うちの小学生が夏休みの自由課題とやらで、金閣寺のことを調べたり、金閣寺のプラモデルを
作ったりしている(上の写真)ので、それなら本物を見せようと思って連れていった。
金閣寺が見えてきた
「鹿苑寺 通称 金閣寺」と、わざわざ門に掲げてある。お寺のいいぶんによると、お釈迦様のお骨
(仏舎利)を祀った舎利殿「金閣」が特に有名なため金閣寺と呼ばれているが、正しくは鹿苑寺。
「ろくおんじ」って読むみたい。
2011年夏の金閣(左)と、2009年冬の金閣(右)
……ちょっと縮んだ? そんなわけないか。室町幕府の三代将軍・足利義満が皇室を乗っ取ろうと
本気で考えて、権力の象徴として作ったのが金閣だということまでは、さすがに小学生では調べが
及ばないようだけど、そこは黙って見せておく。
横から見た金閣と、裏から見た金閣
1階は寝殿造り風で公家の象徴、2階は武家造りで武家の象徴、3階は禅宗様の仏殿風で
「究竟頂」と呼ばれ、出家した義満の象徴。つまり「公家よりも武家よりもオレが究極にエライ」
ことを表わす建築で、ご丁寧に屋根には聖天子の光臨を示す鳳凰まで飾られている。
遠くで眺める金閣
「出る杭は打たれる」のが日本の恐ろしさ、皇室の乗っ取りが完成する一歩手前でちょうどよく
(たぶん暗殺で)義満が急死して、贈られた法号が「鹿苑院殿」だから鹿苑寺。さぞかし無念で
あったろう。そのへん小学生には黙ってるつもりだったけど、少し洩らしたかも。
義満公お茶の水
驚いたことに、見物客の半分以上が中国人だった。ど派手なキンキラキンの世界遺産にまつわる
皇室と武家のドロドロした確執の凄まじさ、わかるかな? わかんねぇだろうなぁ……。京都って
そういう怖いところだらけ。ちなみに小学生は「金閣寺ファンになった」そう。
方丈が特別公開されていたから見学する
金閣を眺めるために作られたといってもいい、四畳半の建物。そして庭。やがて訪れる人が
増えると、四畳半の一間じゃ足りなくなって、六部屋もある立派な建物になってしまった。
カメラに収まらない
庭に大きめの松を植えて、わざわざ遠近感を錯覚するようにしてあり、松越しに眺める金閣が
遠くにあるように見せる工夫がしてある(とボランティアの人が説明してくれた)。
その眺めがこちら
手前に手洗い用の水が張ってあるが、微妙に届きそうで届かない。実は手を洗う水と見せかけて
本当は月を映して眺めるためのもの(とボランティアの人が説明してくれた)。
じかに見ると体に障るから
「陸舟の松」といって、義満が盆栽で愛でた松が600年で大きく育ち、舟のかたちになっていると。
枯山水の庭は日本海を表わし、その向こうは明。さらに向こうの金閣は天竺のヒマラヤを表わし、
金閣の2階と3階の金箔は夕陽に映えるヒマラヤを表現している(とボランティアの人は語った)。
陸舟の松
「昔から日本は外国と戦争すると貧しくなる。貿易すると豊かになる。足利義満は貿易で儲けて
金閣を建てた。税金じゃないんですよ。だから恨まれなかったし、いくさで火矢を放たれることが
なかったから、京のお寺がみんな焼けても金閣は残った」(ボランティアの人の説明)
それなのに昭和25年に僧が放火して焼けてしまった。諸行無常。
菩提樹
小学生を連れてるから、ボランティアの人がサービスでいろいろ教えてくれる。菩提樹の実が
葉っぱの真ん中に実る、という衝撃の事実を明かした上に、こっそり葉っぱを1枚くれたり。
(勝手にとっちゃいけないんだろうけど、くれるならもらおう)
こういうふうに実がなる!
金閣寺なんてベタな観光地だと思って、中学生か高校生ぐらいから長らく関心ゼロだったけど、
いろいろ興味深いことあるね。
菩 提 樹 は な ぜ 、葉 っ ぱ の 真 ん 中 に 実 が な る の ?
