散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

国東半島

2016-08-26 | Weblog
国東半島の磨崖仏が見たくて大分にやってきた。交通が不便だから、大分駅前を8時50分に出発する
定期観光バスに乗ることにした。大分交通は創業120周年ということで、7月から9月まで観光バスが
半額だった。丸1日観光して2800円というのは安い。ラッキーだけど、バスが120周年というのは少々
時期が合わないのでは……? (銅像は大友宗麟)


創業のころはバスじゃなかった

最初の観光ポイント、宇佐神宮にきたら謎がとけた。神社にお参りするための宇佐参宮線が120年前
つまり1916年に開通していたのだ……ん? 100年前じゃないか。調べたら前身の豊州電気鉄道が
120年前に設立されて別府と大分に路面電車の路線を敷きはじめた。文明開化の鉄道と国家神道の
神社は相性がよく、明治・大正・昭和初期の庶民は鉄道で神社に詣でるのが大きな娯楽だった。


バスの車窓から

磨崖仏を見るのが目的だし、宇佐神宮には来たことあるし、酷暑だから宝物殿で涼んで体力を温存した。
つぎの観光ポイントに向かうバスの車窓から仁王の石像が見えた。国東半島はいたるところ石像だらけ。
それもこれも宇佐神宮が近いからで、最初に八幡宮の総本社に寄るのは意味ある順路だった。


国宝の富貴寺へ

バスガイドさんによると日本の三大堂は平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂、富貴寺大堂の三つ。その大堂を
見にきた。石材の豊富な地域だということがわかる。バスガイドさんによると日本の石仏の約8割が大分に
あるという。


確かにこの仁王も石像だもんな

バスガイドさんによると国東では神社にも狛犬の代わりに仁王像があるという。それは神仏習合してる
からじゃないかと思ったけど、八幡宮の近くだから神仏習合が徹底してるのかもしれないし、廃仏毀釈
の影響を受けずに習合したままでいられたのも国東が交通不便なおかげかもしれない。


一見地味なこの大堂が国宝

一本の榧(かや)の木で建立されたと伝えられる、現存する九州最古の木造建造物だそうで、平安時代
後期の建物だ。中に入ると壁画がかすれて見えるような見えないような。しかし平等院鳳凰堂も平成の
修復がなるまで壁画なんて消えかけて見えそうで見えなかったし、おあいこかも。


国東独特の国東塔

バスガイドさんによると国東塔は、この半島にしかない特徴をもつ石の宝塔で、基礎が二重または三重に
組み立てられ、台座に蓮華座がつけられ、相輪の先端に宝珠を圍んだ火炎が刻まれているという。これも
国東のいたるところにある。


これもかな?


そこにあるのはもっと簡素かな?


これが榧の木

この榧の木で富貴寺の大堂を建てて、あまった榧で真木大堂にある大威徳明王像のまたがる牛が造られた
というから後で見にいった。


とりあえず昼ごはんを食べる

お寺の前にポツンとある御食事処「榧の木」、ひとりで散歩してたら入ることもないだろう。こういうところに
観光バスのお客さんが連れてこられて昼ごはん食べるのか。


大分名物・だんご汁の定食

だんご汁のだんごは細長く切ってあって、山梨のほうとうに似ている。そのほか山の食べ物いろいろついた
定食をいただいた。カッパの鈴を買った。


観光バス正解かも

カーナビが進化するにつれてレンタカーの人気が高まって観光バスを利用する人が減っているそうだけど、
バスガイドさんの話も聞けるし、たまには観光バスもいい。


たとえば鳥居の話

国東半島の鳥居はだいたい石造りで、こんな形をしている。いちばん上の笠木が反って島木がついている
明神鳥居は、バスガイドさんによると八幡神宮と出雲大社だけだというけど他にもある。笠木がまっすぐな
神明鳥居は伊勢神宮に代表されるという。注目したいのは島木の下の輪っかで、あの輪っかがついている
と「神様と仏様を一緒に祀ってますよ」という、神仏習合の印らしい。


これは陰陽道かも

なんにしても石をふんだんに使っている。真木大堂にきたら石像のお腹が御意見箱になっていた。これは
もともと、公衆電話の仁王像だったとか。


昔は電話だった

携帯電話が普及して、だれも公衆電話を使わなくなったから、電話機を撤去して御意見箱をつけたという。
だからって御意見する人がいるのかどうか知るよしもない。真木大堂にある9体の仏像はすべて国指定の
重要文化財になっているが、住職がいないので市が管理してお堂が防犯のためガラス張りになっている。
バスガイドさんによると、国東には住職のいない寺がたくさんあるので、少し修行をすれば住職になれるが
檀家がいないので収入はぜんぜん期待できない。


