散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

ゴンパ

2017-08-25 | Weblog
うっかり京都に行くと寺巡りで1日が終わってしまうように、うっかりインドの山奥に行くとチベット仏教の寺巡りで
旅行が終わってしまう。チベット仏教は日本で人気のある大乗仏教とはちがい、東南アジアで人気のある上座部
仏教とも異なり、ひとことでいえば密教だ。山深い地にあるチベットの密教寺院は、ゴンパと呼ばれる。



瞑想をしにきている旅行者をけっこう見かけるけれど、禅やヨガとは違うんじゃないかと……思ってもそっとして
おく。時間が許すかぎり、気が済むまでやったらいい。



不立文字じゃなくて、経典がいっぱいある。字が読めなくても、壁にいっぱい絵が描いてあるから大丈夫。その
絵はけっこうヒンズー教っぽい。日本のお寺が明治まで神仏習合してたように、チベット寺院も神仏習合してる
のではないだろうか。



まざってるようにしかみえない。これはなんだろう? おっぱいあるから女性なんだろうな……頭は象か何か
みたいだけれども……「神」?



古そうな経典がまとめてある。同じチベット文化圏でも、中国側では経典が焼かれたりラマさんが殺されたり
してるそうだけど、インド側では経典も保存されているしラマさんも修行に励んでいる。お坊さんはラマさんと
いうらしい。だからラマ教ともいうのか。



ラマさんが立ち話してる。いまは夏だから日陰が涼しくて心地よさそうだけど、冬はものすごく寒くなるので
ゴンパの本堂にラマさんの防寒着がずらっと並んでいたりする。



すっぽり入ってお経を読んだりするんだろうな。最初は何だろうと思った。ちょっと怖かった。



標高3500mとか3600mある高地の、さらに高台にゴンパが建てられる。新旧大小いろいろあるけれど、
このあたり(ラダック地方)でいちばん大きいゴンパがこんな感じ。



このへミスゴンパ(隠れたゴンパ)で、キリストが10代から30歳ごろまで過ごしたという話がある。新約聖書に
その年代の記述がないのは、ここにいたからという話なんだけど本当だろうか?



これもゴンパ、あれもゴンパ。いろいろなゴンパがあるけれど、どこのゴンパもお堂は土足厳禁だ。靴下は
履いていい。靴を脱ぐのは日本人は抵抗ないけど、西洋人はそれなりに大変そう。



こういう場合は階段の上まで靴を履いてよくて、お堂に入るとき靴を脱ぐ。そういうのは日本の感覚と一緒
だから、なじみやすい。極彩色の京都にいるみたい。京都のまじない密教ぽいし。



お釈迦さん(だと思う)なにか手に持ってると思ったら……



お菓子をいっぱい恵んでもらって、うれしそうだった。



ダライ・ラマ14世もキンキラキン。3日前までここにいたとか。(それでサインがあるのだろうか?)



十一面千手千眼観音の「十一面」はともかく、千手をそのまま表現しようとしている像は、日本では鑑真の
唐招提寺でしか見たことない。後光のように、背後に小さい手がいっぱい。後光は光だと思っていたけど、
あれはひょっとして手だった?



そのような手を使って抱き合ってる。歓喜仏とか、和合物とか、男女が抱き合って悟りの境地に至るという
教えが密教にある。空海が日本に伝えた真言密教にもあり、後に立川流が盛んに行なって消されたとか。
日本の仏教からは消されてもチベット仏教からは消されなかった。



こちらは極彩色の歓喜仏でございます。どちらのゴンパにも、ひとつやふたつは歓喜仏がございます。



立体の歓喜仏だけじゃなくて、平面の歓喜仏もございます。(こっちのほうが多い)