作ったりしている(上の写真)ので、それなら本物を見せようと思って連れていった。
金閣寺が見えてきた
「鹿苑寺 通称 金閣寺」と、わざわざ門に掲げてある。お寺のいいぶんによると、お釈迦様のお骨
(仏舎利)を祀った舎利殿「金閣」が特に有名なため金閣寺と呼ばれているが、正しくは鹿苑寺。
「ろくおんじ」って読むみたい。
2011年夏の金閣(左)と、2009年冬の金閣(右)
……ちょっと縮んだ? そんなわけないか。室町幕府の三代将軍・足利義満が皇室を乗っ取ろうと
本気で考えて、権力の象徴として作ったのが金閣だということまでは、さすがに小学生では調べが
及ばないようだけど、そこは黙って見せておく。
横から見た金閣と、裏から見た金閣
1階は寝殿造り風で公家の象徴、2階は武家造りで武家の象徴、3階は禅宗様の仏殿風で
「究竟頂」と呼ばれ、出家した義満の象徴。つまり「公家よりも武家よりもオレが究極にエライ」
ことを表わす建築で、ご丁寧に屋根には聖天子の光臨を示す鳳凰まで飾られている。
遠くで眺める金閣
「出る杭は打たれる」のが日本の恐ろしさ、皇室の乗っ取りが完成する一歩手前でちょうどよく
(たぶん暗殺で)義満が急死して、贈られた法号が「鹿苑院殿」だから鹿苑寺。さぞかし無念で
あったろう。そのへん小学生には黙ってるつもりだったけど、少し洩らしたかも。
義満公お茶の水
驚いたことに、見物客の半分以上が中国人だった。ど派手なキンキラキンの世界遺産にまつわる
皇室と武家のドロドロした確執の凄まじさ、わかるかな? わかんねぇだろうなぁ……。京都って
そういう怖いところだらけ。ちなみに小学生は「金閣寺ファンになった」そう。
方丈が特別公開されていたから見学する
金閣を眺めるために作られたといってもいい、四畳半の建物。そして庭。やがて訪れる人が
増えると、四畳半の一間じゃ足りなくなって、六部屋もある立派な建物になってしまった。
カメラに収まらない
庭に大きめの松を植えて、わざわざ遠近感を錯覚するようにしてあり、松越しに眺める金閣が
遠くにあるように見せる工夫がしてある(とボランティアの人が説明してくれた)。
その眺めがこちら
手前に手洗い用の水が張ってあるが、微妙に届きそうで届かない。実は手を洗う水と見せかけて
本当は月を映して眺めるためのもの(とボランティアの人が説明してくれた)。
じかに見ると体に障るから
「陸舟の松」といって、義満が盆栽で愛でた松が600年で大きく育ち、舟のかたちになっていると。
枯山水の庭は日本海を表わし、その向こうは明。さらに向こうの金閣は天竺のヒマラヤを表わし、
金閣の2階と3階の金箔は夕陽に映えるヒマラヤを表現している(とボランティアの人は語った)。
陸舟の松
「昔から日本は外国と戦争すると貧しくなる。貿易すると豊かになる。足利義満は貿易で儲けて
金閣を建てた。税金じゃないんですよ。だから恨まれなかったし、いくさで火矢を放たれることが
なかったから、京のお寺がみんな焼けても金閣は残った」(ボランティアの人の説明)
それなのに昭和25年に僧が放火して焼けてしまった。諸行無常。
菩提樹
小学生を連れてるから、ボランティアの人がサービスでいろいろ教えてくれる。菩提樹の実が
葉っぱの真ん中に実る、という衝撃の事実を明かした上に、こっそり葉っぱを1枚くれたり。
(勝手にとっちゃいけないんだろうけど、くれるならもらおう)
こういうふうに実がなる!
金閣寺なんてベタな観光地だと思って、中学生か高校生ぐらいから長らく関心ゼロだったけど、
いろいろ興味深いことあるね。
菩 提 樹 は な ぜ 、葉 っ ぱ の 真 ん 中 に 実 が な る の ?
よく用事でテレビ朝日に行くんだけど、いつも受付の前のスペースに番組にちなんだ展示があって、
なかなか楽しい。約束の時間より早く行って、その時期の展示を眺めたり、ショップに寄ったりして
遊んでいる。(用がなくてもCafe Maduでお茶を飲んだりして)
春休みや夏休み時期は、やっぱりドラえもんの展示になるみたい。上の写真は今年3/10に撮影した
ドラえもん映画の巨大な鉄人兵(ブロックで出来てる)なんだけど、次の日に東日本大震災があった
から、たぶん「倒れると危ない」ということで撤去されたんじゃないかな?
ジャイアンリサイタル
夏休みになったら、「巨大な展示は危ない」という判断なのか、春休みの展示と趣が違う昭和な演出。
どっちかというと、こういうほうが好きだなあ。
しずかちゃん芝生に正座
よく見ると、ひざのあたりに「さわらないでね」って書いてある。エッチなこと禁止……という意味じゃ
ないだろうけどね。空き地の土管って見なくなった。ブロック塀も。どこへ消えたんだろう。
床にドラえもんの鈴、ドラミちゃんの手、etc...
どこまでも安全設計で、もしや3/11に巨大なブロックの鉄人兵が「あわや」ということになったのかと
あらぬ想像がふくらむ。ぼくの悪い癖。 ( テレ朝だけに 『相棒』 の名台詞 )
外では夏祭りイベント
六本木ヒルズが、そりゃもう大騒ぎさ。ゲリラ豪雨は降ってくるわ強風は吹きまくるわ、稲妻は光るわ
雷鳴は轟くわ、たまにグラッと揺れるわピタッと止まるわ、えらい盛り上がり。
プロのスナイパー?