いよいよ磨崖仏

全国の天気予報を見比べると大分はとくに暑いのに、ここから標高にして250mも登らないと磨崖仏が
拝めない。体力温存してきたから、杖を借りてさっさと登る。


ここも神仏習合か

輪っかが鳥居についてるから、ここも神仏習合してるし、笠木が反ってるので宇佐八幡の影響下にある。
石段がだんだん大雑把になって登りにくい。


不動明王(8m)


大日如来(6.8m)

見物しているとアブが飛んできて刺そうとするから、あんまりゆっくり見ていられない。平安末期の作。
宇都宮の大谷寺の磨崖仏は平安初期の作だっけ。案外あっちのほうが古いんだな。


両子寺に寄って大分まで帰る

門の向こうの紅葉が秋になると色づいて、ずいぶん眺めが変わるらしい。ここの紅葉は遅くて11月末
だとバスガイドさんがいうから、見る機会があるかどうかわからないけど覚えておく。

関連記事:  地下採掘場
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崇福寺

2016-08-20 | Weblog
長崎は異国文化の窓口だけあって、ふらふら歩いてると発祥の地にぶつかる。


ボウリングの発祥


国際電信の発祥


西洋料理の発祥、ほんまかいな


缶詰製造の発祥

日本で最初に製造された缶詰は、イワシの油漬けだと書いてある。こうして記念碑を眺めると西洋の文化や
文明ばかり取り入れているようだけど、街を歩いていると西洋というより中華のほうが生活に溶け込んでる。


年季が入ってる

中華街はもちろん、そこを離れても中華、中華、中華……中華の合間に和や洋が入る。ちゃんぽんと皿うどん
しか、長崎の街を見てると食べる気にならない。魚もおいしいんだろうけど。


昼はちゃんぽん、夜は皿うどん


皿うどんはビールを飲みながら

いちばん最後に日本に入ってきた仏教の宗派、黄檗宗の寺があると知って見てきた。京都の宇治の萬福寺
にしても、東京の白金の端聖寺にしても、いかにも中華だから長崎の崇福寺も面白そう。


やっぱりそうくる?

寛永6年(1629年)長崎に在留していた福州人たちが、故郷から超然という僧を迎えて寺を作ったのが
崇福寺のはじまり。


隠元の萬福寺よりずっと先だった

黄檗宗の寺というと、魚のかたちの木魚とか、お腹の出た布袋さんの像とか、そういうものを期待してしまう。
さっそく木魚のほうは見つかった。


魚のかたちをしている木魚

たしか、魚は眠らないと考えられていたから修行のとき眠気を覚ますために魚のかたちの木魚を鳴らすとか
そういう話だったような気がする。


ところで布袋さんはどこだろう?


…………ここではないようだな


十八羅漢の中にも混ざってない


右端のやつちょっと似てるけど


なんかこれ……


耳傾けてるけど

こういうのって仏教というより道教っぽいような? 本当はここ道教寺院じゃなかろうか。そんなことを思い
ながら、布袋さんを探す。


ここではないようだな…………


なんだこのでっかい鍋は

寺宝巨鍋、これはむかし飢餓救済のために粥をたいて施したときの鍋らしい。ずいぶんいっぱい粥ができそうな
巨鍋だな。


………………いた!

関連記事:  布袋が好き
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長崎

2016-08-18 | Weblog
71年前の8月9日、ここに原爆が落ちたのかと思って見にきたら、原爆は落ちてなかった。ここの上空500m
ぐらいのところで爆発したという。その真下が公園になっていて、原爆落下中心地と呼ばれてる。式典が毎年
開かれる平和記念公園とは別の場所。


通称・一本足鳥居

中心地から500mほど離れた坂の上にある山王神社の二の鳥居は、このように原爆で半分になってしまった。
石の鳥居が半分、熱で消えたのかと思って見にきたら、鳥居は消えてなかった。風で崩れ落ちてた。


いまも転がってる

石を溶かすほど威力ないのだった。被害地図をみると徹底的に破壊されつくした範囲は半径500mぐらいで、
そこを越えると半壊ですんだり、二次的な火災で焼けたり、建物の被害は軽微だったりした。


