散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

日帰り京都

2015-01-31 | Weblog
京都の南座で13時30分に待ち合わせだったので、そのまえにお昼ごはんぐらい食べておかないと撮影が終わる
夕方までお腹がもたないかもと、四条大橋はさんで南座の対岸にある東華菜館に入ったのが12時45分。鴨川を
渡ればすぐ南座だから、中華で遅刻することはあるまい。


さて、何を食べようかな……?

店に入る前にランチメニューでも眺めようかと掲示板に近づいたら、「最古のエレベーター」なんて書いてある。
なになに? 「1924年製(アメリカ製)の日本で現存する最古のエレベーターです。格子形の蛇腹式の内扉や、
時計針式のフロアー表示器など、現在では非常に珍しい器具が備わっています。昇降動作は手動式であり、
建物同様レトロな雰囲気で、お客様をお席までご案内いたします」……そうだっけ?


なーるほど、いわれてみれば確かにそうだった!!

9時50分の新幹線で東京から京都にやってきて、12時08分だかに下車して地下鉄にのりかえ、四条から地下
を歩いて地上に出たのが大体このへん。撮影相手もスタッフもみんな京都の人だから、行き帰りは単独行動
なのだった。自分がいなくても何とかなるとはいえ、好奇心に駆られて出張してきた。



あと40分ぐらいで集合の時間

北京料理って建物に書いてあったけど、1924年製のエレベーターがこの建物についたころ、まだ中国共産党は
幅を利かせていなかっただろうから……清朝ってことはないにしても、中華民国の北京料理かな? そもそも
どうして北京料理なのに西洋建築なんだろう? と余計なことを考えて注文が遅れる。検索すると、もとは西洋
料理店だったのが、第二次大戦後すぐ北京料理店になったみたい。やっぱり中華民国からきたのか。


酢豚を食べたら、やる気が出た

いっそ食べないで撮影に臨もうかと新幹線の中で考えてたけど、そこそこ時間あるし食べといてよかった……
なんか元気が出てきてしまった。食べ終わって外に出たら、まだ15分ほどあったので、隣に出来てたドトール
でコーヒーしばいて時間通りに南座へ。夕方まで撮影する。


サカタビル……

祇園に自分のビル発見。ここだったのか! じゃなくて、たまたま。撮影が終わったの、17時ちょっと前だった
かな? それからスタッフとお茶飲んで打ち合わせして、解散してから帰るまえに少し単独行動。もしかして、
原稿が上がったら急いで帰って入稿しようと思っていたけど、この日は何も上がらないことが事前にわかった
もんだから、錦市場のはずれの町家の店でビールとか飲んで京都の駅前に移り、新幹線のぞみの終電まで
へんこつという店で焼酎をロックで何杯か口にする。


にこみがうまいや

2~3年にいちど寄るけど、今夜はマスターいつになくよくしゃべると思ったら、斜め前の席の55歳のおじさん
の顔が昔よくきた人に似てるから、たぶん息子だろうと思ってお父さんのこと聞き出している。もう死んだけど
生きてれば80歳ぐらいで、30年ぐらいまえ京都で仕事してて、酒好きでこのへんも回ってた……ということは、
まちがいなくうちにも顔を出したにちがいない云々。


60年以上やってる

この店を始めた父も戦前戦中は大工で儲けてたけど、戦争に負けたから裸一貫で外地から逃げ帰ってきて、
そのうち半屋台でここを始めた。そのころの京都駅の写真がこれで、当時の店の構えがこうで、カウンターの
シャッター上げると屋根になって、そこは道路だった云々。酔って東京に帰って勢いでブログに書いたのが、
だいたい10日ほど前。それを誰得でいまごろ更新するのでありました。
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品川神社

2015-01-12 | Weblog
お正月に京浜急行に乗って窓の外を眺めてたら、箱根駅伝のランナーを沿道の人々が応援していて、小高い丘で
手を振る人の姿が目に入った。石を積み上げた塚みたいな……あれは何だろう?


後日、そこを確かめに来てみた

急行などが通過してしまう北品川と新馬場の間だったなと、わざわざ各駅に乗って訪ねてみた。新馬場駅の前の
品川神社らしい。初詣も一段落して、そろそろいい頃合いかも。


東海七福神の大黒さんの横の石段

その踊り場のようなところから左に入る小道があり、石碑に「登山道」と刻んである。この「登山道」を上ったら、
あの小高い丘に続くみたい。


「登山道」……たちまち「四合目」そして「五合目」


「七合目」「八合目」「九合目」


てっぺんからのながめ

広い道は箱根駅伝のランナーが走る第一京浜、その向こうの高架は京浜急行、その向こうに旧東海道がある。
この小高い丘は富士山を模したものなんだろうな……と思って反対側に下りると