射的、金魚すくい、ヨーヨー釣り……麻布十番祭りが節電のため中止になった、まさにその時期に
目と鼻の先の六本木ヒルズでお祭りをやっている。ふしぎな東京だいすきww!
雨上がりの交差点にアナウンサーっぽい人が立つ
モニターで豪雨の映像を流してたから、天気予報コーナーの生本番かな。時間と場所を考えると
『報道ステーション』だろうね。映ってないけど警備員さんがガードを固めて、人払いをしていた。
なかなか楽しい。約束の時間より早く行って、その時期の展示を眺めたり、ショップに寄ったりして
遊んでいる。(用がなくてもCafe Maduでお茶を飲んだりして)
春休みや夏休み時期は、やっぱりドラえもんの展示になるみたい。上の写真は今年3/10に撮影した
ドラえもん映画の巨大な鉄人兵(ブロックで出来てる)なんだけど、次の日に東日本大震災があった
から、たぶん「倒れると危ない」ということで撤去されたんじゃないかな?
ジャイアンリサイタル
夏休みになったら、「巨大な展示は危ない」という判断なのか、春休みの展示と趣が違う昭和な演出。
どっちかというと、こういうほうが好きだなあ。
しずかちゃん芝生に正座
よく見ると、ひざのあたりに「さわらないでね」って書いてある。エッチなこと禁止……という意味じゃ
ないだろうけどね。空き地の土管って見なくなった。ブロック塀も。どこへ消えたんだろう。
床にドラえもんの鈴、ドラミちゃんの手、etc...
どこまでも安全設計で、もしや3/11に巨大なブロックの鉄人兵が「あわや」ということになったのかと
あらぬ想像がふくらむ。ぼくの悪い癖。 ( テレ朝だけに 『相棒』 の名台詞 )
外では夏祭りイベント
六本木ヒルズが、そりゃもう大騒ぎさ。ゲリラ豪雨は降ってくるわ強風は吹きまくるわ、稲妻は光るわ
雷鳴は轟くわ、たまにグラッと揺れるわピタッと止まるわ、えらい盛り上がり。
プロのスナイパー?
射的、金魚すくい、ヨーヨー釣り……麻布十番祭りが節電のため中止になった、まさにその時期に
目と鼻の先の六本木ヒルズでお祭りをやっている。ふしぎな東京だいすきww!
雨上がりの交差点にアナウンサーっぽい人が立つ
モニターで豪雨の映像を流してたから、天気予報コーナーの生本番かな。時間と場所を考えると
『報道ステーション』だろうね。映ってないけど警備員さんがガードを固めて、人払いをしていた。
あまり会社に行くのが好きじゃないので、どうしても気分が乗らない日などは、わざわざ遠回りして
意味もなく散歩してから、脚を休めるために……と自分を納得させて職場に立ち寄る。
そんなことを繰り返している、夏のある日。ゆりかもめに乗って、人の波に流されるように台場駅で
下車すると、「ガンダム→」という貼紙が目に入った。それだけ。
…バラバラじゃないか!
「ガンダム→」という、手書きの貼紙が示すほうへ流れていくと、フジテレビお台場合衆国とかいう
大イベントに引き寄せられていく善男善女の群れとは別に、確固たる足取りでプロムナード公園に
向かう人々が存在する。
うれしそうな悲しそうな表情でガンダムを見る人々
シャアなら「連邦のV作戦、噂には聞いていたが実在していたとはな」とつぶやきを漏らすだろうし、
アムロの実父テム・レイなら「何をしている、避難民よりガンダムが先だ!」と叫ぶだろうと思われる
そんな光景。お台場って、たしかに東京のサイド7みたいな辺境だよね。
ビームサーベルが土管みたい! 手に乗る人も
2年前、このガンダムが組み立てられてお台場の公園に立っている姿を、ゆりかもめから見たことある。
「等身大」って、確かに設定通り18mなんだけど、少し言い方おかしくないかと思ったことも忘れていない。
それがいま、こんな無残な姿に……。
自転車を必死で漕ぐと、ガンダムの目が少し光る
8月13日から21日までやっている、「お台場ガンダムプロジェクト2011」というイベントだったらしい。
フジテレビお台場合衆国とは関係なく、ひっそりガンダムの残骸を取り囲む人々はどこから来て、
どこへ行くのだろう? ぼくは仕方ないから、脚を休めに会社へ行こう。
関連記事:ガンダムカフェ(Dec.2010)
意味もなく散歩してから、脚を休めるために……と自分を納得させて職場に立ち寄る。
そんなことを繰り返している、夏のある日。ゆりかもめに乗って、人の波に流されるように台場駅で
下車すると、「ガンダム→」という貼紙が目に入った。それだけ。
…バラバラじゃないか!
