散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

世界貿易センタービル

2010-10-28 | Weblog
ニューヨークの世界貿易センタービルは2001年9月11日に、どういうわけか旅客機が激突して
崩壊したけれども、トーキョーの世界貿易センタービルは浜松町駅前にちゃんと存在する。

駅前には違いないけど、ほとんど駅ビルといった様相を呈している世界貿易センタービルには、
ホッとひと息つくのに打ってつけの穴場が2つある。1階の長距離バスターミナルのベンチと
40階の展望台「シーサイドトップ」だ。1階は無料、40階は大人620円なので使い分けよう。


ワー高い!(浜離宮恩賜庭園)

長距離バスが発着する1階のターミナルは、本なんか読んでると旅気分に浸ることができるので
お気に入りだ。最近、やっぱり多いのは中国人の団体さん。

40階の展望台は、いつも混みすぎないところが素晴らしい。というか大抵の場合、空いている。
ドリンクは自動販売機で買えるし、トイレはあるし、最近ちょっぴりカフェっぽく改装されて
居心地がいい。本なんか読んでると何時間でも過ごせちゃう。


ビルがどーん!(遠くにスカイツリー建設中)

観光バスで乗りつけた団体さん(主に外国人)がドッと押し寄せることも、たまにあるけれど、
みんな20分もしないうちに潮が引くようにいなくなる。静かで眺めがよくて、まさに穴場だ。


海!(お台場がよくみえる)

視界360°、地上152mからの眺めが楽しめる。スカイチャペルクリスタルという一角があって、
ここで結婚式を挙げる人もいるらしい。結構なことなんじゃないの?


東京タワーに沈む夕日

営業時間10:00~20:30(夏季およびクリスマスは延長となる場合あり)だから、日の出は無理だが
日の入りは拝める。長時間、本を読んで過ごすには、日陰になる側に回廊を移動しながら過ごすと
目が疲れなくていいよ。


トワイライト汐留

ほんとは紹介したくなかったんだけど、ここに書いたぐらいでお客さんが殺到するような心配は
ないから、世界貿易センタービル(World Trade Center Building)を詳しく紹介しました。

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東京タワー

2010-10-25 | Weblog
聴こえます。聴こえています。東京タワーのつぶやく声が、この耳に聴こえてくるんです。
通りを歩く人々の胸にも、きっと届いていることでしょう。

「東京スカイツリーが試験的にライトアップされたとかで、随分マスコミで騒がれてるけど、
ぼくなんか先輩として毎晩こんなにライトアップされてるよ」


ほーらね

聴こえます。聴こえています。東京タワーのせつない声が、酔うと最近いつも聴こえます。
~オカンとぼくと、時々、オトン~、主題歌は山下達郎「Foerever Mine」・・・・・・

「リリー・フランキー原作の大ヒット映画『東京タワー』ね。あれもそうだし、西岸良平原作の
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』も泣けたでしょ? ぼくのおかげだから」


333mの鉄塔

なぐさめてあげようと思って、ある夜ぼくは東京タワーのほうへ千鳥足ながら歩いていった。
すぐ近くにあるように思えたけど、歩いていくと逃げていく。

待ってくれ、待ってくれ東京タワー! 遠くに行かないで、いつもの場所に立っていてよ。
東京スカイツリーのことなんか、気にすることないよ。


もうすこしだから

あとすこしで東京タワーだと思ったそのとき、時間がきて東京タワーのイルミネーションが
フッと消えた。
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小石川

2010-10-21 | Weblog
迷子になりたくて、迷子になろうと思って、小石川のあたりを適当に歩き回ったときのことを書いておこう。

どうして小石川かというと、以前このあたりを歩いていて迷子になったことがあるから。
そのときは本郷の東京大学に迷い出た。途中、古い路地がとても印象的だった。


小石川大神宮は伊勢神宮の分社

たぶん気のせいだと思うけど、そのときに比べてマンションが増えているような気がした。
区画整理されると迷子になりにくいので困る。しかし、相続税が払えずに売り地に出したり、
所有したままマンション建てて家賃収入を得ようというのも世の中の流れみたいだから、
たかが日曜日の午後に迷子になりにくいからって文句をいう筋合いでもない。


交通事故の慰霊碑

クルマなんか通らないのに、交通事故で亡くなった子供の慰霊碑があった。高度成長期には
交通ビュンビュンだったのか? そのわりに道幅が狭いけど・・・・・・。


どういう建築?

うまく迷子になることができたらしい。路地から路地へ、なるべく大通りに出ないようにして
クネクネ小石川を歩き回る。ふと見上げると奇妙なお家があったり。迷子なりがいある~!