坂が多いせいかも


よくみると石段も半分崩れてる

映画『ダークナイトライジング』のラストで、バットマンが核爆弾をヘリみたいな乗り物でほんの数分運び去り、
自分が犠牲になって街を救うシーンを見たときに数百mかそこら爆弾を街から遠ざけても無意味じゃないか
と思ったけど、必ずしも無意味じゃなかった。ただ街は無傷では済まないだろう。


浦上天主堂

隠れ切支丹が晴れて自分たちの天主堂を作ったら、同じキリスト教徒が落とした原爆で約8500人の信徒が
死んだ。ここも爆心地から半径500mぐらい。以前は中で座ってもの思いに耽ることもできた覚えがあるけど、
いまはそんなことできないように柵がめぐらされている。世の中は変わった。


大浦天主堂

同じ長崎でも大浦天主堂のほうは爆心地から3km以上離れているから、ほとんど被害がなかった。こちらは
しかし拝観料600円を徴収しておいて中に入ると撮影禁止で、神様やらずぶったくり。


隣のグラバー亭もおそらく無傷

1974年にグラバー園として開かれて、いちど見にきたのは1980年ごろだろうから、まだ新しかったはず。
それから35年ほどたって、どうなってるかと思ったらあまり変わってなかった。


エスカレーター付

坂の上にいくつも並ぶ洋館はすべてグラバー氏の持ち物かと思ったら、そうではなかった。いろいろな西洋人
の住居をここに移築して、もともとあったグラバー亭と一緒に見物できるようにしたそうだから、博物館明治村
に発想が似ている。たぶん真似したんだろう。


グラバー亭から港が見下ろせる

猛暑の夏でも坂の上は気のせいか少し涼しかった。100mで0.5℃くらいだから、せいぜい1℃程度だろう。
それでも自分の足で坂を上がらなくてよければ快適にちがいない。


中華街は港のそば

鎖国していたころ長崎に出入りしたのは清とオランダで、どっちも出島にきたはずだけど、出島が見当たらない。
海に扇型の島が出てる出島……教科書で見たことある出島。ところが教科書で見た当時、すでに出島のまわりは
埋め立てられて、とっくに出島じゃなくなってた。中華街にくっついてた。


これが扇型の出っ張ってる方


そしてこれが扇型の凹んでる方

埋め立てたなら埋め立てたと教科書に書いてくれないと。このあたり爆心地からちょうど3kmぐらいだから、
割合になんともなかったらしい。歩いてみたら狭かった。


オランダ商館の出島は地続き
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出町柳

2016-08-09 | Weblog
蓄音機から聴こえる主人の声に耳を傾ける犬の置物がたくさんある。ビクターだったかな? レコード会社。
あんなところにも犬の置物がたくさん!


いったい、いくつあるんだろう?

日本全国どこも猛暑日で、あまりに暑いから間違えて名曲喫茶に入ってしまった。涼しければ何でもいいと
やけくそな気分だったのかも。これまで生きてきて足を踏み入れたこともない世界だから、涼しいかどうかも
わからなかったが、涼しくて気持ちよかった。


出町柳の名曲喫茶、空いてる

ジャズ喫茶とかロックバーなら入ったことあるんだけど、クラシックの名曲喫茶は初めて。おっかなびっくり
扉を開き、おしゃべりするかどうか最初に聞かれる。おしゃべりする人はおしゃべりする部屋、音楽聴く人は
余計に500円払って音楽聴く部屋に入室する。ここがその、広い音楽部屋。


レコードが棚にいっぱいある

音がいい。客が少ない。静かに(大音量で音楽が流れてるけど静かに感じる)本が読める。これはいいや。
ぜいたくな空間だな。


あれがスピーカーなんだろうな

能面のようなものは何だろう? ピアノが中央に置いてあるから、スピーカーからピアノ曲が流れてくると
そこで誰か演奏してるような気がする。時折プチ、プチと入るノイズがまた心地いい。


入ってすぐ爆睡しはじめる女性

あきらかに仮眠するために入店したお姉さんの頭が真ん中へんにあるのが、写真でおわかりだろううか?
このとき他に客はいなかった。おしゃべりルームに数人いたけど、経営面が少し心配。レシート持参したら
音楽を聴く部屋の入室料200円おまけしてくれるというから、大切に持ってるけど、すぐに行く機会がある
とも思えない。京都本でよく紹介されてる柳月堂。また行きたい。
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