「ガンダム→」という、手書きの貼紙が示すほうへ流れていくと、フジテレビお台場合衆国とかいう
大イベントに引き寄せられていく善男善女の群れとは別に、確固たる足取りでプロムナード公園に
向かう人々が存在する。
うれしそうな悲しそうな表情でガンダムを見る人々
シャアなら「連邦のV作戦、噂には聞いていたが実在していたとはな」とつぶやきを漏らすだろうし、
アムロの実父テム・レイなら「何をしている、避難民よりガンダムが先だ!」と叫ぶだろうと思われる
そんな光景。お台場って、たしかに東京のサイド7みたいな辺境だよね。
ビームサーベルが土管みたい! 手に乗る人も
2年前、このガンダムが組み立てられてお台場の公園に立っている姿を、ゆりかもめから見たことある。
「等身大」って、確かに設定通り18mなんだけど、少し言い方おかしくないかと思ったことも忘れていない。
それがいま、こんな無残な姿に……。
自転車を必死で漕ぐと、ガンダムの目が少し光る
8月13日から21日までやっている、「お台場ガンダムプロジェクト2011」というイベントだったらしい。
フジテレビお台場合衆国とは関係なく、ひっそりガンダムの残骸を取り囲む人々はどこから来て、
どこへ行くのだろう? ぼくは仕方ないから、脚を休めに会社へ行こう。
関連記事:ガンダムカフェ(Dec.2010)
鹿に化身した文殊菩薩が、信仰篤い猟師に矢を射させて、いで湯の在り処と効き目を教えた
ことから、鹿教湯(かけゆ)と名づけられたそうな。うそかまことか、800年の歴史を持つという
信州の古びた温泉宿を、家族連れで訪ねてみたんじゃ。
松本から路線バスで約50分ほど
山間の温泉地で、バスは1日2本。それも平日だけ。土日祝は予め頼むと町がマイクロバスを
出してくれる。上田との間には何本か路線バスが走っているが、約70分かかるらしい。そして、
最寄のコンビニまではクルマで30分かかるのじゃ。
梅雨どきはホタルが出るそうな
こういうところで、なにもしないで、家族で静かにお盆を過ごしてみようということになったのじゃ。
仕事も家事も忘れて、学校も受験も忘れて、おじいちゃん、おばあちゃんのことは忘れないけど、
孫の夏休みは長いから慌てない慌てない、一休み一休み。
このへんで鹿が猟師に温泉を教えた(?)
左の建物が源泉跡、共同浴場「文殊の湯」じゃ。ここから上り坂に沿って両側に温泉宿が並ぶ。
その他は特に何もない。みやげ、クスリ、甘味処、そばや、などは何軒かある。
散歩ぐらいしかすることがない
持ってきた本を読んでしまったとき、湯上りにそぞろ歩いて週刊誌のお盆特大号まとめ買いしたら、
みやげ店の息子に化身した文殊菩薩に救われた気がした。
川辺の石段を上がっていくと、その文殊菩薩のお堂があった
東京なんかに比べると、昼間も森の中は涼しい。朝夕は窓を開けたまま寝てると寒いくらい。
それでも、宿の人は「暑いですね」って言う。……そんなもんかな?
いい感じ屋根が苔むす薬師堂
朝食と夕食は宿で「これでもか!」と出るので、それがしも受けて立つ覚悟で臨んでいるが、
昼食は出ないから散歩ついでに何とかしないと。
石挽き十割そば、であるか
ごく普通の民家(古め)の玄関に「こんにちは……」とお邪魔して、居間にズカズカ進んだら
人々がこんなふうにそば食べてる。ちょっと不思議なので、怖気づいて帰る人も。
畳に絨毯を敷いてテーブルとイスを置いて
わりと長いこと待つ、みたいな感じ?
