五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

現象には意味がある

2015年01月31日 | 第2章 五感と体感
服の嗜好、食の嗜好、付き合う相手の嗜好、使う言葉や話題等、
自分が気付かなくても一貫したものを他者が感ずると、その一貫したものが、他者はそれらを象徴として捉えてゆきます。

〇〇さんらしいね。

案外、本人が気付かなくてもその人らしさは、他者のほうが認知していることのほうが多いかもしれません。

その人の一貫した現象には、深い深い意味があるわけで、表層的な現象だけを捉えて指摘することは、やっぱり失礼なことでもあります。
その現象を指摘された本人が、素直に頷ける場合もあれば、そうでない場合もありましょう。

現象という対象に真っ向から向き合うよりも、バランスを見ながら見守る事もちょっと余裕のある人の役割であるかもしれません。

余裕で見守る人もいれば、お節介な人も居れば、人の傾向は色々です。

それぞれの愛の示し方をそれぞれの他者に感じた時に、ちょっと大人になるのかもしれません。

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雪やこんこん

2015年01月30日 | 第2章 五感と体感
雪やこんこん、あられやこんこん、降っても降ってもなりふり構わず~???
暫く歌っていなかったので、歌詞を忘れてしまいました。何故「なりふり構わず~♪」と歌ってしまうのかはわかりませんが(^^;)、横浜も今季初めての積雪です。

受験シーズン真っただ中、荒れた天候にだけはなってほしくないです。
郵便局に行くと、局内のテーブルで大学受験の願書を一つ一つ指差し点検して封筒に入れている受験生を見かけました。心の中で「ファイト!」とエールを送ってみたり。。。

一月最後の週は、新たな年の一カ月に落ち着きを取り戻しながら節分を迎えたいものです。

こんな天気だと、自ずと静かに一日を過ごしたいという思いが湧きます。

雪国に住んだ経験もあるせいか、雪に閉ざされ家に籠る暮らしの中でコツコツと何かを拵える行為が身体の記憶に宿っているようです。
幸いにも仕事と仕事の合間のぽかんと空いた一日にこんなお天気。
あれこれとやらねばならぬ棚上げの事項を一つ一つ終わらせることもできそうです。

犬は喜び庭駆けまわり猫はこたつで丸くなる♪という詩が懐かしく、それでも「なりふり構わず?」から意識が逸れません。

静と動の二極化かと、理屈っぽく考える事もバカバカしく、今日はともかく平坦に過ごしたいと思うのであります。

お出かけの際は皆様気をつけて。。。よき一日をお過ごしください。

はてさて、しつこいようですが、なりふり構わず♪ではなくって、何でしたっけ…?

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暦の最終72候目

2015年01月28日 | 第2章 五感と体感
スーパーには、恵方巻の広告が貼られ、お豆が売られ、節分の雰囲気が日に日に増してきました。
ここ数年ですっかり恵方巻が関東でも浸透してきたようですが、一度だけ吉の方角に向かって太巻きを無言で頂く真似ごとをした事は有りますが、喉には詰まるし、食べきれないしで、以来、吉方に向かって手を合わせてから食事を頂くことに切り替えました。

昨年は鎌倉腰越の龍口寺の豆まきに行きました。お坊さんやお役の方々が撒くお豆を手で受け取り、親しい人にお裾分けしました。
今年の節分は、講座と重なるので、皆さんと豆まきして、菓子を頂き、新春をお祝いしようと計画中です。

二十四節気を意識し出して10年ほど経つと、暦の始まりの大切さを痛切に感ずるようになりました。
大晦日と元日も年が改まる大切な行事ですが、身体で感ずる「始まり」として考えると節分のほうがしっくりくるのです。

ならば元日から節分までを年の始まりとして大切に過ごそうと思うようになりました。

節分が過ぎると一気に春の気配がやってまいります。

寒さが苦手な私が一番苦手な「大寒」と表裏ひっくり返されるように温かみある気分になる「節分」の間の時期を過ごしながら、粛々とやるべきことをやり過ごし、暦の一ページ目に戻りたいと思っています。

1月末は、24節気72候の最後の72です。72候目は「鶏始乳」(にわとりはじめてとやにつく)。鶏が卵を生み始める時期、だそうです。江戸時代、早朝に鳴く鶏の声を「トウテンコー」と表わし、漢字では東天紅と当てはめたそうです。

