Sir András Schiff about Bösendorfer pianos
21日に続いて行ってきました。4人の作曲家の「最後のソナタ」です。
モーツァルトが亡くなったのが35歳、シューベルトが31歳、ベートーヴェンが56歳、一番長く生きたハイドンが77歳。
人間の一生なんて本当に短くて、でもその短い人生でも人はこんなに美しい音楽を作ることもできるのに。
このリサイタルの前日にはロンドンでテロがあって。一昨年の光子さんのリサイタルのときもパリでテロがあって。日本も世界も問題が山積みで。。。
さて、この2回のリサイタルを聴いて心から思ったのは、シフってモーツァルトもシューベルトもハイドンもベートーヴェンも、それぞれの個性を本当に上手く表現するんですね。それぞれがそれぞれの作曲家の音楽のように聴こえるという点では、これまで聴いたことのあるピアニストの中で一番かもしれない(バレンボイムさんはモーツァルトしか聴いていないのでこの限りではないけれど)。
【モーツァルト:ピアノ・ソナタ第18(17)番 ニ長調 K.576】
先日のリサイタルでシフ×ベーゼンドルファーはたっぷり聴いたはずなのに、また今夜も初めて聴いたかのように音色にウットリしてしまった。明るい音は明るく、暗い音は暗く、短調と長調で一瞬で色が変わるのも気持ちいい。
今日のモーツァルトは、音に身を預けきって安心して聴くことができました。というかあまりの音色の美しさに聴き惚れて、ふと気付くとメロディが耳に入ってこないときがあるほどであった。美音すぎるのも考えものね^^;。あるいはモーツァルトの音楽にそういうところがあるのかなぁ。天国的とよく形容されますもんね。そういえば光子さんのモーツァルトのときも「天上の音楽だなぁ」と感じたのであった。
これだけ美しいものを聴けたからもうなんだっていいや、と思いました。本当に楽しかった。
【シューベルト: ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960】
「シ、シフ先生、そろそろ呼吸をしても構いませんでしょうか・・・(クルシイ)」となるくらいにはたっぷり時間をかけて客席を静まらせた後、演奏開始。
インタビューで「20番の方が偉大だと思っている」とはっきり仰っていましたし、曲順を前にずらしたほどなので(当初の予定ではベートーヴェン32番と逆だった)、この曲はシフにとってあまり思い入れのない作品なのかなぁと思ったりしていたのだけれど、演奏を聴いたらとんでもない。そりゃあそうか、敬愛する作曲家の最晩年のソナタですものね。
で、20番もそうだったのだけれど、シフの弾くシューベルトってかなり本来の私の好みに近くて、深刻になりすぎない軽やかさとか、粒立ちのいいタッチとか、光と闇の変化とバランスとか、透明感とか本当に素晴らしくて、この21番の1~3楽章も、ああ、いいなあ・・・・とちょっと涙が出そうにさえなりながら聴いていたのですけれど。
・・・・・今日もやっぱり4楽章が私にはダメだったのですぅぅぅぅぅ・・・・・泣。
私、“ツィメさんシューベルトの呪い”か何かにかかってしまっているのかも・・・・・・・。ツィメさんの4楽章の演奏はどちらかというと好みじゃなかったはずなのに、シフを聴いていてもあのとき見えた光を探してしまっているワタシがいる・・・(その当人は数年間リサイタルやらない宣言したそうですね・・・-_-;)。
ところでシフって、フォルテピアノでシューベルトのソナタを録音してるんですね。聴いてみたいな。でも結構お値段高いのよね。。
【ハイドン: ピアノ・ソナタ 変ホ長調 Hob. XVI: 52】
シフ先生曰く、
S: たとえば彼の最後のソナタ(Hob.XVI:52)ですが、変ホ長調の曲なのに、第2楽章はホ長調で書かれ、中間部はホ短調になっています。なんと大胆で奇抜な発想でしょう!変ホ長調とホ長調の間の距離感を聴衆が理解していなければ、ハイドンのユニークな発想、「調を間違えた」と思わせるユーモアに気づくことはできないでしょう。同じように、第3楽章の冒頭のG音の連続は「冗談」……、ただ聴いただけでは、第2楽章の結尾部のホ短調の続きのようですが、左手にE♭音が現れて、騙されていたことに気づき、その後で変ホ長調に戻ります。
