土曜の夕方から高田馬場に用があったので、午後ぶらぶら飯田橋から神楽坂をのぼって早稲田通りをあるいて
馬場へ。神楽坂ってこんなに急だったっけ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2a/f269d2b5de640ee0536658c30b9fc600.jpg)
天気いいから散歩
榎木町のあたりまでくると店がまばらになり、人通りも少ないので、看板があると目立つ。ネーミングセンスって
言葉など思い起こしつつ、眺めていくと……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/5d/55ab0e31809652926ca219bcddfbf23a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ad/188f3df5bb69f510dd537360727e03e8.jpg)
お食事処ブリッジ、キッチンスマイル、喫茶すーぱーみるく……
それぞれ思いが込められているんだろうけど、どんな思いが込められているのか、ちょっと測りがたいものが
ある。とくに喫茶すーぱーみるく、入っても大丈夫なのかな? そこいくと明快なのが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c2/04d395daf44ca96ede5619ed699217f2.jpg)
居酒屋二十二坪
込められた思いが、一目でわかる。ブリッジより、スマイルより、すーぱーみるくより、安心して入れそうだ。
(好みの問題かも)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/f0/95f25d4ee5a2f70af4e85719d834ee1a.jpg)
その先にある表示
三角定規の鋭角のところ(30度)ぐらいな路地に、漱石山房通りと掲げてある。なんだろう? 夏目漱石が
住んでいたのかどうか、ちょっと確かめにいってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/9c/126125e092d3602f5fcf560565eb42b4.jpg)
なんにもなかったらどうしよう…
細くて曲がりくねった上り下りの多い道をしばらく歩いて、あきらめかけたころにまた漱石山房通りの表示が
立ってた。明治の文豪、夏目漱石が晩年を過ごした家、通称漱石山房がこの地にあったと書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f2/9946ad22a5a743799a9938ec935c7aa2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/9b/d835ed260004a147198f8cf324862317.jpg)
あそこの空き地みたいなところに家があったらしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/5b/a771334d3a89bca364169ffd14134b7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d7/8302ee867fa841931ad663333e5e05dd.jpg)
銅像があって……石塔がある……
銅像のほうは見ればわかるけど、石塔のほうは何だろうかと思って、説明を読んでみる。これは「猫塚」という
そうだ。「吾輩は猫である」の猫ではなく、漱石の没後に遺族が家で飼っていた犬や猫、小鳥を供養するために
建てたと書いてある。なんという、まぎらわしいことを!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/2b/dbdecfb713acc3e8c1e441b9814ca522.jpg)
漱石はここに10年ほど住んだ
明治40年9月29日から大正5年12月9日に死去するまで住んだところで、「坑夫」「文鳥」「夢十夜」「三四郎」
「それから」「門」「彼岸過迄」「こころ」「道草」「明暗」などなど、プロとしての執筆のほとんどを、ここで行なった
……それなら、たしかに「吾輩は猫である」は越してくる前だから「猫塚」の猫は別の猫だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/9c/29ded6baf545982293f9d7759b93db3c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/83/d3d84b5e81421525d79b470518486ecf.jpg)
それっぽくこしらえてある!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/16/d6995bd2de7af494483a4967b4fe1caa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/99/9a9bc3afe4a21c100482a0031d148e85.jpg)
鍵がかかっていて中を見ることはできませんでした。もときた道を引き返して、早稲田駅の近くで夏目坂通り
を上ってみると、そこにも何か書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/4c/63ee4701d2c1969465061061d778ee33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b2/a8af89593054ed8e5b35cc13789cc78a.jpg)
漱石の随筆「硝子戸の中」(大正4年)によると…
「漱石の父で、この辺りの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に
広まり、やがてこう呼ばれ地図にものるようになった」って、あんまりいい話でもない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/46/2f80524a089fc47aa802c2c738ff45f7.jpg)
振り返れば……
ちゃっかり便乗商売で、「酒菜そうせき」という店がある。漢字ではなく、ひらがなで「そうせき」ってところに
遠慮を感じる。この坂のあたりに、漱石誕生の地っていう石碑があるらしいけど見当たらない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/4d/9f600f95e3921beefa85d45f0a018e31.jpg)
やよい軒の店先になんかある
学生服の3人組がたむろしてる定食屋、やよい軒の店先になんか立ってる。「夏目漱石誕生の地」って石碑。
生後まもなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、2歳の11月に再び内藤新宿の名主
塩原昌之助の養子となり、22歳のとき夏目家に復籍したって書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f5/71abf5dd0f74fec6daf356a0a5457186.jpg)
苦労したのかな~
それでも生家のすぐそばで晩年を過ごし、木曜会なんかも開いて、多くの人に惜しまれて亡くなったのだから
よかったんじゃないかな。さて、そろそろ高田馬場に行かなくては……。
