秋は海。というのも夏はベタベタするし人が多いから、風が涼しくて人が少ない秋の海こそ心地いい。
とはいえ海が見たくて来たわけではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/56/c005c1212b8e2d506ca9849498806006.jpg)
海のそばの美術館を訪ねてきた。
横須賀美術館で企画展を見て、収蔵品展を見て、谷内六郎館を見た。いい季節だからか、美術品も
よいけど自然の風景を眺めても美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/61/39d6e0be0ac4dc7d13ddf79dfce1eff2.jpg)
いつのまにか散歩の秋だった。
美術館のある観音崎公園のお楽しみマップを見つけた。このあたりは歩きがいのありそうなところだ。
とりあえず美術館の裏手の丘に上ってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/6895ab31c3bea152e6825db697d1f3ae.jpg)
明治29年竣工の砲台があった。
24加砲4門、12加砲2門の砲台が、ほぼ原形のまま残されている。加砲って何だろう? 調べたらば
加農砲(カノン砲)のことだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c2/5409af6db2cc8ccd8354a360ac2a43e2.jpg)
こんな配置になっているみたい。
昭和9年まで使われていた地下の弾薬庫、見張所、井戸、便所などが残っている。こういう砲台跡が
観音崎には何か所も残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/df/96d003a43c63249ba4c117e3d11fd9b5.jpg)
東京湾の門だから
観音崎と対岸の房総の富津のあいだは、東京湾で最も幅がせまく、6 kmしかない。浦賀水道という
この場所に大砲をいくつも置いて、さらに海堡を3つ設けて狭くして備えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/dc/09dba75be0e1dd3fddb290c79ef53d35.jpg)
砲台のある丘から下りてくる。
手前が横須賀美術館で、その向こうが観音崎京急ホテルに隣接する温浴施設「SPASSO」。食事と
セットの料金が看板に出ていて、機会があったら来たいなーとか思いつつ観音崎のほうへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5c/163c18a7618fdace8231ee10ad9e39b2.jpg)
あの岬が観音崎らしいな……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/57/e74d09faadfad48e80ff39015359a1e2.jpg)
その手前にレストハウス……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ba/1d6b9d5917b1823244cd88e50945cbd9.jpg)
アジ刺身定食を食べることに。
昼ごはん食べてから観音崎を歩く。じつは初めてじゃなくて、1992年の暮れに家族とハトバスで
きたことがある。三崎の市場とかをめぐるコース。1993年の暮れだったかも。どっちにしたって、
もう20年以上も昔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a8/b1a5daed222653f4170e8805a111beb5.jpg)
あまり覚えてない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d8/9226eca4210124817961cbbaf0f2419a.jpg)
人々が波打ち際で遊んでいる
どうして観音崎っていうんだろう? と思ったら、奈良時代に僧の行基が船の安全のために十一面
観音を、海蝕洞穴に納めたことに由来すると立て看板に書いてあった。カノン砲があるからじゃない
んだな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/e7/0b2b9aea36dbc2a26821a840b94d773b.jpg)
これがその洞穴
江戸時代までは寺や社がいっぱいあったが、明治になって軍事的に重視されるようになると寺社は
観音崎から立ち退いた。関東大震災のとき灯台が崩壊して、その残骸があるそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/db/2de0a5d6ccd5853235ff17c6e15b350e.jpg)
……あれのことかな?
あれは第二次世界大戦のとき、潜水艦の音を調べるために造られた「聴測所」だという。それでは、
崩壊した灯台の跡はどこに?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/6d/44eb111dbc9e87012d9d25c21673b94a.jpg)
素掘りのトンネル
トンネルをくぐると、そこはもう浦賀につづく道路だった。こっちではないらしいので、戻って探す。
灯台の残骸なんか見落とさないと思うけど……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/61/6c699a1456caa945ae01c179c8825f8b.jpg)
一体全体どこだろう……おや?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c4/8cafc16a32f717f64a2babe2bec93cf9.jpg)
あそこにあるのはもしかして?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/69/27a6a88dda210c1f6850f84c6ead5d86.jpg)
どうもあれが灯台の残骸らしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/10/4b10c6314b5298ab3a6e2cd9ea670d5d.jpg)
パッと見に岩と同化してる……
せっかくから現在の灯台も見物する。1992年だか、1993年だか、ハトバスできたときも確か
灯台に上ったから今日も上ってみよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/59/74d36159c956bdf5eeccf88201005824.jpg)
記憶より小さい!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/30/4472765fc46ee7beca224c7554f1c80b.jpg)
あまり記憶ない!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/db/69782ab717758f944c31c2c5754b1051.jpg)
上ってみると落ちそうでこわい!
とはいえ海が見たくて来たわけではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/56/c005c1212b8e2d506ca9849498806006.jpg)
海のそばの美術館を訪ねてきた。
横須賀美術館で企画展を見て、収蔵品展を見て、谷内六郎館を見た。いい季節だからか、美術品も
よいけど自然の風景を眺めても美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/61/39d6e0be0ac4dc7d13ddf79dfce1eff2.jpg)
いつのまにか散歩の秋だった。
美術館のある観音崎公園のお楽しみマップを見つけた。このあたりは歩きがいのありそうなところだ。
とりあえず美術館の裏手の丘に上ってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/6895ab31c3bea152e6825db697d1f3ae.jpg)
明治29年竣工の砲台があった。
24加砲4門、12加砲2門の砲台が、ほぼ原形のまま残されている。加砲って何だろう? 調べたらば
加農砲(カノン砲)のことだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c2/5409af6db2cc8ccd8354a360ac2a43e2.jpg)
こんな配置になっているみたい。
昭和9年まで使われていた地下の弾薬庫、見張所、井戸、便所などが残っている。こういう砲台跡が
観音崎には何か所も残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/df/96d003a43c63249ba4c117e3d11fd9b5.jpg)
東京湾の門だから
観音崎と対岸の房総の富津のあいだは、東京湾で最も幅がせまく、6 kmしかない。浦賀水道という
この場所に大砲をいくつも置いて、さらに海堡を3つ設けて狭くして備えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/dc/09dba75be0e1dd3fddb290c79ef53d35.jpg)
砲台のある丘から下りてくる。
手前が横須賀美術館で、その向こうが観音崎京急ホテルに隣接する温浴施設「SPASSO」。食事と
セットの料金が看板に出ていて、機会があったら来たいなーとか思いつつ観音崎のほうへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5c/163c18a7618fdace8231ee10ad9e39b2.jpg)
あの岬が観音崎らしいな……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/57/e74d09faadfad48e80ff39015359a1e2.jpg)
その手前にレストハウス……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ba/1d6b9d5917b1823244cd88e50945cbd9.jpg)
アジ刺身定食を食べることに。
昼ごはん食べてから観音崎を歩く。じつは初めてじゃなくて、1992年の暮れに家族とハトバスで
きたことがある。三崎の市場とかをめぐるコース。1993年の暮れだったかも。どっちにしたって、
もう20年以上も昔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a8/b1a5daed222653f4170e8805a111beb5.jpg)
あまり覚えてない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d8/9226eca4210124817961cbbaf0f2419a.jpg)
人々が波打ち際で遊んでいる
どうして観音崎っていうんだろう? と思ったら、奈良時代に僧の行基が船の安全のために十一面
観音を、海蝕洞穴に納めたことに由来すると立て看板に書いてあった。カノン砲があるからじゃない
んだな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/e7/0b2b9aea36dbc2a26821a840b94d773b.jpg)
これがその洞穴
江戸時代までは寺や社がいっぱいあったが、明治になって軍事的に重視されるようになると寺社は
観音崎から立ち退いた。関東大震災のとき灯台が崩壊して、その残骸があるそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/db/2de0a5d6ccd5853235ff17c6e15b350e.jpg)
……あれのことかな?
あれは第二次世界大戦のとき、潜水艦の音を調べるために造られた「聴測所」だという。それでは、
崩壊した灯台の跡はどこに?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/6d/44eb111dbc9e87012d9d25c21673b94a.jpg)
素掘りのトンネル
トンネルをくぐると、そこはもう浦賀につづく道路だった。こっちではないらしいので、戻って探す。
灯台の残骸なんか見落とさないと思うけど……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/61/6c699a1456caa945ae01c179c8825f8b.jpg)
一体全体どこだろう……おや?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c4/8cafc16a32f717f64a2babe2bec93cf9.jpg)
あそこにあるのはもしかして?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/69/27a6a88dda210c1f6850f84c6ead5d86.jpg)
どうもあれが灯台の残骸らしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/10/4b10c6314b5298ab3a6e2cd9ea670d5d.jpg)
パッと見に岩と同化してる……
せっかくから現在の灯台も見物する。1992年だか、1993年だか、ハトバスできたときも確か
灯台に上ったから今日も上ってみよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/59/74d36159c956bdf5eeccf88201005824.jpg)
記憶より小さい!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/30/4472765fc46ee7beca224c7554f1c80b.jpg)
あまり記憶ない!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/db/69782ab717758f944c31c2c5754b1051.jpg)
上ってみると落ちそうでこわい!