風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

続 『野田版 桜の森の満開の下』

2017-09-03 18:48:41 | 歌舞伎




 魂の孤独を知れる者は幸福なるかな。そんなことがバイブルにでも書いてあったかな。書いてあったかも知れぬ。けれども、魂の孤独などは知らない方が幸福だと僕は思う。女房のカツレツを満足して食べ、安眠して、死んでしまう方が倖せだ。僕はこの夏新潟へ帰り、たくさんの愛すべき姪達と友達になって、僕の小説を読ましてくれとせがまれた時には、ほんとに困った。すくなくとも、僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。けれども、それは、心に病ある人の催眠薬としてだけだ。心に病なき人にとっては、ただ毒薬であるにすぎない。僕は僕の姪たちが、僕の処方の催眠薬をかりなくとも満足に安眠できるような、平凡な、小さな幸福を希っているのだ。
(坂口安吾 『青春論』)



先月『野田版 桜の森の満開の下』を観て以来、青空を見るとプッチーニの『私のお父さん』が聴こえてきちゃうのです。
正直「ちょっとズルいよなあ、この音楽の使い方」と全く思わないわけではなかったのだけれど笑、それ以上に、この音楽があったからこそ安吾の「ふるさと」のあの風景をあの歌舞伎座の舞台の上に見ることができたのだとも思うのです。

絶対の孤独はあらゆる人間のふるさとである。

この青空はもちろん、夜長姫の空です。
このふるさとを日常の中で感じることができるだけで、私のような人間にはこの世界がちょっぴり生きやすくなるのです。だから野田さんには心から感謝。
もっとも安吾自身も言っているように、それは皆にとって必要なものなどでは決してなく、こんなものを必要としないで生きられるなら、その方がずっとずっと人は幸福なのだと思う。安吾の良さなんて、わからないならわからない方が幸せなんです。上から目線で言っているのではなく、心の底からそう思う。
でも必要な人には必要なのです、ただ人生をより良く生きるために。


文学は未来の為にのみ、あるものだ。より良く生きることの為にのみ、あるものだ。
(坂口安吾 『未来のために』)


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