在宅勤務をしていると体がなまってしまうので、できるだけ意識的に近場を散歩するようにしています
写真は、先日訪れた横浜市保土ヶ谷区にある英連邦戦死者墓地の敷地内に咲いていた梅の花。
梅の花はふくよかで色っぽい香りがいいですよね。
桜と同じくらい、梅や桃の花も好きです。
少しずつ春が近づいてきているのだなあ。
横浜の外国人墓地というと中区山手にある墓地が観光地として有名ですが、この保土ヶ谷にある英連邦戦死者墓地もとても大規模なもので、かつてはエリザベス女王やダイアナ妃やチャールズ皇太子が、最近では2015年にウィリアム王子が訪問しています。
今はどうかわかりませんが、私の頃(ン十年前)は小学校(中学だったかな?)の遠足で訪れました。
また私は子供の頃にこの近所に住んでいたので、墓地の隣にある児童遊園地はお散歩コースでした。
先日訪れた週末の午後はほとんど人がおらずひっそりとしていましたが、敷地内は昔訪れたときと変わらず綺麗に整備されていました。
ゲートを入ってすぐにある記帳所。その奥が、墓地の入口です。
イギリス兵の墓地
「ここは日本で唯一の英連邦の墓地です。第二次世界大戦中に亡くなった2000名以上の連合国軍要員が、ここに埋葬または慰霊されています。大部分はオーストラリア、カナダ、統一インド、ニュージーランドおよび英国から英連邦軍に所属していましたが、80名は米国とオランダ軍からでした。
第二次世界大戦(1939年-1945年)中、何万人もの連合軍兵士と女性が日本軍の捕虜(POW)になりました。35,000人以上の捕虜が、労働力として日本に連行され、鉱山や造船から農業や軍需品製造まで、さまざまな産業で働かされました。福岡、広島、大阪、名古屋、東京、仙台、函館の七か所には、主要な捕虜収容所が設けられました。収容所の状態は苛酷だったので、何千人もの人々が捕虜の身のまま死亡しました。
1945年の日本の降伏後、この墓地は第38オーストラリア戦争墓地ユニットによって始められました。収容所で亡くなった人々の遺骨は埋葬のためここに運ばれました。」
(案内板より)
イギリス兵の墓地の片隅(写真左奥)には、火葬された335名の英連邦の兵士、オランダ兵およびアメリカ兵を追悼する納骨堂があります。
オーストラリア兵の墓地。
この先には、ニュージーランドとカナダ兵の墓地もありました。
インド兵の墓地
第二次世界大戦後の墓地
個人のお墓の写真を撮るのは少しためらいましたが、例えばこちらは1945年2月に25歳で亡くなった兵士の墓。
TO THE WORLD, HE IS ONE OF MANY
TO US, HE IS ALL THE WORLD
(世界にとって彼は大勢のうちの一人にすぎないが、私達にとって彼は世界のすべてである)
とあります。
20代で亡くなっている方が多く、母親や父親が言葉を寄せているものも多くあります。
日本兵もそうですが、若い人達が故郷から遠く離れた異国で亡くなるということは、辛いことですね…。
墓地に隣接する横浜市こども植物園にいたニャンコ
※「英連邦横浜戦死者墓地」はどうして横浜につくられた?(はまれぽ.com)