お寺で祈る人をみた

しかし、どの路地も高層マンションに取り囲まれて、どちらかといえば取り残されたような
取り囲まれ方をしているので、いずれ小石川で迷子になるのも難しくなってしまいそう。


本が道端に出ていた

ちょっと面白そうだから持って帰って読もうかと思ったけど、散歩の邪魔になるのでやめた。
けれども、あとで古本屋さんで『精神病棟の二十年』という本を百円で買って読んだ。
(なんでもいいんだよね読めれば)


あっ共同印刷だ

知ってるところに出てしまった。共同印刷だけじゃなくて、信号機には植物園って書いてある。
小石川植物園だ。むかし徳川吉宗が、目安箱みて小石川療養所つくったところ。


小石川植物園の入口

緑が生い茂ってる方へ歩いていくと、小石川植物園の門が見つかった。いろいろ書いてある。
「入園券は向側の米田商店でお買い求めください」
「園内へのお酒類の持ち込みや、喫煙は禁止です」


これのことか

植物園観覧券販売所、FOODS SHOP YONEDA・・・・・・・。中の人が手を「X」にしてるのは、
まさか撮影しちゃダメと? ここで商売しておいて、それはないでしょう。

このお兄さんからチケットを買って、小石川植物園に入園する。なかなか居心地いいところで、
小石川療養所の当時の井戸もあった。明治維新後すぐ閉鎖され、この井戸が使われることも
なくなったが、関東大震災のときだけは人々の飲み水として役立ったそうな。


植物園の中はこんな感じ
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神楽坂

2010-10-19 | Weblog
神楽坂の駅前に松兵衛という居酒屋があるのを、ごぞんじだったりしますか? しませんね。

昔よく飲みにいったことを思い出して、ほぼ20年ぶりに入ってみました。

ほぼ何も覚えていませんでした。テーブルの配置とかは変わってないようだけど・・・・・・?

懐かしさが込み上げるようなことも特になく、淡々と飲んで2470円払って出ました。

安くて盛りがいいことは理解した。昔よく来たのは安くて盛りがよくて駅前だからか。

学生時代、ラビオリを初めて食べたのが松兵衛だったことは覚えている。

「ラビオリって何?」

「知らないの? 揚げワンタンみたいなやつ」

「注文しようぜ、ラビオリ一丁!」

「なんで揚げワンタンが“ラビオリ”なの?」

「知らない」

「ユダヤ教の聖職者が“ラビ”っていうでしょ。だからじゃない?」

「“オリ”は?」

「わからない」

「なにそれ! “ラビ”と“オリ”がないと“ラビオリ”にならない~」

という会話を、ほぼ20年ぶりに思い出したけど、メニューからラビオリは消えていた。

そんなものさ人生なんてね。
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桶狭間

2010-10-13 | Weblog
「世界の山ちゃん」の“幻の手羽先”もおいしいが、名古屋の手羽先の元祖は「風来坊」なのだそうで、
このことは「世界の山ちゃん」も全面的に認めている。(お店の壁新聞『てばさ記』に書いてあった)

上の写真は「風来坊」の手羽先(2人前)である。このあと揚げ物に飽きて、鶏もも焼きを頼んだら、
なんと立派な唐揚げが出てきて驚いた。どこまでも揚げるお店「風来坊」・・・・・・。

♪ふーらりフラフラ風来坊、風来坊~って歌を知ってるかい? はっぴいえんどだと思うんだけど、
ぼくもよくは知らない。散歩中、ときどき口をついて出てくるだけ。

名古屋から名鉄の名古屋本線に乗って、有松という駅で下りると、あの有名な桶狭間に歩いていける。


有松は東海道沿いの絞り染め産地

『広重の東海道五十三次八十二万歩の旅』(人文社発行)に掲載されている「東海道中案内図」にも、
第40番の鳴海宿のちかくに、有松、志ぼりぞめ、今川義元墓・・・・・・と注記されている。今川義元墓の
あるところが、すなわち“桶狭間の古戦場”で、織田信長の軍勢に今川義元が討ち取られたところ。


いまも絞り染めの店が並ぶ

歩いてみると上り下りの多い土地で、「こりゃ奇襲するのに打ってつけじゃ」と戦国武将でもないのに
ヒゲをひねりたくなる。歴女(歴史好きの女子を最近こう呼ぶらしい)がいっぱい歩いてるかな? と
思ってキョロキョロしたけど、そうでもなかった。米沢のほうが大勢いた。もしかして織田信長より
上杉謙信のほうが人気なのか? GACKTが演じたから? でも謙信は米沢に行かずに死んだし、
「愛」のカブトの直江兼続(妻夫木聡)萌え? それとも前田慶次? あるいは伊達政宗?


