風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

木内昇 『新選組 幕末の青嵐』

2007-09-19 03:08:20 | 

 仕掛けていかなければ飲み込まれる。そういう気の抜けない日々を選んでしまったことを、自分で疑う瞬間もある。もっと楽な生き方もあったはずだ、と自問する。
 それでも、今やらないでいつやるのだ、と思うのだ。
 ゆとりある時間の中で気ままに好きなことだけをやっていても、それがどこにも繋がっていかない、自分をなにひとつ反映していない暮らしの辛さを、土方は若い頃に経験しているからだ。あの緩慢な生活の中で抱いていた途方もない焦燥に比べれば、難題まみれで先は見えないが、すべてが自分を通過していく今の仕事は、むしろ贅沢だとすら思っている。
 逃げ場はどこにもなかったが、全部を自分で背負っていけることの痛快さを、この居場所を得てからというもの、これでも、未だ飽かずに味わっているのだ。
(p167)

 表面的な体裁を整えるだけならたやすい。時代を見て、怪我をしないよう適当に流れていけばいい。
 それでも、自分の実体がないところで事を成すことの虚しさを上回るものなど、この世にないんじゃないだろうか。自分まで騙して保身に走る醜悪な人間たちを、京に上ってから随分と見てきた井上には、そう思えてならなかった。
(p360)

「土方さん。私は、剣の勝負に勝って、でも『負けた』と思った試合がいくつかあるんです。・・・・・・それはね、自分の思った剣が振るえなかったときなんだ。はっきりはわからないけど、『なんか違うなぁ』って思いながらやっている。結果勝っても、それはやっぱり負けなんです。勝っても負けているのは、負けるよりずっと辛いんだよなぁ。負ければまだ学べるけど、ごまかして勝つと情けないだけだ。自分ではない剣を使っても意味がないですからね。もっとピーンとしていないと。それは勝負以前の問題かもしれないですけどね」
(p419)

「この戦に勝つか負けるかはわかりませんが、土方さんは間違わないから大丈夫です。あの人はああ見えて、全部自分の中に理由があるんだ。理由の見つからないことはしないんだ。それは私が唯一負けているところだな。あ、これは内緒ですよ。あとで威張られるといけないから。でもね、そういう人は時勢なんかには邪魔されないんです。見た目には邪魔されていても、根っこのようなところは、なににも邪魔されていないんだ」
(p470)

(木内昇 『新選組 幕末の青嵐
』より)

やっぱり好きだなあ、このひとの文章。
『地虫鳴く』にくらべて、一人称なのか三人称なのかわかりにくい部分があったり、描き方も少々ひっかかる部分がなくはなかったけど、それでも充分に★5つです。大満足。
しかし『地虫鳴く』でも思ったが、木内さんの描く斎藤、とんでもなく偏執的なのに、とんでもなくカッコいいな。。。

同じ手法(複数の人物視点で並行して描く方法)で、尊攘派&新選組の組み合わせを描いてくれないだろうか。
すっごい読みたい。接点が少なすぎてムリかなー。

30になってようやくわかったこともある。
でも、あの頃だってわかっていたはずなのに、世間とかくだらないことに振り回されて勝手に不安になって、自分を抑えてしまっていたことも沢山あって。
自分で自分の未来を閉ざしていた私がいて。
もし高校生や大学生の私に会うことができるなら「こんな風に生きな!」ってアドバイスしたいことが山ほどある。
でも悲しいかな、それができないのが人生。前に進むしかない。
だから、10年後の私が今の私を振り返ったときに「よくやった!」って言いたくなるような生き方を、今から未来に向けてしていきたいと、思うのです。
ということを学べたのだから、年をとるのも悪いことばかりではないということか。

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