Bach Goldberg Variationen BWV 988 András Schiff
不眠症で悩んでいたカイザーリンク伯爵がお抱えのクラヴィア奏者ゴルトベルクに演奏させるためにバッハに作曲を依頼した、という由来は信憑性が薄いそうですが。
先日この曲のおかげでようやく眠ることができた私は、やっぱり眠れぬ夜にはいい曲だ、と実感したのでありました
といっても、心が健康で単に「なんか眠れない~」なときにはダメですヨ。かえって眠れなくなります笑。でも心が健康じゃなくて眠れぬ夜には、この曲はとてもいい。
この曲って通しで演奏されると、アリアから始まって、30の変奏を経て、再び同じアリアに戻るじゃないですか。その安定感がすごくほっとするんです。どんなことがあっても、最後はちゃんと最初の場所に戻れるんだな、と。生まれた場所に還れるんだな、と。
その物語がシフの演奏では本当に生き生きと鮮やかで。昨年のリサイタルで4人の作曲家の最後のソナタを演奏した後にアンコールでこのアリアを弾いてくださった流れも素晴しかったなあ(その後7曲のアンコールが演奏されましたがね笑)。
シフの演奏は、最初のアリアと最後のアリアで演奏の仕方が微妙に異なるんですよね。最後のアリアは、よりシンプルで素朴な形になっている。そういうところも好きです。いつか生で全曲を聴けたらいいなあ。
古いクラシックの楽曲って、始まりの楽章と終わりの楽章がちゃんと同じ調性で終わるものが殆どじゃないですか。途中でどんなに色んな場所に旅しても、最後にはちゃんと最初の場所に戻ってくる。そういう音楽を聴いていると、心が落ち着きます。まっすぐ一方向へ向かう線の形よりも、全てが巡る円の形が私にとって自然な世界の形だからかもしれない。それはどちらかというと東洋的な感覚だと思うのだけれど、西洋文化の代表のようなクラシック音楽がそういう基本構成をもっているというのは面白いですね。
ところで話は変わるような変わらないような、ですが。「ああ、今この瞬間に死んでしまいたい」と結構本気で強く感じた演奏がこれまでに2回あって。あまりにも美しい空気に包まれたから、今死んでしまいたいと本気で思ったんです。今なら自分の人生を全部肯定して死んでいけるような気がした。それは光子さん&マーラーチェンバーオーケストラのモーツァルトのピアノ協奏曲25番(指揮は弾き振り)のときと、フレイレのブラームスop118-2のときでした。比喩じゃなく天国にいるみたいだったんです、本当に。。
下記の動画は、光子さん×イングリッシュ・チェンバー・オーケストラ(ジェフリー・テイト指揮)の25番の演奏です。
Mozart - Piano Concerto No. 25 in C major, K. 503 (Mitsuko Uchida)