東の天が紅色に輝く春を迎える心構えをしながら、寒さに屈せず、丹田を意識して腹据えて背筋伸ばして暦の最後のページを閉じさせていただきます。


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受験シーズン

2015年01月27日 | 第2章 五感と体感
湘南、横浜では、梅の花がちらりほらりと咲き始めています。

私が関わる学校の入口には「願書受付」と書かれた看板が立ち、受験日が近づいてきた緊張感を感じます。
3月には卒業式があり、4月には入学式です。
巣立つ人、これから始まる人が色々な経験をしてゆくことで人としての深みを増していくことをお祈りしています。

保護者にとっても大事な子供の成長は、どんな年齢に達しても同じ思いで見守ってゆくものでありましょう。

人は人の子です。子は人を生み、人を育てることを繰り返しています。

受験システムが変わろうが、どの学校に通おうが、どんな嗜好で暮らそうが、人は人以外には成り得ません。

「人に成れ」という某学校の校訓は、何かあるたびに私自身に降ってくる言葉です。

人である、という条件は人に平等に与えられた条件でありましょう。

自分は人としてどう生きるか。

そのために、自分をどう活かしていくか。

人は孤独です。孤独である自分が人として何を学んでいくかは、人ぞれぞれ。

受験が自分一人で立ち向かう初めての経験だと意識する人もいらっしゃるかもしれません。

見守る側もここは腹を括って、大らかに過ごしたいものです。

インフルエンザや風邪に気をつけて、受験シーズンを乗り切ってゆきましょう。


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何を一番大事にするか

2015年01月25日 | 第2章 五感と体感
何を最優先にするか。これはとても大事なことでありましょう。
暮らしの中でも自分の身体は一つであり、最優先する事柄を二つも三つも持とうとすれば、自分自身のアイデンティティの統合が崩れ、果てには周囲に影響を及ぼしていきます。

最優先を念頭に起してきた行動に現実を吟味する力と想像力が欠けていると、何かの問題が起こることは当然のことです。

時には大きな賭けも必要でしょうが、その時は自分の進退を覚悟するくらいの覚悟が必要です。
自分の身の丈に合わない目的を達成しようとするには、そのくらいの強い意志が要るはずです。

作品を作っていると自分の測り間違いがたとえ1ミリであったとしてもそれを放置したまま事が進んでいくと、大きな寸法違いが生じる経験を何度か経験します。その経験を学びと解釈していかないといつまでたっても同じ間違いを繰り返してゆくのです。

最優先していることによる行動によって、結果、誘引してしまった出来事となっちゃった!では済まない問題が、今、かの国に起ころうとしていることに、危機感を抱いています。

最優先することを目的に起した行動が呼び水になり、戦後70年守り続けてきたことを崩すシナリオが組まれているとしたら、ほんとうに恐ろしいことであると考えております。

私は何を最優先にするか。

ガンジス河の砂粒をまたしても思い、自分が砂粒の一粒であるとしたら何を最優先にするか。私の場合、ガンジスの砂粒が自分を整えてくれているようです。人生の最初に出合った見えない大きな力は自分の人生の矛先を決めているようにも思います。

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ホイッスラー展

2015年01月24日 | 第2章 五感と体感
横浜美術館で開催されているホイッスラー展を観ました。

先週末からぶっ通しの仕事が一段落し、ホイッスラー展だったら観ても疲れないだろう、、、という思いで入りました。

ホイッスラーについては、語るほどの知識がありませんが、時代の変化、価値観の変化、そして政治、経済、そして戦争で混沌としている時代に、宗教的なもの、政治的なものを全て排して、「美のみ」を表現するという主義を貫き通した画家であることを知り、私の妄想癖がふつふつと蘇り、自分の癒しのための時間ではなくなってしまいました。

時は世紀末19世紀から20世紀を跨いだ時代に生きたホイッスラー。

絵の前に立ち、私とは違う美の概念に戸惑い、自問自答が始まりました。しかし、生育史の背景、時代性を考えると、彼の気持ちも解らないでもない、と、思いつつ、もし、ジャポニズムに傾倒したホイッスラーが浮世絵ではなく、茶の湯の世界を先に知ったら、何を表現したのでしょう。

