散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

バチカン市国

2011-09-29 | Weblog
ローマのはずれ、戦車競技場かなにかあったところでキリストの使徒ペテロという人が亡くなって、
お墓が作られた場所がいまではカトリックの総本山、バチカン市国になっている。

ローマの画像を整理していたら、バチカンの写真が2枚あった。あまり熱心に撮影しなかったのか、
それとも撮影禁止だったのかもしれないけど、たった2枚って。

高い高い塀に囲まれた建物の中が、ひとつの国家になってる。入口に長い長い行列ができていて、
もともと行列が嫌いだから入るのやめようかと思ったものの、そうそう滅多にくる機会もないから
並ぶことにした。美術品を見物するために通る中庭こんな感じ(上の写真)。


撮っちゃダメっていってるのに……

最後の審判のとき罰せられるなら、それはそれで仕方ないと思って『最後の審判』を写真に撮る。

順路に沿って建物の内部をあちこち歩いて回るだけで、部屋数も多いし、美術品の種類も点数も
多いから迷う。戸惑う。これがひとつの国かと思うと不思議でなくもない。

ルーブル美術館がひとつの独立国だって聞かされたら、ハイそうですかって納得できるだろうか。
ベルサイユ宮殿ならどうだろう。サンリオピュ-ロランドだったら?

ひとつながりの屋内で完結する立派なテーマパークに並び、いくらか入場料を払って楽しんだり、
ショップで記念品を選んだりする感覚に近い。
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祝橋公園

2011-09-27 | Weblog
とんかつがたべたいなあ、とんかつがたべたいなあ、とんかつがたべたいなあ……という罪深き妄執(?)に取り憑かれ、
職場の扉を出て左へ足を引きずっていくと、暗渠の上に築かれた公園に大勢の男が群がっていた。


また炊き出しかな?

秋から冬にかけて、祝橋公園で炊き出しが行われているのをよく見かける。日本には存在しないことになってる失業者、
または浮浪者、あるいはホームレスのおじさんが行儀よく並んで待っている。


主催はどこだろう?

「地の果て 宣教教会」ってテントに書いてある。教師の名前が右下に記されていて、どう見ても韓国人か朝鮮人の名前。
韓国のキリスト教は、現世利益を約束してくれるって聞いたことある。


韓流ブーム恐るべし

電通のお膝元で韓流キリスト教がホームレスのおじさんに布教活動しているのは、何かの必然性がある出来事なのだろうか?
しばらく眺めて、その場を立ち去り、とんかつをたべて仕事に戻った。(そしてブログを更新した……)
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ローマ

2011-09-23 | Weblog
本屋さんに行くと、文庫版『ローマ人の物語』がシリーズ完結してブックフェアをやっていたりする。
ぼくは単行本で気が済んでいるから読み直さないけど、文庫本でもローマ世界が終焉したかと思うと
ちょっと感慨がある。デジタルカメラを調べたら、何年か前のローマの写真が出てきた。


コロッセオ

二千年も前の遺構を生かして現代の都市が成立している。ヨーロッパにはこんなところ、他にない。
ギリシアだって遺跡は都市の中心を離れている。他の大陸にも類を見ないんじゃないかな?


コロッセオの中

舞台の下からライオンが飛び出す装置があったり……似たような仕掛けは現代の舞台にもあるけど、
この規模でやってるところはない。議場にせよ浴場にせよ、古代ローマは規模が大きい。


古代の壁を利用した住居

あまりにも大きいから、わざわざ壊さないで利用したり、たとえ壊れても使える部分を利用して
現代の生活が営まれている。そりゃそうだよ、丈夫な煉瓦の壁だもん。

巨大な建築を見て歩いて、そういうのに飽きてくると、やっぱり彫刻などの芸術品はギリシアに
ころがってるようなヘレニズム期以前のが段違いに美しいって思えてくる。


ただモザイク画は驚くほど写実的

床や壁のモザイクは写実的で、時代を超えた魅力がある。このあとの時代のキリスト教の美術が
とても稚拙なのにくらべて、古代ローマ人の自然を見る目は肥えている。


こういうのを見るとドキドキする

ローマ世界が終焉したあと多くのものが失われたけど、自然を見る目も長いあいだ失われた。
市民の屋敷の壁画(下の2枚)なんて、ヨーロッパ人よりも日本人の感性にむしろ近い。





