五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

望みが叶えられないと・・・

2011年09月30日 | 第2章 五感と体感
自分の望みが叶えられないと、どのような現象が自分に起きるでしょうか?

☆むかむかと怒りがこみ上げてきて、不機嫌になる?

☆不機嫌になるどころか怒鳴り散らす?

☆それとも表情が無くなり相手を無視する?

☆まったく関係の無い人に当たり散らす?

☆社会的な何かに文句をつける?

☆ギャンブルに手を出す?

☆煙草の量が増える?お酒を飲みすぎる?

☆食欲が異常に増えたり、減ったり?

☆自分が悪いから、叶えられないのだと、自分を諌める?

☆他の対象に想いを馳せ、夢中になる?

☆芸能人とか習い事とかに夢中になる?

あげてみると、キリがありませんが、「自分の望みが叶えられない」ことについて、意識することができれば、自分が何かに八つ当たりしたり、逃避したりしている現象を把握することができるでしょうが、自分の望みが叶えられないことで起こしている行動について意識されていなかったとしたら、自分の周辺にかなりの迷惑を掛けているかもしれません。

私自身、上記に当てはまることが多々ありますし、そのような人が居る環境にいるから思いつくわけです。

他人のことは、いろいろ文句は言えますが、自分のこととなると、棚に上げがちです。

自分の望みが叶えられない・・・、そんな時、自分は、どんな「思考と感情と行動」になるでしょう…?

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

願望の叶え方

2011年09月29日 | 第2章 五感と体感
自分の願望の叶え方に、無理はないでしょうか?

自分の願望を口に出すことだけで叶えられるとしたら、こんな幸せなことはありません。
もし、口に出すだけで叶えられている人が居るとしたら、自分のためにどのくらいの人が努力して働いてくれているか、想像を巡らしてみると良いかもしれません。
その人は、自分のために、見えない努力をしているはずです。

相手の努力によって願望を叶えられることが、当たり前だと思っていたとしたら、今日はちょっと反省してみては?

自分の願望に、無理はないか?身の丈に合っているか、合っていないか?
自分の願望の要求は、何かの八つ当たりではないか?

秋の夜長、夏の疲れが癒える季節です。
自分の願望について、自分の傾向とちょっと向き合ってみるのも、心の整理の一つかもしれません。

「自分の願望の陰に潜んでいる感情転移が相手を苦しませているかもしれない」という「仮説」を自分に立ててみることも、何かの解決に役立つかも…

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八つ当たりしてる?されてる?

2011年09月28日 | 第2章 五感と体感
自分自身が向き合う勇気がなかったり、向き合う事を諦めていたり、向き合うべきことすら意識できていなかったり、

つまり、

戦う相手が違うのに、言いやすい人、部下、子供、社会現象、ネット等で、自分が安易に感情をぶちまけることができる対象に
「八つ当たり」している、という現象は、私にも無いとはいえません。むしろ、多々あることです。

私は八つ当たりなんかしたことない・・・、という人がいたら、どうでしょう…?その人は、どこで憂さを晴らしているのでしょう・・・

集中的に八つ当たりの対象になった人は、たまったものではありません。

自分のせいでもないし、悪くもないのに、段々と自信喪失して、やる気もなくなり、何をやっても達成感もなく、身体症状にでたり、急に鬱になったりと、どんどん自分を追い込んでいくようです。

自分の感情を出している相手に、「自分はひょっとして八つ当たりしてるんじゃない?」という問いかけをする余裕くらいは持ちたいものです。

「やられていると意識化」している人は多くても、「自分はやっていると意識化」している人には、平素の生活で、出会ったことは無いかもしれません。

自分の無意識に行っている行動、言動を現象学的に分析してみる機会を持つことも、イキイキと生きる知恵かもしれません。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学びを深める

2011年09月27日 | 第2章 五感と体感
保護者の勉強会が昨日ありました。

保護者の皆様と交わり、植村先生の脇で、解りにくい理論を女子的言語化のサポートをさせていただくことで、カウンセリングルームに居る平素の時間とは違う刺激を頂いています。

