このアニメ映画のジョバンニの「どこまでも一緒に行くよ」は、『タイタニック』の「あなたを忘れない」という台詞と響き合っている。残されたものは、先に逝ったものから何かを受け取っている。それを忘れない限り、死者は死ぬことはないのである。
(「タイタニック」の悲劇はなぜ『銀河鉄道の夜』に描かれたのか 一人の日本人乗客が結ぶ2つの“残されたものの物語” @文春オンライン)
いい記事↑。
猫版アニメ映画『銀河鉄道の夜』の音楽を担当した細野晴臣さんは、タイタニック号の生き残りの日本人のお孫さんだったんだね。
映画『タイタニック』が日米同時公開された1997年12月、私は大学3年生でした。ご存じのとおりこの映画は日本でも空前の大ヒットで、映画館へ何度も足を運ぶ人が続出。
私が初めて観たのは翌1998年の2月だったかな、日本ではなくハワイの映画館ででした。
春休みを利用して北米の複数都市を周遊したのですが、ホテルはエイビーロード(懐かしいねえ)に掲載されていた旅行会社を通じて予約していて、ノースカロライナとかナイアガラとかは問題なく旅したのだけど、ラスベガスのホテルで突然「予約は入っていませんよ」と言われ。ホテルを予約した旅行社がその日倒産し、私達の予約も勝手にキャンセルされていたんです。代金は旅行社が持ち逃げですよ。ひどい!当時はスマホなんてなく、ホテルから旅行社に電話しても誰も出ない。親に電話して初めて、その旅行社の倒産が日本でニュースになっていることを知ったのでありました。
最後に寄ったワイキキのホテルも当然キャンセルされていて、仕方なく予約をとり直しました。
そんなこんなあった旅行でしたが、パニクりながらもさほど身体的&精神的ダメージを受けずに飄々と旅行を続けていたのは、若さゆえだろうか。せっかくアメリカに来ているのだから楽しまなきゃ損、と私も友人も思っていたことは確かです。
で、そのとき映画『タイタニック』はまだ公開二ヶ月目だったのでハワイでも上映されていて、日本で既に一度観ていた友人が「観たい!」とのことだったので、ワイキキの映画館で観たんです。レイトショーだったので空いていたけど、現地のアメリカ人らしき人達も数組いました。
でね、英語が完全には聞き取れないながらも私は「うわぁ・・・」と大感動して観ていたら、傾く船の甲板でカルテットが讃美歌を奏でる例のシーンでアメリカ人達がゲラゲラ爆笑したのですよ あの場面で爆笑するって信じられます???「こいつらの感性って一体」とゲンナリですよ。しかし映画が終った後に彼らを見ると、ポロポロ泣いてるんですよ。アメリカ人って・・・。
まあそれはそれとして映画にはすごく感動して、夜の海沿いを友人とホテルまで歩いて帰ったのですが(よい子はマネしちゃだめですよ)、生温かい風が吹いていて、波の音がしていて、それが『タイタニック』を観た直後だったのでなんともいえない気分になったのを覚えています。そしてそれは今振り返ると『銀河鉄道の夜』から受ける空気とどこか似ていたな、と。
それは『銀河~』の中にタイタニック号のエピソードが出てくるからというよりも、あの南の島の生温かい風と夜の空気と波の音の中で、夏の夜の死者達の物語である『銀河鉄道の夜』と、氷山の海に沈んだ死者達の物語である『タイタニック』の世界がどこかで繋がっていたような、そんな感じを覚えるのでした。そういえば吉本ばななさんの『アムリタ』も、同じ空気だな。
以上、今夜の金曜ロードショーは観ていませんが、23年前を少しだけ懐かしく思い出させてもらいました。
ちなみに文春のこちらの記事にある「幻の3つ目のエンディング」はニコ動で観られますが、この記事に書かれてあるのと同じように、私もラストシーンは劇場公開版の方が断然好きだな。それにしてもこの頃のレオ様の無敵さよ。。。。
私レオ様大好きなのに、どうしてロンドンのレスタースクエアで「もう少しでレオがここに来る」と聞いていたのに待たないで家に帰ってしまったのだろう。私のバカバカバカ。悔やんでも悔やみきれん。あのときは頭痛がひどくて少しでも早く家に帰って横になりたかったのよ。あと、どうせ見られても豆粒ほどでしょ、と思っていたのよ。そしたら後日に同じ場所でローリング・ストーンズを目の前50センチくらいで見られて(ファンの友人はミックに触れていた)、「ああ、レオ様をこの距離で見られたかもしれなかったのか・・・」と。。。。。。。
ハワイの思い出とともにロンドンの痛恨の思い出まで蘇ってしまった。