ところで、「すべての道はローマに通ず」でおなじみのローマ街道は、馬車が効率よく走れる
ように直線で敷かれているというのは本当かなと思って、アッピア街道を歩いてみた。


水はけのいい石畳


どこまでもまっすぐ続いていく


だんだんデコボコになってくる

道路というのは整備しないと傷んでくるものだというけれど、このへんなどは整備されているほうで
きっとローマを離れるほど古代の街道は荒れてしまって、どこにあるかもわからなくなるんだろう。


それにしても、ひたすらまっすぐ…


だんだん石が磨耗していく…

歩き疲れたところでバスに飛び乗って地下鉄の駅まで運ばれていき、ローマの市街地に戻りました。
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飛鳥山公園

2011-09-19 | Weblog
王子の駅で下りて石神井川の散歩道でも歩こうと思い、駅前の歩道橋を渡り間違えたところに、
カタツムリみたいなモノレールみたいな見慣れない乗り物がいた。

飛鳥山公園のふもとから山頂(…っていうほどの高さじゃないけど…)まで、所要時間1~2分。
料金なんと0円で結ぶ、びっくりするほど短距離のモノレール。


その名も「アスカルゴ」

飛鳥山とエスカルゴ(かたつむり)をかけた、北区役所の言葉遊び(たぶん)。いつのまに
できたんだろう。川沿いの遊歩道ばかり通って、こっち全然こなかったから知らなかった。


さっそく乗ってみる

京浜東北線や東北新幹線、都営荒川線の行きかう様子がよく見える……なんて思ってたら到着。
丘の上に飛鳥山公園が広がっている。徳川吉宗の頃から花見の名所なんでしょ。


下る「アスカルゴ」


飛鳥山公園、だいたいこんな感じ


花壇があったり、遊具があったり……


都電の車両があったり、D51があったり……


なかなか立派な公園だ……

石神井川の遊歩道を歩くのをやめて、飛鳥山をぶらぶらする。回転する遊具から子供が落ちて
頭を打つ「ゴトン」という音がきこえた。


このあとですね

おそらく背中を打ってから頭を打って、じかに頭を打つのと比べたら勢いが殺されていたから
血を見ることもなく、一拍おいて子供が泣き出したので大丈夫だろう。

ここまできたら「紙の博物館」に寄るか。1994年に出版社に入って製作部に配属されたとき、
用紙と印刷と製本のことを扱う部署だから、とりあえず「紙の博物館」を見物したことがある。
あれから18年、どうなっているだろう?


こうなっている(あまり見覚えなし)

たしか18年前は一人でじっくり見物した覚えがあるけど、いまはボランティアのおじいさんが
付き添って、洋紙と和紙の漉き方の共通点と相違点、原料の話、原子力発電所の事故のこと
など熱っぽく語ってくれる。(王子製紙のOBなのかなあ……)

ぼくが製作部にいたときは、製紙全体量に占める古紙利用率が50%いかなかった気がするけど、
時は移って2000年代に利用率が上がり、いまは60%越えてる。紙の6割は古紙から作られる。
へー、ちょっと意外。あとは中国の製紙業の伸び方がすごい。


隣の「北区飛鳥山博物館」も見物する

720円払って「飛鳥山3つの博物館 三館共通券」というのを買い、隣り合わせの博物館を3つ
見て回る。「北区飛鳥山博物館」は「江戸東京博物館」の北区バージョンといった趣き。

