旬の味覚は、季節を五感で感じるための入り口でもあるように思います。

ふきのとうを頂きそびれたお陰で、口の中に広がる苦さが急に欲しくなりました。
今更、やっぱり頂きたい、とも言えませんので、スーパーでパックに入ったキレイなふきのとうを頂くとしましょう。


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横浜日ノ出町アートランド

2007年02月15日 | 第2章 五感と体感
横浜・東京を中心に活動しているアーティスト「ロコ サトシ」さんが京浜急行・日ノ出町駅前に立ち上げたアートランドは、活動開始からこの春で1年になります。

「人の持つ五感を、自然に任せていろいろなカタチで表現できるように」という趣旨で、オトナやコドモ対象の絵画教室、子供編集教室、リトミック、アロマテラピー、そして私が行なっている絵画鑑賞によるアートカウンセリングなどの教室を開催しております。

心の自由を求めていても、それを外に表わす術を持たない方は、本当に苦しい思いをしながら生活していらっしゃいます。

アートランドの講師陣は、ロコさんの感性を通して出会った、貴重な仲間です。
心の奥底に繋がる互いの信頼感と「自然に任せることで生みだされるもの」を本当に本当に大事にしている人達です。私が言うのも気が引けますが、このアートランドに出合った方々は幸せだと思います。

五感の働き、湧き上がる感情、情動、今ここで感じることを素直に表現する事は、作ることであったり、楽器を奏でることであったり、文章を書くことであったり、言葉に表現する事であったりと様々です。

美術の世界で生きてきた私が、縁あって「言語療法」の学びに出合いました。そして、NPOを仲間とつくり、「生き甲斐のための心理学」教育普及をロコ サトシさんの作品や子供達が描いたり作ったりしたオブジェに囲まれて行なうことに改めて深い意味を感じ出しています。

そして、この春、新たに行政主催による、関内・文化体育館での「ロコアンド文体アートランド」がスタートします。
講師陣は、私達です。

横浜市中区周辺の公共の場に大きなポスターが貼られます。
もし、目にされましたら、このブログを思い出して、御参加検討してください。

「初めてのヒーリングアート」講座は私が担当です。「生き甲斐の心理学」をテキストに、絵画鑑賞をしながら自分の心を見つめてゆく作業を行ないます。
年に7回の講座です。仕事帰りの18時~20時を心を解きほぐす時間として御自分のために使いませんか?

ポスターやチラシが出来ましたら、近々ブログでお知らせします。
他の講座についても、紹介していきますので宜しくお願い致します。

宣伝したいので是非クリックのご協力お願いします
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馬酔木

2007年02月11日 | 第2章 五感と体感
玄関脇に植えてある馬酔木(あせび)の花が、今にも咲きそうです。
1ヶ月は早いのではないでしょうか。

春先に奈良を訪れると馬酔木の群生が迎えてくれます。
白と赤紫の小さな花が頭を垂れて鈴なりに咲き、物憂げにしている姿が、奈良の都を品良く飾るのです。

3月1日からの2週間続く「お水取り」が春を呼び、都は光に満たされて春分を迎えます。

そんな風景に憧れて、11年前、家を建てた記念で植えたのですが、真北とあってなかなか伸びません。現在、1メートル位でしょうか。
春分の頃になるとようやく朝日と夕日の当たる場所です。陽が当たるようになると一気に蕾が膨らみ花が咲き出すのです。環境の悪さを何とか克服し、頑張って花を咲かせてくれる馬酔木。ところが今年は日の当たらない時期に蕾が膨らんでしまいました。

毎年の何気ない決まり事が、暖冬で狂ってしまい、私も少々戸惑い気味です。

普通なら春のむず痒い木の芽、花の芽の香りが、辺りに漂うのですが、まだ香ってこないのは、きっと植物達も、心の準備ができていないのでしょうね。


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道具

2007年02月08日 | 第2章 五感と体感
表装のお話をもう一つ。

我が家の台所はお鍋やまな板、食器の他に、刷毛が掛かり仮張り板や尺定規が立て掛けられています。

これらは表装ための道具です。

それ程高価なものではありませんが、十数年使い続けている愛着のある大切なものです。

その道具の一つに丸包丁があります。

裂地や和紙を切るための普通の包丁の先を丸くした形をしています。
職人さんのものとなると、刃がとても短く、職人としての時間を同時に感じます。
道具は人生そのものを物語ってくれます。

そして、その包丁で切る切れ味は、未熟な私にでもカッターで切る断面とは明らかに違うと解かるのです。鋭角にすっきりと切れ、その上断面がまろやか。

温かみがあって割り切り上手な人のような断面。

気持ちがいい。

安価で「モノ」が手に入る世の中ですが、包丁を砥ぎ時間をかけて物作りをすることは、巧みの国日本の美しさです。

美しい国を語ろうとすると、こんな想いが湧き上がります。


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裂地

2007年02月03日 | 第2章 五感と体感
表装の憧れは絶える事無く、好奇心旺盛の私には 丁度良いのかもしれませんが、あまりの常識の無さに反省する事もしばしばです。

そんな私が、古き良き日本の文化や風習を改めて学びながら、日本の伝統のひとつに関わることができることに感謝しています。

この数日間、暇さえあると、古いネクタイをほぐし、一枚の布(裂地)にし、アイロンをかけ、裏打ち(裂地を和紙に貼る)していました。
いつも、もったいない、と思い、表装に使えないかと思案していましたが、春からの講座に良いかも!と閃きがあり、額装をしてみることにしました。

大切な裂地を、再び表装に生かすことは、昔からされていました。
お坊様の袈裟や着物を掛け軸にしたものは、そのお坊様の精神が宿り、観ているものの心に一本柱が立ったような気にさせます。

マザーテレサの身につけていたサリーも、細かく裂き、ご縁のあった方々に分けられました。表装にしてくださった方がいらっしゃれば嬉しいのですが・・・。

その人の身につけていたものは、遺された者にとっての「繋がり」です。

「繋がりたい裂地」を一幅の掛け軸に仕立てて、その前で静かに繋がる心を感じてみるのも良いかもしれません。
「この世にいない会いたい人」にきっと会うことができるはず・・・。

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