それぞれの国や地域で育まれて柱となるアイデンティティを自らが排除しようとしても、なかなか排することができるものではありません。何故なら、自分自身に分化されているものに意識を向けようとしても違和感が芽生えない限り意識化することは難しいからです。
ならば、何を描くかよりも、どう描くかに、自分の方向性の焦点を向けた彼に、私自身納得するものもありますが、どうしても物足りなさを感じます。

「どう描くか」に至るまでの背景を何とはなしに察しつつ、個性豊かな芸術家をまとめるセンスのあるスマートで器用で上手な人の悩みを観ている様な、そんな虚ろさを感じながら、美術館を後にしました。

ホイッスラーが、今の時代に生まれてきたらグローバルなセンスを存分に活かせたでしょうし、彼自身が満足できる表現をできたかもしれません。

今年初の美術展。
思索のモチーフを突き付けられた様な、そんな展覧会でした。

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今を生きて人と成る

2015年01月21日 | 第2章 五感と体感
学生時代から我が家にやってきている若い人たちと夕餉を囲み、幸せな夜を過ごしました。

それぞれの職業に就き、役割を頂いて覚えていく仕事の内容を聞いているうちに、立派な大人になったなぁ~と感心しました。

私自身、やり残したことの多い学生時代を過ごした反省やら罪悪感があるので、彼らの学生時代を垣間見ながら、正直に今の自分を楽しんでいる様子に羨ましさを感じていました。そんな人たちが、今では立派な社会人。そして、与えられた環境を素直に受け容れて一所懸命やっている姿は、学生時代のあの頃の心の持ち方と同じだと思い、晴々とした気持にさせてもらいました。

今を生きることに躊躇していようがいまいが、時は平等に過ぎていきます。

改めて今を生きることを大切にしたいと思う時間を持つ機会が与えられたように思います。

皆個々に反省やら青さやらを感ずることはあるようですが、経験を経てゆき「人と成る」こととは、そういう事なのかもしれません。
更なる成長を期待しつつ、今を生きることを積み重ねて欲しいと、願うのでありました。

人と成ることの行程を歩みつつ、歩む速度が少しばかり遅くなってきたからこそ、見えてくるものも多くなってきたような気もするのです。
ますます経験することを愉しんでゆきたいものです。

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大寒

2015年01月20日 | 第2章 五感と体感
一年で一番寒い頃となりました。今日は大寒です。

二十四節気を意識し一年を過ごしていると、季節の移り変わりに面白さを感ずるだけでなく、気候の変化毎に自分の体調を体感することもできます。
薬膳の学びをかじらせていただいたことで、一層、そのことを意識出来るようになってきました。

以前よりも体調管理が上手にはなってきたものの、歳を重ねる毎に体力が落ちていることも認めざるを得ないことも自覚出来てきました。
そうはいっても、正月早々に風邪をひき、あまり偉そうなことを云う事はできませんが、自分の体調を聴く感覚は以前よりも長けてきたようには思います。

私の起床時間は季節によって違いますが、5時半には起きます。夜になると一日の疲れがどっと出てしまうので、PC
のメールチェックは朝だけです。ブログも朝に書きます。その方がサクサクと書くことができ、仕事も進みます。
冬至の頃は、旭が昇るのが遅くいつまでたっても明るくならない寂しさがあるのですが、ここ数日、起床後雨戸を開け、暫くPCに向かっているといつしか明るくなっていることに喜びを感じます。

いよいよ春節を迎えます。一年を巡る気候を主役とすると2月に新しい年を迎える方が、体感的なけじめと納得がいくのです。
ぐぐっと気が下がる時期を無事に過ぎ越し、春の兆しを迎える節分に向けて、身体を整えたいものです。

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花よりも花の如く

2015年01月18日 | 第2章 五感と体感
本日はセンター試験の二日目。ぎりぎりまで学校で勉強していた生徒さん方を薄暗い夕方見送った金曜日から、早試験二日目。今日も寒い朝ですが、無事に試験に臨む事を祈っています。

… … …

能楽堂の麗人、、、。
能の或る特定の会関連で必ずお見掛けする御婦人がいらっしゃいます。
白髪を綺麗に整え、淡い色合いの服と端正な御顔立ちは、ちょっと目を惹きます。
その方はいつもお一人でいらっしゃり、脇正面、中正面の前あたりの席に座られます。

舞台を拝見していても、御婦人の横顔はなんとなく目に入ります。薄暗い見所(けんしょ)に咲く水仙の如しとでも云いましょうか。朗らかな笑顔で舞台を見つめ心底から楽しんでおられます。