関東平野と東京湾の成り立ちを時間順に見る映像がおもしろかった。


隣の「渋沢資料館」は渋沢栄一がお出迎え

明治になって、飛鳥山の一角に渋沢栄一の館ができて、戦災であらかた焼けたんだけど、
ゆかりの地に遺品や写真を集めた資料館が1998年にできたらしい。

向かいに焼け残った建物が2つ、普段は閉まってるけど三館共通券を見せれば中に入れる
日らしいので、せっかくだから見ていく。


晩香蘆(洋風茶室)……バンガローのしゃれか


青淵文庫(書庫)……本は都立中央図書館へ

中に入って思ったけど、いい趣味をしている。そんなこと没後にうまれた人間から言われたって、
うれしくもなんともないだろうね。


かき氷これで今年は最後かも

公園の真ん中にある茶店で残暑を惜しみ、かき氷を食べる。練乳あずき。茶店のおばさんは
近所に住んでるわけじゃなくて、上野から電車で通ってきてるんだって。時代だね。


関連記事: 石神井川の散歩道
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日比谷公園

2011-09-17 | Weblog
「ここも昔は海だったのか」とか思いながら、おととい日比谷公園を散歩していたら秋のビール祭(オクトーバーフェスト)にぶつかって、あとはよく覚えていません。
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飛鳥寺

2011-09-16 | Weblog
これは鬼の雪隠(トイレ)と呼ばれている石で、飛鳥の道端に転がってる。手前の人物は鬼ではなく
むしろ仏のような人間で、わざわざサイズ比較のために写っている。

確かにトイレみたいな形だが、古墳の石室の一部なんじゃないかとも見られている。とはいっても、
本当のところは誰にもわからない。


そこからの眺め

飛鳥、大和はさすが昔話にでも出てきそうな、どこか懐かしい風景。まだ日本という言葉もないし
天皇という言葉もないころから人が暮らして、歌を詠んでいたところ。大王(おおきみ)の里。


何の儀式に使ったのか…

これは酒船石と呼ばれている石で、小高い丘の上に転がっている。血祭りとか生贄の儀式にでも
使われそうな形をしているが、何に使った石なのか誰も知らない。


最近になって発掘されたところ

酒船石が転がっている小高い丘の下には、こんなところがある。最近の研究によると、祭式を司る
大王(のちに天皇と呼ばれる大和の長)が、丘に向かって雨乞いをした場所。

中央の丸い石に座って、右斜め上の小高い丘に向かって祈祷したらしい。


飛鳥寺の大仏

大王がそんなふうに、まつりごと(祭事=政治)をしている大和の国に、仏教が伝わってくると
世の中が劇的に変化したんだろう。日本最初の寺だという飛鳥寺に、日本最古の仏像だという
釈迦如来坐像がある。こんな間近に座って拝めて、写真を撮っても構わない。

蘇我馬子が588年に発願し、596年に創建された飛鳥寺に、605年に国を挙げて大仏の建立が
発願されて、609年にできたという。聖徳太子も関わっている。645年に大化の改新で謀殺された
蘇我入鹿の小さな首塚が、敷地の少し離れた場所にある。

関連記事: 飛鳥
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久國神社

2011-09-11 | Weblog
散歩なんて毎日のことだから、なるべく変わったところへ行こうと思っても、つい似たような道を
歩いてしまう。今日もまた霊山観音のときとおなじように、赤坂から六本木、麻布十番の界隈を
ぶらぶら歩いた。で、道の奥に見えた神社に寄る。港区七福神のうち、布袋が祀られてる。


とくにどうということはない久國神社

港区七福神といえば、このまえ十番稲荷で煙に巻かれたことがある。しかし、この久國神社では
べつに変わったこともなかった。


ポンプの脇に国威宣揚と刻まれた石

石の上にはポールが立っていて、どうやら日の丸の旗か何か揚げられるようになっている。
勇ましい文字が刻まれた碑は、明治よりも大正から昭和の初めに多い気がする。

こういうところにも流行があるんだろう。いまの世の波に乗るには、布袋さんの像でも置けば
人気が出そうだけど、そういう方面にはあまり関心がないみたい。


わっしょい、わっしょい

六本木まで坂を上がってコーヒー飲んで休み、麻布のほうに下りてくると、秋祭りでお神輿が通る。
夏に商店街が主催する麻布十番祭りは、今年は節電で見送られて、おかげで静かでよかったけど、
それとはべつに地元のお神輿が出る秋の祭りがあるんだ。