よく見てみると、入ってます。



どういうわけか人を踏みつけにしていますが、近づいてみるとやっぱり……



そうですね、入ってますね。



歓喜仏とか、和合仏、とかいうわりに……けっこう残酷仏でもありますね。



たぶん密教の教えには残酷なところがあって、意味を明かしてもらえない壁画はなんだかグロテスクな表現。
これは内臓ぶちまけてるだけでなく拷問のようにしか見えない。



どうしていろいろな生きものが逆さ吊りになっているんだろう? けっして上下まちがえてアップロードした
わけではない。



弱肉強食みたいなことを表現してるようにも見えるし、もっと厳しいことを伝えているのかもしれないけど、
さっぱりわからない。こわい。



明るいところに出てきてホッとする、みたいな……



おひさまの下はやっぱりいいな、みたいな……(陽射しが強くて肌が痛い) 夜はこの塔ライトアップされる
というから見にきてみたら



想像してたライトアップと少し違った。光を当てるのかと思ったら、パチンコ方式だった。



このへんで最大のマイトレーヤー(弥勒菩薩)、大きいので2階に上って拝む。胴体は下のフロアに。



砂絵で曼荼羅を作ってるラマさんたちがいた。息を吹きかけたら崩れてしまう、繊細な作業に集中していた。



トントンやって砂の粒を置いていく……見ているだけで気が遠くなりそう。まるで瞑想してる感覚。



関連記事:  インドの車窓から
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インドの車窓から

2017-08-19 | Weblog
車窓といっても、列車じゃなくて車です。インドは大きな菱餅みたいな形をしていて、南の角にスリランカ
があるとしたら、行ってきたのは北の角です。ヒマラヤ山脈より北、カラコルム山脈より南、インダス川が
縫って流れる高原で、だいたい標高が3000m以上あります。



まず目につくのは派手なトラック。高山病で頭がボーッとしており、やや痛い。だるくて素早く動けないし、
難しいことは考えられないので、きらびやかなものに目が行きます。



トラックを彼女のように扱うのだそうです。彼女をかわいく装うようにトラックをきらびやかに飾り立てる。
日本のデコトラが男の美学だとしたら、インドのデコトラは女性美。



インドといっても北の端で、このジャム&カシミールという行政エリアの西側にはパキスタン国境があるし、
東側には中国との国境があって、軍事的に重要なところです。もともとチベット文化圏で、山脈の向こうの
チベットは中国が侵略して文化を破壊したのに対し、インド側のチベットは文化が守られているというので
「インド・チベット」という呼び方もあるようです。



それでこんな看板が掲げられていたりします。「インドが好き、自由なチベット」……裏返せば「中国が嫌い、
不自由なチベット」ということでしょう。ダライ・ラマ14世がいるのはインド側ですね。



ラダック王国があった地域なので、カシミールの中でラダックと呼ばれています。ラダックの中心の都市は
レーです。レーの空港は軍の施設で、午前中だけ民間機が利用しています。そこに着陸して、印パ国境の
ほうへ車を走らせています。標高3500mぐらいあります。



どうみても砂漠ですね。インダス河のところだけ緑がある。人が住むのは河のそば。高いところに寺がある。
簡略にいうとそんな風景です。冬は厳寒の地でしょう。夏はからっと気持ちいい。猛暑のデリーなんかよりは
ずっと涼しいけど、陽射しが強いので肌は隠した方が楽です。日陰にいると涼しい、冷たい砂漠。



土を四角く整えて乾燥させた日干しレンガがよく使われています。ペルーの高地と一緒で、石積みも多い。
チベット仏教の寺院なんかは石積みに木の柱と木の屋根という感じ。



マグネティック・ヒル(磁石の丘)と、山肌に書いてあります。なんのことかと思ったら磁力を帯びた丘で、
ここでは不思議な現象が起きるみたい。



道路の上のペイントの範囲に車を停めると、びっくり体験ができると書いてあるので、やってもらいました。
どうしよう、車が砂鉄だらけになったら?



このペイントの範囲内に車を停めて、エンジンを切るわけですね。



それでブレーキを外すと、マグネティックなパワーが働いて……。



車がひとりでに前進して、勝手にストップするっていうんですけど、何となく道が坂になってるような気が
するし、止まる際ブレーキかけたような? マグネティック・ヒルが前方じゃなくて車の左方向にあるのも、
ちょっと釈然としない。



インダス河とザンツカール川が合流するところ、濁ってるのがインダス河、澄んでるのがザンツカール川。
ザンツカール川の上流は銅が多いから植物があまり生えないとか。



インダス河も上流に行けば澄んでるそうです。ザンツカール川が流れ込んで、ここから下流はインダス河。
銅が薄まり植物が生えて人が暮らす集落ができる。チベット仏教寺院はインダス河の右岸に多い。



こういう高いところにチベット仏教の寺院が築かれます。寺院のことは「ゴンパ」といいます。このゴンパは
バスゴ・ゴンパという名前です。遠くから眺めただけで立ち寄りませんでした。



ぐるっと回るとこんな感じです。ラダックのゴンパは古いところで11世紀、日本でいうと鎌倉時代の創建で、
大きなところ立派なところは17世紀以降、日本でいえば江戸時代に創建されたり建て替えられたりしてる。
そう考えると、鎌倉仏教が日本中に広まったのと時期が重なり合っているみたい。