しかし、ハイドンはただユーモアにあふれていただけではありません。この作品は、小さなモティーフで大きな構造物を組み立てるような技法を使っています。第2楽章の主題のメロディーは第1楽章の展開部から生まれ、作品全体が循環し、ハイドンの傑出した才能を感じさせます。それがベートーヴェンに大きな影響を与えたことは間違いありません。
まず前提として絶対音感絶賛狂い中by老化(譜面より1音上に聴こえたり聴こえなかったりする)のワタクシには、この1楽章が変ホ長調に聴こえたりへ長調に聴こえたり微妙に不安定で。。。なので2楽章のユーモアを知覚するのはムリだった(-_-;)。まぁ、それは今更気にしない(でも実は結構悲しい)。ところでG音(今の私にはラに聴こえるが)が聴こえるとどうしてホ短調の続きと勘違いすることになるのだろう。変ホ長調だって普通にG音使うよねぇ。そもそも2楽章の結尾部ってホ短調ではなくホ長調ではなかろうか。・・・アタマの悪い私にはシフ先生の仰っているハイドンのユーモアの理屈が難しすぎてわからない。どなたか教えて・・・。
でもシフ、楽しそうに生き生きとした音で弾いていましたね^^。とても素敵なハイドンだった。この作曲家も子供の頃には良さのわかりにくい作曲家だったけど、昨年のペライアでもヤンソンス×バイエルンでもとっても良くて、ちょっとずつ良さがわかってきたような気がします。また機会があったら聴きたいな、シフのハイドン。
※バロックや古典派の時代の楽器って今より低い調性だったと聞いたことがあるので、聴くときに調性はさほど気にしなくていいと思うけど、現代に近い作曲家の曲を作曲家が意図したとおりの調性で聴きたくて、でも私のように加齢で絶対音感が狂ってしまったお仲間さんへ。
自分のピアノで最初の数フレーズを楽譜どおりに弾いて、例えばこの曲ならミ♭ッソッラ♭~と聴こえるようになるまで何度も繰り返して、聴こえた直後にCDをかけたら、しばらくはちゃんと変ホ長調の曲に聴こえるようになりますよ♪効果は長く続きませんケド・・・(気を抜くとすぐにファッラッシ♭~に戻る)。二度と作曲家の意図したとおりの音でその曲を聴けないよりは、それだけでも良しとしよう。。。
【ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 op.111】
やっぱりこの人のベートーヴェンいいなぁ。
終盤のトリルぽいところからの高音トリルのところは、もはや星空じゃなくて宇宙が見えたわ。空間や時間や肉体の感覚がなくなって、宇宙の真ん中に自分の魂がぽっかり浮いているような。音楽ってこんな体験まで人にさせることができるんですねえ。本当に、別世界にいるようだった。これだから演奏会通いをやめられないのだよなぁ。ここからラストまで、一気に連れていっていただきました(あ、でも途中の静かなところで咳が気になったかも。←シフさんがうつってしまったわ・・)。
今回のこの「Last Sonatas」シリーズ。私には作曲家の「死」というよりも(実際に作曲時に迫りくる死を意識していたのはシューベルトくらいか)、どちらかというと「生」の方を、この記事の最初にも書きましたが「人って生まれて、生きて、成長して、死ぬまでにこんなに素晴らしいものを作ることができるのだなぁ、これほどのものを残すことができるのだなぁ」と、人間や人生の可能性のようなものを明るく前向きに教えてもらえたような、そんな演奏会でした。それくらい4人の最後のソナタと最後から2番目のソナタが美しかったから。そういう演奏をシフが聴かせてくれたから。
そしてもう一つ感じたのは、こんなに美しい音楽を作れるなんて、彼らはその人生でどれほどの美しい景色をその心で見ていたのだろう、ということ。こんなに美しい音楽を作り出す人たちが次々に生まれた時代ってどんな時代だったんだろう。それを思うと、文明の進歩イコール人間の内面の進歩、人の幸福とは本当にいえないなぁ、と。でも文明が進歩したおかげで飛行機が作られて、こうして素晴らしいピアニスト達の演奏を日本で聴くことができるのだから、やっぱり文明のおかげの幸せもあるのだよなぁ。とか
~アンコール~
1楽章を1曲と数えると21日は7曲のアンコールを披露してくれたシフ。本日は8曲(^-^)
【J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲 BWV988から アリア】
【J.S.バッハ: パルティータ第1番 BWV825から メヌエット、ジーグ】
【ブラームス: インテルメッツォ 変ホ長調op.117-1】
【バルトーク: 「子供のために」から「豚飼いの踊り」】