お囃子の担当

やたらと出店が並ぶだけの夏の祭りより、秋の祭りのほうがお祭りらしくて好き。来年からも
ずっと、夏の麻布十番祭りが中止になって、秋祭りだけになりますように……。

関連記事: 十番稲荷
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並んで光るもの

2011-09-10 | Weblog
散歩の途中、ひらひらアゲハチョウが飛んできて、たまごを産むのを見かけた。お腹を曲げて、
葉っぱの端に光るたまごを産みつけている。

アゲハがひらひら飛び去ってから、ケータイのカメラを起動して接写してみたら案外よく写った。
上の写真の真ん中あたりに、小さな粒が並んでいる。
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霊山観音

2011-09-08 | Weblog
ある雨の日、溜池山王のスターバックスでライトノベルを読んでいると、雨が上がったようなので
六本木まで歩くことにした。アウトレットの自転車専門店(ビル1Fから6Fを占めている)に寄って
何も買わずに外に出ると、またポツポツと雨が降り出す。しょうがないからビニール傘を差して
六本木通りを歩いていたら、上の写真のようなものが目に入った。霊山観音、60m……。


ビルの谷間で水子供養

いちど通り過ぎて、「60mなら行ってもいいか」と思い直して戻る。路地に入ると、どこが入口なのか
よくわからなくてウロウロしてしまった。諦めかけたとき、駐車場をみつけた。折しも、クルマが1台
路地に出てこようとしている。「水子供養してきた人なら見ないほうがいいかも?」と遠慮しながら、
目を背けずにしっかりクルマの窓を見ると、運転席にパパ、後部座席にママと小学生の娘という
3人家族でお参りにきていた。


いくつあるんだろう?

幼い子供が喜びそうな、ぬいぐるみ、絵本、おもちゃ類がいろいろ供えてある。どれも新しいから、
よく人が訪ねてきてるんだろう。駐車場からの門は裏手の出入口だったようで、受付の側に回ると
ちゃんとした構えになっていた。


こっちから入るのか……

昭和54年に京都の霊山観音から分祀した別院だって由来が書いてあった。「れいざんかんのん」
じゃなくて「りょうぜんかんのん」って読むんだね。そういえば、京都の東山に大きな白い観音像が
立っているのを遠くから見たことある。行ったことないけど、あれのことかも。
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エリア別まとめ

2011-09-04 | Weblog
おでかけの参考に(なるかどうか)、散歩ブログの書きこみをエリア別にまとめたリンク集を作って、
ブックマークの6つ目に加えました。画面の左にあります。

エリア別“よりぬき”散歩ブログです。いつか書いたことが、自分でどこにあるかわからないケースが
あるので、探しやすいようにしました。 ただ、東京都内は件数が多くて今も探しにくいかも orz

北海道・東北・東京都内・関東・中部・京都府内・近畿・中国・四国・九州・海外、以上11のエリアに
分けてあり、地名をクリックすると見られます。 そのうち改良するかもしれません。
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大酒神社

2011-09-03 | Weblog
せっかく太秦にきたから、広隆寺にも寄っていこうと思って、映画村を背にして右のほうへ
トコトコ歩いて交差点を右折すると、こんな神社があった。広隆寺のすぐそば。もしかして、
一体なのかしら? そう思って足をとめる。


皇紀二千六百年……

西暦1940年(昭和15年)の石碑がある。このかたち、刀かな? 聖徳太子にちなんだ古寺、
広隆寺の境内にあった社が、道路1本で寺と隔てられたみたい。そうだとすると、渡来系の
秦氏にゆかりのある神社っぽいから、皇紀二千六百年なんて国粋的な考え方とは水と油
のような気がしなくもないけど……?


由緒 大酒神社

祭神は、秦始皇帝って書いてある。そんなのあり? さらっとスゴイことが記されているよ。
養蚕とか農耕、酒造といった先進文化をもたらして、平安京ができる前から山背(京都)に
住んだ秦氏って、秦の始皇帝と何か関係あるのか。


回り込んだら広隆寺

達筆で読みづらいけど、太秦廣隆寺って書いてあるんだろうね。推古11年(西暦603年……
皇紀だと1263年?)に秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊に
広隆寺が建立されたと。その仏像が、国宝第一号の「弥勒菩薩半跏思惟像」だということで、
門の脇にも国宝第一号の写真が掲げてある。


 ドオオオォォォーン!