ここは桶狭間(の交差点)

誰もいないけど、桶狭間の交差点から駅を背にして坂を上り下りしていけば古戦場に辿り着ける。
案内表示もそれなりに出ているから、迷うこともなさそう。


こうなってますからね

「桶狭間古戦場公園」として整備されていて、まだ幼い子供がヨチヨチ歩きで遊んでいたりする。まさか、
血で血を洗う戦いがこの地で行われて、無念の思いで荒くれ武者が命を落としたとは知らず・・・・・・。


織田信長公


今川義元公


ノーサイド(うらみっこなしよ)

仲良く(?)並んだ2体の銅像、裏に回って銘文を読むと、今年(2010年)のゴールデンウィークに
できたものらしい。なんだ最近じゃん! それまで何もなかったわけ? 桶狭間古戦場公園。

初夏に銅像ができるまでは、今川義元の墓だけが、桶狭間古戦場公園のモニュメントだったみたい。
そりゃ訪れる人も稀だったでしょう。やっと町おこしが始まったところなのね。


今川義元戦死之地の石碑

この横に小さな石があり、コップに花が挿してある。よーく見ると、それが「今川義元墓」そのもの。
「東海道中案内図」に注記されていたのは、公園の隅の小さい墓石のことだった。

桶狭間はこの公園の周囲に広がる丘陵地帯で、古戦場公園は全体が丘陵地帯のジオラマになっている。
今川義元の進軍ルート、織田信長の進軍ルート、徳川家康の進軍ルートを歩くことができる。


戦場のジオラマ解説板


歩くとこんな感じ

公園を出て、ほんの少し(1分ぐらい)歩くと長福寺というお寺がある。今川義元の首実検が行われた
場所に木の札が立っていた。残念ながら杉の木は伊勢湾台風で倒れてしまい、現在は2代目だと。


ここで首実検した

信長を弔う京都の本能寺はそれなりに立派だし、秀吉の墓は高い石段の上から京の町を見下ろしていた。
家康を祀る日光東照宮なんて豪壮そのもので、謙信一族の歴代の廟は左右対称に並んで壮観だった。
それらにくらべて今川義元の墓の簡素なこと。石ひとつに、コップひとつ。

大須でビラを受け取って入ったメイドリフレでこの話をしたら、ほとんど興味を持ってもらえなかった。
そこに桶狭間があること自体、名古屋の人もよく知らないってメガネっ子が肩揉みながら言ってた。




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コンビニ

2010-10-11 | Weblog
中華まん大好評発売中、中華まん大好評発売中、中華まん大好評発売中、中華まん大好評発売中、中華まん大好評発売中、中華まん大好評発売中、クイックマッサージ・・・・・・。

そのコンビニのディスプレイは、まるでドラッグストアのようだった・・・・・・。
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米沢

2010-10-09 | Weblog
米沢では、狐が嫁入りしていた。

駅前からヨネザアド号という巡回バス(右回りが青、左回りは黄色)が出るところだったので、
ともかく乗り込んだ。料金は200円均一。


一日乗車券は500円だよ。

御廟所西口でバスを降りる。そこに、上杉謙信から12代まで歴代の当主が眠る「上杉家御廟所」がある。
謙信、景勝、定勝、綱勝、綱憲、吉憲、宗憲、宗房、重定、治憲、治廣、斉定、以上の12代だけど、
なんだか4代目ぐらいから徳川家の将軍の名前を一字もらってるような感じ?


整然と左右対称に並んだ廟に眠る。

初代の上杉謙信を中心に、歴代当主が左右対称に並んで眠っている。謙信以前の人がいないのは、
もともと謙信(長尾景虎)の主君の国だった越後が、下克上で謙信のものになったところから、
この上杉家が始まっているから。


中央に眠る上杉謙信。

上杉謙信は越後で生まれて越後で死んだ。後を継いだ景勝は、豊臣秀吉の天下では五大老の一人に
なったけど、越後から会津若松に転封になった。さらに関が原の合戦で、徳川家康の天下になると
米沢に転封されてきた。会津では120万石、米沢は当時30万石だった。


奥が謙信、手前左が景勝。右は定勝。

石のベンチに腰かけて休んでいたら、隣に座ったおじいさんが誰かに説明しているのが聞こえた。
5代目の当主のとき、米沢藩は30万石から15万石に減封された。だから、その後は廟の造りが
簡素になっているし、廟と廟の間隔も半分になっていると。


