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歩くことが唯一の趣味ですから。

湖の北と西

2021-11-21 | Weblog
どこの天満宮にも牛の像がある。天満宮は菅原道真を祀るところだが牛と道真にゆかりが特にあるわけじゃない。同じような牛の像が、ヒンズー教の寺院に行くと必ずある。牛はヒンズー教の神だから。



もはや唐天竺に学ぶことなしと遣唐使船を廃した菅原道真を祀る天満宮に、天竺の神である牛が入り込んで尊崇の的になり、人々に撫で撫でされる不思議。その牛の向こうに、菅原道真が生まれ育った里があり、入門して勉学に勤しんだ寺がある。大箕山菅山寺、琵琶湖の北の山の上。



ふもとの里坊に、11歳の菅原道真の像があった。天満宮は神社だし菅山寺は寺だけど昔は神仏習合して神も仏も一体だったから寺に道真がいても全然おかしくない。そもそも菅山寺になる前、道真がここで学んだころは龍頭山大箕寺といった。里坊から、徒歩で50分ほど上ったところに本堂、護摩堂、天満宮が混在しているという。



そこに江戸時代、彦根藩の家老が母のすすめで天神(道真)900年忌に寄進したという十一面観音像が、いまは里坊に下りてきている。平安初期の古像で、よく見ると何だか曲がっている。古いものだし、何度も運ばれるうちに顔や胴が曲がったのだろうか。仏像も世にあり続けるには困難が伴う。



湖の西にの山の上にも古い仏があった。大宝寺山の頂にあった大宝寺の本尊、釈迦如来像。しかし戦国時代の兵火で寺が焼かれて、どうにか仏像だけ難を逃れた。「焼け残りの釈迦」の異名を持つという。平安時代の作。



保福寺の小さなお堂の御簾の中にあり普段は脇の小窓から見上げるしかない。住職は他界したのか夫人が説明しながら御簾の前の供物を片付け扉を開けてくれる。息子が3人いるという話だけど継ぐ者がなければ釈迦如来はどうなるのか。町営や村営、市営のお堂も世間にはあるようだが……明治34年に国宝に指定され、昭和25年に国重要文化財の指定を受けた。位が上がったり下がったり、仏像も世にあると苦を避けられない。


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