純文学の小説家ならば、その光景からひとつ物語が生まれるのではないか、と、思うくらい私の心も動かされます。
谷崎純一郎か、はたまた川端康成か、、、。女性の小説家には書かせたくないな、と、いつもの通り勝手な妄想が広がり、能楽を愉しむ一方で頭の中に物語が広がり、一層楽しい能三昧の一日を過ごすことができました。

昨日の舞台は七十七年生まれの能楽師の会。研鑽を積む能楽師の舞台は、熟成の期間でもある中に風格も感ぜられ、更に若い能楽師が舞台に花を添え、グングンと観る者を惹きつけてゆきました。

舞台の花と見所の花。それぞれの風姿花伝があるやもしれぬと、花よりも花の如しの意味を想うことも私の楽しみの一つであると心浮き立たせて帰路に着きました。

年に一度のお楽しみである舞台を更に観続けて、自らを重ねつつ人生の歩みの行程をこれからも味あわせて頂こうと思います。

ありがとうございました。


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感を取り戻す勉強会

2015年01月17日 | 第2章 五感と体感
何年も何十年も続けているものなのに、毎日の精進を怠ると、それを取り戻すために結構なエネルギーを要します。
カウンセリングの理論を使う仕事にしても、表装や、習い事にしても、与えられたテーマに関して脳みそを活性化させることも同じことが言えそうです。
つまり、自転車に久しぶりに乗る様なもので、感を取り戻すには少々時間が必要ということなのです。

今週は、仕事や習い事が一気に始まり、特にお正月を挟むと動きがいつもと違うせいか、感を取り戻すのに他の季節以上に体力と気力を使うようです。

「日々の精進怠るなかれ。」を心に留めて、ウォーミングアップの週となりました。

学び続けていないと忘れます。

ユースフルライフ研究所では、
今年も2月から腰越やつつじヶ丘の月一回の勉強会が始まります。
二泊三日のワークショップも春と夏と秋に行います。

NPO法人キュールカリタスカウンセリング学会では、それぞれの講師契約者が生き甲斐の心理学の講座&勉強会を行っています。

それぞれの勉強会で学びを続けながら修業する日々が身体に馴染んでいると思っていても、少し休むと身体が忘れているようです。

今年も色々な企画を立てて、楽しく学んでゆく機会を持ちたいとあれこれ思い浮べております。

皆様と共に学び合いながら、今年も朗らかな時を過ごしたいと思います。

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軽やかな抑制力

2015年01月16日 | 第2章 五感と体感
正直に自分の気持を吐露することは、大事なことです。
でも、「正直」という中にある「自我」が他者との関係性において、他者への配慮を無視したものであれば、それは現実吟味力を超えた独りよがりとなってしまいます。

自分のしたいことを正直に遂行していくには、社会の中で生きている以上、ある程度現実を吟味する力が必要です。

そして、自分自身の現実を吟味するためには、今の自分自身の状態を自分が知ることが大事なことかもしれません。

軽やかな抑制力を持っている人に出会うと心地良さを感じるのは何故でしょう。

自分の理想に合わないことをどのように自分自身が解消していくか。又は、解決していくか。
そのことを媒体を通して叶えようとするならば、尚更自分の不安感や孤独感、孤立感と向き合っていないと、どんどんと他者を巻き込んでいきます。

負の遠心力で他者を巻き込む前に、自分の不安感に着目したいものです。

軽やかな抑制力を具えることは、大人力(おとなりょく)にも繋がるかな、とも思います。

自分の抑制の取り扱い方は、はてさて。。。

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カロルを観た

2015年01月13日 | 第2章 五感と体感
前々ローマカトリックの最高者「教皇」ヨハネパウロ二世の自伝映画を観ました。
日本では、宗教上の理由で全国公開実現には至りませんでしたが、何故宗教上の理由で却下されたか理解に苦しむ普遍的な素晴らしい映画でした。
そのようなわけで、字幕翻訳を上智大学のOBが担い、数年かけて丁寧に翻訳した事で、商業的翻訳にならず、返って普遍性を描いた上質な映画に仕上がったようにも思います。

ポーランドで起こったナチスドイツの史実、そして第二次世界大戦後のロシアの介入、共産党による自由の排斥、映画のほとんどは、これらの時代を眼を背けることなく映像で表現し、私自身もナチス関連の映画には目を背けてきた節もあったのですが、今回は、「愛」という大きな軸に安心感を持ちながら、最後まで映画を観ることが出来ました。

容赦の無い残虐な体験が繰り返され、その中で自分の役割を模索し、神父になる決意をする主人公カロルは、愛を貫くことに徹っする寛容さを理不尽な体験を重ねてゆく毎に身につけてゆくのです。

愛とは何か?