謙信を祀る上杉神社。

下克上によって一代で名家となった上杉家が、泰平の世にゆっくり日没していくような、12代の物語。
第10代の治憲は、「成せばなる成さねばならぬ何事もならぬは人の成さぬなりけり」でおなじみの
上杉鷹山だけど、倹約したところで藩の財政を根本的に立て直すことは結局できなかった。


上杉鷹山の銅像。

経費を減らせば何とかなる・・・成せばなる成さねばならぬ何事もならぬは人の成さぬなりけり・・・
という考え方は、江戸時代すでに時代遅れだった。


「米沢牛の恩人」チャールズの碑。

文明開化の世の中になると、まもなくチャールズ・ヘンリー・ダラスが米沢牛を紹介してくれた。
とくに畜産の指導をしてくれたわけでもなく、「米沢ビーフ食ったら激ウマで超ヤバイよ!」
って、横浜でウワサを広めてくれたらしい。コックに米沢牛を仕入れさせて食べたことは
「米沢牛の恩人」と呼ぶに値するみたいなことが碑文になっていた。


せっかくだから食べたよ。
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酒田

2010-10-04 | Weblog
いくつもりなかったんだけど、いってきてくれと頼まれたから酒田に寄り道することにした。

焼きそばを食べに・・・もとい、仕事の用事で横手まで日帰り出張したとき、移動ばかりで疲れたので
帰りに新庄で一泊した。それが土曜の夜で、まったく期待ハズレだった焼きそばの穴を埋めるように、
同行したライターさんと山形の酒で喉を湿らせていると、いつしか酒田の話になったのだ。

明けて日曜日、ライターさんは東京で仕事があるから山形新幹線つばさで戻らなくちゃいけないけど、
ぼくはヒマだから10:14の陸羽西線にガタゴトゆられて酒田に向かう。


あいにくの天気だった

江戸時代に西廻り航路の海運が盛んになると、酒田は北前船の拠点として栄え、春が訪れると船が
出入りして諸国からの荷で賑わったという。


北前船

酒田の廻船問屋、鐙屋(あぶみや)のことが、井原西鶴の『日本永代蔵』に記されているんだそうな。
それは、巻の二に収められている「舟人馬かた鐙屋の庭」で・・・


日本永代蔵

「ここに酒田の町に、鐙屋といへる大問屋住みけるが、昔はわずかなる人宿せしに、その身才覚にて、
近年次第に家栄へ、諸国の客をひきうけ、北の国一番の米の買入れ、惣左衛門といふ名をしらざるは
なし。表口三十間裏行六十五間を、家蔵に立つづけ、台所の有様、目を覚しける」とある。


当時の様子でーす

当時の廻船問屋は、北前船が港につくと、船頭や荷主に宿とお料理を提供して商談を行ったと。だから
こんなごちそうをつくってもてなしているわけで、商談が成立すると手数料を取ったんだそうな。完全に、
貨幣経済の世の中になっている。米本位で石高制を敷いた幕藩体制、最初から時代遅れやん。


お料理でーす

「国指定史跡 旧鐙屋」として、大人一般310円で家屋や庭や土蔵などが見学できるようになっている。
石置杉皮葺屋根の町屋造りで、内部には写真のような展示物があり、とてもわかりやすい。


お運びしまーす

時代が下がって武家の財政が傾くと、廻船問屋の豪商は、庄内藩主の酒井家から援助を請われたり、
再建策を求められたりした。代表的な豪商が、鐙屋の近所に住んでいた本間光丘という人。


本間家旧本邸

「商人ふぜいが!」ということで財政改革案が庄内藩に採用されないと、援助を求めてきた米沢藩に
おなじ改革案を提案して、名君の誉れ高き上杉鷹山を支えるかたちになった。しかし、その米沢藩の
物品を最上川の水運で酒田の町に集めてきて、日本海海運に乗せる商売で大儲けしたわけだから、
「公益の祖」はしたたか者!


伝記まんが

旧本邸の向かいの売店で買った本間光丘の伝記まんがによると、武家の世の中が終わった後も
本間家は明治、大正、昭和初期まで大いに発展を続けた。 (戦後に解体されたのかな?)