馬場へ。神楽坂ってこんなに急だったっけ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2a/f269d2b5de640ee0536658c30b9fc600.jpg)
天気いいから散歩
榎木町のあたりまでくると店がまばらになり、人通りも少ないので、看板があると目立つ。ネーミングセンスって
言葉など思い起こしつつ、眺めていくと……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/5d/55ab0e31809652926ca219bcddfbf23a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ad/188f3df5bb69f510dd537360727e03e8.jpg)
お食事処ブリッジ、キッチンスマイル、喫茶すーぱーみるく……
それぞれ思いが込められているんだろうけど、どんな思いが込められているのか、ちょっと測りがたいものが
ある。とくに喫茶すーぱーみるく、入っても大丈夫なのかな? そこいくと明快なのが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c2/04d395daf44ca96ede5619ed699217f2.jpg)
居酒屋二十二坪
込められた思いが、一目でわかる。ブリッジより、スマイルより、すーぱーみるくより、安心して入れそうだ。
(好みの問題かも)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/f0/95f25d4ee5a2f70af4e85719d834ee1a.jpg)
その先にある表示
三角定規の鋭角のところ(30度)ぐらいな路地に、漱石山房通りと掲げてある。なんだろう? 夏目漱石が
住んでいたのかどうか、ちょっと確かめにいってみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/9c/126125e092d3602f5fcf560565eb42b4.jpg)
なんにもなかったらどうしよう…
細くて曲がりくねった上り下りの多い道をしばらく歩いて、あきらめかけたころにまた漱石山房通りの表示が
立ってた。明治の文豪、夏目漱石が晩年を過ごした家、通称漱石山房がこの地にあったと書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f2/9946ad22a5a743799a9938ec935c7aa2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/9b/d835ed260004a147198f8cf324862317.jpg)
あそこの空き地みたいなところに家があったらしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/5b/a771334d3a89bca364169ffd14134b7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d7/8302ee867fa841931ad663333e5e05dd.jpg)
銅像があって……石塔がある……
銅像のほうは見ればわかるけど、石塔のほうは何だろうかと思って、説明を読んでみる。これは「猫塚」という
そうだ。「吾輩は猫である」の猫ではなく、漱石の没後に遺族が家で飼っていた犬や猫、小鳥を供養するために
建てたと書いてある。なんという、まぎらわしいことを!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/2b/dbdecfb713acc3e8c1e441b9814ca522.jpg)
漱石はここに10年ほど住んだ
明治40年9月29日から大正5年12月9日に死去するまで住んだところで、「坑夫」「文鳥」「夢十夜」「三四郎」
「それから」「門」「彼岸過迄」「こころ」「道草」「明暗」などなど、プロとしての執筆のほとんどを、ここで行なった
……それなら、たしかに「吾輩は猫である」は越してくる前だから「猫塚」の猫は別の猫だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/9c/29ded6baf545982293f9d7759b93db3c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/83/d3d84b5e81421525d79b470518486ecf.jpg)
それっぽくこしらえてある!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/16/d6995bd2de7af494483a4967b4fe1caa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/99/9a9bc3afe4a21c100482a0031d148e85.jpg)
鍵がかかっていて中を見ることはできませんでした。もときた道を引き返して、早稲田駅の近くで夏目坂通り
を上ってみると、そこにも何か書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/4c/63ee4701d2c1969465061061d778ee33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b2/a8af89593054ed8e5b35cc13789cc78a.jpg)
漱石の随筆「硝子戸の中」(大正4年)によると…
「漱石の父で、この辺りの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に
広まり、やがてこう呼ばれ地図にものるようになった」って、あんまりいい話でもない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/46/2f80524a089fc47aa802c2c738ff45f7.jpg)
振り返れば……
ちゃっかり便乗商売で、「酒菜そうせき」という店がある。漢字ではなく、ひらがなで「そうせき」ってところに
遠慮を感じる。この坂のあたりに、漱石誕生の地っていう石碑があるらしいけど見当たらない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/4d/9f600f95e3921beefa85d45f0a018e31.jpg)
やよい軒の店先になんかある
学生服の3人組がたむろしてる定食屋、やよい軒の店先になんか立ってる。「夏目漱石誕生の地」って石碑。
生後まもなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、2歳の11月に再び内藤新宿の名主
塩原昌之助の養子となり、22歳のとき夏目家に復籍したって書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f5/71abf5dd0f74fec6daf356a0a5457186.jpg)
苦労したのかな~
それでも生家のすぐそばで晩年を過ごし、木曜会なんかも開いて、多くの人に惜しまれて亡くなったのだから
よかったんじゃないかな。さて、そろそろ高田馬場に行かなくては……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/e7/02af84943f7aacb1503937e19952ab1b.jpg)