おじさん目がキラキラしてた。そば打つの大好き、天ぷら揚げるの大好き、って顔してるから
十割の田舎そばに天ぷら付けてもらった。他のお客さんが、おばさんに「おそばだけじゃ、
ちょっと淋しいわよね?」と聞いたから、さぁ大変。
自慢の天ぷらは野菜と果物、500円
「そんなことないですよ、おそばの香りを楽しんで食べていただくには、おそばには十割で
更科、盛り、田舎と3種類ありますから、それぞれ味わっていただけたら嬉しいですしね、
天ぷらは天ぷらで心を込めてますから注文いただけたら嬉しいです」
おじさんの顔に書いてあることを、おばさんが日本語に通訳する。
おばさんのおすすめは田舎そば、1100円
ぶっといの出てくるかと思ったら、案外お上品な切り方のおそばで、かまずにのんでも大丈夫。
おいしい、おいしい。東京だと量が半分ぐらいの見当だから、2枚とか注文しそうになるけど、
1枚にしといてよかった。お腹いっぱい。
お薬師さんの壷から水でとるわ
同じ森の中でもウロウロしないと、運動不足で夕飯が入らへんわ。なんで関西弁やねん。
盆踊りは夕立に降られて、鹿教湯温泉交流センター(屋内)でやってたけど、驚いたことに
かき氷とか焼鳥とかお酒とか、地元の人だけじゃなくて余所者にも無料で配るのね。
飲用泉
なーんにもない、いい意味で「陸の孤島」みたいなところ。隠れ切支丹の遺物でもあるかと
思ったけど、そういうことでもないみたい。
あやしくないもんね
のんびり都会を忘れるのに向いている。でも、松本から特急に乗って雑然とした新宿に戻るころ
心底ホッとするのはなんでだろう。
ことから、鹿教湯(かけゆ)と名づけられたそうな。うそかまことか、800年の歴史を持つという
信州の古びた温泉宿を、家族連れで訪ねてみたんじゃ。
松本から路線バスで約50分ほど
山間の温泉地で、バスは1日2本。それも平日だけ。土日祝は予め頼むと町がマイクロバスを
出してくれる。上田との間には何本か路線バスが走っているが、約70分かかるらしい。そして、
最寄のコンビニまではクルマで30分かかるのじゃ。
梅雨どきはホタルが出るそうな
こういうところで、なにもしないで、家族で静かにお盆を過ごしてみようということになったのじゃ。
仕事も家事も忘れて、学校も受験も忘れて、おじいちゃん、おばあちゃんのことは忘れないけど、
孫の夏休みは長いから慌てない慌てない、一休み一休み。
このへんで鹿が猟師に温泉を教えた(?)
左の建物が源泉跡、共同浴場「文殊の湯」じゃ。ここから上り坂に沿って両側に温泉宿が並ぶ。
その他は特に何もない。みやげ、クスリ、甘味処、そばや、などは何軒かある。
散歩ぐらいしかすることがない
持ってきた本を読んでしまったとき、湯上りにそぞろ歩いて週刊誌のお盆特大号まとめ買いしたら、
みやげ店の息子に化身した文殊菩薩に救われた気がした。
川辺の石段を上がっていくと、その文殊菩薩のお堂があった
東京なんかに比べると、昼間も森の中は涼しい。朝夕は窓を開けたまま寝てると寒いくらい。
それでも、宿の人は「暑いですね」って言う。……そんなもんかな?
いい感じ屋根が苔むす薬師堂
朝食と夕食は宿で「これでもか!」と出るので、それがしも受けて立つ覚悟で臨んでいるが、
昼食は出ないから散歩ついでに何とかしないと。
石挽き十割そば、であるか
ごく普通の民家(古め)の玄関に「こんにちは……」とお邪魔して、居間にズカズカ進んだら
人々がこんなふうにそば食べてる。ちょっと不思議なので、怖気づいて帰る人も。
畳に絨毯を敷いてテーブルとイスを置いて
わりと長いこと待つ、みたいな感じ?
おじさん目がキラキラしてた。そば打つの大好き、天ぷら揚げるの大好き、って顔してるから
十割の田舎そばに天ぷら付けてもらった。他のお客さんが、おばさんに「おそばだけじゃ、
ちょっと淋しいわよね?」と聞いたから、さぁ大変。
自慢の天ぷらは野菜と果物、500円
「そんなことないですよ、おそばの香りを楽しんで食べていただくには、おそばには十割で
更科、盛り、田舎と3種類ありますから、それぞれ味わっていただけたら嬉しいですしね、
天ぷらは天ぷらで心を込めてますから注文いただけたら嬉しいです」
おじさんの顔に書いてあることを、おばさんが日本語に通訳する。
おばさんのおすすめは田舎そば、1100円
ぶっといの出てくるかと思ったら、案外お上品な切り方のおそばで、かまずにのんでも大丈夫。
おいしい、おいしい。東京だと量が半分ぐらいの見当だから、2枚とか注文しそうになるけど、
1枚にしといてよかった。お腹いっぱい。
お薬師さんの壷から水でとるわ
同じ森の中でもウロウロしないと、運動不足で夕飯が入らへんわ。なんで関西弁やねん。
盆踊りは夕立に降られて、鹿教湯温泉交流センター(屋内)でやってたけど、驚いたことに
かき氷とか焼鳥とかお酒とか、地元の人だけじゃなくて余所者にも無料で配るのね。
飲用泉
なーんにもない、いい意味で「陸の孤島」みたいなところ。隠れ切支丹の遺物でもあるかと
思ったけど、そういうことでもないみたい。
あやしくないもんね
のんびり都会を忘れるのに向いている。でも、松本から特急に乗って雑然とした新宿に戻るころ
心底ホッとするのはなんでだろう。
あついときは美術館・博物館にかぎりますな。涼しさが得られて、感動が得られて、ときには
アッとおどろく知識が得られて、何時間いても延長料金なし。
空いてる平日なんて最高です。職場より快適なことは間違いない。そこで今回は、上野にある
東京国立博物館にやってきました。特別展「孫文と梅屋庄吉」をみるためです。
誰モ見テイナイ写真
……「誰も見ていない」わけないんですけど、清朝が衰えて1911年に中華民国ができてから、
ちょうど100年。それはもう珍しい写真がいっぱいです。
孫文は中華民国(いまの台湾につながる政府)の最初の臨時指導者で、わりとすぐ権力の座を
追われて、若いときに留学したことがある日本へ亡命してきた人。梅屋庄吉は、生涯を通じて
孫文を支えた日本人で、映画会社「日活」の創始者だそうです。
国立博物館は建物が立派
まだ当時は日活がロマンポルノを作る前で、日本と清朝・中華民国のあいだを行き来するのに
パスポートがいらない時代だったらしく、富国強兵まっしぐらの日本に中国の志ある若者たちが
いっぱい留学してきた(というより活動家として潜伏してきた)みたい。
中国の近代化は彼らのおかげで、人民共和国の中国共産党は漁夫の利を得ていばっている
ようなものかもしれません。
日本美術の流れ?