山居倉庫(明治26~)

それにしても、あいにくの天気なので旧鐙屋とか旧本間邸とか、インドアを重点的に見ているけど
やっぱり歩き回るときは傘をささないといけない。写真の山居倉庫は米の保管倉庫として作られ、
現在も使われている。西側にあるケヤキ並木は、倉庫に西日を当てない工夫だという。


現在の酒田港

13:30をまわってお腹が空いてきたので、せっかくだから魚市場のほうまでいってみることにする。
なにか、おいしいものがあるかもしれない。飛島(あすかと読みそうになるけど、とびしま)行きの
定期船の発着港が「さかた海鮮市場」として賑わっている。飛島はウミネコの繁殖地。


さかた海鮮市場

海鮮丼とか食べられそうなレストランの看板が見えたので、「やったー!」と思って近づいていったら、
そこにだけ人がいっぱい詰めかけて、入口がどこにあるか一見わからないぐらいの行列をなしている。
食事するのは、もうあきらめたよ。


だめだこりゃ

やむをえず、売店のアメリカンドッグで空腹を紛らせ、ぶらぶらしてから「さかた海鮮市場」を立ち去る。
いったい、ここまでなにをしにきたんだろう?


飛島行き定期船

山居倉庫をぐるっと回って、歩いて駅に戻る。ちょっと晴れ間が見えた。が、酒田から新潟までの線路が
雨の影響で不通になっている。「帰れない・・・?」と思ったら、JRバスで余目まで振替輸送してくれて、
そこから新庄まで陸羽西線にガタゴトゆられて帰ることができた。よかった、よかった。


山居倉庫のケヤキ並木
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石神井川の遊歩道

2010-10-02 | Weblog
いい天気だったから、よく歩く散歩コースのひとつ、石神井川の遊歩道をまた歩いた。

王子の駅で降りるとすぐ、せせらぎのある音無親水公園にでる。そのせせらぎが石神井川。

北区の音無親水公園から、練馬区の石神井公園まで、川沿いにずっと遊歩道が続いている
ということだけど、まだ残念ながら全コース歩き通したことはない。いつも途中でバスや電車に
乗り込んで、気まぐれに帰ってしまう。それで構わないと思っているけど。


道端に彼岸花が咲いていた

ゲリラ豪雨に襲われてバスに飛び乗り、終点の板橋駅から電車で帰ったこともあるけど、今日は
そんな目に遭わずに済みそうだ。散歩用のバッグに入れてある東京の地図によると、石神井川は
ほぼ東西に練馬区・板橋区・北区を流れて、どうも隅田川に流れ込んでいるらしい。


道端に谷津大観音があった

いつも王子から川沿いにクネクネ西へ歩いて、旧中仙道の板橋宿のところにある板橋本町駅から
都営三田線に乗って帰るか、もう少しだけ足を伸ばして、中板橋駅から東武東上線に乗って帰る。
だいたい1時間かそこらの散歩になる。


道端に人の遊ぶ広場があった

少しだけ気合を入れて、いつもの倍の2時間ぐらい歩けば、たぶん豊島園までいけるんじゃないかな。
さらに覚悟を決めて、本腰で3時間ぐらい歩き続ければ、きっと石神井公園にも辿り着けると思うけど、
なかなか気合を入れたり覚悟を決めたりできない。


道端に人気のない遊具があった

王子から板橋までのクネクネ道がなかなか楽しくて、そこから先にいってみたいとは、あまり思わない。
なんとなく一本調子でつまらないのではないかという、期待の持てない感じさえしてしまうんだけれども、
歩いてみれば全然そんなことなくて楽しいのかもしれない。


どうしてこうなった

この道をときどき歩きたくなるのは、重力がゆがんで働いているかのような、この眺めが好きだからかも
しれない。初めて見たときは「風のせいだろう」ぐらいに思ったけど、そうじゃなくて「光あるほうへ」枝が
伸びた結果が、まるで重力異常みたいな斜めの並木道なんじゃないだろうか?


もっと光を・・・!

それにしても散歩に適した日だ。土曜日だけど午前中に仕事の用事があって、さて午後からはどうしようか
と思ったとき、なんか明るくて爽やかで気持ちいいから、どこか適当に歩こうと思って石神井川の遊歩道に
きたのは、ちょうどよかったんじゃないかな。


「板橋」と呼ばれる橋

旧中仙道にでた。板橋は江戸から数えて、中仙道の最初の宿場があったところ。東海道でいうところの
品川とだいたい同じような・・・・・・宿場町を通ると思うのは、道幅がどこも同じ(感じがする)ということ。
計ったことはないけど、江戸を遠く離れた宿場でも、やっぱりそう思う。


現在の町のようす

仲宿というのは、板橋宿が3つの地区に分かれていたころ、このあたりがそう呼ばれていたのを商店街が
掲げているようだ。橋のたもとの案内板にそういったことが書いてあった。ふーん、なんでもないような町も
由来をたどると面白いんだね。気が済んだので電車で帰ることにした。
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麻布十番

2010-10-01 | Weblog
ありそうでなかった、エスカレーターに座る人。

コロンブスの卵・・・的な。
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