風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

京極夏彦 『(続・後)巷説百物語』 2

2007-04-11 22:42:25 | 

「俺達ァお上の犬でもねェ。義賊でもねェ。人を裁くとか、悪を討つとかいう大義名分たァ縁がねェ。悪党だから死んでもいいなンていううざってェ小理屈も俺達にゃァ関係ねェ――。・・・裁くだなんて烏滸がましくて、笑っちまうじゃねえか。そうでやしょう先生――」
又市は――ゆっくりと。
夢山を仰ぐように顔を上に向ける。
そして、悲しいねえ――と言った。
それから百介を見て、悲しいじゃねェですか――と、念を押すように繰り返した。
百介も山を見る。
山だか夢だか、真に朦朧模糊として、百介は彼岸を感得する。
「どうやら生きるも死ぬも、この山の前じゃァあまり変わりがねェようでやすよ・・・」
(『巷説百物語』 p131)

「奴は、彼岸と此岸の刃境に住まい冥府の縁を行き来する、御行乞食で御座りまする」
(同p491)

「あんたには解らねェだろう。いや」
あんたには解っちゃいけねェんだと老いた悪党は啖呵を切った。
「俺がしようとしているこたァな、無駄なことだ。後ろ向きのことだ。間違ったことだ。間違ったことだが――如何にもしようのねェことだ。だがな、人ってのはよ、前向きじゃなくちゃいけねェのか。有益なことしかしちゃいけねェのか。正しいことしかしちゃいけねェのか・・・・・・如何しようもねェ時ってのはあるぜ。先生」
(中略)

勝敗を決するようなことではないのだ。それは単純に、終わらせるという意味なのである。無駄で、後ろ向きで、間違ったこと。・・・・・・

――駄目だ。
――そんなものは駄目だ。
裏も表も関係ない。昼も夜も関係ない。
そんなけりのつけ方は――厭だ。
(『続巷説百物語』 p748)


※ネタバレ注意

又市達の生きる世界とは結局、こういうものに繋がっている世界なのだろうなぁと思う。
如何しようもないもの、でも如何にかするしかない、如何にかしなければならないもの。
又市達の仕掛けを必要とするのは、そういうもの。
正しいとか正しくないとか、そういう位置にはすでにないもの。
裁きというよりもそれは弔いに近いのかもしれない。
彼岸を覗き込まないわけにはいかない世界。
小右衛門のけりのつけ方に対して「昼も夜も関係ない。そんなものは厭だ」と思ってしまうこと自体が、百介が昼の人間であるということなのでしょう。百介は、又市達が彼の前から姿を消したのは自分が覚悟を決められなかったせいだと思っているけれど、又市達はそんな覚悟なんて望んではいなかっただろうと思う。彼らは、百介にはそんな「人としての真っ当さ」みたいなものをずっと持ち続けてほしいと願っていたのではないかしら。
そんな百介だからこそ、又市は最後の最後に頼ることができたのでしょう。
あぁでも、やっぱり切ない・・・(T_T)

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