М校と関わり出し、早いもので9月で四年目突入となりました。

保護者勉強会も今年度で3回目です。既に整えられている保護者の皆様との信頼感のおかげで良い「気」が教室に漂っているのを感じます。心の底から感謝しています。

「答え」は自分の内にあります。
自分の湧き出す感情には、必ず意味があります。

我が子とはいえ、親や配偶者とはいえ、大切な家族であっても彼らの心や身体に入り込んで中味を知ることはできません。

自分に湧き出す感情や考え方を静かに意識してみることで、他者を闇雲に心配するよりも、地に足のついた何かが意識化されてくるように思います。

無理なく、楽しく、皆様と時間を共にすることで、少しでも学びが深まっていくことができることが私達の喜びです。
私自身もサポーターの一人ではなく、参加者の皆様と同じように「感じ」、「考え」、気付かせていただいております。
共に学び合いながら、盛り上がるガールズトークならぬマザーズトークも楽しみたいものです。

6月の台風の振り替えが10月3日にありますので、10月は3回の勉強会があります。ご確認ください。

来週の勉強会も楽しみにしています。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空気と向き合う

2011年09月26日 | 第2章 五感と体感
大器晩成という言い方で表現するよりも、助走期間も長けりゃ、ピークのベストスピードも助走とさして変わらない、というのが、どうも自分のペースのようです。

新宿御苑ギャラリーでの「江戸表具を愛する会」の作品展が終了しました。
御来場の皆様、心から御礼申し上げます。

「技芸は、ともかく10年続けること」というのが、今回も感じたことのひとつです。

たぶん、5,6年やっても、入口の前の扉をうろうろしている程度だと思うのです。
10年続けて、ようやく入口の扉が開かれるかもしれません。

代々継がれている家業であれば、DNAと環境が「素養」をつくり上げるかもしれませんが、素養があったとしてもそれを磨くか否かは、その人自身の問題意識次第でしょう。

日本の四季は、気候の変化によって、空気の中に水分が含まれたり、足りなかったりです。
移ろう四季と共に、空気は著しく変化します。
そのような環境の中で育まれた日本の文化は、空気の性質とどう向き合っていくかがテーマとなるように思います。

こればかりは、一気に解って納得できるものではありません。
それぞれの季節で、それぞれのテーマに取り組んでいると、あっという間に10年経ってしまいます。

きっと、そんな環境が、助走もピークもあまり変わらない自分を成しているのかもしれません。
「道」を習うことは、そういうことなのかもしれないと、ふとそう思います。

表装も能楽も、学生時代、2年でギブアップした茶道にしても、ともかく四季と共に体感から所作を学び、技を向上させていくしか、どうも術はなさそうです。

これからは、空気の中に水分が抜けていく季節です。それとともに気温も下がります。
カラリとしつつも秋の雨での湿度と向き合いながら、一幅仕上げることと致します。

修業は、まだまだ続きます。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人との繋がり

2011年09月25日 | 第2章 五感と体感
展覧会、3日目最終日です。昨日も盛況でした。

本日は、3時半で終了です。

私の場合、平素、会いたくてもなかなか会えない友人、知人に会う機会があるのが「作品展」です。

作品展は、人との繋がりが豊富になることで自分も育てられていく大事な期間のようです。

展覧会会場で数十分でも互いの時間を共有するだけで、隔たれていた関係があっという間に元に戻されていきます。

作品を見ていただくことだけが目的ではなく、関係性の繋がりが私の喜びです。

今日も秋晴れ。ありがたいことです。

新宿御苑ギャラリー「江戸表具の会」、掛け軸って、なに??と思われている方に色々説明も致します。お気軽にお越しください。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿御苑ギャラリー

2011年09月24日 | 第2章 五感と体感
今日は、まともにオープンできての2日目。

嵐の中、そして嵐の翌日いらした方には、心からお詫び申し上げます。

さて、昨日は、お天気にも恵まれ、多くの方がいらしてくださいました。ありがとうございました。

新宿御苑を散策された方が立ち寄ってもくださり、場所の良さに感謝しております。

本日も秋晴れ。

お待ちしております。10時から16時半までです。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿御苑も大きな被害