特別展「孫文と梅屋庄吉」をじーっくり見物して出ると、先ほどの立派な階段の上では、こんな
ざっくりしたテーマの展示が行われており、なんの気なしに足を踏み入れてみたら広さも点数も
圧倒的にこっちの展示のほうが上回っている。しかも、一部を除き撮影OK!
古代から近世まで日本の文物が勢ぞろい
初めてきたわけじゃないんだけど、特別展のついでに目にするには、量が多すぎるというか
気前よすぎるというか……大丈夫なんでしょうか?
そして空いてるから、ゆっくり鑑賞できる
いちおう平日なので、最終的には仕事場に戻らなくちゃいけないんだけど、こんなにいろいろ
並べてあると時間がいくらあっても足りない。困った困った。
……なんだこれ
日本文化を吸収しすぎてお腹がいっぱいになったので、デザートとして近くの国立西洋美術館で
「古代ギリシャ展」をみていく。
別腹ですからね
こっちのほうが混んでいる。しかしね、本当は日本の文物のほうが見ごたえあるかもしれない。
大英博物館から持ってきている品が、偏っている。(しかたないことだけど)
常設展もみていく
どうして日本に西洋美術がこんなにいっぱいあるだろうっていうくらい、常設展はすごい。
企画展をみなければ420円で入れちゃう。ベンチやソファに座って本を読んでも叱られない。
ますます仕事をしにいくのが遅くなってゆく……。
こういう門をくぐる思い
おいら、ちゃんとやることやっといたから見逃しておくれよ。
アッとおどろく知識が得られて、何時間いても延長料金なし。
空いてる平日なんて最高です。職場より快適なことは間違いない。そこで今回は、上野にある
東京国立博物館にやってきました。特別展「孫文と梅屋庄吉」をみるためです。
誰モ見テイナイ写真
……「誰も見ていない」わけないんですけど、清朝が衰えて1911年に中華民国ができてから、
ちょうど100年。それはもう珍しい写真がいっぱいです。
孫文は中華民国(いまの台湾につながる政府)の最初の臨時指導者で、わりとすぐ権力の座を
追われて、若いときに留学したことがある日本へ亡命してきた人。梅屋庄吉は、生涯を通じて
孫文を支えた日本人で、映画会社「日活」の創始者だそうです。
国立博物館は建物が立派
まだ当時は日活がロマンポルノを作る前で、日本と清朝・中華民国のあいだを行き来するのに
パスポートがいらない時代だったらしく、富国強兵まっしぐらの日本に中国の志ある若者たちが
いっぱい留学してきた(というより活動家として潜伏してきた)みたい。
中国の近代化は彼らのおかげで、人民共和国の中国共産党は漁夫の利を得ていばっている
ようなものかもしれません。
日本美術の流れ?
特別展「孫文と梅屋庄吉」をじーっくり見物して出ると、先ほどの立派な階段の上では、こんな
ざっくりしたテーマの展示が行われており、なんの気なしに足を踏み入れてみたら広さも点数も
圧倒的にこっちの展示のほうが上回っている。しかも、一部を除き撮影OK!
古代から近世まで日本の文物が勢ぞろい
初めてきたわけじゃないんだけど、特別展のついでに目にするには、量が多すぎるというか
気前よすぎるというか……大丈夫なんでしょうか?
そして空いてるから、ゆっくり鑑賞できる
いちおう平日なので、最終的には仕事場に戻らなくちゃいけないんだけど、こんなにいろいろ
並べてあると時間がいくらあっても足りない。困った困った。
……なんだこれ
日本文化を吸収しすぎてお腹がいっぱいになったので、デザートとして近くの国立西洋美術館で
「古代ギリシャ展」をみていく。
別腹ですからね
こっちのほうが混んでいる。しかしね、本当は日本の文物のほうが見ごたえあるかもしれない。
大英博物館から持ってきている品が、偏っている。(しかたないことだけど)
常設展もみていく
どうして日本に西洋美術がこんなにいっぱいあるだろうっていうくらい、常設展はすごい。
企画展をみなければ420円で入れちゃう。ベンチやソファに座って本を読んでも叱られない。
ますます仕事をしにいくのが遅くなってゆく……。
こういう門をくぐる思い
おいら、ちゃんとやることやっといたから見逃しておくれよ。
なにを隠そう大学でいっぱい入ったサークルのなかに「古代オリエント研究会」もあって、
すぐ幽霊会員になったとはいえ、その後もここへは再三にわたり足を運んでいる。
池袋サンシャインシティにある古代オリエント博物館。なにを隠そう8/4にリニューアル
オープンしたばかりのサンシャイン水族館を見ようと、子供の手を引いてやってきたら、
予想していたとはいえ長い行列ができていて「2時間待ち」と聞いたから、急遽こっちへ
流れてきたわけ。
くらげトンネル (イメージ)
ディ〇ニーランドじゃあるまいし、2時間も待てるか! ということで隣のプラネタリウム
(7/7にリニューアルオープンしたばかり)で夕方からのチケットを買い、時間になるまで
古代オリエント博物館でゆっくりしようと。
プラネタリウムのチケット
売場も長蛇の列
15分ぐらい並んだのかな? 「宇宙天気予報」というプラネタリウムの演目のチケットを
手に入れて、しばしサンシャインシティのなかを散歩。
二次元のイベントに群がる若者たち
ウルトラマンフェスティバルは親子連れ
いやー、夏休みだねぇ~!! プリキュアのイベントもあるし、昆虫のイベントもあるよ。
そういうのには(親が)目もくれず、まっすぐ古代オリエント博物館に突き進む。
「古代インドにぎやかアート」という企画展をやっていた。体験教室で、粘土代100円を
払うと、インダス式印章をおしたペンダントなどを焼いてくれる。
1)粘土の色を選ぶ
奥にあるのが印章。いまから約4000年前、現在のパキスタンを中心に栄えたインダス文明
で使われていた、石を彫って作られたハンコ。
2)粘土を平らにする
ペンダントにする場合は穴をあける。印章がくっつかないように粉を筆でまぶす。
(作業しているのはうちの子供)
3)印章をおす
取り引きする荷物につけた粘土の荷札や封印に、自分の印をつけるために使われたらしい
けど、詳しいことはわかっていない。印面には一角獣や三つ頭の動物、象や神、人間などが
彫られている。
4)印面を確認
「三つの頭を持つ動物」の印面がおされた。どうして頭が三つあるのか、誰にもわからない。
もしかしたら、動物の頭の動きを表現しているのかもしれない。
5)粘土を焼く
展示を見ているあいだに、ホットプレートのようなもので粘土を焼いてくれる。焼き上がり
までにかかる時間は、約15分。ゆっくり見て回っても他の人の粘土板と間違えないように、
鉛筆で台紙にマークなどを描いておく。 (うちのは猫マーク)
水族館には入れなかったけど、100円でいいお土産ができた。
すぐ幽霊会員になったとはいえ、その後もここへは再三にわたり足を運んでいる。
池袋サンシャインシティにある古代オリエント博物館。なにを隠そう8/4にリニューアル
オープンしたばかりのサンシャイン水族館を見ようと、子供の手を引いてやってきたら、
予想していたとはいえ長い行列ができていて「2時間待ち」と聞いたから、急遽こっちへ
流れてきたわけ。
くらげトンネル (イメージ)
ディ〇ニーランドじゃあるまいし、2時間も待てるか! ということで隣のプラネタリウム
(7/7にリニューアルオープンしたばかり)で夕方からのチケットを買い、時間になるまで
古代オリエント博物館でゆっくりしようと。
プラネタリウムのチケット
売場も長蛇の列
15分ぐらい並んだのかな? 「宇宙天気予報」というプラネタリウムの演目のチケットを
手に入れて、しばしサンシャインシティのなかを散歩。
二次元のイベントに群がる若者たち
ウルトラマンフェスティバルは親子連れ
いやー、夏休みだねぇ~!! プリキュアのイベントもあるし、昆虫のイベントもあるよ。
そういうのには(親が)目もくれず、まっすぐ古代オリエント博物館に突き進む。
「古代インドにぎやかアート」という企画展をやっていた。体験教室で、粘土代100円を
払うと、インダス式印章をおしたペンダントなどを焼いてくれる。
1)粘土の色を選ぶ
奥にあるのが印章。いまから約4000年前、現在のパキスタンを中心に栄えたインダス文明
で使われていた、石を彫って作られたハンコ。
2)粘土を平らにする
ペンダントにする場合は穴をあける。印章がくっつかないように粉を筆でまぶす。
(作業しているのはうちの子供)
3)印章をおす
取り引きする荷物につけた粘土の荷札や封印に、自分の印をつけるために使われたらしい
けど、詳しいことはわかっていない。印面には一角獣や三つ頭の動物、象や神、人間などが
彫られている。
4)印面を確認
「三つの頭を持つ動物」の印面がおされた。どうして頭が三つあるのか、誰にもわからない。
もしかしたら、動物の頭の動きを表現しているのかもしれない。
5)粘土を焼く
展示を見ているあいだに、ホットプレートのようなもので粘土を焼いてくれる。焼き上がり
までにかかる時間は、約15分。ゆっくり見て回っても他の人の粘土板と間違えないように、
鉛筆で台紙にマークなどを描いておく。 (うちのは猫マーク)
水族館には入れなかったけど、100円でいいお土産ができた。
「米将軍」と皮肉られている徳川吉宗の倹約・増税のばかばかしさに異をとなえた尾張藩主、
徳川宗春の墓をたずねて、名古屋市千種区の平和公園にやってきた。
地下鉄東山線の星ヶ丘駅でおりて、市営バスを待ち、平和公園(バス停がいくも園内にある)
で適当におりる。
広すぎて、わけがわからない
敗戦後、名古屋市内のお寺から墓という墓を移して、平和公園に10年もかけて集めた結果が
この巨大な霊園だ。徳川御三家・尾張藩主の菩提寺、建中寺の墓も移されている。
地図の写真を撮る人
こうでもしないと絶対、迷う。よく見ると、墓は移される前の寺ごとにまとめて並んでいる。
建中寺の墓は……っと。なんか高い塔をまわりこんだ一角にあるらしい。
ねじりん棒みたいな塔
このまわりをグルグル、グルグル歩いてみたら……あった。「建中寺墓苑」と刻まれた石碑。
ここを探せば、きっと尾張宗春の墓が見つかるはず。
「建中寺墓苑」
もともと土葬だったけど、ここに移されるとき火葬しなおして、副葬品の類は建中寺で保管
しているとか。宗春は吉宗に睨まれて生前は蟄居させられ、死後は墓に金網をかけられた
というからひどい。 (さすがにもう金網は外されているだろう)
…………どれ?
いっそのこと金網かけてあれば一目瞭然なんだけど、いまは金網がないからわかりにくい。
尾張名古屋を繁栄にみちびいた名君なので墓石がいちばん大きいのを探せば、きっとそれが
徳川宗春だと思うけどね。
これかな?
なんて書いてあるか全然わからないけど、いちばん大きい。だからこれに決めた。なあに、
違ったところでかまうもんか。敗戦前に焼夷弾の直撃を受けて、墓石の一部が損壊した
そうだけど、そのあとで修復したのさ。 (たぶんね)
名古屋市のHPの写真
かたちが合っているから、やっぱり尾張宗春の墓でよかったみたい。焼夷弾で壊れたところ、
うまく直してある。
徳川宗春の墓をたずねて、名古屋市千種区の平和公園にやってきた。
地下鉄東山線の星ヶ丘駅でおりて、市営バスを待ち、平和公園(バス停がいくも園内にある)
で適当におりる。
広すぎて、わけがわからない
敗戦後、名古屋市内のお寺から墓という墓を移して、平和公園に10年もかけて集めた結果が
この巨大な霊園だ。徳川御三家・尾張藩主の菩提寺、建中寺の墓も移されている。
地図の写真を撮る人
こうでもしないと絶対、迷う。よく見ると、墓は移される前の寺ごとにまとめて並んでいる。
建中寺の墓は……っと。なんか高い塔をまわりこんだ一角にあるらしい。
ねじりん棒みたいな塔
このまわりをグルグル、グルグル歩いてみたら……あった。「建中寺墓苑」と刻まれた石碑。
ここを探せば、きっと尾張宗春の墓が見つかるはず。
「建中寺墓苑」
もともと土葬だったけど、ここに移されるとき火葬しなおして、副葬品の類は建中寺で保管
しているとか。宗春は吉宗に睨まれて生前は蟄居させられ、死後は墓に金網をかけられた
というからひどい。 (さすがにもう金網は外されているだろう)
…………どれ?
いっそのこと金網かけてあれば一目瞭然なんだけど、いまは金網がないからわかりにくい。
尾張名古屋を繁栄にみちびいた名君なので墓石がいちばん大きいのを探せば、きっとそれが
徳川宗春だと思うけどね。
これかな?
なんて書いてあるか全然わからないけど、いちばん大きい。だからこれに決めた。なあに、
違ったところでかまうもんか。敗戦前に焼夷弾の直撃を受けて、墓石の一部が損壊した
そうだけど、そのあとで修復したのさ。 (たぶんね)
名古屋市のHPの写真
かたちが合っているから、やっぱり尾張宗春の墓でよかったみたい。焼夷弾で壊れたところ、
うまく直してある。