やっぱりそう

富士信仰の「富士講」の人々が、明治2年につくった「富士塚」で、明治の神仏分離とやらで破壊されたけれど、
明治5年にまた築かれたとか。ずいぶん忙しい……「てやんでい!」みたいな地元の団結か。


旧街道の宿場町

富士講って江戸時代に盛んだったと聞いたことがあるのに、幕末よりも明治の初めに盛り上がっていたらしい。
少なくとも品川宿のあたりでは。昭和や平成の人が江戸の情緒を感じるのは、明治や大正の流行だったりする
ことがよくあるみたいだからな……蔵とか。


品川宿の本陣跡は「聖蹟公園」になっていた

維新後に京都から江戸に向かった明治天皇の宿舎にもなったところだと木の札に書いてあった。「聖蹟」って
いうのは、天皇が行幸したという意味かな。

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華厳の滝

2015-01-09 | Weblog
自殺しに来たわけではありません。ここは華厳の滝……家族連れですから、一家心中です。(うそ)


ここから見物する

明治36年に17歳の藤村操がここで投身自殺してから名所になっちゃったんですよね。生きていたら
今年きっと146歳になりますが、死ぬ前に滝の落口に近い大樹を削って遺言を墨書したとか。


飛び降りちゃダメーーー!

厳頭の感

悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学竟に何等の
オーソリチーに価するものぞ。万有の真相は唯一言にして悉す。曰く「不可解」我この恨を懐いて煩悶終に
死を決するに至る。既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲観は大なる
楽観に一致するを。


エレベーターに乗って滝を正面から眺める場所へ

藤村操って女の子みたいな名前だけど、男の子だったんですね。生きてればギネスブックに載るレベルの
おじいちゃん。自殺する2日ほど前、夏目漱石が授業で叱ったとか。それで漱石が気に病んだとか。


崖にトンネルが!

エレベーターで100mほど土の中を下ると、そこからトンネルが断崖まで続いている。この感じはあるぞ、
絶対に何かあるぞと思ったらやっぱり途中にあった。


流行のスポットで自殺した人たちの冥福を祈る像

おさいせん入れる箱があるのは、なんでだろう? それはともかく、断崖まで歩いていって滝を見る。
なんか上から見たほうが迫力あるかも。


いまいちな感じ?

どこから藤村操は身を投げたのか、あたりを見回す。ここはエレベーターができるまで下りて来られない
場所だったに違いないから、やっぱり上のほうかな……あの滝の落ち始めるところまで分け入って、樹を
削ってホレーショとかオーソリチーとか墨で書いて滝壺に落ちたのかな? 墨は硯ですったのか墨汁か、
どちらにしても手間のかかることを。


A地点からB地点まで落ちたのです

そんなことをイメージしながらエレベーターに乗ると、100mの高低差がまた格別に感じられます。

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中禅寺立木観音

2015-01-02 | Weblog
山の天気は変わりやすい。奥日光の中禅寺湖は水面の標高が1269mあるそうだから、晴れているかと
思っても雪がちらついて、そのうち吹雪いたり。


何百mか歩いていけるかな?

10分か15分くらいで中禅寺まで行けそう。観光略図を見て歩き出したら、とたんに吹雪いてきて……


着いたころにはこうなっていた

受付のおばさんが傘を貸してくれて、それならゆっくり見ようと思った。が、堂内は撮影禁止だったから
屋外の写真しかない。


立木観音って何?

雪だるまの鼻だった人参がとれて肩にのってる。お堂の前で傘の雪を払うと、中のお坊さんが戸を開けて
観音の説明を始める。ネットで落とした写真がこれ。


五色の紐が手から伸びてる

末法の世に平安貴族がすがったやつみたい。中央の観音は日光開山の祖、勝道上人が8世紀に立木に
彫ったそうで、いまも下の方は地面に根を張っているとか。だから立木観音か。
(見えないから本当かどうか確かめられない)


そのあいだにも雪がふり積もる

お堂は奥を階段で上って見て回れる。出てくると雪がまた激しくなってて、こりゃ傘がなきゃムリだと思った。


愛染堂の愛染かつらは落雷で枯れたので2代目

愛染かつらって……どこかで聞いたことある気がするけど何だっけ? 寒くて頭が働かない。イメージが
まず浮かんだのは、愛染恭子のほうだった。


これじゃないよな

戦前に婦人倶楽部に連載された川口松太郎の小説を、松竹が映画にしてヒットしたのが『愛染かつら』で、
テレビ時代にはライオン奥様劇場で放送された昼メロらしい。(よく知らなかった)


ロケ地ここみたい

愛染かつらも立木、本堂の観音も立木、立木の信心なのかなと傘さして歩くと、吹雪の中に何やら立木が。
回り込んでみると、身代わりの瘤がある。 「皆様の病気を身代わりになって出来た瘤也」


受付で傘を返して帰らなきゃ
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