2011年09月23日 | 第2章 五感と体感
昨日、展覧会にお越しくださった方に、深くお詫びを申し上げます。

午前中、新宿御苑のインフォメーションセンターで私と会う事が出来た方には、直接お詫びできたのですが、その後いらした方には、お詫びもできず、失礼いたしました。

新宿御苑も一昨日の台風で大きなダメージを受け、その整備で閉苑となってしまいました。

インフォメーションセンターは、御苑の正門脇にありますが、御苑が閉じるとインフォメーションセンターも連動して閉館となるようです。

そのようなわけで、昨日は御苑の門の前で観光客がインフォメーションに掛け込んでも、肝心の問い合わせ場所が閉まっているので、困り果てている人を多く見かけました。日本人でしたら日本語が通じますが、外国人の観光客も多く、こんな時は、係り員を門前に配置するくらいの配慮は必要だと、感じました。
私が支配人でしたら、配慮は怠らないな~~、、、と、。

海外に旅をすると、「日本じゃないんだもの、仕様が無いよね」という台詞が出ますが、日本もパブリックな場所になると、こんな感じなのです。

一般市民としては、腑に落ちない仕組み&マニュアルだとは思いますが、フレキシブルに対応することは皆様ご存知の通りお役所では不可能です。

お借りしているギャラリーにケチをつけるつもりはありませんが、行政にお勤めの方は、民間人としての常識を持った人を相手に仕事をしていることは、忘れてはならないと思います。

さて、言いたい事は、ここで書いたので、今日は心機一転で、ギャラリーに向かいます。

新宿御苑の整備が昨日一日で出来なかった場合も閉苑だそうなので、8時半に事務所に電話し、確認します。
確認しましたら、改めてこのブログに追加記載いたします。

ツイッターとミクシイにも状況を記載しますので、今日予定していらっしゃるお客様は、私のブログ、ツイッター、ミクシイでご確認ください。



10時からオープンします。よかったよかった。今、確認いたしました!


クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過

2011年09月22日 | 第2章 五感と体感
猛威を振るった台風15号。

被害に遭われた方々に深くお見舞い申し上げます。

私は偶然、一日家にいると決めた日だったので、朝、学校に出かける子供を車で送りに行ったくらいで、午後の嵐は一歩も外に出ず済みました。
夫は、新幹線が止まってしまい名古屋から帰ることができず、腹を括って次の策を練るための連絡を取り合うくらいで、何とか無事に潜り抜けました。

3月11日の教訓が生かされたようです。まずは命の無事が最優先です。

朝起きて、我が家の名物萩を見ると、花はほとんど落ちてしまいましたが、しなやかな枝が幸いし、しっかりと元に戻っていました。家の周りは、ちぎれた葉っぱが散乱し、嵐の強さに改めて恐怖を感じながら掃除しました。

空は爽やかな青空。

避難されたり、被害に遭われた方は、さぞかし恨めしい青空だと思います。

気を取り直して、今日から4日間、展覧会会場に通います。
「新宿御苑ギャラリー・江戸表具を愛する会:25日まで。10時から16時半。最終日は15時まで」

明日から3連休。秋分の日、お彼岸にはお萩でも頂き、これからの過ごしやすいはず!の秋の気候を大切に過ごしたいものです。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しさは自分で作るもの

2011年09月21日 | 第2章 五感と体感
「楽しいこと」は、自分自身が「楽しさ」を意識しない限り、「楽しい」実感は得られないように思います。

他者と楽しむことが苦手な人、楽しむことを望まない人も中には居るでしょうが、その人が一人で居ることを心の底から望んでいるのであれば、無理な誘いは禁物です。
グループの性質や特徴も、自分が楽しめないと思うなら、行かなければ良いし、
たまたま楽しい集いに居合わせた時、自分が楽しいと思ったら理屈抜きで楽しめば良いのです。

ただ、楽しい集いを演出するには、ちょっとした努力も必要です。
自分が「楽しみ」を望まなければ、ちっとも楽しくないからです。

楽しさは自分で作るものなのだと思います。
楽しい事を他者に頼ってばかりいても、それはどうでしょう・・・

昨日の四谷勉強会は、行動の病理学がテーマでした。
何かが起こった時に、自分がとった行動で、今から思うと「ヘンな行動だったかな・・・」という行動を言語化していきました。自分が言語化したものをカウンセリングの理論に当てはめて自己分析していくセッションです。

月に一度の勉強会を心の底から楽しみにしている仲間と集うと、会場は肯定的で温かな空気に包まれます。

誰が、というのではありません。それぞれの参加者が「楽しい」ことを意識しながら参加すると、楽しさが累積するのです。

私はうつむきながら、自分をほじくる勉強会は苦手です。
「自己肯定・他者肯定」からぶれることなく進行してくださる師匠の技に感謝です。

神楽坂のあんみつ集会も楽しい後(あと)会でした。

10月から始まる東急BEセミナーの講座も、こんな空気作りを一番大切にして進めていきたいものだ、としみじみ感じた一日でした。

「楽しく学ぶ・明るく学ぶ生き甲斐の心理学教育普及講座」というテーマが相応しいかな・・・^^//


クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

褒められることの落とし穴

2011年09月20日 | 第2章 五感と体感
なるほどなぁ…

と、思いました。

「褒められることは、自分の成長を阻む」という考え方もある、という言葉に、「なるほどなぁ~」と思ったのです。

確かにひたすら褒められ、褒められることが当たり前となりながら過ごしていると、回りが見えなくなり、自分の身の丈の尺度としての現実吟味力が欠けることは、確かにあるように思います。

順調に大学まで進み、社会にもまれた途端、一気に梯子を外されたようになり、自信喪失してしまったり、周囲から煽てられる環境にある人が、他者を見下しがちになったり…

褒めることはとても大事な行為です。

褒められて嬉しいことも人の自然な湧き出す感情の一つです。

自分が今どんな状態に居るのかを見極めるのも自分自身の解釈によりますが、褒められ続けていることで、自分の成長を止めていないか点検する機会もたまには持つことは、バランス良く暮らしていくコツかもしれません。

何かの道に進もうとする時、迷ったり、落ち込んだり、反省したり、悩んだりすることが、自分の道を確かなものにするのでしょう。
ふと、幼少時期から長年続けてきたピアノの先生が、ぴしゃりと手の甲を叩き「こうじゃない!」と言われたことが、時々何かのきっかけで蘇ります。今では、「こんな子弟じゃ、手の甲も叩きたくなるわ!」と思いますし、「先生も若さゆえの必死な教育だったんだ、、、」と解釈できるわけですが、そう言われ、凹みながらも止めなかったことには意味があったことは、今だから思えることなのだと思います。

できていないことを意識するということは、現実吟味力の度合いにもよるかもしれませんが自己受容の一つのようです。

ダメだダメだ、と思い続けるのも、前に進むことを妨げますが、褒められ続け「自分を見失っていないかと」という自己点検も大切なことですね…

豚もおだてりゃ、木に登る、、、確かにそうです^^; 良くも悪くも…^^;;

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自然体」という条件

2011年09月19日 | 第2章 五感と体感
「自然体」の状態は、自然体の条件を語ることだけでは「成り」ません。

自己の体感としての統御感は、そう得られるものではないと思いますが、幸福曲線のなかにある統御感が自己を無意識に受容させた時に「自然体」という状態が現れてくるように思います。

平安感、幸福感、健康感、友好的感情。。。それらの幸福曲線を含み、一気に統括したような状態になると、統御感という体感が自分にやってきます。

これらの条件を満たそうと思っても、そうそう得られるものではないかもしれません。

昨日までの三日間の勉強会では、様々なきっかけで学びを始め、長年学びを共にしてきた勉強仲間だからこそ体感し得たものっであろう統御感を得ることを体験しました。

「自分自身の何と向き合うか」
その焦点漬付けがされている人たちと共に居る時間は、空気自体が統御された状態となり、自ずから自己受容が成されている状態を作ったのかもしれません。

ロジャーズの6条件が、徐々に満たされてきたであろう体感を体感した学びの時でした。

個人から表出する気が「互いの身体を通して混じり合う」、というのはこういう感じなのかもしれません。

三日間の勉強会での統御感は学び続けているからこその「お恵み」だったようです。

とにもかくにも継続することに、意味があるようです。

学びの友に感謝。
世話人の師匠に感謝。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安感は生きるための道標

2011年09月16日 | 悔いのない人生とは?
人の本質は不安感です。

不安感が無くては生き延びていけません。

怖い、怖くない。
危険、安全。
信じない、信じる。

これらの判断は、どこから生まれてくるのでしょう?