お寺や門前の町はもちろん、車窓からの眺めにも、いたるところに五色の布があります。これはインダス川の
橋ですが、五色の布がこの通り。なんとなく平安仏教というか、真言密教を彷彿とします。チベットの仏教は、
大乗仏教とも上座部仏教とも流れが違って、ひとことでいえば密教だそうです。



アルチという町(というか村)にある、古いゴンパを見にきました。11世紀の創建で、彫刻など多くの部分が
当初のまま残っているそうです。正面の仏像を3体、小さめの写真で並べておきましょう。

  

ラダックの他のゴンパは高いところにあるのに、このアルチ・ゴンパだけ低いところ……集落の中にあります。
低いといっても、標高3000m以上ありますが。



ここラダックにリンチェン・ザンポという徳の高い僧がやってきて、4つのゴンパを建てて仏教を広めようとした
当初は、すべてインダス河の右岸の高台に建てる計画だったそうです。お告げでもあったんでしょう。ところが
アルチの人々が、自分たちの集落にぜひゴンパを建てて欲しいと求めたので、リンチェン・ザンポは杖を地面
に突き立て、「この杖が育って樹木になったらゴンパを建てよう」といいました。



そのときの杖がこの木です。アルチの村の人たちは、乾いた地面に水をやり、何くれと世話して杖を大きな木に
育て上げました。リンチェン・ザンポは約束通り、アルチの集落にゴンパを建てましたとさ。めでたしめでたし。



たとえば静岡の三保の松原には天女が羽衣をかけた松が残っていますが、もちろん何回も生え変わっています。
この木が伝説の通り、リンチェン・ザンポの杖が育ったものだとしても、少なくとも3回は生え変わっているでしょう。
世の中そういうものです。



ゴンパには、マニ車といって、1回まわすと密教のありがたい経典を1回読んだのと同じ功徳が得られる車が
必ずあります。サンスクリットが読めない観光客にとって、たいへん便利な代物です。



車の中にも、マニ車の小さいやつ飾ってあったりして。



このあたりは杏、アプリコットがよく採れるようで、実を食べた跡がそこここに散見されます。種ばかり集めて
干してあるのを見ましたが、杏の種を干してどうするのでしょう?



道端に、このように石積みしてあるのを見かけると、「ひとつ積んでは親のため……」どうしても賽の河原を
連想してしまいます。



インダス河にも賽の河原があるんですね。アルチから引き返して、ラダックのゴンパめぐりをします。ゴンパの
ことは別途まとめるとして、車窓の眺めをもう少し、続けて終わりにしましょう。



ときどき見える、道端の小高い場所にある台は、何かと思えば火葬台なのだそうです。鳥葬はこのあたりでは
やっていないと聞きました。どこぞの地方で行なわれてるそうですが、聞き取れませんでした。



時は金なり、されど生は尊し……イギリス人とちょっと違う、インドらしい箴言ですね。これを日本語に訳すと、
狭いニッポンそんなに急いでどこ行くの? という言い回しになります。



なぜならツーリングしてる人が大勢いるから。ガードレールなんか滅多にありません。ここは標高3000m
以上あるので空気が薄く、体力も判断力も奪われて、気を緩めると崖から落ちます。



自転車の人たちも、みんな反射板を身に着けてマジメだな~と車窓から見て感心していましたが、経験上
きっと必要なんでしょうね。



牛はインドで神様として敬われていて、車のほうが道を譲るとよく聞きますが、チベット文化圏とはいえここも
インドだけあって牛がのびのび暮らしてます。



牛とか馬とか日本で見ると巨大な生き物ですが、インドの平地とかで見るとスケール感が違って小さく見える
ので、かわいいです。ヤクとかも。車窓からだとミニチュアに見えます。



犬はみんな大型犬で、野良なんでしょうか。昼間ごろごろ日向に転がって(なぜか日陰に入らない)、夜になると
やたら咆えます。



猫をあまり見かけないのは、インドではネズミが神様だから猫が嫌われている……と聞いたんですけど、ここは
チベットでもあります。経典をネズミから守るには、猫の手も借りたいのでは?



そう思って探したら、ゴンパの本堂の前にいました。



民家の軒先にも猫がいました。いずれも標高3500m前後の場所ですが、高地の猫も猫は猫。ごろごろ寝る
から猫なんですね。



エッグスタンドを並べたようなラマユルの大地を横目に見て、あしたはゴンパめぐりをします。

関連記事:   神の道?
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