ここの新霊宝殿には国宝17点、重要文化財42点がズラズラ並んでいて、拝観料こそ払うけど
誰でも間近に飛鳥・天平・弘仁・貞観・藤原・鎌倉の仏像を見ることができる。いいのかなって
思っちゃうくらい、度重なる火災を逃れた仏像が一堂に会してる。 (写真撮影は禁止)


地蔵堂だったかな

仏像の他に国宝3点、重要文化財6点を擁する本物だらけの寺。その脇に、秦始皇帝を祀る
大酒神社があって、皇紀二千六百年に刀剣みたいな石碑がこれ見よがしに突き立てられた。


路面電車の行きかう太秦は因縁深い土地だ

広隆寺の目と鼻の先にある京福嵐山線の太秦広隆寺駅から、四条大宮に向かおうと思って
ホームに立つと、いかにも見慣れない自動販売機が反対側のホームにあった。

 
まじないグッズを販売する自動販売機

オカルトのゴロゴロ転がる古都、京都。まあ東京よりも奇妙なものに遭遇する頻度ずっと高い。
今回、映画村から帰って終わりのつもりが、つい1ネタ増えてしまった。


「 癒 し の 嵐 電 」
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太秦

2011-09-01 | Weblog
子連れで京都にきて、お寺ばかり見せるのも何だし、太秦でも見物することにした。太秦映画村。
ひとりじゃ絶対、映画村なんて行かない。子連れの今回あたりチャンスかも。


団体用の入口は時代めいている

じつをいうと何度も前を通っている。それにしても、実際中に入る機会があるとは思わなかった。
まあでもディズニーランドもユニバーサルスタジオジャパンも子供に合わせて入ったことだから、
もう東映太秦映画村だって入っちゃう!


江戸の町人がいると思ったら明治の町並みだった

個人用の入口を抜けると、そこには明治村かと思う光景が広がっている。でも、ちょっと歩くと
時代劇で見慣れた江戸の町になる。


お侍さんが剣術指南

いったことないけど日光江戸村みたい。太秦映画村は1975年、日光江戸村が1986年オープンだから
太秦映画村のほうが先なんだけど、関東に住んでると宣伝力の差でそう感じちゃう。


只今制作中の番組

テレビの時代劇が減っていく……、映画はもっと減っていく……。『水戸黄門』も終わるんでしょ?
そう考えると何だか寂しい、東映太秦映画村。


あさて、さて、さて、さて、さても南京玉すだれ

芝居小屋中村座で、森ちゃんが南京玉すだれ演じてる。森ちゃん、エキストラで『水戸黄門』に
ときどき出てるって。「誰かやってみたい人~!?」っていう呼びかけに応えて、うちの小学生も
南京玉すだれで「日本橋」とか「釣竿」とか「後光」とか作った。


日本橋もちゃんと架けてある

背景に江戸城(たぶん姫路城)の天守閣を合成したら、大江戸いっちょ上がり。そうかと思うと
あっちの屋根から、忍者が!


昼間こんなことしないと思うけど……

屋根裏が撮影しやすいように天井や梁などが顔の高さに作られた、屋根裏専用のセットもある。
きっと池の中からも忍者が登場するぞ! と思って眺めていると……。


全 然 ち が う の 出 て き た !

江戸時代という設定で見物してるから、こういうのガバーッって出てシューッて何か吐かれると、
リアクションに困ってしまう。キョロキョロしながら沈んでいった。


いろいろな戦隊のレッドばかり大集合

赤いショッカーの戦闘員みたいに見えそうになるのを、ぐっとこらえて主役キャラとして見物する。
仮面ライダーも、戦隊ヒーローも東映だった。水戸黄門ご一行まで、戦隊ヒーローに見えそう。
「助さん、格さん、やっておしまいなさい!」


とある飯屋のゲテ物メニュー

サナダムシ手巻き寿司、髪切虫のしょうが焼き、ジョロウグモ丼、せみカレーライス……、
オオサンショウウオの丸揚げ、ザリガニやきめし、やもりの一夜干し……。


いや、遠慮しておこう。
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