断崖絶壁を怖いと思わなければ、落ちないように注意しようとは思いません。
ナイフを怖いと思わなければ、直ぐに手を切ってしまうはずです。

落ちても生還すれば、それがその人の生きるための何らかの学習になるわけです。
ナイフで手を切って痛い思いをしたら、その人は、ナイフは危ないと学習するのです。


身体を成り立たせている遺伝子情報は勿論のことですが、自分自身が生まれてから今日まで得た情報、学習(親から教えられたこととか世間を見ながら学んできたこと)が、自分を判断させていることを忘れてはなりません。

だから、自分の不安感は、自分が生き延びるために必要な「情報」と言っても過言ではないのです。

何故、不安感に陥る自分が不安になるのでしょう…
不安感は、自分が生き延びるための道標だと言っても、不安感に獲り込まれている人にはなかなか通じるものではありません。

自分自身の不安感の何に焦点を当てるとよいのかは、自分自身が一番よく知っているはずです。

焦点に触れることを避けているのであれば、それが危険だと思っているからであって、今は触れる時期ではない、と自分の意識が答えを出しでいるのでしょう。そんな時は、無理やりこじ開けることは止めたほうが良さそうです。

私も触れたくないものは、避けて通ります。

ただ、この学びを通してできるようになったことが一つあります。それは、自分自身の触れたくない不安感の核を意識して避けているのか、無意識に避けているか、ちょこっとだけでも頭によぎらせることができるようになったことです。

「答えは、自分のうちにある」というのは本当のことだと信じています。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ不安になるの?

2011年09月15日 | 第2章 五感と体感
「私は、こうありたいのに、現実はそうじゃない。

そうじゃない現実は、自分が望んでいることじゃない、本当はこうじゃない。」

その気持が強まるほど、不安感が強まってくるようです。

カウンセリングの理論の用語から表現してみると、「理想と現実のギャップが不安感を生みだす」という表現になります。

そう簡単に言われても、どうやって自分の不安感を意識化していけばよいのでしょう…

自分がイライラしていたり、やる気をなくしていたり、哀しかったり、誰かに八つ当たりしていたり…

今、現在の自分の感情がどんなものなのかは、一分くらい瞑目してみると、自分の意識に上がってくるようです。

目をつぶって静かに感情を引き出そうとしても、頭の中がグジュグジュして何が何だか分からない、、、という場合もあるようです。そんな時は、グジュグジュしていることに気付いた自分をまず一旦受け容れてみると良いかもしれません。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きなことをひとつ

2011年09月14日 | 第2章 五感と体感
好きで好きでたまらないことを一所懸命やっている人を見ていると、私も一緒になって嬉しくなります。

「私は何のために生きているのだろう」という古来の人々からの問いかけに関して、他者の答えを聞いたりその人の生き方を見させて頂く機会は頻繁に恵まれます。私自身、感動することは多々ありますが、それは他者に対しての私の感情であって、自分自身から湧き出した私のための答えではありません。

自ら湧き出した、ワクワクした情動や感情は、誰にも抑えることはできないし、誰に与えることもできないのです。

でも、ワクワクしている人の傍にいると、なんだか私も一緒になって嬉しくなり楽しくなるのです。

「正しい心」という言葉は私はあまり好きな言葉ではありません。その正しさは自分自身の思い込みだったり、他者にとっては迷惑なものだったりするのです。どうせ使うなら「正心誠意」よりも「誠心誠意」のほうが、心に沁みわたります。

己の心が正しいと思うのなら、それを信じて強くあれ。。。「正しき者は強くあれ」と、言ったのは土光さん。具体的で解りやすい、と思うのは私の天の邪鬼さから来る皮肉な感情でしょうか^^;

仕事にしても、趣味にしても、好きなことを一心にやっている人の姿は美しいものです。
どじょうであろうが金魚であろうが、そんなことはどうでもイイ事なのです。

好きなことをひとつ一所懸命やろうじゃありませんか~。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする