散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

渥美半島

2017-11-18 | Weblog
愛知県の東のほうに、カニみたいな場所がありますね。地図でいうと大体このあたり。カニの爪だか
目玉だか、その片方の先端には中部国際空港(セントレア)があります。では反対には何があるのか
探しにいってみると、こっちの渥美半島といわれる側は、まんなか辺までしか鉄道がありません。


半島だけを地図にすると広大

終点の田原で電車を下りて、せっかくなので何かないか駅前地図をみると崋山神社というのがある。
鎖国に反対して幕府に咎められ、蛮社の獄で謹慎中に自害した渡辺崋山、その後どうなったのかと
思ったら地元で神になっていた?


そろそろ逢魔が刻だけど

神社にいくには少し遅いような気はしたが、何もしないで戻るのもつまらないから、駅前地図を目に
焼きつけて殿町のほうへ歩く。殿町は殿が住む城の街らしい。崋山はここで謹慎して自害した。


こぢんまりしたお城が見えてきた

参勤交代の江戸屋敷のほうで生まれた渡辺崋山は、江戸で育った俊英だった。藩政で成果を挙げ、
幕府のすることに口を出したら「この蘭学かぶれめが」と蛮社の獄でやっつけられて、地元で謹慎。
そして切腹。なんとまあ痛いだろうにね。


鎖国やめろと言ったぐらいで…

いまの世の中から見れば崋山のほうが正しい発言しているのに、時代というのは恐ろしい。政権は
どんなときも愚かなものなのか。


天保12年(1841年)没

幕府に盾ついた憂国の先覚者として、明治以降にわかに教科書などで顕彰されるようになった崋山
を神格化して、無念を晴らそうという動きが昭和15年(1940年)におきた。百周忌だったから、社殿が
すぐできたのかと思ったら、ぜんぜんで昭和41年(1966年)までかかった。


それがこの真っ白な社殿

身の潔白を主張するかのような、おどろきの白さ! ようやく神として社に祀られてから、はや50年
あまりになるというわけか。


すっかり周辺はサーフタウン

駅まで戻ったら、ようこそサーフタウンへ! という看板が目についた。時代は変わった。蛮社の獄
からサーフタウンへ。急いで電車に乗って田原の町を後にした。


もう来るチャンスもないだろう

関連記事:  国東半島(半島だから)
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ええじゃないか

2017-11-11 | Weblog
豊橋は、ええじゃないか発祥の地だという。ほんまかいな? 駅の観光案内所で聞いたら、発祥の地は
歩いて15分ぐらいの牟呂八幡宮で、他に豊橋の名物といったら竹輪とカレーうどんと手筒花火がある。
さっそく、駅の西口から牟呂八幡宮まで歩いてみた。


駅を背にまっすぐどこまでも行く

東口にはバス乗り場もあれば、路面電車(市電)も走っている。そっちではなく、西口のほうはがらん
としている。海に向かう平坦な道をゆく。海まで3kmはありそうだから、陸しか見えない。


五角形の歩道橋を渡って進む

ほんとうにこっちでだいじょうぶかな? と不安になるころ、五差路にでる。五角形の歩道橋があった。
それを渡って、さらに直進(ちょっと曲がるけど)する。


高い木が生えているほうへ……

歩いて15分ということは、距離にして1kmぐらいだろうから、進みすぎじゃないかなと思ったところで
高い木のあるほうへ向きを変える(右)と参道があった。ノボリもある。


参道を進むと目的地があった

ここが、ええじゃないか発祥の地? なんでかというと、神主をつとめる森田家が所蔵する文書『留記』
が平成のはじめごろ発見されて、そこにある慶応3年7月14日のお札降りの記載がいちばん早いから
豊橋市をあげて発祥の地で町おこしを図っている。


ええじゃないか発祥150周年

慶応3年(1867年)7月14日のことだった。牟呂大西町の多治郎屋敷に伊勢の外宮のお札が
降ってきた。翌日も近くにお札が降った。牟呂村では2日3晩の祭礼を牟呂八幡宮で行うことに
なった。男は女装、女は男装して踊る様子を描いた浮世絵が残っている。


「3百年は大豊年~♪」と

みんな歌ったし踊ったし、ええじゃないか!と騒いだ。隣の村が真似て、それをまた真似たのが、
東海道の吉田宿の人々だった。東西交通の要衝の騒ぎは全国に伝播した。


150年後は実質賃金低下騒ぎ

大豊年は3百年も続かず、あべこべに大不況が30年も続きそうだし、経済政策は失敗してるけど
ええじゃないか!ええじゃないか!の声はきこえてこなかった。
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蒲郡

2017-11-06 | Weblog
東海道本線の蒲郡のとなりの三河三谷でおりて、天気もいいし気持ちがいいので海のほうへ歩くと
自然と神社にでた。八釼神社(やつるぎじんじゃ)というらしい。


いかにも亀の形をした石があった

ここも浦島伝説の場所だろうか。やっぱり「浦島太郎伝説」という立て札があった。読んでみたら、
おとぎ話でよく知られている浦島太郎のものがたりと、ちょっと違った。


三谷に伝わる浦島太郎伝説

漁師の太郎が浜に出ると波打ち際で亀が息も絶え絶えに打ち寄せられていた。
               ↓
子どもたちにいじめられている亀を助けたわけではなく、亀は勝手に弱っていた。


浦島太郎は亀に霊薬を飲ませた

助けた亀につれられて竜宮城で歓待をうけ、みやげにもらった玉手箱には塩が。
一緒にもらった巻物には塩の製法が記されていた。
                ↓
玉手箱を開けても白い煙は出なかったし浦島太郎はおじいさんにならなかった。
塩の製法をもたらした浦島太郎はとても感謝された。


乗ると長生き致します

こんな由緒のある浦島太郎の伝記を広く世に伝えようと、明治元年に土地の古老が石で大亀を作ったが、
たびたび津波や高潮などで場所を転々としたのち、いまは八劔神社の境内に置かれていて、亀に乗った
参拝者は長寿を得て喜んでいる……と書いてあるので、乗っておいた。


知ってる話となんかちょっと違う

神社をあとにして、蒲郡はこっちかな? という方向へ、のんびり歩いていく。亀が息も絶え絶えに
打ち寄せられていても、目薬ぐらいしか持ってないから何もしてあげられない。


竹島ファンタジー館をみつけた

なんか聞いたことあると思ったら、昔ほりのぶゆきの『旅愁マスク 観光系』というマンガで読んだ。
ちょっと寄って行こう。


貝と石のテーマパーク Welcome!!

蒲郡ファンタジー館として1983年にオープンしたが、2010年に惜しまれつつ閉館。それから
2014年に竹島ファンタジー館として営業を再開した。(それはまた、どうして?)


入場料1000円を払って中へ

貝殻と石と珊瑚で何でも作ってある! 世界110か国から集められた約55000000個(漢字で
書くと、五千五百万個)の貝殻が使われているという。


この花(?)も貝殻だし


この魚も貝殻で作られているし


ひとりで見てると何か寂しいし


亀を助けてないのに竜宮城へ?


やっぱりそうか……!


おんせんまんじゅう(?)もらった

途中で5つのキャラクターをみつけて出口でスタンプを順番通り5つ並べて押したら、釣り竿を
渡されてコレ釣った。景品にもらった。おんせんまんじゅう、といっていたような。


きっと、あれが竹島というわけか

竹島ファンタジー舘をあとにして、海辺に出てみると小島があった。江の島のように橋が渡して
ある。江の島のように島じゅう神社になっているんだろう。


とりあえず竹島までは行ってみた

案の定、神社になっていた。想像通りだったので、特に何がどうということもなく渡って戻ってきた。
そのあと蒲郡駅まで歩いて、また電車に乗った。

関連記事:  浦島急行
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