【モーツァルト: ピアノ・ソナタ第16(15)番 ハ長調 K545から 第1楽章】
【シューベルト: 即興曲 変ホ長調 D899-2】
【シューマン: 「子供のためのアルバム」op.68から 楽しき農夫】
4人の作曲家の最後のソナタを聴いた末に聴くバッハのゴルトベルク変奏曲のアリアとか、もうねぇ。。。 幸せの極み以外の何物でもないよねぇ。。。。。シフのバッハ、本当にすごくいいなぁ。いつかゴルトベルクの全曲を生で聴きたい。
そしてブラームスが素晴らしかった 隣の席の兄ちゃん、シューベルトからほぼずっと熟睡していて途中で寝言まで言っていたツワモノさんで、たまに目を覚ましても拍手は指先だけでしたりやたら咳したりの「それはブーイングですか?」な兄ちゃんだったけど(実際そうだったのかも)、このときだけはいっぱい拍手してたわ。
バルトークを弾く前に客席に向かって突然「ほにゃらら」と仰ったけど、3階席からは聴き取れず。後からツイで知りましたが、「バルトーク、ヒキマス」だったようで。なぜこのときだけ?と不思議だったけど、過去にリサイタルに行った方のブログを読んでいたら、やっぱりいきなり「〇〇、ヒキマス」と言っていたそうな。シフって面白い。。
この曲も素敵でした!民族音楽のような現代音楽のような。「バルトークぽい」と感じるほどのバルトーク経験はないので、誰の曲か全く検討つかずに聴いていましたが。バルトークって昨年のマーラー・チェンバー・オーケストラで初めて聴いたけど、あの演奏も最高にカッコよかった。他の曲も生で聴いてみたいな。
バルトークは、シフと同じハンガリー人なんですね。自身はユダヤ人ではなかったけれど、第二次大戦勃発と同時に母国を去って米国に移住。終戦の年にそこで亡くなっている。その数年後にハンガリーで生まれたのがシフ。その頃のハンガリーはもちろんソ連の衛星国で、民主化されたのは1990年。それまでの東欧諸国がどのような状態であったか(もっともハンガリーはポーランドなどに比べると緩い共産主義だったと聞きますが)。
シフはそういう時代を生きて、見てきた人なのよね。ポーランドで生まれ育ったツィメルマンもそう。
そしてファンであってもツィメルマンの演奏を聴くことのできないアメリカの人達。自国のピアニストなのにシフの演奏を聴くことのできないハンガリーの人達。ただ東京にいてこうしてシフやツィメルマンの演奏を聴けることがどれほど幸せなことか。絶対に当たり前と思ってはいけませんね。彼らが東京で演奏をしたくなくなるような国には決してなってはならない。
ところでシフは現在は英国籍なわけですが(2001年からだそうです)、そのイギリスはEU離脱しちゃうし。これから世界はどうなってしまうのでしょう・・・。
そうそう、書き忘れるところでした。アンコールのシューベルトとシューマンも、とても良かったです。シューベルトのあの曲って子供の頃によく弾いたけど(ピアノをやる人ならみんなそうだと思うけど)、あんな風にコロコロとした音で聴くと本当にいい曲ね。今度実家に帰ったら久し振りに弾いてみようかな。あまりの音の違いにすぐに嫌になることは目に見えてるけど。
シューマンも、あの聴きなれた曲がまぁ美しいこと美しいこと・・・。思わず身を乗り出して聴いてしまいました。
19:00開演、21:30終了。
シフのリサイタル、次回も絶対に行きます(^-^)/
Omaggio a Palladio 2012. Schiff plays Brahms Intermezzo op.117 no.1
しかしやっぱりまだ理解できず・・・
2楽章の結尾部の和音は、ミソ♯シミですよね・・・。これはホ短調ではなくホ長調ではないのでありましょうか・・・(いや、シフに異論を唱えているわけでは決してなくっ)。
なので
「3楽章始まりの白鍵のソを聴いて再び(2楽章中間部の)ホ短調に戻ったのかと思いきや、左手のミ♭の音が出て実は変ホ長調だったと知る」というのなら理解できるのですが・・・。
せっかく丁寧にご教示くださったのに、理解力が悪くて申し訳ありません・・・泣
直前の楽章が変ホ短調の和音(E-G-H)で終わっており、その和音が頭に残っている聴衆が、次の楽章の初めのGの音もそのままホ短調の主和音の第3音だと思うことを前提とし、それを逆手に取り、後からGと長3度の関係であるEsを鳴らすことで、実はEsを根音とする長三和音だった、と後出しでネタばらしをし、驚かせるというユーモア、だと思います!