散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

寄居

2015-09-23 | Weblog
石仏の群れがあると聞くと、つい見たくなる。千葉の鋸山、長野の奈良井、京都の石峰寺、大分の臼杵とか。
きっと日本中にひっそり石仏の群れがあるにちがいない。埼玉の寄居の石仏は有名みたいだから、そのうち
行こうなんて思ってるあいだに、10年以上たってしまった。これはいかん。東武東上線に乗らねば!


駅前スーパー(?)の跡が寂しい

寄居駅前、小川町の駅前に似てる。駅を出て右にスーパーがあって……わっ、ない。とりあえず駅前の地図
を頼りに鉢形城跡に寄ってみる。


曲輪や土塁が復元されてる?

とくに建物があるわけではないみたい。石仏を見にきたついでだから、興味も関心もないけど徘徊している
と「鉢形城歴史館近道→」なんて立札が。


そういわれると行ってみたくなる

ところが近道というわりに、起伏にとんだコースがずっと続く。引き返そうかなと思ったけど、急ぐわけでは
ないので前に進む。


きれいなところだし


彼岸花に黒アゲハ

歴史館に寄って道をくねくね戻り、石仏のある少林寺のほうへ歩く。こっちでいいのかと迷いつつ1時間
ぐらい歩いたら正解の目印が見えてきた。埼玉は広大だな。


こっちでよかった

文政年間(1818~30)に24世住職の大純万明和尚が勧進してつくられた五百羅漢(510体余の石仏)と
千体荒神(960余の板碑)があるというけど、和尚の動機は何だろう。


アマノく~ん

キャイーンのウドちゃんみたいな羅漢がいた。いろんなポーズ、いろんな表情の羅漢がいる。板碑って
いうのは供養のために板状の石をきざんだ塔婆で、関東地方を中心に約4万基あるとか。その半分が
埼玉にあるというからビックリだ。埼玉は日本の中心か、少なくとも関東の中心か。

 
板碑というのはこんなので戦国時代がピークみたい


石仏を見ながら山を上っていく

あまり足場がよくないので見ようと思っても石仏ばかり見ていられない。とはいえ足元ばかり見ても
しょうがないから、足元を見て石仏を見る繰り返し。


頬杖ついてるやつ


膝かかえてるやつ


プチ鬱になっちゃってるやつ


ご満悦してるやつ


首かしげてるやつ


どうもすみません

これが悟りを表してるのか? 山を上って下ると、昭和29年にできた円良田湖(つぶらだこ)という
農業用の溜池で人がへらぶな釣りをやってる。


なんか楽しそうだなあ……

歩き疲れてきたので、ひたすら山を下る。波久礼(はぐれ)の駅がまた遠い。お腹すいたので駅前で
何か食べようと思ったけど何もない。


長瀞まで秩父鉄道で3駅なのか

長瀞(ながとろ)といえば有名な景勝地だから、観光客相手の飲食店ぐらいあるだろう。ちょっくら
岩畳でも眺めて、何か食うかな。


行楽してる人たちがあんなに!

寄居で石仏を見てるときは誰にも会わなかったのに、長瀞にきたら普通に観光してる人がいっぱい。
人間に囲まれたら意外と気分が上がる。


鮎めしをおいしくいただきました

関連記事:  石峰寺  (京都の石仏の話)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深谷

2015-09-20 | Weblog
用があって東京駅にいったら、怪しげに光る物体が……よく見ると「銀の鈴」だった。ずっと見てないせいか
記憶の中の「銀の鈴」とちがう。東京駅は開業100周年だそうで、100年前の煉瓦が丸の内南口のとらや
のカフェの壁として使われているとか。


空襲で焼けた木材の跡そのまま

ちなみにこの煉瓦、日本で初めて埼玉の深谷にできた煉瓦工場でつくられたらしい。そこでさっそく高崎線
の深谷駅へ、瞬間移動。


どこかで見たような駅舎だぞ!

東京駅の駅舎の煉瓦が深谷の煉瓦ということで、深谷駅は東京駅そっくりだった。どのくらい似ているか
瞬間移動で見比べてみると……?


こっちが東京駅の丸の内の駅舎


こっちが埼玉にある深谷駅の駅舎

こうしてみると同じではないけれど、だいたいの感じは似ている。東京駅だけでなく、日銀、東京裁判所、
赤坂離宮、警視庁、東京大学などの煉瓦も、深谷の煉瓦工場でつくられた煉瓦だ。明治の代表的な洋風
建築は埼玉の煉瓦で成立した。材料の土も埼玉の土。


工場跡を見に行く

深谷に洋式機械の煉瓦工場ができるまでは、瓦職人が煉瓦を焼いていた。深谷には瓦職人が多くて、
世界遺産になった群馬の富岡製糸場ができるとき(東京駅よりずっと前)は、深谷から富岡に職人が
かりだされた。明治の代表的な近代産業は埼玉の支えで成立した。


歩いてみると遠い

1887年(明治20年)に日本煉瓦製造株式会社ができたとき、工場でつくられた煉瓦は利根川の水運で
東京へ運ばれたが、やがて鉄道を使うようになり、深谷駅と工場の間に引き込み線が敷かれた。いま
歩いてるのは引き込み線の跡の遊歩道。だから迷わない。


当時の橋を遊歩道の脇に展示

1895年(明治28年)にかけられた、現存する日本最古のプレート・ガーター橋だという。いわれても
すごいのかどうか、よくわからないが写真を撮っておく。


鉄道好きにもいろいろあるけど橋はどうかな?

