散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

越生

2020-09-20 | Weblog
東武越生線の終点、越生駅で下りると、改札口に「ハイキングのまち越生」と書いてあった。
そういうことなら、たまにはしてみようか……その、ハイキングとやらを。



駅を背に歩き出すとすぐ、「四季の花と香りのまち おごせ」という看板が掲げてあった。
どっちなんだ越生。「ハイキングのまち」か「四季の花と香りのまち」か、
そして越生。「こしう」と読むものと思い込んでたけど「おごせ」と読むのか。
どうして?



とりあえず、そのまんま歩き続けて大観山に登っていく。ハイキングというには、やや
きつすぎる斜面をハァハァいって歩く。マスクなどしてくるのではなかった。
どうせ人とすれ違うこともないのだから……雨だし、はずして片付けるのも面倒だから
そのまんま歩き続けると急な階段にぶつかった。



へいこら登ると、馬魂碑にぶつかった。遠く戦国時代はもとより、明治大正から大東亜戦争まで
幾多の戦火の陰には言葉も持たず戦野に屍を晒してそのままの馬が数知れずいるので、
それらの魂を鎮めるために碑を建てたみたいなことが刻まれている。



馬の霊ばかりではなかった。階段の上には、世界無名戦士之墓なる白亜の建物があった。
よく墓にぶつかるブログだとは思っていたけど、なんだ世界無名戦士の墓って。
大観山の山頂に建てられたこの戦没者慰霊塔は、第二次世界大戦で亡くなった将兵を
敵味方の別なく追悼することを目的として、埼玉県議会副議長を務めていた越生町の医師、
長谷部秀邦が発起人となって昭和24年に建設運動が始められ、昭和33年に海外から集められた
200余の遺骨が収められたそうだ。立て看板にそう書いてあった。



中をのぞくと、やっぱり関東出身者の遺骨が多いみたいだけど、左端のいちばん大きな位牌には、
なぜか石川県戦士之霊と書いてある。その隣の小さな位牌は越生町戦没者の霊。右に3つ並ぶ位牌は
埼玉県戦士之霊、神奈川県無名戦士の霊、東京都無名戦士之霊だ。
目を凝らすと、その手前の小さな位牌にフィリピン戦没霊、ビルマ戦没霊、世界民族の霊とある。
あとは暗くて読めない。



世界のほとんどは関東一円と北陸と東南アジアだった。慰霊塔の上が見晴台になっていて、
越生のまちがよく見渡せるのだった。
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墨田・向島

2020-09-06 | Weblog
風立ちぬ、いざ生きめやも。
そろそろ秋らしくなってくれたらいいのに、と思いつつ隅田公園をうろつくと、堀辰雄の旧居跡という看板にぶつかった。
何に配慮したのか上に紙を貼り、ゆかりの地と訂正してある。
『風立ちぬ』は堀辰雄の小説だけど、ヴァレリーの詩を堀口大學が訳したものを題名に使ってあり、そこからジブリ映画の『風立ちぬ』がイメージを汲んでいるから相当ややこしい。
さらに松田聖子に「風立ちぬ」というヒット曲があるので、こんがらがってしまうのだが、小説の『風立ちぬ』を書いた堀辰雄がこのあたりに、関東大震災のあと家を建てて昭和13年ぐらいまで住んだそうな。
『風立ちぬ』を書いたのは軽井沢に移り住んでからじゃないだろうか。



それまで水害だの地震だので向島を転々としたことが、墨田公園の立て札に書いてある。
地図の が震災後に建てた住居だ。
ふーん……この地図に出てる2つの神社に行ってみよう。



牛嶋神社はヒンズー教の寺院によくある牛の像みたいなのが目立つ。
撫で牛として親しまれ、漱石の『吾輩は猫である』に出てくる人物のモデルとされる淡島寒月がこの牛の目がやさしいとか懐かしいとか随筆に書いたと、神社の立て札に書いてあった。



ずいぶん躍動感のある狛犬さんがあるものだ。
撫で牛よりも、むしろこっちに目を釘付けにされてしまった。いつまでも狛犬ばかり見ているのも何なので、隅田川に沿って歩き、三囲神社に向かう。



三囲神社の「三囲」は、「みめぐり」と読む。
拝殿と本殿のまわりを弊社が取り囲んでいるので、3回めぐるといいのかもしれないが、めんどうだから1回めぐる。



ここの狛犬はなんだか頭数が多いようだ。
というか左右で体数がそろっておらず、対の狛犬の向こうに1体だけ白くて立派そうなのが据えてある。



ライオンじゃないか。
どうみても三越デパートの玄関先にいるライオンじゃないか。
立て札には、池袋の三越が閉店したとき、そこのライオン像が撤去されてこっちにやってきたと書いてある。
あそこの三越いつのまにか家電量販店になっちゃったから。



平成二十一年ということは、もう10年以上も前に池袋の三越は消えたのか。
どうして三越のライオンが三囲神社に来たのかと思えば、三越デパートを経営する三井家が、三囲は三井に通じ三井を守ると考えて江戸時代から三囲神社を守護社にしてるからだと立て札に書いてある。
三井家の本拠の江戸本町から、ここは鬼門の方角にあたる。



デパートは冬の時代だから、どこかの三越がまた閉店したらライオン像もここで左右の対になるかもしれない。
縁起でもないことをいうと何対もここに置かれる日がやってきても不思議じゃない。
とりとめもなくそんなことを思いながら隅田川に沿ってどこまでも、どこまでも歩くつもりが適当なところで切り上げてドトールでコーヒー1杯飲んで帰った。
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