という問いに、真っ向から対峙し、自問自答できる素晴らしい作品です。

一人でひっそりと観る映画であるかもしれません。

一本の柱が鋼でもなく、木でもなく、水晶でもないことをカロルの身心を通して感じさせてくれるのです。

そして、言葉にすると崩れてゆく概念を実に上手に翻訳できていると感心しています。

観る際は、ティッシュの箱も必要です。

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好奇心

2015年01月11日 | 第2章 五感と体感
次に何をするか。
このことをひたすら実行しながら、今を生きているスロベニア人の某神父さんは今年で91歳。毎年我が家で行う新年会に、誰よりも生命力あふれた姿でいらっしゃいました。
このメンバーでの新年会はかれこれ干支を一回りするくらい毎年続いています。
まだまだこの会は続けられると確信しながらも、いつまで続けることができるかという思いもあり、毎回一期一会の思いを胸に抱き、接待しています。

悔いの無い意志を持ち、意思のままに生き抜く人の背景には、経験から体得した安定した楽観を感じます。

楽観というのは、意志の一つでもあるようにも思います。

その背景に無くてはならないものの一つに「好奇心の大切さ」を感じます。

好奇心を持てと云われても、好奇心の度合いも種類も人それぞれでしょうが、好奇心の強さは、寛容さにも繋がるのです。
森羅万象の普遍性を尊ぶことは、自己受容と他者受容にも繋がるように思います。

他者の思考と感情と行動にケチをつけることを美しいとは思いません。
ケチをつければつけるほど、好奇心という情動が薄れてゆくようです。
ケチをつける人にケチをつけていると、自分が段々と穢れていくように感じます。

人には自由意思が与えられています。

自分の内にある自由意思の可能性を受容していると、好奇心はますます垣根を越えて湧き出していきます。

自分の好奇心を開花させることは、ただお腹の空くまま食べ続けることが開花ではなく、自分の人生経験から育んできた抑制する力も大事でしょうし、現実の吟味も大切な条件になってくるでしょう。

悔い無く生き抜くことを大前提に、知恵を持ちながら好奇心を上手に開花させる老賢人をぼんやりと目標にしつつ、今年一年のエネルギーチャージをした新年会となりました。感謝。

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自分自身の平和

2015年01月09日 | 第2章 五感と体感
昨日は朝目覚めて直ぐにパリのニュースに釘付けになりました。
時差があるので、あちらに住む友人に電話をかけたのはその12時間後です。

結局、自分たちの近況を語り合い、今年の抱負と予定を確認し合い、一時間ばかりお喋りして電話を切りました。

「自分自身が平和に在る。」と、解釈できないと勿論周りへの解釈もそれなりのものでしょう。

「今、ここで、」の平和を思索できる余裕があるのであれば、その思索できる時間を持つことができている自分がいかに平和な環境に暮らしているかを感ずることが出来るはずです。

自分に湧き上がる不安は、いったいどこからやってくるのか。
もし、身近に自分の不安を察してくれる友人が一人でも居たとしたら、その友人を大切にすることが自分の平和に繋がるやもしれません。

人が紡ぐ言葉は、言霊です。
人の自由意思から生まれる言霊は尊い賜物なのです。
人の共存共栄は、互いを尊むことから生まれ育むものでありましょう。

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二十四節気の小寒と七草粥

2015年01月07日 | 第2章 五感と体感
冬至より一陽起るが故に陰気に逆らう故、ますます冷ゆるなり。「暦便覧」

冬至を過ぎて、陽の気が起こると、それに対抗して陰の気が強くなって、ますます冷えるのだそうです。

第67候「一月五日から九日頃」は、芹乃栄(せりのさかり)で、一月七日に七草粥を頂く風習があります。
春に芽生えた新しい芽を頂くことで、無病長寿を願います。

これから節分に向けて、寒さが厳しくなりますが、身体を労わり過ごしたいものです。


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