深谷といえばネギの産地として知られているけど、まさか、いまどきネギ作ってないだろうな……
と思ったら


思いっきり作っていた

キュウリもたくさん作っているらしい。深谷で生まれた渋沢栄一が日本煉瓦製造株式会社をつくった
とき、このあたりの畑の土を煉瓦にするため掘り返し、そこを田んぼにしたというから


お米もけっこう作ってる

最盛期の煉瓦工場には従業員が1000人ぐらいいて、工場内に幼稚園もあるほどだったけれども、
2006年に廃業した。最近までやってたのか。煉瓦は明治のイメージで、大正ぐらいからセメントが
使われ出したとか。それでも平成まで会社はあった。


駅から4kmもあるのか

埼玉は広大だな。いまさら引き返せないし、工場まで歩いていく。あまり人に会わない。シルバー
ウィークどこも混んでるらしいのに、ぼくの行くところにかぎって人に会わない。


1時間ほど歩いて工場跡に到着

おじいさんが草むしりをしている。用務員さんかなと思って、会釈して建物の写真を撮っていたら
「どちらからですか? やっぱり八王子からですか?」と話しかけてきた。やっぱり八王子からって
どういうことだろう。


もう窯は一基しか残っていない

おじいさんが「深谷から歩いてきたんですか、このあと渋沢栄一の生家や誠之堂も回るんですか」
と寄ってきて、どんどん館内の説明をしはじめる。以前は煉瓦史料館として活用されていたここ、
いまは土日だけ開館してるとか。来館者ひとり、格好のターゲットとして1時間くらい詳しい説明を
聞かされた。もともと窯は六基あって東京ドーム4個分の敷地で煉瓦をつくっていたから、施設を
保存してれば富岡製糸場のような世界遺産になったのに……などなど。一部をブログに書いた。


こっちで帰れるのかな?

おじいさんが、誠之堂まで行くには川を渡りきって左に曲がって……と説明して見送ってくれる。
駅に戻りたいんだけど、ちゃんと川を渡るかどうか、おじいさんがずっと見守っているから渡る。
ぐるっと遠回りして、深谷駅に戻った。

関連記事: 天童  (おなじような目にあった話)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆栽村

2015-09-12 | Weblog
関東大震災で被災した東京の植木職人や盆栽師がごっそり埼玉に移り住んで、大正14年にできたのが
盆栽村。それから90年。いまの盆栽村がどうなっているか、ふと気になって明け方に家を出た。大宮へ、
JR京浜東北線で向かう途中、赤羽で列車が動かなくなった。どうしたんだろう?

「先ほど発生した大きな地震のため……」

車内アナウンスを聞いてツイッターを見たら、5時49分に東京湾を震源とする地震があり、調布で震度5
と速報が出てる。関東大震災のときは大宮に盆栽村ができたが、こんど東京に大地震が起きたら何村が
できるかな?


あいかわらず……

大宮の氷川神社では、あいかわらず人が木に気をもらってる。あっちでも、こっちでも。立ちバックみたい
とか朝から不謹慎なこと考えて、ふと車止めの看板をみるとバック禁止と大書してある。ギョッ!


埼玉県立歴史と民俗の博物館

大宮公園を通り抜けて、歴史と民俗の博物館に立ち寄る。写真は「昭和の原っぱ」……9時開館だから、
それまで神社で絵馬を見たり、大宮で変な貼り紙を見て回ったり、かなり時間つぶす。思えば盆栽村も
早朝は見物できない気がしたから。


板石塔婆(板碑)とやらを眺める

いまでこそ東京が関東平野の中心のように思われているけど、大きな地震や津波がきたら一たまりも
ない干拓地や埋め立て地にすぎなくて、もとはといえば大宮あたりが中心。そういったことを考えつつ、
武士の時代の遺物を見物。


やっと盆栽村に辿りついた……

大宮公園を抜けて、東武野田線の大宮公園駅の踏切を渡り、とぼとぼと歩いていったら盆栽村がある。
一番最初にカラー漫画を作成したという北沢楽天を記念する、さいたま市立漫画会館(入館無料)にも
寄っていく。


池田理代子展だ!

ベルばらの原画とか、なつかしいベルばら筆入れとか、いろいろなものを眺めて盆栽のことを忘れる。
ところが館内に、以前あった盆栽園といまある盆栽園マップが表示されていて現実に戻る。


こんなにあったのに、いまはもう5軒だけしかない

10年前の記録によると、まだ9軒あったそうだから、最近も盆栽園は激減しているみたい。90年で
村が消えかけている……もっとも新築マンションだって、90年たてば(もっと早く)住めなくなるから、
村だって消える道理かも。


5軒残った盆栽園のうちのひとつ

2017年には世界盆栽大会が、さいたま市で開かれるそうだけど、そのとき盆栽園が何軒残ってるか。
つぎの大地震のときまで続くかどうか、とても微妙。


関連記事: 大宮
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする